はてなキーワード: 第二次大戦とは
ネットのSNSなどで、数年前から「ウイグル話法」という言葉を、しばしば見かけるようになりました。
話法と言っても、特に立派な構造があるわけではなく、何かの意見を表明した人間にいきなり絡んで「ではウイグルはどうなんだ」「何々を批判するなら、なぜ中国がウイグルでしていることを批判しないのだ」と言いがかりをつける、嫌がらせに近い行為です。
私も、この「ウイグル話法」の使い手に、何度か遭遇したことがあります。例えば、2021年2月20日にツイッターで、米国のバイデン大統領が第二次大戦中の米国内での日系人迫害について「米国の歴史の最も恥ずべき時代の一つ」と述べたことを報じる時事通信の記事を紹介したところ、匿名アカウントから次のような反応が寄せられました。
・直径3マイルを超える大きな都市地域にある重要目標であること。
と判断されたのではないでしょうか。
この結果、選ばれたのが広島、小倉(現福岡県北九州市)、長崎になりました。
天気が悪く目標を見つけられなかったため、長崎に変更されたというのは有名な話です。
しかし京都に原爆を落とすことはこれまで以上に強い反米感情を生み出し、
戦後日本を親米国に作り変えることが困難になり、ソ連に接近するのではないか
と考えられたため、京都は候補地からはずされたということです。
文化財がたくさんあるからアメリカも爆撃しなかったと勘違いしている人がいますが、
原爆を落とすのをやめたのであって、爆撃をしなかったわけではありません。
従って、第二次大戦で日本以外の国に原爆が落とされることはありえませんでした。
すみません、追加です。
あんなクソゲーはもうプレイしていないんだけど、性懲りもなくまたアニメやるとか言ってるし。
艦これのテーマは、腕組デブのPが大昔に話していた通り「奮戦し、悲しく沈んでいった艦を忘れずにいたい」である。
でも最近のロシアというか、プーチンの狂った戦争指導のさまを見るにつけ、翻って第二次大戦当時の日本がどう見られていたか容易に想像がつくようになった結果、とてもじゃないが「悲しく沈んでいった」などというセンチメンタルな話にはどうにも賛同できなくなった。
逆に「リメンバー・パールハーバー」で東京大空襲も沖縄戦も原爆投下も正当化したがるアメリカのメンタリティに、全く賛成はしないもののある程度は理解が及ぶようになったまである。
要するに「一方的に言いがかりと不意打ちで殴りつけておいて、やり返されたらひたすら被害者面」とか都合良すぎじゃね?って話。
まあ「国民感情をハックし、最終的に日本を対米開戦に引きずり込んだ、陸軍派閥(一夕会)とそのケツ持ち(東條英機)の妄想に付き合わされた」のは少々可哀想かもしれない。
自民党が献金や人材供与や票固めで動く程度の組織だからだろ。それ自体は害悪だから、二度と統一教会みたいな連中が政治に関われないように「法整備」まで行くべきだな。
そして、うっすらわかってきた。統一教会のお前としては「パヨク共産党と退治する組織だから受け入れられてきた」とでも思ってんのか。
人を騙して金をせびっても正しい行為をしている組織だから許されてきたとでも思ってたのか。
マルクス主義対ケインズ主義も微妙なところではあったが、最終的にはケインズ主義がかった。第二次大戦直後は実際ソ連は最強国家だったからな。
だが、ケインズ主義がかったのはケインズ主義が優れていたからであって反マルクス主義の連中が暴れたからじゃねぇ。
ただの反マルクス主義だったから、ケインズ主義に懸念が持たれて新自由主義になったら失われた30年づけるばっかりじゃ。ましてやそんな状態で反マルクス主義なんて誰も関心持っとらんわ。
語り継ぎね。
第一次世界大戦の反省からきた、第二次大戦以降のとりくみやね。
第一次大戦はマシンガンやら航空機の実践投入のせいで、ヨーロッパにおいてそれはもうすごい死人がでたから、これはもう戦争とかやめようって空気になった。これだけの空気になったらもう戦争はおこらんやろ、と皆おもってた。国連の前身みたいなやつもできたし。
ところが第二次大戦だよ。沢山死んだし戦争やだ~~~って思ってたジジババが死んで居なくなったら、空気も消え去っちゃて、案の定普通にまた戦争しちゃったというわけ。
それを防ぎたい、という試みが語り継ぎ運動やね。
爺ちゃん婆ちゃんに口をつぐませてたら、戦争いやだ~~って空気が伝わらない。
そういう話を積極的にしてもらおうという訳だ。
元増田は無理やりやらせたとか言うけど、戦争しないためだったらジジババも協力したよ。だって戦争嫌だったから。
今、こうしてまた第二次大戦のジジババが死んでいなくなる時代を迎えてみると、まあ効果はなくはなかった、でも十分とはとても言えないというところか。
ビートルズのイマジンが代表的だけど、20世紀のリベラルたちには「戦争は戦争好きな戦争をしたい人たちが起こすもの」という前提があったんだよね。でもどうやらそうじゃなかったと思う。大多数が戦争をしたかろうがしなかろうが、起こるものは起こる。
っつーか、民主主義をどう扱えば良いのか分かってないんだ。
「この政策はこういうコストやデメリットがあるけど、あっちの問題と考え合わせると、このコストとデメリットは受け入れるべきで、政府はよくやっている」
というような事を普通の国民が答えている。
でも、日本のニュースだと、国民はデメリットがある時点で拒否反応を示す。
「許せないですよねー」「怖いですよねー」「困りますよねー」レベルの反応しか返ってこない。
「それが受け入れるべきコストやデメリットなのか」というレベルの判断をしていない。
選挙に行かない理由とか聞いても、「投票したい党が無い」とか平気で答えてる。
各政策のトレードオフとか何も考えてないし、現実的な選択肢の中から選ぶ気もない。
ただ「与えられたものに不満を言うだけ」。
お客様。
「今日何食べたい?」と聞かれても、何も答えられない癖に、出て来たものに文句言う奴。
これが何でかって考えると、多分、日本国民は主権を勝ち取った事が無いからだろう。
考えてみりゃ、選挙権を得た明治維新も、その平等化が進んだ第二次大戦も、どっちも国民は何もやってない。
お上に逆らわずに唯々諾々と従ってるうちに、他人がお上を倒して与えてくれた民主主義だ。
そのせいで、主権をどう扱えば良いのか、全く知見が無い。
権力を持つこと、権力を倒す事、どっちにもリアリティを感じていない。やった事が無いから。
日本国民にとって、民主主義は最初から「誰かが良い物くれるのを口開けて待ってるもの」だったのだ。
これは江戸時代の市民がお上に不満を言って落書書いてた時から何も変わっていない。
自力でお上と戦う気はない。陰で悪口言いながら、表立っては逆らう気はない。そういうのを奴隷という。
誰も、「政府は腐ったらどんなに大変でも倒さなければならない」とは子供に教えないし、「権力は放っておいたら国民に害になる」とも考えない。
放っておけば、何か夢みたいな選択肢が出て来るものだとナチュラルに期待している。
その帰結が、「投票したい党が無いから投票に行かない」という究極の他人任せ。
食べたいメニューを誰かが目の前に出してくれなきゃ何も食べず、自分で作る気もなく、しかも自分が怠惰だと考えず「自分が欲しい物が出て来ないのが悪い」と平気で考えている。
現代において通貨自体が政府の借金。なので、通貨発行権がある政府が自国通貨建て国債で財政破綻することはない。これがMMTの考え。
最も自国産業が弱い状態で財政出動をしまくると、輸入も増える。輸入が増えると経常赤字に転落して、外貨流出や外貨借金増大につながる。外貨借金からは財政破綻する。しかし対策は基軸通貨国以外は輸出を増やして輸入を減らして経常黒字を維持すること。
逆にMMT以前は自国通貨建て国債と外貨借金を混同して、外貨借金ゆえの財政破綻を自国通貨建て国債によるものだと混同した。上記のように自国産業が弱い国の財政出動は自国通貨建て国債と外貨借金両方増えてるから混同したということもあるが。
なので、デフレの時は政府が財政出動をしてマイルドインフレに導くのが正しいし自国通貨建て国債を気にする必要はない。
経常赤字を出していたりコストプッシュインフレになってる時はちょっと厄介だけども、それでも輸出を増やして輸入を減らす場所の増産/産業育成を中心に財政出動をするべきだ。