はてなキーワード: 死にたいとは
あの子はとても優しい人で、私のようなクラスの隅っこにいる人間にも優しかった。
頭も良くて、明るい人だった。それでいて驕らない、出来た人間だった。
たぶん、将来は社会の第一線で活躍していくような人になったと思う。
殺された。二十歳を迎える前に。理不尽に。
私は、まったくもって素晴らしい人間ではなくて、頭も悪いし性格も悪いし、どうにかこうにか生きてるような人間だった。すぐサボるし、皆ができることが出来ないし、それでいて無駄にプライドが高くて、諦めだけは悪いような、ダメな人間だ。
時には死にたいとか、死ぬのはこわいから世界が滅亡してしまえば良いとか考えるような、不出来な人間だった。
だけど私は生き残って、大人になった。
不出来ながらどうにか就職して、どうにか生きている。
どうしてあの子は死んで、私は生きているんだろう。訳が分からないし、今でも分かってない。たぶんこれからも分からない。ずっと分からない。
リングフィットやりながら考えてたんだけどさ、死にたい時に「でもアフリカの子供達よりかはマシだから我慢しなきゃ…」って考えちゃうアレ、どうなんだろうな。
アフリカの子供達が実際どうなのかは置いておいて、あくまで「過酷な状況で頑張って生きる弱者」の概念としてのアフリカの子供ね。
過酷な状況でも消せないほどの生きる希望があるってことじゃん。生きていたらいい事があるって思えてる。
俺も昔は生きる希望を持ってた気がする。でもそんな事信じられない状況になって。
飢えも戦争もない。状況はアフリカの子供達よりかは全然マシだけど希望はない。生きていても苦しみが続くだけ。
どうなんだろうな。
どっちが幸せなんだろうな。
アフリカの子供達は過酷な環境でも生きる、希望とか生命力がある。強い。
俺は恵まれた環境でも根をあげる、絶望を抱えて生命力は枯れてる。弱い。
他人と幸不幸を比べるもんじゃないけど、希望を持って生きてるアフリカの子供達が羨ましいよ俺は。
アフリカで絶望した子供はどうしてんだろうな。自殺してるんだろな。じゃあ「アフリカの子供達よりかはマシ」なんて嘘じゃん。同じじゃん。