はてなキーワード: 検索避けとは
今話題になっている例のアパレルブランドの火種とたわわに対して、Twitterの鍵垢でずっと色々考えていたことのアウトプットとぼやきです。人間なので矛盾してたり、破綻してるところもあるかもしれない。あくまでも自分の意見をまとめてアウトプットする形になるので、こういうこと考えとる人も居るんだろうな、くらいの気持ちで見ていただけたら幸いです。
まず、たわわの作品そのものに対しての意見は黒澤さんに概ね同意です。自分自身も時と場合、相手でそうすることがあるように、胸を自分の魅力として着飾ること、振る舞うことは"個人の自由"でもあるし、そういう女性の自己表現のかたちがあっても良いと思います。
なぜ彼女の発言があそこまで燃えたのかは、"心の中で性的だと思われることも嫌だ"という層が一定数存在することにあると思っています。
増田は、公序良俗に反さない限り、谷間が見えたり、ボディラインのはっきりした服を着ることは個人の自由ですが、「エロく見られたくて着るわけではない(服が好きできているなどの理由な)のだからエロく思うな」と他人の内心まで制限するのは非常に傲慢な行為だと思っています。同時に、心の中でエロく思うことは自由でも、他者が着ている人の意図を想像して「媚びている」「OKサイン」などとジャッジを下すことも傲慢だと思います。
現状フェミニストが「ハトクロを着る女性は男性にエロく見られたい女性だ!」と行なっている主張は、後者の傲慢さも含んでいると感じるので、(彼女たちが本当に原義的にフェミニストなのかは置いておいて)ハトクロに対しての過度な叩きは女性の身である増田からしてもかなり傲慢に映ります。
エロい服を着るのに必要なのは、エロく思われない社会ではなく、そう思っても表に出したり、相手をそういった視点からジャッジしないという社会だと思うのです。(これはエロい服に限らず、ゴスロリやパンク、どんな服装において言えると思います。)
黒澤さんは、ハトクロ着用の写真は性的な目的の写真ではないので、そう言った言葉を投げかけることは制限していますが、心の中でどう思うかまでは制限していないことが、"心の中で思われることも嫌だ"という層からしたら裏切りに感じられたのかもしれない、それが火種になったのだと考えています。
■内心と言動の話
ではなぜ心の中で思うことまで制限したい人が出てくるのか、と考えると性犯罪の認識が内心にまで及んでいて、男性の性欲に対して潔癖なのだと思います。
自分も勿論男性からのそういった行動や言葉で傷ついたり、嫌な思いをしたことはありますし、被害者としてそういったトラウマや負の感情を抱える気持ちも理解できるし、そこには同情しますが、男性の性欲が"原罪"だとは思っていません。
自分はいわゆる腐女子であり、バイセクシャルで、男性同士の恋愛に対する幻想や女性に性的な気持ちや欲求を抱いたりします。というかどういった人であれ、そのような欲求は誰しもが当たり前に持ち得るものだと考えています。
問題は、その欲求を相手に言葉や行動としてぶつけたり、相手の意図を自分の欲求をものさしに解釈してジャッジしたり、そういった行動に起こすことです。悪いのは相手の服装や仕草でも、欲求そのものでもないと考えています。
そこに対する考え方が、黒澤さんと今回ハトクロを誹謗中傷している方で違うのだな、と思いました。
ですが、国際女性機関(でしたっけ)の「あの作品は女性に対する、異性を性的魅力で応援するというシンボルの押し付けである」という意見にも同意できません。
増田はたわわが好きです。(増田が絵を描くので)絵としてのクオリティも尊敬していますし、胸の大きな女性は現実でも創作でも好きなので、毎週更新を楽しみにしています。何度も言う通り現実でたわわのような女性の自己表現があってもいいし、ああいう男女の関係性があっていいとも思っています。
黒澤さんの「自分の魅力で異性を応援したって良いのではないか?」という作品の中で起きている関係性や、女性の自己表現の自由に対する意見にも同意します。
ですが、たわわの登場人物ではなく、作者様や(自分も含め)それを楽しむ人たちによる、性癖やフェチに基づいたコンテンツの作成意図とその性的な消費が存在するのも事実だとも思っています。
たわわはあくまでも作品で、たわわに向ける印象や作品に対する言葉が女性を性的にジャッジしたり、それを基準として女性像を縛りつける社会を作る!とは思っていませんし、当たり前ですが、現実と創作は違います。もちろんそれを理解している方が大半だとは思いますし、たわわと性犯罪はイコールにはなりません。
ですが、新聞という老若男女、そう言った切り離し方ができない人まで目にする可能性がある場に、元々性的な目線を向けられたり、少なからずそういった欲求から作られている作品を載せる、というのはなかなかリスクのある行為だと思いました。
私たちは1人の人間で、そういったことを期待されるコンテンツではないことも事実です。
(ただ、女性の"シンボル"としてたわわと対局の女性が描かれるのも、またアイちゃんのような女性の自己表現を否定になり得るので本当にメディアと表現と現実の切り離しはセンシティブで難しい問題だと考えています。)
これに関しては自分が女性向けジャンルにおいて、創作物が原作やそれに関わるものに与える影響にとても敏感で、"検索避け"というのにとても気を遣っていたという増田自身のちょっと偏った考えもあるかも知れません。
創作物と現実はイコールにはなりませんが、お互いがお互いに与える影響もゼロではないと思っています。ので、増田というただの人間にはそれが良いとも、悪いとも言い切れません。
■最後になんか色々
性別や年齢、どんなことに関わらず自分以外の人間に対して、相手の立場や考えを噛み砕くことはできても、完全に理解してその立場になることは無理だと考えています。
私はあくまでも私の立場でしかものを語れないし、自身も性被害にあったことがあるので、作品と性被害の切り離しが完全に行えているかというとかなり怪しいことも自覚しています。
また、そういう人間が第三者として完全に冷静に話すことは難しい、とも思っています。
被害者や弱者が何かに対して発言する時、行き過ぎればその立場を振りかざした暴力にもなり得るので。
なるべくそういう個人的な感情は省いて考えているつもりではありますが、正直完璧に第三者視点で公正にものを考えることはかなり不可能に近いです。正直自分にできている自信はありません。
なんか話があっちこっちに行った気がするのですが、初めにお話しした通り、こういう気持ちを抱いている人もいるんだな、くらいの気持ちで捉えて頂ければ幸いです。
「BLは現実の加害に繋がらない」ってのが、一般的な腐女子の間でもアカデミックにBL研究してる人の間でも一定のコンセンサスとしてあるみたいなんだけど、あれは全くおかしいよ。
オープンめな腐女子による男性(ゲイカップル等も含む)へのセクハラ的言動とか、重めの話ならBL好きの姉に性的イタズラやレイプをされた弟の話とか、まああげれば色々あってキリがないんだけど…
あれ、村の中でのルールでは"隠れてればOK"ってことになっていて、検索避けや伏せ字等をどれくらい徹底するかで常にケンカしてるんだけど
あまり語られない重要な点として、ここで言われてる「隠れる」って、リアルの友達2〜3人同士でこっそりノートを見せ合うようなものとは全然違うわけ。
pixivとかで見てみたら分かるけど、タグ付け等で"隠れた"先に
50人、100人いや場合によっては1000人、10000人の読者がいるの。
これは果たして隠れているのか?
隠れているってなんだ?ってならない?
"隠れ家"の中にさ、日本武道館が3分の2埋まるくらいの人がいて公開されてるわけよ。1万人っていえば。
でもタグ付け等してれば「配慮されている。合格。」ってことになる。
たとえ本人に見えないようにしても
検索避けって実際に避けられるかどうかは極端な話問題じゃなくて、メインになってるのは「アタシ界隈の仁義切ってますアピール」でしかねえからな
そっちの方がメインだからこそ、「私はわざわざ配慮してるのに他人が自由に振る舞うのは許せない」と、他人にも押し付けて回らないと気が済まないんだろう
_人人人人人人人人人人人人人人人人人_
> 強固なゾーニングを敷いている人 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^^Y^Y^Y^ ̄
これおそらく本気で書いてるからこその検索避け()なんでしょうね
禅でも極めてるのかレベルで物を考えないのは個性のひとつとして認められるべきだとは思うけど
物をあまり考えないというのは
ちがうちがうちがう。腐向けにしろ、夢女向けにしろ、えっちな絵を描いてる絵師さんはR18の絵を鍵垢やプライベッターでしか公開してない
→フォローOK・プライベッターOKされるには自分が成人済であることをプロフに記載しておかないとえっちな絵が見れない
→プロフに18↑とか成人済って書く
という仕組み
Q.なぜ女性絵師はR18をプライベッターや鍵垢でしか公開していないのか?
A.だいたいこの3点。
③検索避けするため
たとえば、純粋な進撃の考察見たくて検索した時にエレン×ライナーのすけべな絵とかヒットしたら嫌だろ。関係ない人間を不快にさせなあ、諍いを起こさないためにそういうことをやってる。
なんで作家になれないんだろう。
ろくに私の小説を読んだことがない母親に「こんな小難しい文書いてるから受賞できないのよ!私の言う通り書けば賞が取れるのに!」などと言われた。
大喧嘩した。私は私の文章が好きだ。三年、自分の好みの文章にするために小説を書き続けてきた。
公募の評価では文章は書けてると言われている。だから能力は無いわけではないはずだ。私は母親のために小説を書いてるわけではない。なのにどうしてここまで言われなければならないのだろう。
母親の言うことを聞けば何もかもうまくいくと教育されてきた。高校は私立のマンモス高、女だから短大に上がり、大企業に就職して鬱病になってやめた。それでなんか知らんが小説家を目指した。私は精神障害者だ。その上身体がめちゃくちゃ弱い。どのくらい弱いかと言うと1キロ歩けなくてタクシー常連。都内に就職したくても通勤で倒れてしまう。だから家でできる職業を目指した。それがどんなに非現実的かも知らずに。
努力しても意味ない、と言う本を読んで本ごとゴミ箱に投げ捨てた。そんなのわかってる。才能業は私に向いてない。私は私の物語の主人公にはなれない。それがわかってるから悔しかった。落ちた公募やコンテストは二十を超える。これで一次で落ちるなら諦められた。でも毎回そこそこの成績を叩き出してしまう。少なくとも一次で落ちたことは最初の一年、片手くらいしかない。だからまだ才能があるんじゃないかと思うんだ。
今までもココでだいぶ愚痴った。増田のみんなは優しいから、もうちょっと頑張れるよって言ってくれる。現実の人達はいい加減現実見なよ、底辺が成り上がれるわけないじゃんなんて言う。村上龍だか誰かが13歳のハローなんたら(検索避け)で作家は最終手段なんて言ってた気がする。最終手段にも手が届かないって死んだ方がいいのか。
頑張ってる人はいっぱいいる。Twitterで傷の舐め合いをしてると、自分から行動して努力してる人は沢山いる。同業の作家志望者はその人たちを馬鹿にするけど私はすごいなあと思う。
諦めたくないなあ、と思うけどタイムリミットはある。三十路になったら現実を見ようと思った。あと一年。まだ努力が足りない。いくら努力すればいいんだろう。
小説家を諦めてシナリオライターになろうとした。派遣社員で。結果は全社落選。派遣でも落ちるって何?私はやっぱり才能ないのかな。
もう嫌だな。
私は誰かに頑張れって伝えられるような話が書きたかったのにな。
今は異世界転生悪役令嬢ですよって言われて、書きたいものは売れてから書けばいいじゃないですかって言われる。
でもそれじゃ遅いんだ。早くしないと自殺する三十歳に間に合わない。もうODの後遺症でだいぶ身体にガタが来てて、痙攣が止まらなくなった。薬漬けであんまり長生きは出来ないだろうなと思ってる。だから死にたかったのに、こういう時に限って、サイトに知らない人から応援メッセージが来るんだよなあ。私の小説が誰かの頑張れになってるならもう夢は叶ったんじゃないかなあ。もういいか。
先日Mマスの6thライブに行ってきた
担当居ない初日だけど凄い楽しかった、楽しかったんだけどTwitterが荒れてた(検索避けタグ見てみたら、だけど)
個人的になんだけど、運営のここがダメだ!とかカメラワークが!って言うのは検索避けしたり伏せ字する必要ないんじゃないの?
人の目に留まった方が改善される可能性も上がるのになんでわざわざサブ垢作って悪口やら批判をコソコソ書くのかが分からん…
なんか全アイマス現場のの中でもぶっちぎりで民度低い気がするんだけど……
もしかしてMのプロデュンヌはアイドルマスターのアイドルじゃなくてアイドルの中の声優見に来てる????ってくらいユニットガーとかカメラガーばっかだよね