はてなキーワード: 有効とは
↓この商品を買った。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07S33NJ9H/
正確には↓のURLだったのだが、商品のURLが変わったようである。↓のURLは「申し訳ございません。入力されたウェブアドレスは当社サイトの有効なページではありません。」と表示されるようになった。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07S1Z71HY/
で、この商品、小さかった。
最大であるXXXLを注文しても小さめで、パッツンパッツンであった。体感としてはLであった。
念のためユニクロとミズノのXLサイズの下着を重ねて広げてみたが、
それらより横幅がなかった。縦の長さもユニクロの下着より短かった。
ワンサイズ小さいくらいなら特に不満はないが、2サイズ以上小さいのはひどいと考え、
そうしたら、なんかレビューした商品のURLが上記の通り変わってしまい、私のレビューは表示されなくなった。
別にAmazonからリジェクトされた訳ではないらしく、マイページではレビューが見える。
ただ紐づけ先のURLが無くなったので、事実上他人から見れないだけである。
そんだけなら、まあ何かの理由で商品のURLが変わってそうなってしまう事もあるのかな、と考えたが、
なぜか私以外のレビューは新しいURLでも普通に見えているようである。
それならという事で、そっちのページにレビューしなおそうと思って「カスタマーレビューを書く」ボタンを押したところ、
「申し訳ありませんが、この商品のレビューを受け付けることができません。 通常ではない投稿状況が確認された等いくつかの理由により、この商品のレビュー投稿は制限されています。」
念のため、同出品者の別商品について「カスタマーレビューを書く」ボタンを押したところ、同一現象であった。
この出品者以外の商品については、そんな事はなく普通にレビュー投稿画面が表示される。
どうやら出品者によって良くないカスタマーと判定されてブロック登録か何かされたようである。
嫌われたものだ。
まあ、悪意のあるレビュアーというのは実際にいるし、その一人と判断された事については仕方ないが、
商品のURLが変わってレビューが表示されなくなった事については、何か釈然としない物を感じる。
悪意のあるレビューだと思うのなら、Amazonに申告なりなんなりして正規の手順で削除すれば良いではないか。
それをせずに、どうやったのか知らないがレビューを削除しないまま表示させなくするような手段を使ったのはどうなのか。
念のためレビュー探偵アプリで調査した所、「C 注意」だったので、完全に信用できる訳ではないにせよ特に悪質な業者というわけではないようなのだが。
望まないレビューを表示させない新しい抜け道が見つかった、という事なのか、あるいは表示されなくなった事については本当に事故なのだろうか。
森口博子のアルバム『GUNDAM SONG COVERS』が、2.5万枚を売り上げ、8/19付オリコン週間アルバムランキングで自己最高位の3位に初登場。『Eternal Songs』(1991年6月21日発売)が1991年7/1付で10位を獲得して以来、28年2ヶ月ぶりのTOP10入りとなった。
ですが、森口博子さんは歌手なので、モビルスーツを持っていません。
このままでは、悪のキングレコード星人と戦うときの武器がありません。
なので、森口博子専用Zガンダムを建造して、悪のキングレコード星人を倒しましょう。
悪のキングレコード星人はスターチャイルドでもあるので、スターをブレイカーするこの武器によって滅ぼされました。
森脇健児、森口博子、森且行の三人は夢がMORIMORIという面白番組で培った友情があります。
なので森口博子専用Zガンダムと森且行専用Gディフェンサーは合体して、スーパーZガンダムになれるに決まっています。
林原めぐみはヤーンバッシュなので、カイエンを乗りこなせるに決まっているし、
キングレコード星のことをよく知っているので道案内もしてもらえる。
(※いくらググっても、林原めぐみがヤーンバッシュ役で花の詩女に出てたことが書いてないのですが、これ僕の捏造記憶? あれ? まじで? 最後の方に出てきて、すえぞう(ラヴ)の方みて「いつかあの子も……」(受精卵の状態のカイエンのことを示唆する)みたいなこと言ってなかったけ? あれえ?)
かつらをプレゼントして宇宙世紀の神の髪に祈りを捧げましょう。
KはかつらのKです。
一流芸能人GACKTの歌声を聞けば悪のキングレコード星人もヤックデカルチャーし、敵のフォウ・ムラサメの声も変わってしまうに違いありません。
以上です。
森口博子専用Zガンダムは、悪のキングレコード星人が全員沖縄に引っ越してしまったので、戦えませんでした。
一流芸能人GACKTさんの手引きがあったのか!? と噂されていますが、そんなわけありません。
森口博子さんのサムライハートにビビって逃げ出してしまったのでしょう。
次回は、ランティスでやりたいです。
Paypalがイマイチ信用できないという意味なら、200円余分に払ってVプリカをコンビニで買い、それをVプリカアカウント作って有効化して、さらにその口座をPaypalに登録する
これは残高追加するたびに200円余分にかかるし、Vプリカアカウント作成にどうしてもケータイかスマホが必要だが、実名や実住所はPaypalやPaypalでの買い物先には一切漏れないし、まかり間違って何かあったとしても残高以上の被害は起こらない
ただ、Vプリカは入金更新も支払いもなく3か月放置すると休眠費が125円かかっていって最終的には残高食いつぶされるので、なにか継続的な支払いを設定しておくとよいよ
日本人の無意識に抱えている、ネイティブスピーカーへのあこがれは
ときには、動機付けになるが、多方、語学学習の阻害要因にもなりうる。
とくに、ネイティブ並みのコミュニケーション能力を目指す考え方は
恥ずかしい発音をしたくない、文法含め、間違ったことをいって恥をかきたくない、という心理が
どれだけ機会損失につながっているか、実践訓練を妨げているかわからない。
特に日本人同士では顕著だ。日本人同士で「あのさ、お前何言ってんの?」とは絶対に思われたくない心理。
なので、例えば、自分よりも会話能力が上回っていると感じた日本人とは自然と会話自体を控えるようになってしまう。
一方、留学したり海外旅行では、日本人の視線を感じないことも多いため、堂々と間違えることができる。
留学時、なるべく、日本人と接しないようにした、と告白する人が語学を身に着けていくのはそれなりの理由がある。
最近、フィリピン留学などが流行しているようだが、これは、非ネイティブという利点を有効に活用できてよいと思う。
ネイティブ並みを目指しているひとにとって、未熟な言葉をネイティブと会話するよりも恥ずかしさは少ないはずだ。
そのうちに、経験や機会を阻害していた自分自身のネイティブ並みへのこだわりも消えていくかもしれない。
忍者ハットリくんやマンガ道などで知られる藤子不二雄A。そのなかに「添乗さん」という作品がある。
これは1970年代、高度成長期を上り詰め、一般の日本人が海外ツアー旅行に行き始めた時代を背景に
添乗員の悲哀を通じて、人々の海外旅行観をコミカルに映しとったた名作だ。
この作品は、個人的には同氏の最高傑作のひとつだと思っている。
見開き2ページで構成された、この小噺集のなかに、とあるエピソードで
ネイティブ英語を鍛えてきたと自負するおっさんがハワイ行の機内でドリンクを注文する場面が登場する。
添乗員に対して「キミィ。英語のわかるスチュワーデスを呼んできてくれたまえ」といって、やってきたのは
しかし「スカッチャンドワーラー、プリーズ」と話しかけるものの、
見かねた添乗員さんが、スコッチを欲しいと言っています、とコソっと耳打ちすると
「オー、スコッチ・アンド・ウォーター!オーケー」といって、おっさん語をようやく理解できてスッキリした表情。
その他のエピソードでも藤子不二雄Aの観察眼はいろいろと鋭い。
当時は、「百万人の英語」のハイディ矢野などを通じて、リエゾンの重要性を洗脳されていた時代である。
試しにネイティブの発音をマネしてかっこつけて話そうとすると、通じないことが多かった。
恐らく、ニューヨーカーの発音、南部なまり、西海岸の英語、オセアニア系、ブリティッシュ英語、これらをジョークとして使い分けられる程度の能力があれば
相手に応じて、発音のコントロールができて、通じるようになるような気がしている。
えてして、ネイティブの多様性を理解できず、山形弁をマネしようとして失敗しちゃってる奴が大阪で話をしているようなものである。
しかし、それはあたかも大阪弁と山形弁を使い分ける変なガイジンなんであって、何を目指しているのか、という自問自答になるだろう。
1年を切った来年の東京五輪で暑さ対策をどうするかという話では未だにお粗末な対策しか存在しないのだが、実際に来年はどうするつもりなのだろうか。このままでは死人が出るレベルだがそれでもいいのだろうか。
気温を下げる上で最も有効なのは天気を操作することではないかと思っている(前回も行っていたらしいし)。これは公表できないだけで実際には計画されていると信じたいが、実際はどうなのだろう。
自分もランナーだが、直射日光が当たるか当たらないかではコンディションに雲泥の差が出る。
あ~私と同じようなことをしている人がいる。私はノートとかメモ帳とか大判の付箋(罫線入りで、職場の消耗品の付箋より2倍ぐらい大きいやつ)とかついつい買ってしまう。
どうせ108円の代物なのになぜか勿体なくて使えないこと多数。職場では味気ないノートに時系列でメモを書きなぐっているが、本当は付箋かルーズリーフに書いて、内容の分類別に並べ替えたりするのが有効なんじゃないかと思っている。
「バレットジャーナル」なる手帳術が流行っているようでやってみたいけど、スケジュールから何から全部手書きで、目次まで自力で作らないといけないという恐るべき代物である。これだと普通のノートを手帳にできるんだが、「手帳を書く」という行為自体を楽しめないと無理。
で、付箋の話に戻るけど、オーソドックスなところで「お買い物リスト」とか書いてみたらどうかな。ビジネス雑誌の手帳術だと「叶えたい目標を書く」とかあるけど、それはどこまで実現可能か微妙なので。あと、「時間があれば行ってみたい場所」とかリストにしておくのも良いかも。特に日帰り圏内でちょっと時間ができたら行けるところが良いんじゃないだろうか。
思いつきでいろいろ書いたけど、大きなお世話だったらごめんなさい。
今持っている若さというものは、何にも変えがたいかけがえのないものだと常々思うのだが、私はこれの有効活用法を知らない
きっとあと10年経てば、シワやシミのない肌、徹夜ができる体力、選びとれる人生の選択肢、どれも心底羨ましいものになるのだろう。
しかし、友人の1人も作ろうともしなかった中学時代を今の自分が悔いているかと言われると、それほどでもなく
あの時の自分にはあれが限界で、人生を繰り返すことになってもやはりぼっちになるのではないかと思う。
今の私には今の私なりの辛さがあり、中学生の私には中学生の私なりの辛さがあった筈だ。
小学生の私の気持ちは中3に、中学生の私の気持ちは高3の頃に、思い出せなくなってしまった。まだ大学生の私は残っているけれど、3年も経てばわからなくなるだろう。
自己同一性とは記憶の貫きだと言うが、事象の表面的な記憶はあっても、その当時の気持ちの記憶がないという点では、中学生の私と今の私と10年後の私は別人なのではないかと思う。今私が私だと思っているものは、数年で失われ、新しい自分が新しい別人を育てていくのだ。私というものは、時間によって分断され、不可逆に更新され続ける。
今の私が無駄にしている若さというものは、私だけのものであり、未来の私という別人にははなから所持していたことのないものである。
ときに、女の子でいられてよかったと思う。スカートを履けて、髪を伸ばせて、可愛いものを好きでいられてよかったと思う。鏡に映る自分が腰のくびれた女の子であってよかったと思う。いくらお金と名声があっても、鏡にホリエモンが映る人生は嫌だ。そういうとき、並行世界で男をやっている私に、少し同情する。おっさんになるのは可哀想だ。でもときに、男だったらと思うこともある。女という属性はでかいリボンを常につけているように鬱陶しく、私には似合わない気がする。だから、そういう時は並行世界の男の私が羨ましい。
これぐらいの距離感、並行世界の私とぐらいや距離感で過去の私とも未来の私とも付き合いたいと思う。
縦横に重なる糸の、別の一本の上にいる私同士として。不可逆な別人として。