はてなキーワード: 平和主義とは
例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?
引用した文章は、河瀬氏の東大入学式祝辞の一部。燃えてるのは、『「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。』の部分。
Togetterのまとめをざっと見る限り、「ロシアが悪者に決まってんだろ。」「どっちもどっち論に持ち込むな」などといった批判(と中傷)が多い印象。Togetterのコメント欄には、『平和主義者だと思っていた人たちは、いざ戦争が始まったら侵略者を賛美する好戦主義者でした』っていうコメントも。
Togetterのまとめ
→『東大入学式で河瀬直美氏「ロシアを悪者にするのは簡単」→「いや完全なる悪者です」「歪んだ価値相対主義」「中立の名を借りた判断停止」と批判殺到』-(https://togetter.com/li/1872195
河瀬氏が「ロシアは悪者ではない」と主張していると勘違いしてない?
そうじゃなと『いざ戦争が始まったら侵略者を賛美する好戦主義者でした』って感想出てこないでしょ。
河瀬氏が新入生に伝えたいのは、「多角的な視野を持って欲しい」という事じゃないの?思考停止して「ロシアは悪!」って決めつけるんじゃなくて、両国のバックボーンや主張を理解した上で判断してほしいと伝えたいんじゃないの?
これから大学で学び、探究心を持って未知の世界や真理を追究していく上で、物事をいろんな角度から観察して見定めてほしい、っていう至極まっとうな話だよこれ。
一体この祝辞のどこをどう読んだらこんな酷い勘違いするのやら...。っていうかそもそも読んですらいないのか。反射的にバッシングしてるからこんなチンプンカンプンなこと言えるんだろうな。
一昔前に「AI vs.教科書が読めない子どもたち」なんて本が話題になってたけど、世の中「教科書が読めない大人たち」ばっかりやな...。
ウクライナ政府側は市民が正規軍を攻撃することで生じるリスクをわかってて推奨してるのかな。ロシア軍が市民に反撃して犠牲者が増えると、西側諸国の同情とロシアへの怒りを集められるから、かえって万々歳?
ここまで考えてるとすると(市民が攻撃したら市民が反撃される想定をしてないわけがない)、かなりえぐいな。
国家指導部の最終目標は市民の命を守ることではなく国家体制を護持することなので、市民の命で国際世論を刺激して支援を引き出した方が得るものは多いんだろうけど、平和主義・人命尊重の日本人とすれば冷酷に感じられてしまうな。
現にイラクで街中から攻撃されることに神経過敏になったアメリカ軍は、ちょっとでも怪しいと感じた民間人の乗った乗用車やバスや民家や民間施設を銃砲撃しまくって多数の無抵抗のイラク市民(幼児や赤ちゃんも多数)を殺しました。ちなみにイラク攻撃による市民の死者は10万人で、ウクライナの被害とは比べものになりません。なぜかウクライナのほうが圧倒的に同情を集めてるけど。
日本含む西側メディアが「人間の盾」て言葉を使うときは、たいてい攻撃する軍隊(だいたいアメリカ軍)が現地市民多数を故意に殺害したときの正当化の言い訳です。相手国が市民を避難させず攻撃予定の戦場に放置したから悪いんだ、我々が攻撃したら仕方なく市民が巻き込まれてしまったんだ、ていう。今のロシア政府の主張と完全にいっしょ。
鋭い
ウクライナでは400人の市民の死体に「国際社会が衝撃」を受けてウクライナへの同情とロシアへの怒りが増してるけど、イラクで10万人の市民が殺害されても「国際社会が衝撃」は受けず、イラクへの同情とアメリカへの怒りがなかったのと対照的だ。
いかに「国際社会」の現在の反応が欺瞞に満ちてるかの証左だね。
欧米や日本のマスメディアがいう「国際社会」に含まれない中東や中南米やアフリカ諸国がウクライナ攻撃に冷ややかな反応をしてるのも理解できる。
「戦争は悪いこと」と「どんな時でも話し合いで解決できるはず」が既に全然別の話だと思うんだけど…。
何故か「戦争は悪いこと」だと言っただけで、「どんな時でも話し合いで解決できると思ってるんだな!?」と難癖を付けてこられる事が多い。
「戦争は悪いこと」だから、「出来る限り避けるべき」というのが普通の思考回路であって
出来る限り話し合いで済ますべきだけれど、勿論話し合っても解決しない場合だってあると当然認識してるだろ。
別に「どんな時でも」話し合いで解決出来る「はず」だなんて言ってない。
たしかに「戦わないことについてだけ問題を感じてる人」ってそんなの生み出したのは反戦教育の失敗だわね
9条が役に立たないとかさ
じゃあ実際戦うとなって、どの場所でどの兵器がどういう戦略で動いたら「日本が勝てるのか」って話してほしいね
海上でしか戦場がない日本が、どんな武器でどの軍隊とどうやって勝つのか 基本無理じゃん
戦争しない(実はできない)っていって平和主義だから日本に対して(近隣が威嚇として攻撃することで威力を示す)戦闘行為をしてくるのは違法だから親日国は援護してほしい、ってほうが無難だよね
日本に攻撃したら「報復核」があるのか「報復的国際措置」があるのかっていったら後者のほうがクリーンじゃない?動作不能にさせられる可能性のある単一選択肢より機能的に複数の動作が期待できるわけだし
反戦の反動で戦闘大好きになっちゃった人は「戦闘行為に関する国際的な状況選択」で解決するものではなしに、純粋に「戦闘行為で日本が相手の威力を削ぐ」ってどんな手段があるのか考えてみてもいいと思うよ
杉村太蔵 ロシアに対する日本の経済制裁に「片方の国に加担するって言うのが日本の外交として正しいのか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/22df2d1afac6b18c93810b6ff79cc3754e9a9183
杉村太蔵がこういう事を言っていたらしいけれど、この人元は自民党議員だったよね?
基本的に戦わないで済むのであれば誰も戦いたくないのであって、どれだけ男女平等からの逸脱を非難されても女が徴兵に応じないように、理屈や逃げ道があれば戦わない方向に行くのが人間だ。
それを「平和主義」と名付けてさぞかしいい行為であるというプロパガンダをしてしまったのだから、そちらを選ぶ人が多いのは当たり前だろう。
正直、ウクライナ-ロシア戦争で左派の平和主義者が混乱してるのも無理はないと思う。
日本の戦後教育、ひいては世界の第二次世界大戦に対する総括として日本の立ち位置があまりにも曖昧過ぎた。
別に"大日本帝国はアジアの植民地を解放した!"とか思ってるわけじゃない。
でも帝国主義、アジア人、日本によるアジア人虐殺、米国による日本人虐殺、ファシスト、自由主義などなど当時の日本は現代の理屈で考えてもあまりにも体系立てて語るのが難しすぎる。
差別主義者で被差別民で先進国ありながらマイノリティであり、虐殺者でありながら被虐殺者である日本の立ち位置が難しすぎる。
そのせいであまりにも多すぎる矛盾に板挟みになった左派平和主義者は"ウクライナはファシスト国家に降伏して、ネオナチ政権を一掃すべき"みたいなわけのわからない結論に至らざるを得なくなってる。
プーチン大統領はどうやら狂ってはいないようだとの観測がある(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN09E5J0Z00C22A3000000/)。
しかし、結果として狂人のような決断をして狂人のような行動をする人を狂人ではない"はず"と期待するのは正しいことなのだろうか?
そのときプーチン大統領は人々が予想するような「まともな行動」を選択するのだろうか?
というような「まともな行動」をすることを期待してよいのか?
そして、そのあとは中国のお情けの元、以前ほどには立派には思えなくなってしまった自国と自分自身の権威に満足して大人しくしているのだろうか?
将来的には常識的な行動を取るはずだ、
と期待することは正しいのだろうか?
現在、米国が参戦しない「言い訳」としてロシアと事を構えれば核戦争が始まる、という理由がある。
しかし、プーチン大統領の暴走がウクライナ戦争後にも止まることがなければ、いずれは直接対決をせざるを得ない。
そのときに情勢は今よりよくなっているのだろうか?
そのときになれば核戦争を回避できる冴えたやり方が見つかっているのだろうか?
そういった心配をせずともプーチンは近々に失脚するから問題ないのだろうか?
さらに言えば、ポストプーチンがプーチンよりまともな人間であると期待するのも虫が良すぎる。
西側寄りの民主的な平和主義者が政権を奪取するのを期待するとか白痴に近い。
こんな事を考えていると思い切って、いま対決するのが正しい選択なのではないのか?
そんなふうに思えてくる。
思ったところで何がどうなるというものでもないのだけれど……。
一方,こうした女性の軍隊参入推進派の主張に反対するフェミニスト
は,,「アンチミリタリスト差異あり平等派」と「アンチミリタリスト平等派」の二者に分かれる。
「アンチミリタリスト差異あり平等派」は,男女の差異を個人差よりも
大きなものと認めており,女性とは産む性であり生来的に平和主義的存在
であるということから,軍隊への女性の参入を求める主張に反対してい
る。
Sera Ruddick は,母として育てることを戦争と矛盾する実践と位置付
ける。戦争になれば,子どもや家や家族など女性が関心を持つ日々の実践
がすべて脅かされる。したがって,母親が戦争好きであるとしても戦争は
母親の敵であり,母親が平和的でないとしても平和は母親の務めである。
こうして,Ruddick は,女性に平和の実現力を見出そうとする
。