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https://www.washingtonpost.com/health/2021/12/04/omicron-coronavirus-transmissible-cold-variant/
オミクロンは風邪のコロナウイルスと遺伝子を共有、より感染力が強い可能性
新しい予備的研究によると、オミクロンの変異体は、ヒトの風邪を引き起こす別のウイルスから遺伝物質を拾った可能性が高いとされている。
マサチューセッツ州ケンブリッジに拠点を置き、生物医学情報の分析を行っているNference社の研究者がオミクロンの塩基配列を調べたところ、風邪を引き起こすウイルスにも存在する遺伝コードの断片が見つかった。この突然変異は、新型コロナウイルスとして知られるSARS-CoV-2と、風邪の原因となるコロナウイルスHCOV-229Eに同時に感染した宿主に発生した可能性があるという。HCoV-229Eとの遺伝子コードの共有は、他の新型コロナウイルスの亜種では検出されていないという。
本研究を共同執筆した生物工学者のVenky Soundarajan氏は、オミクロンとHCOV-229Eの「驚くべき」類似性により、オミクロンは「よりヒトの宿主に慣れて」おり、免疫系の反応を回避できる可能性があると述べている。
「Omicronがこの挿入を採用したということは、本質的に季節性コロナウイルスのページを参考にしているということであり、人間といかに効率的に生活し、感染するかを説明している」と述べている。
研究者たちは、COVID19の原因であるSARS-CoV-2が、他のコロナウイルスに罹患している患者にも感染する可能性があることを立証した。Soundararajan氏によると、肺や消化器系の細胞が2種類のウイルスを宿す可能性があり、遺伝物質の交換が行われる可能性があるという。
米国疾病予防管理センターによると、医療専門家は、患者がコビドと他の呼吸器系の病気を同時に患う頻度を調査しているという。
オミクロンについてはまだ不明な点が多いが、医療専門家は、デルタなどの変異型よりもはるかに感染力が強いのではないかと心配している。南アフリカでは、国立感染症研究所が水曜日に発表したところによると、11月にはオミクロンが他のウイルスの亜種を追い抜き、先月配列が決定されたゲノムの74%を占めたという。
同国ではこれまでデルタが主流だったが、ここ4日間で1日の感染者数が約4倍になっている。米国の感染症専門家であるアンソニー・S・ファウチ氏は、金曜日のブルームバーグTVで、南アフリカの感染者数の急激な増加の後に、それに匹敵するような入院者数の増加がまだ見られないことについて、「慰めにはなるが決定的ではない」と述べ、タイムラグがある可能性があると付け加えた。
Nferenceの研究者たちは、昨年、新型コロナウイルスの塩基配列を決定し、その遺伝情報の一部が人体の塩分や水分のバランスを調整するタンパク質を「模倣」していることを発見した。この発見は、ウイルスの感染に対抗する薬の設計に役立つものだった。
Soundararajan氏は、ウイルスが進化して感染力が高まると、一般的に重篤な症状を引き起こす可能性の高い形質が「失われる」と述べている。しかし、決定的な判断を下すためには、さらに多くのデータとオミクロンの分析が必要であるとし、さらに、世界的にワクチンが不均等に配布されていることが、コロナウイルスのさらなる変異につながる可能性があると述べた。
アメリカでは「絶対に......地域的な広がりがある」とファウチ氏が金曜日に警告したのに対し、バイデン大統領は、アメリカはコロナウイルスの広がりを止めるための世界的な努力、特に新しい変異体の出現を支援しなければならないと述べ、「国内でCOVID19を打ち負かすために」と語った。
「何が起こったかを見てください。我々は真の意味で前進し始めているのに、別の型があることがわかったんだ」とバイデンは付け加え、彼の政権は必要としている人々のために何百万ものワクチンを世界中に発送したと述べた。
⚠︎自殺はやめようね⚠︎
※クズ注意※汚い※小中高、作文で放課後まで残った上に教師から「一言でいいから何か書いて…」と言われるような猿が書いた文章です。改行わかんない。
私は死を決意しました。嫌だったので。
その日の内に睡眠補助剤と風邪薬180錠2瓶とい●はすを購入し、家にあった頭痛薬2箱を失敬しました。
睡眠補助剤で眠い間に大量の薬を服用し、苦しまずに死ぬ算段でした。当時大バカだった(今もだよ)ので市販薬では死ねないことを知りませんでした。こんなので死ねたら死ねなくて苦しんでいる人いませんね。悲しい。(処置してもらっている時に先生が教えてくれたのですが市販薬はバケツいっぱい飲んでも死なないようにできてるそうです。)
色々とさよならできると思ってもうウキウキです。さっそく睡眠補助剤を口に入れ、よく噛んで飲み込みました。錠剤のままたくさん飲むと胃で拒否反応が起こって嘔吐してしまうと何かで読んだので。なんか酸っぱくてオエッてなる味でした。
10分くらい待って頭痛薬を飲み始めました。早い。これも頑張って噛んで飲みました。不味かった。
続いて風邪薬を飲みました。気持ち悪いくらい苦かった。噛むのに疲れてほぼそのまま飲みました。
用意した全ての薬を飲み終え、死ぬのを待ちます。宝くじを買ったことを思い出し、死ぬ前に番号を確認しておこうと思い、ベッドに宝くじを広げました。バラと連番、合わせて20枚くらいあったと思います。全部はずれでした。無念。
宝くじを確認後、なんだか気分が悪くなってきました。バカな私は「死だ!!!!」と思いましたが違います。ただの吐き気です。数分苦しんだ後、ゴミ箱に吐きました。噛まずに飲んだ錠剤がラララララッと出てきました。超苦い。泣きました。
とっさに手元にあった電話で調べると『吐いてしまったらもう失敗』みたいなことが書いてあって余計に泣きました。
この辺で眠気が襲ってきてしばらく寝ました。宝くじの散らばったベッドで。
夕方ごろに吐き気で目が覚めました。吐きました。何回か吐いていると姉が来て、笑いながら宝くじまみれのベッドで吐いてる私の写メを撮ってました。機能不全家庭。←言いがかり
しばらくするとキレながら母が来ました。オーバードーズしたことにキレているのではなく、学校をサボった(寝ている間に学校終わってた)ことと留年したことに関してキレていました。機能不全家庭。←言いがかり
絶え間無く吐く私を見てマズいと思ったのか、母は病院に行くと言い出しました。吐いたらもう駄目なことを説明しましたが聞いてませんでした。
居間に連れて来られ、ぐったりしていると母は病院に電話をかけていました。
受付の人「お子様は何歳ですか?」
母「22です!!!!!」
たぶん小さい子が誤飲したと思ったんでしょうね。ちょっと笑いました。
あれよあれよと病院に連れて行かれ、胃洗浄することになりました。
胃洗浄の流れ
生理食塩水が入った大きい注射器みたいなやつに細いチューブが付いた物体を先生が用意
↓
↓
注射器を押して生理食塩水を胃に入れます(お腹が冷たく感じる)
↓
胃の中で薬を含んだ生理食塩水をそのまま注射器を引いて吸い出します
↓
生理食塩水を交換しつつ胃から出る生理食塩水がきれいになるまで繰り返します
苦しくなかったですが吐き気が続いていたので最中に何度か吐きました。
物凄く苦しい方法で胃洗浄する病院もあるらしいので皆さんはやめましょう。
鼻からチューブを抜くときに粘膜を傷付けたらしく、少し血が出ました。
先生「なんでそんな冷静なのにこんな事しちゃうんですか??????」
胃洗浄が終わったら点滴をしました。何の点滴かは不明。点滴の横から吐き気止めを入れたのですがオーバードーズの吐き気には勝てず。ずっと吐いてました。黒いゲロが出ました。
母はずっと「苦しいでしょ??????反省するのよ??????」と言っていました。私は死ねなくて落ち込んでるんだから労われや。
点滴が全部入ったあたりで、入院するか帰るか聞かれました。帰りました。
次の日は耳が聞こえなくて困りました。
以上です。
学校は3年後にクビになりました。
大好きだった祖父が死んだ。だったというのは何も死んだからそういうわけではない。もう生きている間にだった、になってしまった。母から突然きかされたうちは妾で本妻は別にいるんだという話。大好きだった祖父は、病気と一緒にどこかに行ってしまったのかなあ。
心不全1日中苦しい、苦しいとで家で苦しむ祖父に投げかけた言葉(入院をすすめてもしたがらなかったのだ。通院は母が連れて行っていた。)
「どうして不倫したの」
そして最低最悪の返事
「祖母に騙された」
泣きながらここには帰ってこない宣言。
といいつつもそのあと実家に帰るも何事もなかったかのように話しかけてくる祖父。生返事のわたし。ついにキレる祖父。
そのあともこのような状態が続いてある日、あまりにも苦しくなって入院、そしてその後亡くなった。
涙一つ出なかった。死んでくれてせいせいしたとも思った。わりかし情にあつい自分かと思っていたが、こんなにも薄情な自分であんまりにもびっくりした。そのあとも悲しくなんかなくてもはや思い出すのは、家で愛人の子に介護させて当然の顔をしてそれでもなお心不全で苦しむ醜悪な生き物に成り下がった祖父の姿。ただの憎しみだけが残ってしまった。
あまりにも苦しくてネットの海に吐き出したくなって仕事中にこんなことを書き殴ってしまった。
誰かに聞いて同情してもらいたかったのかもしれない。よくわからない。
とりあえずはてな匿名ダイアリーの初投稿である。
https://anond.hatelabo.jp/20211126060012
すこしまえのことになりますが、実家に住む10歳のねこが死んでしまいました。
増田の住んでいるところから車でちょっと離れたところにある実家には毛皮のいろがまったく同じな10歳のふたごねこがいます。譲渡会で家族一同が意識を失っている間にひきとることになっていたねこたちです。意識を失っていても書類とかきちんと書けたのすごいと思います。ある日、そのかたほうが突然体調を崩したのだけど症状が重いようなので早く検査しないとまずそう、それにはもうちょっと都会の病院にいかないとダメらしい。明日仕事を休んでタクシーで行ってみる。という連絡がありました。増田はフルリモート中で都合はつけられるし、自家用車もあるので(あとうまく当日の診察予約もとれたので)早いほうがいいでしょ。ということで行ってみたら悪性腫瘍が見つかって悩む間もなく即入院ということになり、数日間入院してちょっと落ち着いたと聞いて引き取りに行き、実家に届けたあと増田は自宅に戻り、次の日の朝、そのまま深夜に亡くなっていたことを聞いたのでした。
ねこのふとり具合をみるときに、せなかをなでて背骨のごつごつ具合がわかったら痩せすぎ。というはなしを聞きます。増田のうちの21年と半年になる老ねこはこねこのころからやせっぽちで、いまでもなでるたびにああ背骨がごつごつするね。もっと太れたらいいよね、でも毛皮はふわふわだからまだまだ大丈夫だよね。とつぶやいてしまいます。でもふたごねこたちの背中はとてもなめらかで、毛皮もふわふわというよりはつやつやすべすべでまるでかわうそのようななで心地なのです(かわうそをなでたことはありませんが)。つい先週まではそんななめらかねこだったのに、退院したときの彼女の背中はごつごつどころかとげとげしていて、おもわず手を引っ込めてしまいました。増田のうちの老ねこの背骨のごつごつ具合が北八ヶ岳とするともはや南八ヶ岳レベルで、実のところああもうこれはダメなんだろうな。と思ってしまったのも事実です。
世界にはいろんなねこがいて、野で生きざるを得ないねこもいれば、ひとに飼われることを選んでくれたねこもいます。増田はごく常識的なねこ飼いとして当然のことながらポール・ギャリコの本が大好きなので、世のねこたちがきちんと猫語の教科書にかかれていることを学び、人間をうまく利用してくれればいいと僭越ながら思うのです。なので入院中はたくさん検査してもらいましたし、酸素室なども使用させていただいたこともあって、正直なところ一泊あたりかなりの金額がかかってしまいました。でも一時退院した日、帰ってきたあなたが苦しそうに、なでられることを避ける振る舞いをされたこと。そしてその夜におしいれのすみでひっそりとつめたくかたくなっていたことが棘になって私達家族の記憶に刺さり続けるのです。たとえ最新医療を与えることができなくても、苦しいところ、痛いところを一生懸命なでてさしあげることは私達にもできたと思いますし、ひょっとしたら入院などさせず、ずっと家でなでてあげることこそがあなたが望んだことだったのかもしれないなどと思ったりもします。もちろんすべてが終わったあとだからこそこのように悩んだりできるようになったのですが、つまりはこの棘こそが私たちがあなたを愛していた証であるとも思うのです。
あれから数ヶ月が立ちましたが、残ったふたごの片割れはまだちょっと違和感があるようです。そして増田はあいもかわらずたおやかで平穏なねこ一匹ひと一人の生活をほそぼそと続けています。幸いにして21年と半年をすぎた老ねこは体調を崩すこともなく食欲も旺盛で、彼女が生きていることの喜びを増田がきちんと満たしきれないことに対する不満を高らかに謳い上げる日々を過ごされています。週末の雑な掃除が終わったあとのいごこちのよい部屋でこたつのひざの上によこたわる老ねこをなでつつ、ああせなかごつごつしているなあと思い、元増田さんと元増田さんのねこちゃんさんの幸福だった日々を想い、この増田を書きました。本日は以上となります。
睡眠を、まずは頑張って確保ですね!
私は子宮の悪性腺腫の摘出時に、40代前半で予防的に卵巣もとりました。
以来20年、薬なしには眠れません。
当初数年、精神的にも不安定になり、特有のあらゆる症状に苦しみました。
今20年後も続いている症状は、不眠と、口腔の緊張感です。
動悸が激しい時に頓服を飲むのと、
入院と休業は合わせて40日でしたが、その後は、薬漬けでも職場復帰しました。
頼る親も居ないし。。。生きるためには働かなければで。
今は月に1回ですが、減薬できるまでは2週間に1回とか行っていました。
口腔の緊張も辛いけど、睡眠の方が本当に大事なので、導眠剤だけ、続けています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f44cdf1913da753f6ced16dd5605147ba80774e/comments
といっても事故にあったわけではない。
事故を聞いたのは授業前、担任が「なんか福知山で脱線事故があったらしいよ」と言いながら教室に入ってきて、少し教室がざわついたものの、いつも通り授業が始まった。私は今朝も「福知山行き」と書かれた電車に乗って学校に来ていたので、なんとなく落ち着かない気持ちで授業を受けていた記憶がある。
事故後も私は学研都市線を使って大阪と京都を往復する生活だった。学研都市線は福知山線に繋がっているので、時々事故のご遺族の方や、被害者の方を見かけた。
帰りの電車の中、ぎゅうぎゅうに詰まった電車の中で骨壺を抱いていた喪服の男性。最初気づいた時には驚いたが、男性は背筋をピンと伸ばして一点を見つめていた。その横顔がとても険しかったことをよく覚えている。その表情を見て、周りの人も脱線事故のご遺族の方だとわかったのだと思う。途中で中年の女性の方が男性に声をかけていた。何を話していたかはわからないが、男性は少し頷いて、女性は手を合わせていた。
いつかの昼過ぎ。
その日は学校が早く終わり、帰りの電車の人はまだまばらだった。私の近くでカップルが静かに笑い合っていた。
途中、男性二人が電車に乗って来た。大柄の男性と、小柄な男性。二人は私の正面に座った。
大柄の男性は、見た目通りの大きな声で豪快に笑い、小柄な男性はそれを聞いたり突っ込んだりしていて朗らかな雰囲気だった。私はうるさいなと思いつつ漫画か何かを読んでいた。
しばらくして、走っていた電車がゆっくりと速度を落とし止まった。車内アナウンスでは路線に障害物が何とかと言っていた気がするが、田舎の路線なのでこういう事はよくあった。すぐに動くだろうなと思っていたら、さっきまで目の前で豪快に笑っていた男性が、だんだんと顔色を変えて慌て出した。
最初は「勘弁してくれ」「なにがあったんや」と話してていたが、だんだんそれが早口になっていって「やめてくれ!」「なんで今やねん!」という風に、声を荒げてパニックになっている様に見えた。
隣の小柄な男性がまあまあすぐ動くからと落ち着かせている様だったが、男性は背中が座席の背もたれに張り付いた様になって、硬直している様にも見えた。そこから男性は早口で吐き出すように話し続けた。
福知山線の事故にあったこと。ずっと入院してて、今日やっと電車に乗れたこと。一緒に電車に乗った友達は人の形をしていなかったこと。
私は怖くなって下を向いていたが、そこから動くことも出来ず、ただ男性が吐き出す言葉を聞いていた。隣にいた小柄の男性も、なにも言えずに男性に寄り添っていた気がする。時々「大丈夫ですから」と周りに伝えている様な声がしたが、同じ車両にいた人はみんなただただ男性の言葉に耳を傾けるしかなかった。
しばらくして電車が動き、男性は次の駅で降りていた。土のようになった男性の顔色をよく覚えている。さっきまで笑い合っていたカップルが「凄かったね…」と声をこぼしていた。事故から数年が経っていた頃だった。
あれからもうすぐ18年目が経つ。
今親入院中
スマホは渡したけど使い方がわかってない、たぶんテレビ聞いて1日が終わってるんだろう
なんか心底嫌いだったけど、このまま死ぬのは俺が親だったら嫌だなって思った
おれは何をすればいいんかな
死にたくて死にたくてしかたない。
生きる希望をみつけたくて、ヒルティ、アラン、シューペンハウエルの幸福論を読んだ。そこには理屈が書いてあった。しかし自分が死にたいのは理屈のせいではないと思う。もちろん病院にも言っている。メンタル系の病院で大量の薬を処方されている。リモートワークで仕事もしている。それなりの給料ももらっていた。けれど健康診断で異常な結果が出て、精密検査を受けた結果、高額な手術を受けて入院しなければならないことが明らかになってきた。
手術して2週間入院すると、その間の日割分の月給の収入を失うことも踏まえると、恐ろしく高額だと思う。もちろんいままでちゃんと働いてきていてついこないだまではまとまった貯金があった。しかし老後2000万円必要になることを考えると、資産運用するしかないと思って投資をはじめた。そのとたんにコロナショックがやってきたり、急にSaaS銘柄があがらなくなって海運株と半導体株の時代がきたかと思うと、FRBパウエル議長再任で金利が爆上げしてまたすべてが飛んでいった。そう気がついたら、お金がぜんぜんなくなっていた。そして体調不良のためスキルを発揮できず、収入も約半分ぐらいに減らされてしまった。それぞれは小さなことだった。けれど、ひとつひとつと増えていく重しによって、もともと希死念慮が強かった俺のメンタルは、本当の限界をむかえつつあるような気がしている。
友達もいない。彼女もいない。食欲もない。飯は一日一度の冷凍食品。タバコは吸わないが、酒は500mlで170円の安酒を飲む。ストロングゼロではない。もっとアルコールの低いやつだ。オタクみたいな顏してるかもしれないがオタク知識さえなく、チー牛みたいな顏してるがチー牛を頼む金もない。趣味もない。何をやっても、虚しくなる。疲れてしまう。そして死にたくなる。こんな人生になることを、若いうちに気づいていればよかった。気づいていたのかもしれない。気づいたとしても、できることはなにもなかったのかもしれない。