はてなキーワード: テントとは
ガチャで一喜一憂して、担当のイベントが来るたびに上位に入れるよう全力で走った。
ゲッサンもリアルタイムで追いかけた。リリイベにも行ったし、公録もいった。
ミリシタだってずっとやってきた。初期のSSRチケットで一発で未来が来てくれたのは嬉しかった。
PBA!!イベントもすごく楽しかった。曲もMVも好きでイベントが終わってもずっと叩いてた。
PBA!!の約2ヶ月後に、グリー版のミリオンライブが配信停止した。
悲しかった。辛かった。友人を集めて一晩中飲み明かして最後にはみんな顔をぐっちゃぐちゃにして泣いてた。
集まったのはみんなミリマスを専属で担当するプロデューサーで、スタート時期は違ってもみんなミリマスに愛着を持っていた。
終わっても全員ミリシタは続けていた。
それでもみんな集まると、少しずつ愚痴のようなネガティブな話題が出ることが多かった。
「頭おかしいイベントが足りない……夜想とかじゃなくて……もっとこう、なんかさ……」
「担当のSSRが限定しかないけどこの前のガシャで来なかったからもう回す意味が無い」etcetc
ミリシタの話題になるとだいたいこんな感じで最終的にLTPやLTH、ゲッサンの話題について盛り上がることが多かった。
「悲劇のヒロインみたいな扱いをこれから受け続けると思うと耐えられない」と言っていたのをよく覚えている。
次に引退したのはロコPの友人Bだった。
「今後もロコがずっとこんな扱いを受けるなら絶えられる自信が無い」と言っていたのをよく覚えている。
それからも少しずつ離脱者が出ていき、今やっているバリボーのシナリオを見て自分も引退を決めた。
未来を演じる声優さんに「( ´•௰•`)…残念だったなぁ、2位とか、3位とか…惜しい。でも今まで未来は沢山活躍してくれてるから、いいの。みんなの映画を見守るよ」と言わせてしまったことが悲しかった。
チョイ役として、キングの片腕であるクイーンに鼻で笑われるキャストとして。
ふざけるなと思った。もっとちゃんとした出番を未来に与えてあげたかった。
限界だと思った。
グリー配信終了からなんとか保ってきた最後の糸がプツリと切れた音が聞こえた。
かなり前から、ミリシタにもそれを取り巻く周囲の環境にも不満しかなかった。
引退した友人はみんな口をそろえて「趣味に心を痛めることは無い」と言っていた。
本当にそうだと思う。辛いと思ったら身を引くべきなのだと思った。
あの小さなテントがなくなった時点で、自分は身を引くべきだったんだと今なら思っている。
それをこの目で見届けられなかったのはとても残念だけど、未来と歩んできた思い出が綺麗なものでいられるうちに引退しようと思う。
そうこれ
気軽にそこらにテント張って宿泊させない日本の法律が経済を停滞する原因だと思う
無意味なことが事細かく規制されて最終的にまとめて燃やすごみもなぜか分別
いちいち息苦しい
夏キャンプ 二十代後半の男二人で行った
・楽しい
・癒し効果がすごい。椅子に座ってお酒を飲んでるだけで何かが回復する
・そこまで暑くはない。夜は長袖でちょうどいいくらい
・自然の中で食べる飯は最高
・ゆっくり食うの最高
・炭火で食う肉は最高
・キャンプの主役は飯
・夜暗過ぎ。お隣さんがいないと心細くなるレベル
・星、見えすぎ
・天候が全て。雨だと終了。大きめのタープがあってなんとか
・津田がやってたダンボール箱に各々の荷物を分けて置くやつ天才
・お皿は紙皿で充分。そのまま捨てれるのがいい
・袋を多めに持って行ったのよかった。割と使う
・トングは2個いる。飯用と炭火用
・ランプは一人一つ
・炭はノーマルタイプを大量に持って行くのがよさそう
・水そこまで必要じゃない。二人でも一本飲みきれない
・傘、キッチンペーパー、洗剤、懐中電灯型のライト(夜の散策用)、サランラップ、まな板、テント固定用のハンマー、マジックはあれば助かる場面多い
・身体動かして遊ぶ系の道具あってもよかった
・虫対策必須。虫除けスプレー、長袖、虫除け芳香剤、虫よけLEDライトでなんとかなった
・一睡も出来ず。テントで寝るのは居心地悪すぎ。虫の羽音がテント越しに聞こえて落ち着かない。せまい。蒸し暑い
・テントの下にマット敷いたら結構違うはず。シート二枚はごつごつして痛かった
・概ねなんとかなったけど要所要所でこれがあればって感じる場面多かった。次回は今回の装備+αで良さそう
アメリカ西海岸のファーマーズマーケットをテレビで紹介してる。
歩行者天国にしてファーマー達が店をずらっと出して、スイカの前には大きく切られた試食が並び、果物、野菜、スムージー、ピクルス、パン、ピザ、植木、切り花、新鮮な生ウニ等々様々な店が出る大規模な市場になっており何でもありだ。
農家にとっても客に何が受けるかどういう売り方が出来るか研究できて凄くいいのでは。
めっちゃ楽しそう。
特に北海道とかモロコシジャガイモ魚介乳製品と色んなとこで魅力の塊で大規模に開いたら観光客呼べそうだしやって欲しい。
銀の匙辺りとコラボして漫画で主人公が主催する話をして雑誌で宣伝してみたり海外のテントとか持ってきてアメリカ西海岸風市場にしてみたりさ。
オクトーバーフェストは日本でも定着してきてるしお祭り好きな国民性だしいけるいける。
体幹5級です。難病患者で疲れやすい。車いすではない。杖ではない。ずっと立ってるのつらい。長距離歩けない。
良かった点
1,11年前にフジ行った時はヤマト運輸で荷物を送ったのですが、えんじ色のヤマト運輸のかまぼこ型の建物に、みんなの荷物が山になっていて何百もある中を、一つ一つ自分のを探した。周りの人と協力して名前を聞いて「それ出てきたらおしえますから!」なんて言ってた。
今回フジ行くことになって一番の懸念事項が「ヤマト運輸の荷物探し」だったんですよ。くそ重い荷物のなかで、ひっくり返しながら自分の荷物探していくなんてできないよー。
今年行ってみたら伝票をバーコードでやって、奥の棚からヤマト運輸の人が持ってきてくれた!事前に心配していたことの大半が、この時溶けていったのだった。
2,体力を温存するようにしていたので、テント出るのを昼過ぎとかにした。
オデッザの後、「なんかわたしまだ元気じゃん?これからアンフェアとか行っちゃう?」って思ったけど、ホワイトからテントまでの遠さを思ってやめた。
全身濡れて辛かったので、スクリレックス途中で帰った。睡眠時間取ることを心がけました。
3,子供を連れて行かなかったこと。ほんとにあの暴風雨は死を予感したので、連れて行かなくて良かった。
つらすぎて面白い点
1,土曜夜の暴風雨でテントがぺしゃんこになり、髪と服びしょ濡れでテントの布の中に挟まって時を過ごしたこと。姿勢は、寝てるから辛くはないが、トイレに行ったりテント状態見るため外にでるとびしょ濡れになる。一応モンベルのゴアテックスみたいなの着てたけど5年ぐらいたってるから、濡れて不快。暴風雨のなかわたしは4回トイレに行った。(傘なし)
風に恐怖を感じたし、もしここで飛んできたポールがささって死んでも、SMASHに責任を問わないでくれと思いました。(スマッシュ go round)
2,レッドマーキーの脇からの入口の、あの草生えてるところの傾斜角度。ここにゲート作るって正気じゃない。転びやすいので怖かったです。
3,防風雨の後の日曜帰るので、びしょ濡れでくそ重い荷物多分10キロぐらい、テントサイトからヤマト運輸までかついで持ってった。かたつむりの速度で下をむいて歩いてく。それからまた、シャトルバス乗り場までが遠い。
難しいのは缶詰だな。10年くらいは賞味期限切れてもいけるっぽい。
今日も賞味期限切れたのを1缶食べてみたけど美味しかったし捨て時が分からん
独身だし、これだけあれば、水の確保が出来れば二か月は生き残れるだろうとは思う
それ以外の防災系の用品だと
てな感じで用意してる。
万全と思ってるけど、足りないものはあるんだろうか?
http://nakamuraisao.a.la9.jp/laquila.pdf
イタリアの48時間でテント3000建てたという話の実際が書いてある
読んだ感想としては「日本で同じ事したら批判の量はとんでもないだろうな」というところ。
地震の数時間後から市内は立ち入り禁止区域とされた。余震による被害や盗難を防ごうとした ようである。その決定は防災局によってなされた。
これが後に紹介するがデモの種になる
次に避難の状況だが、防災局によると、家を失った人は 62,543 人で、うち 28,579 人は 5,553 張りのテントに、33,964 人は 518 のホテルに、2,225 人は民家に避難した。ホテルはペスカーラ など 100 キロほど離れた海沿いの町にある。テントとホテルの仕分けは防災局によってなされた が、仕分けの基準は不明であるという。
他にもでてくるが防災局の権限はかなり強力で、実際の振る舞いも割と強権的である
初動 48 時間で 3000(18,000 人分)の避難テントが設置されるなど、対応が比較的早いこと、また 人的資源としてはボランティアが 9000 人と大量に動員されたことである。ここには防災局に登録 されたボランティアも多かったのではないかと考えられる。
補足すると初動48時間に動員されたボランティアは4,300人で消防(2,400人)や警察(1,586人)や軍(1,825人)より多い
日本で言うと全国の消防団員が駆けつけるというイメージが近いか
約 1000 人(最大時は 1500 人)が収容されているグローボ・テント村を訪ねたところ、一つのテ ントは 10 畳ほどの広さがあり、中は電化されていた。エアコンも入っていたが、それでも夏は暑 くて困ったという(図 11、図 12)。また知らない人との共同生活はつらいという声もあった。ある 高齢の女性は、同じテントの他の収容者が全員クルド人の男性で、着替えもできないし、居場所 がないと嘆いていた。居住環境は、日本の体育館と仮設住宅の中間ぐらいに位置するようである。
テントが多数建てられたといっても十分希望を聞けるわけではないようである、というか女性一人に男五人というのはさすがにありえなくないか
たとえば市内全域の立ち入り禁止は、住宅被害のない 市民や商店などにとっては、不満で、7 月には立ち入り禁止解除を求める 2000 人規模の市民デモ が発生している。また強制的な遠隔地のホテルへの移送や、効率を重視したテントの部屋割(民族 や男女を無視した)などにも不満があるようだ。ある住民は、防災局のオペレーションを評価しつ つも、「なにか軍が入ってきて占領された感じがある。特に困ったことはないが、人間としてそ れだけではない」と話していた。軍が管理するテント村では特に管理が厳しいといわれ、管理体 制への反発から、テント村を出ていった住民も尐なくない。