はてなキーワード: スネオとは
ゼレンスキーが就任するずっと前からドンバスとか起きてんのに、その状況で「プーチン様お靴お舐めしますペロペロ」とかやってたら今頃もうウクライナ存在してね―だろ。
たとえば「雑魚国家ごときが独立なんぞしてねーで偉大なるロシア帝国に領土を返還差し上げるべきだろうが?」っていう強いものに巻かれることだけが絶対正義だと考えるバンドワゴン脳のスネオの脳みそを10gにしたような奴らだとしてもさ、ロシアよりアメリカ様の方が強いんだから「アメリカ様お靴ペロペロ」が正解ってことになっちまわねえか?
マジで何が言いたいんだよ。
つーか何も考えずに逆張りだけしてる?
もしかして2015年にサイバー戦争やったことさえ忘れているのか?
いやマジで忘れてそうだな……だってそうじゃなかったら「ロシアと仲良くすればよかったんだよね?向こうもそれでいい感じにお友達になってくれるよ~~~」とか言えないだろ。
バンバン攻撃してくるけどわざわざ本格的に殺し合いするのも面倒くせーなって状況だよ。
「ミサイル打ち込んできてうぜーから北朝鮮に陸自送り込んで更地にします」とかやっても面倒なことになるだけだからあんま深く関わらねえようにしてるだけなのはわかるよな?
本音言えば「もう殺せよキムの一族なんて」って国民の大部分は思ってるだろ?
それでどうやって仲良しこよしをしろってんだ。
「ロシアと関係を悪化させたゼレンスキーが馬鹿だったね^ー^」と安易に言ってる奴、多分マジで2022年までロシアがウクライナに一切攻撃してないって歴史の中で生きてるんだろうな。
https://togetter.com/li/1869089
こういうまとめ見ててもさあ、単純に「ロシアは蛮族なんだ、野蛮なんだ、おかしな連中なんだ」(=自分達は正しく西欧側・自由民主主義側の枠内にいられるんだ)みたいなコメントばっかり出回ってるわけだけど
西欧・自由民主主義側が絶対に正義で疑ったりしてはいけないことになってるのか、なぜ自分が安心できてるのか(ロシア人・〇〇人はそういうもんだって嫌韓の焼き直しみたいなことをいえるのか)、そこまで踏み込んで考える奴全然いないよね
別にロシア万歳!ロシアの戦争正義!とか、大日本帝国万歳!アメリカ倒せ!みたいなことを言いたいわけじゃなくて(ロシア国内で今「何でロシアの戦争が正義なの?なんで俺達が徴集されなきゃいけないの?」と思ってる人は大勢いるだろうし)
もうみんな忘れてるだろうけど数か月前にアカデミー賞の式典でウィル・スミスが妻を侮辱したコメディアンを殴った時の日米の反応の差の時(反応差があること自体が悪い、みたいな)も思ってたし、前々から機会があればずっと思ってたんだけど
何でそう、何か「日本」という国名が付いてるだけで後の中身はヨーロッパや北米のごく一部からしか発していない風習に染まり切らなきゃいけないのか、それがごく当然の事となってんのか、全然分んないんだよな
「今、そうなってるから」「今それで発展してるから」ってのは追認とか気休めであって説明じゃないよな
西欧諸国もアメリカもある時点までは海外に力で自分達の力を押し付けまくって(戦前日本もその列に加わったり、都合が悪くなると看板替えて「大東亜共栄圏」とか言ったりして)た時期があって、別にその時点で「自由民主主義」が正義だった事は無いわけで
そんである時点から「なんか力ばっかり押し付けるのは止めにしたることにしたわ、ウチの若いもんも死にまくるし評判悪いから」ってなって一応西欧の一部諸国が勝手に体面だけ取り繕うようになっただけだよな
(旧植民地はそれに感謝しないといけなくて、感謝しなかった国は解放時に事務机まで取っ払われないといけなかった)
枝末になるけど別に「アメリカやイギリスの自由民主主義」が無くても中国も日本も世俗的には発展してたし、独自の政治参加や人命尊重の概念は発展させてたし、アメリカインディアンはアメリカ独立やフランス革命と何ら関係なく自前の高度な民主主義を持っていたわけで
そんで侵略とかは一応しなくなった後も、「アメリカでは親は子どもと同じお風呂に入りません!」(までならともかく)→「同じお風呂に入る日本は野蛮!」みたいなバカみたいな文化の解釈と押し付け(宮城遥拝の押し付けと変わらん)を官民一体でしてくる訳だろ
(あとこういう時に引合いに出される「アメリカ」ってごく一部のWASP・セレブのものであって絶対にインディアンやラテンや黒人や混血の文化なんて参照されないよな)
相対主義って最近叩かれがちだけど、それも程度問題で、何でここまで卑屈とすら言えるレベル(しかも「前からロシア人は気にくわなかったんだ」みたいなスネオ精神丸出し)で自分の境遇に満足したり疑いを持たなくなるのかを考えると、
何故か思い返してみたら、元々控えめな自分が初めて女の子に告白したのがきっかけだったと思う。あの子は僕が傷つかないよう、丁寧に振ってくれた。
それから僕の地獄の日々が始まった。クラスのナンバー2、本人は対した事は無いがナンバー1の威を借りてイキるタイプの奴。スネオポジかな。に目をつけられた。そいつも彼女の事を狙っていたらしく、先にアタックを仕掛けた俺が気に入らなかったらしい。振られたからいいじゃん。
地獄と言っても大した事は無かったと言えば無かった。ただ靴に画鋲が入っていたり、お気に入りの高いシャーペンにボンドが流し込まれていたり、僕が振られた事を学年中に触れ回ったりしただけ。正直程度は低いと思うが、これが毎日毎日、下手すると休み時間ごとにやられていたので次第に僕の気持ちは落ち込んでいった。
教師は何もしなかった。触れ回った事だけは証拠があったので口頭で軽く注意されたが、その他はそいつがやったという証拠が無かったからだ。その上で授業直前にシャーペンをやられて困っていると「何遊んでんねんwお前らこんなアホにペン貸すなよw」とか大声で言い出す。クラスメイトもあいつの異常さを分かっていたから従ったんだろうな。邪魔をしたら次の標的にされるから。仕方がないので先生がペンを貸してくれるようになった。
結局そいつの嫌がらせは卒業までの3年間、ずっと続いた。女の子は野球部の花道を嗜むイケメンのものになった。
僕はひたすら、疲弊していた。
それからというものの、僕は常に何かに疲れていて、諦めたような姿勢を取るようになった。恋愛をする気は全く起きない。再現性が無い事件だったことは明らかだけど、自分の恋心が芽を出そうとするとどうしてもあの日々が蘇ってくるからだ。
最近、年収一千万は金持ちだというようなツイートがバズっていた
確かに金持ちというものの定義を人口の上位10%と定義するのであれば間違っていない
金持ちというといわゆるスネオとかタワーマンションとかブランド品とかそういうものを思い浮かべるからだ
共働きで一人っ子だったので今まで生活に困ったことはなかったが、家のローンがまだあることは知っていたしお金持ちだなんて思ったことはなかった
塾や習い事は十分に行かせて貰えたが、お金かかるから私立はやめてと言われ大学まで国公立を受験した
都会で塾に通って大学まで行ってるだけ金持ちだと言われればそれまでだが、自分が金持ちなんて考えたこともなかった
なんでこんなに裕福なことに気づかなかったのか考えてみると大きく理由は二つあった
一つ目は、中学から受験をし高校も偏差値の高いところに行ったため、お金がない人というものを見たことがなかったことだ
ヤンキーばかりの地元の中学が嫌で受験して通った学校はみんな恵まれて育っていて優しかった
そして、その中学の友達はみんな私より頭が良くて東京の私立の高校に入学していった
高校の友達は海外旅行にも躊躇いなく行き、受験のために五十万円を躊躇いなく払っていた
これが私にとっての普通で大学で地方に出るまで気づかなかった閉じられた世界だ
二つ目は、両親の年収がここまで上がったのは最近だということだ
両親の勤務先は今でも年功序列が根強い
だから、ほんの数年前まで今の三分の二程度しか貰っていなかったといえる
また、共働きといってもクビになった時期もあったし、大学院に通っていた時期もあった、入院をしていた時期だってあった
そうすると単純に考えて半分しか貰ってないなかった
つまり、三分の二の半分で現在の三分の一程度しか収入はなかったのだ
そう考えると私が生きてきたほとんどの時間は平均程度の年収の家庭で育っている
そして今もその頃と生活は大して変わっていない
ここまでダラダラと文章を書いてきたが、私が言えることはやっぱり一千万年収があったからといって自分がお金持ちだと思う人間はそんないないだろうということだ
兄弟がたくさんいたらもっと生活は大変だろうし、病気にかかるなんてありふれたことだ
収入で格差ができていることは確かだが、だからと言って救済をする余裕まではない
そしてもう時期、両親は定年になるし、今お金を貯めておかなければもう後はない
最近、年収一千万は金持ちだというようなツイートがバズっていた
確かに金持ちというものの定義を人口の上位10%と定義するのであれば間違っていない
金持ちというといわゆるスネオとかタワーマンションとかブランド品とかそういうものを思い浮かべるからだ
共働きで一人っ子だったので今まで生活に困ったことはなかったが、家のローンがまだあることは知っていたしお金持ちだなんて思ったことはなかった
塾や習い事は十分に行かせて貰えたが、お金かかるから私立はやめてと言われ大学まで国公立を受験した
都会で塾に通って大学まで行ってるだけ金持ちだと言われればそれまでだが、自分が金持ちなんて考えたこともなかった
なんでこんなに裕福なことに気づかなかったのか考えてみると大きく理由は二つあった
一つ目は、中学から受験をし高校も偏差値の高いところに行ったため、お金がない人というものを見たことがなかったことだ
ヤンキーばかりの地元の中学が嫌で受験して通った学校はみんな恵まれて育っていて優しかった
そして、その中学の友達はみんな私より頭が良くて東京の私立の高校に入学していった
高校の友達は海外旅行にも躊躇いなく行き、受験のために五十万円を躊躇いなく払っていた
これが私にとっての普通で大学で地方に出るまで気づかなかった閉じられた世界だ
二つ目は、両親の年収がここまで上がったのは最近だということだ
両親の勤務先は今でも年功序列が根強い
だから、ほんの数年前まで今の三分の二程度しか貰っていなかったといえる
また、共働きといってもクビになった時期もあったし、大学院に通っていた時期もあった、入院をしていた時期だってあった
そうすると単純に考えて半分しか貰ってないなかった
つまり、三分の二の半分で現在の三分の一程度しか収入はなかったのだ
そう考えると私が生きてきたほとんどの時間は平均程度の年収の家庭で育っている
そして今もその頃と生活は大して変わっていない
ここまでダラダラと文章を書いてきたが、私が言えることはやっぱり一千万年収があったからといって自分がお金持ちだと思う人間はそんないないだろうということだ
兄弟がたくさんいたらもっと生活は大変だろうし、病気にかかるなんてありふれたことだ
収入で格差ができていることは確かだが、だからと言って救済をする余裕まではない
そしてもう時期、両親は定年になるし、今お金を貯めておかなければもう後はない
最近、年収一千万は金持ちだというようなツイートがバズっていた
確かに金持ちというものの定義を人口の上位10%と定義するのであれば間違っていない
金持ちというといわゆるスネオとかタワーマンションとかブランド品とかそういうものを思い浮かべるからだ
共働きで一人っ子だったので今まで生活に困ったことはなかったが、家のローンがまだあることは知っていたしお金持ちだなんて思ったことはなかった
塾や習い事は十分に行かせて貰えたが、お金かかるから私立はやめてと言われ大学まで国公立を受験した
都会で塾に通って大学まで行ってるだけ金持ちだと言われればそれまでだが、自分が金持ちなんて考えたこともなかった
なんでこんなに裕福なことに気づかなかったのか考えてみると大きく理由は二つあった
一つ目は、中学から受験をし高校も偏差値の高いところに行ったため、お金がない人というものを見たことがなかったことだ
ヤンキーばかりの地元の中学が嫌で受験して通った学校はみんな恵まれて育っていて優しかった
そして、その中学の友達はみんな私より頭が良くて東京の私立の高校に入学していった
高校の友達は海外旅行にも躊躇いなく行き、受験のために五十万円を躊躇いなく払っていた
これが私にとっての普通で大学で地方に出るまで気づかなかった閉じられた世界だ
二つ目は、両親の年収がここまで上がったのは最近だということだ
両親の勤務先は今でも年功序列が根強い
だから、ほんの数年前まで今の三分の二程度しか貰っていなかったといえる
また、共働きといってもクビになった時期もあったし、大学院に通っていた時期もあった、入院をしていた時期だってあった
そうすると単純に考えて半分しか貰ってないなかった
つまり、三分の二の半分で現在の三分の一程度しか収入はなかったのだ
そう考えると私が生きてきたほとんどの時間は平均程度の年収の家庭で育っている
そして今もその頃と生活は大して変わっていない
ここまでダラダラと文章を書いてきたが、私が言えることはやっぱり一千万年収があったからといって自分がお金持ちだと思う人間はそんないないだろうということだ
兄弟がたくさんいたらもっと生活は大変だろうし、病気にかかるなんてありふれたことだ
収入で格差ができていることは確かだが、だからと言って救済をする余裕まではない
そしてもう時期、両親は定年になるし、今お金を貯めておかなければもう後はない
なんか理系、プログラマー連中の「AIがここまで発達して徐々に実用化もしてきてるんだから、お前らの仕事もうすぐ無くなるよw」的なマウンティングがウザいんだが。
AIというジャイアンの威を借るスネオみたいで、お前がAI作ったわけじゃねーだろっていつも思う。
大体さ、AIみたいな頭脳系が発達したら真っ先に置き換わるのはコーディングやらシステムやら実験、研究開発あたりじゃね?目的と正解が設定しやすい訳だから。こないだもガン発見出来た訳で。
理系連中がやりがちな少数派で結束深くして他の連中を上から目線したくなる心理は「行動心理学的な傾向のひとつ」としても上から目線出来る訳だから、こういう不毛なストレス解消はもう辞めようぜ。