はてなキーワード: ゲド戦記とは
新海誠最新作「君の名は。」はざっくりネタバレしてしまえば「歴史改変して死んだはずの女をよみがえらせる話」だった
まあ死人を蘇らせることを肯定的に描くか否定的に描くかは作家の自由だ
しかし、新海誠は前々作「星を追う子ども」では最終的にそれを否定していなかったか?
「星を追う子ども」はおっさんが主人公の女の子を依代に自分の死んだ妻をよみがえらせようとするが失敗する話だ。
結局死人は蘇らないし、人は喪失を抱えて生きるべきだという作品だ。
作品としてはジブリとエヴァを強引に混ぜ込んでゲド戦記(アニメ)で割ったような出来だったが
ちょうど3・11のタイミングで公開され、震災に対して図らずも一つの回答になっていると感じた。
だのに「君の名は。」ではそれをひっくり返すように、村丸ごとの死をなかったことにしてしまう。
代償として記憶の喪失があるが、最終的に再び巡りあうのでほぼノーリスクである。
新海監督にとって「星を追う子ども」のテーマはどうでもよいものだったのだろうか。
そりゃ監督も人間だから心変わりがあったのかもしれないが、震災を経て死人が蘇るというのをなぜ肯定的に描けるのか。
そんなのは只の願望である。虚妄である。アニメは確かに嘘っぱちだが、
決して麻薬のように現実逃避のために消費されるものであってはならない。
新海誠作品はそりゃあ内向的で童貞臭くてそれが気に入らないという人もいただろうが、
辛いことにちゃんと向き合った上で生きていこうという決意が常に在り、それこそが作家性ではなかったか。
もしもそれを今回やらないことで、辛いことから目を背けてハッピーな映画を作ることで、
ただそうはいっても全体的に雰囲気が暗い本で、いわゆる子供が好きそうな明るい話ではない
しかしひたすら暗いわけではなくて、ところどころに神秘的な雰囲気がある、不思議な本
ある雨が降る日に同じクラスの男の子が学校でおかしくなる場面から始まる
話が進んでいくと男の子がおかしくなったのは理由があって、町の地下に住んでいる悪い王様のせいというのがわかってくる
その悪い王様は水を操る術が使えて、陰謀に気づいた主人公に対し水を使った攻撃を開始する
それに対し、主人公のおじいちゃんは事の全貌を把握しており、あるアイテムをそろえると悪い王様を退治できることを主人公に伝える
こう書いてしまうと凡庸なストーリーに見えるかもしれないが、自分が引かれたのはその雰囲気だった
ファンタジーでありながらハリーポッターやゲド戦記といった西洋ファンタジーとはまったく違う雰囲気・表現
この作者にしか出せないような味があると思う
「水」をベースにした退廃的で暗い雰囲気を出しながら、キーアイテムである「光車」は文字通り光り輝く神秘的存在として描かれており、その対比がとてもよい
また主人公やその友達で悪を倒すという一種の冒険譚にもなっており、冒険の楽しさ、怖さ、苦しみ、救いがきちんと描かれている
恐怖感の描写も巧みだ
その攻撃の仕方も独特で、例えば釣り針が飛んでくるなど読者(小学生高学年ぐらいの少年を想定)の恐怖をあおるような書き方がうまい
一応児童文学のくくりに入るが、大人が読んでもある種の感受性が強い人(例えば子供のころにエンデのモモが好きだった人)はきっと楽しめると思う
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他の作品も一時期復刊.COMで復刊していたけど、今はどうなっているか不明
ちなみに猫が出てくるアニメ版「銀河鉄道の夜」にも監修かなにかでかかわっていたはず
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周りで本を読んでる知り合いがいなくて本の話ができなくてさびしくて
その孤独を埋めるためにこういうコーナーを設けてみました
あーそう言うのも居た、歌が良かったから流行っただけで映画は糞だから女監督はダメ!!みたいなの、曲を作らせて選んだのも監督なのに、ゲド戦記も父親がよこしてくれた歌手の主題歌は美しかったが映画が糞なら曲だけじゃどうしようもないと証明しとるのに
お前はゲド戦記を見てそれ言えるのか、ハウルも宮崎が天才だから画面の面白さで持ってるけど謎の戦争要素追加したりでまとまってる話を破綻させてかなりの原作レイプだし
「映画の種類による。アニメでは現実世界をデフォルメする必要があるが、女性は現実的な傾向があり、日々の生活をやりくりするのに長けている。男性はより理想主義的な、ファンタジー映画に向いたアプローチができる。男性監督が選ばれることは偶然だとは思わない」
という発言を見て海外に向けてこれを発信するのはなんとも恥ずかしいと思った
ジブリ映画で宮崎以外が原作のファンタジー映画は全て女性作家によるもので、男性原作の作品の映画はは少ない、西村が改悪してしまったマーニーも女性作家原作だし、世界に名高い名作ファンタジーを監督が原作レイプして驚くほどの駄作にしたゲド戦記、千と千尋もアニメ化がかなわなかった女性作家のファンタジーの影響を受けたと宮崎が言ってるし、他にもハウルの動く城、魔女の宅急便、耳をすませば、猫の恩返し、アリエッティ、ファンタジーではないのはおもひでぽろぽろと海が聞こえるくらいだ
男性原作はとなりの山田くん、風立ちぬ、火垂るの墓、コクリコ坂とファンタジー以外ばかり
何故この環境で仕事をして女性はファンタジーに向かないと思えたのか不思議なくらい女性に片寄っている
世界を見てもハリー・ポッターにアナと雪の女王、日本を見ても鋼の錬金術師や精霊の守り人や十二国など女性の大ヒットファンタジーは目立っている
この環境なのに、この記事のまとめを見に行くと女はファンタジーに向かないのに適材適所なのに本当の事をいったのにフェミが糞といった自分の性別が男なだけで女より優れていて凄いと思いたい情けない男の書き込みにまみれていて、私女だけど女のファンタジーってドロドロしてて男作家の方がーといった名誉男性も参戦しており、なんか日本の地獄の一端を見た気分になりそっと閉じた。
※ソースはインターネット・上映年は日本公開時・基本的に劇場公開時の時間
184分 伝説巨神イデオン 接触篇・発動篇(二部作同時上映)(1982)
163分(70mm版)/152分(35mm版) 宇宙戦艦ヤマト 完結編(1983)
162分 涼宮ハルヒの消失(2010)
151分 さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち(1978)
150分 魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's(2012)
141分 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編(1982)
138分 河童のクゥと夏休み(2007)
138分 かぐや姫の物語(2013)
137分 機動戦士ガンダム(1981)
136分 宇宙ショーへようこそ(2010)
135分 幻魔大戦(1983)
133分 もののけ姫(1997)
130分 さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅(1981)
130分 魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st(2010)
129分 銀河鉄道999(1979)
128分 千夜一夜物語(1969)
127分 カラフル(2010)
126分 スチームボーイ(2004)
126分 風立ちぬ(2013)
125分 ファンタジア(1955)(米公開1940)
125分 千と千尋の神隠し(2001)
124分 天空の城ラピュタ(1986)
124分 AKIRA(1988)
122分 火の鳥2772(1980)
122分 スカイ・クロラ The Sky Crawlers(2008)
121分 THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!(2014)
120分 カウボーイビバップ 天国の扉(2001)
120分 ももへの手紙(2012)
120分 屍者の帝国(2015)
119分 地球へ…(1980)
119分 王立宇宙軍 オネアミスの翼(1987)
119分 おもひでぽろぽろ(1991)
119分 平成狸合戦ぽんぽこ(1994)
119分 ハウルの動く城(2004)
119分 劇場版 マクロスF 虚空歌姫 〜イツワリノウタヒメ〜(2009)
119分 バケモノの子(2015)
119分 心が叫びたがってるんだ。(2015)
117分 おおかみこどもの雨と雪(2012)
116分 風の谷のナウシカ(1984)
116分 ゲド戦記(2005)
116分 カーズ(2006)
116分 星を追う子ども(2011)
116分 劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編] 叛逆の物語(2013)
115分 超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか(1984)
115分 機動戦士ガンダムF91(1991)
115分 Mr.インクレディブル(2004)
115分 サマーウォーズ(2009)
115分 劇場版 マクロスF 恋離飛翼〜サヨナラノツバサ〜(2010)
115分 キャプテンハーロック -SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK-(2013)
113分 機動警察パトレイバー 2 the Movie(1993)
113分 MEMORIES(1995)
113分 ONE PIECE FILM STRONG WORLD(2010)
113分 カーズ2(2011)
113分 劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス(2015)
112分 ブレイブ ストーリー(2006)
112分 レミーのおいしいレストラン(2007)
112分 THE LAST -NARUTO THE MOVIE-(2014)
111分 耳をすませば(1995)
111分 鉄コン筋クリート(2006)
110分 モンスターズ・ユニバーシティ(2003)
110分 鋼の錬金術師 嘆きの丘の聖なる星(2011)
110分 映画けいおん!(2011)
110分 劇場版 銀魂 完結篇 万事屋よ永遠なれ(2013)
109分 ROAD TO NINJA -NARUTO THE MOVIE-(2012)
108分 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破(2009)
108分 グスコーブドリの伝記(2012)
108分 ONE PIECE FILM Z(2012)
108分 劇場版 TIGER & BUNNY -The Rising-(2014)
107分 銀河鉄道の夜(1985)
107分 名探偵コナン ベイカー街の亡霊(2002)
107分 ルパン三世VS名探偵コナン THE MOVIE(2013)
106分 メトロポリス(2001)
106分 ファイナルファンタジー(2001)
106分 イヴの時間 劇場版(2009)
106分 Fate/stay night UNLIMITED BLADE WORKS(2010)
106分 ねらわれた学園(2012)
105分 アリーテ姫(2001)
105分 劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者(2005)
105分 図書館戦争 革命のつばさ(2012)
105分 虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜(2012)
105分 劇場版 蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- Cadenza(2015)
104分 ホーホケキョ となりの山田くん(1999)
104分 カールじいさんの空飛ぶ家(2009)
104分 楽園追放 -Expelled from Paradise-(2014)
103分 APPLESEED(2004年)
103分 ストレンヂア 無皇刃譚(2007)
103分 トイ・ストーリー3(2010)
102分 ルパン三世 ルパンVS複製人間(1978)
102分 魔女の宅急便(1989)
102分 マインド・ゲーム(2004)
102分 ジョバンニの島(2014)
102分 アナと雪の女王(2014)
102分 ベイマックス(2015)
102分 ラブライブ!The School Idol Movie(2015)
101分 崖の上のポニョ(2008)
101分 シュガー・ラッシュ(2013)
100分 ルパン三世 カリオストロの城(1979)
100分 機動警察パトレイバー the Movie(1989)
100分 名探偵コナン 天国へのカウントダウン(2001)
100分 ファインディング・ニモ(2003)
100分 イノセンス(2004)
100分 塔の上のラプンツェル(2011)
100分 魔女っ娘姉妹のヨヨとネネ(2013)
99分 SPACE ADVENTURE コブラ(1982)
99分 マダガスカル3(2012)
99分 サカサマのパテマ(2013)
98分 うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー(1984)
98分 人狼 JIN-ROH(2000)
98分 時をかける少女(2006)
98分 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序(2007)
98分 ヒックとドラゴン(2010)
98分 怪盗グルーのミニオン危機一発(2013)
97分 バグズ・ライフ(1999)
97分 ウォーリー(2007)
97分 ストライクウィッチーズ 劇場版(2012)
97分 劇場版 HUNTER×HUNTER 緋色の幻影(2013)
97分 クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん(2014)
97分 映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!(2014)
96分 クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険(1996)
96分 劇場版 銀魂 新訳紅桜篇(2010)
95分 名探偵コナン 時計じかけの摩天楼(1997)
95分 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦(2002)
95分 銀色の髪のアギト(2006)
95分 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(2012)
95分 STAND BY ME ドラえもん(2014)
95分 BORUTO -NARUTO THE MOVIE-(2015)
94分 モンスターズ・インク(2002)
94分 劇場版 CLANNAD -クラナド-(2007)
94分 借りぐらしのアリエッティ(2010)
94分 劇場版BLEACH 地獄篇(2010)
94分 メリダとおそろしの森(2012)
94分 ドラゴンボールZ 復活の「F」(2015)
94分 インサイド・ヘッド(2015)
93分 紅の豚(1992)
93分 クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王(1993)
93分 ブラック・ジャック 劇場版(1996)
93分 シュレック2(2004)
93分 マイマイ新子と千年の魔法(2009)
93分 シュレック3(2010)
92分 ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌(1992)
92分 トイ・ストーリー2(2000)
92分 東京ゴッドファーザーズ(2003)
92分 シュレック3(2007)
92分 カンフー・パンダ(2008)
92分 東のエデン 劇場版II Paradise Lost(2010)
91分 雲のむこう、約束の場所(2004)
91分 ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島(2005)
91分 コクリコ坂から(2011)
91分 PERSONA3 THE MOVIE #1 Spring of Birth(2013)
90分 アラジン(1993)
90分 ガンドレス(1999)
90分 シュレック(2001)
90分 ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険(2003)
90分 劇場版 AIR(2005)
90分 パプリカ(2006)
90分 劇場版 とある魔術の禁書目録 -エンデュミオンの奇蹟-(2013)
90分 聖☆おにいさん(2013)
90分 百日紅 〜Miss HOKUSAI〜(2015)
90分 劇場版 弱虫ペダル(2015)
89分 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲(2001)
89分 マダガスカル2(2009)
89分 劇場版 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ(2013)
89分 劇場版 アイカツ!(2014)
89分 劇場版 境界の彼方 I’LL BE HERE 未来篇(2015)
88分 ピノキオ(1952)(米公開1940)
88分 エースをねらえ!(1979)
88分 火垂るの墓(1988)
88分 ライオン・キング(1994)
88分 ターザン(1999)
88分 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH(2010)
87分 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に(1997)
87分 千年女優(2002)
87分 friends もののけ島のナキ(2011)
86分 となりのトトロ(1988)
86分 マダガスカル(2005)
85分 GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊(1995)
85分 少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録(1999)
85分 リロ・アンド・スティッチ(2003)
85分 ドラゴンボールZ 神と神(2013)
84分 美女と野獣(1992)
83分 白雪姫(1950)(米公開1937)
83分 リトル・マーメイド(1991)
83分 劇場版 カードキャプターさくら(1999)
83分 たまこラブストーリー(2014)
82分 ダイナソー(2000)
82分 劇場版 カードキャプターさくら 封印されたカード(2000)
82分 東のエデン 劇場版I The King of Eden(2009)
81分 トイ・ストーリー(1996)
81分 パーフェクトブルー(1997)
81分 劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕(1999)
80分 機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-(1998)
79分 白蛇伝(1958)
79分 101匹わんちゃん(1962)
77分 ピーター・パン(1955)
76分 眠れる森の美女(1960)
76分 ナイトメアー・ビフォア・クリスマス(1994)
75分 ふしぎの国のアリス(1953)
75分 劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲(1998)
75分 猫の恩返し(2002)
74分 桃太郎 海の神兵(1945)
72分 シンデレラ(1952)
70分 バンビ(1951)(米公開1942)
70分 ドラゴンボールZ 燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦(1993)
70分 劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI(2000)
70分 映画 ふたりはプリキュア Max Heart(2005)
70分 映画 プリキュアオールスターズDX みんなともだちっ☆奇跡の全員大集合!(2009)
68分 SHORT PEACE(2013)
66分 劇場版 花咲くいろは HOME SWEET HOME(2013)
65分 めぞん一刻 完結篇(1988)
65分 マルドゥック・スクランブル 圧縮(2010)
64分 ダンボ(1954)(米公開1941)
63分 秒速5センチメートル(2007)
61分 劇場版xxxHOLiC 真夏ノ夜ノ夢(2005)
60分 劇場版美少女戦士セーラームーンR(1993)
60分 ONE PIECE ねじまき島の冒険(2001)
55分 リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード(2015)
53分 Wake Up, Girls! 七人のアイドル(2014)
50分 劇場版 ブレイク ブレイド 第一章「覚醒ノ刻」
50分 コードギアス 亡国のアキト 第1章 翼竜は舞い降りた(2012)
49分 劇場版 空の境界 第一章 俯瞰風景(2007)
49分 UN-GO episode:0 因果論(2011)
49分 劇場版 プリティーリズム・オールスターセレクション プリズムショー☆ベストテン(2014)
47分 茄子 アンダルシアの夏(2003)
46分 言の葉の庭(2013)
40分 デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!(2000)
38分 桃太郎の海鷲(1943)
35分 劇場版 ツバサ・クロニクル 鳥カゴの国の姫君(2005)
34分 パンダコパンダ(1972)
26分 台風のノルダ(2015)
25分 ほしのこえ(2002)
12分 つみきのいえ(2008)
自分は結構漫画の実写化とかには「製作者だってコケようと思って作ってないだろ」って寛容な方で、
『進撃の巨人』実写版のキャストが「日本人じゃねーか!」って突っ込まれたり、
『ぬ~べ~』実写ドラマ化が最悪だったとか、『暗殺教室』実写版がコケそう…とかそういう話題を聞いて、
「原作至上主義は大変だなwww」と高みの見物をしていて、ふと思い出した話。
ちょっと前の話なんだけど「思い出のマーニー」ってあったじゃないですか、ジブリの。
あれ映画館で見て、自分がおばあちゃんっ子って事もあって大変感動したんだが、
Twitterを見ると、原作至上主義の人が「何で北海道を舞台にするんだ!!」「原作通りにしろ!」ってキレてるのが結構いたわけ。
自分の場合、大泉洋とかが声優で出てるとか、劇中の家の設計もちゃんと北海道の湿地帯のことをちゃんと調べて
作られてるって所に興味を持って、「へぇー北海道を舞台にするなりの工夫ちゃんとしてるんじゃん」って思って、
しかも原作を読んでない派だから、原作のイギリスじゃなくても別にどーでも良かったんだわ。
原作派は「原作の良さを知らない人がかわいそう…」「ジブリ映画だけ見てるやつはにわか」って言ったりしてる人もいるんだけど、
別に良いじゃん…こっちはこっちなりに楽しんで見れたんだからさ、って感じ。
前にはゲド戦記が同じように原作と違う(しかもこっちは原作者まで出てきたが)って話題になったけど、
あれもあれで「吾朗は吾朗なりに頑張ってるじゃねえかよ!」って擁護派だった。
タイトルで完結してるけど。
けっこう前に、金曜ロードショーでやってた「ハリーポッターと賢者の石」を見たのだけど、微塵も面白くなかった。
今まで「ハリーポッター無視世界」に生きてた私、このハリーポッターシリーズの一作目を、そらもう期待して期待して見た。
面白いに決まってる!
私が今までハリー無視世界に生きてたのはただの「流行りものへの無意味な反抗心」が原因だったから、もういい大人(三十路)だし私も、もういいじゃないか、流行っているもの、みんなが見ているものはきっと面白いんだワ、と素直に流行りものの娯楽を享受することにしたのだった。
で、ハリーポッターだった訳なのだけど、もうびっくりするくらい全然楽しくなくて、見てるのが退屈で、全部見ることを諦めてしまったくらいだった。
でもまだUSJのハリーポッターアトラクションは長蛇の列だ、という話をきいて、私は世間からぽつん、と取り残された気分になる。
あんなのをみんな面白いって思ってるんだって思っている。不可解でさみしい。
周りをみても、ハリーポッター面白い、という人ばかりで、そんな人たちに「私は面白いと思えない」とはどうしても言えなくて、ヘラヘラしてる。
でももう興味が持てないなあ。
私は子供のころ友達が全然おらず、やることもないし寂しかったのでいつも本を読んでいた。
本は面白くてそういうことを紛らわす役にはたつのだが、あまりに面白い本だとその世界に没入してしまって、しばらく戻ってこられないことがある。
するとかえってつらい。主に物語の本のはなしだが、終わってしまうのが悲しいのだ。
いい話ならまた最初から物語を読んだらいいじゃないという意見があるかもしれない。
そんなことすると、既に物語が終わってしまったと感じてしまい逆につらい。
どんな昔に出た本でも、最初に読んだときは自分にとってはリアルタイムだけど、二度目は振り返ってるだけなのだ。
子供のころ好きで告白できなかった人の写真とか見返したら、あの時代はもう二度と戻ってこないんだああああとなってつらいだろう。
それと同じである。
好きなんだけど、もう会えないから思い出したくないみたいな。
続きを読みたい。
こういうつらい感情は本に限らず映画とかよくできた物語になら何でも発生し得る。
いいコンテンツほど後がつらいので、最近はもうあんまり本も読まなくなってしまった。
androidアプリとかwebアプリづくり。
だから、本は人とのコミュニケーションの代わりというか、コミュニケーションをモノに閉じ込めたようなものだったのだ。
プログラミングも私にとっては人とのコミュニケーションの代わりになっていると思う。
これのいいところは、他人の作ったもの(プログラミング言語)を読み解いているようでもあり、創作的な活動でもあるということだ。
プログラミング言語なんて、わかったと思ったころに仕様が変わった次のがでるし、ソフトウェアのアイディアも際限がない。
しかも、つくったソフトウェアを公開すれば、それを介した人とのコミュニケーションもできるかもしれない。
すばらしい。
すばらしいなあ。
追記1
じゃあ私は本を書いてもよかったのかな。
でも本を書くって自分との対話という感じがして寂しいなあ。
追記2
プログラミング言語を言語学的に研究した論文を昔いくつか見つけた。
こういう何かモノなどをかいした適度に隔てられたコミュニケーションについて考えてみるのは面白い。
コミュニケーションは言葉なり身振りなり本質的に何かを介したものというはなしもあるなあ。
追記3
最近こうやって思ったことを書くことをはじめた。
すごく落ち着く。
[blog][music]学校で教えてくれない、芸術を評価するための6つの視点
http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20091025/1256479650
はてブクマしてほっといたがコメントを後から読んでみた感想を増田に書きますよ。
あ、先に断っとくとブログ主じゃないですよ。
主さんの考え方とはおそらく明らかに違うことをざっと書きますので。
さて、センス至上主義の人たちってのはことごとく残念な方が多いですね。
僕も頭は悪いけど、どんなことでも自前で考えることを辞めてはいませんから、
この人たちと比べりゃ少しはマシかなと思っています。
なぜマシかな?と思っているかを書きましょう。
芸術に限らず物事を見るっていう行為には、必ず束縛されるものがあります。
物事を見るヤツの脳みそです。
脳みそ(全身の神経、肉体を含んでもいいです)にはそいつが生きてきたあらゆる経験が蓄積されています。
全部喋るワケにはいかないので、芸術鑑賞に限りますが、
鑑賞するにも当然経験というものが大きなファクターを占めることになります。
というか、芸術における生来のセンスなんてものは人間には備わっていません。
しいて言えば、生まれた環境、育った社会で目にし耳にしてきた事、この蓄積が異なるくらいでしょうか。
ですが、肉体の素質の差というのは、確実にあります。
有名な話ですがピカソは10歳ごろには既にものすごく達者な写実絵を描かれていたそうです。
そんなに幼いころにすばらしい絵を書けたという事はものすごいセンスの持ち主ということじゃないか!と言われるかもしれませんが
残念ながら全くの早とちりから来る誤りです。
写実絵というものは、インプットとアウトプットの精度の問題であり、センス云々は全く関係しない分野なのです。
つまるところ、肉体性能…筋力とかじゃないですよ。この場合は目の力、空間把握能力、そして手の器用さです。
これが達者だったからピカソは幼くしてすばらしい絵がかけたんですね。
あ、こういうとまた文句を言うヤツが出ますね。
写実絵というのもセンスは必要ですよ。
構図のとり方、ライティング、描くものの配置など、考えなければならないことはたくさんあります。
生まれ持ってのセンスなどではなく(そもそもそんなものは存在しないといいましたね)、蓄積されたセンスですがね。
ピカソの絵はルールを破っているということを理解できてはじめて意味がある。守破離と言うヤツですね。
ルールが無いヤツは最初から型破りなんて出来ないんです。ルールが先にあってこそ、型破りを実行することが出来る。
美においてルールとは、観察と経験の蓄積と人間の肉体感覚によってのみ規定されるものなのです。
かつては文化圏、文明圏ごとに感覚が分かれていましたが、ネットによってある程度統一化されてきているなぁと感じます(脱線)。
精巧な写実絵を幼くして書くことが出来たピカソは、それまでの画法と異なる彼独自の画法で表現を行っていく道を行った。
何故かと言えば、それが彼が伝えたいことを彼が伝えたい人に一番伝わる方法だとピカソが結論したからでしょう。
優秀な表現者というものは、ここでは芸術家のみの例を挙げていますが、文筆家にしろ、技術者にしろ、あるいは一個人でも同じですが、
自分が伝えたいことが自分が伝えたい相手に、どうすれば伝わるのかを常に考えているはずなのです。
純粋な芸術なら、当然、芸術家本人が持つ問題意識(単純に環境破壊とかそういうものでなく、
「赤ちゃんをどうやって可愛く描くか」のようなライフワーク的なものも考えられますね)からなるテーマがあり、
それに対する回答が作品となるでしょう。受け手は問題意識を理解してほしい鑑賞者であり、作者自身でもあります。
商用芸術では昨今では仔細なマーケティングが行われていることは周知の通りです。
それがたとえアウトサイダーアートだとしても、自覚的に商売としてやるのであれば
自分が何をしているのか、自分はそれをどうしたいのか、どう売り込みたいのか、考えているはずです。
それが理解されるかどうかは別として、自分が伝えたいことを自分で明確に出来ない芸術家は大成するはずがありません。
伝わるアテの無いものを創ることは幼い子供や、本当の趣味人に与えられた特権と言えるでしょう。
「そんなこと一切考えて物を作ったことなんて無いけど芸術で暮らしていけているよ!」という方は
きっとダウンタウンの松本氏における浜田氏の様な素晴らしい相方と出会えたのですね。おめでとうございます。
さて、問題は伝わる方です。
自分の見たことの無いものを鑑賞するとき、人はどうするでしょうか?
生来のセンスがあれば、ちゃんとした評価が下せるのでしょうか?
それとも、間違っていてもセンスで感じたことが正しいのだと言い切れるのでしょうか?
順を追って考えれば、殆どがまずそのものをちゃんと見ようとするはずで、
目にした瞬間エレクトリックサンダーが全身に走るような至福の体験を得るなどということはありえないはずです。
人間なんてもんの見た瞬間に出る感情は、自分がそれまでに見てきたものから割り出すように出来ているんです。
人は完全にわからないものと触れる時、評価を下すには多少の時間を要するのです。
生来のセンスなるものがあるなら、そんな時間は必要ないでしょう。何も考えずその場でパッと決めてしまえばいいのです。ゲド戦記はクソ、とか。
ま、ゴッホみたいに死ぬまで放置されてから評価される画家もいますから、そんなヤツはセンス0の大馬鹿者であると断じてしまえるわけですが。
ちょっと古いですが、アイフォーンをはじめてみたとき、
「ああ、ついに完全タッチパネルの携帯が発売されるのだな。人類の革新だ」って思った人は先に記事を読んでる人だけで、
そうでない人は「キーパッドないの?」「液晶DEKEEEEEEEEE」「なにこの□」のように、
見た目からはこれまでの携帯とは形が違うから、どういうものなのかを判断しようとしたと思います。
芸術だって同じです。見たことが無いような作品、バックグラウンドがわからない作品を理解することは出来ないのです。
ゲルニカを最初に見た時、僕はこの絵が壁画として作成されていることがわかりませんでした。
あと感じたことは、「ちょ先生教科書に微グロ入ってるんですけどこれ」くらいのもんです。
だってなんか変な生き物が人を食んでいるんですから。
戦争の絵って言われても戦争まんがははだしのゲンしか知らない僕からしても大いに差があり(だって人間しか出て無いですからゲンは)、
「戦争関係なくね?マジキチ」としか考えられなかったことを思い出します。
今ではこの絵がどういう背景で、どういう意図を持ってかかれたものかわかります。
だから、あの大きな絵に描かれた一つ一つの人物、動物にどんな意図があるのか、
それがピカソという偉大な画家の考えと一致するかはわかりませんが、僕なりに思いをはせることは出来ます。
即断即決で評価を下す必要なんて無いのです。時間がたてばわかることだってあります。それが蓄積されたセンスの成長なのです。
一つの作品を前に、作者とその時代、昔の自分、今の自分、そして作品そのものと触れ合う体験が出来るのが芸術鑑賞なのです。
同じような体験として、聴かなくなった音楽を久々に聴いたときの感覚があるでしょうね。
卑近な例で示したとおり、自分自身というものは変らないように思えて、
仕事や学校や人間関係を経ることで常に変化しているものなのです。
センスなんて言葉を確信的に使ってはいけない理由はこの一点なのです。
使っても問題ないのは人を褒めるときくらいでしょう。それ以外の場面では、使わない方がいい。
人間のセンスはある程度のブレ幅までは抑えられるが、完全に固定できない。
それなのに、センスなどという曖昧模糊なもののみを後ろ盾にし、
他に根拠の無い好き嫌いを強弁するなどという子供じみたマネは
それとも、共感できれば、自分が根拠なく、しかし好きだ、正しいとは感じることが出来ればそれでいいのでしょうか?
僕はそうは思わない。
勿論経験によるセンスは人それぞれなんで、好き嫌いはあります。
見たものをそのまま感じ取ってそれがよい体験となる芸術作品もたくさんあります。
ですが、感情にそのまま訴えかける芸術というものは、やもすれば危険物にすらなりうる可能性を捨ててかかってはいけないのです。
人類の歴史は、いかに肉体欲求をコントロールしてきたかの歴史でもあるわけです。
人間のしくみが生命機械であるとわかっている以上、感情もまた肉体欲求の一つです。つまり、制御出来うるのです。
オカルトなんかじゃありません。
あなたがメディアを通してあなた自身とかかわりの無い人間に対してどれほど多くの感情をもっているかを想像してみれば、わかるはずです。
MMRに書いてあったサブリミナルみたいなヨタなんてメじゃない恐ろしさです。
出自や成り立ちは芸術大学なんて出てませんから知りませんし、教養も無いからわかりませんが、
視聴覚(場合によっては他の感覚)を通して物事を伝え、感情を伝えるという共通点があります。
もしあなたがメディアになにかしらの違和感を感じ、それが問題であると考えるのであれば、
芸術に触れた違和感を感じたら時にも問題意識を持たないといけません。
あなたの友達がそう訴えてきたら、ちゃんと話を聞いてあげないといけません。
(ま、友達の感じたことも受け入れられないのであれば芸術鑑賞そのものの否定をしていることと同じと言えなくも無いですが)
そんな窮屈な思いはしたくないと言うなら、好き嫌いすら語らないことです。
それならセンスが似たもの同士で集まればいいじゃないかと思われるかもしれません。
それが良くないとは思いませんが、しかしその集団に居続け他の意見を聞かないことは、
徐々に感覚を麻痺させ自分たち以外の感覚への無理解をはぐくみ、閉塞へ向かって突っ走ってるだけであり、
「スイーツ(笑)」やらなにやら言って喜ぶ人間に成り下がるだけのよろしくない行為と言えましょう。
現に今の社会は閉塞したコミュニティの複号体になってしまっており、
表現という形でコミュニケーションを図る物自体の存在意義が変化していることの表れなんでしょうか。
(テレビみねー、ゲームとか興味ねぇ、美術館とかブルジョアか!などいろんな派閥がいるでしょうな)
その変化が感覚や感情のような曖昧でふわふわしていると思われているものに密着しているなら、危惧すべきことだと思います。
なんかとっちらかっちゃいましたが、つまるところ、
センス至上主義者は考え直せ、頭を使え、鑑賞してる時の楽しみ方に文句をつける気は無いから。
と、言いたいわけです。
僕としては、こんなクソ長くクソ面白くもなく他人人を完全に否定するようなシャドーボクシング的文章を最後まで読んでくれたあなたが
自分の考えもオンリーワンで世界に一つだから思想修正主義絶対反対とか言いながら
芸術作品に対して自分の考えのみを誇示し続け、異論をことごとく無視し自分と同じセンスの持ち主だけで結託して外に出ない、
あるいは自分と異なるセンスは認めず叩き潰すことに快感を覚えるようなサイコパスでないことを祈るばかりです。
だって、芸術の感じ方なんて、人それぞれでしょう?
中世風ファンタジーと言えばまあ「指輪物語」が源流だと言われることが多いし、トールキンは作品世界を異常なくらい作り込んだ人だった。
(まあエルフ語を作り込んでた、という方が正確だけど)
しかし、その「中つ国」でも、ホビット庄に限定すればまあまあ元増田の言うような感じだが、謎の「ミスリル」精錬技術はさておいても、モリアの坑道とかミナス・ティリスとか、現代工学でも建設不能だろ、みたいな巨大建築もごろごろ出てくる。
「ドワーフだから」という言い訳もあるけど、別にドワーフが建設クレーン持ってるわけじゃないしな。
終盤に至っては、ホビット庄にも謎の機械化工場が建設されるわけで……どう考えても中世じゃないわな。
ゲド戦記にしたってエルリックサーガにしたって事情は似たようなもので……っていうか。
「現実の中世を学ぶべき」という声は、中世風ファンタジー華やかなりしころにもたくさんあった。
ただ、そこには「嘘は自覚的につくべきだ」という認識が前提としてあって、地味で退屈で陰鬱な「リアルな」中世を舞台にすべきだ、と考えてた人はいないんじゃないだろうか。
料理に香辛料が盛んに使われたのは肉の腐臭を消すためで、香水が使われたのは体臭を消すため、なんて話、リアルに使いたい人はいないだろ。
(かといって、香辛料も香水もない中世風「ファンタジー」世界、ってのも味気ないわな)
「自覚的な嘘」の中には、理由付けを考えて書かれた設定もある(アースシーでは魔法使いが風を操ってくれるので外洋航路が発達している、みたいな)けど、たぶん全然考えられてないもの(あんな孤島ばかりで文明の発達を支えられるのかよ?飲料水とか金属資源とか木材とか……)も相当ある。
確かに最近の「中世風ファンタジー」は、昔以上に世界観の整合性を気にしなくなってるかも知れない。
(「中世風ファンタジー世界」が、一つの「お約束」として成立してしまったのが原因だろうと思う)
でも、どっちみちそれは「ファンタジー」なのであって、つきつめて考えたら整合性の取れてる作品世界なんかない。
結局は楽しいお話を描く良い舞台であればいいんだから、「昔は良かった」みたいなこと言っても始まらないんじゃないかな?
もはやジブリの黒歴史となってしまったゲド戦記(映画)。映画のゲド戦記の主人公のアレンは、どう見ても、少年犯罪の凶悪化を念頭に作られている。(原作は違うらしい)で、同じように、少年犯罪の凶悪化を念頭に作られている代表的なキャラが、エヴァンゲリオンの碇シンジ。一方は黒歴史、もう一方はアニメ界に歴史を作った大ヒット。何が違ったのだろうか。
まぁ、ぶっちゃけて言えば、ストーリーや時代を考えると何もかも違うから比較のしようがない、という意見ももっともなのだけど・・・あえていえば、ゲド戦記のアレンは「全く共感できない主人公」であるのに対し、エヴァンゲリオンの碇シンジは、「そこそこ共感できる主人公」なのだ。なぜって、アレンは、作品の冒頭で父殺しを行った上、その理由が映画の中でとうとう説明されないまま話が終わる。一方の碇シンジは、性格的な問題は多少あるものの、ちゃんと殺人行為に激しく抵抗する。同じようなキャラに見えて、やっていることが全く違うのだ。
結局、主人公に全く共感できない話というのは、受けないのだと思う。ゲド戦記は、アレンの父殺しの設定を入れなければ、まだ、救いがあったかも知れないのに、と思えてならない。
読んでいて、この話を思い出した。微妙に論点が違うけど。
うまく要約できないから、そのまま転載する。
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http://column.chbox.jp/home/kiri/archives/blog/main/2006/08/07_061846.html
話題性と結果・評価はあまり連動しない。むしろ、結果や評価が芳しくなくても芳しくなかったなりに、自己の周辺で展開される話題についていければ効果があることになるのだ。作品やイベントが良いのか悪いのかは然程本質を突かない。亀田さんの世界戦の判定がおかしかろうと、『日本沈没』がくだらなかろうと、話題を志向してコンテンツを消費する人たちにとってはそれについてあーだこーだ語れればそれでいいのである。
結果として、作品として楽しめたかどうかよりも、自分の周囲で話題になっていたかどうかが、コンテンツ消費の基準となる。自分の周辺で『涼宮ハルヒの憂鬱』を語っているのが職場で浮いてるキモいオタクだけのようだという話になると、自らそこに関わっていく動機がそもそもなくなる。良質な作品が話題性のあるコンテンツではないのだ。この場合、そこに介在する酷評――例えば『ゲド戦記』は超絶につまらない、など――さえも、そのコンテンツが話題の俎上にある価値を示す。
課題は、これらの話題性を伴うコンテンツが、質的評価を伴わなかったが故に、長く語り継がれる作品として世間に定着しなくなることにある。
1993年 若草物語 ナンとジョー先生(1987年に放送された、『愛の若草物語』の続編), 機動戦士Vガンダム
1994年 七つの海のティコ(1994年3月20日放送の9話まで)ハウス食品の一社提供だったのはここまで
1994年 七つの海のティコ(1994年4月17日放送の10話から)
タイトル |
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監督 |
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公開日 |
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時間 |
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配給 |
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備考 |
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天空の城ラピュタ |
宮崎駿 |
1986年8月2日 |
124分 |
東映 |
となりのトトロ |
宮崎駿 |
1988年4月16日 |
86分 |
東宝 |
『火垂るの墓』と同時上映 |
火垂るの墓 |
高畑勲 |
1988年4月16日 |
88分 |
東宝 |
『となりのトトロ』と同時上映 |
魔女の宅急便 |
宮崎駿 |
1989年7月29日 |
102分 |
東映 |
おもひでぽろぽろ |
高畑勲 |
1991年7月20日 |
119分 |
東宝 |
紅の豚 |
宮崎駿 |
1992年7月18日 |
93分 |
東宝 |
平成狸合戦ぽんぽこ |
高畑勲 |
1994年7月16日 |
119分 |
東宝 |
耳をすませば |
近藤喜文 |
1995年7月15日 |
111分 |
東宝 |
同時上映『On Your Mark』 |
もののけ姫 |
宮崎駿 |
1997年7月12日 |
133分 |
東宝 |
ホーホケキョ となりの山田くん |
高畑勲 |
1999年7月17日 |
104分 |
松竹 |
千と千尋の神隠し |
宮崎駿 |
2001年7月20日 |
125分 |
東宝 |
猫の恩返し |
森田宏幸 |
2002年7月20日 |
75分 |
東宝 |
同時上映『ギブリーズ episode2』 |
ハウルの動く城 |
宮崎駿 |
2004年11月20日 |
119分 |
東宝 |
ゲド戦記 |
宮崎吾朗 |
2006年7月29日 |
116分 |
東宝 |
崖の上のポニョ |
宮崎駿 |
2008年7月19日 |
101分 |
東宝 |
少し遅く帰ってきたから親父はもう食べ終わってて、母ちゃんが一人でテレビ見ながら夕飯食べてた。
炊飯器の隣に置いた14インチのテレビ、調子悪いときは母ちゃんが「あんたどうしたん?」って励ますように叩くと機嫌直す、そんな旧型。
母「うーん、なんかねぇ、声がね・・・」
俺「えっ?」
母「声が変なんよ、これ。」
俺「調子わるいん?(テレビのことね)」
母「いや、全部棒読みっていうか・・・」
帰ってきたのは10時ごろだったと思う、よくCMで聞いた「○○を粗末にする奴はだいっきらいだ!」というセリフのシーンがちょうど出てきた。
俺「うーん、なんか合ってないよね」
母「そぅ。どうも、浮いてる感じがするんよ」
母ちゃんは阪神の試合結果が気になってるけどチャンネルはかえない、とりあえず最後まで観ておこうという気持ちのようだ。
母「こないだのもそうやったよね?」
母「そぅ、あれ。あれもなんか変な感じやったもんね。」
俺「そだね、あの女の子、ういういしくない感じやし、キムタクはまんまキムタクやったし」
母「最近そうゆーの多いね。声、聴いてて、あれ?あれ?とか思ってるうちに終わるの」
かあちゃんは映画というと夜九時のをたまに観たり、平日の昼間にやってる古い映画(特攻野郎Aチームみたいなの)を見る程度だ。「声優(せいゆう)」なんて言葉聞いたことないだろうから、言ってみてもたぶん「西友(せいゆー)」と脳内変換するだろうな。そういうシロウトが変だと言っているんだから絶対に声が変だ、これは間違いない。ジブリに対して「王さまは裸!」と言えるのはうちのかあちゃんみたいなシロウト、というより日本テレビやジブリ系の巨大宣伝網からも対象外にされた高齢者ではないだろうか?
そう考えてふと気づいたんだけど、若者層の自分はなんとなくジブリ作品は見なきゃという圧力を感じている気がする。「こーころをなにに、」とか街歩いてて聞こえてくるし、コンビニ行けばキャンペーンやってるし、女の子はみんなジブリ大好きだし、mixi見たら10人に一人くらいはジブリ関連のコミュ入ってるし。
そういえばナントカの城もとりあえずデートというときに見に行った。映画館出てまず、「面白かったねー」とニコニコするのはジブリ作品を見た大人のマナー、そう思った。誰も批評なんて聞きたいとは思わない。そのときの相手もそうだったけど、最初の一言で反応を見て相手がヒトカドの意見を持ってそうだったら初めて本音を話してもいい、そういう雰囲気をお互いに感じた。他の人と話題にするときも「見た?」「見たよ」「えー、いいなぁ」みたいな会話しか聞いたことがないし、自分もそういうこと以外の話をしたことがない。
要は「見たかどうか」自体を話題にすれば興行的には大成功なわけだ、たぶんここがミソなんだろう。
だけど、そういうのじゃ何もあとに残らないと思うんだけど。話題づくりを何段も仕込んでおいて、でっかいキャンペーン張って、興行収入がいくらだったとかいうニュースを出して、しばらくしたらDVD販売合戦やって、新作の前にテレビ初放映やって。いつものパターンなんだろうけど、あとで冷静になってみると、「で、あれは結局なんだったんだ?」という疑問が今更になって出てくるんだよね。社会全体に陽圧がかかってるからなかなか気づかなかったんだけど。ジブリに限らず映画宣伝そのものが妙な空気持ってるのかもしれないね。
書いてるうちに話がずれたけど、無名の声優さんが普通にやってくれれば、それと大受けを狙わずにそこそこパンクにやってくれたらと思った。最後に、俺と母ちゃんとで「なんちゃらの神隠し」はよかったよね、という意見で一致したことを伝えておこう。
いや、宣伝側だって、「できちゃったもんはしかたねーだろ」とか開き直られて冷や汗かきながら知恵絞ってるのかもしれない、なんてこと考え始めると本当に考えがまとまらなくなってくる。少し考えを保留するためにここに書き残してみた。