はてなキーワード: ゲド戦記とは
だから卑怯者の自分は書くものを使い分けてる
ex.どこどこの店に食べに行ったらあんまり美味しくなかった
知らない人からリアクション欲しい 肯定的でも否定的でもいいけどそんなに議論したくない→2ch雑談板
ex.最近ようやくゲド戦記原作読んでジブリ版見た やっぱジブリひでえな!
知らない人からリアクション欲しい 一刀両断されてもうれしい→anond
自分でコントロールしてる 明らかにアンフェア 全部顕名で書けよな人には怒られるだろう
でもそれでいいと思ってる 無責任に受け流せるようにしておけばいいんだ
どのフェーズを選ぶかは情報の縦のつながりや横のつながりと天秤にかけて自分で選べばいい
全部オープンな自分のブログに書くというのはそのメリットとリスクを背負うことだ
もちろんうまくいったときだけ「これ自分が書いたんだよ!」と言ってしまうことは可能
でも改心の一撃を繰り出したときだけ自分の手柄にしたいなんてやっぱり傲慢だから
そこはトレードオフだ
でもなんていうかめんどくさいし疲れるんだよね
ニュー速+やはてぶネガティブコメントといった負のエネルギーはちょっとうらやましい
よくあんなに精力的にやれるものだと思う
自分は結局はてぶホッテントリにフリーライドしつつ情報はGmailに投げちゃってる
新しい価値産まないしタコツボ化に消極貢献してしまっていることはよく分かってる
でもなんていうかめんどくさいし疲れるんだよね
思いっきり周回遅れでやっと映画「ゲド戦記」を見たわけだが、感想は多くの人と同じ。これではジブリ作品の将来があやぶまれる。今まで、ナウシカ・トトロ・宅急便・ラピュタなどの超一流作品を宮崎駿監督の指揮のもとに出して来たスタジオジブリ。優秀なスタッフを抱えていても、監督が違うだけでこんなにも出来が違うとは。結局は監督なんだな、と。
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思いっきり周回遅れでやっと映画「ゲド戦記」を見たわけだが、感想は多くの人と同じ。これではジブリ作品の将来があやぶまれる。今まで、ナウシカ・トトロ・宅急便・ラピュタなどの超一流作品を宮崎駿監督の指揮のもとに出して来たスタジオジブリ。優秀なスタッフを抱えていても、監督が違うだけでこんなにも出来が違うとは。結局は監督なんだな、と。
「ゲド戦記」を見てあらためて認識したのは、宮崎駿が作る「世界観」の説得力のすごさ。子供にしか見えないネコバス、毒をまき散らす腐海、飛行石、神様たちの銭湯ーそんな、本来ありえないものを題材にしながら、わずか最初の五分間で彼が作り出した世界が妙に納得できてしまい、あとはワクワクドキドキしながらストーリーを楽しむだけ。それが宮崎マジックである。
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思いっきり周回遅れでやっと映画「ゲド戦記」を見たわけだが、感想は多くの人と同じ。これではジブリ作品の将来があやぶまれる。今まで、ナウシカ・トトロ・宅急便・ラピュタなどの超一流作品を宮崎駿監督の指揮のもとに出して来たスタジオジブリ。優秀なスタッフを抱えていても、監督が違うだけでこんなにも出来が違うとは。結局は監督なんだな、と。
「ゲド戦記」を見てあらためて認識したのは、宮崎駿が作る「世界観」の説得力のすごさ。子供にしか見えないネコバス、毒をまき散らす腐海、飛行石、神様たちの銭湯ーそんな、本来ありえないものを題材にしながら、わずか最初の五分間で彼が作り出した世界が妙に納得できてしまい、あとはワクワクドキドキしながらストーリーを楽しむだけ。それが宮崎マジックである。
映画「ゲド戦記」の一番の問題は、この「観客に映画の中の世界観を瞬時に納得させる力」の欠如である。あんなに「入って行けない」映画は久しぶりであった。映画が作り出す世界観が納得できないままでは、主人公の気持ちも伝わって来ないし、ワクワクドキドキもしない。Wikipediaのスタジオジブリの項目に書かれている「宮崎(駿)と高畑の2人が引退したらジブリも終わる」という言葉も納得できる。少し寂しい気もするが、これだけ映画が産業として成熟しているにも関わらず、良い作品を作る力が一個人に属しているというのは、なんだかそれはそれでうれしいような気もする。
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思いっきり周回遅れでやっと映画「ゲド戦記」を見たわけだが、感想は多くの人と同じ。これではジブリ作品の将来があやぶまれる。今まで、ナウシカ・トトロ・宅急便・ラピュタなどの超一流作品を宮崎駿監督の指揮のもとに出して来たスタジオジブリ。優秀なスタッフを抱えていても、監督が違うだけでこんなにも出来が違うとは。結局は監督なんだな、と。
「ゲド戦記」を見てあらためて認識したのは、宮崎駿が作る「世界観」の説得力のすごさ。子供にしか見えないネコバス、毒をまき散らす腐海、飛行石、神様たちの銭湯ーそんな、本来ありえないものを題材にしながら、わずか最初の五分間で彼が作り出した世界が妙に納得できてしまい、あとはワクワクドキドキしながらストーリーを楽しむだけ。それが宮崎マジックである。
映画「ゲド戦記」の一番の問題は、この「観客に映画の中の世界観を瞬時に納得させる力」の欠如である。あんなに「入って行けない」映画は久しぶりであった。映画が作り出す世界観が納得できないままでは、主人公の気持ちも伝わって来ないし、ワクワクドキドキもしない。Wikipediaのスタジオジブリの項目に書かれている「宮崎(駿)と高畑の2人が引退したらジブリも終わる」という言葉も納得できる。少し寂しい気もするが、これだけ映画が産業として成熟しているにも関わらず、良い作品を作る力が一個人に属しているというのは、なんだかそれはそれでうれしいような気もする。
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中村 -この前の合宿で『ゲド戦記』の第4巻について、ずいぶん議論したんですが・・・
宮崎 -聞いただけで寒気がするよ(笑)。『ゲド戦記』の4巻目は読んでないんですよ。4巻目が出たと聞いた瞬間に、絶対読まないって決めてた。友人が読んだというから、「バカだなお前」って言ったら、「やっぱりバカだった」って(笑)
宮崎 -だって、3巻目までは物語だったはずでしょ。多分その後書こうとすると、物語じゃなくなるよね。違う?ル=グウィンはフェミニズム運動でいつも槍玉にあがっている人だから、多分罪ほろぼしに書いたんだろう、という気がした。
拓弥 -まさに、ル=グウィンは後書きでそんなこと言っていました。
宮崎 -そうですか。だから、なんでそんなことして書くんだろう、ってね。僕は4巻目はくだらないと思うんですよ。読んでないのに言ってるけどね。3巻目まで終わってるのになんで書く必要があるんだろうと思いました。「白い手のテナー」で、いいじゃないねぇ。
宮崎 -それがババアになろうが何になろうが、そんな事は当たり前のことでね。亭主がくだらなくなろうが、そんなこと知ったこっちゃない。まぁそんな話はどうでもいいや。
拓弥 -宮崎さんはル=グウィンがお好きだと聞いていたんですが・・・
宮崎 -ル=グウィンは、断片はいいものを持っている人だと思うけれど、まぁ『闇の左手』なんかでも、本当の事を言うと、もういいよ、という感じですね。しんどいです、読むのが。アースシーの魔法使いをやってるほうがいいんじゃないのかな。僕はそう思います。あと、短編でときどき面白いものにぶつかることがあるんだけど、特に好きな話かといったら、そうでもない。面白い話もあるんだけれど、僕自身は、やっぱりアースシーの魔法使いの話が一番面白いな。がっかりする人もいるかもしれないけど。
平山 -ああ、がっかりしてます(一同笑)。
宮崎 -彼はル=グウィンのファンなの?そうだね、ハシバミの実の殻に蟻が字を書いているのを解読するという話があったでしょ。
平山 -はい、ありました。
宮崎 -あそこら編なんかは、どきっとして、すげえなと思うんだけど、そのあと続かないんだよね(笑)。その後読んでくと全然違う話で、もういいや、っていう感じで。
宮崎 -冒頭のその瞬間だけ、ものすごく興奮したんですけど、その後が続かないんですよね。
宮崎駿インタビュー , Juvenilia 32 東京大学児童文学を読む会1996年駒場祭号別冊
ダンボール箱の中から発掘されたので、ル=グウィンに言及している部分だけ貼っときます。
http://www.ghibli.jp/000283.html
もどうぞ。
おきてポルシェです。
スゲー スペースアルクすげぇー!!
ポルシェで検索したら
ポルシェ計画
がでてきたよ。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/mad_amano.htm
海水からも水素ガスの生産が可能であり、横浜国大の太田博士はそれをポルシェ計画と名づけて研究開発中です。水素が第三文明期のエネルギー源の中心です。
http://www.nedo.go.jp/kankobutsu/report/811/811-1.html
すごいなポルシェ計画。
増田が考えたアトランティス計画はもっとすごいよ!とんでもだよ!!
・筏で海洋上に藻場をつくる
・帆を張って場所をある程度の稼動が可能
・筏同士をリレーションさせて護送船団化させる
・雨水により水を確保
・風力潮力太陽光による発電
・藻場による稚魚の養殖
・海草類からバイオエタノールの精製
・大型の網で下部を覆う(落下した海草の採集、藻類の苗床)
もう、なんていうかマングローブが南方なのに海草類が北方という緯度のよくわからない
http://eco.nikkei.co.jp/column/article.aspx?id=20070703cd000cd&page=2
日本海の大和堆で1万平方キロの海域(100km四方!)を確保し、海草を育てて、それから燃料を作ろうという計算もなされている。なんと、2000万キロリットルが供給可能ということで、これは現状で30%の自給が可能だということを意味する。もしも、車自体を改善し、燃費を3倍にすれば、全量の自給が可能になる。詳細は不明だが、どうやら発酵法は採用しないらしい。しかし、常識的に考えて、どうやって海草を集めるのか、海草に含まれる水分をどうするのか、セルロース・ヘミセルロースの分解をどうするのか、アルコールをどうやって作るのか、などクリアーすべき課題満載状態だろう。
なんか既に計画を練ってる人がいるっぽい。
藻類からアルコールは比較的簡単につくれるような気がするのは気のせいだろうか…。
大渦のところに藻の塊をつくって
「竜の巣だっ!!」
「おばさん!あの中だ!」
と、潜水艦に乗ったドーラ一家に言わせるのが夢なんだ。
(今できた夢だけど)
「人間は大地から離れては生きられないのよ!!」
と1人の少女の破壊工作によりアトランティスは一夜にして海の底に沈んでいきましたとさ。
なにかゲド戦記にでてきた海の民みたいだ。
ヌルオタのたわごとなので、ツッコミたい方はどうぞ。
少し前に、再びファンタジーが流行るっていう言説をちらちら見たんだけど、「ゲド戦記」があれな感じだったし、「ブレイブストーリー」はそれな感じだった。いや、見てないけど。評判の話ね、評判。
俺には最近の若い衆の感性は分からんけれども、団塊Jr世代としては、正統ファンタジーの世界観…というか、いかにもRPG的な(といえば良いのか?)ファンタジーの世界観みたいなものにはなんか、いい加減、限界を感じるというか、正直、陳腐さしか感じない。
もちろん、欧米の肉を食っている連中が作ったファンタジーにはある程度の説得力がある…「ロードオブザリング」やら、「ハリポタ」やらには。連中の身の丈にあったファンタジーだから、それなりのリアリティの裏づけがある。(でもぶっちゃけあんまりたいしたことないよな、みたいな部分もある)
日本のファンタジーの場合、一般認識として良く知られるようになったのは、ドラクエとかロードスとかゲームからである訳だから、リアリティの部分では、どうにもこうにもならないというか(結局、ベルセルクで一番評価された部分はリアリティだと思う)。さらに言えば、日本の場合、アニメとかマンガがメインストリームだし、リアリティ問題というのはかなり大きいと思ったりとかしていた。(かといって、実写の時代劇を求めているわけではないんだけれども…)
まあ、例外的に、アニメの「蟲師」とか、良い作品もあったけれど、ああいう(後期(笑)の宮崎駿のにおいを感じるような)土着的なアプローチもあるけど、あれは、90年代後半の残滓というべきもので、流行るんだったら、また違うアプローチのファンタジーではないかとは思っていた。
まあ、そんなことを思っていた訳だが。
そんなときに、漫画版「皇国の守護者」とライトノベル「ジョン平と僕と」を読んで衝撃を受けた。
(以下、ちょっとだけネタばれするので、注意!)
まず、「皇国の守護者」だが、従来のファンタジーの枠を超えている作品であることは誰しも認めざるを得ないと思う。まず、舞台は、土星のような輪のある地球とは別の惑星らしい(輪は夜、地上からは光って見えるので、「光帯」と呼ばれている)。で、竜がいる。(弱いながらも)魔法もある。じゃあ、ベタベタのファンタジーか?まったく違う。それらはあくまでも脇役だ。これは戦争の漫画である。具体的に言うと、テクノロジー的には明治維新より少し前(+竜や魔法)のレベルで戦争するのだ(蒸気船が実用化した程度のレベル)。そして、主人公の名前は「新城直衛」中尉(日本人名!)。強大な侵略者はドイツやロシアみたいな名前の人物たち!彼はそいつらを相手に絶望的な戦いをしたたかに切り抜けていく。すごい!燃えるぜ!
もう一方の「ジョン平と僕と」も、ちょっと変わったファンタジーだ。ほとんど、現代日本に近い世界だが、魔法が日常的に使われる世界。まあ、使い魔とか魔法の仕組みの説明とか、お約束があるものの、何よりすごいのは、その「呪文(のシステム)」だ(と思う)。ネタばれになるので書かないけれど、こういう身近な材料を使ったオリジナルの世界観って大事だよな、と再確認させてくれるものだ。で、主人公の重(しげる)少年も一生懸命戦う。もっとも、読後は、失恋に似た味わいがあったが…。
とつらつら書いてきて思ったのは、俺自身のファンタジーのツボというのは、「身近な材料を使ったオリジナルの世界観」の中で、「一生懸命戦う」ことだと思った。「感情移入を阻害しない程度の異化作用の持つ独自ルールの中の世界の中」で、知恵と勇気を振り絞り、ぎりぎりで戦う。彼らの「一生懸命さ」、「ひたむきさ」に心打たれる。マジで泣いてしまった(…年だ)。
今でも、「独自の世界観のファンタジー」が次に来るのではないかという言説が一部であるが、さて、どうなんだろう。来年、どういう作品が出てくるのか楽しみだ。