はてなキーワード: じゃがいもとは
じゃがいもが入ってれば足りる。
ようこそ、ベジタリアンの世界へ。元々魚は食べなくはないが肉は一切口にしないベジタリアンです。肉使ってない料理がほとんどない中華やアジア系エスニックの店は、基本的に食べるものがないです。友達と飲みに行くときは、冷奴とか厚揚げとか枝豆があるオーソドックスな居酒屋がほとんど。最近はヴィーガン対応の店も増えてきたけど、そのへんにそうそうあるわけではないから、日常の選択肢にならないんですよね。
元増田は糖質避けたいようだし、魚受け付けないとなると出汁が厳しいかもしれないけど、私は、外食は、そば・うどんが多いです。きつね(油揚げ)、とろろ、わかめ、大根おろしなど。卵が食べれるのなら、月見そば・うどんという選択肢もあり。
あとは既出だけどイタリアン(スパゲッティのアラビアータ、ペペロンチーノなど、またリゾットやピザなど、野菜・乳製品しか使っていないメニューはけっこうある)、インドやネパールのカレー(店員さんに「ベジタリアンです」と言うと話が早いよ)、お好み焼き・もんじゃ焼き(かつおぶしやさくらえびがダメでも、店の人に言えば抜いて作ってもらえる)。食材としては、じゃがいも料理、アボカド料理は、特にベジ向けのお店でなくても、かなりの確率でベジ対応じゃないかなと思います。
あと、牛丼の吉野家に「ベジ定食」ってのがあるみたいですよ。私は店内の肉の臭いで気分が悪くなるので吉野家には入れないんだけど……。チェーン店なら「てんや」が野菜だけで食事ができます。天つゆが魚の出汁なので、それがだめな場合は、「マイ塩」を持って歩くべし。天ぷら専用なら、抹茶塩やカレー塩を持ってると通な感じ(「てんや」にはオーバースペックかも)。
私はダイエットをしています。具体的な数字は書きませんが、今の体重はBMI19.5~20.5ぐらいです。目標はBMI18ぐらい。
今までいくつかのダイエット法を試してきました。断食、○○だけ(私がやったのは豆腐、じゃがいも、スムージーなど)、ランニング等々。どれも無茶な方法で、一時期すとんと落ちても、すぐにリバウンドしてしまいましたが。今やってるのは、栄養を考えつつのカロリー制限です。
正直、ダイエットなんて楽しくないです。楽しくないどころか、辛い。体重計に乗っては、数百グラムの体重変動に一喜一憂する毎日。ここ最近なんて、食事を変えた訳でもないのに1日300グラムずつも増えてしまっています。朝から泣きそうになりました。
たかが数百グラム、とあざ笑われようとも、私にとっては一大事なんですよね。そしてそんなことで一大事って思うのが本当に嫌です。あほらしいですね。馬鹿馬鹿しいです。
辛いって言うくせに、誰かに強制されてる訳でもないのに、なんでダイエットをしているのかというと、私が自分のことを嫌いだからです。
嫌いって言うと言葉が強いですかね。気に食わない、と言い換えた方がいいでしょうか。とにかく、自分に自信がなくて、自分を見ていられないんです。鏡はさすがに見れますが、写真は写りたくないです。極力写らないようにしてますが、たまに撮られてしまって、写真に写った自分を見てしまうと、胃の中がぐるぐるして吐き気がします。今すぐに破って燃やしたくなります。よくこんな身体で、顔で、この世を生きてるなって自分が恥ずかしくて、恥ずかしくて、恐ろしくなります。
自分が嫌で、自分が気に食わないから、顔は変えられないとしても、少しでも細くなって人並みに見られるようになりたいって思ったのが、ダイエットの理由です。
じゃあなんで早くガリガリにならないんだって思う人がいるかもしれません。気に食わないから早く痩せればいいじゃないか、と。私は体重だけ見ると、いわゆる平々凡々な体型です。こんなに自分が嫌だって言ってるのに、結局こんなぐらいしか細くなれてないじゃないかって言われてしまうかもしれません。
それは、私が弱いからです。ダイエットが辛くて、もうヤケになってドカ食いを繰り返しているからです。この間もドカ食いで4キロ体重が増えて、やっとここまで落としました。あほですね。笑ってやってください。
私は痩せたいです。すごく痩せたい。せめて体型ぐらいは自信を持って人に見せられるぐらいになりたい。こんな性格の上に、顔がこんなんで、さらに体型がこれなんて、ますます誰からも愛して貰えなくなる。ますます誰からも見向きもされなくなる。寂しい。そんなことも出来ない自分が情けない。痩せたいなんて言いつつ、幾度となく腹に詰め込んではリバウンドを繰り返して、それでも痩せたいなんてほざく自分が情けない。自分が馬鹿すぎる。自分が情けなくて、辛くて、消えてしまいたい。なんで痩せられないんだって自分で自分を責めるくせに、ダイエットで辛い思いはもうしたくないなんて思ってる。本当に馬鹿。辛い思いをしなければいけないぐらいにぶくぶくに太ったのは私なのに。完全に自業自得なのに。ダイエットを止めたい。もうカロリーに怯えて、太るのに怯えるのが辛い。でも、痩せなきゃ。つらい。ダイエットしなきゃ。なんで太ってしまったんだろう。過去の私が憎い。自分の身体が憎い。食べたい。思いっきり好きなものを食べたい。でも、また太る。やだ。怖い。太った自分を見られたくない。こんな体型で。ダイエットしなきゃ。誰からも見向きもされない、こんな状況が寂しい。もうやだ。ダイエットしなきゃ。私が私を愛せなくなる。
寒くなるとおでんが食べたくなる
子供の頃はまだコンビニなんてなくて近くの居酒屋とかにおでんを貰いに行ってた
鍋一つもって親から買うもの聞いてお店にいっておでんを入れてもらう
酒を囲んでいかついおっさんたちが楽しそうにしてて、僕の父親はそういう輪の中の一員だったのでよく酒を飲まされた
苦いし臭いしまったく美味しくないが口につけないわけにいかないのでコップの三分の一とかそのへんくらいまでちびちび飲んだ
そうこうしてるとおでんの用意ができるのでこぼさないようにもって帰る
じゃがいもはやく食べたいなって気持ちのまま家に帰ってたと思う
家での父親はたいてい酔っ払ってた
もうそんな時代から40年は経ってるわけでうろ覚えもいいとこだ
父親はもういない
林業で鍛えられた浅黒い肌にがっちりした筋肉、のこぎりで大怪我をした背中の傷や、周りにいた荒くれたおっさんたち
もうすぐ命日がやってくる
その年の暮れ、初めて雪が降ったその夜に眠るように息を引き取った
中学生からおっかけになって、かれこれ15年くらい何らかのヲタクをやって生きている。ジャニーズ、お笑い、女子アイドル…いろいろなものを追い掛けて、応援しているのが生き甲斐だった。逆を返すとそれ以外生き甲斐のない人間だ。だから自分の持ちうる時間もお金も全力で注ぐのは苦痛じゃない。幸い、今まで好きになった人たちは上昇志向が強く、明確な目標があって、ファンの応援を必要としている人ばかりだった。はてブロやtwitterなどで良さを広める、チケットを買う、CDを買う、友達を連れて行く、感想の手紙を送る。奢りかもしれないけど、上昇志向の強い芸能人を応援する上で、自分のヲタクのやり方が間違ってはいなかったと思う。
晩夏、新しい人を好きになった。誰かを好きになるのは理屈じゃなくて一瞬だ。それは恋愛だって、追っかけの対象だって同じなのだ。
新しく好きになった人は劇団の俳優さんだった。いま、私はどうやってその人の応援をすれば良いか分からない。
多分、現状に満足していてこの状態が続けば良いと思っている。劇団の仕事以外はほぼ仕事がない。けれど上昇志向はない。大きな劇団の中堅の俳優さんなので首になることはまずないだろう。特に自分個人へのファンは求めていない感じがする。劇団へのファンは歓迎の節だが、自分のファン、というものに対しては反応が薄い。
彼の舞台を見るのは楽しい。胸が高鳴るし、同じ演目でも何度だって見たい。
なのに、やっぱり何故か満たされない。とてもショックだ。けれど、それは満たされないことに対してではない。求められたくてヲタクをしているわけではない、と思っていたのに、私はやはりどこか求めてほしかった、ということに気付いてしまったからだ。自分のしたことを喜んでもらえる、目に見えて反応がもらえるということの甘美さに私はちっとも気付いていなかった。すごく、すごく、恥ずかしい。
書いていても何を言いたいか分からないんだけど、とりあえずいま、どういう風に応援したら良いか分からない。いや、ファンなんだから普通に見に行けばいいんだけど。だけど反応がないとどうしても悪い考えがよぎる。ファンレターも迷惑かもしれないし、多ステも気持ち悪いと思われてるかもしれない。逆に、じゃがいもみたいに何とも思われてないかもしれない。私は気持ちが悪いことにそのどちらも嫌なのだ。個としての認知はいらないが、ファンの塊として「いつもありがとう。応援してもらえて嬉しい」とは思ってほしい。気持ちが悪いけど、どうしてもその欲を捨てられない。
友人みんなから「あなたに合ってない推しだね」と言われる。私もそう思う。応援されるのが好きで、褒められるのが好きで、愛されるのが好きな人を応援する方が私は幸せだと思う。でも、好きなのだ。舞台の上で一瞬で分かるその声が、情けない役ほど似合う困り顔が、日替わりで繰り出す小ボケが、キメるときはキメる姿が、とにかく大好きなのだ。いつか、この気持ちも笑い話に出来るかもしれない。