はてなキーワード: お葬式とは
こないだ行った精神科で初診の問診表に「家族に以下の方はみえますか」的な質問があったんだけど、
家族って言うかひいじいさんなんだけど。
死因を知ったのはつい二、三年前のことだったのでインパクトにかけてすっかり忘れてた。
母方の実家は自営の会社が倒産しておじ夫婦が夜逃げ同然で引っ越して、
そういえばその設定は忘れてたよ、いやはや。
そういえば倒産した会社の方のおじは転んだのが原因で血栓が出来て頭を手術したそうだけど、
それが原因でバイトをやめることになって、嫁さんに「もうお前なんかいらんから出てけ」って言われた、と、
母のおじ(じいさんの弟で自殺した人の息子)がわざわざ触れ回りに来たそうな。
「人生」とは、いったい何だろう。そんなことを思ったことはありませんか。
私なりに考えをまとめましたので、読みたい人は読んでください。
まず、日が出て沈み季節が変わり桜が咲いて散るように
全ては無常であり
壊れないものはなく、「人」も1秒もすれば、1秒前とは違う人間になっている
生まれたら死に向かって進んでいきます。
よくお葬式で泣いている人がいるが
人が死ぬのはあたりまえのこと。死んでも悲しむ必要はないです。
殺さず盗まず他人に迷惑をかけず
欲を出しすぎず、怠けず。
生きるためには食べ物が必要なので
そして誰か知らない人も、嫌いな人も。人だけでなく
そういう気持ちで瞬間瞬間を生きていき、やがて死ぬ
でも、人は欲が大きくあれがほしい
どうすればいいのか、その答えを書きます。
いま、この瞬間にやっていることが
「今やるべきことだ」と強い確信を持っていたら
GTDというやり方があるのでググってみてください。
これを読んだあなたが
妻は、悲しんだり喜んだりする感情が薄い。ほぼ無いといっても言いぐらいだ。
結婚してから10年以上になるが、涙を流しているのを見たのは1回だけ。
おいらが結婚して仙台から静岡まで嫁を連れていくときに、途中の福島のホテルで夜に「帰りたい」と言って泣いた。
それだけ。しかもそれもほんの10秒程度で、すぐにいつもの嫁に戻っていた。
喜んでいる所さえもほとんど見たことがない。
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妻は実は苦労人だ。
小さいころ両親が離婚し、父親側についたが、父親も飲んだ暮れで女遊びや博打がひどく
多額の借金を抱えている。
おいらの会社がだんだんと大きくなってくると、何度も無心をしてくるような輩だ。
そんな状況だから嫁は学生時分から兄弟3人を半ば養っていたに近い。
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いつ寝てるんだ、という生活を8年近く続けていた。
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嫁は飲んだ暮れのおやじと二人で滅入っていた。
嫁はおいらが何とかしなきゃと思い、結婚を申し込んだ。
ろくすっぽ付き合ってもいなかった。
嫁はうんともすんともいわなかった。
しかし一緒に来てくれた。
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その後だって、好きとも嫌いとも言われたこともない。
嫁に言わせりゃ、自分を取り巻く環境が変わり、生活のために結婚した、というが
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昨晩、嫁のおかあが無くなった。
癌だった。
嫁は二人の小さい子供をつれて、木曜日におかあのところに新幹線で行った。
基本的に連絡もほとんど取り合わないおいらたちの間だが、
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おいらは体調が優れずかつ仕事に追われていたので、特に返事をしなかった。
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そしてその日の夜、突然亡くなった。
夜中の2時56分ごろに電話がなり、不眠症もちで寝れずにもたもたしていたおいらはすぐにピンと来た。
「おかあ、亡くなったから。それだけ」
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嫁はおかあのことだけは、この世で慕っていた。
おかあおかあといつも言っていた。
おかあの面倒を見たいと、柄にも無いことを言っていたことさえある。
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おいらは今、新幹線に乗り、嫁の亡くなったおかあのところに向かっている。
おいらは感情のない嫁を何とかしてあげたいと思い続けている。
おかあもそれをおいらに言いたかったんだと思う。
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2ヶ月前に癌が宣告され、最後の旅行と言うことでおかあをつれて嫁含めて旅行に行った。
おかあは、おいらがそこそこの会社で働き、家も購入し、安定していることに深く感謝していた。
ただただ泣きながら嫁をお願いされた。
嫁は何でこうなってしまったんだろう、と後悔の念も口にしていた。
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でもそれは本心で、いつか嫁が心から笑ったり心から感動して泣いたりしてくれるよう
おいらは妻が安心できる状況を作りだすんだ。
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おいらはおかあにそれを約束しに行く。
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ありがとう、おかあ。
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ーーーーー
おかあは冷たくなっていた。
おかあは本当に亡くなってしまっていた。
おいら、おかあに謝りたいことがあるんだ・・・
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おかあは貧乏だった。
おかあは離婚後、よせばいいのに飲み屋で知り合った男性と一緒に暮らしていた。
いい人だったが、お金は全く稼いでこなかった。
おかあは毎日、せこせこせこせこと新聞配達や清掃のパートで働いていた。
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おいらも嫁もおかあが人と仲良く話しているのを見たことがなかった。
どちらかと言うと気が強く、
平気で近所の人と喧嘩するぐらいの威勢の良さだった。
それはそれで格好良かった。
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おいらはおかあのことが好きだった。
しかしおいらは正直、おかあの家に泊まるのが嫌だった。
おいらは全く心が休まらなかった。
言葉は悪いけど、おかあの家で出された食事も気が進まなかった。
嫁がおかあの家に泊まりたい、というと
おいらは何かしら理由をつけて遠ざけた。
嫁はそんな気を察して、おいらに不満をストレートにぶつけてきた。
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2DKの広めのアパートだったが、やはりおいらは泊まるのがいやだった。
広さの割りに家賃がべらぼうに安く、住んでいる住民たちもおかしな感じで、
遊びに来ているおいらたち家族に、聞こえるようにいやみを言ってきたりした。
壁もヒビだらけで、お風呂は今にも崩れんばかりであった。
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おいらはおかあを心のどこかで遠ざけていた。
それは、貧乏だったり、家がぼろかったり、汚かったりという理由だった。
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しかしおかあのもとには、80名以上の方がいらっしゃってくれた。
おかあは孤独ではなかった。
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嫁の弟が大きな声で呼んできた。
「おかあにお別れの言葉を読んでくれる人が来たよ!」
そんな人いたんだ、と皆驚いた。
物静かで清楚な感じの女性だった。
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「私によくお孫さんの話をしてくださいました。」
「二人目のお孫さんが生まれたあと、少しでも孫が来やすい様にと、広めの家に越されたんです」
・・・・・。
おいらは号泣した。人目をはばからず大きな嗚咽を出して泣いた。
おいらは雷に打たれたような気分になり、自分の気持ちと態度を恥じた。
おいらはどれだけバカなんだ。。
おかあはおいらたち家族が来てくれることを、何よりも楽しみにしていたんだ。
それなのになぜ、相手の気持ちも汲み取れず、自分の気分で判断をしていたんだ。
人間としてクズだ。本当に情けない。自分が許せない。。。ばかだ!ばかだ!ばかだ!!!
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そしてお葬式が終わった。
とにかく一からやり直さないといけない。
人として、おかあのように立派な人間にならないといけない。
こんなんで妻のことをきちんと養っていけるのだろうか?
小さな子供を立派に育てることができるのだろうか?
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そのなことを考えているうちに、ふと現実に戻った。
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おいらは嫁に聞いた。
嫁は抑揚のない声で淡々と言った。
「おかあは、葬式代もお墓も住んでいた家の整理も、その他すべて自分で整理して死んでいった。
おいらは再び号泣した。
だっておかあはお金もないのに、日雇いのお酒好きを養っていたんだよ。
なぜできたの?
おいらだったら延命したいとしがみついて、自分の亡き後のことなんて考えられないよ。
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おいらはもう一度やりなおす。
おいらは会社で若くしてそれなりの立場となり有頂天になっていたのだ。
おいらは新しいマンションを手に入れて、身の丈以上のモノや環境を手に入れていただけなのだ。
おいらは変わる。
おいらはおかあの前に自信を持って出れる人間になる。
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おかあ、ごめんなさい。
そして本当にありがとう。
自分ってアスペルガーと空気読めない人の間くらいなんじゃないかって悩んでる人って結構いるんじゃないだろうか。
私はアスペルガー症候群の存在を知って、自分ってもしかしてって思ったし、友達にもそんなのはいる。にちゃん見てても自分は障害とか言い出して叩かれてる人って結構いた気がする。
自慢だけど父親は賢い。京大出て研究職してるし、小学生の時には微分積分わかってたとか自慢された。ただ空気読めない。急に出かけるとか言い出して、すぐに支度しろあと5分とか言い出す。出かけたくないっていうとメチャクチャ怒る。
母の買ってきた棚をノコギリで切り始めたりしたこともあったっけ。
最近分かったけど、どうもこちらを威圧したいわけじゃなく、なんかもう本人もわけがわかってない様子。自分が怒ってる時の相手の表情なんか絶対見れてないし、こっちが怖がってることも気づいてなかったんじゃないだろうか。
×空気を読む
○空気を見る
みたいな記事読んだけど、ほんとにそうだと思う。
私自身について言えば中・高の時は男子の顔は全部同じに見えて、女子も髪型や体型が似通ってると無理。酷い時は1年経っても同じクラスの人間の8割の顔を覚えてなかった。写真どころか本人を見ても自分と同じクラスの人かどうかすら分からない。
大学入ってからは加えて先生の顔もわからない。しっかり毎回真面目に授業受けてたのに、その先生の部屋にレポート出しに行って、それが授業してた先生かどうかわからない。
××先生ならあっちのほうで見かけたよとか言われるとかなり困った。
ずっと自分は人の顔が覚えるのが苦手だと思ってた。
覚える前に見てないだけだった。
意識して目を見るようにしてみたら急に色々わかるようになった。今まで自分が相手の声色でしか反応を測ってなかったことに気付いたし、2・3回頑張れば顔の見分けがつくこともわかった。
相手がどんな人なのか憶測して噂話する面白さがわかった。
自分はアスペルガーなんじゃないかとかいうと、すごく怒る人の気持ちもわかる。
ほんとにアスペルガーだと、もっとすごい空気の読めなさなんだと。お葬式中に人間を焼いた煙がどうして灰色じゃなくて白色なのか気になってしょうがなくて、きちんと答えてもらえるまで周りの人に聞くのをやめないとか。
NHK教育でアスペルガーの子供向けの番組をやっているけど、黙って隣の子の消しゴム取ったらダメとか、ものすごくあたり前のことをやっててびっくりした。
ちょっと困るどころじゃなく周りの人全員から関係を断たれかねない言動をしばしば起こしてしまったら、確かに生活に支障を来たすし、障害と呼ばざるを得ないと思う。
しかし私だってずっと困っていたんだ。芸能人だと誰がタイプ?とか聞かれてアイドルは全部同じに見えるとか言えない。(顔は整ってるほど見分けが困難だ。)
話について行けなくて何度寂しい思いをしたことか。
みんなしっかり顔を見て覚えていたなら教えてくれたら良かったのに。というかそれまで自分が見ていなかったことに気づいて愕然としたというか。
顔の作りや表情を意識して見るようになって急に世界が広がった。
もし顔がさっぱり覚えられないという人がいたら、ぜひ一度周りの人の目を見て生活してみて欲しい。
サンプル数が少ないので、傾向といえるかどうか微妙なところですが、ここ20年から30年の間にできた新興住宅地でのお葬式について書いてみます。
このパターンが多いです。地縁が強いわけでもないので、町内会レベルだと町内会長さんがあとでその事実を知ってお参りにくるくらいの付き合いなのかもしれません。
家族と身近な親族のみで行うと、お香典のやり取りも省略され、見栄とは無縁の葬儀になります。
大きな花輪が出ることもないですし、広めの葬儀場でポツンとみたいなイメージになります。
子供の会社関係者や子供の友人には知らせずにそっとしておく傾向があるのではないかと思います。この対応で参列者はほとんどいなくなります。
80歳以上の高齢者の場合、友人や元会社の知り合い、兄弟がすでに他界していることが多いです。なくなった故人は、そのような人たちの葬儀にはいったのに、自身が亡くなったときには、関係者は身内のみしか生き残っていないことがありえます。
となると、葬儀に参列するのは主に子供と孫ということがこれから時代、増えていくのではないでしょうか。
地縁が残っている農村くらいになってしまったかもしれません。自宅の広間と仏間をぶち抜いて葬儀をするとなると、いろいろと人手がいります。
そのような互助ができる素地がないと難しいでしょう。
かつて地縁があった商店街では、店を閉めてしまい、それだけの盛大な葬儀を出す余裕がないと思います。現役の会社経営者のような人たちはまた別でしょう。
ああ お葬式で泣かないと 冷たい人と言われそう
「葬式を行うという行為に賛同しない人間は、葬式という行為に賛同しないことによって三つの側面、つまり自分自身から、他人から、社会から、じわじわと責められ続ける事になるのではないか?」
その通りだと思います。あなたがあなたの気持ちを大事にするのと同じように、周りの人もそれぞれの気持ちを大事にすれば、それらが一致しないところで軋轢が生まれるのは必定です。問題なのは、責め続けられることではなくて、責め続けられることをあなたが堪え難く思っていること、そして、それを自分に対する不当な扱いだと思っていることではありませんか。
でも、考えてみてください。あなたの親族や知人は、彼らの思っていることをあなたに述べているに過ぎません。もしかしたらその口調はあなたを責めているかもしれません。けれども、あなたは自分のしていることが他人から責められるようなことだとは思っていないのですから、これはもう、見解の相違というよりほかはないことです。だから、そういうことは言わせておけば良い。もし、あなた自身がそう言われることを堪え難いと思うなら、これはもう、あなた自身の問題です。周りの人に非難されることが自分の苦しさの原因であると思うなら、その先にあるのは、他人の口を封じることだけです。もちろん、自説を展開して説得を試みるのもいいでしょう。でも、相手を説得できなくてもそれは受入れざるをえませんよね。だって、あなた自身は自分の意見を変えるつもりはないんだから。だったら、周りの人の感性も認めましょう。
ちなみに、私もお葬式やお墓参りには何の意義も見出しませんが、行きがかり上参加することはあります。それらの行為は、死んだ人のためでもなく、ましてや自分のためでもなく、出席している遺族のためのものだと思っています。つまり、遺族に対する思いやりというところでしょうか。こんな気持ちでいることを知ったら怒る人もいるかもしれませんが、言わなければ分からないし、表向きは万事丸くおさまるので、私自身はそれで良しとしています。手を合わせる時は、何とも言えない気分ですが。
http://anond.hatelabo.jp/20110521222816
「本家の長男が祖父の葬式に出ないこと」と「葬式に出ないことに悲しみを感じないから行く必要を感じない」ということは別問題だ。
故人と個人的な交流があったというだけのことなら、葬式に出ようと出るまいと、個人の自由だ。私は友人の葬式には行ってない。死体と対面して「死んだんだ」と確認したくなかったからだ。死体を見なければ(今もどこかで元気でやってる)と思うことも出来るから行かなかった。
祖父はそうはいかない。本家分家システムを考えれば、本家の長男は祖父が守ってきたものを受け継ぐ立場にある。「葬式に出ない」ということは、すなわち「俺は何も受け継がない」と宣言するに等しい。「悲しみうんぬん」「個人の自由うんぬん」は何の関係もない。
葬式が産み出しているものは「葬式に出ないことを悲しいと思わない感性を持つ人間の排除」ではなくて、未だ、途切れそうにない「家制度の再確認」だ。
私の夫は3人兄弟で夫の兄が二人いますが二人ともニートか引きこもりだかなんだかわかりませんが全く働かず夫の実家ですねかじり生活を送っています。
義父も年金生活でしたのでこれからは義理の兄たちの収入が無くなります。
今後は義理の兄二人は義父の残した財産を切り崩して生活をしていかねばなりません。
夫は財産を放棄するかわりに義理の兄二人とは縁を切ると言っています。
過去にも何回か義理の兄の借金の取り立てが我が家にもきたことがあり我が家の電話番号を変えたり、義理の兄からはとんでもない迷惑をかけられていたので夫の実家とも疎遠になっていましたがいくら財産を放棄したからといって兄弟の縁は切れるものではないと思います。
近い将来、義理の父が残した財産を使い果たしたとき必ず我が家にやってくるにきまっています。そのときに無視はできないと思います。でも私の家計も夫と私が働いてこども二人を育てていて義理の兄、しかも二人も面倒をみてあげる余裕がある状態ではありません。
夫は義理の兄たちとは縁を切るから野垂れ死にしてもほって置けばいいと言っていますがそんなこと実際にできるわけないです。そんなことはしてはいけないです…。だけどそうしたら一生懸命働いて子育てをして真面目に生きている者が馬鹿をみるというとても理不尽な状況に陥ってしまいます。理性と現実の狭間で苦しいです。
夫の実家の財産は家しかないため現金が全くないので早急に家を売らねばならず義理の兄たちはたちまち住むところも無くなります。
一人だけならまだしも二人もいたら実家が売れても次に住むところの家賃と生活費ですぐお金は使い果たされることと思います。
こんな境遇の相手と結婚したばかりに脅かされる生活を送らねばなりません。
しかも兄のうちの一人はアル中なのですよ…。せめてお酒をやめてくれたら義理の兄たちの食費に回せるのに…。
こちらにも二人の子供たちがいるというのにこんなことで我が家の家計まで脅かされることがあってはいけないと思います。
私たちが頑張ってなんとかなるならもっと頑張るけどこればかりはどうしようもなく頭が痛いです。あまりにも苦しいから書き込みさせていただきました。皆様はどのように思われますか?
まあ、迷ってる人はいろんなブログの言及をみればいいんじゃないかな?
http://d.hatena.ne.jp/laevatein/20110226/1298673139
こんだけ金をつぎ込んでくれる固定客がいるコンテンツなので客の求めるものは分かりやすいし、このご時世なんだからまずは『売れるゲーム』を作るべき、ということで方向性は1つしか無かったはずなのにどうしてこんな事しちゃったんだろう?
http://d.hatena.ne.jp/p_wiz/20110224/p2
http://d.hatena.ne.jp/laelaps13/20110224
発売前から嫌な予感しかしなかったが、予想を遙かに超えるひどさだった・・・
ファンが絶対に望まないような展開をこれでもかと詰め込んでいるね。本当にバンナムはこれで受け入れられると思ったのだろうか・・・
http://d.hatena.ne.jp/Zannen/20110225
石原さんはニコ動に触発された部分もあるとかインタビューで発言していた気もしますが、どちらかというと薄い本に触発されてしまっている気がします。
http://d.hatena.ne.jp/torisuteram/20110226
竜宮小町発表くらいから期待でき無さそうだ、と思い始めてスルーしたわけだが状況は想像以上に酷いようだ。”1”が存在しない作品ならともかく改悪がひどすぎる感じだなぁ。制作側は面白いと思ってやったのだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/asagirikazusa/20110224#p61
辞めておいて正解だったぜ。
フゥハハハーハァー
http://d.hatena.ne.jp/BCC/20110224/p4
アイマス興味ないけど、前作を完全否定しているっていうのは分かった・・・
そりゃ理不尽な怒りが湧いてくるわ。
同じような心境を「かまいたちの夜2」プレイした時に沸いたな。あれも前作全否定でシナリオも微妙だというとんでもない地雷ゲーだった。まあアレ以上の酷さだろうけど。
というか男キャラ出した段階であんだけ非難され、発売前に散々分かってたことなのに、ファンの要望を無視するとか「どんな判断だ」。
http://d.hatena.ne.jp/bit666/20110223
http://d.hatena.ne.jp/qwqw/20110223
前作のファンの方々南無であります
http://inthedreams1114.blog66.fc2.com/blog-entry-152.html
ずっと事の推移を静かに見守ってきましたが、あまりにも心のないバンナムの対応。
ゲームの世界観は崩壊し、残された自分たちに出来ることは何もなかった。
中にはシュプレヒコールをし、最後の最後まで戦った方々もいたようですが、その声が開発陣に届くことはなかったようです。
・・・これでは団結など夢のまた夢。
http://d.hatena.ne.jp/mowamowa/20110223/1298515257
上記の修羅場系統 (特に枕営業) で、私はむしろうふうふしてしまう感じなのでアレなんですが、キャラをろくに攻略もしてない状態の私ですら各キャラに固定観念みたいのが既に多少あると言う状態で上のを見ると結構「うわぁ」とか思います。
http://plaza.rakuten.co.jp/kaname0083/diary/201102240000/
つか素人の俺が適当に考えたシナリオの方が受けが良さそうってのもどうよwwwww
http://d.hatena.ne.jp/black-newt/20110223/1298470947
・美希の性格がSPに改変された状態のまま そのうえCDで本物の自分と言い出す
・伊織が負けた理由を突き指のせいにする小物に
・あずささんのわすれっぽさが強化
・律子の夢やその過程を都合のいい部分だけ採用 そして根性論を連発するようになる
・雪歩がありえない言い間違え
・全体的に千早が優遇
・Pがアイドルを脅すような言動
・外見の変化を受け入れられない
http://length610.blog39.fc2.com/blog-entry-772.html
http://kisokutadasiku.blog136.fc2.com/blog-entry-30.html
彼女「水瀬伊織」は実在しない。しかし「存在」はしている。その存在の証である公式の「水瀬伊織」が「水瀬伊織」では無い。これはある特定の人物の人格を崩壊させたと言っても過言では無いんとじゃないか?
http://shin-r2.at.webry.info/201102/article_6.html
ネット上で色々見て回るに、爆死どころか大爆死だったようです。
発売前から核地雷を投下し続け、購入してくれるコアなファン層を
ズタズタに切り裂いただけでは飽き足らず、
…えーと、え?!
買ってもらうつもりで作ったのコレ?
(追記)
http://twitter.com/Ka3x2_SensuiDOL/status/41102556130328576
べつにアイマスに限った話ではないけどTLで評価が良いっておまえそのTLは自分の見たい人しか入れてないんだから評価偏るに決まってるだろwwwwwwwwww
「どうもーはじめまして」
「はじめまして」
「今日は、生きる目的というインタビューです!あなたの生きる目的はなんですか?」
「そうそう。何のために生きるとか、生きがいとか、これがあるから生きているとか、漠然としていてもいいです」
「そのテーマなんですけど、それを聞いたときからよく考えてみたんです」
「そんな難しく考えなくていいよ?簡単に、生きていてこれが楽しいとか そんなでもいいから」
「はい」
「恐怖です。」
「恐怖?」
「そう、恐怖です。」
「生きる目的が恐怖?」
「はい」
「どういうこと?」
「はい、私の人生を振り返ってみると、私の行動原理が全てにおいて、恐怖を根底においていました。ですから「生きる理由は?」と聞かれたら 「恐いから」としか答えようがありません。恐いから。 恐さからの退き。恐怖からの脱却。恐れからの逃げ。 私の生涯はそこに全てが集約されております。 楽しむとか好きなこととか達成とか勝つとか欲とかそんなもんありません。 あるのは恐怖。恐さを退くためだけに生きてきました。 それ以外はありません。」
「楽しくはないですよ」
「じゃあ死んだらいいじゃない?私なら耐えられない」
「死ぬのも恐いんですよ」
「何が恐いの?楽になれるかもよ?」
「いろいろ恐い。痛そうだし。それに、今の状態って 別に私にとっては特別じゃないからあえて死ぬほどの事でもないんです。 これが普通」
「マゾじゃないです。やはりこういう恐怖におびえるだけの毎日って疲れるんですよね。いくら恐いからとはいえ」
「じゃあやっぱ死ぬ?」
「死なないですよ。恐いから。死ぬことの何が恐いかって、一番は母親です。母親がどうなるかわからない。次は妹です。彼女たちは少なからず私の死に対して悲しむでしょう。 病むかもしれません。それは私にとって耐え難い。今のところそれを越えるほどの恐怖を抱えてはいません。だから私は今生きております。」
「家族のために生きてるってこと?」
「違います。生きるのは普通に生きてます。死なない理由は家族の恐怖に耐えられないからです。つまり自分のためです。」
「よくわからないけど」
「いいんです。似たようなもんですから。私が言いたいのは人のせいにしたくないということだけです。」
「でも家族は人のせいにしてでも生きて欲しいって思ってるんでしょ?」
「決めるのは飽くまで私自身ということです」
「はあ」
「ですからですね、話がそれましたが、私の理想としてはですね、誰も悲しまずに私が恐怖に脅えることなしに、できるだけ早く。出来るだけ早く終わることが出来ればそれが理想なのです。」
「早く死にたいってこと?」
「なんの弊害もなければね」
「親より先に?」
「先には死ねないですね。ですから、恐怖が無い、誰も傷つけない形で、できるだけ早く、です。」
「それって、親が死んで、妹も死んでからってこと?早く無いじゃん」
「一緒でしょ?」
「一緒です。ニュアンスが違うのです。死そのものに対する欲求はありません」
「よくわからない」
「つまり、死を望むわけではなく、生の終焉を望むのです。結果は同じですが、私の目的は飽くまで生にあるのです」
「じゃあそれは置いときましょう。出来ることなら、早く終わりたいこれが私の望みです。私のような人は多いと思いますよ。」
「え、そうかな?みんな長生きしたいんじゃない?」
「そういう人も多いと思います。」
「君は違うっていうの?」
「そうです。おそらく、長生きしたい人は生きていることが楽しい人か、若しくは人生に希望がある人ではないでしょうか」
「生きていて楽しくないの?」
「そうですね」
「全く?全く楽しいことなんて無いって言うの?」
「全くではありません。楽しいこともあります。要は比重の問題です」
「ひじゅう?」
「どういうこと?」
「つまり、よくアンケートでありますよね、四択で、はい、いいえ、どちらかというとはい、どちらかというといいえ」
「うん」
「私はどちらかというといいえ、なのです。楽しいことが、全く無いわけではないけれど、長生きしたいというほどではない」
「じゃあ何で死なないの?」
「恐いから生きてるってこと?」
「全然」
「でしょうね」
「でもさ、これから生きていればいいことあるかもしれないよね?」
「あるでしょうね」
「じゃあもうちょっと生きたいとか思わないの」
「思いませんね。なるべく早く終わりたいです」
「なんで?」
「え、なんの話?」
「つまり、長生きしたい人は人生が楽しいか、希望がある人か、その後半の話です」
「おそらく。」
「希望はないってこと?」
「ないですね」
「でもわからないでしょ?先のことなんて」
「わかりません」
「じゃあ、この先長生きしたいほどのことがあるかもよ?」
「期待はできません」
「なんで?わからないじゃん」
「どういこと?」
「つまり、期待とは可能性の問題です。可能性とは、現状から予測できる今後の見通しです。それが期待です。現状とこれまでから予測する限り今後は期待できないということです。」
「わからない」
「ですから、今までがこうだった、そして今の自分がある。未来を予測する際の基準は過去と今です。」
「うん」
「極端な例を挙げますと、今まで数学のテストが0点で、今日も0点だったその人が明日のテストで100点を取れると思いますか?」
「すごい努力すれば出来るかもよ?」
「0点ばっかり取ってたら嫌いになるよ」
「あるかもしれないよ?」
「可能性はある」
「何パーセントぐらい?」
「…1パーセントぐらい」
「でも先のことなんてわからないじゃん?」
「わかりません」
「はい」
「じゃあその間に希望が持てるかもよ?」
「そうですね」
「じゃあ長生きしたい?」
「したくないです」
「え、なんで?」
「今後あるかもしれないよ?」
「そうですね」
「じゃあ明日宝くじの一等が当たるとしても希望持てないってこと?」
「今の時点でその希望は持てないですし、期待も出来ないですから」
「そりゃそうだよね」
「そりゃそうです」
「でもやっぱり生きていれば良い事あるかもしれないよ?」
「あるでしょうね」
「それでも早く死にたい?」
「早く終われれば最適です」
「でももし良いことあったときに後悔するよ?」
「何故ですか?」
「例えば、今日死んだとしてお葬式ですっごい美人の子が、実は~くんの事好きだったのにー!ってなるかもじゃないじゃない?」
「その時はもう死んでるんですよね?」
「うん。後悔するでしょ?」
「…えっと、じゃあさ、死ぬ直前に告白されたら?すっごい美人」
「死ぬ直前ですよね?」
「うん。後悔するでしょ?」
「死ぬ直前にそんな余裕ありますか?どんな場面かわかりませんけど」
「それ助けてくれないんですか」
「たとえたとえ!」
「例えば、ビルから落ちそうなときに告白されたら、それは不可抗力です。ですから、そこで後悔したりする事と、明日を生きるのに希望を持つ事は全く繋がりません。希望を持っていたところで同じ結果になります。」
「…うーん、なんて言えばいいのかな、じゃあさ、すっごい欲しい物があるとする。何が欲しい?」
「特には何も」
「何も…じゃなくて、例えばなに?趣味とかは?」
「無いです」
「無いの?何か好きなこととかは?」
「そんな、すぐには思いつきません」
「ええ、そう?もういいやじゃあ、すっごい欲しいバッグがあるとする。たとえね?たとえ」
「はい」
「すっごい欲しいバッグがあるとする。すっごいカッコいいデザインで今すぐ欲しい。でも発売は来年なの。それでも今すぐ死にたい?」
「ええと、」
「ほら、長生きしたいでしょ?」
「いいですか、」
「何?」
「とても欲しい物があるとする、それが今は手に入らない」
「そうそう」
「欲しいから、それまで待たないといけない。待ってでも欲しい」
「そう、そういうこと。」
「うん、希望があれば生きているのも楽しいし長生きしたいでしょ?」
「え、バッグだよ?」
「じゃあ何が欲しいの?」
「…じゃあ、物欲がないって事?」
「あります」
「今はないです」
「そう、ですね。そんなには」
「それは程度によります」
「すっごい欲しければ?」
「恐怖を覆すほど欲しいものには、今まで出会ったことがありません」
「出会うかもよ?」
「そうですね」
「じゃあ長生きしたい?」
「期待はできません」
「そうなるか…」
「そうなります」
「さっき、親が悲しむから死ぬのが怖いって言ったよね?」
「はい」
「でも、死んでから君のこと好きだった人がいても後悔できないって言ったよね?」
「はい」
「それって矛盾してない?自分が死んで親が悲しむのは死んだ後だよね?でも君は死んだあと後悔できないって言ったよね?」
「はい」
「やっぱ死んでから後悔するんじゃん?」
「死んでからは後悔できません」
「じゃあ親が悲しむのは?それは死んでからだよね?」
「おかしくない?」
「説明していいですか?」
「うん」
「まず、親が悲しむというのは分かりきっている事です。」
「言われましたから」
「でも死んでみないとわかんないじゃん」
「もしかしたら、悲しむって言ってるだけかもよ?」
「どういうこと?」
「死んでみないと分からない、死んでからの事は考慮してません」
「どういうこと?」
「私が死んでもし親が悲しんだとしても後悔は出来ないという事です。同様に、たとえもし私が死んで親が悲しまなかったとしても安心する事もできないのです。」
「え?わからない」
「私は、私が死んだら親が悲しむから死ぬのは怖いと言いましたよね」
「うん、言った。」
「それは、生きている間の話です。」
「でも親が悲しむのは死んでからでしょ?」
「そうです。」
「じゃあ死んでからじゃん」
「私が怖いのは、厳密に言えば親が悲しむ事そのものではありません」
「どういうこと?親が悲しむ事が怖いのに、そのものではない?」
「はい」
「じゃあ何が怖いの?」
「なにそれ、どう違うの?」
「私は親に、私が死ねば悲しいとあらかじめ言われております。たとえ言われてなかったとしても多少は予測できます」
「そりゃそうだよね」
「だからって、やっぱ死んだ後悲しむのが怖いんじゃん?それは死んだ後の後悔じゃん?」
「違います。いいですか、私が怖いのは予測です。私が死ぬと親が悲しむであろう、病むかもしれない、という予測が堪え難いのです。死への恐怖となっているのです。ですから言ってしまえば、実際に私が死んだ後に親が悲しもうが病もうが知った事ではありません。私はその時死んでいるのですから後悔も何も出来ません。」
「…じゃあさ、もし君が死んで、親が悲しむかどうかわからなかったら怖くないってこと?」
「そうです」
「じゃあ親が悲しまないって言ってたら怖くない?」
「それは嘘かもしれません。私の親に関して言えば、それは無いことが予測できます。とにかく、親の話については生きているうちの恐怖です。死んでからの後悔とは全く違います。」
「よくわかんないけど、君の事が好きだった人がいたとして、死んでから後悔できないって言ったよね。それとはどう違うの?」
「まず、死ぬ前に私は、その人が私を好きだった事が予測できません。」
「死んでから言ったもんね」
「じゃあ死ぬ前に言ったら後悔してたの?」
「死ぬ前に言ったとしても、死んでからは後悔できません。」
「じゃあ例えば、そのすっごい美人の子が死ぬ前に告白してきたら長生きしたいと思う?」
「思うかもしれません」
「じゃあ、長生きしたい?」
「私は今死ぬ前ではありませんし、告白もされてません。その希望も期待もありません」
「…ごめん、私こうやって話していて、ちょっと好きになったかも」
「すっごい美人?」
「うるさい!!」
(長すぎて続きが表示されなくなっていたので分けました。)
続き
原稿は落とさずに済んだのかな? お疲れさま。
これって、葬式自体に価値を感じれないのかな。それとも、他の誰かの葬式だったら、仕事なんか放って出るのかな。そのどちらかで変わるんだけど。
前者だったらそれぞれの価値観だから自由だけど、母親とかに分かってもらうのは難しいよね、って話かな。
後者でも私はやっぱり、亡くなった方との関わり方は人それぞれだから、どんな感情を持っても自由だと思うけど。
私はおばあちゃんが亡くなった時、ある事情で訃報を知ったのが2日経ってからになってしまい、その時にはお通夜にもお葬式も終わっていた。おばあちゃんのことはずっと一番大好きですごく仲良しで、今でもおばあちゃんのことを思い出すと涙が出てくる。本当に。
今もし、もう一度おばあちゃんが死んでお葬式があったら、何があっても駆けつける。ずっとやりたかった仕事で、いつも必死でやっている仕事だけれど、それでも一生仕事が出来なくなったとしても構わないから、とにかく葬式に出る。
一方で──。私は父が亡くなったのを知ったのも、ある事情から半年後だった。弁護士から送られてきた紙に、逝去って書いてあった。私は読んでも何とも思わなくて、そこでは葬式に出れなかった事実にすら気付かなかった。まあ実の父だし、何の恨みもないので、もちろん出た方がよかったとは思うけれどね。ただ、仕事があったらそっちを優先してただろうと思うなあ。
あなたはお父さんのお葬式でも、おばあさんと同じように思うかな? それとも、お父さんのお葬式は出たいかな? どうなんだろう。
でも、どう思っていてもいいんだろうな。大事なのは、倫理的とか常識的とか何とかいう言葉と関係ないところにある自分の正直な感情で、それは否定したらどうもならないから。最後の土壇場で自分を強くしてくれるのは、本当に自分の中にある何かだけだしね。
って、読み返してみたら、ちょっとあなたの言いたいこととズレてしまったね。
私が私に言いたかったことを、ようやく言えただけなのかもしれません。ありがとね。
毎月5万、年間に60万。
長生きしちゃったとして老後30年生きたら1800万でしょ。
最初の5年は年金がもらえないから、23万×12ヶ月×5年で1380万その他にいるでしょ。
夫婦で3000万必要なわけでしょ?
若いうちから節約していかなきゃ。」
っていう話を同年代にしたらすごく嫌な顔をされる。
童貞のくせにって思われたりしてるんだろうか。
倹約家といわれる。
でも、食べ物と、ジムの会費や風呂のお湯なんかはあまりケチらない。
保険に加入するよりも、日々の健康管理が重要と思っているから。
もちろん、最小限の医療保険には入ってるけど。
ただ、既婚女性に話すとすごく好感触だったりする。
そのあといろいろとあって、彼女いない歴=年齢を返上して既婚の彼女が出来た。
僕はなにを買ってくれ、どこに連れて行って欲しいというおねだりをほとんどされない。
モノは痕跡が残るし、外出は人の目があるかららだ。
でも、旦那にもおねだりの類はもうしていないらしい。
不仲だからというわけでもないそうだ。(ベタ惚れされてるらしい)
「なにか買ってくれても、夫婦の場合は最終的には2人のお金だから、蛸が自分の足を食べるようなものだから」
と彼女は言う。
それよりも、手料理を振舞われたり、お茶を淹れてもらったりが嬉しいと。
「旦那が維持費の高い車に乗るのが嫌で」
という。
コンパクトカーよりは高い車だとは思うけど、車好きからしたら別段ってレベルの車だと思う。
そんなわけで、ケチで夢のない僕と惹かれあったみたいだ。
でも、旦那と別れるつもりはないらしい。
不謹慎だけど、安上がりだなって思う。
お茶を淹れて、手料理を振舞うだけでセックスできるというのは。
離婚する気はないらしい。
不満はあっても、離婚はしないほうがいいと思ってるそう。
愛情が冷め切っても、ただのルームシェアだと思えば、1人暮らしよりは安上がりだからと。(彼女には帰るべき実家がない)
僕も同意した。
相変わらず、ただ長い話を聞いてあげて、お茶と手料理を振舞ってあげている。
僕からすると、金銭の出費をほとんどなしに、割り切ってエッチができている。
このあいだ、僕の親が200万くらいなら車を買ってやると言ってきた。
指し当たって必要ないし、いま車にしたら、将来200万分お父さんお母さんの老後の面倒をみるお金が増えるか、僕が相続する金額が200万減るかだからいらないと断った。
その話を彼女にした。
彼女の旦那がかつて親に車を買ってもらった話が出てきた。
それを売って、今の維持費の高いスポーツタイプの車に乗っていると。
それも嫌だったと。
住宅ローンが残っているのに。
慰めるつもりで
「男は、30代で軽じゃ恥ずかしい、30代で1LDKの賃貸じゃ嫌っていう願望が歳とともに沸いてくる。
若くないんだからいい化粧品を使いたい、いい鞄の1つ2つは欲しい、冠婚葬祭用に貴金属なんかも持っていたいって思い始めるのと一緒だよ。
だから、許してあげなよ。」
といったけれども、
「服は必要。結婚式、お葬式真珠くらいは持っていたいというのは贅沢?でも車は・・・」
という。
彼女はほとんどブランドを持っていないし、宝石好きでもないんだが、それでもそういうふうに思うらしい。
理屈ではわかっていても、我慢してるんだろう。
僕みたいに倹約家と一緒になりたかった、という。
「贅沢してるよ。このお茶だって。同世代の数倍は茶葉やコーヒー豆にお金を使ってる。」
と答えた。
「お茶なんてたいした額じゃないじゃない。」という。
「とにかく旦那が稼いだ金を旦那がどう使おうが文句は言うべきではないよ」
といってみたが、納得しない。
僕が親の金は将来的には自分のものと思っているのと同じように。
僕と僕の親でいざこざが起きないのは、僕と僕の親で金銭感覚がだいたい一緒だからだ。
僕が車を断っても、そのぶんの200万でパァーっと遊ぶ人たちではない。
でも遊んでしまっても、僕は文句を言わない。
遺産相続も、退職金もあてにせず、昇給もあてにせず、人生設計してる。
「あなたのそういうところ、計算高いところ、それなのにおおらかな所、素敵よ。
でも、独身女性には理解されないと思う」
と言われた。
難しいね。
ttp://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-1ea7.html
書記長「話が抽象論になっているが、再度聞きたい。巻き返しのための方策はあるのか」
常務「それは、とにかくドンドンやればいい」
書記長「? 何をやるのか」
書記長「?? 具体的にどうやるのかという話だが」
書記長「それがどのようなものであるのかを聞いている。営業部長に聞くが、ガンガンやるとは具体的にどういう方策なのか」
委員長「埒が明かない。全力で仕事をするにしても、どこに向かって力を出せばいいのか」
書記長「??? そことは、どこ?」
一同「は?」
社長「前の会社のときにね、従業員が亡くなったんだよね。キャンペーンの後だったからね、過労だって話も出てさ」
社長「労基署は入らなかったんだけど、自宅で突然死だったから労災にもしてなくてね。お葬式行ったんだけど、小さな子がいてさ。奥さんは泣きっぱなしで、ご両親も逆にご迷惑かけてって頭を下げるくらいだったんだけどねえ」
社長「ところが直属の上司が焼香に上がったら、奥さんがものすごい剣幕で『出ぇてけえぇ!』ってねえ…」
社長「それがさ。すごい声でねえ。美しい奥さんだったんだけど、そりゃあすごい声だったよ」
社長「それからしばらくしてさ。その上司の人が辞表を出してね。あのとき、受け取っとけばよかったんだけどね。受け取らなかった。お前のせいじゃないんだからって。そしたら、死んじゃったんだよ。これが、自殺でねえ」
社長「うわあまた葬式だ、と思ったら、今度はご家族が来てくれるなと言うんだね。そういうわけにもいかないから、大げさにならないように個人でっていうことで伺ったんだ」
社長「いざ、会場になってる自宅に行ったら、うちの花輪が放り出されててねえ。参列の人も、気にせずにそれを踏みつけてて、ああ、これは本当に来ちゃいけなかったんだって、門前で手を合わせて帰ったよ」
社長「そんとき思ったね。従業員が死ぬようじゃだめだよーって。死ぬような働かせ方は、その時の関係者に一生祟るんだ。僕はあれ以来、会社関係の葬式に出るのが怖いもん」
スノボの元コーチのブログのコピペがあったので読んでみた。(元は削除されたようですが)
リンクはしないので興味があったらググってね。
で、感想。
の前に。
日本選手団公式服装着用規定
「(着用の規定) 第2条 日本選手団に認定された者は、自覚と誇りを持って公式服装を着用しなければならない」
だから「オレはオレだからオレのやりたいようにやるぜー」だったのね。それは納得した。
オリンピックに出るなら、選手団に属してるんだから、選手団のルールは守らなきゃ。
普段も常時三つ揃えとかスワロウテイルとか紋付袴を着ろと言われたわけじゃあるまいし、
服装が決められた理由をもう少し考えなきゃいけないよなぁ。
必要なときはフォーマル、それ以外ではカジュアル。それじゃだめなの?
いつでもどこでも「オレのスタイルが」と主張するしかできないお子ちゃまなのか。
こういう人にはぜひお葬式にいつもの格好で出ていただきたい。
あの服装は、頭のよくない高校生にしか見えなかった。
決して「自覚と誇りを持って」着用したようには見えない。
そこが叩かれていると思うんだけど、この元コーチはそういうとこ理解しているのか?
河野太郎(公人なので敬称略)もブログでいろいろ書いているけれど、
日本人のオリンピックへの思いって、葬儀と同じくらいフォーマルなんだと思うのね。
事前に決められたときは「自覚と誇りを持って公式服装を着用」。そういうことでしょう。
もうあれだ、選手団には服装点検係でもつけとけ。
かつては「家」というシステムがきちんと運営・循環されていた。
しかし「家」から出て行く自由を許し、
「家」というシステムを成り立たせる構成員=家族がいなくなった為,
っていう過去の上に今が乗っているよね?
「かつて」をスペクタクルで見せてくれる。
それでいてその描き方が「ペシミストになれ!」って方向ではないから、
カタルシスでやってくる。
お婆ちゃんが亡くなって、「仇討ちだっ!」って男たちが活気づいて、
最後、「家」はそう快に半壊すんの。
アラワシの直撃は回避するんだけど、衝撃波はあって、ちゃんと半壊する。
でも、みんなぴんぴんしてんのね。
そういうプロットは良いと思う。
でも何が惜しいかっていうと、主人公の健二でね。
「なんで健二を主人公にしてるのかなぁ?」とついつい言いたくなってしまう。
時かけの時にも思ったけれど、「我が身を削って物語を顕現させる」っていう
姿勢ではなく,大多数の当たり障りのないところに落とし込むのな。
それだったら、佳主馬を主人公として、夏の娯楽映画として、
少年の成長物語として構成した方がよっぽど素直に観れたよ,と思うのです。
健二が旧家に飛び込む現代っ子代表だったら、「自分の家では一人だったので、
この家に来れて嬉しい」っていうのを演出で見せて、受け手に委ねてくれればいいのに、
台詞で言っちゃうしさ。(台詞で言えたら、彼は素直だね。って広がりのみさ!)
健二は数学の天才って設定だけど、それ以上に、あの年頃の男の子で、
ああ素直なのは、きっぱり特異だよ。
健二は裏方に徹っし、格闘ゲーム・チャンプで子供の佳主馬と、健二が
憧れる先輩で女の子の夏希がバトルは受け持つので、それでそのふたりが、
素直に頑張る健二の横顔に、ぽーっとなるから、平衡はとれてるけど。
「今の男の子にとっての家」っていうのを、描き出すには、
健二はあまりにぶれてない(健二は侘助とも対比になんない‥!)
家族の愛情なんて、同じ釜の飯でも喰ってりゃ、後からついてくるもの。
そういうスタンスで作られたこの映画において、健二が旧家の大家族に
受け入れられることはさほど問題じゃない。
(だから健二が素直でさっさと問題解決なのはイイ!)
旧家は壊れて、じゃあ新しい「家」は?
それらは尻すぼみっていうか、別段提起されてなくってさ‥‥
健二みたいな子が、ウチの婿だったら可愛い!って理想の男の子話に
摩り替わっちゃったYO!っての。
半分狂信的な母は当然、わたしが小さいころから活動を強制していた。わたしは小学5,6年からどうにもがまんできなくなり何度かぶつかりながらとうとう中学卒業と同時にきっぱり活動終了を宣言した。
しかしそれは一方的なものなので、学会の名簿には名前が残ってる。一人暮らしをはじめても、その地域の学会員が、仲間が来たと連絡を取ってくる。その人たちは丁重にお断りすればあと一切連絡は来ないが、引っ越すたびに必ず一回はやってくる。もしかしたら母が裏で手を回していたときもあったのかもしれない。
一番古い友達は、子供のころいっしょに活動していた創価学会員だ。友達はわたしがやめた経緯を知っているので、誘ってはこないが、生活の基盤が創価なのでちょいちょい話題には上がってくる。冗談半分で「今度の選挙よろしくね」くらいは言う。
母の妹も学会員で、わたしが抜けたばかりのころ一度説得されかかったが、聞き入れなかったらキレられてそれっきり会っていない。
母はあきらめてはいない。はっきり「あきらめてない」と言われたし、たまの仕送りには聖教新聞もしっかり入っている。
だが別々に暮らす年月も長くなって、もう言い争うのも疲れたし、年に2,3度会うときくらい穏やかに過ごしたいという思いはいっしょで、お互いこの問題には触れないようになった。
なったから、いいんだけど、わたしはもうこの宗教に対して激しい嫌悪感を抱いている。この宗教のせいでいらん苦労をさせられたと思っているのでもう金輪際、アリの子一匹、かかわりたくない。
友達や叔母は、会わなければいいのだけど、母は創価学会が持つ墓地に墓を買っている。母が生きているかぎり、死んでもお葬式や、墓参りするかぎり、あの三色旗を目にする機会があると思うと、少しだけ、ほんとうに少しだけ、絶望するときがあるのだ。
--ほんとうはhttp://anond.hatelabo.jp/20090809234058にトラバ送りたかったんだけどやり方がわかりませんでした。
久しぶりに今日は穏やかな日でした。
あれ以来ずっと突然やってくる空しさについて考えていました。
そのせいで、研究成果の報告が2ヶ月遅れ、初めて上司に進捗を報告することを経験しました。
上司は黙って私の話を聞いて、こんなことを言いました。
空しいのは心ではなく、体だと思うよ。
君は働きすぎなのだと思う。好きなことを仕事にしたからといって、ずっと働いているのだろう?
脳は体なんだよ、心ではなく。考えることをやめることを覚えたほうが良いと思う。
私は彼に尋ねました。考える事をやめるにはどうするといいのでしょうか、と。
彼の暫く考えて、仕事以外の好きなことをすればよいと思うよ、と言いました。
さらに、取り敢えず1週間ほど休んでみてはどうだろうと言われ、今週は休暇を取りました。
今週の日曜日、皆さんのアドバイスにあった様に、私の空しさを彼女に話してみました。
私の話を聞いたあと、彼女は私に何かして欲しいことはあるか、と聞きました。
私は多分無いのだと思う、と答えました。彼女は頷いて、今週ずっとこの部屋にいて良いか、と聞きました。
私は良いともダメとも言えず、考えていました。
彼女は着替えを取りに一度帰るわ、と言いこの部屋にいることに決めていました。
それから車で彼女の部屋に行ったのですが、そのときにふと思いついたのです。
私が彼女の部屋に居ても良いではないか、と。どうせ何もしないのですから、何もいらないのです。
着替えは買いに行けばよい。
それから、私は彼女の部屋に居ました。彼女は仕事に行き、帰りに買い物をしてきて、食事を作ってくれました。
私は彼女を送り出すと部屋の掃除をし、洗濯をし、時々食事を作りました。
彼女に聞いたことを、実験の手順書のようにメモし、正確に再現すると、彼女の作る料理の味がします。
当たり前なのですが、新鮮な経験でした。
何もすることがないから、なおさら考えないでいることは難しい。
私は上司の言ったことを考えていました。
記憶にある限り遡って、自分が好きだったことを考えていました。或いは身の回りに起きた出来事を。
そして、今日になって思い出したのです。
小学校6年生の時のこと。
一番仲の良かった友達と、自転車に乗って遊びに行く途中に起きたこと。
後ろから走ってきた車が私たちを追い越した時、友達と友達の自転車が一瞬飛び跳ねてガードレールにぶつかり、
がしゃんという音と共に地面に落ちた時のこと。
友達は気を失っていました。
血が出ているところもなく、ぱっと見た限りではいつもと同じ、ただ目を閉じて、眠ってしまったようでした。
いや、目を閉じていたのがその瞬間なのか、救急車で運ばれた先の病院のベットでのことなのか、良く思い出せない。
彼はベットで寝ていました。そして2度と目覚めないまま、死んでしまいました。
私は泣かなかったと思います。今思うと、どうしていいのか分からなかったのだと思います。
彼のお通夜とお葬式に出て、火葬場に行き、お墓まで行きました。それでも、その時は意味が分からなかった。
私は死が怖いとは思っていなかった。ただ、悲しいとも言えなかった。話が突然終わってしまった。
彼と自転車で並んで走りながら、確かザリガニ釣りの話しをしていた。ポケットにはスルメとタコ糸が入っていた。
池のどこで釣ろうかと話していた。以前に吊り上げたザリガニの大きさの話しをしていた。
その時から、私は時を止めていたのだと思います。
いや、止められていたのでしょうか。閉じ込められていたのでしょうか。
私自身が私を閉じ込めたのでしょうか。
今日、私は彼のお墓に言ってきました。彼のことを忘れていたことを謝りました。
私は泣かなかった。でも、思い出しました。いいえ、今だから理解できるようになりました。
あの時の私はどうしようもなく悲しく、寂しく、辛く、孤独だった、と。
並んで走っていたときに車道側にいたのが私だったら、彼は生きていたのかもしれない。
死んだのは私かもしれない。
流れる血も無く、悲鳴も無く、一瞬で彼は死んでしまった。
私もまた一瞬で死んだであろう。
私は自分の部屋に戻ってきました。
そしてパソコンを立ち上げました。以前書いたことを思い出し、今その続きを書いているのです。
あの時、ここに書き込んでよかった。あの衝動は意味があった。そう思えました。
彼の死ぬ前、自分の好きだったこと。したかったこと。
絵を描くことが好きでした。絵を見るのも好きでした。先生に見せてもらったパウル・クレーの魚の絵が好きでした。
水彩絵の具を透明に、重ねて塗るのが好きでした。
いつか遠くまで旅に行こう、でかいザリガニを釣りにいこうと話していました。そこはたかだか隣の町のことでしたが。
結局、私は考えることをやめないままに、茫漠たる空しさのわけを知りました。
私の中の小さな子どもを見つけました。泣けなかった不器用な昔の自分を見つけました。
大好きだった友達を思い出して、やっとちゃんとお別れを言うことが出来ました。
明日、図書館に行って、パウル・クレーの画集を探そうと思います。あの魚の絵もあるでしょう。
青い海のなかの緑色の魚の絵。
今週末、友達と行くはずだった隣町の池にも行ってみます。
池がまだあるのかどうかわかりませんが。そこは本当は立ち入り禁止の農業用の溜池だったと思います。
水彩絵の具と画用紙も買いにいこうと思います。
何が描きたいのか分かりませんが、きっと何か描けるでしょう。
静かな夜です。雨も止みました。
梅雨時は嫌いではありません。雨の中を傘を差して歩くのが好きです。
傘を叩く雨粒の音と、水溜りに広がる無数の波紋。
出来れば雨合羽を着て、傘を差さずに歩きたい。
日本ではそういう人は見ないですね。
ボストンでは大人でもそういう人を良く見かけましたが、何故なのでしょう。
合羽を買って雨の中を歩くのもいいかもしれない。
彼女に話したら、なんと言うでしょうか。
きっと、頷いてくれると思いますが、どうでしょう。
ああ、合羽の話より先に、思い出した友達のことを伝えなければいけないですね。
彼女に話すことを考えていたら、泣きそうになって来ました。
私は悲しいんです。とてつもなく悲しい。彼にもう一度会いたい。彼と夢の続きを語り合いたい。
彼女はきっと黙って聞いてくれるでしょう、いつものように。
私も、何も言って欲しくないのです。ただそばにいてくれるのならそれでいいのです。
来週からはきっといつものように仕事が出来るでしょう。
溜まったデータの解析をし、次の実験を考える。いつもの毎日に戻ります。
なんだかとても長い文になってしまいました。
お付き合い頂き、ありがとうございました。
おやすみなさい。