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はてなキーワード: お葬式とは

2024-04-18

Netflix名探偵コナン ハロウィン花嫁

キャラクター映画だこれ…

・爆発の頻度が多い

イケメン映画すぎてイケメン好きでも観てて恥ずかしくなってくる

ラブコメはくっつくまでが楽しい

コナン君と哀ちゃんが部屋からこっそり抜け出そうとするとこかわいい

白鳥警部がこんな爽やかに

安室さんが出るたびに「このシーンは夢女子のために、このシーンは安室さん受け派のために、

このシーンはあのカプ派に向けて描いてくれてる」という忖度

いちいち嗅ぎ分けてて忙しかった

・このコンテンツに重箱の隅を突くような事を言うのは無粋と

わかっていながらも流石にクライマックス爆弾→防御のとこは

ガバ過ぎて恥ずかしくなった

エンディングパート

銀魂お葬式会思い出して面白かった

2024-04-09

2年前に死のうとしてたけど身近な人の死を体験して思ったこ

初めて投稿する、投稿できるのかな?わからないけど、自分の悲しみにさよならしたい、

2年前のこの時期に死のうとしてた。新卒で入ったとこは残業代がでなくて、雰囲気も悪い、家族経営のとこだった。新卒を何年もとってるはずなのに、私が入ったときはみんな辞めてて、残ってるのは高卒でずっとこの会社しか経験したことない、というおじさんばかりだった。古い気質で、残業しないと次の日朝礼で注意される。直属の上司からポンコツ〇〇(私の名前)といわれ、営業に向いてない、夜の仕事したほうがいいと言われた。周りの人も冷たかった。徐々に眠剤で寝るようになり、精神安定剤の量も増えた。トドメはお局のあなたの直すべきところリスト(私の悪口)を渡され、心が崩れた。休職して復帰したら、営業部長に休職したことに対する反省文をだせ、と言われた。遺言書を書いて死のうとした。でも親に仕事を辞めてほしい、そのひとたちはおかしい、と言ってくれたり、友人からも死なないでほしい、と言われて退職した。

すぐに転職活動をして、3ヶ月後、今の会社に決まった。営業じゃなく、事務として。3ヶ月前は鬱だったのに、完治もしてないのにがむしゃらに未経験のところなので頑張ってきた。最初は、中途で入った私を警戒して冷たい人も多かったし、わからないことだらけで質問すると、やっぱり怒ってしまう人もいた。そんななかで助けてくれたのが、Aさんだった。

Aさんは私より5歳上の営業で、私が入った当初は2年目の方だった。最初は少し冷たかったけど、電話応対で困ってれば助けてくれたり、フォローもたくさんしてくれた。いつだって丁寧に教えてくれた。私がメンタルが落ち込んで控室で泣きじゃくってると、心配して慰めてくれた。私がしたミスを、Aさんは大丈夫だよって言ってお客さんに謝ってくれた。本当に優しい人だった。

2年経つとできることが増えて、Aさんの仕事の手伝いもできるようになった。周りの営業さんからも私を頼るようになって、前の会社よりもずっとずっといい環境で、転職してこの会社の人たちと働けて良かったと思ってた。

先日、Aさんは亡くなった。

趣味スポーツで体にできてた血栓心臓にきて、心肺停止だった。本当に突然だった。月曜日にAさんが来てないな、朝から外出かなと思ってたら、朝礼で言われた。自分人生では初めての身近な人の死だった。

祖父母のもしものときに買ってた喪服が、Aさんのお葬式で初めて着た。会社の人たちはみんな泣いて、私もずっと泣いてた。ご家族も突然のことで戸惑っていた。

もう、亡くなってる人に感謝言葉を伝えても届かない、それはわかってるけど、ただ、手紙を書いた。ひとりっ子の私にとっては、お姉ちゃんのような方で、人生のお手本にするならAさんです、と。手紙をご家族に渡して、お別れした。

焼香も初めてで会社の人に教えてもらった。帰り道はよく気にかけてくれる事務さんと一緒に帰った。次の日から、もうAさんの明るい声も、走って現場に向かう姿も、他の営業さんにお昼どこ行きますかって呼びかけてた言葉も、もう聞けない。

電話対応で、Aさんの取引先だったところから電話では、もうAさんの名前もあがらない。

わたしがAさんのデスクできっと声を上げて泣きわめいて、Aさん戻ってきて下さい、また会いたいですって言っても、大丈夫?ってあきれながら笑って駆けつけてはくれない。

もっともっとAさんとお話たかった。こんなに早いお別れが、つらいです。Aさんに会いたいです。

2年前までは死のうとしてたのに、Aさんのお葬式でたくさん悲しんでる人をみて、私は残される人のことなんて全然考えてなかったと思った。

同時に、いま、自分を傷つける人やないがしろにする人に、時間を割いてる暇はないんだと。自分に優しくしてくれたり、気遣ってくれてる人を大切に、いつ会えなくなるかお互いわからないし、会いたい人には会わないとだめだと思った。

Aさんとの思い出は他の人よりは自分はずっとずっと少ないけど、Aさんが私にしてくれたことは、ずっとずっと覚えてます。Aさんはどこかで呆れてたかもしれないけど。たくさん感謝してますありがとうございました。天国でたくさんたくさん、韓国アイドルの曲を聞いて、たまには会社の人たちのこと見に来てください。天国でもどこでも、また、Aさんに会えることを願って。

御冥福をお祈りします。

2024-03-25

最近の対戦ゲームのストリーマーイベントを見てると

勝利に対してガチすぎてこえ~って思う 初心者ランクで通じる環境を叩き込まれないといけない。

それが見応えあっておもろいのもわかるけど。

ギャイギャイ騒いで、ちょっとしたお得情報を教えてもらって、

たまにキャリープレイヤーの一撃に目ん玉飛び出るくらい驚いて、

あ~負けたけど面白かったな~で終わる空気感が許されていない。

サッカーボールを蹴ってパス出して下手くそシュート打つだけで楽しいのに

ポジションの悪さをガチ詰めされてる状況、を眺めてる気分。

「上位勢の楽しさ」を無理やり詰め込まれてる感じ。

「も~!ちょっと~!」チャンチャン が無く、

「は?お前のせいで負けたよ今の?反省改善を次マッチまでにしろよ?わかってるよな?」

という空気が常に蔓延やすフィールドになっている。敗北試合は常にお葬式

でもそういう求道者スタンスが根っから面白い、というタイプの人もいたりして、

ゲーム好き」で括れば同じだけど姿勢全然違うよね、っていう所もあって、

チーム内で亀裂が走ったり、チーム間での温度差で視聴者が冷えたり、なんか難しいなと思う。

結局個人的な感じ方の問題だとは思うけどね。

ガチ勝利をもぎ取るのが楽しいからしたら「勝つ気の無い、ゲームとチームをナメてる面白くない愚図」になるわけで。

eスポーツ広報も兼ねて行われると考えると、自然空気ガチ寄りにもなっていく。試合としての完成度が高いと、見応えもある。

でもカジュアルにやる面白だってある。ガチで詰めに詰めてやってるのは、見てる方も疲れる。

更に視聴者達の意見の分断や対立もある。なんじゃこりゃ。もう知らん。寝る。

2024-02-26

anond:20240226230029

卒業式は晴れやかなのにお葬式は沈痛な面持ちなのなんでだろうね

2024-02-25

プチ理不尽が嫌いだ

人生とは理不尽ものであるとは言うが、普通に生きてきてそんなめちゃくちゃな理不尽にあうことはほとんどない

だが理不尽とは言わないまでもなんだか釈然としない、プチ理不尽とでも言うべきイベント人生においてちょくちょくある

例えば引っ越しの時、原状回復ガイドラインに従わずに法外なクリーニング料、修復料を請求してくる不動産

例えば初めて行く歯医者保険診療からなんとか自由診療誘導しようとあれやこれやでセラミックだの変な治療だのを勧めてくる

お葬式ときにお坊さんにわたす心付けもそう、気持ちだけで結構ですなどと言いながら明確な相場があり、それでやる気が全く違ったりする

こういう初手で理不尽がぶつけられて、こちらが労力を使って対応しなければならない状況が昔からずっと嫌いというかうんざりしていた

引っ越し葬式結婚式新車の値切りも全部明朗会計だったらいいのに

何が言いたいかというと今から引っ越し不動産関係新車の購入をこなさなければならなくて気が滅入って仕方がない

2024-02-14

コインを池に投げ入れる風習歴史はどのようなものなのだろう

その謎を解明するため調査隊はインターネットの奥地へと向かった

その結果、英語圏歴史解説YouTubeチャンネル発見した

Why Do We Throw Coins in Fountains?

動画字幕の書き起こしをChatGPTに翻訳&要約してもらった

毎年、世界中私たちは噴水から井戸さらにはテーマパーク乗り物まで、コインであらゆるものを飾ります私たち幸運を求めて、願いが叶うことを望んでいます場合によっては、ローマで誰かと結婚するためにもコインを投げます。この伝統時代を超えて広まり、その起源古代ローマにまでさかのぼますローマ公務員であるガイウス・カエキリウス(別名:プリニウス・ユニオル)が書いた手紙によれば、人々は清潔な泉に感謝の意を表す形で贈り物を投げ込むようになりました。当時、清潔な水は非常に貴重であり、神々への感謝の印としてコインを投げる習慣が広まりました。この伝統は今でも続いており、ローマトレヴィ噴水が特に有名です。また、映画「Three Coins in the Fountain」でもこの伝統が取り上げられ、ロマンティクコメディの要素として広まりました。噴水に投げられるコインは、都市観光地収益の一部として寄付されることもあります

要約の結果、元動画が言っている内容とちょっと違う文意になっている箇所があるな……

あいいや、元動画見ればわかるし

しか歴史解説YouTubeチャンネルの内容をを鵜呑みにするのはちょっと気が進まない

調べるとっかかりとしては役に立つんだけどね

あと、この解説アジア圏のコイン投げについての観点がまるっと抜けている

中国人は願掛けとしてなにかとコインを投げ入れるらしい

その投げ入れる対象対象は池に限らない

中国人が願掛けとして飛行機ジェットエンジンに向かってコインを投げ入れようとした、というニュースがあるくらいだ

すなわち、現代の池へのコイン投げの風習は二つの源流があるはずだ

ひとつ西洋起源、小プリニウスが書き記したそれであり、コインを投げ入れて願い事をするヨーロッパ民間伝承「Wishing well(「願いの井戸」と訳すべきか)」を経由してトレヴィの泉に辿り着くルート

もうひとつアジア圏のいわゆる願掛け目的のいわゆる「賽銭」を辿るルート

二つに分ける意味はあるのか……?

うーん

どうだろう

いか

あるということにして調べよう

映画「Three Coins in the Fountain」がもしも存在しなければ、西欧圏でコイン投げの風習は廃れていたかもしれない

しかしその映画があろうとなかろうとアジア圏の人々はコインを投げて願掛けする風習を続けていたであろう……気がする

であれば二つは分けて考えた方がわかりやすいんじゃないか

仮定仮定を重ねていくぅ

あとで二つに分けて考える意味は無かった時点で考えを改めればいい、ということにしておこう

RedditやQuoraでも「なんで中国人って池や川にコイン投げるの?」みたいなトピックが立てられいるのを確認した

(そしてそれに対する回答は「コイン投げの風習世界中にありますよ」というもの質問者が知りたい内容とはちょっとずれている気もする)

キリスト教教会に併設されている池にコインが投げ入れられて困った」みたいなスレもたっていた

そうだよね、非キリスト教的な風習だよね

一神教根付くとこういった民間信仰は排斥されるということか

というわけでイスラム教ユダヤ教コイン投げによる願掛けがどう認識されているかもぐぐりましょうね

イスラム教は……情報が全く出てこない

ユダヤ教はなんか出てきた

ラビに「願いを込めて願いの井戸コインを投げることは何か悪いことですか?」とユダヤ教教義に反していないか質問する内容のサイトが引っ掛かった

解釈によってはセーフだけどあんまり推奨しない、みたいな空気感の回答だな

コイン……つまり金属製硬貨のみが投げ入れられるのか?という疑問もある

貝製の通貨貝貨を池に投げ入れるみたいな文化がある地域いかな~

パプアニューギニア現在貝貨を使っている人々がいるみたいだが、願掛けとして貝貨を投げるみたいな記述は見つけることが出来なかった

古代中国だと賽銭貝貨を使っていたらしいけれど

パプアニューギニアのなんかでっかい噴水のストリートビューを探して金属コインの他に貝貨が沈んでないか探してみてもいいかもしれない

まあおそらく無さそう

お葬式貝貨精霊に扮した人に向かって投げるみたいなことはやるらしいんだけど…

そもそも何で調べ始めたかって「海外……例えばアメリカでは合格祈願の願掛けとかするのかな?」と思って

ぐぐった結果は「願掛けしない」というもの、まじかー

教会でお祈りとかする人もいるにはいるけど、願掛けするくらいなら勉強しましょうねみたいな考えをするってなんかのブログに書いてあった

例えばかつ丼みたいな勝負飯食べたりお守りを買ったりみたいな風習もないっぽい

いやー……そうはいっても欧米人だって水にコイン投げて願い事するじゃん?池にコイン投げて合格祈願とかしないの?

と思って調べ始めたがなかなか調べるのが楽しいテーマだった

そこらじゅうに願掛けスポットが大量にある日本が特異、ということだろうか

まあまあ、結論を急ぐことはない

もうちょっと調べましょうね

賽銭トレヴィの泉を一括りにして包括的投げ銭文化について論じた論文をまだ見つけることが出来ていない

こんな面白そうなテーマ絶対先行研究あるって

投げ銭に限らず「迷信」というテーマで調べてもいいかもしれないな

……といった感じで調べた内容を一旦メモ

日記

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そうだ、キリスト教には守護聖人という概念があるじゃないか

太宰府天満宮菅原道真公のような受験学問を司る守護聖人にお祈りするみたいな風習があるかどうかを調べること

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全然みつからんな、受験生が守護聖人にお祈りみたいな話

なんか守護聖人がどのようなものか、みたいな認識根本からずれているのかもしれない

いい加減体系的にキリスト教勉強しなきゃ立ちいかなくなってきたのかもしれない

2024-02-11

祖父お葬式無双した

おじいちゃんが亡くなって、もうすぐ2年なので二重の意味で供養する

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私はどこに出しても恥ずかしい陰キャオタク

更には、大金かけて入学させてもらった私立大を中退して実家に帰ってくる親不孝でもあった。

5歳下の弟は国立大入学後、大学院へ、卒業後は隣の県で、地元の有名企業新卒採用された。

私はというと、実家から通える職場に何とか腰をすえて、朝から夜遅くまで働く毎日

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絵に描いたような出来損ないの姉と優秀な弟だが、おじいちゃんとおばあちゃんからみれば、どちらもかわいい孫だったようで、平等にかわいがってもらっていた。

あと、他にも孫は5人ほどいて、同じ歳の従姉妹たちは20代赤ちゃん生んで若いママとなり、従兄弟たちは実家事業継いだり、東京仕事したり、そんな感じ

親戚の集まりでも、叔父さんたちから、アネちゃんは…とりあえずいい人見つけて、早く赤ちゃん生まなきゃね…😅みたいに言われて、しんどかった。

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そんな鬱屈した30代を過ごす私のもとに、祖父訃報が届いた。

深夜、両親は先に実家へ、私は夜が明けてから会社に忌引の連絡と荷物をとりに行き、車で向かった。

夜のうちに看護師さんたちが、着替えさせてくれたそうで、いつものシャツニットベストを身に付けたおじいちゃんが布団に横たわっていた。

すごく綺麗な姿をしていた。

れいなのだ

おばあちゃん「これもう、目も口も閉じないのかね」

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おじいちゃんの死に顔は半目で口も半開きだったのだ

伯父伯母たちは「もう死後硬直してるから無理でしょ」と諦め

葬儀屋さんは「半眼半口(はんがんはんぐ)といって仏様と同じ成仏の相で、ありがたいお顔なんですよ」とかなんとか、祖母をなだめてくれている。

私は車から仕事道具を持ち込みながら言った

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「じゃあ目と口閉じるね。ピンセット使うから、危ないから頭元から離れて見守っていてね」

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葬儀屋さんによって、故人の死化粧とか納棺師さんがいるところもあるんだろうけど、おじいちゃん葬儀を依頼した葬儀屋さんにはいなかったようだ

専門の道具を持ってきた私をみる目が、完全に変わるのを感じた

私の勤め先は、隣町の老舗葬儀社で、何だかんだ8年ほど勤めている

親や親族が取り囲んで見つめる中、15分程でおじいちゃんのまぶたは閉じ、口元は含み綿で自然に閉じることができた

半目半口の考え方も、もちろん知っているが、喪主が閉じてほしいといってるのなら、私ならできるだけ善処する。

とりあえずおばあちゃんが喜んでくれたので、よかった。

気がつくと、他の親戚たちから目線

どうやら私が葬儀社に勤めていることは、あんまり知られてなかったようだ。

…うちの親は、親戚間では基本弟の自慢で、私の話してないだろうからね。

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その後も、率先して納棺させてもらったり、式場の御供えの順番を、おばあちゃん相談受けながら決めたりしてお通夜を迎えた。

直前に伯父さんから、遺族代表挨拶を考えてほしいと言われた時は、さすがに焦ったけど、それっぽい文面作って渡したら、大層感謝してもらえたよ。

そして、本当にそれをそのまま読み上げてて、内心、それでいいんかい、とツッコミを入れてしまった。

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翌日、伯父が今度は、告別式で7人の孫を代表して、誰か弔辞を読めと言い出した。

この時点でだいぶ嫌な予感はしていたが、まあ皆、人前で話したくないわ、文章考えたくないわで、押し付け合いになるに決まっている。

そして、想像通り、私が孫代表となった。うん、知ってた。

代表になったことを母に話すと「初孫でもないし、祖父といっしょに住んでたわけでもない、孫代表あんたじゃないでしょ」と否定的

そうは言っても他の孫たちはやりたがらないし、母にとっては、いらん恥かかされたらたまったもんじゃない心境だったんだろう。

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そんなこんなで、本番。

お経が終わって、孫代表弔辞

名前を呼ばれてマイクスタンドまで歩き、読み始める。

読んでいる途中、あちこちからすすり泣きが聞こえはじめる。

今まで、仕事でみてきた何百という葬儀の、いろんな感動的な弔辞や孫から言葉を、いい感じに繋ぎ合わせて読んでいるだけだが、なかなかどうしてサマになっているらしい。

最後に、自分たち孫のことだけでなく、親族一同をあげるようなことを入れれば、完璧

振り向いたとき揶揄ではなくまじで式場にいる全員が泣いていた。

葬儀屋さんも泣いていた。

私はまるで、世界一おじいちゃん想いの孫で、傷心の中想いを込めて言葉を送った、そんな空気だった。

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葬儀後、会う人会う人とにかく褒められまくった。

あんなに素晴らしい弔辞いたことない、こんなに素敵なお孫さんがいておばあちゃんは鼻が高い。

まあ、素直にうれしいよな。褒められたらさ。

否定的だった母も、周りの評価で手のひらクルっとなり、親から手放しでこんなに褒められたの初めてなんじゃないかレベルで褒められたよ。

どんな仕事でも、活躍の場があるということ。

なんだか、ありがたい経験だった。

からは「こういう時にしか輝けない仕事」と言われたが、この先「こういう時」が増えてくるんだから大人しく、お葬式は姉に任せなさいね

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そして、おじいちゃんありがとう

三回忌法要、お参りにいくから

2024-02-09

見られたら困ること

会社飲み会でそんな話になったものの、皆「えーなんだろなーわかんねーなハハハ」と日和っていたので生を飲み干して「エロ動画ブクマ」と堂々と告白したら「お、おう、おおおそうだよそうだよ」「俺もエロ動画ブクマ!」「俺も俺も!」と一揆を起こす前の決起集会みたいな雰囲気になった。

「皆彼女いないし失うものないだろ」

上司の心無い一言によって飲み会お葬式に。

会計上司が払った。

実際のところパソコンスマホ(同期されているから同じか)のブクマはその人の本性なので皆困ると思うけどな。

2024-02-01

初見で嫌な目に遭うと同属性の別人にも警戒してしま

中3の夏に祖父お葬式に行った時、私の真後ろに発達障害か何かって感じの挙動男の子(背はそれなりにあって学ラン着てたか中学生高校生だと思う)が母親らしき女性と並んで座ってきた。

祖父母の家にお坊さんを呼んで、襖を取り払ったスペースに座布団をたくさん並べて、近しい親族から順に座っていたので周りは見知った親族ばかりだったが、その二人は今まで一度も見たことのない人たちだった。

なので近親者っぽくもないこの人たちは一体何者なんだろうかと私は思っていた。

違和感はあったがお葬式も始まってしまうので、私は隣の母にも何も聞かず出来るだけ気にしないようにしていた。

お坊さんの読経が始まり回し香炉での焼香が始まった頃、ふいに背中を触られた。意図せず少しぶつかったとかではなく(そもそも皆座ってるので意図せずぶつかることも基本的に起こらないと思う)、指先でツーーっとなぞる触り方で。

知らない人に明らかにそういう行為がそぐわない場面でいきなり触られる。はっきり言って気持ち悪い。小学生の時に通学路で痴漢に遭遇して体を触られたことがあったが、それと同じ類の気持ち悪さだった。

しかしながら相手障害者

気持ち悪いが、こちらが注意したとしてどんな反応が返ってくるか全く読めない。黙ってやめてくれる可能性は低そうだし、もし男の子が大声をあげたり暴れるような人だったら祖父お葬式無茶苦茶になるかもしれない。

そう考えると、注意するどころか気にする素振りを見せるのもすべきでないような気がして、私はじっと我慢することにした。

男の子が私の背中をなぞる行為読経の間も、私が焼香をあげる時も、その後もずっと続いた。出棺になって皆が立ち上がるまでずっと続いた。男の子の隣にいた母親らしき女性はその間、止めたり宥めたりすることもなかった(私が何も出来なかったのと同じ理由で何もしなかったのかもしれないが)。

皆が立ち上がりだした時に、さりげなく後ろを振り返ると男の子女性は既にいなくなっていた。

中3の私は腹を立てた。障害とか何か事情はあるかもしれない。しれないが。

もし簡単事情説明一言「ごめんなさい」と謝られていたら違ったかもしれないが、これでは一方的に嫌な目に遭わされただけでどうにも納得できない気持ちでいっぱいになってしまった。

納得はいかなかったが、お葬式の後でも親族の集まりでそんな話をするのも憚られてしまい、結局祖父母の家でこの話をすることはなかった。

一通り終わって帰宅した後で母に聞いたら母も全く知らない人たちだったので、近親者ではなかった。一体誰だったんだろう。

母は男の子が私にしていたことには気付いていたそうだが、私と同じ理由お葬式の間は何も出来なかったと謝られた。母は何も悪くないし、祖父(母の父)との最後のお別れだったのにこんな変な出来事があってむしろ気の毒ですらあった。

障害のある人とその家族が皆あの母子のようとは限らないが、あれから10年以上経った今でも外出先で見るからにそんな感じの人がいると少し距離をとろうとしてしま自分がいる。痴漢に遭った後、一人で外を歩く時は後ろを振り返る癖がつき、背後に男性がいるとその人が不審者とは限らなくても警戒して歩くスピードを速めるのと同じように。

2023-12-26

anond:20231226082502

ああ~そうそ

正直パワースポット巡りだろうがお百度だろうが四国巡礼だろうがやっぱり趣味だよね… 

お葬式巡礼最後にもらえるやつザラザラ棺につっこんでそれでつくった借金相続拒否かなんかして、これでせいせいしたみたいな遺族の話どこかできいたわ

まあ僕の地球を守ってという漫画をよんでムー読んで文通したがった時代から

ある種の人間はのめりこめる趣味がないといきていけんのよね

食い物にされない程度にがんばれ

2023-12-14

お葬式営業さあ

葬式代の先払いみたいな営業さあ

あれやめてくんないか

契約した本人は死んでるわけじゃん

残された側が葬式するわけじゃん

うやむやにして実際の葬式の時払う気ないでしょあんたら

残された側が積立してるの見つけた時は葬式終わってるじゃん

はぁー

2023-12-05

祖父のような人が、昨日死んだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。

血の繋がった祖父は、自分の生まれる前に亡くなっていた、少なくとも父方の祖父は、割と早くに亡くなったらしかった。

母方の祖父は、母親子供の頃に祖母離婚しており、多分早くに亡くなったのだと思うが、仮に生きていても会うことはなかった。自分がいつそんなことを聞いたのかは確かではないが、物心ついた自分が、血の繋がった祖父、というもの意識した時にはどうやら亡くなっていたらしいのは確かだ。

祖父のような人」は、僕が生まれるずっと前から祖母と一緒に暮らしていた。多くの人が誰しも持つ思い出のように、自分子どもの頃、祖母と彼の住む家に遊びに行き、甘やかされ、小遣いをもらい、トランプやら野球やら将棋やらをして、思う存分に遊んだ

将棋ルール司馬遼太郎池波正太郎、他にもいろいろと、今ではどれが彼に教わったものか一々思い出せない程、いろいろなことを彼は教えてくれた。

しろ祖母と彼には、高級旅館に何度も旅行に連れて行ってもらったり、高級料理を食べたり、普通の人よりも随分いい思いをさせてもらった、祖母お金だったのか、彼のお金だったのか分からないが。

祖父、おじいちゃん、適切な言葉は分からないが、彼は自分にとって唯一のそういった存在だった。彼は無責任で、冗談と嘘をよく話し、調子のいい軽口を叩き、良い人間とも思えないが、憎めない人だった。

陽気に昔の自慢話を語り、祖母や叔母に返す刀で昔の失敗をからかわれると、機嫌を損ねて無口になり、眠ければ眠り、食事の時は誰よりも早く食卓について料理が出てくるのをやたらと祖母に急かした。彼は一言で言えば、「簡単」な人だった。読書好きで、色んな経験をしてきたらしい割に難しいことは考えず、毎日似たようなことをして気楽な生活を送っていた。

祖母が彼と暮らし始めたのは、離婚した直後のようだった。母や叔母(母の姉、祖母の娘)は、彼のことを時折「おとうさん」と呼んだし、祖母、叔母、母、彼の四人で暮らしていた時や旅行をした話を聞くことも稀にあった。

ただ、彼は、外に出れば家族ではなかった。彼の苗字は一人だけ違った。祖母が「田中」(仮名、でもそれくらいありふれた苗字だった)と彼の苗字を口に出す時、聞いてはいけないタブーに踏み込んでいるようで、胸がざわついた。今でも克明にそのざわつきを思い出すことができる。

父方の家族に会う時、彼がその場に来ることは当然なく、それどころか、彼のことを口に出してはいけない、そんな人はいないものとして話さないといけないことは、子ども自分にもいつの間にか十分過ぎるくらい分かっていた。

父は自分や兄や母とともに、母方の祖母の家に行くこともあったが、彼のことを嫌っており、彼と会ってもまともに話さず、彼の話を自分や兄から聞くと不機嫌になった。自分も兄も馬鹿じゃなかったので、幼い頃から、彼の話を父の前でしてはいけないことは分かっていたが、父は、祖母の家から帰ってくるたびに普段の落ち着いた様子からは考えられない程ぶっきらぼうに「田中はいたんか」と自分に聞いて、「うん」とだけ自分が答えると、より一層不機嫌になった。

母は、自分たち兄弟を育てながら、よく酒を飲み、よく荒れた。父は単身赴任で平日ほとんどおらず、母は毎晩のように台所で酒を飲み酔っ払って、自分や兄を理不尽に怒鳴って手を挙げ、警察学校や塾にやたらと電話をかけてほとんど脅迫に近いようなクレームを怒鳴り散らかした。たまに帰ってきた父がそれを制止すると、コンクリートで出来た平成生まれの一軒家ですら、簡単に壊れてしまうのではないかという程の暴れ方で反抗した。酒を飲んだ母は、怪物だった。

母は、素面の時、神経質で、常に他人の目を気にしていた。タクシー運転手にも、ずいぶん年下の店員にも、学校先生にも、息子の同級生の親にも、そこまで丁寧に話さなくてもいいのにという程、丁寧に低姿勢に話した。素面の時も、酒を飲んで暴れる時も、母は「正しい社会から向けられる目に怯え、苦しみ、酒を飲んだ時だけ、自分の正しさを暴力的に吐き出すことで、何とか自分という存在を保とうとしていた。

自分中学生高校生くらいの頃、彼には今は離れて住む子供がいることを知った。思えば「いない」とも聞かされたことはなかったが、はっきりとそれを聞いた時は、ただ胸の内で「そうだったんだな」とショックを受けたのを何となく覚えている。

それくらいの頃、叔母が離婚し、一人暮らしを始め、段々と精神病み、盗聴されている、組織に狙われてるなどと、典型的統合失調症の症状が出始めた。

この頃から父はよく自分にもはっきりと言い始めた。母が酒に荒れ、叔母が病んだのは、家庭環境のせいだ、母、叔母の親である祖母と、彼が不倫をして、母や叔母の実の父親を追い出したからだ、と。きっと母や叔母は、「外で言ってはいけない」ことを家の中で強く教えられ、世間の目を気にして怯えて生きてきたのだと。

それはある意味で納得のいく説明だった。祖母は、離婚理由を、相手、僕の実の祖父の賭け事のせいと言っていたが、どこまで本当かよく分からなかった。

知り合い、昔からの友人である大学同級生と会う時も、祖母は、「娘が二人いて、孫もいる独り身」として話しており、彼のことを誰にも言っていないようだった。

お盆、お坊さんがお経を唱えに祖母の家に訪ねてくる時、彼は訪ねてくる少し前に外出し、お坊さんが帰ってもういないことを電話で聞くと、すぐに帰ってきた。用事があって出かけるのではなかったから、すぐ近くにいたのだろう。祖母は、お坊さんが来る時間をいつも気にして、去年は遅かったとか今年は早過ぎるとか言っていたが、後ろめたさと面倒なことへの苛立ちが入り混じっていたのだと思う。

彼は、彼の子供とは長年会っていないようだった。彼の子供は、僕の父や母と同年齢程度のはずだが、彼の子供や、家庭のことを思うと、僕に罪はないのに申し訳ないというか、複雑な気分になった。彼の家族が彼のことをどう思っていたかからないが、少なくとも誇りには思っていなかったのではないかと思う。

祖母と彼は、僕が知る身近な家族の中で最も夫婦らしい二人だった。時に自分の子どもたちを犠牲にしてまでも二人の時間を過ごし、お互い喧嘩し、お互い気ままに生きて、美味しいご飯を食べ、よく酒を飲み、一緒になってから数十年間を死ぬまで共に暮らした。

この一年程、彼はほぼ寝たきりになり、祖母は、彼の子供のところへ帰って欲しいと伝えていたようだが、結局最後まで彼が聞き入れることはなかったようだった。

彼とのことで一番はっきりと思い出せるのは、大学落研に入った自分に、彼が帯をくれたことだった。自分の着ていた着物は、桃色で、当時自分が持っていた水色の帯とは合っていなかった。祖母がその写真を見て、「合う帯があったら、おじいさんにもらい、おじいさん、呉服屋社長をやってたから」と言った。彼は昔の仕事の話をされるのが少し気まずいのか、「ええの残ってるか分からんで」と言っていたが、次会った時に、自分着物によく合う、濃紺の帯をくれた。とても気に入った帯だったし、締める時は不思議気合が入った。他人に言えない自分の生まれを、言葉に出さずとも身に纏って話しているようだった。

思えば彼について知らないことも多い。下の名前も一度くらいは聞いたことはある気もするが思い出せない。思い出すのは、人となりと、「田中」と呼ばれているのを聞いた時の、あのばつの悪さだ。彼がくれた帯も、彼がどこにしまっていたのか分からない。少なくとも祖母と彼が暮らしていたマンションには、彼の私物しまうスペースはほとんどなかったはずだった。彼は、祖母マンション以外にも一応自分の部屋を借りていたらしいが、ほとんど帰っていなかったし、何を残して、何を捨ててきたのか、いつから祖母暮らし始めたのかも、本当のところはよく分からなかった。

彼が死んで、母から僕に電話が来た。

「二日前くらいか入院してもう危ないとは聞いてたんやけどな、おばあちゃん病院行かはったんやけど、内縁の妻、言うんかな、死んでも詳しくは教えてくれへんのやて。ほら、おじいちゃんて、"田中"さんやんか、息子と娘さんがお葬式とかお通夜はるから、心の中で弔ってあげてな」

母は冷静に話すようにつとめているようだったが、その話し振りは、まだ状況が飲み込めない子どものようでもあった。

母にとって、彼がどんな存在だったのか分からない。少なくとも、幼少期ともに過ごし、自分の血の繋がった親である祖母暮らし続けていた「彼」のお葬式にもお通夜にも出れないことは、やはりショックな出来事であり、何を悲しんでいいのか、すぐには整理がつかないようだった。

きっと、親である祖母離婚して、その後すぐ彼が家に来て、そこからずっと母は、同じように色んなことを飲み込めないまま生きてきたのだと思った。

もう高齢で、ボケかけの祖母は、すぐには状況が完全に理解できなかったらしく、母からLINEが入っていた。

母は気持ちの整理がつかないのか、若干文章ががおかしかったが、「やはり 悲しいことと思います。」と書かれていた。

彼が死んだら、お葬式にもお通夜にも、自分はおろか、「田中」以外の人間が出ないことは、ずっと前から、僕が生まれるよりも前から分かっていたことだった。

別に祖母がそのことをどうにかしようとする素振りもなかった。祖母と彼はただ一緒に暮らして、おそらく楽しい思い出をつくり、何かを片付けることもないまま、彼は死んだ。

残された人はみんな、この悲しみをどう受け止めていいかも、怒っていいのかも、誰に話していいのかも、どう弔えばいいのかも、分からないままだ。

祖父のような人が、昨日死んだ。このことを上手く話せる日が、いつか僕に来るだろうか。

2023-11-05

anond:20231105110705

おまえらも親の死んだときお葬式喪主になったらやっぱり「うちの宗教」があったんだなっておもうよ

2023-10-20

若者地上波なんか見ない

若者地上波なんか見ない。という事実を踏まえて番組づくりをすると視聴率うpするはずなんだよ。

  1. 80歳のじじいがナンパする番組
  2. やらかい食事レシピを紹介する料理番組
  3. ゲートボール乱闘シーンの総集編
  4. オレオレ詐欺加害者宅にライオンなどの野生動物を放つ野生の王国
  5. お葬式の実況中継。遺産相続トラブルを詳らかに解説

お父さんもお母さんも手作りが大好きな人だった

お葬式手作りでしてあげるね

2023-10-17

菊花賞に向けてのプレビュー

あの素晴らしい菊花賞から1年

彼とお別れらしいお別れもできないまま、今年も菊花賞がやってきました

今年も現地に行って、彼の写真があちこちに飾られた場所で、ひとりで気持ち区切りをつけてこようと思います

今年は今年の菊花賞があるし、素晴らしい馬がたくさん出るけど、僕からするとお葬式と、追悼レースのようなもの、という気持ちで行きます

では今年の展望です

有力馬紹介

勝ちに近いと言える力を持った馬は3頭です

過去の実績と馬の実力から言えば、ソールオリエンスとタスティエーラが別格です

2頭が抜けていると言っていいでしょう

ただそこに、前哨戦神戸新聞杯最後最後まで伸び続けたサトノグランツは、京都3000で言えば見劣りしない力はあるものと思います

実質この3頭の3強状態ととらえていいでしょう

その次点グループです

これも3頭

神戸新聞杯でもサトノグランツの次に最後最後まで伸びたハーツコンチェルトは、着順こそ振るわなかったもの前哨戦としては悪くない走りで、ダービーでも3着の実力を考えると軽視はできないです

そして別路線からになりますが、スタミナ十分という話で、鋭い切れ味も見せるドゥレッツァが上がり馬の最右翼

の子にはルメールが乗るのでそれだけで期待感も高まります

あとは穴馬っぽくなるかもしれないし別路線ではないんだけど、札幌記念でタフな馬場を走り続け、一線級相手に2着というパフォーマンスを見せたトップナイフ絶対に軽視してはならない馬ですね

さらにその次点、3番手グループ

シンプル前哨戦神戸新聞杯で好走した2頭

特にファントムシーフはHSでも皐月賞でも堅実な走り

ダービーでは後ろから末脚一閃に賭けたけど不発だったため、逃げた神戸新聞杯で3着

菊花賞も先団でしぶとい競馬を選ぶと思うけど、凡走はしないはず

地力上位は間違いないです

もう1頭はサヴォーナ

特に波乱があったわけでもない神戸新聞杯で、あわや勝ちかと思わせる走り

10番人気ではあったけど、昨年のヤマニンゼストのような好走劇とは違い、実力での走りという感じ

7、8番手の実力はしっかりあるでしょう

最後に注意しておきたい馬

ノッキングポイントリビアングラス

ノッキングポイントPOGでも必見と言われた素質馬で、頓挫もあったけど最終的にはダービー掲示板

そして夏は古馬との重賞新潟記念も勝って重賞馬になった

後になって「そりゃ素質馬だったもんなあ、盲点だったなあ」と言われるような馬はこんな馬

リビアングラスは阿賀野川特別を逃げ切って出てくるスタミナ型のキズナ産駒

おそらくまた逃げるので展開を握るのはこの馬

各馬の懸念

ソールオリエンス 武史騎手トーンがなぜか上がってこない。あまりソールを買ってない?そして距離適性は「3000は少し長いけどぎりぎりもたせられる」程度という話

タスティエーラ ダービーから直行で結果を出した馬はほぼいないこと。ノーザンダンサー系がほとんど馬券に絡まないこと。ただこれらの懸念過去の傾向だけ。

サトノグランツ 本当の意味での実力が上位2頭に通じるかの見極めが必要。長距離川田は3割引き

ハーツコンチェルト やっぱり神戸新聞杯はふがいなかった。最近松山騎手は「脚はたまったけど脚を使えなかった」しか言わないし、長距離松山は4割引き。ハーツクライ産駒は京都菊花賞で好走例が少ないのもマイナス

ドゥレッツァ 実力が正直正確に判別できない。いいっていうからいいんだろう感がやはりあるルメールは信頼できる。クラシック下位馬の下剋上が少なそうなので期待されている感。

トップナイフ 皐月賞ダービー大敗しているから、ここでの力が劣るように見えてしまう。札幌記念が成長の結果ならいいのだが。ノーザンダンサー系は好走が少ない。

ファントムシーフ やっぱり実力はトップより1枚落ちる気はする。堅実だけど武器は少ない。これもノーザンダンサー系。

サヴォーナ やはり実力は少し足りてない

ノッキングポイント 長距離は正直怪しんでいる。でもモーリスでも2200や2500は好走があるし、3000だからって切るほどではなさそう。

リビアングラス 正直足りてないよね。いったいったで穴開けるなら。

現時点での結論

個人的には今のところソールオリエンスが一番強いと思っている

タスティエーラは怪しい部分も多いけど、思えば春もそういう目を覆して勝ってきた馬だった

タスティエーラはパワーとスタミナをあわせもち、先行してしぶとく伸びるタイプで、器用さがあるほう

サトノクラウンや、タイトルホルダー、アスクビクターモアとタイプ的に一番近く見えるのはこの子

過去菊花賞馬に一番近い

でも、そのタイプ菊花賞勝ったのは阪神なんだよなあ

やはり京都ならサンデーサイレンス系が勝つのではないかと思っている

川田が神がかればグランツもあって、長距離川田やんって感じならソールが勝つ気がする

あとは直前の追い切りや枠を見てから

2023-09-08

追記)人が亡くなったらその人のお茶碗を玄関先で割る

追記0909 19:55

※ごめん、西日本関西書き間違えたので修正

思ったより情報が集まってくれて嬉しい。

ありがとう全国の増田

とりあえずまとめるとこんな感じかな。

 

30年前に鹿児島でもやってたという情報は親が鹿児島にいた時期とも被るので同じ地域(もしくは宗教?)だったのかも。

あと、我が家がトンカチでお茶碗を割ったことについてはそういう作法があるのではなく、住んでた家が安アパートの2階で玄関先で陶器を思いっきり割ると下に落ちて危ないからと丁寧に叩いて割ったという経緯がある。全然割れなくて大変だった。袋に入れて叩きつけるのは正解だと思う。

 

とても興味深い情報が集まってよかった。

こういう文化好きな人も集まってきてるみたいなので、心当たりがある人は引き続き情報を書いてくれると嬉しい。

本文

当方神奈川出身の30代。

親に人が亡くなったら「もうここに帰るんじゃないよ(あるべきところに行くんだよ)」と言う意味玄関先で亡くなった人のお茶碗を割るんだと教えられた。

そして父が亡くなったときは、実際にトンカチでお茶碗割った。

 

なので、お通夜お葬式みたいな人が亡くなった時の決まりごとだと思ってたんだけど、これ全国共通文化じゃないらしい。

というか関東文化じゃないらしい。

教えられてから30年近く生きてて初めて知った。

 

かにうちの親は鹿児島出身なので、関東圏の文化じゃないのは納得。

でも、調べると鹿児島文化でもなさそう。兵庫とかの文化な気がする。

どこの地域の人ならお茶碗割るの?

うちの地域お茶碗割るよって増田いたら、その地域を教えて欲しい。

2023-09-07

お葬式で流れたら生き返る自信がある曲教えて

いざというときのために

2023-08-28

人生って初見殺しが多すぎない?

例えばさ、

新卒就活 ←1回しかできないのに人生が決まる

飛行機の乗り方←搭乗30分前に行くなんて知らない

結婚←やり直しはバツイチなっちゃ

お葬式マナー ←焼香のやり方、いまだに不明

・歯の大切さ ←失ったら元に戻らない

多過ぎるよ!

もっと人生チュートリアルを増やすきじゃないか

2023-08-08

このあいだ親が死んだんだけど

7刻みなので47日きとかいうらしい。

まずは今までありがとうである

がんばって闘病して、いろいろできないことが増えていって、内心は情けないとかいろいろおもってたかもしれないけど忍耐して恬淡としたものだったな。

増田お葬式だしたあとは、いろいろ考えたりはしたな。

遺された親のほうがいろいろあったからな。

さすがにちょっと疲れたけど普段運動不足もあって親のどちらのせいでもないな。

なんかすっごく楽しいことは年取ってるせいで間延びしてる。いつもどおり。

ガチャもあたらない。いつもどおり。

本当にわりといつもどおりの日常

でもそれが親ののこしたもの、思いやりとか平和日常ってやつなんだろうとおもう。

初盆台風でふきとばされないように、もどってこられるならちょっとのぞきに来てくれ。

庭の花もそこそこ咲いてるっぽいぞ。

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