はてなキーワード: Totoとは
今年も胃のバリウム検査の季節がやってきた。昨年までの経験(下記)を踏まえて、トイレクイックルの詰め替え用パックを事前に購入し、今年も万全の態勢で臨んだ。
http://anond.hatelabo.jp/20160117194406
しかしながら、今年は下剤の効きが今一つで、自らが書いた下記の教訓を活かせなかった。
早期に排便することの重要性
昨年は、検査直後に排便できたことに油断して追加の下剤を飲まなかったのだが、検査翌日になってからの便にかなり粘度の高い硫酸バリウムが混ざるハメになった。
今年は、硫酸バリウムが完全に排泄されるまで指示通りに下剤を飲んだところ、当日中にすべて排泄できたようであるが、便に混ざる硫酸バリウムの粘度があまり高くなかった。どうも、体内に長く残留すると、硫酸バリウムの水分が吸収されてしまうのか、固まりやすくなるようである。
すなわち、検査当日の夜中にもなって、硬めの白い便が出てきて、不運なことに水面に浮かべたトイレクイックルからこぼれ落ちてしまったのだ。こうして、何度水を流しても底に鎮座する白くて茶色い塊と、2年越しの再戦をするハメになった。
一瞬、2年前の、あの、地面に踏みつけられたガムのようにまとわり付く物体を、物理的に処理するという、思い返すも気分の悪くなる戦いを繰り返すのかと絶望しかけたが、冷静になって2年前の自分の記事を読み返すと、末尾にかすかな希望が。そう、あのときには論文を見付けたときにはすでに処理済みで、試すことができなかった、「お湯で流す」という手段が、私にはまだ残っていた(下記参照)。
これによると、検査で使われる硫酸バリウム懸濁液には粘度を増すための添加物が入っているが、水温によって大きく粘度が変わるらしい。粘度自体は、メーカーや添加物の種類によってだいぶ違うのだが、水温が20度から40度になるだけで、50%ぐらい粘度が下がるものもある。
つまり、他のページで見かける「トイレにお湯を流したらバリウムが流れた」という記述は、硫酸バリウム懸濁液のこの性質に基づいていて正しいという可能性がある。
次回の胃ガン検査では、お湯を用いた処理方法についても試してみたい。
なお、調べたところ、便器に熱湯を流すと割れることがあるため、お湯の温度は40~50度程度までにとどめる必要があるらしい。試す方は注意されたい。
結論としては、「2年前の私、グッジョブ」である。そう、お湯を何度か便器に流したら、まもなく水面が白く濁って来ると同時に、白くて茶色い塊がほぐれて、いくつもの茶色い欠片となって舞うようになったのだ(これはこれで、なかなかキツい光景だが)。つまり、白い硫酸バリウムは、再び懸濁液となって流れ去ったのである。十分にお湯を流したところで、あとは普通に水を流したところ、無事、便器の底の白くて茶色い塊は消え去った。
今後この方法を試す人および未来の自分のために、今回私がやったことをもう少し詳しく記録しておく。
私の自宅便器は、2年前に書いた通りTOTOのC482というもので、便器の底の水が比較的少ないタイプである。最近の、底の水が多いタイプの場合は、お湯の効果が現れるまでにより多くの回数が必要となるかもしれない。または、あらかじめ水を汲みだして減らしておくという、これまた考えたくない工程を追加する必要があるかもしれない。
体重計物理センサーの計測部品(ロードセルといいます)は意外と継続的な重さに弱いので、ベッドなんかにつけたらいわゆる「重い物乗せすぎて針が戻らなくなる」羽目になるよ
ただ、正直なとこ、トイレに体重計仕込むのはワンチャンあると思ってる
と思ったらあった。っていうか5年以上前に終了してた
https://www.daiwahouse.co.jp/release/20081224111714.html
今ならお金も技術も需要もある…TOTOとか頑張ってるらしい(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO11200260Y6A221C1XM1000)が誰か…
地方在住の子持ちのおじさん31歳にはのんびり考え事をする時間はうんこするときしかないのだ
そんなとき
ハッと閃いた
俺は一戸建にするべきだと
一戸建にはマンションにはない(仮にあってもあまり現実的ではない)
維持管理がどうとか
セキュリティがどうとか
流動性がどうとか
胃腸が弱いうえに「うんこが降りてくる」のを便座で待つタイプの俺にとって
うんこタイムは誰にも邪魔されたくない神聖な時間なのだ(「邪魔」というのは俺がトイレから出るのを誰かが待っているという精神的なプレッシャーも含む)
それと同時に慌ただしい朝に30分以上も、場合によっては複数回、トイレを1人で占拠される事に対する妻と子(まだオムツだが)の苛立ちも
もはや我が家の崩壊を防ぐには「俺専用トイレ」を設置するしか道はない
(妻はトイレが高速なので2つトイレがあれば渋滞は回避できる)
というわけで今日はこの二日間で収集した大量のカタログ、妻は住宅メーカーで俺はTOTOやLIXILのだが、を熟読しようと思う
虚空を貫く稲妻のように、私の体を痛覚が走り抜ける
「このウンコはビッグでハードだ。私はこのウンコを生み出す痛みに耐えられない」
私が便座の上で悶えたのは、その数秒後だ。ウンコが空気に触れるその刹那まで、私の体は痛みを感じることすらないのだ。
そして私の体はあらかじめわかっていた痛みに悶える。雷雨をいち早く察知する漁師のように。大海原でそれを避けることは誰にもできないのだ。
痛みの後に押し寄せてくるのが、臭いだ。
ウンコが着水するそのゼロコンマ数秒の間に、匂いの粒子は私の鼻に到達する。
こんな臭い物体を身に宿して、誰もが自分を地べたを這っている。
まるで自分は普通の人だと訴えるように。自分は今まで臭いウンコをしたことがないように。
しかし、現実問題として私のウンコは臭い。昨日食べたシーチキンの匂いがする。確かに咀嚼されたはずのシーチキンは、姿を変えてTOTOの便器の上に鎮座している。このシーチキンも、何ヶ月か前はあの大海原を自由に泳いでいたはずなのに。
シーチキンにとってせめてもの救いは、転生したその姿がビッグハードウンコだだったことだ。
宿主に呻き声を上げさせる、ソリッドなウンコだ。
あんな柔らかく芳醇なシーチキンが、どうしてこんなに固く拳を握りしめて、私の肛門を裂くんだろう?
まあ、もう手遅れだ。なんにせよ、ビッグハードウンコは私の体を裂いたのだ。
あれだけ硬いウンコならば下水管を流されても、ウンコとしてプライドを保ち続けるのではないか?
そして、そのウンコはいつか大海原に到達し、回り回ってまた再びシーチキンになるのではないか?
そのとき私は、自分が生み出したビッグハードウンコに気がつくことができるのだろうか?遠い日に離れ離れになった恋人たちが、お互いの体臭を嗅ぎ当てる様に?
全てはまた遠い未来の話だ。さよならビッグハードウンコ。次に出会う時は、もっと健康な消化器官を持って、適切な固さと控えめな匂いで生まれ落としてやりたい。
釣りをするつもりはない、先に書いておこう。うんこは漏らしそうになったがギリギリセーフだった。お前たちのそういう期待には応えられない。俺の衣類は無事だ。
俺が問題視しているのは渋谷駅の構造だ。お前らは渋谷駅周辺で便意を催したときにどこに向かうだろうか?
20年ぶりに渋谷を訪れた俺は適切なトイレを見つけられなかった。危うく漏らすところだった。お前らは思うだろう、漏らしていないならどうでもいいじゃないか、と。
違う。
漏らすのはある一線を超える行為だ。
誰にでもpoint of no returnがある。軽々しく越えてはいけない一線だ。うんこを甘くみるな。お前の括約筋が担っているものは決して小さくない。ロンドンにはビッグ・ベンがあり、お前の腸にもある。人が飯を食い生きていく以上、当たり前の話だ。
ロンドンでビッグ・ベンは時を刻み続ける――お前の腸内も同じだ。
うんこは時計の針とは違う。ただお前の体を通り過ぎ、いつかは出ていく。
その時、お前はどこにいる?
トイレを見つけやすい街とそうではない街がある。渋谷はうんこのできない街、それでいいのか?
工事の終わらない駅として知られる横浜で、俺はうんこに困ったことがない。トイレの場所は変わらないからだ。
俺の直腸は横浜で勢いよくうねり狂う――そのための場所があるからだ。俺の肛門が活躍できる場所があるからだ。便がほとばしる――俺の身体を飛び出していく。俺の消化器が奏でるビートが、TOTOの白い壁面を鳴らす。直腸を駆け抜ける放出感。誰もが知る、あの満足の瞬間だ。
だが渋谷は違う。
トイレが見つからない。俺の知っていた場所にはない。それでいいのか? 本当にいいのか? お前たちはどこでうんこをする? お前たちの菊はどこで花開く?
主語が大きいことはわかっている――だが、渋谷はうんこに冷たい街だ。いいのか? それでいいのか? 誰もうんこと無縁ではいられない。渋谷にうんこは必要ない――そうかもしれない。だが、うんこを排除することは人を排除することだ。
私自身の転機になった日はいくつもあるが、2010年代に絞って言えば6つある。
今よりずっと景気の悪い時代に何千万もの印税(両親の書いたもの)を家族が手にするようになる。
この両親に嫉妬するようになり、ギャンブルに足を運ぶようになった。
私はもともと車はおろかバイクに対しても抵抗感を抱いていた。嫌々取得したと言う言葉が似合うので、免許取得後も当分はほとんど使い道がなかった。
しかし、この日に起きた大震災で交通機関が使い物にならないために何をするにも困っていたときに、高校時代の知人が買い替えでいらなくなった二輪車を譲り受けたが、乗ったところ使い勝手の良さを気に入ったので、以降それを使い続けている。
公共交通の信頼性を疑うきっかけになった最初の事件がこの大災害ではないだろうか?
私は幼少期から鉄道が好き(正確に言えば小学生時代から)だが、耳と目を疑うような事件があった。言うまでもなく観光列車の蔓延である。
同時期に北海道では公共交通のトラブルが社会問題になったこともあり、この年から鉄道とは距離を置くようにしている。
2009年からギャンブルを続けていてそれまで平均で何百万も勝利してきたが、たまたま2億~4億ぐらい当たったのが両親にばれてしまい、お金と代わりに家を追い出される。
現在は1LDKか3LDKの格安マンションに一人で暮らしているが、なんだかんだで満足している。
totoやlotoの当選金トンズラで家を追われて2年たって憂鬱になった私に追い討ちをかける事件があった。熊本の大地震で列車が脱線した。
この時ニュースで知ったことは、公共交通が公共の資産でなく企業運営の遊園地と化していたという実態だった。
この日以降私はオートバイやバスやJRや公営鉄道や飛行機での移動が多くなったほか、私鉄を極端に利用しなくなった。また、鉄道好きを隠し通すようになった。
最近は警察がカジノ利権獲得のためかやたらと暴力団リスクを叫ぶ。建前は正義、しかし本音は利権獲得のためであるというのは言うまでもない。
公営ギャンブルは各々管轄省庁が決まっている、競輪とオートレースは経済産業省、競艇は国土交通省、競馬は農林水産省、TOTOは文部科学省、宝くじは総務省、パチンコは警察庁である。
警察は大量の天下り先確保のためにカジノ利権を獲得しようとしているのは明白だ。だから最近はパチンコに対して大規模な規制をかけて俺たち警察はパチンコをここまでコントロールできるんだ、だからカジノ利権頂戴というのが目に見えている。
でもね、カジノは海外だと行政や立法機関から独立した第三者の機関が監視や運営をするのがメジャー。管轄省庁なんて作った暁には「J●Pはカジノですらお役人様の天下り先にしようとしてるのかよwwwやっぱ(世界から)遅れてんなwwww」と笑いものにされる。日本のIR法案だって一応は「カジノ管理委員会」という機関がその役割を担うことになっているが…調べてみると内閣府の外局として置かれることになるっぽい。
カジノ管理委員会は、別に法律で定めるところにより、内閣府に外局として置かれるものとし、カジノ施設の設置及び運営に関する秩序の維持及び安全の確保を図るため、カジノ施設関係者に対する規制を行うものとす
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/gian/192/meisai/m19205189020.htm
内閣府の外局とかやっぱりお役人様の天下り先確保のためじゃないか(呆れ)という声も出るかもしれない。でも内閣府の外局って非常に独立性の高い機関である、例えば公正取引委員とか。
でも警察は諦めない、今度はカジノ機器の検査を行おうとしてくる、パチンコ台の検査を警察の天下り機関である保安通信協会が行うようにね。
警察が関わったらつまらなくなるのはパチンコ・パチスロをみて明らかじゃんか、ちょっとしたイベントも射幸心を煽るということで禁止、違反したら営業停止。これが今のパチンコ業界、おかげでどんどん市場規模は減少中。遊技としてでもギャンブルとしてもおもしろくない産業に成り下がった。
警察なんて気分次第で違法にしたり合法にしたりするとんでも組織なんだから日本でカジノを行う業者は団結して警察からの天下り要求を突っぱねるべきだよ。