はてなキーワード: 内心の自由とは
「内心の自由」どこいったんや😭
まずアイマスクをつける。ここがいきなりハードル高めだが、なんとか頑張ってヨメを言いくるめる。
次に、自分の性癖に刺さる属性を思い浮かべる。JKでもなんでも良いので、ここでは仮にそうする。
当たり前だがJKとするのは犯罪であるので、絶対にやってはいけない。だが、JKを想像しながら大人とやるなら犯罪ではない。内心の自由というやつだ。
ここで重要なのは、例えば相手を特定の誰か、例えば長澤まさみと思う、とかではなく、CAとか電車の運転手とかファーストフードの店員とか、あくまで「属性」の想像にするということ。
特定の相手を想像する手がかりはおもに視覚情報だから、たとえば長澤まさみを想像するには彼女自身のイメージ、写真とかなんとかが必要になって、まさみの写真を見ながらヨメとセックスすることができるならそれは良いのかもしれないが、プレイとしてはあまりにもレベルが高すぎて我々凡人には真似できない。
人は視覚から得る情報が8割と言われている。逆に言えばそれさえ遮断すればほとんど想像力がセックスの相手になるわけだ。
ヨメはJKではない。だが、視覚以外の情報は2割。ということはセックスの相手は、ヨメ2割、8割JK。8割とはいえ、相手がJKならちゃんと勃つ。ヨメがアラフォーでも関係ない。だって2割だし。
アイマスクで視覚さえ遮断すれば、ヨメは想像のなかではほとんどJKになり、実際にはJKでないから捕まることもなく、勃てばヨメも喜ぶのでwin-winということとなった。
バンクシーの「ナパーム弾の少女」withミッキーのツイ見たが,ロリコンとしてこれに意見が一つある.
少し前にどっかが「ナパーム弾の少女」を児ポだとして規制して,それに対して多くの「まっとうな大人達」が抗議してたわけだが,僕はそれこそが児童ポルノに対する本質的なエゴやと思う.
僕のようなペドにとって,そもそも「ナパーム弾の少女」はかなり魅力的や.つまり低俗な言い方をすれば抜ける.
あれ一番有名なのは真正面から遠目に撮った写真だが,実は他にも何種類かあり,中には全裸のロリに大分近づいた,それこそ割れ目とかもくっきり見えるほど近づいたものもある.
正直エロい.
なので僕はこの話題に対して理性的に論じるなら,当然「ナパーム弾の少女」はネットから抹消されるべきやろう.ほかの児ポがそうなっているように.
ただそうはなっていない,ただ報道写真として価値があると言うだけで.
具体的な名前はださんが,エロさよりもその芸術性が高い作品はいくらでもある.
もう一つは児童を性欲の対象として見る風潮,つまりは社会的法益
なるほど確かに「ナパーム弾の少女」は「善良な人たち」にとって児童を性欲の対象として見ることにはつながらないだろう.たぶん.あいにく僕はそのような人たちでは無いから推測にしかならないが.
しかし本邦においては児ポの要件に実在性をおいている,つまり僕がcomic loを持っていても逮捕されないことからもわかるように,児童ポルノ規制は対象児童の個人的法益の保護を重視しているのは自明だろう(無論法規制はより複雑なプロセスを経ていることを前提にして)
では,「ナパーム弾の少女」は他の児童ポルノとは違い被写体を保護していると言えるのか.否だ
ベトナムで,戦禍に見舞われ,命からがら逃げている写真を,先進国の人々が何十年にエアコンの下でネットサーフィンをしながら見ている現状は,とうてい彼女を保護しているとは思えない
彼女に写真に撮られない選択肢がなかったとは思えない.そもそもそんな判断すら出来なかっただろう.
女性の写真家に,自由意志(未熟者に自由意志がないといえばそれまでだが)で,十分な対価をもらってヌードを提供し成立した児童ポルノより,「ナパーム弾の少女」が健全だとは到底思えない
結局のところ,「ナパーム弾の少女」は「高尚」だから存在を許されているに過ぎない.
高尚だから,「善良な人たち」はそれを性欲の対象としないから.
ただ自分たちが善良で清廉で正常であるために,「低俗」な児童ポルノは規制し,「高尚」なものは残す.
その気が無くともついつい道行くこどもを視姦して,あわよくばロリとがっちゃんこすることを望んでるのだから.
ただ,異常者の一人として,「善良な人たち」にたいしてとても腹が立った
少なくともペドフィリア差別に反対しますタグがバズった昨年時点では「Q+にペドフィリアが含まれるか否かについはLGBT運動家の中でも意見が割れている」と纏められる程度に「ペドフィリアをクィアに含める人間が一定数いる」と捉えられてただろ。
https://www.bookbang.jp/review/article/763764
小出版社「ころから」が、「ペドフィリアを含むあらゆる内心の自由について、いかなる制限もなく保障されるべきだと考えております」との告知を掲げた。目を疑うべき事態である。
あらましはこうだ。昨年8月、ころからは『イン・クィア・タイム』というアジア系クィア作家アンソロジーを翻訳出版し、作家の王谷晶に帯文を依頼した。ところが、王谷がペドフィリア差別発言をしていると本書訳者の村上さつきとその連帯者が指摘し、帯文の撤回を要求したのである。王谷の「『LGBTQのQにペドフィリアが含まれる』はデマだ」というツイートが糾弾されたようだ。