はてなキーワード: 負け組とは
(のかもしれない)
社会にとって重要なものや、本当に優れたもの、生産性を上げるもの、役に立つ自己投資などのサービスは、1割の人間か、もしくは後世の人間にしか求められない。
ルサンチマンにとって、本当に必要な負け組の現状を打破するものが、ルサンチマンにとって求められるのではなく、(これは意識高い系の発想)、負けている自分自身の状況を、努力することなく、ありのままで称賛してくれるもの、
底辺であるにも関わらず、のし上がろうとする発想(ハングリー精神)が不思議なほどゼロである日本のルサンチマンは、自分を向上するものに興味もなく見向きもしない、不思議な生命体である。
うるさい!たかがレイプと戦争を一緒にするな!ケツのひとつやふたつくれてやるわ!そんなどうでもいいことより二十年幽閉された上一生負け組の刑の私の気持ちを伝承しろ!
飲まなきゃやってられるか!
飲食はやっぱ一生負け組なん?
いやークラス内ヒエラルキー最下層にいそうな弱小パソコン部の無生産メンバーがぐだぐだと少しズレた会話をしてるだけなのに何であんなにおもしろいんだろうか。
俺も学生の頃教室の隅っこでこんな会話してたわと懐かしくなれるね。
実にいい。
しかし大抵の学園フィクションは何だかんだクラスでヒエラルキーの高いキャラクターや恋人がいる人間にばかりスポットを当てるから困りますね。
やれスポーツの大会で優勝を目指すだの、クラスのマドンナに好かれて三角関係だのどこをどう共感しろっていうんですかね。
勝ち組の青春が素晴らしいことなんて言われなくても分かってるんですよ。
そんなの何度も見せられても感覚が麻痺してはいはい勝ち組って羨ましいねーふーんでも僕負け組なんでコイツらと比較されて馬鹿にされていた方南でサッカー部から偉そうにされながらビクビクしてたオタクちゃんなんで全然感情移入できないっすわーとしか思えないんですわー。
ネット黎明期の無駄に文字大きくして黄色や赤にして(核爆)とか付いてたようなノリがいいんじゃん。
それを小奇麗にしてもブックオフで100円シール貼られてるエッセイの劣化コピーにしかならんよ。
出版社通そうとしたら世にでなくなるような部分があるからいいんだよ。
本当ね小綺麗な文章なんて古本屋いけばいくらでもワゴンに入ってるわけよ。
それを今更見ても何とも思わないの分かって。
どー考えても日本は劣等民族で、まさかそいつらと結婚するとかもったいなさ過ぎるわけで。
だから、アメリカなり、フランスなりそっちに行けば人種的にレベルが高い存在でいられるのに。
結局、ハーフでチヤホヤされるのが目的なんじゃねーの。って思ってしまう。
あとさ、やっぱり印象悪いんだよね。
日本で相手されないブスの母親と、本国で負け組みの白人男。この組み合わせなんでしょ。っていう。
負け組み同士の混血でできた子供、性格も悪いよねそりゃ。頭も悪そう。
というイメージ。
結局は白人社会で負けた男の子供で、母親は日本で負けたのを悔しく思ってて。
それでできた子供でしょ。って感じ。
父親居ないほうがまだ「ああ、ヤリステされたパンパンの子かー」くらいで同情できるまである。
見た目白人なのに、日本語しか話できません。みたいな奴が一番醜い。
日本みたいな劣等種族で一生を終える恐怖を感じたら、勉強くらいしろよ。
それができなかった時点で、人間として終わってるわ。
少年漫画のな○と読んでて思ったけど
非モテコンプこじらすと既婚子有りになっても非モテ思考のままなんだよな
作中で未婚のエリート女性が「30で結婚予定無し、最後まで独身」で物凄く扱い悪いのと
経済成長しなくていい!と以前から頑なに主張している派はそんなことは知っているし、それでは説得できない。
「成長率3%必要説を信じない」か、「なんで滅びることが悪いの?」
という。
安定が好きで変化嫌い、というのがある。
これで前に進まない。メディアが散々、勝ち組負け組と羨ましがらせるようにして、大衆の嫉妬心を長い間かけて最大まで高めた。
物事を前へ進ませようとする人は、必要なことであっても、なかなか前へ進めない。
今の日本に必要な精神の学びは、嫉妬心・プライドを捨てて、意識を高く保ち勤勉になること、だと思う。
成長は、その後ついてくる。
一応警告しておくけれど、
なぜなら、人生の時間の多くをコピーすることに費やし(時間を無駄にし)クリエイティブスキルを何も磨いてこなかったから。蓄積がゼロ。
昨日「はてブはメジャーなのか」みたいな増田がホッテントリ入りしてたけど、まあ全くメジャーではないよね。後からできた新規サービスに次々抜かれたウェブサービスの負け組だとはっきり断言できる。
じゃあなんで負けちゃったのかと言ったら、それは「マイナススターがない」ことに尽きるのではないかと。
ブコメって賛同は可視化されるけど批判が可視化されにくい。スターをたくさんもらったコメントが、さも大正義のように見えてくるから、それと違う意見を持った人たちにとってはただただ不愉快に見えるんだよね。マイナススターさえあれば「こんだけ賛同を集めてるけど俺は糞だと思うね。死ね。」ということをしっかり表現できて精神衛生上健全なコミュニケーションが取れると思うんだ。
増田はもう疲れた。毎日毎日釣り記事を書いて、ブコメを貰うことを唯一の生き甲斐としていた。けれど、ホッテントリ入りしても、はてなブックマークのトップ画面を飾っても、私の承認欲求が完全に満たされることはなかった。だから増田をやめることができない。
1ブクマつくと、脳の奥底に電流が走り、コーヒーを3杯飲んだあとのような恍惚感がほんのりと浮かび上がる。2ブクマつくとほろ酔い状態となり、心地良い酩酊感に包まれる。3ブクマつくと身体が火照ってきて、もう理性で感覚を抑え付けられない。10ブクマを超えたあたりでエクスタシーに到達する。麻薬と同じようなもので、増田がやめられない。
私は大学生の頃、就職活動にことごとく失敗した。内定が得られないままに卒業した、社会の負け組だった。そんなとき、ふと増田に足を運んだ。愚痴を書き込むと、ブックマーカーと呼ばれる人たちが私の側にやってきて「良い文章だ」と褒めてくれた。砂漠に一滴の水が零れ落ちるように、私の心は初めて承認されることの悦びを知った。
もっと、もっとだ。ブックマーカーの人たちに褒めてもらいたい。無職の私は、就職活動もそっちのけで増田投稿に熱中した。渾身の力を入れて書いた記事は、そのときは目に触れなくても、後から必ず増田ウォッチャーの人たちが拾ってくれ、人気記事に入ることができた。
私は今までにエントリーシートや履歴書を何枚も何枚も何百枚も書いた。100社以上にエントリーしたが、誰も私に目を向けてはくれなかった。けれど、増田は違う。増田に書いた文字は、みんなが見てくれている。増田こそが私の生きる道なのだ。悟ったんだ。私は清々しい開放感に包まれて、世界に自分のすべてが受け入れられたかのような気持ちになった。
そう宣言した日。
母は眉間に刻まれた悲壮なシワを両手で隠して、さめざめと泣いた。隣で聞いていた父は腕組みをしながら「そうか、それがお前の決めた道なら、俺は止めない。だが絶対に諦めるなよ。お前が増田プロになる日までは、うちの敷居を跨がせない」と厳かに言った。
私は家を追い出され、野に放たれた。はじめは何もかもが自由で、新鮮だった。私は誰にも縛られず、何を書いても許された。私は毎日毎日増田を書き続け、ブクマを積み上げていった。
それから1年が経った。なんだ、この虚しい気持ちは。自分が今まで努力してきた日々が、何もかも無意味に感じられた。見下していたはてなブロガーの人はAdSenseで月10万円を稼ぎ、すっかりプロブロガーとして独立している。対して私は1円足りとも稼げていない。結局のところ、私はなんのキャリアビジョンもなく「プロ増田」という甘い妄想、キラキラとした夢、幻想と承認欲求に衝き動かされて、3歳児が野原を駆けまわるようにふらふらと遊んでいただけなのだ。
Twiterのプロフ欄には「フリーランス」と声高々に書いていたし、増田プロとしてのポートフォリオサイトも構築した。Facebookに「俺は増田プロになったんだぜ」と書き込むと、イイネがたくさんついた。今までまったく友好のなかったフレンドから「増田さんはすごいですね! 会社の枠組みに収まらない人だとは思ってましたが、まさか増田プロになるとは! 今度一緒に飲みましょう」と、下心満載のメッセージが届いた。
高校では一言も口を聞いてくれなかった同級生から次々とフレンド申請が送られてくる。承認待ちリストには、かつて私が片思いした女性も含まれていた。違うのだ、私はいま「増田プロ」の虚しさに打ち震えているのだ。私が欲しているのは、ブクマでもはてなスターでもない。
ありのままの自分を認めてくれる、たった一言。愛情に飢えていたのだった。私はもう増田プロを騙るのをやめる。騙って語って偏っていくのをオシマイにする。惜しまずにお仕舞いとしてお終いの姉妹丼にするのだ。
私は自分のほんとうの気持ちに気がついた。私が今まで増田をやっていたのは、愛して愛されたかったから。だからもっと私を愛して、私だけを見て、私だけを褒めて、私だけにブクマをつけて、私だけにスターをつけて、私だけを承認して、私だけに顔を見せて、私だけに声を聴かせて、私だけに寄り添って、私だけに命を捧げて、私だけの愛を受け止めて、私だけの言葉を聴いて、私だけに抱かれて、私だけに快楽を頂戴、私だけの愛人になって、私だけの恋人になって、私だけの私だけに私だけ私に私私私私私、愛して。
大槻ケンジが書いたらしく、結構これをリスペクトしてるみたいな人もいるみたいなので、期待してた。
内容はネタバレ全開で書くけど。
マイナーバンドや映画を見て、俺はクラスの明るい奴とは違うんだぜみたいなネクラ君が主人公で。
クラスの明るい女の子が意外や意外、マイナー映画やバンドが好きで、仲良くなって。クラスでの明るいキャラは作ってるんだと。
で、主人公もこの女の子に負けたくないと、ウジウジしてないで何か行動して成長しななきゃって映画作ったり、バンドしてみたり。
でも女の子は、エロありの映画に出るためにヌードデビュー、高校中退。
映画のタイトルは、じゃんけんで、勝ったらグリコ、チョコレートみたいな進みかたするゲームのたとえで。一気に進む人もいれば、全然進めない人もいるよね見たいなたとえだった。一気に進んだ女の子と、進めなかった男の子の対比みたいな。
で、最後は35歳無職になった主人公が実家に帰省、地元では女の子の自殺の話が出ていた。みたいな終わり方。
なんつーか。俺は勉強ばっかりして学歴、ひいては職に変えちまった、青春を。
でも、それって不自然なんだよな。
だってさ、昔の人類って寿命は30無かったんだっけ。遺伝子的には25くらいらしい。つーことは、10代とか恋愛とかセックス当たり前だったわけだ。
青春時代って、よーするに子孫残せるか残せないかの勝負だったわけだよ、遺伝子的には。
その時期を捨てて、おっさんになって何するのってことだよ。
俺は、青春コンプレックスは、単にマスコミや漫画で騒ぎ立てただけだろーそんなん、単なるコンプだろって思って納得してたけど。
違うわ。本能的な当たり前なんだわ。
この時期にセックスできない、恋愛できない、そんなチャンスすら無い状況に居たってのは、生物的には人生終了と一緒なんだわ。
だからか。
青春した奴がうらやましい。
女は簡単に彼氏できてうらやましい。
ドキュンは女とやりまくれてうらやましい。
そういう風な感覚は、生物としての優劣そのものだったんだなって。
だからこそ、青春した奴らが少しでも後悔するような社会で、引いては青春を捨てた俺の選択を肯定従ってるのかって。
でも、一生負けは負けだな。
2chのコピペでも見たわ。夏祭りだの、制服デートだの、昼間からセックスだのを体験しなかった奴は負け組みだって。
その通りだわ。
トータルで人生勝つにはしょうがないとはいえ、あまりにも大きすぎる代償だった。
可愛いと思ってた女の子が裏切るようなことすると、やっぱ女ってきたねーなあってなる。
そりゃそうだよな。
そりゃ、昭和の時代なら、男女ともそれなりに処女童貞で結婚したんだろ。
それが、何もなくやられたらさ。無理だわ。
そりゃ未婚率あがるわって納得した。