はてなキーワード: 明日とは
一回立ち止まってじっくりいろいろ考えたいときってあるじゃん。
立ち止まるのは自由だけど、自分が止まっている間も世界は目まぐるしく動くじゃん。会社員なら「あれこれ考えたいのでしばらくお休みください」なんて理由で長期間休めないし、仮に休めたとしてもその間も社会は変化し同僚は成果を出し友達は結婚するじゃん。面倒だけど真面目に考えないとなーって思っててもゲームの季節イベントはあるしニンテンドーダイレクトはやるし漫画の新刊も出ればアニメの新シーズンも始まるじゃん。
そんな時にこのボタン!
面白いことも真面目なこともとにかく全部一つずつ消化したいから、まずは一時停止。自分が心療内科なんかに通ってあれこれ人生の道に迷っていても、このボタンがあれば友達がどんどん結婚していったりしないしどんどん歳を取る自分に怯えなくてもいい。真面目な問題が解決したら、一時停止解除。さぁ、夜更かししてニンテンドーダイレクトを見てXで大騒ぎしよう!ソシャゲのスタミナ消費も忘れずにね。
不滅のあなたへは最近一気見したけど久々の大作でよかったな。知名度上がってほしい
おすすめは 僕だけがいない街、ID: INVADED、サマレン、姫・プ磷シパル、アクダマ駕駛、BANANA FISH
学園祭が終わった夜、部活の同級生4人でオールをしようということになりカラオケか雀荘か漫喫に行く流れでまとまったのだが(今は知らないが、当時は詰襟のままでも平気で入れてくれる所は新宿渋谷池袋あたりの繁華街まで足を運べば必ずあった)、1年生の後輩が自分も付いて行きたいと言い出した。
「お前は家に帰れ」と皆で説得したけれど、どうしても一緒に行きたいとテコでも動かなかった。結局、「学園祭の日だから特別に親の許可が出てるんです」の一言で仕方なく後輩も仲間に入れることにした。
翌朝、俺は母親に叩き起され、顔を真っ赤にした父親から今までの人生で一番迫力のある説教を喰らい、挙句ビンタまで御見舞された。
後輩の母親が俺の家へ「嫌がってるうちの子を無理矢理朝まで連れ回すとは何事か」と猛抗議の電話を寄越したのだ。
週明け、早速俺は昼休みに後輩のところへ行き
「お前とはもう絶対に遊ばないけど、お前んとこの母親に会わせろ。学校休んででも時間合わせるし家まで行ってもいいから絶対に会わせろ。クソすぎて納得いかねえ」
と申し入れたところ、
その日の夕飯時にやはり我が家に電話がかかってきて(母親は1時間ぐらい受話器を手にしたまま謝り倒していた)、「お母さんもう死にたいよ」と泣かれた。
この時まだ父親は帰ってきていなかったが、まもなく自分に訪れる未来を想像したらおっかなくなり、大急ぎで貯金箱の金を全部財布に入れて家を飛び出し、携帯の電源を切り、わざわざバスに乗って、少し遠めのファミレスに避難しそのままそこで夜を明かした。
午前7時台の東海道線に乗り終点の沼津駅で降りてずーっとプラプラしていた(沼津東?高校の近くの海岸が絶句するほど綺麗だった)。
昼過ぎ頃、恐る恐る携帯の電源を入れて着信履歴をチェックしてみると、確か妹から3回くらい、同級生たちから20回くらい、学校から5回くらい、家からは本当に数えれないくらいの着信があった。
いよいよ観念した俺はそのまま東海道線に再び乗って学校に行くことにした。家に帰る勇気はとてもじゃないけどなかった。
夕方頃に職員室に顔を出すと、たまたま担任がいたのでそのまま別室に連れていかれた。
「いや全然。それよりおうちの人みんな物凄く心配してるから絶対に今日そのまま帰れよ。お父さんもお母さんも怒らないから絶対にそのまま家帰れよ」
「わかりました。ていうか先生、学園祭のあとのこと知ってます?」
「はい。……でも俺、〇〇の母親にまだ死ぬほどムカついてるし頭パーだと思ってますけどね」
「もういいからそういうことを言うな」
結局、担任の言う通り俺は家に帰っても母親父親のどちらからも全く怒られなかった。
翌日、学校では「親と揉めて家出」という行為を周りから死ぬほどからかわれたが、そのまま何事も無かったかのように学校生活に戻り、部活にも復帰した。
後輩との関係も元通りに……ということは全くなく、結局俺は卒業まで彼と一言も口を聞かなかった。視界に入るのも嫌だったので部活辞めて欲しいくらいだった。
産まれてから数ヶ月しか経ってないのに早速、自分の内面的変化を感じていて「親になるとこうも意識を変えられてしまうのか」と驚かされる。
当時のことを親になった者として改めて考えてみたのだが……
やはりどうしても謝り倒して涙を流して俺を叱責した母親、引っぱたいた父親の気持ちが全く分からないし、
我が子の無謬性を疑わずにひたすら怒り狂って抗議に抗議を重ねた後輩の母親の気持ちも全く分からない。
もしも将来、俺の子供が学園祭のあの日の俺と同じことをしたとしても、損をしないよういくつか忠告はするけど絶対に怒りはしない。
後輩と同じことをしたとしたら再三再四
「無理矢理連れ回されたなら向こうの親御さんと話をする。その前に確認するけど、嘘はついてない?あと、何となく断り辛くて不本意ながらついて行ったとかは100%自分の責任で無理矢理には当てはまらない。思い出してみて?本当に無理矢理連れて行かれたの?」
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明日になればわかる
これらは、知的な困難のある子どもを育てる意識の高い親が意識していることだ。
人から好かれる子どもは、自分の意見や気持ちを伝えやすくなり、自分で決める力が育まれやすくなるし、人と仲良く過ごせることで、ストレスが減り、心穏やかに過ごせる。
そのため、意識の高い親は子どもの性格よりも、人から好かれるスキルを重視して教える。
これは、知的な困難のある子どもの可能性と自由を広げるためのサポートになっている。
じゃあ、高学歴や高収入だったり、少なくとも特別な支援を必要としていなくて行動に制限を受けていない自分たちの場合はどうだろう?
とりあえず、『礼儀正しさ』について考えてみよう。どう考えても、礼儀正しさに対するプレッシャーはそれほど高くはないよね?
嫌われても生活に大きな支障がない幸運な状況にいるから、多くの人は無礼な態度を取りがちだ。
常に礼儀正しく振る舞うことができない人は、人から好かれることをさほど重要視していない可能性が非常に高いと思うので、
本当に自分が人に嫌われないことを気にしているのか、もう一度考えてみる必要があると思うよ。
(もちろん、『礼儀正しさ』は社会的なつながりや共感を築くのに役立つ重要な要素だし、他人に敬意を払うことは社会の一員として不可欠なことではある。
自分が多くの人と共に生きていることを忘れないようにしたいね)
次に、誠実さと素直さについて考えてみよう。世の中の多くの人は、誠実で素直な人には悪感情を持たない。好感を持つまでには至らなくても、誠実で素直な人に対しては親切だ。
そのため、ポンコツで礼儀正しさが足りなくても、誠実で素直なだけで、だいぶ生きやすくなる。
誠実さは、思いやりを持ったり、嘘をつかなかったり、約束を守ったりすることで示せる。
一方、素直な態度を取るのは、人に親切にされ、親切にした経験が必要なので、めちゃくちゃ難しい。明日から『はい、素直になります』と簡単にはいかない。
人に対する信頼度が低かったり、ストレスなどで心の健康状態が悪いと、素直な態度にはなりにくい。
また攻撃されそうだと感じたり、自分を守ろうとして攻撃的になったりするかも知れない。
環境が大事だけど、どうしたら安全な場所へ確実に行けるかは誰にもわからない。
理想としては、生まれ育った実家が安全であることが望ましいが、現実はそうでない人も多い。
とりあえず、安全な場所がわからずとも、ストレスフルな環境や、礼儀正しい人が少ない人が環境からは、離れた方が良さそう。
ただ、どんな環境でも意地悪な人しかいないということはないので、今すぐ素直になれないなら、素直な演技をするだけでも状況は変わるかも知れない。
素直な演技だけではなく、誠実、礼儀正しさもセットだとなお良いけど、まぁフツーに疲れると思うよ。
同じ事を書くけど、本当に自分が人に嫌われないことを重視しているのか、もう一度考えてみる必要があると思うよ。
ちなみに、素直な人は、自分自身を受け入れることができる人ということになっていて、自分自身を受け入れることができる人は、他人を受け入れる人ということに、一般的にはなっている。
したがって、素直な態度になれない場合、人間関係を築く上で難しさが増す可能性が高まる。
素直の課題をクリアすることは、処世術や人間関係の基盤を築く上で非常に重要・・・・・・ではあるけど、ご存知の通り、素直じゃない人は世の中にいっぱいいてフツーに生きている。
最後にまた同じ事を書くけど、本当に自分が人に嫌われないことを重視しているのか、もう一度考えてみる必要があると思うよ。
自分のブログもTwitterも元友人にヲチられてるからここに吐き出させてほしい。
今日で32歳になったんだけど、先週ペットが死んだからなんも嬉しくない誕生日。何食べても味がわからない。仕事しかしたくない。漫画読んでもなんも楽しくない。こうやって泣き言をブログに書くと、掲示板に私を晒すくらい粘着してる絶交した友人が喜ぶので自分のものなのに愚痴も吐けない。
とりあえずAmazonで全部買ったけど、全部仕事道具だった。「私」が欲しいものは何一つなかった。
これが一生続くのかと思うとやる気出ない。
仕事に生きてきたから特に男関係はなかったけど、友達多いし、趣味あるし、ペットいたし。寂しくなかった。寂しく思う時間がなかった。
でもなんかもう飽きたわ。
知人もペットも好きな人もみんな私より先に死んじゃうんだもん。障害判定病院から受けたのがショックで自殺未遂までして結局怖くてやめたなんかの才能も生きてる理由も誰からも愛されない私が生きてて、才能あったり、優しかったり、誰かを愛せる命が死んじゃうんだもんな。くだんね。命が平等とか嘘じゃん。生きてる価値が無いやつが生きてて、生きてるべきなのが死ぬ。
こんなこと言ってると歳の割に幼いとか言われるんだけど、実際幼いんだよ。知的障害なの。軽度だからまだなんとかやってるけど、アラサーなのに全然頭が年齢に見合ってないの。でも身体は衰えるから、なんか女性特有の病気っぽくて、はは、今日保険屋行ったわ。まだちょっとおかしいなって感じだから放っておくけど本格的におかしくなったら病院行く。流石に一か月飯食ってないのに8kg体重増えたり生理不順だったりなんか腹が妊婦っぽいのはなんかあるだろって友達に言われて、まあ病気だったらそれでいいかって。
明日自殺しようかなって思ったりするけどそんな勇気ないし、多頭飼育してたからまだペットが家にいる。あと仕事まだめちゃくちゃあるし、現実的に考えてまだ死ねない。
でも生きてるの飽きた。つまんない。
https://anond.hatelabo.jp/20230912005213
上の記事について、たくさんコメントが来てびっくりした。初めてかもしれない。いくつか追加したい。
以降、アロマンティック・アセクシャルは長いのでAro/Aceと表記する。記事で「Ace」とアセクシャルのみの書き方をしてしまった。訂正します。
人間は30年くらい生きてたら同じコミュニティじゃなくても、一目惚れや片思いがあると思っていた。自分にはその経験が無い。中高大バイト先職場路上すべて無い。それでおかしいのではないかと思い始めた。自分に自信が無いせいで、好きになる前に諦めている可能性があっても、マジで無いのはおかしいと思った。
彼には大変悪いことをしたが、付き合ってるとき(一緒に出かけていたとき)も恋愛感情は無かった。向こうが好きだというので「ありがとう!」と思ったが、恋愛も性愛も含めた「好き」という意味であることをわかっていなかった。優しくて写真が上手なところは好きだったが、その「好き」は恋愛感情ではなかったので本来は「写真仲間でいましょう」と答えるのが正解だった。
「彼氏」としたのは、そういう呼び名をつけておくと対外的にまとまりが良かったことと、彼氏ができるのが初めてだったので「私のことを好きだという異性」を彼氏と呼んでおけば良いのかと漠然と思った。あと一緒にいるうちに何か私も心情が変わるのかなと期待して付き合っていた部分もあったと思う。幼い考えで恥ずかしい。
Aro/Aceの多くは「自分はこれから絶対恋愛をしないぞ!」と決めているわけではないと思う。恋愛感情が「無い」からいって恋愛感情を「悪い」とするわけではないからだ。恋愛感情(と思われる感情)が芽生えたら、何かがどうかなるかもしれない。全然目測は立っていないけど。過去の行動や現在の気持ちの動きに基づいてAro/Aceを自認しても、未来についてはわからないと言いたかった。
自分ももしかしたら今晩スーパーの店員さんに一目惚れして、自分は恋愛感情が無い人じゃなかった…というオチで終わるかもしれない。その時「ほらやっぱり」って言われたら申し訳無いとしか言いようがない。そう言う意味でもカミングアウトで良いことが無い。
関連してAro/Aceをカミングアウトしても、「いつか良い人が」「いつか恋愛できから」と返されて「うーん」となるシチュエーションもあるあるらしい。それを聞くとやっぱりカミングアウトで良いことは無いと思う。
確かに混同していた。自分の言いたい方は「恋愛弱者」にニュアンスが近いので直した。ありがとうございました。
自分は「好きなキャラがこう振る舞っている様子を見たい」というキャラ解釈の一つを示す動機で夢小説やBLを書いている。BLと呼んでいるが、「Love」にあたるところがわからないのでもしかしたら自分の書いているものはBLでないかもしれない。
解釈をたくさん出したいので「こういう人物が相手だったら?」「また違う人物だったら?」と主人公(夢主)も相手も色々なパターンで書いている。自分をヒロインに据える型だったら主人公設定に一貫性などが出てくると思うが、よくわからない。
自分の小説を恋愛・性愛を持つ人が読んだら「変な小説だな」と思われている可能性は十分にある。
書きながら思ったが、そもそも自分の詳しくない恋愛が発生するようなシチュエーションにわざわざキャラを入れる必要は無いかもしれない。気づきを得た。
インプットする側としては、恋愛が主題になるコンテンツを選んで読むことはほとんど無い。たまたま読んだ本の短編集に恋愛エピソードが入っていたり、映画本編の中の一つの要素としてある場合にしか恋愛コンテンツをインプットする機会は無い。
好きな俳優が出演している作品であれば見る時もあるが、恋愛モノだとよくわからないので恋愛パートについては具体的な感想が出てこない。辛そうだったら「辛いんだなあ」と思うし、嬉しそうだったら「嬉しいんだなあ」と思っている。感情移入はできないが、話を進める要素として観ているので嫌悪感は持たない。
「イキイキしている」は一喜一憂も含めてだったので、辛いを思いをしている人にとっては確かに嫌味だな。ごめん。
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思考整理を兼ねたいたずら書きのような記事に色々突っ込んでもらえたので面白かった。ありがとうございました。
ところでカミングアウトへの考え方は正反対だけど、「ブサイクのアセクシャルがどんどん出てきてほしい」はものすごい共感してる。
行かないと旦那の機嫌悪くなるし明日も仕事なのになんで無給で接待しなきゃなんねえんだよ~
もよおしてさぁひり出すぞという瞬間に、採便キット家のトイレに置いてきてるじゃん!!!と思い出してさ…
実際は過去問とかじゃないで
試験範囲ここやでとか、小テストあるでとか、提出物これやでとか、そういう伝達を先生はするんだけど、学生というものは必要な情報の6割くらいしか把握しない
でも友達がいると、試験範囲どこやったっけ?とか、えっ明日小テストまじか!って聞いたり気付いたりする機会がある
友達いない子は何も気付かないのよ
試験範囲分からなかったら先生に聞きに行けばいいのにそれもしない性格の子が多い
あー小テスト知らんで全然できんかったからもうダメやいうて次から来なくなったりする
それさえできれば全く問題ないんやけどな
そういうのができる子にはだいたい友達がおるわ
特殊な人をのぞいて