はてなキーワード: メンヘラとは
最近Twitterでやたら見掛ける映画がありますね、そう、ミッドサマーです。
「カップルが観ると死ぬ」「観て別れたらセラピーを保証して貰える」など、カップルで観るなランキング2020の1位を独走中の映画ということで、観に行くことにしました、カップルで。
とは言え監督も「固い絆があれば大丈夫だよ!」と言っているみたいですし、これで観た後に破局となったらと思うと興奮しますね。ちなみに両者共にアリ・アスター監督作品は初見です。
と言うわけで、カップルでミッドサマーを観に行った感想文です。知識が無いので有用で目新しい考察とかは全く無いです。
このご時世ですが国内旅行を嗜んでいる中、ミッドサマー鑑賞会を決行しました。ロケーションは某県市内、上映している中で一番行きやすい映画館を探してみるとミッドサマーともう一種類しかやっていないという中々に硬派な劇場(経営大丈夫?)でした。
上映後即入れ替え制でしたが、観覧後らしい女子大生が得意げなドヤ顔で「えーこれくらいのグロ余裕だよぉ」「ヘレディタリーはもっと凄いよ〜笑」みたいに語っていた為、この映画はひょっとすると『そういう』層ばかりが観ているのではないかと不安になりました。勿論、鏡の中の私もその一人だからです。
ですが昔の人は言いました、人の振り見て我が振り直せ、そんな訳で襟を正して場内へ。
私は映画館に行ったらポップコーンを頼むのは様式美、映画館に対して表するべき敬意であると常日頃から考えているクソデブですのでポップコーンを購入。二種類あったので当然二種類頼みます。ミッドサマーは上映時間が2時間を超えるらしいので、お茶やコーヒーの類を頼み膀胱への刺激は最小限に抑えます。
さて、開始早々にメンヘラ不穏メンヘラ不穏不穏メンヘラヘラヘラ不穏みたいな流れに困惑、しかしこれはきっと明るく楽しい狂気の下地なのでしょう。分かれる寸前のカップルか?(そうです)みたいなカップル内不和を堪能し、こういうのがじわじわ来るカップルもこの中に居るのかなぁって思ったらなんだかとってもドキドキしちゃいましたね。
随所にグロテスクな映像やホラー的な表現はあるものの、概ね「まぁそうなるよね」と予想のつく流れが多い。なのでこう、ビックリしてドーンがバーンでギャーみたいな感じはない。そういう面で言えばドッキリ系ホラーが苦手な人でも安心して観れるんじゃないでしょうか。
後から公式の解説ページを読んでみたのですが、「あーやっぱりそうかぁ」もあれば「ホァ!?」ってなった部分もあったので、全体の雰囲気に流されて細かい狂気を見逃したり、一瞬の狂気をきちんと理解できていなかったりする部分があるんだろうなぁと思いました。
個人的に血の鷹は後からヒョェって感じです。ただ、なんで彼がそんな拷問のような仕打ちを受ける役回りになったんでしょうね?立ちション白人がやられるならわかるんですけど。細かく描かれていないだけで、儀式的な必然性があるんですかね。
あと結構セックスが云々って話題になってたので、もっとセックスシーンがエグいと思ってた、予想してたのは「あの緑の傘みたいなのは子宮のメタファーであの木の下で大乱交素ファック(ゴム無しの意)ブラザーズ(穴兄弟の意)」とかだったんですけど。
本当に申し訳ないと思っていますがミッドガルの花屋の登場シーンみたいだなって思いました。
さてラストに差し掛かって、熊が炎上するじゃないですか。そこで「あーあの子せっかく種貰ったんに15分でパパ居なくなっちゃうんだなぁ」って思っていたのですけれど。これ、そもそも違うんですよね。異邦人はホルガのコミュニティの一員ではないんだから父親ではない、アメリカからやって来たデリバリー精子でしかないと気付いたのは半日位経った後でした。
この感覚の違い、普段うんこちんちんで面白おかしく生きているつもりになっている自分がいかに平凡な一般人であるかを思い知らされる大変に良い経験だったなぁと思います。この映画の色んな部分に「?」を感じている時点で私もあなたもホルガの民ではないってことなのでしょう。安心ですね。
普段から物語に(特にホラーに)触れている人間なら絶対に「最後にこの女は死ぬな」って予想すると思うんですよ。スタッフロールの後、この黒い画面が転換したら次はこいつだろうなと、でもそんなものは無くて、ミッドサマーはここで終わる。
観賞後に「最後絶対死ぬと思ったのに」「ねー」なんてやり取りをしていたけれど、そりゃ死ぬわけないんですよね。
ミッドサマーはちょっとグロや理解不能な演出が多いだけで、きっとホラー映画やサスペンス映画じゃないんですもん。
老人も異邦人も村人も死んだ、けれどそれは必然で、必要だから死んだっていうだけなんですよね。死んだ、殺した、そういう観点ですら無いんでしょう。だからダニーは死なないんだなぁって、それが凄くこの映画らしい終わり方だなぁって思いました。
私はミッドサマーはホラー演出が多いだけでホラー映画ではないとはっきりと言い切りたい、ちょっとトラウマを刺激する可能性があったり観ている人間を不安定にさせたり不快にさせたりグロテスクな表現があったり理解が難しかったりするだけの、ホルガ村ドキュメンタリーなのでは?って感じ。
映像は物凄く綺麗で、狂気は往々にして美しいものだよなぁとひしひしと感じました。
ところでペレの親が炎に巻かれて死んだって言うのはかつて供物に捧げられたってことですかね?って思ったけどこの祝祭90年に1度しかやらないんでしたっけ。この点と点を結ぶ発想も一般的な思考だなぁと感じます。
深読みして考察して理解しようとするのもまた、意味の分からないものに飲み込まれないようにするための防衛の方法なんでしょうね。
解放とカタルシスのハッピーエンド、というのは本当にその通りだと思います。
最終的に二人で感想を分かち合った所、「いや流石にクリスチャン可哀想では……?」で意見が一致したので、どうやら我々はミッドサマーのせいでは別れずに済みそうです。鑑賞日が29日で肉の日だったこともあり、この後二人でホルモン焼肉に行きました。完全な悪ノリですね、美味しかったです。
さて、メンヘラ女とはなる早で別れろ、というのが総まとめの映画でした。
なんなら皆が死んだのは一年前の時点で別れておかなかったクリスチャンのせいとすら思います。この映画の隠されたメッセージは「やるべきことを先延ばしにし続けると取り返しのつかないことになるぞ」ではないでょうか?いやぁグズには刺さるメッセージですね。だからインターネットランドも含めて爆発的に流行ったのかもしれないですね!
瞬間最大恐怖で言うと、CATSの方が怖かったです。
おわり
数ヶ月後僕「メンヘラはやめとけ」
これくらい落ち込んでるメンヘラ女を飲みに連れてって優しくしてヤルのが最高
酒飲んで、死のうとしたのをとめたら、暴れて、手を挙げてきた彼氏と離れて4日たつけど…
なのに隣にいないことが寂しいって言う矛盾した感情に疲れて、あの日のことは忘れて、何も無かったことにしたい。一緒にいたい。って思ってしまう。
当たり前だけど、友達には絶対復縁するな。って言われてる。したら友達の縁を切るとまで言われた。
それでも、はじめての事だし、彼だって後悔してるみたいだし…、と、彼を擁護したくなる。
【追記】
コメがつくとは思ってなくてびっくりしてる。
DVを許して、復縁して、ボロボロになった頃には全てを失っている未来が見えてきているのにも関わらず… 3月終わりを待たずに元サヤしそうだと思ってる今日この頃。
メンヘラをヤリ捨てる時はストーカー化しないように身分証等は持たずに会うことをすすめる。
酔って暴れる男、それでもその男には私しかいないのと付き合い続ける女。ってわりとテンプレ感あるように思うけど、時代は変わったらしい。
人は誰でも過ちを犯すものだと思う。
それをどのタイミングで正すかで、“常識”“非常識”が変わってくるだけではないのかと思う。
人に手を挙げてはいけないなんて事は、10代になる前に教えなければいけない事だと私は思うが、何を教育していたのか。と疑問に思う。
だから、彼は、気に入らないことがあって暴れる幼児なんだと思ったら許してしまいそうになってる。
仮に、精神が幼児だったとして、内外を傷つけられた私が「人のことは叩いちゃ駄目なんだよー。」と教えてあげる必要があるのかと言えば、まったくないのだが…
なんだか、親の教育が行き届いていないが故に、こんなことになっている彼が不憫で哀れに思う。
そんな気持ちが生まれて、毎日謝罪されていると、「もう十分に過ちを理解しただろう。」と思って、もういいよ。と言ってあげたくなってしまう。
私は甘いな。私はこのまま助けたい症候群で今よりもストレスを感じて傷ついて、彼は何も成長しないまま人生を終えるんだろうな。
今さら言ったところで周知の事実だけどちょっと不安煽ればファクトチェックを省いて安心感を得るために買占めみたいな愚行に走るってことがもうメンヘラ気質っぽくて面白い。
買占めは自己防衛の一つだろうし、転売目的は体の違った火事場泥棒って感じだろうからそんなものは歴史の中でも何度繰り返されてるのか知らんようなことだけど。
とりあえず米の買占めとかどんな論理の飛躍があるんだよって感じでめっちゃ笑ったし、ツイッターやらyoutubeみたいな個人主体の媒体がちょっとしたマスの代替になるわけで大衆を扇動する手段って増えてるんだなと感じた。
二年前に彼女にフラれたが、その傷が癒えないのをみてとてもよくわかる。
18歳まで、告白してはフラれ、好きな人はスポーツできるマンに盗られ、告白しては「テメッキモいんだよカースッ!!!!!!」と言われ。
もはや意地だった。彼女いなきゃしぬ、作らねばこの傷は癒えぬ、という意地で、18歳になってようやく彼女ができた。
「彼女がいる」ということ、僕を好きであるというその事実が、とても心地よかった。
別段、「なんで俺のこと好きじゃねぇんだよぉ!!?」とかぶちきれるとか、そういうへんな拗らせ方もせず、順調に「呪い」は治っていたように思えた。
4年前にできた彼女はとてもよい子だった。
だから僕はこの子と当たり前のように結婚するのかと思っていた。
しかしそうはならなかった。
諸々あって、ともかく別れた。
仕事や家族や環境や死生観、色んなものが互いにしっかり考える人同士だったからこそ、お互いすきだったのに別れた。
まあここはどうでもいい。
「嫌いだったから別れたんだろ?笑」という解釈でも後の文章を読むのに支障はない。
ここで大事なのは、僕は「誰かに好かれている」という状態としての「付き合う」にとても固執していたのだ。
さてそこから2年、非モテ時代の17歳の僕に言ったら「彼女いる時点で勝ち組だろ紙ね、欲張るなカス、○ろすぞ」としか言わんだろう。
好かれたい、好かれたい。という想いをずっとずっと思春期に抱いていたから、なにかを与えないかぎり人に好かれることは微塵もないと思っていて、だからこそ、付き合っているなかで自然と「あっ、好かれている」という感覚、勘違いであっても、それが一瞬でもそこにあったことが、僕にとって何よりの救いだったのだ。
だが一方で、僕はそれに依存していたのだ。
甘く甘く溶けてぼくの脳内にでろでろと入ってきて、視界はぐちゃぐちゃで、別れた瞬間その脳内に入った「彼女」を無理やり引きずり出されたような感覚で。
甘い甘い、ぼくの脳髄を一瞬でも埋めてくれる女の子を求めるだけのクソメンヘラに成り下がった。
モテは麻薬だ。非モテにとって、好かれるということは、依存だ。麻薬だ。
この呪いは、永遠に解けることがないんだなと僕は改めて思った。
とかバカなことを思っていた。
脱出なんかできねぇよ。
永遠に貴様の脳髄にぶち抜かれてるクソな思考なんだよ、非モテは。
そのクソは永遠に抜けない。
クソクソクソクソクソ。
あとゲーム依存にハマってやり過ごすくらいしかやり方がわからない。
誰か助けてくれ
トランスジェンダーでゲイでレズでフェミニストでオタクでクチャラーで在日韓国人でネトウヨで発達障害で中卒で童貞で処女で団地住みで黒人で創価学会員で箸が金属でアムウェイで実家が焼肉屋で最寄駅が信濃町でギャンブル依存症で喫煙者で食パンが8枚切りで輸血拒否でメンヘラで転売ヤーで父子家庭で母子家庭でユダヤ教徒でイスラム教徒でAT免許で包茎で貧乳で親が若くて祝日国旗掲揚で吃音で左利きで帝王切開生まれでワキガで小指がなくて腕に根性焼きがあって部落でキムチが好きで月一で靖国参拝してて握り箸で元関東軍で選挙前だけ電話かけてきて徴兵経験ありで身分証が保険証で裁縫セットがドラゴンで腕だけ毛深くてアレフで彼女がアスナでプールはいつも見学で家に固定電話がなくて川沿い住みでスタートページがhao123で耳たぶが小さくて中国残留孤児の子供で統合失調症で糖尿病です…