はてなキーワード: マイブームとは
適当な知らない役所のホームページで、市民の声的な自由に意見を出せるフォームの過去の意見と回答のページを見ること
真面目な意見と回答のやり取りもあるのだが、態度が悪いと文句言いたいだけとか、長文持論展開(支離滅裂)とか、勝手な想像で適当なこと書いてる(回答でやんわり論破される)とか、まるでネット掲示板のよう
ネット掲示板と違う点は投稿者も回答者も全員本気で書いているというところ
役所の回答も見もので、要約すると「その提案はお断りします」なのに、親身な雰囲気だったり、長文ガチ反論だったり、「今後の市政の参考にさせていただきます」的な定型文回答だけで済ませたり、回答ごとの温度差がいい味を出している
太ることというか太り方について様々な知見を披露してくれる。コミュニケーションの場は主に夕食時間なので、そこで語ってくれるのだ。
自分は三十代のおっさんなので十代二十代に比べれば肉がついてきた自覚はある。が、デブではない。
奥さまもデブではない。どちらかというと小柄だ。
デブは良い。デブ伊豆ゴッドな感じの小話を結構聞いた。婚前にデブ専っていう情報はなかったんだが。
あるときはチラシ(多分自作)ででぶぅ道をアピールしてくれた。まぁ奥さまは以前からおふざけ大好き人間なので、マイブームなんだと思っていた。破壊力は質量x速さなんだから弱者男性はカロリーを取るべきだと語っていたのが記憶に残っている。
奥さまは「吉田ムラマヨ」というちょっと高いマヨネーズが食べたかったようだ。誕生日にお取り寄せプレゼントしてくれ、とお願いされた。
そんなもん察せるかーっ!と返したらでぶぅならわかってくれると思ったって俺たちでぶやないやろ!
ポチりました。
なお奥さまいわく、でぶ活は続けるそうです。
「本来のあなた」と言われて思い浮かべる「自分」とはどういう人間だろうか
多くの人間が「素直さ」から離れてなんか拗らせたアイデンティティを確立しちゃう時期は大体思春期・青年期だ
だとすると、混じりけのない己というのは幼少期の自分…と捉えていいだろうか?(つーかどの時期だって間違いなく「本来の自分」だけどな。他の誰かなわけねーし)
そういうことにしとくとして
自分の幼少期について思い出してみると
「なんかしらんけど地面とかをほじくったりしていた」
イメージだ
その1
親戚の家の隣は空き地だった。その空き地にはもともと家が建っていたそうだが、火事で全焼したそうだ
ほんで建物は無くなったが綺麗に整地されていたわけではなく、タイルの残骸とかがあった
稚い増田が親戚の家に遊びに行った際は、そのお隣の空き地でタイルを掘り返す作業を熱心に繰り返していた
親からは勿論「危ないからやめなさい」と言われていたけれども。ほじくり返すのがマイブームだったのでこっそりとやっていた
その2
自宅の裏には庭があった
砂地だったので、いろんな容器に砂を入れては何らかのごっこ遊びをしていた
ある時、砂に小さな穴ぼこが開いているのを見つけた稚い増田は、とりあえず穴を埋める作業を行った
穴の中に砂を落とし込む
するとどうでしょう
いま埋めた穴の部分がモゾモゾと盛り上がってくるではないですか
ぢっと観察していると、砂を押上げて地中から何かが姿を現し始めました
顕現したのはなんと蜂でした
地蜂というやつでしょうか?
ブブブブと可愛らしくお尻?を揺らしながら地上に向けて掘って上がってきたのです
砂を被ったお尻は薄緑の縞に見えました
その後の展開はお察しの通りです
待ちます
蜂が出てきます
以後ループ
といった具合に、大変迷惑な遊びを喜々として繰り返しておりました
蜂、健気
ごめん。蜂
その3
稚い増田は大体2階でお昼寝をしていた
母親が階下に降りてしまい暇になると起き上がって部屋の隅へ這っていく
部屋の隅っこの床と壁の間にはなんか隙間があり、そこには埃が溜まっていた
ほじくりチャンス到来である
一人黙々と埃をほじくり出す幼児
愉しい
といった具合に、なんかほじくったり埋めたりしていた
なんだそれ
つーか、ほじくってないだけで生産性無いところは今も変わらんわ
宮崎駿の最新作『君たちはどう生きるか』を見てきたんで、ある程度ネタバレありで感想書きなぐっておこう。
正直、観る前に想像してたより悪くなかった。
作画が徹底的に心象風景に寄っているのも、職人芸の趣があった。
火災とか草原の描き方なんて、ゴッホともセザンヌともなんだか判らんけどとにかく印象派的に歪みまくっていて、主人公の高熱に魘された夢のような心が伝わってくる。
田舎の家も、当初は主人公の内心の萎縮ぶりを示すかのように何もかも巨大で、玄関なんてどこの古刹の大伽藍かと見紛う巨大さであり、今に残ってたら家ごと国宝になりそうだ。
心象風景として東大寺大仏殿並の巨大建築に見えているだけである。
敢えて心象風景とわかるように表現している事で、主人公が実際には父の後妻を嫌っていない事も想像がついた。
なぜならすんごく清潔感のある優し気な美女として描かれているからである。嫌っているなら心象風景でそうはならない。
でまあ、作品は途中から塔の中パートと、塔の外パートという二輪構成で進んでいくのだが、
まず塔の中パートだが、なんというか、とにかく意味があり過ぎる。
これは褒めてない。
宮崎駿はもののけ姫辺りから、やたらと意味のあるものを描こうとするようになってしまってるように思える。
1シーン毎に意味があり、多分本人に質問すれば「このシーンはこういう意味がある」と全部答えてくるだろう。
つまり、寓話的で哲学的で記号的で、イソップ童話とか不思議の国のアリスとか、そういう感じの、「意味の塊」として作品を作ってしまっているのが塔の中パートだ。
ムスカがラピュタの雷をぶっぱなしたシーンに意味なんてないだろ。王蟲がペジテのドーム食い破ったのも意味なんてないだろ。
「どうやお前らこんな凄えの見た事ないだろ。俺も見た事ないから作ってやったぞ。見て驚け。」
妄想を爆発させるためにそこには当然無理がある。歪みがある。そのシーンを効果的に描くために、他のシーンで入念に爆発物を積んでいる。
その無理、その歪みが、ある人には滑り、ある人には刺さるのだ。
本人が見せたいのは爆発の部分だが、関係なく歪んだ部分が受けたりする。それが創作の快感である。
ところが、この作品含めて後期宮崎はその「見た事ないだろ」をやらない。庵野もだけど。
なぜなら、名前が売れて裁量が大きくなった事で、作りたいものを作れるようになったからだ。作りたいものは作ってしまい、もはや「こんなの見た事ないだろ」が無い。
庵野はその無理のなさを、その歪みの無さを、オタク知識で埋めてシン・ウルトラマンやシン・仮面ライダーを作った。
そこにはTV版エヴァのような溜めに溜めた便秘大解放のような妄想の爆発は無く、無い物を何とか絞り出した感のある細長いウンコでしかない。
一方、宮崎駿はそれを哲学と記号で埋めてこの作品の塔の中パートを作ったのだ。これは最早宮崎駿のバランス感覚のみで構成された世界だから、やたらとデジャヴがある。
もののけ姫と変わらずに「鎮まりたまえ~鎮まりたまえ~」とやってるし、千と千尋と変わらずに仕事やらされたり禁忌に触れて怒られたりしている。
でてくるのもやたら思わせぶりな妖怪連中である。思わせぶりなだけで、記号であるために特に伏線とかない。どういう存在か説明されてフェードアウトする。
エンタメに徹するなら、塔の中はクトゥルーばりの別の星・異星文明でも良かったはずだ。せっかく宇宙から飛来した謎物体的な設定があるんだから、一気にスターウォーズの世界になっても良かったのだ。
そこから進めて、「現代日本を主人公の迷い込む異世界として描く」まで手が伸びても良かったはずだ。
ところが、そういうエンタメに走らず、やたら寓話的な見たような話で埋めてしまうのが今の宮崎駿である。
ブチ切れるセンス・オブ・ワンダーではなく、賽の河原の石積みみたいなひじょーに心象的なもので埋めてしまうのが今の宮崎駿のマイブームである。
そういう「意味」だけで構成されたパートだから、ストーリーなんてあって無きがごとしである。断片的な寓話を職人芸でつなぎ合わせた取り留めのないタペストリーである。
一方、塔の外パートは違う。庵野と同じく、オタク知識で埋めている。
人力車の描写一つ、言葉遣い一つ、看板一つ、食事のお膳一つから、「当時はこうだったんだぞ」という聞いてもないのに披露されるオタク知識臭がする。
多分、キャノピーも実在のナントカ式とかそういう裏打ちされた設定があるんだろう。田舎がどこの県のどこの地方かも絶対決まってるねありゃ。
っつーことで塔の中パートより終わってる感のある塔の外パートだが、そこで主人公の父親が妙な存在感出してるおかげでかなり良くなっている。
というのも、この父親はある意味で主人公と後妻という二人の問題の元凶と言える一人であり(まあ、亡くなった実母の方がより存在感は大きいが)、更に経営者であり金持ちで何でも自分で決めてしまうタイプ、
こういうタイプは、通常は出て来ても悪役なのだが、この作品ではそれを悪役として描かない。塔の外の部外者として描く。(大叔父と血のつながりもないし)
そんなわけで、このキャラについては宮崎駿の才能の爆発が感じられるのである。
経営者であり第一線でもある、という後期宮崎駿が手にした立場が意図せずに作り上げた鬱屈が爆薬になってこのキャラに込められているのだろう。そのせいで、後半になって妙に生き生きしている。
主人公の心象にだけフォーカスするなら、後半の塔の外パートは要らなかったはずだ。少なくとも、もっと小さくなり、警察とかが来て事務的に進むのがセオリーだったはずだ。
しかし、おそらく宮崎駿はこの父親を描くことに創作の快感を感じたのではないかと思う。
なんかもう藤井聡太ばりに全く失着を犯さず最善手を打ち続ける主人公の代わりに、
この父親は勝手にやらかすし勝手に決断するし部外者でありながらガンガン行くしで、
前半には明らかに狂言回しだったこのキャラだけが、後半に「キャラが勝手に動いた」を感じさせるのである。作中で唯一、記号を感じさせないのがこの父親である。
そんなわけで、ち密に意味を積み上げて作り上げたであろう全体の印象を、後半の父親がぶっ壊して変になっているが、その父親がぶっ壊した所こそが個人的には最も見ごたえがあった、という何とも評しがたい作品である。
まあ、悪くなかったよ。
そう思っている最近睡眠時間6時間キープは超意識してる気配を感じているの。
昼間の眠気が無くなったような気がするわ!
昼間のパフォーマンスが良好よ!
毛布とかさ大物になると
街中に至る所にあって便利で使って見ようかなって思うけど、
あれって清潔なの?って誰しもが思うじゃない。
まあ洗ってない毛布より誰が使ったか分からないコインランドリーででも洗濯した方がマシなのかしら?
でも綺麗な大型コインランドリー!って信じて使う方が疑いだしたら切りが無いので
綺麗な大型コインランドリー!って信じる力がエブリリリトルシングなのよ。
信じ合える喜び。
うーん、
以前に私が住んでいたところで洗濯機が置けないところだったんだけど、
で住宅内にコインランドリーはあるけどなんかぜんぜんメンテされてなくて、
私がいつも埃たまっているところを誇りたかく誉れ高い感じで清掃していたけど
だんだん衛生的に信じられなくなって
その矢先近所に新しいピカピカの新品のコインランドリーの洗濯機が置かれたコインランドリーがオープンしたのでそこに通うようになったのよね結局は。
使用頻度を考えればそう言う信じていいのか分からないコインランドリーを全幅の信頼で信用してもいいかもしれないわ。
あーでもそのコインランドリーに大物もっていくのが大変なのよね!って
渋っていたらいつまでたっても寝具が新しく洗いたてにならない山脈に向かってヤッホー!って叫ばなくちゃいけないところが結局大型コインランドリーを信じるしかないのよね。
それとはまた別に急に降って湧いて思ったうちの洗濯機の洗濯槽も掃除したいなーってところもあるの。
なんだか
新鮮トマトの酸味とタマゴのセクシーヤミーさが美味しくて最近のマイブームよ。
また買ってこなくちゃ2ケースってところよ。
重いけど頑張って買いに行くわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
どんだけみじめな人生送ってたらこんなネットプレイしちゃうのか。
実物に遭いたくはないけど実物を見てみたい。
https://togetter.com/li/2138486
こういう情報に対して、「私らから奪った金で贅沢しやがって」という反応が殆どないのが不思議でならない。
よく日本は嫉妬社会みたいに言われるけれどそれが大嘘だと思うのは、こういうふうに上級国民どもから明らかに搾取されているデータを見せつけられても、怒りをぶつけるどころか這いつくばって拝み倒す人間が殆どだから。
響改二@Emmeria765
この人の発言常にこんな感じなので生きててつらそう。
現実ではめちゃくちゃ搾取されてて、しかもそれに対して自分では努力しようとせずにネットで文句言うだけの人生送ってるんだろうか。