はてなキーワード: てみるテストとは
空き地に住み込んで占有し、子供達から物品を持ってこさせるサングラスの無精髭の不審者の話は結構便利だと思う。
今は単行本を持ってないし、読んだのは30年近い昔なのでうろ覚えで…
適当な判例、搾取する概念・恫喝が何で対象が何に相応するかとか細かいところはとりあえず…
何と言うか、漏れの中では泉こなたイメージの(だけど流石にこなたさんレベルのちびっ子じゃ無い)アキバっ子と頻繁に遊びに行ったりしてるけど、今後どうやってお付き合いしていけば良いんだろうね?
今まで通りアニメイトとか、ゲーマーズとか、とらのあなとか、メロンブックスやKブックスやホワイトキャンパスなどなどのお店に一緒に行くだけで良いのかなぁ。
いや、もう一歩くらい進んだバカップル的な関係になりたいと言うか、漏れもヲタなアキバ系ですし一緒に即売会に行くのも良いけどもう少しキザっぽく(?)夜景の綺麗な展望スペースのあるトコとかオサレなお店で食事とかしたいんだけどね。
あんま異性とのお付き合い無い上で、アキバ系の子とお付き合いするのってどうしたら良いのかね。
・・・とネットの知人に相談持ちかけると大体「爆破」されるので匿名ダイアリーでボヤいてみるテスト。
一緒に居るから一歩進んでみたい気持ちがありつつ、今の状況が無くなるのはチョット怖いと思う気持ち。
※一般的な番組をスキル、アニメ等のオタ向け番組は特殊性が強いので回復スキル、韓流をPK用スキルとしています。
実装直後から現在に至るまで、華やかで攻撃的なスキルを揃え続け、その殲滅力の高さから最強厨に人気なクラス。
反面、非常に打たれ弱くちょっとした反撃ですら瀕死に陥ってしまう為、他クラスから見て「なんでそんなに必死になるのか」という行動をよく取る。
このゲームの人気に陰りが出始めた頃異動してきた新たな責任統括が、それまで狩り中心だったゲームを「金が搾り取れるから」という理由で、PK推奨ゲームに転換する方針に。攻撃が売りで最強厨御用達のこのクラスはガンガンPKスキルを増やして行き、PKの代表格というクラスに。しかしPKアレルギーのある多くのユーザーから猛反発を食らい、匿名掲示板等で集中して叩かれる存在になった。ただし、このクラスを選んでいるユーザーは最強厨が多い為、叩かれたら倍にして叩き返すという行動を取る者がほとんどで、ゲームは混沌とした状態になっていった。
また、規約違反や重度な迷惑行為で垢BANされたのが多いのもこのクラスの特徴。
基礎体力が高く、めったな事ではバテないクラス。
覚えるスキルは良くも悪くも安定感のあるものがほとんど。スキル実装直後にすぐテコ入れが入り、最終的には全く別物のスキルになっている事も少なくない。
他クラスと決定的に違うのがクラス固有クエストであり、感動を誘うのが狙いとするお涙頂戴シナリオが特徴。尚、クエストを進めるにあたり、ハンパなく長い移動を必要とする為にユーザーからは「マラソンクエ」と呼ばれている。
PKスキルはそこそこあるものの、CXほどの量があるわけでもなく内容も無難な為、叩かれる事はあまりない。というかCXが目立ちすぎて他クラスのPKスキルがあまり注目されてないのが現状である。
とにかく全てにおいて無難なクラス。ただし回復スキルは性能はそこそこだがMPコスパが悪い。
実装直後は強力なスキルを所持し、全クラス最強の能力だったが、アップデートが進む度他クラスが強化されるのに対し、過去のスキルと似たり寄ったりなスキルや、他クラスの劣化二番煎じのスキルばかりが増え、現在は最弱と称されるようになった仕様に泣かされたクラス。このクラス同士が会話すると、大抵は「あの頃はよかった」話になってしまう。所謂懐古厨が多い。
しかし、過去、重大な不具合を起こしたスキルに対し、急遽用意したやっつけ程度だった新たなバフスキルが、主婦プレイヤーの間で大ブレイク、以後このクラスの代表的スキルとして現在も愛され続けている。
最近、回復スキルの量を増やし、第2のヒーラーとしての役割を担わせるんじゃないだろうかというアップデートが多い。
戦闘用スキルよりもそれ以外のスキルを得意とするバックパッカー系クラス。特にギルド運営に役立つスキルを豊富に持つ事から、政治ゲーを楽しみたい人に選ばれやすい。
しかし時代の波には逆らえず、戦闘スキルがどんどん増え、それと同時に回復や非戦闘スキルは徐々に減っていった。
ある時期から戦闘力を上げる為に召喚スキルを増やし始める。この召喚スキルがなかなか強力で評判が良く、徐々に人気クラスへと変貌していく。しかしあまりにもサモンが強い為に「サモンが本体」「サモンのサモンによるサモンの為のクラス」と揶揄される事も。
PKの押し付けの時代に突入しても、サモンが強力すぎた為にPKスキルはあまり実装されなかった。今でもサモンに頼り切った戦い方が中心である。
ただ、あくまでバックパッカーとしての役割にこだわり、戦闘以外のことに集中するユーザーもまだまだ少なくは無い。
とにかく回復スキルが豊富なクラス。他クラスとは一線を画している。
しかしヒーラーとしての悲しき性か、戦闘スキルは貧弱で、尚且つ狩場を限定しているものだらけであり扱いづらく、このクラスを選んでるユーザーは少ない。
実装されてから全くコンセプトが変わらないのが特徴。ただひたすらにマイペースを突き進む。たとえどんな酷い状況でもヒールし続けるその姿は「それでこそ俺らのTX」と賞賛を浴びる。しかしマイペースというのは自己中心的という事でもあり、規約違反行為をする者も意外と多い。
PKの時もやる事は変わらない為、「PKなにそれおいしいの?」状態である。
「総合」「教育」「BS」と切り替えができるサブクラスシステムが導入されており、一人で何でもできてしまう為、ソロユーザーに好かれている。
実力はあるものの実装当初のスキルは独りよがりな上、とにかく地味で人気はイマイチだった。しかしアップデートが進むたびに、ユニークさを押し出したスキルが増え、一部のプレイヤーから熱狂的な人気を集めるクラスになった。戦闘、支援、回復スキル全てにクセがあって個性が強く、初見で「これはNHKだな」と一発でバレるくらいである。
実はPK押し付けブームの前からPKスキルを所持してたりする事は有名。現在はPKスキルをサブクラスに押し付けている。
ソロ向けクラスのはずなのに、何故か戦争クラスの集団対人戦にはめっぽう強いスキルを多数所持している。実は戦争好き。
このゲームは、超大型アップデートで画像が綺麗になったものの、過疎化が進み売り上げが落ちているのが、現在の運営の悩みである。
覚えている限りの時間の流れの中から、世の中に存在するコンテンツを分けてみるテストです。
パソコンが外につながっていることが珍しかった時代。新大陸が見つかった状態。新し物好きかつパソコン好きが移民していった。パソコン通信くらいしか商売になっていなかった。作る人と使う人がイコールだった。何かをするにはコマンドを打つ必要があった。
最初は、学者さんの論文の発表やストックするのに使われていた。
イギリスのホストにつないでmozaicでなんて時代には、論文の延長のノリで研究室のメンバーの自己紹介ってのがあった。実は、実名うんぬんってのは、一番最初にやっていた。
ここで、実名を名乗るのかペンネームを名乗るのかの分かれ道。すでに実社会でしっかりと活動している人は、実名でやっていただろうし、ひとりで楽しむような趣味の人や背徳感がある人はペンネームやハンドルネームになったんだろう。
全国の日帰り温泉のまとめのような個人が足で調べた価値の高い情報が高い確率で存在した。
まめな人は自己紹介のついでに日記を書いていた。当時はコンテンツマネージメントシステムは一般に普及していなかったので、htmlを手打ちして、ftpコマンドで送信。量が増えると大変だった。メールをみるときはなんちゃらtermというソフトでコマンドを打ちながら見ていた。
デジカメが普及するまでは、写真を取り込んだりイラストを取り込んだりするのは、お金がかかることだった。まして、高価なグラフィックソフトなど夢のまた夢。デジカメが普及したあとは当たり前になった。
取り込むためには専用の拡張ボードが必要だった。カメラも高価だったし。2GBの壁があって、長い動画は編集できなかった。高画質な動画に仕上げるためには職人芸が必須だった。大容量の動画をあげるサーバーはほとんどなかった。
音楽を作る人は、midiの配布していた。有名な曲のコピーが多かったので、大人の事情でほとんど閉鎖。
無料のホームページとセットのような感じ普及。ホームページ自体散発的なもので、同じ趣味趣向の人たちで同盟とか組んでいたよね。
大量に生成されるコンテンツは個人の手を離れていった。新大陸はいくつかの勢力に分かれて群雄割拠の状態。広告枠として大きなお金が動くようになった。作る人と使う人が区別されるようになった。グラフィカルユーザーインターフェイス(GUI)が、あたりまえになり、コマンドを打つ必要はなくなった。
地図が見れるようになった。パソコンにインストールしていた時刻表やルート検索がwebになった。
コンテンツマネージメントシステムが無料開放された。htmlの作成もftpも必要なくなり、気持ちや感情の発露のみを文章や写真にすればよくなった。改行を大量に挿入してスクロールバーを有効にして、文章を読むためにマウスのホイールをまわして文章を読むときに指の動きを加えて、読んだ感を高める手法が流行る。
会員制の閉じたサービスが登場する。内容は日記、掲示板と基本は同じだが、個人が設定する必要はない。テクニカルな要素がなくなったので、気持ちや感情の発露のみを文章や写真にすればよくなった。携帯電話からコンテンツを作る文化の先駆者ともいえる。携帯しか使わないユーザー層があらわれる。
写真のアップロードも無制限になった。デジカメの画質が上がってもリサイズする必要もなくなった。
動画を受け止めてくれるサーバーも増えた。ブログやSNSのおまけ的存在だったが、Youtubeの登場で無差別級のサービスになった。カメラで撮影した時点で、パソコン用のファイルになっているのも参入障壁を下げた。
たとえば、全国の飲食店をすべて載せるとかそこに感想や評価を付けるようなサイト。個人が手弁当でまとめていた情報を商売にする会社があらわれた。
感情の発露がリアルタイムになる。「つぶやき」という概念が生まれた。新大陸を制覇しようとする勢力の攻勢が高まる。作る人と使う人に加えて踊らされる人が登場した。「更新されたよ」ボタンをクリックするだけで、ダラ見ができるコンテンツが優勢となる気配。
ゲームとかやることが多くなりすぎた。
発展期に登場した便利サービスの中で脱落するサービスがあらわれ始めた。
大きな掲示板のスレッドには、約1000個の書き込みがある。その中から文章を選んでコンテンツを作る手法。新聞の読者投書欄のように投書されたご意見の中から好きな意見を載せることができる。文章ロンダリングやソースロンダリングという言葉が生まれた。
コンテンツの提供形式として、素人作成風味の味付けをする企業・組織があらわれた。個人が大きくなったのかもしれないし、何者かに組織されたのかもしれない。この手の人たちは頼んでもいないのにどんどんコンテンツを作る。
midiサイトに対する警告に比べると2次元コンテンツはゆるい。コンテンツホルダーの手が回らないくらいにあふれいるのか、あえてあふれさせているのかはわからない。黎明期ならばまつりになっているような内容のものがあふれいる。包括的に権利処理されているのかもしれない。
趣味じゃなくて仕事の人が増えたのだろうか。仕事でwebに出るといっても会社の看板を背負うと個人ではなかなか発言できないはずなんだけど。よくわからない。
まいしゅう楽しみにしていた「うぬぼれ刑事」が終わってしまった。これから一体なにをささえに生きていけばいいのだろう。
やけくそでなって、ゼロ年代批評風に「うぬぼれ刑事」を絶賛してみた。
宮藤が一貫して書いてきたのは、「中間共同体を経由した公共性の回復」であった。高度成長に代表される「今日よりいい明日がやってくる」というような広く共有される「大きな物語」に依拠できなくなった現代社会では、社会に包摂性が失われ、個人がむき出しの状態で社会と対峙することになる。
その生き辛さを宮台は「終わりなき日常」と評したわけだが、宮藤は「中間共同体」の生成によって、その日常を「輝かせる」ことで、「終わりがない」ことを業苦ではなく、愉楽に変換する回路を描いてきた。
「木更津キャッツアイ」の「キャッツ」たちのまったりとした日常、「流星の絆」の「血縁のない兄弟」の「スラップスティックなやりとり」、「うぬぼれ刑事」の「うぬぼれ5」の「ダベり」みなが、そうしたテーマの元に宮藤作品ではリプライズされ提示される。
また、この「うぬぼれ刑事」にそれまでの宮藤作品と異なる特徴があるとすれば、それは「恋愛」がきわだって前景化していることだといえる。
従前の宮藤作品に恋愛の要素が欠けていたわけではないが、ここまでメインテーマとしてすえられたことはなかったように思う。では、宮藤は今回、「うぬぼれ刑事」で恋愛を軸に何を語りたかったのか。
それはとりもなおさず、「わたしのかけがえのなさ」の回復といってよいだろう。宮藤が「うぬぼれ刑事」で、「わたしが死んでもかわりはいるもの」といった90年代のエヴァンゲリオン的心性の超克をはかったのであろうことは、「うぬぼれ5」のつどうバーの名称が「I am I」であることや、回想・妄想シーンでの「うぬぼれ」の口グセが「俺は俺だから」だったこと、何より最終話まで秘匿された主人公「うぬぼれ」の名前が「己」であったことからも容易に読み取れる。
その「わたしが死んでもかわりはいるもの」から「俺は俺だから」に至る回路として用意したのが宮藤にとって、今回の「恋愛」だったわけだ。
「ううぼれ刑事」で主人公「うぬぼれ」は次から次へと犯罪者であるゲスト女優たちに恋をする。その射程の広さ(節操のなさ)たるや加藤あいから三田佳子までと、宮藤の好みが露骨に反映されているわけだが、重要なのは、この節操のなさが、「運命の女性」の「とりかえ可能性」を表象しているということだ。
一方で、うぬぼれにとっての「(真の)運命の女性」である中島美嘉は、こうした「とりかえ可能性」から退避した、聖域にいるように書かれているが、最終話で彼女もまた「犯罪者」であることが暴かれ、「とりかえ可能性」のあるいままでの「(いつわりの)運命の女性」と同じ地平にいたこと明らかになる。
これにより、宮藤は「とりかえ可能性」と「とりかえの効かないかけがえのなさ」を同じ地平に接続することで、「とりかえ可能性」つまり、「私が死んでもかわりはいるもの」という状況と「俺は俺」という「かけがえのなさ」は共存・併存することを主張する。つまり、誰もがみな「とりかえの効く<つまらない存在>」でありながら、みなが「誰かにとっての代わりの効かない存在」であるというごくあたりまえの状況を恋愛という回路であぶりだすことで、恋愛という誰もが主人公になれる「自己承認の物語」の上で「わたしのかけがえのなさ」の回復を試みたということがいえよう。
上記のように「うぬぼれ刑事」はゼロ年代を代表する「中間共同体によるちいさな成熟」と「90年代のエヴァ的心性からの脱却」というテーマをあらためてここで提示し、かるがると超えていくことで、10年代の扉を開いたきわめて重要な作品ということができる。
・・・やっつけだし、本当にこんなこと思ってみてたわけじゃないです。
ふつうにクソくだらない小ネタに腹抱えて笑っていました。ここまで私を笑わせてくれるお笑いってあんまりないんで。
あと、加藤あいちょうかわいいし、石田ゆりこが出てくる回がすごいよかったです。プールで制服のままたわむれる女子高生って青山裕企の写真かって話ですよ。クドカン変態。
486 名前:木道 ◆VEkb2cSbK2[sage] 投稿日:2010/06/01(火) 01:17:07 ID:OfFGsoC60 [1/4]
どの板でも板の空気を読んでから書き込む様にしているので、ちょっと時間が・・・
あ、お茶、ありがとうございます。頂きます。
505 名前:木道 ◆VEkb2cSbK2[sage] 投稿日:2010/06/01(火) 07:36:06 ID:OfFGsoC60 [2/4]
ここで話すネタなのか良く分からないのですが、とりあえず投下してみるテスト。
私、下手すると今度の参議院選挙、民主党が勝つんじゃないかと思ってるんです。
理由は各種あるんですが、政党支持率は今現在の段階でもまだ民主党がトップだと
いう事と、投票率が滅茶苦茶に下がりそうなんですよ。
民主党のこの惨状を目の当たりにしても「それでも私は民主党」と言い張るような、
でも、「民主党に期待したけど、期待はずれだった」という方は選挙にこないと、
いう可能性が非常に高い。
そうすると、何が起きるかと云うと「投票総数」に対する民主票の割合が上がる。
根拠としまして、去年の衆議院選挙の投票率は69.2%もあったんですが、
http://www.akaruisenkyo.or.jp/070various/sg.html
参議院選挙の投票率って、ここ10年で60%を超えた事が無いんです。
http://www.promised-factory.com/100years_after/house/turnout-c.html
何としても投票率を上げないと、ヤバイんでは無かろうか・・・というネタ。
507 名前:木道 ◆VEkb2cSbK2[sage] 投稿日:2010/06/01(火) 07:44:36 ID:OfFGsoC60 [3/4]
万が一にも民主党が勝ったら、何が起きるかと想像してみますと・・・
って、ことになるんです。
もう、誰も小沢一郎に逆らう事は出来ません。
訳の分からない普天間対処に、国会での強行採決。挙句に政治と金。
「それでも」民主党が勝ちましたって事になると・・・
「むしろ、これで良かったんだ。これからもこれで行こう」
でも、国民はそれを選んだ事になるんです。
民主主義国家が、民主主義の手段に則って民主主義を放棄した地球の
508 名前:木道 ◆VEkb2cSbK2[sage] 投稿日:2010/06/01(火) 07:52:12 ID:OfFGsoC60 [4/4]
ちなみに、そうなったら、私の予測では民主党以外の政党の全てを
普通に考えてありえないんです。
ところが、憲法には穴があるんです。
昔、暴力団対策法で暴力団を規制した時、この「結社の自由」を盾に
暴力団が国を訴えました。
ところが、「この法律は結社する事を規制してない。活動することを
規制しているだけ」ということで敗訴したんです。
民主党以外の政党を「結社しても良いけど活動したら駄目」って法律。
作ろうと思えば作れるんです。
普通に考えて、作る段階で憲法に抵触するかどうかを聞く必要があり
私は、ここまでのことを「やる」と考えてますので、何とか投票率を
挙げた方が良いかなぁ・・・何か方法が無いかなと書いてみたテスト。
あ、どちらにでも、どうぞ御自由にお使い下さいませ。
先日知人が突然死してしまった(自殺ではない)のだけど、その直前に、夫に
「私はこれまで生きてきて、大したことは何もできなかったのかな?」
と悩み(不安?)を打ち明けたらしい。
夫は「そんなことないよ。君は立派に子を育てて、世に送り出したじゃないか」と言ったらしい。
けど知人はそんな答えが欲しかったのだろうか? もっと非凡なことがしたかったて意味じゃないのかな?
と思った。きっとその返答にも自分にも満足できなかったんではないのか・・
自分は曲がりなりにもwebクリエイター的な職業についているが、未だにまともにヒットを出した事がない。
この知人のように、敗北感を感じながら死んでいくのは正直・・いやだ。
この記憶が前向きな方向に働けばいいのだけど、どうも心が陰鬱な方に向いてしまうので
一億総痴呆という言葉が昔あったが、いまは一億総排他症重症患者である。
その最たるものがキリッという言い回しである。
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話を聞いてると、「自分だけ特別と思ってる奴に虫酢が走る」「俺は凄いだろと言わんばかりのレスは叩きたくなる」
というような意見が多い。
お前ら馬鹿だな。そうやって単純に脊髄反射するから、俺ら釣り師は止められないんだよ wwwwwwwwwwwwwwwwww
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それはそうと、キリッという考え方は相当重症である。
日本古来からの歯痛的考えの延長ではなくて、まったくニュータイプの歯痛主義であるからだ。
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自分と同質なものは多少調子に乗った言動であれ許すというところがあった。
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ところが、90年代に入って、「馴れ合いは悪」という思想が導入されたあたりからおかしくなった。
つまり、同質なものどうし馴れ合いするのも悪ということで、日本古来からの共同体の団結力が内破したと言えば分かるだろうか?
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それはそうと、同質なものどうしの内破をもたらす思想のことを、自傷思想と言ってみるテスト。
その自傷思想の成長した結果が「キリッ」なんだよ。
キリッというのは、同質なものの馴れ合いどころか同質なものが同質なものらしくあることも否定していく。
このまま行くと、もっと深刻な事態になりかねない。
「男から女への性欲なら何を言ってもいいということはない」という日記が興味深かったので自分なりに考察してみるテスト。
こういう考え方をする人が多いのは、多分「エロは男のナワバリ」という時代が長かったからではないかと。
腐女子は「俺たち男だけで気楽にやっていた空間に、突如入り込んできてナワバリを荒らす不届き者」として
男性ファンに散々叩かれてきた結果、自己のふるまいに気をつけるようになったんだろう。
要するに新人イビリの結果ですな。
逆に男性が女のナワバリに踏み込んでひどい目に遭うこともあるわけだし、
「腐女子が男キャラをどうこうするのはダメだけどヒロインならおk」という風潮が生まれた原因は、
女性が男性より気遣いができるからではなく、単に女性が二次エロという分野において新規参入者だったからだと思われる。
さらにもう一ついえば、男性が「他者から性的欲望の対象として扱われること」に不慣れなのも原因だと思う。
女性は現実に男性からセクハラを受けたり、巷に溢れかえっている男性向けのエロい商品を見かけたりすることによって、
「女性は男性にとって性的欲望の対象なのだ」ということを嫌でも自覚する。
また、女性は成長に従い、少々のセクハラはスルーするスキルを身につけていく。
今でこそ「セクハラ」という言葉が知られるようになったけれども、
依然セクハラ行為をする男性は多いので、それにいちいち反応していてはスムーズに社会生活を営むことができないのだ。
女性は男性からセクハラを受けても(それがあまりにひどいものでなければ)、
心の中で「死ね、氏ねじゃなくて死ね」と思いつつも、表面上は「やだー」とかなんとか言ってにこやかにかわす。
セクハラによるストレスは、女同士で「セクハラ魔人」などのあだ名をつけ、陰口を言い合うことによって発散する。
これができない女性は、たとえ正しいことを言っていたとしても「自意識過剰」「KY」などといった烙印を押されてしまう。
こうした日々の受難により、女性は男性から性的欲望の対象として扱われることを不愉快には思うものの、
「男ってやつは、ほんとスケベでしょーもねーな」という諦めと、
いちいち男性向けのエロ表現にぶち切れたりしない忍耐力を獲得しているのだ(ただし、いたいけな若いお嬢さんは例外である)。
一方、男性が受けるセクハラは「男なんだから○○しろ」系の性役割を押し付けられるものが中心で、
女性から直接性欲を向けられることは少ない(金銭欲や物欲を向けられることはよくあるが)。
「女ってしょーもねーな」と流すことができず、自分のことは棚に上げて思わずマジ切れしてしまうのじゃなかろうか。