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2018-07-03

ジャニーズが好きだった頃の話

私が小学校高学年の時、ジャニーズグループ、嵐の人気が爆発した。メンバーの主演するドラマが次々に放送され、ゴールデンタイムバラエティスタートし、出したシングルがじゃんじゃん売れていた。当時の私もご多分に漏れず、嵐のファンだった。櫻井翔くんの知的スマートイメージと裏腹に、ひどい運動音痴というギャップが好きだった。

しかし、母は「テレビをだらだら見ているとバカになる」と言ってドラマバラエティ音楽番組もどれも見せてくれなかった。皆が寝静まったリビングでコソコソ見ていたところを捕まり、怒鳴られたことが何度もある。

アイドル俳優ライブ舞台といった現場に来ず、タダで見られるコンテンツのみでファンを称する人々の蔑称として「茶の間」がある。私はその茶の間にすらなれなかった。時折哀れんだ父親ガラケーワンセグ番組を見せてくれた。「流星の絆」だったかな、電波が悪く荒れ荒れの画面でも見られるだけで嬉しかった。優しい父のことはずっと大好きだ。

周りにも嵐のファンがたくさんいたから、たまに家に遊びに行って録画した番組を見せてもらったり、雑誌を読んだりした。コンサートも行ってないし、DVDも買ってないのに、何がファンだよは鼻で笑われてしまいそうだなとは思う。 まあ、ブームに乗っていただけなのかもしれない。

ある時私にも初潮が訪れた。保健体育の授業で聞いていたし、すでに「来た」という人はたくさんいたので、特に感傷は無かった。ただ、生理が始まると身体の成長が止まり体重が増えていく、と聞いていたので太ってしまうのは嫌だなあと思った。

生理が始まったら、お母さんにどうしたらいいか聞きなさい」という保健体育の授業の通り、母に相談した。(真面目だ)

話を聞いた母は

ジャニーズなんかにはまってるから生理が来るんだよ」と言って泣き出してしまった。

それを聞いた時のショックは今でも忘れられない。まず「初潮が来たという成長を喜んでくれない」 そして「ジャニーズが好きだから生理が来た」という母の反応は想定外だった。

母は私の体形のことを私以上に気にしていたからそれが心配だったのかもしれない。けれど、まるで私が嵐に性的感情を抱いていて、それがきっかけに性成熟したとでも思っているかのような口ぶりがとても気持ち悪かったし、悲しかった。

多くのアイドルジャニーズファンは、別に彼らに性的に興奮しているわけではないと思う。パフォーマンスや演技、パーソナリティが好きでファンをやっている。もちろん私もそうだった。

そういう「好き」ではないのに、嵐と私の気持ちを汚いもの扱いされて本当にショックだった。コソコソテレビを見ていたことや、音楽を聴いていたことをずっとそういう風に思われていたことにゾッとした。

それ以来、私はぷっつり嵐に対する関心を失った。綺麗な男性が出てくるコンテンツも楽しめなくなった。また母親に同じようなことを言われてしまう気がしたからだ。

今も相変わらず母との関係は最悪だけれど、実家を出してもらえないため一緒に暮らしている。居心地は最悪だけれども、お互い関わらないようにすることで平和を保っている。

友達が、母親コイバナするんだ、互いいい歳なのに……と言って笑っていたのを聞いて別の世界の話みたいだと思った。多分三十路になったら、そろそろ結婚したらどうなの?とか聞いてくるに違いない。

知るか。

2016-04-07

[]東野圭吾流星の絆

あらすじ

子供の頃に両親を殺された子供3人が、大人になって犯人探しをする

感想

んー・・・帯でネタバレされてた部分が、ストーリー展開にどんだけ影響及ぼしてくるのかと思ったけど、全然大したことなかった

でもこの期待はずれ感、竜頭蛇尾感、オチ適当さ加減が、言い知れぬけだるい心地よさを与えてくれる

あーこれでまた当分東野圭吾読まんでいいわ

最後らへんの、おそらくいちばんいいところであろう部分を飛ばし読みしちゃったくらい

途中まで全部の文章を真面目に読んで時間無駄にしちゃった

ななめ読みでちょうどいいレベルの内容だったな

2016-04-05

[]東野圭吾流星の絆を読んでいる

ドラマ化されたりしてるのは知ってたけど話は全然知んなかった

でもハードカバーの帯。てめーはダメ

ネタバレしてんじゃねーよマジで

あと感動とかなんとか安っぽい言葉使いやがってそれでも編集者かてめーは

閑話休題

久しぶりの東野圭吾は、あー東野圭吾だなあとしみじみしながら読んでる

一般受けするジャンクフードって感じだ

するする読めるけど一過性面白さっていうか

物語を楽しむ上ではそれで十分だと思ってるから別にdisってるわけじゃないよ

そのときがよければいいってのもありだと思ってるから

帯のアオリに、張り巡らされた伏線!みたいに書いてあったけどそこまで大仰にイウほどの伏線はないなあ今のところ

登場人物も最低限だし、ヘタに難しい言葉使わないし、著者の主張を押し付けてくるようなこともほとんど感じられないし、いやー東野圭吾たまに読むといいわあ

クスリにもならんけど毒にもならん

ただ合法麻薬的ないっときのぬるーい快感けがある

あと半分がんばって読んでこ―

2012-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20120808225125

ごめんなさい。勝手な判断なのであまり気にしないでください。

ラノベといってしまったけど、最近のいわゆる萌え萌えキューンとか表紙の背景が真っ白でキャラ絵だけとか「○○な俺が××な彼女と△△で□□」みたいなタイトルのとか、そういうのはラノベの中にすら入れてないです。コレも自分勝手境界線。

てか、東野圭吾は作品ごとにすごい差があるよね。例えば流星の絆ラノベ判断なんだけど、Xの献身ラノベ判断じゃないです。

2010-09-21

うぬぼれ刑事ゼロ年代批評風に絶賛してみるテスト

まいしゅう楽しみにしていた「うぬぼれ刑事」が終わってしまった。これから一体なにをささえに生きていけばいいのだろう。

やけくそでなって、ゼロ年代批評風に「うぬぼれ刑事」を絶賛してみた。

宮藤が一貫して書いてきたのは、「中間共同体を経由した公共性の回復」であった。高度成長に代表される「今日よりいい明日がやってくる」というような広く共有される「大きな物語」に依拠できなくなった現代社会では、社会に包摂性が失われ、個人がむき出しの状態で社会と対峙することになる。

その生き辛さを宮台は「終わりなき日常」と評したわけだが、宮藤は「中間共同体」の生成によって、その日常を「輝かせる」ことで、「終わりがない」ことを業苦ではなく、愉楽に変換する回路を描いてきた。

木更津キャッツアイ」の「キャッツ」たちのまったりとした日常、「流星の絆」の「血縁のない兄弟」の「スラップスティックなやりとり」、「うぬぼれ刑事」の「うぬぼれ5」の「ダベり」みなが、そうしたテーマの元に宮藤作品ではリプライズされ提示される。

神話のなくなった社会で生きていくひとつの解がそこにはある。

また、この「うぬぼれ刑事」にそれまでの宮藤作品と異なる特徴があるとすれば、それは「恋愛」がきわだって前景化していることだといえる。

従前の宮藤作品に恋愛の要素が欠けていたわけではないが、ここまでメインテーマとしてすえられたことはなかったように思う。では、宮藤は今回、「うぬぼれ刑事」で恋愛を軸に何を語りたかったのか。

それはとりもなおさず、「わたしのかけがえのなさ」の回復といってよいだろう。宮藤が「うぬぼれ刑事」で、「わたしが死んでもかわりはいるもの」といった90年代エヴァンゲリオン的心性の超克をはかったのであろうことは、「うぬぼれ5」のつどうバーの名称が「I am I」であることや、回想・妄想シーンでの「うぬぼれ」の口グセが「俺は俺だから」だったこと、何より最終話まで秘匿された主人公「うぬぼれ」の名前が「己」であったことからも容易に読み取れる。

その「わたしが死んでもかわりはいるもの」から「俺は俺だから」に至る回路として用意したのが宮藤にとって、今回の「恋愛」だったわけだ。

「ううぼれ刑事」で主人公「うぬぼれ」は次から次へと犯罪者であるゲスト女優たちに恋をする。その射程の広さ(節操のなさ)たるや加藤あいから三田佳子までと、宮藤の好みが露骨に反映されているわけだが、重要なのは、この節操のなさが、「運命女性」の「とりかえ可能性」を表象しているということだ。

一方で、うぬぼれにとっての「(真の)運命女性」である中島美嘉は、こうした「とりかえ可能性」から退避した、聖域にいるように書かれているが、最終話で彼女もまた「犯罪者」であることが暴かれ、「とりかえ可能性」のあるいままでの「(いつわりの)運命女性」と同じ地平にいたこと明らかになる。

これにより、宮藤は「とりかえ可能性」と「とりかえの効かないかけがえのなさ」を同じ地平に接続することで、「とりかえ可能性」つまり、「私が死んでもかわりはいるもの」という状況と「俺は俺」という「かけがえのなさ」は共存・併存することを主張する。つまり、誰もがみな「とりかえの効く<つまらない存在>」でありながら、みなが「誰かにとっての代わりの効かない存在」であるというごくあたりまえの状況を恋愛という回路であぶりだすことで、恋愛という誰もが主人公になれる「自己承認物語」の上で「わたしのかけがえのなさ」の回復を試みたということがいえよう。

上記のように「うぬぼれ刑事」はゼロ年代を代表する「中間共同体によるちいさな成熟」と「90年代エヴァ的心性からの脱却」というテーマあらためてここで提示し、かるがると超えていくことで、10年代の扉を開いたきわめて重要な作品ということができる。

・・・やっつけだし、本当にこんなこと思ってみてたわけじゃないです。

ふつうにクソくだらない小ネタに腹抱えて笑っていました。ここまで私を笑わせてくれるお笑いってあんまりないんで。

あと、加藤あいちょうかわいいし、石田ゆりこが出てくる回がすごいよかったです。プール制服のままたわむれる女子高生って青山裕企の写真かって話ですよ。クドカン変態

変態万歳

 
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