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はてなキーワード: 業苦とは

2023-05-30

じゃあ女性 AED はどうすりゃいいんだよ

[B! 医療] 女性にAED ためらわないで! セクハラ?「ありえません」 NHKライフチャット



じゃあ、どうしろっていうのさ?

私は匿名ダイアリーで「女性AEDするチャンスにオッパイを揉む」って言ってる人を見た。

火事場泥棒のごとく救命時に性加害する変態がいるのに、訴訟する手段女性から奪うのか?

「女はAEDを使った男を訴えてはならない」という社会的合意が形成中

唯一割を食うのは、「本当にAEDを使った男性から痴漢行為を受けた女性」で、彼女が正当な権利行使として性犯罪者男を訴えたいと願ったとしても、同性からさえ「あなたが嘘をついて騒いだせいで男性女性AEDを使わなくなって私たちが見殺しにされる。この人殺し!」というバッシングを恐れて泣き寝入りすることになる。

しかし一件でも「女性AEDを使った男性が訴えられる」ケースが起きれば男女間の信頼関係永遠に破綻して二度と回復できないのだから、やはり「本当にAEDを使った男性から痴漢行為を受けた女性」には黙って犠牲になってもらうしかない。

ネットでの女性 AED 問題の反応は、むしろ被害者女性を黙らせる社会的圧力になってる。

想像してみろ、女性AED時の被害で訴えたときネット一般大衆はどっちの味方をする?

この話をするたびにアンケート調査が引き合いに出される。

"女性の合計86%が不快感、もしくは抵抗感を感じるとの回答"

しかし、アンケート結果をよく読むと

不快感を感じるが救命してほしい・やめてほしい」がない。

不快感を感じるから見殺しにしてほしいとは、女性は誰一人言ってないんですよ。


女性復讐したいんだか何だか知らんが、女性を追い込むミソジニーインターネット蔓延してる証拠だ。

そいつらは女性への AEDブツクサ言う癖に、どうすれば女性理不尽業苦から解放できるかには何一つ言及しない。

答えろよ!

女性 AED はどうすりゃいいんだ?

男女不平等女性だけ死ねというのか、それとも黙って胸揉まれてろとでも言うつもりか?

2020-06-02

オリンピックとか甲子園の開催に反対してるやつ

体育の授業苦手だった奴めちゃくちゃ多そう

ドッヂボールキャッチしたことないでしょ?

2014-04-07

ナウシカあらすじ06

チククとチャルカは飛行ガメで彼女を探して粘菌の合流地点へ向かう。そこで彼らはナウシカメーヴェを手に入れた蟲使いの大群に出会う。蟲使いたちは森の人の呼びかけに応じ、新たに広がった「腐海」の領有権を確認しに来たのだ。チャルカたちはユパを救った森の人の青年セルムに導かれ、奬液に包まれたナウシカを回収する、彼女は心を閉ざして眠り続けていた。

ナウシカ保護して難民終結地へ戻る途中、彼らは皇兄の乗る旗艦出会うが、そこに肉体を失った皇弟の霊が取り付いており、ナウシカ発見した皇弟はセルムのガードをかわしてナウシカの無防備な心に入り込んでしまう。

他方、旗艦チャルカ難民救出のために収集した船団に皇弟と僧会の失権を通告し、指揮権強奪した。新たな混乱を予感したチャルカナウシカセルムとチククに託し、戦火の再燃を食い止めるべく、死を覚悟して単身難民終結地へと戻る。

眠るナウシカセルムはテレパシーで呼びかけ、森の人の秘密腐海の中の最も古い土地、その浄化作用が一巡して昔の汚染されていない生態系が回復した「青き清浄の地」へと案内する。ナウシカの仮説は正しく、しかもそれは部分的にであれ現実のものとなっているのである。皇弟の霊はこの「青き清浄の地」成仏する。しかし森になろうとしたはずのナウシカはそうしない。

 「もどろうね 自分達の世界へ この世界を汚しちゃいけないから・・・・ 土の毒や瘴気に脅かされないで皆とここに住めたらどんなにいいだろう でも今の人間が知ったら また 自分達が 世界の主人だと思い始める たちまち生まれたばかりのこのひよわな土地を食べつくして又同じことの繰り返し 1000年かもっとたって あなたもっと広くつよくなって 私たちが滅びずもう少しかしこくなっていたら その時こそあなたの元にやってきます

そして希望を取り戻して目覚めたナウシカは、「私と一緒に森に来てくれませんか」と誘うセルムにも「人間の汚したたそがれの世界で私は生きていきます」と応え、ついに彼女の元に到着した従者や彼女女神と慕ってきた蟲使いの若者とともに、難民終結地へと向かう。

終結地では皇兄による粛清の嵐が吹き荒れ、チャルカもまた処刑されようとしていた。間一髪でまにあったナウシカはチククのテレパシーを通じて民衆に呼びかけ、皇帝の言いなりになってトルメキアに侵攻するのをやめるように説得する。

「土鬼の地がすべて失われたわけではありません。腐海ほとりに住みそこで生きましょう 腐海私たち業苦です でも敵ではありません 苦しみを分かち合って生きる方法を私の一族は知っています。 皆さんに教えられます 苦しみより友愛を 王蟲の心を・・・

ナウシカの説得は功を奏するが、頭上には巨神兵が到着していた。ナウシカガンシップ輸送艦ごと巨神兵撃墜しようとするが、巨神兵本体破壊することはできず、かえってそれを目覚めさせただけであった。マニ族を説得して駆けつけたアスベルから託された秘石を持って、土鬼旗艦上で巨神兵対峙したナウシカの前で、巨神兵自我を生じ、彼女ママと呼びかける。呼びかけに応じたナウシカは、この巨神兵を伴って、シュワの墓所封印すべく飛び立つ。

土壇場でのクシャナの反乱もあってすべてを失った皇兄は「俺はもう生き飽きた なにをやっても墓所の主の言うとおりにしかならん あとはあの小娘が背負って立てばいい」と言い残し(ここまで単行本6巻

2011-06-27

営業って

業苦手だわ〜。

接待に持ち込める位仲良くなれといわれても、、そういうの一番苦手。

ベタベタな関係作らなければ、良い営業とは言えないのだろうか?

雑談苦手だし。

一人で仕事するの好きだし。

仕事中も必要な事以外喋らないし。

こんな性格で売り上げ上がるんだろうか?

営業部に移動2年目の三十路で。

あ〜、会社行きたくない

こんなに行きたくないのは、人生初。

休日が楽しみな気分、始めてわかった。

残念な人生だな。

2010-09-21

うぬぼれ刑事ゼロ年代批評風に絶賛してみるテスト

まいしゅう楽しみにしていた「うぬぼれ刑事」が終わってしまった。これから一体なにをささえに生きていけばいいのだろう。

やけくそでなって、ゼロ年代批評風に「うぬぼれ刑事」を絶賛してみた。

宮藤が一貫して書いてきたのは、「中間共同体を経由した公共性の回復」であった。高度成長に代表される「今日よりいい明日がやってくる」というような広く共有される「大きな物語」に依拠できなくなった現代社会では、社会に包摂性が失われ、個人がむき出しの状態で社会と対峙することになる。

その生き辛さを宮台は「終わりなき日常」と評したわけだが、宮藤は「中間共同体」の生成によって、その日常を「輝かせる」ことで、「終わりがない」ことを業苦ではなく、愉楽に変換する回路を描いてきた。

木更津キャッツアイ」の「キャッツ」たちのまったりとした日常、「流星の絆」の「血縁のない兄弟」の「スラップスティックなやりとり」、「うぬぼれ刑事」の「うぬぼれ5」の「ダベり」みなが、そうしたテーマの元に宮藤作品ではリプライズされ提示される。

神話のなくなった社会で生きていくひとつの解がそこにはある。

また、この「うぬぼれ刑事」にそれまでの宮藤作品と異なる特徴があるとすれば、それは「恋愛」がきわだって前景化していることだといえる。

従前の宮藤作品に恋愛の要素が欠けていたわけではないが、ここまでメインテーマとしてすえられたことはなかったように思う。では、宮藤は今回、「うぬぼれ刑事」で恋愛を軸に何を語りたかったのか。

それはとりもなおさず、「わたしのかけがえのなさ」の回復といってよいだろう。宮藤が「うぬぼれ刑事」で、「わたしが死んでもかわりはいるもの」といった90年代エヴァンゲリオン的心性の超克をはかったのであろうことは、「うぬぼれ5」のつどうバーの名称が「I am I」であることや、回想・妄想シーンでの「うぬぼれ」の口グセが「俺は俺だから」だったこと、何より最終話まで秘匿された主人公「うぬぼれ」の名前が「己」であったことからも容易に読み取れる。

その「わたしが死んでもかわりはいるもの」から「俺は俺だから」に至る回路として用意したのが宮藤にとって、今回の「恋愛」だったわけだ。

「ううぼれ刑事」で主人公「うぬぼれ」は次から次へと犯罪者であるゲスト女優たちに恋をする。その射程の広さ(節操のなさ)たるや加藤あいから三田佳子までと、宮藤の好みが露骨に反映されているわけだが、重要なのは、この節操のなさが、「運命女性」の「とりかえ可能性」を表象しているということだ。

一方で、うぬぼれにとっての「(真の)運命女性」である中島美嘉は、こうした「とりかえ可能性」から退避した、聖域にいるように書かれているが、最終話で彼女もまた「犯罪者」であることが暴かれ、「とりかえ可能性」のあるいままでの「(いつわりの)運命女性」と同じ地平にいたこと明らかになる。

これにより、宮藤は「とりかえ可能性」と「とりかえの効かないかけがえのなさ」を同じ地平に接続することで、「とりかえ可能性」つまり、「私が死んでもかわりはいるもの」という状況と「俺は俺」という「かけがえのなさ」は共存・併存することを主張する。つまり、誰もがみな「とりかえの効く<つまらない存在>」でありながら、みなが「誰かにとっての代わりの効かない存在」であるというごくあたりまえの状況を恋愛という回路であぶりだすことで、恋愛という誰もが主人公になれる「自己承認物語」の上で「わたしのかけがえのなさ」の回復を試みたということがいえよう。

上記のように「うぬぼれ刑事」はゼロ年代を代表する「中間共同体によるちいさな成熟」と「90年代エヴァ的心性からの脱却」というテーマあらためてここで提示し、かるがると超えていくことで、10年代の扉を開いたきわめて重要な作品ということができる。

・・・やっつけだし、本当にこんなこと思ってみてたわけじゃないです。

ふつうにクソくだらない小ネタに腹抱えて笑っていました。ここまで私を笑わせてくれるお笑いってあんまりないんで。

あと、加藤あいちょうかわいいし、石田ゆりこが出てくる回がすごいよかったです。プール制服のままたわむれる女子高生って青山裕企の写真かって話ですよ。クドカン変態

変態万歳

 
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