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はてなキーワード: 論理学とは

2023-12-17

論理学を学べば論理的思考ができるようになる、わけじゃないよね

述語論理とかタブローとかやったったところでね。話が逆で、そもそも論理的思考がある程度資質として備わってなきゃ論理学は理解できないと思うんだよ。

論理学を論理思考を育てる手段にはできないのよね

anond:20231217100105

なんか行き当たりばったりで感情で動く幼稚園児みたいなやつが、プロフィール論理学者、とか言ってるのを見ると哀れになる

2023-12-13

怖くない話なら意味が分からない(対偶)

意味が分かると怖い話(命題)

怖くない話なら意味が分からない(対偶)

怖い話なら意味が分かる(逆)

意味が分からいから怖くない話(裏)

 

これが論理学、ってこと??

2023-12-11

電子書籍

前に戻って文を読み直さないとダメな本は向いてないな

いま論理学の本読んでるんだけどかったるすぎる

2023-11-27

anond:20231127130522

「お前は何もわかってない」と指摘すると、「『何も』じゃないよね。わかってることもあるよね」と噛みつく人っているよね。人の会話を論理学だけで処理するのは難しい。

anond:20231127123230

お、論理学()の本を真に受けてる系のアスペじゃん

2023-11-04

anond:20231104173224

それっぽいケースが出せないなら非現実的だ!ってこと?頭悪すぎだろ

あのな、俺が3分前に鼻くそをほじっていたかどうかを第三者証明できないからといって、俺が鼻くそをほじっていたという主張が非現実的だとは言えないだろ?

仮にあるかどうか分からないとしても、それは非現実的かどうかの裏付けには使えないわけ

要するに非現実的なケースが第三者実在証明できないとしても、その逆は真ではない

鼻くそみたいな脳みそ反証可能性を持ち出す前に論理学の初歩から学べよな

そもそも、男を追い落とすのにセクハラ冤罪を使うのは「いちいち女一人潰さなきゃならん。「ここはお前が泥をかぶってくれ」と言い含めて。」という理由で非現実的だというのがお前のさっきまでの言い分だったよな?

で、「訴えた女にも利益があるケース」があるし、そもそも最初からその話をしてると指摘されたことでお前の主張は破綻した

現実的だという理由付けはできないと観念たから、実際の事例を出せ、そうじゃなければ非現実的なんだという言い分に後退したわけだ

そうやって1レスごとに論拠を変えてコソコソと逃げ回ったあげくに自分で墓穴にはまってるのがお前

ナチュラルに知能が低いことを自覚しような?ゴキブリももっとマシな逃げ方するぞ

しかも口ぶりからして元増田でもないんだろ?

呼ばれもしないのにバカが寄ってきて想像だけで適当こいてるだけ

ホント迷惑だよバカは。存在自体が。

アホか?

第三者からコメントされたくないならこんなとこに書かずにメモ帳にでも書いとけよ

バカは何を書かせてもバカなんだな

我が師の師は師も同然。

論理学で正しいことを証明せよ。

もしくは正しくないことを示せ。

2023-11-03

anond:20231103015958

でも、弱者男性論理学を学んでも学ばなくても会話が成立しませんよね

anond:20231103015958

まるで論理学やらなきゃ人間意思疎通できたかのような言い草じゃん

驕りだよそれは

アスペ論理学を学ぶと定型及び論理学を学んでいないアスペと会話が成立しなくなり気が狂って死ぬ

2023-10-30

悲報】Capriなんとかさん、「正義は勝つ」と「勝ったら正義」の違いがわからない

Capricornus ネット有象無象はそう言うものからともかくとして、正義は勝つ!としてしまった弁護士言い逃れ出来んよね。自分がいざ負けた時何と言うのか。勝つの正義ならば、相手正義と讃えるのか。


論理学苦手なんやなあ

anond:20231030144431

2023-10-09

新本格ファンの見た陰謀論傾倒作家現代ニッポン論壇事情数十年史

次の文章を眺めてみて欲しい。

『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気妄想を、いわゆる正気論理で枠囲いされるものではない。第二に、以前の小説作品と大きく違って、可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが作品内で主題化されないほどに内在的なものとして組み込まれ浸透しているかである。』

インターネットぶつかりおじさんにカンパし、一度ブロックされて解除された後2023年10月の今に至ってもなお彼やその賛同者の多くをX(旧twitter)でフォローし続けている、推理小説作家評論家小森健太朗著作探偵小説論理学」269ページから引用した文章である

氏のSNSにおける華々しい戦歴説明割愛する。冒頭で引いた氏の文章を眺めることからはじめ、氏のSNS上における無数の陰謀論傾倒の人生、ひいては暇アノン化する文化人ネットユーザたちについてなんらかの理解を得ることができないか見てみたいのである

====

 

単刀直入に言って、日本語が怪しい。

『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気妄想を、いわゆる正気論理で枠囲いされるものではない。』

主語がないのは先に出ているかである。一つ前の文の「西尾維新作品」がこの文の主語である。そして、この第一に~第二に~というのは疑問に対する答えの列挙である

『それではなぜ、なぜことさら西尾維新作品様相論理親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』

冒頭の文の一つ前に置かれたこの文がその問いである。なぜ「それでは」なのかというと更に一つ前の文で↓のように認定しているかである

様相論理一般が、それらの作品により適合するのではなく、われわれの住む世界にある論理、どの作品にもある論理一般において様相論理は適合性を有している』

まり、著者はこの箇所で「西尾維新作品こそ様相論理が合う」と言いたいのである(なお、『様相論理は適合性を有している』だとか『様相論理親和性のある』とかい語句意味不明)。

 

それを踏まえた上でも文の後半は日本語おかしい。いやそもそも『それではなぜ、なぜことさら西尾維新作品様相論理親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』の「‥‥作品を~~とりあげられるべきなのか」という文も変なのだが。受動態ならば‥‥作品が~~とりあげられるべきなのかとすべきであろう。とはいえ文意理解できている(と信じたい)ので無視しよう。

さて引用の一文目は次のように書き直せそうである

・(西尾維新作品では)狂気妄想が、いわゆる正気論理で枠囲いされるものではない

・(西尾維新作品は)狂気妄想を、いわゆる正気論理で枠囲いされるものとしていない。

引用した文のある段落の一つ前の段落で、彼らの作品における狂気の取り扱い方について『現実正気論理が前提として背後にある。狂気や、いわば正気世界に枠囲いされる形で、際立たせられる』と説明されている。この書き方ならば前世紀に書かれたチェスタトン泡坂妻夫らのミステリ作品との違いを述べていることが明確である

なお別の案として、第二に~の述語に繋がっていると見ることもできる。が、そうして読むと能動態・受動態が変になるのである

・『二十世紀に書かれたミステリ作品と違って、狂気妄想を、いわゆる正気論理で枠囲いされるものではない』‥‥『ものとして組み込まれ浸透しているかである

 

この能動態・受動態が変というのが引用の二文目の問題でもある。

例によって主語だが『‥‥組み込まれ浸透している』の主語はなんだろうか?そもそも『組み込まれ』『浸透している』は同じ主語を持つのだろうか?候補は『西尾維新作品』と『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』の二つである

西尾維新作品』は『組み込まれ』がおかしいのは‥を組み込むという能動態に直せば明らかである。『西尾維新作品』を目的語とした「西尾維新作品を組み込んでいる」には意味を見出すことは不可能である

西尾維新作品』は『浸透している』は、意味としてはありえる。だが使えるのは読者の認知度などを述べる文脈などであり、どこに浸透しているとかいった説明の無いこの文では意味を持たないであろう。

すると『西尾維新作品』は、『西尾維新作品では』という句であり、主語は『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』と見るべきである。これならば受動能動態を変えても意味が通じるであろう。

・(西尾維新作品では)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』は‥‥組み込まれ浸透している

・(西尾維新作品には)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』が‥‥組み込まれ浸透している

いけそうであるしかしそう理解すると今度は九段の文の書き方があまりにも奇妙に見えると言わざるを得ないのである

『(西尾維新作品では)可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが……組み込まれ浸透しているかである。』

「を、それが」と書いた理由はなにかあ在るのであろうか‥‥???「‥‥を」とするならば「それが」をそこに付けず「組み込み、そしてそれが浸透している」というようにすべきだし、受動態のまま「組み込まれ」を使いたいならば「を」をなくして「‥‥が~~組み込まれ浸透している」と書くべきであろう。なぜここまでねじくれた、好意的に見て文法違反スレスレで読みにくい書き方をしているのだろうか‥‥???著者も校正者もなにかおかしいと思わなかったのだろうか???

 

余談だが、様相論理において可能世界ごとに分岐(というか異なる)のは、命題への真偽値の割り当てであったり個体領域である。それらは一般的にいって「論理」と呼ばれるものではない。このあたりも意味不明なのである。ようはポストモダンにおける科学誤用濫用の仲間である。さておきこれまで氏の華々しい戦歴を目にしてきた者の意見として言うと、氏の癖として、彼がカンパしているインターネットぶつかりおじさんと同様に、勝手定義した「A」を、他の意味「A」と気軽につなげて論証をするというものがある。いわゆる「媒概念曖昧の虚偽」と言われたりするやつである。こうした論証上の誤りに無頓着な事も陰謀論にたやすくはまる一因と言えるのかもしれない。

 

海法紀光や、アレな発言非難する者がしばしば指摘していることであるが、氏は、理由をあげたり説明したりといったいわゆる論証をする際こういった文章を頻発する傾向がある。特に自身の立論が苦しくなってくると、文法崩壊していると感じられる弁明が増えるように見えるのである(quantumspin氏による批判とそれへの応答なども参照せよ)。主語や述語がみつけにくいのもよくあるパターンひとつである小説以外の活動に関しては、ずっとそういうやり方で通して来ているのかもしれない。

これは結論に対して必死理由を拵えているせいというのもあるのかもしれない。そのような、結論にあわせて理屈を拵えることをよしとする姿勢もまた陰謀論への傾倒を片側から支えているようにも思えるのである

 

などなどと、かつて新本格ムーブメント到来に歓喜したものとして心苦しい気持ちを抱いていたのであるが、最近大きなヒントを見つけることができた。

https://twitter.com/furukawa1917/status/1708364352540246446

https://megalodon.jp/2023-1009-1415-22/https://twitter.com:443/komorikentarou/status/1708094283780325790

『「人類進歩」といった虚構観念蔓延させ』

氏にとって人類進歩虚構観念であるらしい。勿論、氏のいう虚構観念は、非難されればすぐにその中身を適当に入れ換えられるブラックボックスであり、「生活費切り詰めてカンパ」と同じ程度の軽口でしかないのやもしれない。

だが、そういうことかと得心もしたのである

かつてポストモダン思想が華やかなりしころ、同じ世代にあって「進歩なんて幻想だ」と嘯いた者は多かったのではないだろうか。なにしろ特に思想政治について色を出さず、特に「後期クイーン問題」等の話題珍説披露したこともない有栖川有栖氏の作品においても、「ホイッグ史観」「進歩史観」といったかたちで冷めた態度が見られるのである

311以降かどうかは定かでないが、SNS上では、ミステリ業界の「知の欺瞞」が手ひどく叩かれる時期があった。氏も基礎的な誤解を指摘されてはよくわからない弁明を書き連ね、最終的に相手が呆れて去っていくということがしばしばあった。その後、左翼リベラル敵対的な気分をもつひとは自らを「科学的」と自認するようになり、小森もなんとなく菊池誠氏などをRTしたり科学的な雰囲気のある人々の輪に入ることで、これまたなんとなくのうちに過去の知の欺瞞有耶無耶になった。

しか上記発言から察せられるように、頭はポストモダンのままだったのである。この点を傍証する発言ひとつではない。

 

https://megalodon.jp/2023-1009-1430-28/https://twitter.com:443/komorikentarou/status/1566269069547819008?lang=jp

『紀藤さんは、カルト宗教弁別ができる超越的な裁定であると自認しておられるのでしょうか?』

これは、統一協会話題になった際、紀藤弁護士発言に対して、なされた引用RTである

カルトであるカルトでないか区別ができることが『超越的な裁定』だと言うのである。その理由もふるっている。

カルト宗教の線引きがわからないのではなく、できないと言っています。』

まさにあの堕落したポストモダン思想かぶれたあの世代の、あの辟易するような懐疑的態度を思い起こさせるものである!!!認識的な不確実性を理由として判断の正しさを否定する。現実的・実践的な正しさをすっ飛ばして「超越的」なものに基礎づけようとする(そして、その不可能からお好みの結論を導く)。‥‥ところで、なぜ「分からない」「できない」「不確実だ」という判断だけは正しいと信じられるのか自分にはまったく理解できないのだが‥‥‥笠井潔なら教えてくれるのであろうか‥‥???

 

結局の話、己の欲する結論のためにいい加減な理由づけを許容する態度、あらゆる価値・論証・実践合理性等を無効化した気になれる堕落したポストモダン思想メチャクチャナ言説をまともに文章を読み批判をすることのできない現代ニッポン論壇・批評コミュニティの無力さ、そうしたものが無数に積みあがって悲惨な令和の余.命事件へと通じる道が敷かれたのかもしれないと思うのである

思うにこれは一人の哀れな高齢男性だけの問題ではないのである

2023-10-05

anond:20231005160743

みんな=業界内。ちゃんミヤネ屋たか

自然言語におけるみんなの範囲なんで文脈次第なのにそこら辺考えず数学論理学みたいな捉え方しちゃうようなら読解力にハンディキャップがあると疑った方がいい

2023-09-28

anond:20230928175941

じゃあお前の方が勝ってるかもってことだねー

「かも」って言葉の使い方下手すぎー

「かも」って言葉使ってる時点でその否定に関しても同じぐらいの可能性があると認めてることになっちゃうからね。論理学ガバガバマンでは気付けないのかもだろうけど

2023-09-11

anond:20230909163206

論理学に弱そう

「すべての」「~ことがある」「~の場合は」などの日本語が使いこなせなさそう

2023-09-06

社会学に適した論理

社会学社会学関係批判されがちだが

社会学者達が通常の科学で使われる論理を使ってる以上は批判は全く否定できない物になると思う

論理のものを新しく開発すればいいんじゃないかな

数学論理学では非古典論理を作ってる試みは沢山あるし批判される社会学者達は自分にあった論理を作ればいいよ

社会学に適した論理

社会学社会学関係批判されがちだが

社会学者達が通常の科学で使われる論理を使ってる以上は批判は全く否定できない物になると思う

論理のものを新しく開発すればいいんじゃないかな

数学論理学では非古典論理を作ってる試みは沢山あるし批判される社会学者達は自分にあった論理を作ればいいよ

2023-08-06

不思議の国のアリスは、ルイス・キャロルとその友人である子どもたちとの交流がなければ生まれなかった

不思議の国のアリスは言うまでもなく

ルイス・キャロルが当時交流のあったリデル家との旅行中、

三姉妹の一人アリスに語り聞かせた物語がその原型である

ルイス・キャロルアリスにせがまれて、

口頭のお話文章の形に残すこととなる。

そうしてアリスに寄贈された「地下の国のアリス」は加筆修正されたのち

不思議の国のアリス」として出版されることとなる。

ルイス・キャロル本名チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン。

ウィキペディアでは彼のことを

イギリス数学者論理学者、写真家作家詩人

として解説している。

写真家としての彼は少女被写体とすることを好んでいた。

前述のリデル家の三姉妹モデルとして、

リデル夫人から撮影を止めるように懇願された後も

撮影し続けている。

彼は少女たちを仮装させて写真撮影をするときもあり、

ある意味コスプレ写真家の走りとも言える。

また少女ヌード撮影していたようだが、

それは彼が存命中に破棄されたか寄贈されたかして数枚が現代に残るのみである

このような事跡から、彼はときに小児愛者である断罪されるのだが、それが真実であるとは断定することはできない。

それがどうあれ、彼とアリス交流がなければ「不思議の国のアリス」という児童文学史上の画期なった作品は生まれなかったことは事実である

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