はてなキーワード: 小室哲哉とは
小室哲哉に対する記事から同情するべき部分があった.その同情から派生して「不倫=悪」と宣伝するのは不味いと言う記事があった.何か感覚が違うなと思っていたので,とりあえず不倫に対する認識を述べていく.
・子どもがいるのか.また義務教育期間を脱しているのか.18歳以上か.
子どもは権利的にも責任においても不完全な状態である.そのなかで,彼ら彼女らが不倫によって心身にダメージを追ったり経済的な貧困に見舞われるのは避けたい行為である.またそれを助長するようなメディアの在り方も自粛すべきだと考えている.メディアが発するイメージは私たちの価値観の形成にも役立っている.
子どもが18歳以上であり自立しているなら,親同士の権利と責任による反中でとくに被害を被っていると考える必要もなくなる.
・子どもがいない場合.相手に離婚の申請をすでに行っているのか?
すでに離婚の申請を行っているが相手が同意してくれない場合.この場合はすでに愛が冷めており契約の本来の意味合いがなくなっていると思える.したがって,これには特に罪だと規定する意味合いがない.子どももいないので特に誰かに迷惑をかけていることもない.
離婚の申請を行わず隠れて不倫を行うのは結婚契約の意図に沿わないので原則として辞めるべきである.自信がないなら事実婚を選ぶべきだ.責任と権利が発生する契約で責任逃れは不味い.
さいごにメディアが行う.芸能人の「不倫報道の在り方」について書いていく.
許されないだろう.また市民はメディアの情報を疑って読むべきだ.だれが書いたかやどの会社が出版したのかを考えて読む必要がある.情報は伝えられる際に必ず歪む.報道は「正しく事実を伝えること」にある.部分的に取り上げて印象を変えてしまうのはメディアの本来の意味をなしていない.
芸能人はメディアに露出して価値観やイメージを変化させる主体である.そのため,結婚と言う「契約」を守れる信用できる人間なのかを判別するために必要である.そのため,彼ら彼女らが契約違反を起こしたことも交通事故を起こしたことも同じように,彼ら彼女らの意見を背景を持つと考えるために知る必要がある.影響力は権力であることを忘れてはならない.
不倫を減らすような告知はしていくべきだと思う.「子どもの貧困」や「離婚」をせずに結婚の契約違反を行うのは信用を失う.全体で見ても社会的な損失である.
また,不倫がどのようにして起こったのかを分解して,再発が起きないように周囲の変化に目を向けるのも良い.熟年離婚や家庭内の貧困にも目を向けるべきだし,不倫と言うより「愛情が無くなってしまった」場合の逃げ道が整備されていないのも問題である.このような家族や人間関係の在り方を提案し,メディアの力で告知を行ってほしい.
子どもが成人したときに親の熟年離婚は合理的であるし,何も咎められるものもなく互いにwinwinであると思っていた.
わたしは「学校にいる人とは全員仲良くしなくてはならない」という考え方や「家族とは仲良くしなくてはならない」という考え方を,選択できる自由がない人間に言うべきではないと思っていた.また選択できない中で,「仲良くする=winwin」と考えている先生にも疑問を感じていた.彼ら彼女らが自由へと目を向けるように離婚に寛容な社会は存在してもいいと考えている.
メディアの告知によって,相撲やボクシングなどの暴力的なメディアが放送されると同じような事件が起きやすくなる.自殺のニュースを挙げると増えてしまうという側面もある.そのため,不倫については「さわらぬ神にたたりなし」で見なかったことにしよう.という意見もあっていい.遠ざけて,わたしたちとは関係のない話だと蓋をするのも状況によってはありかと思う.
余裕をつくって考えてみるといい.
心が締め付けられたことはたくさんあるのだけれど、あの、小室哲哉が、
などというカミングアウトをしなければならなかったことに、何とも言えない悲しみを覚えている。
全盛期の小室哲哉は、モラルなんて全然ない、有り余る才能と金に物を言わせ、やりたい放題やる男だった。
控えめに言って音楽がなかったらほとんどただのクズ、いや音楽があってもただのクズだった。
そんな彼が、自分には男性機能がもう働かないから不倫なんてない、けれどこれを戒めとして音楽を辞める、と、それを失ったらもう彼が彼でないものを全て捨てていいと言うほどに、何もかもに疲れてしまっていること。
ただただ悲しく、ただただ虚しかった。
こんなもの見たくなかった。
満員のスタジアムでスポットライトに照らされて、照れ臭そうに片手を上げて去っていく彼。
女癖が悪くてモラルのかけらもないけれど音楽の神様だけには愛されてる、そんなクズのままでいいから、そんな彼を見送りたかったよ。
ゲスの極みみたいな木っ端芸能人ぐらいなら、別にどうなったって良いんだけど。ろくに知らないし
自分がそういうのに興味あった時代には出てきてなかった若い世代の連中だからね。
男性アイドルと言えばSMAPぐらいしかロクに知らない自分でも、小室哲哉は流石に知ってる。
芸能人なんざ多すぎて、一日中暇でテレビ見るしかやることのない暇人でもなきゃ把握してないよ
不倫報道で騒がれるのは自分たちの知らない人たちだけど、「不倫」の意味がわかるからだよ。
ぶっちゃけた話、知らないやつが不倫で食らってもなんとも思わん。
でも今回はなぁ
大体、ああいうのってネタ提供してくれるやつがいるから、おまんま食えてるんでしょ?
生かさず殺さずが基本なのに、いきなり引退に追い込むのはやりすぎだよ。
一回不倫報道が受けたからって、あいも変わらず同じことやってたら見る方も飽きるし。
そろそろ文春も叩かれるべきでは?
とは言っても、昼間に知らない芸能人のゴシップばっかりやってる各テレビ局は、文春を叩くなんてことはしないだろうね
同じ穴のムジナだから
結局今回のも、ネットでの騒ぎは小規模だし、しばらく黙ってたら、騒ぎ静まると思ってるんでしょ。ほんでもってしばらくしたら、またどこぞの芸能人のゴシップあさり始めるんだな。
⚪️情状酌量ポイント : 妻への介護、自身の病、不貞行為もどうやらなかった?(性的不能の告白)、引退表明
⚪️お子さんに障害あり
ゲスの人
⚫️報道後開き直り&煽りとも受け取られかねない発言。芸能人。
⚪️Lineを晒された
ちなみにCTOの人
⚪️一般人
奥さんは病気で介護が大変だし、本人も病気で仕事も大変で、そりゃ優しい看護師さんに慰めてもらうくらいしょうがない、みたいな感じだけど。私もそう思ったけど。
男女逆だったらこんなに同情されない気がする。やっぱ男の不倫(ではなかったみたいだけど)に世間は甘いんじゃないか?女は一途でなきゃ極悪扱いされる一方で男はまぁしょうがないって感じ。
では、最近の宮崎謙介や山尾志桜里の不倫、「このハゲー!」の豊田真由子のあの週刊誌報道は一体何だったんだよ。
2年前のベッキーの不倫の時は、ベッキーを擁護する声はほとんど聞かれなかったはずなのになあ。
やはりTM NETWORK時代のファンが多いということかな。そういう自分も、ファンの一人なんだけど。
以前ブコメ等で「リベラルは不倫に対して寛容であるべきだ」と書いたことがあります。
このタイミングにおいて、この件についてもう少し書いてみたいと思います。(*追記:できれば文末の追記1〜4まで含めてお読みいただければと思います)
リベラリズムにおける基底的な考え方の1つとして、「善に対する正の優越」という考え方があります。
この考え方は、リベラリズムは特定の「善の構想」(何が善い人生であるか)を前提することなく、それぞれの個人が持つ「善の構想」を各人が自由に追求するための「フェアなルール」を整備することを目指すものである、という考え方です。(*この説明で腑に落ちない方は、「善に対する正の優越」や「善に対する正の優先」で適宜ググってみてください)
例えば、リベラリズムは「結婚すること/結婚しないこと」について特定の善の構想を持ちません。つまり、結婚する人生も、結婚しない人生も、どちらが「善い」ものかということについてリベラリズムは関知しません。リベラリズムが目指すのは、「結婚する人生」が善いと思う人も「結婚しない人生」が善いと思う人も、どちらも”えこひいき”することなくフェアに暮らせるためのルールを整備することになります。
私は、上記の「善に対する正の優越」という意味で「リベラルは不倫に対して寛容であるべきだ」と考えています。
多くの人々の感覚とはズレるかもしれませんが、「不倫は悪いもの」というのも人生における「特定の善の構想」を前提とした考え方になります。人には色々な事情があり、家族には色々な事情があります。色々な事情に応じて、人々には色々な「善の構想」が — 甘いものも苦いものも酸っぱいものも含めて — あるわけです。
もちろん各人の「善の構想」の追求も無制限に許されるものではありません。例えば、他者に危害を与えるような「善の構想」の追求は当然に制限されることになります。その意味で、「不倫」についても不倫行為により危害を受けうる当事者の家族や親しい関係者から非難されたり断罪されるのは正当なことでしょう。どんどん非難されたり断罪されたり(あるいは赦されたり)するとよいと思います。
逆に言うと、不倫行為について非難したり断罪することの正統性があるのは、その当事者の家族や親しい関係者だけだと思います。関係ない第三者が他人の「善の構想」に口をはさむというのは、(その構想が他者の人権の尊重に抵触しない限り)少なくともリベラリズムの立場からは、やるべきではないことだと私は考えます。
また、そもそも、「誰を愛するべきか/誰と一緒にいるべきか」について社会(関係ない第三者)から指図されない、というのは現代において我々が獲得した「自己決定権/人権」の中でもかなり基底的なものなのではないでしょうか?
上記の考えから、私はこれまで報道された有名人の不倫について非難したり断罪したことは一切ありません。
今回、小室哲哉さんが「不倫疑惑」によって 昨今の不倫に対する不寛容な世間的アングルの中で出た、不倫に対する疑義についての報道を契機として(しかも、不倫に類する行為は実際には存在しないであろうことがほぼ明白であるにもかかわらず)(*追記2)、その潜在能力の発揮が妨げられることになったのは、リベラリズムの信奉者として残念としか言いようがありません。
(リベラルが考えるべきなのは、その不倫行為等の帰結により何れかの潜在能力の充足が果たされないような状況 --- 子供の貧困など --- を生じさせないためのルール整備だと私は考えています)
#追記:殺人への第三者からの批判については本文中の"(その構想が他者の人権の尊重に抵触しない限り)"の但し書きの部分に該当すると考えています。「他者の人権の尊重」に抵触する行為については第三者からの批判は当然許容されるべきです。
#追記2:小室さんへの言及が舌足らずだったので変更しました。ブコメでご指摘いただいた方、ありがとうございました。
#追記3:私が勉強不足なのは認めます。皆様のブコメは大変勉強になります。「不倫」ではなく「婚姻外恋愛」としておけばよかったですね。あと色々異論は全然たくさんあると思うので異論をたくさん書いていただければ嬉しいです。(*特にガチプロがガチプロの観点から何か書いてくれれば嬉しいなあ)
#追記4:「現状でリベラルが不倫に不寛容である」とは一言も書いていない(し思ってもいない)のですが。。。以前に「リベラルは不倫に寛容であるべき」とブコメ等で書いたときに、「何言ってんだこのクソ馬鹿野郎」みたいな反応をいくつかいただいたことがあるので、自分としての上記の考えの理路をメモ的にまとめたのが本エントリーです。「リベラリズムの敗北」は道徳主義的人民裁判みたいなもので人の社会的人生を終わらせてもやむなしという世間の流れが定着したことを指したものです。
もう文春砲とか言って持ち上げるのやめよう。不倫報道はなくなるべきだ。
小室哲哉さんの騒動を見ていても、不倫報道に辟易している人はますます増えている。
じゃあどうやって不倫報道をなくすのか。現状として、不倫報道は儲かるらしい。需要があって利益が出るからだ。
単純に考えれば、需要をゼロにすればいい。もしくは不倫を扱うことでマスコミがマイナスな影響を受ければいい。
そのための戦い方はいくつかあると思う。単純だけど、スポンサーへの抗議とか、不視聴運動とか。
でも、本質はそこじゃないと思っている。不倫報道に需要がある理由を考えると。
簡単に言うと、たとえ不倫報道がなくなっても、別の「悪いことをした人」を見つけて、また嬉々として叩き出すんじゃないか?という不安がある。
不倫は悪いことだ→悪いことをした人間には何を言ってもいい、社会的に制裁を加えるべきだ という流れこそ、一連の不倫報道を見ていて特に嫌悪感を覚える部分。
テレビは容疑者を実名報道してコメンテーターが人格を否定。ネットでは住所が晒され、勘違いにより無関係な人・会社にまで誹謗中傷の声が届く。
必要以上に他者を攻撃し、社会的制裁を加えようとする現代に、そして自分もまたそうした世間の一人であることに、本当に嫌気が差す。
前置きが長くなったが、「悪いことをした人を叩く行為」をなくす効果的な方法が思いつかなくて悩んでいる。
ネット私刑はここ数年ずっと問題に挙げられているトピックだ。しかし、それを批判しようとすると、「悪いことをした人を叩く行為を叩く行為」になってしまう。
現状では、不倫報道を倒してもまた次の倒すべき相手が生まれるだけだ。そもそも、何かを倒したいわけじゃない。息苦しさや嫌悪感をなくしたいだけ。
華原朋美を捨てて付き合った女
小室ってもともとすげープレーボーイだったから、女はとっかえひっかえだった
そんな男がやっと結婚ってのをしたのはいいが、まさかの妻の病気
小室がなぜケイコを選んだのかといえば、やっぱり彼女が歌手だったからだと思う
夫婦寄り添ってっていってももう完全に介護するだけで、意思の疎通もほぼ無理
こんなん外に癒しを求めても責められねえよ
アスカもそうだけど、クリエイティブな仕事する人って、才能の枯渇との闘いなんだよな
昔下手に売れた人ほど、その当時を求められるプレッシャーと戦い続けないといけない
この前カヌー選手がライバルに薬を持っていたけど、あれだって、地元の人たちに頑張れがんばれ、とプレッシャーをかけ続けられてしまったそのなれの果て
押しつぶされて、覚醒剤使ったり、不倫したり、薬持ったりしちゃう
辛かったろうなあ
一般人は無自覚に「君ならできる」とか「がんばれ」とか「信じてる」なんていうけど、その言葉は相手にプレッシャーを与えるだけだよな
小室哲哉が不倫報道で引退するってなって「不倫なんて本人たちの問題」とか言い出す人が多くなってきて草生える。
はてなでは元からこういう言説よく見かけてたけど、ヤフコメとかツイッターだと不倫が発覚したら叩く人が大多数だったのに。今になって文春こそがゲス!社会悪!って言う人ほどベッキーとか宮迫とかを積極的に叩いてたんだろうなーと思いながら見ている。
そもそも「文春こそがゲス」って、そりゃ文春側だって自分が卑しい仕事であることを自覚してるだろ。文春からしたら何あたり前のこと言ってんだよってかんじじゃないのかな?
小室哲哉は積もり積もったものがあって文春の報道でダムが決壊したようなものだろうけれど、今まで芸能人の不倫ごときでワーワー言ってたヤツも同罪な^ ^文春だけが悪いと思ってんじゃねーぞ^ ^
みんなもっと自分が正しいのではなく自分自身が如何に下世話で卑しい人間かっていうのを自覚しながら生きてほしいわ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180117-00005887-bunshun-ent
高次脳機能障害を抱えた妻をよくこの何年も、面倒み続けながら楽曲提供までやってこれたと思う。
曲がヒットしないことも、誰が言わなくとも本人が一番悩み苦しんできたことだろう。
過去にあれだけのヒットを飛ばした中で、それを上回るものなんて、絞りきった才能の残りとあの年齢で、そう出せるわけがない。
音楽に専念したってそう出せないのに、奥さんがあの状態じゃ、心病むよ。
心病んだら、グチ聞いて励ましてくれて体のケアしてくれる人が、心の拠り所になるのは自然なことじゃなかろうか。
男性としての機能はもう失ってると言っていた。肝炎を患い、介護疲れで心も疲弊して、加齢もあり、そりゃあそうだろう。
あの年齢にもなれば、肉体的な欲求じゃなくて、心の安らぐ相手とゆっくり話して心を委ねたいのは当たり前だろう。
昨年末からいつかすっぱ抜かれる予感がしていたというのも小室さんらしい。
それだけのカンの鋭さがあっても、人間らしい心の動きに振り回されてしまう感受性は、芸術家らしいとしか思えない。
一般のサラリーマンですら、働きながら妻の介護するのは並大抵のことではない。
天才は、天才らしく、自分の才能に没頭して介護は人に任せればよかったのに、そんなことをせずにここまで寄り添ってきたのは、小室さんの優しさあってのことだと思う。
どうか、逃げなどという世間の声に負けず、一旦心の充足を取り戻して欲しい。
タレントとしては、DJ KOOがSAMよりもテレビでの露出が多くてあれだな。
野々村真とか、山田隆夫とかも、長寿番組で、そんな高田純次みたいな個性や才能があるようには思えないおじさんでも20年ぐらいずーっと同じ番組で生きのこり続けるって凄い才能というか胆力というのか。