はてなキーワード: 実用とは
っていう設定は良かった
実用的なのはモビルアーマーみたいなとか重機に手足がついたやつとか
グリフォンなんかあのフォルムなのは完全に「カッコいいから」だし
これは漫画の作者がカッコいいからいいじゃんって思ってるのと同時に
ちゃんと作中のグリフォン側の人間が「こういうカッコいいのすきなんだよね」っていう
キャラとして描かれているのが特徴的
なんか叩く流れができてしまって意図した方向からだいぶズレてしまった。申し訳ない
再度書いておくが俺は元増田だけじゃなくて京大生とかその反対側も全て無駄だったって言ってるだけで、元増田だけについて特に何かを非難したかったわけではない
ちょっと煽り気味に書いてしまって神経を逆撫でしたのは先に謝っておく
なお主張はずっと変わらず、非専門家が内容に踏み込んで何か言っても不毛だねって俺が思ってるだけ
俺は権威主義的なところが多少あるけど、権威主義って別に悪くないんじゃねと思っている そこらのヒキオタニートが家で理想論掲げてるのと実務化が現実の制約込みで色々考えてるのは全然実用性が違うでしょう?権威を鵜呑みにしすぎるなっていうのは俺も心得ているけど、だからといってそれが素人の意見まで全部平等に扱いましょうってことにはならないんだよな
普段何も考えず惰性で生きてきたような人たちが新型コロナワクチンの時だけ急に自分で考え始めたりして、急に権威を批判し始めたりしてなんで?って思うことは多々ある
なんか疑問をなげたときに「なんで知りたいんですか?」と言われることがあって、それに問い返す一例として「なんで、なんで知りたいか、知りたいんですか?」となるのはわかるんだが
じゃあ「なんでなんで知りたいのか知りたいんですか?」に上と同じ具合問い返すとどういう文になる?
俺の頭じゃこんがらがって文を構築できなかったが気になる
いや単純に考えれば「なんでなんでなんで知りたいのか知りたいのか知りたいんですか?」になりそうと思うわけだけども、意味通ってなくね?もう知恵熱でそう。
もちろん実用的には、前の問いをそのまま「それ」で受けて「それを知りたいのはなんでなの?」と言えばいいだけなんだけどもさ。
ワールドカップが始まった。
「なんでそこで打たなかったんだよ」「その角度じゃないだろ」「(選手名)無能だな」
等と言う、軍師気取りの人間が世の中に大量に出現するからである。
軍師マンはあらゆるスポーツに共通して存在する人種ではあると思うが、サッカーはとにかくその人口が突出している。
同じく人気のあるスポーツに野球があり、野球にも軍師マンはいる。
しかし野球はターン制度が明確なゲームであり、選手が出来る動きの選択肢は比較的少ないので、軍師マンの出番はそこまで多くない。
サッカーほど選手個人の動きにランダム性があり、かつファン人口をかかえるコンテンツは他にないのだ。
だいいちド素人の采配の意見なんて価値ないだろうし、そんな事選手の方がもっと詳細に分かってるだろ。だいたいこいつら何様だよ。
プログラム(Webサービスやソシャゲなど)に対する軍師行動は、それが正しければ実サービスに反映される未来的実現性があるが、スポーツは一瞬一瞬のリアルタイムでどんな意見を貰おうが修正はきかない。言っても実用性はない。
誹謗中傷と変わんないよなこんなん。なんでこれ許されてるんだろ?
基本中の基本。一つの集団を形成するために、一つの信仰を共有できなければ、それは味方とは言いがたい。
また、無能な味方を排除する際にも、一言「背信者」「背教者」とくっつけるだけで、あっという間にオサラバできる、大変に素晴らしい戒律である。
これまた基本。モノをあがめるようになると、命よりもモノが大事になるため、集団が生き残るにはモノをあがめるより言葉をあがめないといけない。
ここからが、集団に害する無能を見分ける機能に深く関わっていく。
恐ろしいことに、ユダヤ人の祖先はやたらめったら権威を振りかざすやつが味方にいてはいけないということをン千年前にすでに喝破している。
休めるときに休めないと、休んじゃいけないときに休まなければならなくなるため、こういった人間が味方にいるともしものときが怖い。
家庭環境がゴタゴタしている味方なんてのは、どんなに有能であったとしてもいずれボロが出るという話。
当たり前。でも、別に生存競争を否定するわけではなく、実際、ユダヤ人は決してホロコーストされ続けるような弱い集団ではなく、普通に、神の名の下にジェリコの戦いで住民の虐殺を行っていたり、数回にわたって行われた中東戦争で圧勝していたりする。もっとも、味方を殺すような存在が集団内にいていいわけがない。
昔も今も、恋愛というやつぁ人間関係のゴタゴタに直結するものであり、そういった感情を上手く制御できない連中を身内に飼ってしまうと、後々面倒なことになるという話。
これも当然。しかし、味方うんぬんという話以上に、敵に対しても同じである。これは、敵でも第三者でも、恨まれて当然の行為を禁ずる大変重要な話である。そして、そもそも、身内に泥棒がいたら全ての信用が失墜する。
同上。身内に嘘つきがいて、周囲の人間に信頼してくれとお願いしても、それは無理てえものである。
宗教が集団の話なら、これは世間の話。なんやかんやでアホみたいに利益ばかり追い求めれば、それは恨みを買う要因になるわけで、隣近所とゴタゴタ起こすやからを身内に入れてはいけないという話である。
やけに生活観のあふれるユダヤの十戒と比べて、キリスト教の七つの大罪は、完璧に戦時中、もしくは争乱に特化したつくりになっており、飢饉や疫病、戦争といった中世暗黒時代のかほりあふれる、無能な味方の割り出し方法となっている。
主君、および味方のトップ以外、戦争中、最も忌避すべき味方の第一位。自分が世界の中心と思っている味方が多くなればなるほど、作戦の遂行能力及び継戦能力の維持が難しい。
これまた、戦争中では忌避したい味方。戦争ではなくて、個人を見るようになってしまうと、徐々に大局観が失われていく。
喜怒哀楽の一つの感情であるため、これはいたし方ない部分もあるにせよ、これを抑えられる味方についていきたいのもまた事実。
これは、戦争以外の全ての生活においても言える話。怠惰な味方と一緒に成功を得るには、戦場以外の場所ならば普通の味方の4倍以上の努力が必要になる。これがもし戦場だったら、味方の怠惰のおかげで真っ先に最前線に送り込まれる。
これも戦争も含む全ての生活において言える話。もう一個、もう一人、もう少しという感情を抑えなければ、戦場では無様な死に直結し、商機では大損に突撃することになり、特に飢饉の場合、集団全体の死の可能性が高まる。正直なところ、飢饉の場合は、強欲な人間は殺されても仕方がなく、実際にそういった排除の論理は多くの民話に残されている。
これは、完璧に飢饉に関する集団内の排除の論理に直結する。いくら才能にあふれ、カリスマがあり、集団内に良い影響を与えたとしても、飢饉の際に暴食する人間は、集団全体の死に関わるため、やっぱり殺されても仕方がない。むしろ、飢饉などという非常事態に、才能やカリスマ、良い影響などといった話はまったく関係はなく、いかにして全員で耐え忍ぶかが重要になるため、耐え忍べない連中はどうしたって排除される。
上記のように、無能な味方には様々な要因が存在するが、基本的にたった一つの要因しか持ち合わせていないなんて話はまず無い。むしろ、2つも3つも悪徳やら罪を持ち合わせているような場合が多い。しかし、世の中は大変に困ったもので、七つの大罪のほかに七つの美徳と呼ばれる有能な味方の条件に合致する要素があり、そういった要因が複雑に絡まりあって人間が出来ている以上、そういった複雑な連中をいかに上手く制御していくかが、上に立つ人間にとって必須の技術となる。
忠義、希望、勇気、純潔、慈愛、純愛、友情、誠実、知識、正義、分別、節制、貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品
・・・七つどころの騒ぎじゃない。けれども、一応、全て過去に七つの美徳に含まれたことのある要因である。ちなみに、味方が持っていて果たして有能かどうか微妙な要素もいくつか見え隠れするけれど、逆に言えば、それに反する悪徳を有していたら、とてもじゃないが目も当てられないという話がほとんどであるため、希望や純潔、上品といった要素が含まれるのも仕方がない。