はてなキーワード: 卒論とは
理学部で助教をやっている。社会人ドクターを取った後大学に戻った。
幼さを感じた。
増田は、頭というか論理的に考える力は高いんだろうが、この内容は身勝手すぎる話だ。まぁつまり、小学生のような幼さを感じる。自分のことしか考えられない幼さを前提にすれば、まぁ筋は通っているだろう。
結局言っていることは小学生が夏休みの宿題に対して「これなんの役に立つの?」って言ってるのと変わらない。
日本の大学なら18以上だよね?成人しているのだから、何が役に立つのかどうか、何をやるのかどうかは自分で判断せねばならない。
卒論が役に立たないというのならば、大学を辞めれば良い。そうすれば、研究なんてやらなくて済む。その代わり内定は無くなるかもしれないけどな。増田はそれが嫌だから、いやいや卒論を書いている、だから、こんな文章が出てくるのだろう。しかし、世の中はそんなに都合良くはできていない。
卒論をやって就職をするか。卒論をやめて就職しないか。その二択を判断しろ、という話だ。自分の納得できる選択肢がないから『おかしい』というのは、あまりに幼くないか?
お金を稼ぐために、自分には不要に思える仕事をやらなきゃいけないことなんて沢山ある。自分が不要だと思っても、本当は必要だったり、本当に不要としか思えないものもある(上司のプライドのせいで増えた仕事とかね)。その度に、教授に言ったように、そういう文句を上司や取引先に言うのか?そんな必要はない。今後の仕事につながる人間関係と、その仕事にかかる手間を天秤にかけて、やるかやらないか判断すればいいだけだ。というか、本当に不要なら、やらなくても問題は起きないだろう。
自分が何をやるかは自分で決定しないと、他人のせいになってしまう。この場合は自分の欲しい選択肢を与えてくれない教授や、大学のせいにしている。しかし、他人のせいにするのは楽だけど、自分の人生に無責任だ。
もちろん制度に不満があって、それを変えようとしている人は世の中に沢山いる。現状追認が大人の証などというつもりは全くない。だから、増田が学長や学部長に掛け合って、何らかの資格取得や、技術の開発を卒論に相当する単位としてくれるよう嘆願しているというなら応援する(当然教授1人にゲームの例え話をするのとレベルが違うのはわかるよね?)。
大学の教員としては、基本的に専門知識を学生に与え、その知識がちゃんと学生の中で有機的に結合し、能力として発揮できる状態になっていれば、大卒と言えると思う。授業の勉強だけしても、それぞれがつながっていて、かつ意味がある形で使える必要がある。微積線形があって初めて、微分方程式や関数解析ができる。その積み重ねだけではダメで、それらを使って何ができる人なのか?というのが大事だ。個別の知識だけなら本を読めば良くて大学は全然必要ない。何ができるかを確認するために卒論がある。
何ができるか?を問われているので、アイデアが既にあれば、それに必要なだけの知識さえあれば良い。アイデアもなく、b3までに知識を得てこなかった人は、当然それを発揮する場である卒論には苦労する。
それを踏まえて、数学科では普通卒論はない(研究できるレベルの最新の数学をやるにはb4では難しい)から、自分の修論の経験を語る。
修論の経験が社会人になって生きたか?というと、スキル的な意味では怪しい(研究職なら直接役に立つだろうが)。アナリストや記者など、文章の経験を役に立たせている人はいるだろう。また、コンサルやマーケティングなど自分のアイデアをpdcaで回す必要がある職の人も役に立つだろう。しかし、一般化できるとはとても思えない。
だから増田の言うことは増田目線では正しい。文系に行くから行列は要らない!とか、一生コンビニ店員でやってくから三角関数は要らない!言われたら、そうですか、と言わざるを得ない。
しかし大学は上で書いたような学生を養成することが目的であって、就職先で役に立つようなことは想定していない。そういう社会的要請があるのもわかるし、それに阿った判断をして卒論を無くしたりしている大学があることも認識しているが、社会で「一般に」活躍できる人材を輩出したい!と思ってるわけではない。もちろん、資格系や職業人が教授をやるケースなど、その分野で活躍する人材を輩出したいという研究室は存在するが、社会人として役に立つ教育ではなく専門家の養成を目的としている。
一般化できない以上、大学で学んだことをどう人生に生かすのかは、学生次第だ。学生が、自分の判断で、自分の将来に役に立ちそうな大学や学部、研究室を選ぶのだ。
大学が提供するプログラムは上の観点で設計されている。自分の人生に必要かは人によって違うということを認識する必要がある。その中で、そのプログラムでは、多くの学生にとって卒論が、教育上の能力の判定として役に立ってきたからこそ、必修として存在し続けているのだ。教育する側には役に立ってるかもしれない、という視点に立ってみて欲しい。能力の鍛え方が足りない者を大卒として認定するわけにはいかないんだ。
大学はあなたに能力を伸ばしてもらうために卒業研究を課しているわけではないです。あなたが「〇〇大学☓☓学部卒」という資格を持つに足る能力があることを証明するために、卒業研究を完成させなければならないのです。あなたが証明する側です。
増田は「全学生には4年間を自由に過ごす権利があるため、様々な4年間の過ごし方が認めるべきだ」と言っています。それはその通りです。
しかし、「〇〇大学☓☓学部卒」に足る能力があることを証明せずに卒業資格を得たい、というのは完全におかしいです。エゴで研究を強要しているのではないです。「〇〇大学☓☓学部卒」という資格を得るためには、あなたが能力を証明しないといけないのです。
あなたの主張は「医学部で6年間過ごしたんだから医師国家試験に受からなくても医師免許を交付してくれ」と言っているようなものです。
また、「研究が社会人生活でどのように役に立つのか教えてくれ、定量的な根拠を示してくれ」と言っています。これも勘違いです。
大学は社会人生活であなたに役立ててもらおうと、卒業研究を課しているわけではないです。大学は「学部卒の資格を与えるには、卒業研究を完成するという形で、能力を示してもらう必要がある」と考えているのです。
資格を与えるのは大学で、あなたは大学に対して証明する必要があるのです。
追記で「卒業研究をやらずとも技術職の内定4社からもらった」と書いてあります。その事実で「だから卒業研究が必要ない」と言いたいのかと思いますが、端的に間違いだと思います。
内定は卒業見込みの形で出ていると思います。その場合、あなたが入社するためには卒業する必要があり、すなわち卒業研究が必要です。なので、卒業研究をやらなくても内定がもらえる、は間違いです。
企業が内定を出したのはあなたが卒業研究を(就職するまでの間に)やるからです。やらずに退学したら、おそらく内定取り消しです。
学部によっては卒論がないところもあります(ブコメ等で多数指摘があります)。そういった学部は必須単位が多かったり定期テストが難しかったりします。そのようにして、大学はその学部卒の人の能力を担保しているのです。
なので、卒業研究が必須の学部で卒業研究だけを無しにすると、能力が担保できなくなるでしょう。あなたが内定をもらえたのは卒業見込みがあるからで、それは卒業研究をやる前提です。なので卒業研究は任意ではないのです。
「今はインターネットを探せば、大学から提供されるものよりも分かりやすいものはいくらでもある。社会から隔絶された場所に籠っている教授は極めて視野が狭い。」と書いてあります。
あなたの大学の教授はインターネットにアクセスできないのでしょうか?インターネット上に(信頼性はともかく)様々なコンテンツがあることは、おそらく全ての教授が知っていますよ。レポートでインターネット上のコンテンツから丸パクリする人とかいっぱいいますから(Twitterとかでも話題になります)。
そういったことが想像できない、情報が入ってこないあなたも、だいぶ視野が狭いと思いますよ。
「卒研やらなくても学位もらえる大学あるの初めて知ったわ。看護大学とかじゃないよね」と書いてあります。
なんで看護大学だって思ったんですか?もし看護大学のことを偏差値を基準に下に見ているのだとしたら、改めた方がいいですよ。
日記の書き出しにいきなり「まぁまぁ偏差値の高い大学」と書くあたりその辺りに自信があるようですが、そういう態度で人に接すると失敗します。定量的な根拠はないですが。
そういうのを事前に調べなかったお前が悪い
俺は1年生の後期に気づいて、2年からはテストがないレポート評価の講義を選ぶようにしたし、
ゼミ論もできるだけないやつを選んだ
もう10年以上前だけど、そこそこ偏差値高い宮廷文系学部だったが4年時の卒論なかった
コロナ禍で思った通り大学生活をエンジョイできず、緩和ムード出てきたと思ったら卒論やらなきゃいけないっていうのはやりきれないよな。。
でも、旧帝大理系大卒の肩書きをゲットするには卒論を書かなきゃいけないってことは承知でその大学に入ったんでしょ?
時価総額が高い会社はあなたじゃなくて肩書きを見ているから、頑張らないと!
(こういう愚痴を小説に落とし込んだのが森見登美彦だと思う。)
嫌なことから逃げるために"事実"だけを並べてよくここまで"論理的"な文章をつくった。
主観満載で、最初から読み手に納得させるつもりがないフラストレーションの発散としての文章でも、ここまで"論理的"な文章を書けるあなたは素晴らしい!
論理的な文章を書く力は備わっていると思う。あとは客観的な事実だけを使えばいいだけ。
あなたは頭がいいよ!俺にはできない。
あんたくらいいい文章を書けるなら、卒論はそんなに苦じゃないはずだ。
そんで、大人になって金持って休暇取って遊ぼう!
(仕事をしたくないなって思うとき、ネットに愚痴を書くと「それが会社員だろ?」「嫌なら転職しろよ」とか批判される。「うっせえな分かってんだよクソ外野ども」って思って生きてるわ。今回に関しては俺も批判する側に立っちゃったけど。)
ここまで強い言葉で言う気にはならないけど、気持ちはとてもわかる。勉強全般はかなり得意な方だが、研究がとにかく嫌いだった。卒業して数年経つけど、いまだに嫌悪感が抜けない。たまたま卒論が必須でない学部に進んで就活も終えてて単位も余りまくってたから夏前にゼミを辞めて卒論を放棄することで(ゼミに入っていると卒論を書かないといけなかった)問題なく卒業できたけど、もし卒論が必須だったら4年生の1年間は楽しめなかっただろうし最悪留年していたかもしれない。成績が良かったから院進を勧められていた時期もあったけど、本気にしていたらどうなっていたかは想像したくもない。
普通に大学生活を送ると4年生になっていきなり卒論/研究とかいう存在だけは聞いていたよくわからないものが降ってくることになるんだが、その段階になって初めて適性が判明するからゼミや研究室の厳しさや求めるコミットと本人の適性や興味次第では心理的にめちゃくちゃ大きな負担・苦痛になるし、教員や大学院生にはたぶんそれが理解できていない(そういうのが好きでそこにいる人間なんだから当然だが)。怠慢と切り捨てられたらそれまでだけど、片脚がないのにサッカーをさせられている人というのはこういう感じなのかな、と思ったりもした。
増田と同じ感覚なのかはわからないけれど、とにかく自分がそこに時間を割く意味があるとは思えなかったし、そういう言わばエイリアンだらけの空間で時間を過ごしてエイリアンの決めたルールに従って何かをするというのが気持ち悪くて仕方がなかった。いま学生を指導している立場の人が読んでいたら、そういう人間もいるんだ、ということは知っておいてほしい。
そんなわけでゼミを辞めて卒論で身につけるはずの能力を身につけなかったのだが、それで困ったことは全くない。仕事も楽しいばかりではないが充実してやれていると思う。増田がどういう選択をするかわからないけど、卒業さえしてしまえばどうにかなるはずだからなんとか耐えてほしい。
増田を叩くコメントも多い。確かに大学は研究機関だと言われたらそうなんだろうけど、ほとんどの人は研究するために入っているわけではない。(それは大学院の役目だと思う)
難関大とされるところであればあるほど「高校の次に行くもの」という認識になっているし、周りのほとんどが大学に行く中で自分だけ「研究をする気がないから」なんて理由で行かないやつは見たことがない。もちろん、入学の段階で卒業論文の有無を気にするやつなんているわけがない。入試でも研究に向いているかなどは一切問われない。そうして入った中の一部にたまたま研究に全く興味のない、向いていない人間が存在したとしても仕方ないだろうと思う。しかも、それで3年生までは問題なくやれてしまうんだよな。
問題は卒論・研究に全く興味のない、意義を感じない人間に逃げ場がなく、しかも4年生になるまでそれを自覚しないで過ごせてしまうシステムじゃないだろうか。1年生からゆるゆると研究の真似事に触れるようになっていて、研究との関わり方の自由度も確保されているなら、自分が向いていないことを自覚して所属する学科やコース、研究室を選んだりもできるが、多くの大学だと入学時点で詰んでいる気がする。(自分のいたところはわずかにそれらしき「研究に触れよう」のような授業があった&学部レベルで入学後に選択できたので、事態をわずかに想定して卒論が必須でないところを選べた)
長くなったが、とにかくこういう人間が一定割合で出てきてしまう仕組みになってるんだから個人を叩いても仕方ない。増田にも責任はない。大学側にこういう人間が発生したときの対処法が確立していたらとは思うが、まあ無理だろう。同情するしかできないが、強く生きてほしい。
現実的には増田の卒論が免除されることは考えづらいから、教授とかには下手に喧嘩を売らずに媚びまくって負担を軽くしてもらえるように働きかけるか、あるいは「やる気がないわけではないが本当の無能だ」と思わせて院生あたりの助力を得るようにした方がいいと思うけども。
卒論なんてそもそもホンマモンの論文からしたらおままごとレベルなわけだけど、それすら「見返りがない」人は他に何を勉強しても見返りなんか得られないのでは?
学生生活最後の1年勉強なんかしないで友達や恋人と思いっきり遊びたい、という話なんだったら卒業してから1年間ギャップイヤーで遊べばいいのでは?と思うし。
私は共感。
論文というのは学生全部に無条件でやらせるようなものじゃないと思う。
緻密に、執拗に、理を積み上げる、
歳月が鍾乳石を形成するが如く、途方もない時間と労力をかけて一切のほつれなく編み上げる。
そんなことを大半の、二十歳そこそこの人間にできるわけがない。
確かにできる人間はいるし、挑戦する価値がないわけじゃないだろうが、
大卒しか採らないような部分の社会では大半が卒論書いたことあるんだからやってないよりやってた方が役に立つってだけでは?
ほんとそれ!バイクの教習に来て車の運転技術が向上しないとか言ってるみたいなもん
百歩譲って実質的に破綻してて大学こんなに要らんやろっていうのはわからなくもない
大卒って一言でいってもガチ目な卒論やるとこと遊んでても卒業できる大学とでバラバラやしな
一般に高学歴って言われてる大学はなんだかんだ卒業要件も厳し目だったりしてとりあえずちゃんとした資格として見て良いところも多いよ 人文系は知らんが特に理系新卒で高学歴が優遇されるのは底辺大学が教育機関として機能してないってのもかなり大きいような気はするな
とはいえICUでも卒業研究は必須単位だったけども。教養学部単科大だけど、卒業年次にはメジャーと研究室を選ぶ必要がある。(しかも卒論は原則英語で書くルール。。)今は違うかな?200x年卒。
大学での学びの集大成として、ヒーヒー言いつつそれなり真面目に卒研やってる学生が多かった印象。科学者コミュニティの仕組み、論文執筆、ピア・レビューの意義について教養科目や2年次必修の英語小論文執筆を通じて学んできている。元増田みたいに軽んじる学生はあまり見なかった。
いうて文系メジャー含めても15%超が国内外の大学院に進学するので(理系だけなら体感7割)(文系でも国際機関志望とかだと修士ないと話にならん)、就職予備校的に例に挙げられると実態と齟齬があるってことで。
卒論は廃止。卒業単位は半減させて2年間で実質的な学士課程は終了。残りの2年間はモラトリアム期間。
モラトリアム期間は何をしていても良いし学費もかからないが学生としての身分は維持される。
モラトリアム期間が要らない人は即卒業も可、即修士課程への移行も可。
そんなシステムが良いのではないだろうか。
「自ら学ぼうとして選択した授業」だったのか?
大方テーマ決めで苦戦したか面倒になって発表もしたくないしヤダヤダ!!って感じだろうけど、今までに卒論ばりの論文書いて賞でも取ってない限りは必須の進路選んだんだから書けよ。
講義で教えてくれる範囲なんて広大な学問領域の中ではごくごく一部
勉強しなくても社会人としてやっていけるけど、勉強嫌いな人が勉強必須な部署に配属されると悲劇
学生時代遊んでても社会人になってから勉強好きになる人は結構いるけど、そういう人は好奇心旺盛なので卒論嫌だと言ったりしない