はてなキーワード: メンタリティとは
くま殺すなって田舎に電話してる暇人ってくまのでない土地に住んでる都会もんらしいんや
インタビュー答えた女が実際私は都会に住んでいるから気持ちはわからないって言い放ったけど、たぶんアレが一番言いたかったことなんやろう
彼らは田舎もんをいじめて、田舎もんの苦しんでる姿をみて、自分が都会に住んでいる実感を得る畜生なんや
でもそんなこと言ったらぶっ叩かれるし、悪者にはなりたくないから絶対言わない
下手したら本人たちも気づいてないやろな
海の向こうの韓国のような流れがきてる
嫌うために嫌っとる節すらある
それっぽいお題目、大義名分かかげて、男が苦しんでるとこを見たいだけや
もちろんそれもはっきり言ったら悪者になってしまうので言わんけどな
そういえば、出産と同時に男の金玉が痛くなるのを神に祈るみたいな投稿してる奴がいたが、神に祈るなら出産の痛みがなくなることを祈ればいいのに何故男に痛みがいくようにしたいのですかとツッコまれていた
そういうメンタリティのやつが増えてきとる
もう終わりやこの世は
ワイが定期的に40年上の人とか、介護が必要な独居とかとなら結婚できるのではないかと提示してるやで。
でも「結婚できない」と連呼する増田はわいのことを無視するやで。
18歳の美少女処女じゃないと嫌だというメンタリティこそが、弱増田が結婚できない理由やで。
横
「せめてちょっとは準備してくれ」と書いてあるので、「小銭なし、整理券なし」レベルのトラブルを想像していたら(小銭とは行かないまでも)五百円玉は持っているし整理券も取っている。
ちょっとは準備してるし。
この程度のことを「鈍臭い」と言うのは通勤で毎日乗車、次に乗り換える電車の時間に関わるからバス降車でもたつくのは御法度という民。
路線バスをどんな人が使っていてどんなメンタリティか想像できて、支払いシステムを理解していないとだいたいこうなるし、ふいの初乗車でスムーズに乗り降りするのは難しい。
彼らはTwitter(X)のツイート(Post)やリプライ機能をYouTubeのコメント欄と同じだと考えているのだと思う。そう考えると色々納得がいくんだよね。
だから、ある程度フォロワーが増えたり、バズりがちな人たちは、自分がYouTuberになった気持ちでツイート(Post)することで、ある程度クソリプ(Trolls)に対する心の準備ができるんじゃないかと思う。
・論理的思考が一切できない。
正義や人権や大人の振る舞いなどのことを、ロジカルに考える能力が一切ない。個人の感想と区別できないほどに、ロジカルシンキングができない。現代人なら子供でもできるが、日本人は大人でもできない。
・上記のことは、昔の賢い人々が徹底的に細かく理詰めで徹底的に論理的に組み立てている。数学のようなもの。普通の現代人はそれを理論として学んでいるわけなので、普通はロジカルシンキングができる。
・現代人にとって、上の正義、道徳(宗教観の一つ)、人権、コミュニケーション、政治、などなどは「極めてロジカルなこと」である。
・日本人は、そのような一般的教養が一切ないため、感想や思想が土人レベル。現代人とはまともに話すことすら困難。上に挙げた分野の教養レベルが土人なので、「意見を交わす」のは無理。
アニメとゲームとエロと趣味とか、そういう与太話しかできない。
・メンタリティのほぼ全て
・道徳を無駄に信仰してるが道徳がどんな位置付けにあるのかを全く理解してない
・正義が何かをわかっていない
・人権が何かをわかってない
・法律が何かをわかってない
・政治が何かをわかってない
・民主主義をわかってない
・市民社会をわかってない
・全体主義や権威主義など自らの従う規範のイデオロギーを客観視できない
・大人の振る舞いとは何かをわかってない
・コイツらの言ってる「大人の振る舞い」は、たとえば「嘘も方便」「相手に耳心地のいいことを言って気づかせずに状況を転がす」といったような、宗教観とか文化的感情だけで形式的に決まっているだけのもの。所作として綺麗と考える宗教観はあるかもしれないが合理性が一切ない
お金は要らない、餓死してもいい、貧しい生活でもいい、それでもいいから貧乏人のお金を集めてお金持ちをもっと大金持ちにしよう!という政策を貧乏人が自身の権力によって実現している。
お金持ちのお願いは、どんなものであっても(もっとお金を稼いで豪邸を建てたい、とかね)快く大金を渡してくれる、気前のいい人。
関わらなくても大金をジャブジャブくれる。
エロだらけで土人で人を人と思っておらず、論理性がなく、感情的で、慈愛のない人々で、会話は成り立たないので、あまり関わりたくはない。
ゴジラみた。
感想。
面白かった。
戦中戦後をほどほどに知っているからか、各人のセリフや舞台、話の展開に違和感がすごいあった。
(以下ネタバレを含む。)
だって当時の日本人の玉砕せずに逃げたときの負い目は本当に壮絶なものだったし、特攻に子をやる両親が「生きて帰ってこい」などというはずがないし、45年12月の東京は瓦礫の山ではないし(東京大空襲から半年以上経っている)、
米ソ対立がまだそんなでもなかった47年に米軍が軍事行動を避けたいっていうの変だしそれを理由に軍艦を返すのは無茶苦茶だし、てかまだ東京裁判中だし誰がその船動かすんだって話だし、
朝鮮戦争前の碌な産業がなかった当時に女性が銀座で事務で働けるわけないし。
まあその辺りは枝葉末節なのでいいんだけど。
戦後間もない人たちが「いのちだいじに」が基本指針なわけないじゃん。
戦後復興のためにどれだけの人間が命を賭して頑張ってきたと思ってるんだ。
東海道新幹線、首都高速、黒部ダム、その他数多くの現代社会を支えるインフラは戦後の人たち、戦争を生き残った昭和の人たちの犠牲の上にある。
というかほんとつい最近まで命より仕事の方が大事だったじゃん、KAROSHIは戦前の言葉じゃないよ?
メンタルは戦前戦中のままに武力に費やしてたリソースを経済活動に全ツッパして走り抜けたのが昭和という時代だよ。
なのにゴジラをまえに全員助かるつもりで戦おう!みたいな?おまえらみんな令和からタイムスリップしてきたのかよ、ってくらい現代的な価値観で物事がすすんでいくので現実日本とのギャップをどうしてもすごく感じてしまった。
でもその違和感を感じない状態、つまり自分が日本のことをうっすらとしか知らないアメリカ人にでもなったつもりでこの映画を見たとしたらかなり楽しめたと思う。
映像頑張ってるし、歴代最高レベルでゴジラカッコいいし、音楽のタイミング最高だったし、展開はベタベタだけど綺麗に終わったし。
「そういういかがわしいものだって知っててヤッたんでしょ」「しゃぶったんでしょ」「それでいい思いしたんだろ?」
ってジャニオタが騒いで被害者必死でぶっ叩いてて、それを諫めるかのようにブクマカが必死になってるけどね?
別にこれ、ジャニオタが悪いとかじゃなくて日本人の行動様式そのものだからね?
ブクマカたちも自分の知ってる界隈の後ろ暗いことがあらわになった時には
「知ってた」「今までだってバレまくってましたが、何か?」って言うじゃん。
ジャニオタだけが特別なんじゃなくて、お前たち日本人の本性がそうなってるの。
自分たち(もしくは、近しい界隈)も悪いことをしているけど、それは暗黙の了解ですでに被害者側も了解済み。
なんで告発されるとか心外です! っていう被害者ムーブに走るの。
あのさぁ。
クズなのはもうどうしようもないし、だからこそ零落れて逝ってるんだとは思うけども、他人が自分とおなじムーブかましたからって発狂するのはやめようや。
お前もジャニオタだったら、ジャニを擁護して被害者ぶっ叩く程度のメンタリティなんだからさ。
オマエラ日本人が知ってて口にしない「暗黙の了解」が曝け出された時に騒がれるのいやだろ?
されて嫌なことをすんなよ、日本人。
あああああ。羨ましい
自分もそんな感じなんだけど、医者がストラテラしか出してくれなかった(勿論登録医だったけど、その医者の主義でね。「リタリンと同じだ!危険!!」くらいに思ってるんじゃない?)
ストで集中力上がったけど、困りごとには効かなかったわ
(おまけにその集中力が邪魔になる。自分はマルチタスクの方が合ってた。「文章読みながらテレビ番組を視聴」とかが出来なくなって超不便。文章に集中しちゃって番組の内容が頭に入ってこない。不器用過ぎだろ)
増田が言う脳内多動についてはストが効くね。でも、だからなんだって話だよ。あちこちに思考が飛ばなくなっても別に向日的なメンタリティになるわけでなし。ちゃんとネガティブよ
コンで「纏まらない思考がグルグルしている」って感覚もなんとなく分かる。頭がパキッとしないんだよね。意識が逸れてるというか
どっかの漫画家が今回の政権交代についての漫画をテレビで描かされたんだけど、その内容が
「政権交代!」って答える
って漫画だったのね。
それをすげー思い出す。
とにかく政権与党が自民でさえなくなれば後のことは知らんって感じ。
ずっとアンチ自民ってどこの政党支持なんだろうって思ってたけど、
中学生の時にバイブルのように読み漁っていた小説家がいたんだけど、高校受験のシーズンに入ってからと高校時代は勉強で心に余裕がなくて小説自体あまり読まなかった。大学生になって溜まった未読本を読もうと思って手を出したら作風とか、あとおそらく作家のメンタリティが結構変わっていた。解釈が変わったらなんだか中学時代に読んだ分まで遡って好きでなくなってしまいそうで、それがあまりにも寂しく感じ、自分の中学時代とその作家の蜜月を密封するために新作は一切読むのをやめた。
大人になってからは、すでに読んでいたものに対してさえ卑屈な感情を抱くようになった。知識が増えた目でその人の作風やエッセイを捉え直すと、あっ なかなか上流階級ですね…ということが見て取れるようになったからだ。そして本人はあるあるネタとして書いているものも、結果的にそういう階層内での内輪ネタにしかなっていないように感じるものが増えた。卑屈な気持ちになるし、それをいつか自分も体験するんだと無邪気に信じていた中学生の自分が馬鹿みたいで情けなくなった。
自分の感性や考え方の土台は明らかにその作家に追随し、模倣する形で作られたのに、それを基礎にした思考体系の1番上にいる現在の自分は、彼の書くものをテーマからしてしゃらくさいとしか思えない。不相応な世界観をそうと気付かずに取り入れた自分が恥ずかしい。そう考えている今の自分の思考はそこから生まれていることも苦しい。彼のことを考えると自己否定に繋がる。
まあだからあまり考えないようになって10年は経ってたんだけど、さっき彼とは関係ないラジオ番組を聞いてたら作家名がでて少し触れられていて思い出した。