はてなキーワード: マイノリティとは
それだけで非モテでブスでネット騒いでることになるなら、それこそ普段のはてなで愚痴りながら男叩きしてる、非モテオバサン達についての評価は正しかったことになるだろ。
だからお前みたいな屑ブスオバサンだらけの場所で俺一人が反論してるだけでそんなこと言われるじゃん。
逆だったら絶対にこんなんにならない。
屑ブスオバサンって罵りじゃないんか、言語感覚が違いすぎて話にならんなw
元増田がブス非モテ女の対照としてブス非モテ男を出してる文章でその次の反論してる増田は「こっちのほうがマイノリティ」って主張してるんだから、その増田はブス非モテ男であることは読み取れるだろ、読み取れないのか?
経済学者の飯田泰之のコメントに、個人的にはかなり疑問や違和感があったのでメモ。
(1)野党は抽象的な理念で対立軸をつくれないので選挙戦は厳しい
→これが一番わからない。対立軸をつくれば勝てるわけではない。事実、これまでも「反新自由主義」のスタンスは明確だったけど、選挙にまったく勝てていない。
(2)アベノミクスは金融政策は成功だが財政政策が不十分、特に消費増税が失敗
→財政政策の失敗として(これまでの自説と符合する)消費増税だけにしか言及していないのは何故なのか。財政支出全体のGDP比も増えていないし(国際比較でも極めて低い水準)、公共事業、行政、教育、福祉などで資源や人員が不足していることは周知だが、なぜそれらには一言も言及しないのか。
→反対ではないが、得られる額は社会保障費に比べれば微々たる額でしかないし、また節税対策によって骨抜きにされやすい。あと「高齢者」に限定した言い方は、世代間対立を煽るので好ましくない。なぜ若い富裕層には増税すべきではないのだろうか。高齢富裕層に対する感情的な怒りはわかるが……。
(4)野党は経済を軽視して公正とかマイノリティとか倫理的なテーマばかりを重視するから勝てない。
→政治的な公正さとかマイノリティへの差別は、経済に比べれば大した問題ではないという言い方は容認できない。リベラルな論点は仲間内にしか受けないというが、政治的公正さやマイノリティへの差別が狭い仲間内にしか受けない現状のほうに問題意識を持つべきだろう。
→百歩譲ってそうだとして、それがなぜダメな理由なのだろうか。「自民は世襲議員政党」ぐらいの、内容のない批判としか言いようがない。飯田自身も超のつくインテリのはずだが、「高学歴インテリ」に対する侮蔑的な感情をなぜ全肯定するのだろうか。あと、相対的に評価しているれいわ新撰組も、支持層は中間上層で低所得層から支持されているわけでは全くない。さらに言うと、共産党をガン無視するのもいただけない。
そもそもこうした議論の前提にある、「野党は低所得者が支持できるまともな経済政策を訴えれば勝てる」というのが幻想としか言いようがない。日本における選挙は常にメディアがつくる「風向き」で決まるのであって、安倍政権は「風」そのものを起こさないようにメディアを懐柔してきたので、長期政権になったにすぎない。
政治の首がすげかわっても行政担当してる官僚とかが変わらないならあまり変化は起こらないんじゃないのと思うんだけど違うのかね。
過激な人が総理大臣になったらその国民に害をなしそうな方針にも官僚は完全に言いなりなんだろうか。
そこは頭がいいんだから命令に遵守するふりをして、実際は「いいように」その方針を行政として実行するにとどまるんじゃなかろうか。
うろ覚えだが江戸時代でも何円(通貨単位には突っ込むな)以上盗んだら死罪という法律があったものを心ある奉行はそれより1円分少なく盗んだということにして死罪を回避させたという話があった。まあ現代でもそういうふうに総理大臣が横暴な政治を行おうとしてもその具現化を担う行政官は融通効かせるんじゃないですかねって話。
話は変わるが弱者がマイノリティーだとすれば、量で決する政治制度は弱者には危険だと思う。
まあ荒唐無稽な仮定なんだけど高卒以上は年収が500万に達さない場合その分だけ補助金が支給される、高卒未満が最終学歴の状態で成人した人は死刑になるように憲法改正から行っていくという考えの政党ができたらどうなるだろうか。
中卒の割合は2%だからこの政治方針により害を被るために積極的にこことは別の政党に投票しようとする層もたかだか2%前後ということになってしまう。
もし相対的強者にこのような弱者を思いやる心の者がいなければ簡単に議席3分の2以上の議席をとれてしまうかもしれない。
国民投票も余裕で過半数を超え無事弱者の生存権が無視されるように改正、死刑執行、なんて結末も理屈ではありえてしまうわけなんだよな。
過半数とか3分の2とか、そういう量を基準とする議決の仕組みを政治に導入しているのは本当はよくないと思うんだよな。
まあそうなってもミャンマーみたいに心ある警察官のボイコットが始まるかもしれないんだけど。
何が言いたいかというとこういう制度下でしかもろくに思いやりある人がいなくなっちゃうと、たとえば中卒という括りで弱者を定めた場合は2%=300万人とかが該当するわけだけど、つまりそのときの弱者の定め方次第で最大3000万~4000万の相対的弱者の命が積極的に奪われるような社会が実現しかねないってことなんだよな。
これを人数としてものすごく多いと思うのも結局主観でしかないんだろうけど、主観で済む規模なのかなって引っかかりもあるわけで…。
それこそあなたの感情論だよね。まず、トイレは男女に分けられている。女子トイレのは身体的・生物学的女性のためのもの。そこに身体的に男性の人物が入ろうとすることがお門違い。マイノリティって言ったらなんでも許されるわけじゃないし、私含め大半の女性は手術済みでチ〇コついていない・心が女性だと主張する人間が入る分には嫌だと言わないと思うよ。これは十分以上の譲歩。チ〇コ切ろうが生物学的に男性として生まれたなら男なのに、生物学的男でも例外的に女子トイレに入って良いって言ってるんだから。
チ〇コついてる人間は女子トイレに入るな。女装した身体的男性が男子トイレに入っても奇異な目で見られないように男性側の意識を変えてくれ。
オタク、都合よくマイノリティとマジョリティの立場を使い分けてないか?
かつてオタクは少数派だったんだろう。
だからこそ弾圧された時は結束し、社会の不理解へと立ち向かったんだろ。わかるよ。
「今時オタクであることくらい普通なんだけど?」ってよく言うよね。俺もそう思うし。
でもさあ、それって「オタクはマイノリティだから互いに守り合おう」って論調と両立しなくね?って話。
マイノリティって書くとアレだが、要はオンリーワンに近いのがマイノリティである。
少数派とは人とは違うから少数派なのであり、良い言い方をすると、特別なのが少数派なのだ。
で。
少数派=特別であることと、多数派=普遍的であることは同時には成り立たないよね。
何が言いたいかっつーと、ダブルスタンダードはやめた方がいいと思うよ、ってのが1つ。
少数派だと思うなら「今時オタクを認めないとか…」みたいに感じるのをやめた方がいい。
んで、もう1つは、多数派になった以上は、別のマイノリティの価値観を尊重しなきゃいけないってことだよ。
マイノリティを尊重できない多数派、一昔前の「オタクはロリコンで死ぬべき」とか言ってた多数派となにも変わらんからな。
意味わからなくて、気持ち悪いと感じる価値観に手を差しのべる義務が発生するのが多数派だ。
私はフィクトセクシュアルなので、「二次元規制なんかするよりもセックス規制した方がいい」くらい言いたいですけどね。
「マイノリティのみなさんには申し訳ないが、社会のために我慢していただいて」はもううんざり。マジョリティもたまには我慢しろ。
「普通に接すれば良い」と唱えるだけでマイノリティが差別(性暴力も含む)から逃れられるなら、シス女性もそう唱えてシス男性と同じトイレを使えばいいんじゃないですかね。
そっとしておいてほしいと感じるのはもっともだけど、今の日本でかつてに比べてセクマイが生きやすくなってるのは事実だ。かつて声を上げた先人の力があってこそ、多様性を提唱する、過ごしやすくも気色悪い時代になった。私たちはそれに乗っかって過ごしている。
敢えて言うけど、いまや大多数の人はセクマイに対して特別な感情なんかない。他人のどうでもいい特質のうちの1つになりつつある。
増田こそLGBTを特別扱いしていないか。君が傷つくような発言をしたその人が不躾な人だっただけなのに、どうして世の中がLGBTを特別扱いしてるように思い込んでるんだろう。世間と自分は違うと思い込んでないか?
多様性が尊ばれた結果、こういう風にどこまでも被害者面して他人の感情を支配していこうとする奴が生まれるのは弊害だよね。
>「左利きの人と同じくらい居るらしいよ」と同室の人が話しているのには堪らない気持ちになる。何でかなあ。居るらしいんだって。居るんだけど。
みたいに、言葉尻捉えて他人の粗さがしが出来るのって「必要以上に尊ばれてる立場だから」出来る事。
その癖に
>必要以上に尊ばれて、センシティブで、触りにくくて、不自然に特別なものになってしまう。息苦しい。インターネットで今よりも茶化されてたときよりずっと生きづらい。
なんてことを同時に言ってしまう。レズとかホモとかどうでもいいけど、こいつみたいにマイノリティを掲げて被害者面する奴が他のマイノリティを生き辛くしてるんじゃねーの
残念だったな
もう無理です
お前はやっかいな奴等に見つかっちゃったんだよ
自分は多様性を認める素晴らしい人間だと思われたいやつらのおかずとして生きていくことが確定してる
そんな当たり前の存在になることはもう無理
マイノリティだけど一生懸命生きてる見せ物の動物として確立されたんだよ
嫌ならもっと声を上げろ
ほしいのはお前らの保護じゃなく当たり前になることだと
LGBTとか置いといて”マイノリティが、マジョリティの利害を冒してでもマジョリティ扱いして欲しい場合”として考えたらどうでしょうか?
例えば、文中にも出ている 左利き ですが、こちらもマイノリティですよね。沢山の人がこの存在を知っていて、左利きであればどんな困難があるか理解もできる。なのに、左利き製品が右利き同様の数にはならない。
これはなぜかというと、数の少なさが利害に直結するから、ですよね。
熱望して買ってくれる人がいるのはわかっていても、買う人が少ないとコストが嵩み、認知度が右利き製品に比べ落ち、売り上げが右利きに比べると落ちる。利害が発生しています。
左利きの人は好んで左利きになった訳ではないにも関わらず、右利きの人に比べて不便な生活を強いられる。
この状況は書き主様のご状況に似ているのではないでしょうか。
ではこの左利き市場の状況をどう変えられるか?と考えると、やはりLGBTの方が現在直面されているように
まず理解を求める→理解し製品(精神)が普及するよう、対象外の人間も具体的に働きかける→数の牌が増え企業の利害が一致する(製品が増える)
左利きでない人には左利きの不便さがわからないし、左利き製品は使えない、けれども左利きの方の不便さは理解できるから、製造会社を応援する意味でその会社の製品を買う...
という、通常の利害関係を覆す具体的アクションがない限り、企業の利益を優先した行動を変えることができないからです。
自分が利益を出せば、自分の大切なものや人に利益を再分配できるので、そちらを選ぶ人が大方でも仕方ないのだと思います。
書き主様は、どうでしょうか。
自分が事業主だとして、そう言った建前なしに利益度外視の製品を好んで作るでしょうか。
左利きの友人に、 へー左利きなんだ! と口に出さない自信があるでしょうか。
全てのマイノリティ事象に対して、自分が望むマジョリティを与える事はできるでしょうか。
今日のLGBT活動に、気持ちを無視した心ない利益活動や、人の気持ちを考えない無礼な人が沢山いる事は承知しておりますが、
マイノリティをマジョリティにすることは、LGBTに関わらずとても難しい事だと思います。
私事ながら、私は一生付き合っていく病を患っておりますが、こちらも数的少数な病で、辛い思いをたくさんしています。
ですが、前述のような理論で、では自分だったらどうだろう?違うマイノリティに対して同じ姿勢を取れるだろうか?と考えて、自分を諌めています。