はてなキーワード: はえとは
気がつけばラブライブ!サンシャイン!!の人気が物凄いことになっているらしい。
無印のラブライブ!がヤバいくらいの支持を集めたこと、それも男性ファンのみならず多くの女性ファンも獲得したのは知っている。
JKが主要登場人物というゆるいジャンルでくくれば、ガルパンと並ぶ2010年代の覇権タイトルの一つだろう。
いや、男女両方から熱い支持を得たという点はガルパンより凄いかもしれない。
ついでに言うなら両方とも筆者もかなりハマった。
翻ってサンシャインだけど、アニメ第1期が思ったほど面白くなかったせいで、そのまま追いかけるのをやめてしまった。
個人的にウケたのはヨハネのコブラツイスト→黒澤姉妹と、ぴっかぴか音頭の鞠莉パートだけレベルが違うことくらい。
そもそも聖地である沼津って、無印の聖地が都心の秋葉原とその近辺だったのとはえらい違いで、東京からだと距離的時間的に大洗といい勝負?という意味ではむしろガルパンに近いかも。
てか沼津といい大洗といい、舞台が田舎という時点で女性人気の観点では元来不利で、あの花の秩父や響けユーフォの宇治が例外と言ってもいいくらいだから。
そんなこともあってか、どうやらファン層も男性に偏っている時点で、こう言っちゃなんだが無印に対して色々と見劣りしてしまう。
というかμ'sに勝っている(?)のはメンバーの平均年齢くらい?
だから、大洗と同じく沼津への移住者が出るくらい人気と言われても全然ピンとこないのだ。
途中で「これアレなヤツだろ…」と感づきつつも、暇つぶし(と、話のネタ)として、話だけは(我慢して)最後まで聞いてみました
具体的には https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/business/22250/1507157916/115 とほぼ同じ展開
調べてみると名古屋で「LID学院」という名称で活動していて、関東では OLC という名称(Once in a Lifetime Chance の略らしい)で活動しようとしているみたいですね
ディズニーランドでお馴染みのオリエンタルランドのドメイン名と同じなので、ググっても全然情報が出てこないのがより悪質な感じがしますね〜
(ただし、講師名でググると普通にそれっぽい情報が出てきます)
最終的には、この規模の講座の受講料として一括で払うには常識的に考えて大きすぎる額(1コース数十万円)を提示されたので「いや、無理っす」と返したら、
「例えば銀行でローン組んで…」みたいなこと言ってました(いや、こんなんに融資降りるわけなかろうが)
試しに「すみません、もうお金借りられないんですよね〜」と返してみたところ、
「例えばお金溜まったらとかは?」と言われたので「いや〜貯められるとは思うけど、溜まった頃には時期を逸してるよね」
的なこと言いつつ「このあと予定あるんでいいすか?」という感じですんなりと開放されました
とはいえ、貴重な休日に5時間も拘束されてしまったので、皆さんも気をつけましょう
上記のスレでも言及されてますが、こんなんでコミュニケーション能力を伸ばせるわけないだろwwwと思った
プログラマーな自分は(単位が bit にしてはえらい中途半端な数字やな)と思って試しに「2の冪乗ちゃうやん」と突っ込んでみると、
「はじめて知った」「脳科学的(うろ覚え)にはこうですよ」と返され、(あ、これソースねぇんだな)と思った
(というか大前提として、なぜ処理能力の単位が GHz とかではなく bit なん?という疑問がある)
諸君、私は現パ ロという文化が大層気に食わない。掃いて捨ててしまいたいくらいだ。実に滑稽な代物である。文化と呼ぶにもおこがましい。元来、己の押しカプいう輩は極めて脳不足である。人気カプ共のように元より関係のあるだけの者をくっつける鬼畜よりはまだマシと言えるであろうが、推しカプ信者共の解釈というのは得てして幼児以下の代物である。境遇が似ているからとか、価値観が合いそうとか、塵以下の頭脳で考えた結果である。気狂いの所業と呼ぶ他はない。そんな推しカプ信者共の考えた二次創作というのは言うに事欠かず現パロである。現パロというのは現代パロディ、 つまり過去の時空にいた二人を無理やり現実世界で生活させるということである。一体何を考えているのか、私には皆目見当がつかない。しかも この現パロという醜態、推しカプ界隈では当たり前のように蔓延している。もはや、苦手な人がいるかもしれないという気遣いを乗り越え、それが当たり前になっているのである。これには流石の私も、辟易した。 しかし現パロをここまで忌み嫌う私も、現パロを描くことはある。苦々しい思いをしながら、壮年の男二人で同居している様を描くのである。な んという地獄絵図か。私は咽び泣いた。こんなものは推しカプではない。平和な世界で睦みあっている二人のなんと恐ろしいことか。原作の人物達の危うさ、妖艶、憐憫、全て丸潰れである。しかし私は何時の間にか、この最も毛嫌いする現パロを描く鬼畜生に成り果てていた。現パロというのは、考えることを放棄した代物であるからして、とてつもなく描くことが楽である。自分の知らない明治の遺物を調べる必要もない。訳の分からない建物を書く必要もない。自分の知っている事象に人物を当て嵌めれば、なんてことは無い塵芥が完成する。私は非常に気楽さを感じた。周りの推しカプ信者共も、現パロを描くと拡散先で褒めちぎる。やれ2人が可愛いだの、2人でいると面白いだの、感想を呟く。私は大層心地がよかった。もっと現パロを描こうとすら思った。
しかし、半月程前から、私の中の自然がこれを拒否した。本当に2人はこの生活を望んでいるのか?私が描いているものは瞞しなのではないか?ーいや、実際に瞞しではあるのだがーそう思う度、私は手が動かなくなった。しかし、2日に1回くらいは作品を上げないと、見てくれる人が減るやもしれない。いいねの御零れが貰えなくなるやもしれない。私は苦虫を噛み潰しながら作品を描き続けた。なんの価値もない作品である。それでも感想はくるし、いいねも増えるのである。果たして、私は推しカプを好きでいる自信をなくした。
程なく、大学の後輩と話す機会があった。
私はその時、先の某催事で出る推しカプ共の新刊を確認していた。見渡す限りの現パロに、私は閉口した。しかし1冊だけ、過去の時空の推しカプ本があった。その新刊案内を読んで、私はえも言われぬ感情に襲われた。きっと私は推しカプが嫌いになったに違いない。だからこの本に対してとても辛い感情を抱いている訳だが、何故かこの本を買わなくてはいけない気がするのだ。そう後輩に伝えると、後輩は『それは好きなのではないか』と発した。
私はハッとした。この感情は、嫌なのではなく、欲しくてたまらない、推しカプの可能性を信じたいという感情が昂りすぎたものなのだと気付いた。何故そこまで高ぶったのか、それは紛れもなく、そこに存在するのが原作軸の推しカプだからである。
やっぱり私は推しカプが好きだ。そう繰り返し、私は泣いた。限界御宅である。バカ。しかし、私の心は澄んでいた。原作軸推しカプのなんと尊いことか。この危うさ、妖艶、憐憫、全て2人のものである。私は大層喜んだ。
それから、私は1日1枚描いていた〇〇の日をテーマにした落書きを描くのを辞め、これからは原作軸の推しカプのことを考え、現パロの推しカプは描きたくなったら描くことにした。
現パロというのは、人物達があるべき時代では到底付き合えないという考えの裏返しである。現パロを描き続けることは、その二人を愛しているようで実はその二人を遠ざけているのである。その事実には、その二人が嫌いになった時にしか気付けないのだ。
現パロは、気楽に使える良薬と見せかけて実は遅効性の毒である。用法用量を正しく使わないと、私のようになってしまうかもしれない。
良い女と良いセックスをしたい。
飯を食うとか、仕事するとか、俺のありとあらゆる行為の理由はコイツだ。
良い女、とはどんな女だろうか。肩ぐらいまでのショートカットであるとか、屈むと2リットルペットボトルがぶら下がってるみたいになるタイプの巨乳であるとか、下着には自分なりのこだわりがありますだとか、色々あるけれど、とにかく一緒にいて楽しい女、のことを言う。
良いセックス、というのはどんなセックスだろうか。良いセックスには良いストーリーが必要だ。大阪の道頓堀だとか京都の河原町だとかにあるひっそりしたバーで偶然隣りに座った女と好きな小説の話で意気投合。そのうちお互いの悩みだとかを話し合い、今までの恋人の良かった所、悪かった所、両親の変な癖だとかをざっくばらんに話していくうち、向こうはどんどん機嫌がよくなって最後に「なんだか、すごい楽しいわあ。明日も休みだし幸せー!」なんてすごい嬉しそうに満月のようににっこり笑った後、突然雲が掛かるみたいに妖しさを含み始め、そっと低いトーンで「この後どうする?」なんて囁かれ、そのままさっさと会計済ましてラブホにホテルに行き、ぐっちょんぐっちょんになった後、始発に乗るために誰も居なくなった早朝の繁華街を二人で歩く、みたいなのが理想のストーリーである。
俺はそんな良い女との良いセックスを求め、マッチングアプリに登録した。何人かの女性と会い、実際にセックスまでした事もあったが、良い女との良いセックスなんてのは一切無かった。
マッチングアプリで出会い、簡単にセックスできる女とは、つまらないセックスしかできなかった。こういう女には面白い共通点があって、会う前に「私ブスだけど良い?」とか「私太ってるけど大丈夫?」とかそんなことをご丁寧に確認してくる。当時俺はよくわからなかったからとりあえず会ってみたけど、本当につまらないセックスしかできない。これを読んだ男はよく覚えておくと良い。
まず勘違いしないで欲しいけど、ブスでもデブでも良いセックスをする女は居る。つまらないセックスというのは、その最中に俺の身体が突然バイブか何かに変わったとしても、相手はそのまま喘ぎ続けているんじゃないだろうかと白けるようなセックスのことだ。ま、仮につまらないのが目に見えていてもセックス出来るならするけどさ。
マッチングアプリに見切りをつけた俺は、次なる戦場として読書会を選んだ。細々と活動している小さな読書会だった。課題図書も面白そうだし、なにより場所が道頓堀の近くだったため、俺は良い女との文学的で良いセックスに想いを馳せながら読書会へと向かった。
読書会に参加した俺は、皆思い思いに感想を述べる女達の良さにグッときつつ、反省していた。読書会は非常に、本当に、心の底から楽しかった。それは純粋に読書会を楽しんでいる参加者や、楽しい会にしようと努めている運営の方々のお陰であり、そんな中セックスどうこうなんて考えていたのが、本当に失礼だと思ったからだ。俺はクソだ。
読書会が終わり、一人夜の道頓堀を歩く。俺も結局、セックス以外に自己確認の手段がないつまらない男だ。 良い女は俺なんかとは遊ぼうだなんて思わないだろう。マッチングアプリをやっている良い女は俺のつまらなさを易々と察知したことだろう。良い女は良いセンスも兼ね備えているので敵わない。
良い女と良いセックスをするには、当然だがなによりも自分が良い男でなくてはならない。どうしたら良い男になれるのだろう。だが、良い男になろうと思って何かする時点でクソみたいな男にしかなれないということだけはハッキリとわかる。結局は才能と運だと俺は思う。本当は運も才能に含まれるのだけど、才能だけっていうのはあんまりな気がしたからそこは分けた。
俺も、マッチングアプリに蔓延るクソみたいな女も、才能と運が足りなかった。悲しいな。一杯飲もうぜ。なぁ、セックスしよう。いやいや、君は自分が思っている以上に可愛いって。特に目元とかキュートだ。こんなしょーもないメンタルのままじゃお互いダメだろうけど、最近なんか寂しいし、今日くらいはええやん?
道頓堀の街は賑やだ。なんばへ向かう通りはラブホテルが何件も並んでいる。カップルが目の前でラブホテルへと入っていくのを何度も見た。彼らの何組かは今晩、良いセックスをするだろう。俺はせめて良いオナニーをしてやろうと心に決めた。
田舎から深圳とかに出稼ぎに来てる姑娘と意気投合。週末一緒に遊んで、日本円で3,000円の人民元をあげる。彼女らの月給くらいかもしれない。
彼女らは、裸に、せっくすに、日本人と比べて何もない。日本人が過剰な気もするけど、それはそれで良いものだし。
姑娘がおしっこするー。と、トイレに後から付いて行ったら、洋式便器に立ってしてた。ふつーにしてた。並んで僕も立ちしょんしようと思ったら、おちんちんおきくなって、できなかった。你好トイレである。
姑娘は脇毛は剃らない。けど、日本人と違って直毛のさらさら。体毛薄い。全然陰毛もはえてない姑娘もいる。
おちんちんは雑に扱われる。舐めてはくれない。目は開けてる。せっくすはたのしいもの。ノーマル状態だと無臭かちょっと汗くさいから、良い匂いで洗って(日本のシャンプーとか〕仕上げてあげる。最中、中国語で言ってくることは「私を好きか」「他に女友朋要らない」くらい。
姑娘「中国語でせっくすって何て言うか知ってる?」
僕「知らない」
姑娘「イ故愛。つぉーあい。言ってみて」
僕「つぉーあい」
姑娘「( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \」
筆談で会話。姑娘、漢字書けない時がある。日本人は簡体字はルール知れば読める。
ベッドのシーツの上で裸で(日本人はガウン着るよね)、窓から月明かりか蛍光灯の外灯か、白い肌が青白い。
姑娘「また大きい」
僕「シーツ濡れてる」
姑娘「なんだろ。知らない、いいのよ」
エッチな気持ちだとバルトリン線液が出るとか知らなそう。くんにすると最初は興味本位だけど、やっぱり気持ち良いし、「おしっこでる」ってときに「めいよーうぇんちー」とか言えば、ちょっと恥ずかしそうにする娘も僕の頭押さえる娘も、ホテルの人ごめんね。
ところで、中国のホテルは夜中にドアが叩かれ、ボーイが部屋のカップラーメンをタカリに来る。
お金渡すと、「買い物行って良い?」と食料品アイスクリームとか買って、タクシーでボロボロの集合住宅ついて行くと、真っ暗な部屋に大人子供が隙間無く寝てて、先に戦利品な配布。とか。
せっくすに的に刺激が無いから、中国の大学に留学してる日本人女学生を言葉巧みに誘い出し、三人で部屋で裸になっても、女の子同士で話し合って、おちんちんは放置。女学生処女で、いやもう処女とか価値観無い。トイレもドア開けたままだった。大っきいほぅも平気って。わざわざしないけど。
その女学生の部屋に行ったとき、女学生は部屋に上がるとブラを取ってジーンズ靴下脱いだ。僕も自分の部屋では、シャツとトランクスだからな。
増田に集う紳士淑女の近隣にいないか、無駄に職位が高くやることと言ったら、具体性を欠く「ご意見」をいうおじさんが。
「マスダ君!ここのデザインねぇ、もうちょっとシュっとできんかなシュっと!」「イメージをねぇ、もうちょっとスッキリさせたいのヨ、スッキリ!」「ホウレンソウが大事ですホウレンソウ!」
で、次の週ぐらいにほとんど変わってないけど「手を入れました感」があるブツを持ってくと「おお、だいぶシュっとしたじゃないか!いいよいいよガハハ!」「スッキリしたねぇ、アドバイスが効いたねぇガハハ!」「ね、ホウレンソウすると仕事が進むでしょガハハ!」つって、なんんんも変わってねぇのにすんなり通す奴。
#古い逸話で言えば、ミケランジェロのダビデ像の鼻を削れといったパトロンの話と同じである
つまり、「俺はえらいから、俺の意見は通って当然」「俺の意見が入らないと先には進ませない」っていうタダのバリア。本人は薄々わかってるけど、権勢をふるうためだけに無用の嘴を挟んでくる訳。で、ブツがどうなっても知ったこっちゃないのよどうせわかってないバカだから。やったふりをさせることに意義があると思ってるし、やらせたことに自己満足して、アウトプットなんか見てないわけ。
フェミも同じよ。「これはエロだから公共に出しちゃダメ」。しばらくほっとくとおんなじ物が出ても「あてくしたちの意見でよくなりましたなガハハ!オタク死ね!」。自己顕示がしたいだけよ。