61 :ソーゾー君:2013/12/27(金) 21:15:03 ID:fKJWM68.
これを否定して格差拡大を称賛してワークシェアリングなんかやったら破壊しかない。
別けたくても分けられない奴等に強制するな。
富の再分配=税制改革=マネーシェアリングに反対してワークシェアリングを語るなキチガイ。
利益配当をゼロにして損正義や三木谷等の泥棒の年収が1000万になれば
実際は損正義や三木谷や株主達が80%ほど強奪してるだけなんだけどな・・
残りの20%を分け合ってストイックに生きる俺達にまだ分けろと言うのか?
80%強奪してる連中にマネーシェアリングさせてからやれアホ。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1387207762/
61 :ソーゾー君:2013/12/27(金) 21:15:03 ID:fKJWM68.
しかもこのワークシェアリングは移民政策とセットだから恐ろしいわな・・
懐疑は困らないらしいw
俺は困るけどな・・労働時間が減るのは良いけど給与が減るのはマジ勘弁。
と言うと「労働時間が減り楽になるんだから給与が減るのは当たり前だ!」と言うw
ワークシェアリングをやるよりマネーシェアリングをやるべきだろ?
最高所得を定めてマネーシェアリングしてからワークシェアリングやらないと無理だろ?
年収500万の奴は250万になるんだぞ?
「ワークシェアリングで週三で毎日定時ですけど収入が半分ぐらいになったので
↑大半の人が100%こうなるよ?
ワークシェアリングしてコンビニでバイト掛け持ちって意味ないだろ?
分けれる奴に分けさせろよ?
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1387207762/
なあ。もしあのロボットの外見が、キンパのパツパツなねーちゃんだったら、ここまで炎上しただろうか?「掃除させられて…」とか「読書してるから…」
とかいろいろ言われてるがそうじゃないだろ。
家事ロボットの外見が『黒髪で清楚系のロリ顔美少女(ただし意外と胸でかい)』である時点でもう、他のあらゆる設定とは無関係に批判者的にはアウトなんだろ。オタ向け漫画アニメなら永遠のド定番設定だけど、それは、それらが本質的にライト~ヘビーな男性向けポルノグラフィだからであって、それを学会誌の表紙なんて場所に持ち出したらそりゃアレコレ言う人は出るだろう。そういうこと全体に無自覚であること自体への批判を含め。
お堅い(と思われてる)雑誌の表紙が、漫画やアニメを採用するのはもはや珍しいことではなくなりつつあるし、そういうこと自体をむしろ一種の「日本文化」として受け入れるのが今時の了解事項なのかもしれない。それに、こういうことは、止めてもどんどん進むだろうしね。そういう過渡期の風景として、いろんな議論を眺めている。ただ、ポルノを取り上げて、大真面目に「差別だ!」「いや差別じゃない!」と議論してる光景には、やはりちょっと気恥ずかしいものがあるね。
個人的には、「いっそジブリ絵でこのコンセプトの表紙やってたら、どうなったかな?」と意地悪く妄想してる。もっとオオゴトになってたんだろね。
相手すんなよ。
もう、男女仲良く差別なく暮らしてる幸せな社会から、差別差別騒いで結果孤独になってるフェミを嘲笑ってやるしか、できることはないよ。
だーかーらー。
全員が差別されてないって言ったらそれでいいじゃん、ってね?
でさ、もし差別意識を感じてる人がいたら、その人に
そうじゃなきゃわかんないじゃん何も。
一体何が差別でなんでその差別されるものにわざわざなったのか?
ネタ元のtwitterの人が黒人が。。。とか言ってたけど、黒人に関しては、明らかに強制されてたわけで、もともとアフリカで暮らしてたりしてる時はそんなことしてなかったのに無理やり連れられてきてやってたし、
アメリカで生まれた人も生まれた時からそうだから、それ以外に選択肢がなかった、ということがはっきりしてる。
だけど、今の日本で女が専業主婦を選ぶのは義務?そうならざるを得ない?
もし、ホントに、女の人が働けないとか、そういう事情があるならそっちを解決しよう、って方向に動くのは正しいと思うけど、
専業主婦の人たちはホントに働けないから仕方なく専業主婦なのか?強制されたのか?
それとも自ら望んでそうなったのか?
その辺、はっきりさせないと、あんたみたいな、男だか女だか知らんけど、部外者が勝手に差別だ差別だ騒いでも仕方ないだろ?
そもそもどうしたいんだ?専業主婦みたいのを無くしたいのか?そうでなければどう意識を変えれば良いというんだ?専業主婦そのものは存在するのに?
専業主夫をたくさん作って女と同様の量になって家政婦も家政夫にして、世の中の職業や立場すべてが女男同様の数になるまで許されないのか?
お前は一体どういう世の中になったら「差別がない」と言えると思ってるんだ?
俺の母親は女は男を立てて自我を殺して生きることで幸せを感じるって言ってるんだけど、その意見も尊重してね?
差別主義者さん?
61 :ソーゾー君:2013/12/27(金) 21:15:03 ID:fKJWM68.
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/cmt/bde4a907ac9b95a3406c343c32d429c7
安倍の経済対策の目玉にして懐疑の究極奥義「ワークシェアリング」
アホだろ?
だけどその分給与減るんだぜ?
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1387207762/
余計なプライドなんか捨てて言えばいいのに本当に
昔の戦争は間違ってて侵略してごめんなさい今後はこんなことしませんって
ツイッターで「刺したなう」ネット右翼の通り魔犯が殺人未遂で逮捕 「朝鮮人を駆除したい」との発言も - NAVER まとめ
http://b.hatena.ne.jp/entry/matome.naver.jp/odai/2138806280324118101
そうそう。
帝国陸軍と海軍の官僚が想像を絶するほど愚鈍だったってことで、その報いを今の日本人が受けているわけですよ。
彼はただ頭が悪いだけです。
別に差別されてると思わない人たちがいるならそれでもう終わりじゃん?
で、差別されてると思ってるなら、この今の日本でなんで専業主婦を選んだのか?そこを聞く必要があるじゃん?
そうしないと何が差別の原因で、何が専業主婦を作ってるかわからないじゃん?
それさえはっきりすればそれで初めて解決に動けるじゃん?
女性がほうきを持って部屋掃除をしている姿を、奴隷的な姿と見ている人たちは、認識がおかしいと思う。
女性がほうきを持って部屋掃除をしている姿≒黒人奴隷≒黄色人種の被差別的な姿
という図式も、納得がいかない。
私はホームヘルパーのような介護職で、まさにこの表紙のような姿で日々仕事をしている(実際にはほうきではなくて掃除機だけれど)ので、その自分の姿を奴隷的な姿として認識されているとしたらとても傷つく。このような仕事中の姿に誇りをもっている人がいることを知ってほしい。
コードに繋がれている点を指して奴隷的と主張している人もいるみたいだけれど、これは単にこの女性的なフォルムの物体をロボットであると明示するための表現でしかないと思う。少なくとも私はこの表紙を見て「自分の職業がロボットにとって代わられる日がくるのかもしれないなあ」といううっすらとした先行きの不安を覚えこそすれ、女性蔑視の表れなどとは微塵も感じなかった。
繰り返しになるけれど、この表紙のような姿に誇りをもっている人がいることを知ってほしい。育ってきた時代が違うから、この姿を奴隷的だと思う人がいても仕方がないとは思うけれど、その考え、もう古いよ。
助長になりそうですが、自分の働いている業界のことを知ってもらえる機会となりそうなので、幾つかのブコメに対してレスを…。
なんでそう言う仕事するのは女の人って言う固定観念があるのかって言う部分が問題だと思うの……そんな固定観念がなくて、男女とも普通にやるけどたまたま女性を描いただけ、とはまだ言えない感じ……(id:AmanoJack)
こればかりは憶測の域を出ない話になってしまうので、わかりませんよね…。ただこうしたコメントをいただいて、思い出したエピソードがあります。職場で、介護関連のリーフレットや参考書に、女性の働き手の絵が多いということが話題になったことがありました。その際に男性の同僚たちが「女性ばかりフォーカスされていてズルい」「俺たち男だって頑張ってるんだぜ」という愚痴を冗談交じりにこぼしていました。「女性の介護労働者」という絵を見て「女性を虐げている(女性を差別している)」と思う人と「女性ばかりズルい(男性を差別している=女性を逆差別している)」と思う人。おもしろいですよね。
同僚の男性たちの発言の根底には、この仕事に対する愛や誇りがあると思われます。私の働く世界では、男女問わずそうした考えを持つ人の方が多いため、今回の人工知能の表紙の件で違和感を覚えた、という次第です。
こんな知性感じさせる文章書く増田が介護職?(id:lost312)
「知性感じさせる」という文章に対する褒め言葉は素直に嬉しく思いますが、発言のもとにある認識は残念に感じます…。こういうことを書くと変な空気になってしまいそうですが、私は地方駅弁を卒業している者です。この学歴をどう捉えるかは人によって様々ですが、現在の職種に就くにあたって周囲から様々な意見をもらいました。その多くは私の就職活動に否定的でした。もっというと、採用側からも何度も「それでいいのか」「後悔しないのか」と尋ねられ、学歴と職種をセットで見る意識の根深さを痛感しました。
こうした経験から考えると、一般的に、介護職は私の学歴よりは低いと見られる学歴の方が就く職業として捉えられています(上のコメントに代表されるように)。このような認識があることは事実だと思います。でもその認識は変わって欲しいと思いますし、変わりつつあるのかなと思っています。
私が介護職を志望するようになったのは「自分に向いている」「好きだから」という理由からです。職業選択にあたって、自身のこれまでの学歴を判断材料に含めたことはありませんでした。なぜなら、私はそう教わってきたからです。「自分がやりがいを持って、好きだと思える職業に就きなさい」と。これは私の家庭の方針などではなく、学校で教わってきたことなので、私個人にとどまらず私たちの世代に共通することなのかもしれません。介護の業界でも、私たちくらいから「学歴と関係なくこの業界を選ぶ若者が増えてきた」という声を聞くことがあります。介護の業界の人材についてそういった変化があること、ひいては職業選択に対する価値観に変化が生まれていることを知ってもらえたらなと思いました。
※私は大学で介護に関する勉強をしていないので、介護福祉士の資格を持ち合わせていません。(もう少し働くと受験資格が得られ、それから試験に合格すると資格を得ることができます)。私の就職活動に対する否定的な意見の中には、こうした理由があったことも付記しておきます。
え?だって、今議論してるのは皆、当の本人たち以外の人たちでしょ?
少なくとも参考意見として集めないとなんとも言えないじゃん?
これだけ世の中に沢山居て、その辺に当たり前にいる人達なのに、
それは俺の周りだけなのか?お前の周りの専業主婦はみんな差別感を感じ、仕方なく生きてるの?
え?一番重要な意見じゃないの?別にそれだけで結論出せ、とは言わないけど、当事者無視して勝手に結論出るものなの?
それとも、専業主婦って、もう、完全に管理され、洗脳されたホントに可哀想でいたたまれない、あってはならない類の人たちなの???
全ての女性に聞いて、本当に統一意見が得られると思っているなら、お前の生きている世間が狭すぎる。
まさに綱で家にしばりつけられているが如き世間の狭さだ。
なんだろ、この「おれのかんがえたりけいとぶんけい」は。。。
そもそも、政治とか経済活動の研究ってのも、実際に現実を見て、そこからモデルを作ったり当てはめたりしてケーススタディーしたりするもんじゃないのかね?
一方、化学製品でも工業製品でも、さらには医学なんかも、現実で使うものだよね。専門的なものは使用者は「理系」の人に限ったりもするよね。(それを使役してるのは文系だ!とか言い出すのかな?)
「モデル」「現実」って、単に、「研究」「実践」の違いだけなんだけどもね。まあ、そのへんも区別つけるものでもないんだけど、本来。
うむ、まあ、一番良いのは、実際に家で家事をしている奥様方にインタビューして実際、差別を感じてるのか?
その辺答えてもらえば良いんじゃないでしょうかね?
まあ、専業主婦の人たちはこの日本に洗脳されてるから自分たちでは差別を感じないんだ!!!とか言い出されるともうどうしようもないんですがね。。。
人口知能学会誌の表紙が女性差別的であるとして炎上した件について考えた。
結論1.学会誌の表紙が差別的印象を与えかねないという指摘は妥当だが、批判者たちのことばは過激にすぎる。
結論2.その結果、こうした性差別的問題に関わること自体が非常に厄介なものになっている。
俺自身は、当該学会誌の表紙を見ても女性差別的だとは感じなかった。例えば表紙の女性が露出度の高い服を着ていたり、首輪をつけていたりといった明確な性的/奴隷的モチーフがあれば別だが、表紙の女性が虐待されたり奴隷的待遇を受けていると感じさせる描写は特になかったように思う。
そもそも掃除ロボットが人にそっくりな姿形をしている必要があるのか、という疑問はないではないが、人工知能というイメージをわかりやすく表現するためにあのような形になったのだろう。
いずれにしても、俺は、ことさらあの表紙がひどいとは思わなかった。
他方、あの表紙を非難している人の意見には、頷けるところもある。
例えば、女性が奴隷的に家事労働を担わされてきた/担わされているという事実があり、家事労働は女性がするものである、という性別と役割を結びつけるような差別的意識が多かれ少なかれあるという現状を踏まえたときに、ことさらそうした差別的意識を助長するような表紙を掲載することは倫理的に妥当ではない、という主張は、一定の妥当性を持つ。学会側にそうした意図がなかったにせよ、差別的メッセージを読み取って傷つく人がいるかも知れず、そうした人に配慮すべき、という主張は、おそらく"倫理的に"正しい。
とはいえ、そうした倫理的な配慮の欠如は、果たしてそこまで非難されるべきものなのか。特に、学会やイラストレーターに対して「差別主義者」だの「性奴隷を作りたがってる」だのと言うのは言いすぎだ。せいぜい、「配慮が欠けている」くらいではないだろうか。これは炎上案件の多くに言えることだが、犯した失敗に対して制裁が強すぎやしないか。
また、学会誌の表紙に女性のイラストを載せること自体が男性的な欲望の発露で気持ち悪いという意見も聞くが、これについては、今回の表紙で言えば、女性の服装も容姿も姿態も特に萌えや性的イメージを押し出したものではないので、的外れな意見だ。初音ミクが表紙になった学会誌は比較的好意的に話題になったことを踏まえても、今回の表紙がことさら逸脱したということはないだろう。
今回の騒動を見て感じたのは、性差別に関する感覚の絶望的な断絶だった。
何を差別的だと感じるか、どこまで差別的だと感じるかというのは、明確に線引するのが難しく、曖昧な部分というのは多くある。例えば、今回の表紙だって、コミックスや小説の表紙であればここまでの反発を受けることはなかっただろう。そこには、「学会誌の表紙」はコミックスや小説の表紙に比べてより公的であり、それゆえより繊細な倫理的配慮が求められる、という前提がある。少なくとも、批判者はそういう前提があると考えている。
しかし、実際にはあの学会誌はかなり限られた人向けに向けて作られている(人工知能学会誌を購読するためには、人工知能学会に入会する必要がある)。そのため、あの表紙案にそれほど公的な配慮が求められるとは考えていなかったのだろう。表紙を描いたのは女性らしいが、役員構成は22名中21名が男性で、性差別に対する配慮という点では、内部のチェック機能が働きにくかった可能性もある。
つまり、学会側にしてみれば「不用意に歩いていたら地雷を踏み抜いた」といったところで、このような炎上はおそらく青天の霹靂だったろう。性差別に比較的敏感な人達にとってあれだけ問題となった表紙であっても、性差別に鈍感/寛容な人達にとってはその何が問題なのかよくわからない、という状況なのではないだろうか。
ヘイトスピーチや直接的暴力があったならともかく、今回の炎上はむしろ差別意識に対する認識の違いに起因しているように思う。例えば、今回の炎上を受けて、人工知能学会は以下のようにコメントしている。
「ネット上で広く議論をしていただくのは有り難いと思っています。学会としては、女性を差別したり蔑視する意図はありません。ただ、そういう意見もあるときちんと受け止めて、今後の表紙デザインを考える上で参考にしていきたいと思っています」
このコメントは、「私たちに女性差別の意図はないが、差別であるという意見は受け止める」という趣旨であり、やはり認識のズレの問題だとされている。であれば、そのギャップを埋めるための理性的な話し合いの余地はあるし、そうしたコミュニケーションこそが重要だと思う。
トゥギャッターまとめなんかを見ていると、互いの主張が噛み合わないまま、悪罵と中傷を投げ合っているような印象を受けた。それでは、まとまる話もまとまらないと思う。悪罵や中傷や揶揄をしても説得可能性は著しく低いわけで、むしろそうした振る舞いはコミュニケーションのチャンネルを狭める結果にならないだろうか。
差別の問題というのは、なにが差別でなにがそうでないのかという線引きが難しい部分がある。
具体的なヘイトスピーチや暴力であればわかりやすいが、例えばセクハラであれば、肩をたたいたり、容姿や服装についてコメントしたりするとセクハラになる場合がある。黒人の唇を厚く描いたら抗議を受けた漫画もあった。
そういう、「差別」の境界線が見えにくい部分は数多くあるが、特に言及に注意が必要なのはマイノリティについてだ。マジョリティにとって、マイノリティに対する配慮を感覚的に行うことは難しい。例えばセクシャルマイノリティのの中には、履歴書などの性別欄に男と女という選択肢しかないことに悩む人がいる。あるいは、性別欄がある事自体に悩む人がいる。そうした悩みは、マジョリティにはなかなか共感しにくい。
多くの人は、差別などしたくない。したがって、自分の言動が誰かを傷つけないように配慮している。しかし、繰り返すが、どういう振る舞いが差別になるのか、ということがわかりにくいことが多々ある。差別的な意図など全くないのに、それが差別だと受け取られることは起こりうる。
そうして、うっかり誰かの地雷を踏んだときに一瞬で炎上する可能性があるというのは相当にリスキーだ。不用意なひとことによって差別主義者のレッテルを貼られたり、職場などで不利な立場に追い込まれるとしたら、それは地雷原を歩くようなものだ。差別的意図がなくても、一定の確率で地雷を踏む。
それゆえ、比較的賢い連中は、マイノリティに言及すること自体を避ける。言及すれば、一定の確率で誰かの地雷を踏み炎上するおそれがあるから、一切言及しないという対策を取るわけだ。こうして、マジョリティとマイノリティの断絶が拡大する。 マジョリティ側の人間にしてみれば、おそらく断絶は合理的だ。マイノリティに関わる必然性は基本的にないし、必然性があった時だけ、最小限の関わりを持てば良い。しかし、現に何らかの差別に苦しんでいるマイノリティがいるとしたら、こうした対応をされることはおそらく不利だ。マジョリティと断絶すれば、差別をなくすための運動は社会的な賛同を得られず、力を持たない。差別が現にあるならば、その差別はあり続ける。
したがって、マイノリティがマジョリティ側の不用意な発言に悪罵や嘲笑を向けるのは自滅的行動だ。そうして発言者を炎上させれば、マイノリティは怖い存在になり、いわば「弱者という強者」だと誤解される。そうなれば先に論じた断絶は進むし、あるいは在特会のような気持ち悪い連中がでてくるかもしれない。いずれにせよ、マイノリティの地位は決して向上しない。
これは、マジョリティの不用意な発言を批判するなと言っているのではない。批判の方法を考えるべきだと言っている。少なくとも、SNSで悪罵とともに晒しあげるのは妥当な批判方法ではないだろう。
以上の話は、主にセクシャルマイノリティを念頭に置いて書いた。しかし、これは他のマイノリティや左翼一般にも当てはまる。特定秘密保護法にせよ都条例にせよ反原発にせよ、人権を振りかざした絶叫デモを行ったところで、それは彼らの孤立を深める結果にしかならない。