はてなキーワード: 自助グループとは
最近、ひっきりなしに悪徳不動産業者からの勧誘電話(リダイヤル・逆ギレタイプ)が職場にかかってきます。
その都度、気分はどん底に落ち込みます。
仕方なく、セルシンとデパスの混合服用で誤魔化そうとしている。が、なんの解決にもなりゃしない。
電話が来るのは止められない(こんな悪徳業者が法律を守るはずがない)。
「世の中に不満があるなら自分を変えろ。ソレが嫌なら目を閉じ耳をふさぎ、口をつぐんで孤独に暮らせ」
これを聞いた時は、もっともだ、と思った。
周りを変える事は出来ない。
出来る事は「自分を変える」だけ。
薬では解決は出来ない。
如何にこの「嫌だな」とかわき出てくる怒りをどうするか、が最大の課題。
せっかく、鬱から脱出し、寛解に向かいつつあり、持ち上げようと努力しているのに、この【人災】が蹴落としていく。
これが恐くて、職場にいる事自体が苦痛・恐怖になってきた(それでなくてもパワハラ職場にいるというのに)。
嵐が来るのは避けられない。
しかし、嵐はいつかは通り過ぎるもの、というのも分かっている。
こういう電話も数分~数十分過ぎれば通り過ぎるというのも分かっている。
でも、嫌な気分・怒りはどうしてもわき出てくる。
「被害」と思うからいけないのであって、「こんな嫌がらせはスルー」というくらいの心持ちが必要なのだろう。
無理にこの感情を処理しよう・コントロールしようと意識するから、嫌な気分が増幅するのも分かっている。
「森田療法」のように、それを受け入れ、時間が経てばひとりでに治まっていくのを感じ、慣れていくしかない。
こんな心労を抱えて暮らすなら「孤独に暮らす」のも良いのかもしれない、と思う事もある。いわゆる「ひきこもり」だな。(宗教に出家という手もあるかもしれん)
もっとも、金銭的にそれは許されないが。
いくつか、森田療法の本を読んでみた。基本的には入院療法なのだが、日記をつけて医者と交換するとか、通院でやるとか、色々方法はあるらしい。
でもやはり、医者のサポートが必要なのかもしれない。自助グループも存在するようなので、探してみよう。
しかし、森田療法の真骨頂である「あるがまま」を理解するのは、実のところ、もっと時間がかかりそうだ。
まぁ、悪徳勧誘電話が怖いというのには、別の理由もある。
どの程度相手が情報を握っているかが分からないからだ。実はそれが怖い。こいつらは法律違反してる事も、他人が嫌がる事をやっている事も百も承知でやっている社会の底辺だからだ。即ち、自分からすると「こいつらは何をしでかすか分からなくて」怖い。
職場に電話がかかってくるという事は、職場のダイヤルインと会社名、名前(氏名)は握られているのは確定している。自宅の住所や電話番号はどうだろうか。こっちには電話がかかってきた事は無いし来た事も無いから、もしかするとそこまでの情報は持っていないのかもしれない。希望的憶測でしかないが。
リダイヤル攻撃してくるのも常だが、1日何百件も電話をかけないとならないのだろう?この底辺共。放置・ガチャ切りされてる相手にリダイヤル攻撃してるくらいなら、次から次へと対象を移していった方がいいと思うのだが、それは我々民間人の論理なのかもしれない。この手の底辺共の考えでは、リダイヤル攻撃をし、精神的に追いつめて契約またはアポを取らせるようし向けるのが目的なのかもしれない。
ところが自分、スパムメールに関しては、何の痛痒も感じていない。同じ自分の望んでいないスパム系でありながら不思議な感じがする。架空請求のメールが届いたりする事はあれども、悪徳勧誘電話ほど恐怖感は覚えない。むしろ、何も感じない。スパムメールは機械(またはボット)がやってるからかなぁ?というのと、自分がネットワークの仕組みを知っているから、なのかもしれない。
まぁ、その他、リダイヤル攻撃を喰らうと、職場内の電話が全滅してしまう事や、取り次ぎする同僚に手間をかけさせてしまうのが申し訳ない等、あるんだけどね。
せっかくアルゴリズムを考えてプログラミングに集中している最中に悪徳勧誘電話がかかってくると、嫌な気分になるし、何より、考え中だったりまとまりかけた脳内作業が雲散霧消してしまうのがムカツク。
警察は、実際に被害が発生しない事には動いてくれないので役に立たないし、消費者生活センター等ではテンプレートが用意されているだけで、全く機能しない。「毅然と断り、電話を切りましょう」とかなんとか書かれていて、法律では「再勧誘の禁止」が定められています、とか、個人情報保護法による対応等、テンプレートが用意してあるが、実情は、電話を切れば、この社会の底辺共は、実際にリダイヤル・逆ギレ・恐喝はするし、社名、担当者名を変え、あの手この手でしつこく電話をしてくる。
そりゃぁ、希望を言えば、こんな底辺共の事務所など、航空自衛隊の支援戦闘機から500ポンド爆弾を投下してもらってこの世から消滅させて欲しいと思う。
が、実際問題、悪徳勧誘電話がかかってくる事は止められない。行政も官公庁も何も出来ないのだから。
前述した通り、自分を変えるしかない。如何に早く気持ちを切り替えて持ち上げるか。トラウマの処理をしてからじゃないとだめかなぁ……。
それは俺が考えることだからお前が心配しなくてよろしい。
「このアンケートにご回答お願いします」と言って
回答項目にきちんと記入された紙の束が「データ」だ。
俺は「データ」が欲しいの。
体験も経験も知識も無いのに
「こうなんじゃないのか」なんて言って
バカでも思いつくことや
良くある通説を長々書いてるアホが居るが
アンケートで言えば質問よく読まずに無意味な落書きしてる回答だ。
これは「データ」ですらない。
俺がいつ「麻薬中毒者の生活の破壊ぶり」を疑ってるとか詳しく知りたいと書いたんだ?
問いの文章も読めないアホが。
割と関心を集めるトピックだったらしくて
レスポンスが活発なのはいいんだが
異常に質問文を読めないアホの率が高いのは何故だろう。
同じような心境でずっと悩んでいる。こういう自助グループみたいなの、ないのかね。
家族史もわからない他人を「あいつはアダルトチルドレンだ」とか言う人に、アダルトチルドレンについて知るべきだって言われてもなー。
匿名ダイアリーでも37ぐらい記事があったが、「アダルトチルドレン」について知るべきだと思う。私が今知っている知識で書こうと思う。正しい知識を得るには、「アダルトチルドレン」がキーワードになっている本を読むべきだ。そして、心療内科や精神科を受信することを勧める。
人間関係がうまくいかない、と思ったことはないだろうか。誰かと一緒にいるときに、話ができずに困ったことは無いだろうか。
この前アルバイトをしたんだけど、その依頼主がたぶん「アダルトチルドレン」。初めての仕事でできない僕に向かって、「不器用だなぁ、おまえ。」「そうだな、それだと扱いずらいって思わないか?」「そうだよなぁ、そうやった方が簡単だよな。(その前に依頼主がやったようにやってやると。)」と、恩を着せるように話をする。
一方、僕が最初からできることについては、一切触れない。アダルトチルドレンは、「自信」が無い。そして、行動は両極端に振れる。つまり、ものすごく自信があるように振る舞ってしまうから、自信が無くて落ち込むか。
この場合、依頼主の場合は、自分の自信の無さを埋めるために、仕事のできない僕に向かって「恩」を着せるのである。そうすれば、自分が「できる」人間であると思えるからである。こういう生き方に慣れてしまっている。これが「アダルトチルドレン」である。
すでに仕事納めも終わっているであろう時に、客先めぐりをしている自分を、「会社は休みなのになんで仕事してるんだろうねぇ。」などとお客様に向かって「恩」を売っている。その車も社用車ではなく自家用車だ。お客様にとっては「過剰サービス」となることをやっている。そうやって、無理に人間関係を続けよようとする。
自分が「アダルトチルドレン」であることを認めるのは「怖い」ことだろう。自信を持て無い故に、なんだか「病気」とも思える「烙印」の様に感じてしまうからである。また、「偏見」も大きく差別する心を持っている。
アダルトチルドレンは、自分の失敗を認めることが苦手だ。向き合うことも苦手だ。そこから逃げるために依存する。
依存というと、薬物という印象があるが、それだけではない、酒、タバコ、ギャンブリング、食事、ゲーム、恋愛、ケータイ、インターネットなどに時間を使い尽くす。金も使い尽くすから生活が成り立たなくなる。僕の場合は、「砂糖」だ。とにかく、いらいらしはじめるとたくさんとってしまう。砂糖はとりすぎると、インシュリンが出すぎてしまうために、低血糖を招く。つまり、簡単に寝てしまえるのだ。辛いことに向き合わずに、逃げることができるのである。
土日になると「うつ」になる。土日は父が会社に居てあばれるのである。それが嫌だったのが原因なのだろう。
アダルトチルドレンは、完治するというものではない。生まれてから成長するにしたがって、自分の体や精神に深く縫い付けられてしまったようなものである。取り外すことはできない。
しかし、自分と向き合うことで、人間関係が改善するように生きることは可能である。もう一度生まれ変われる。
アダルトチルドレンは、「自助グループ」というところに定期的に集うことで、自分たちの中にある「子供」を癒す。そして、より良い生き方を「仲間」から学ぶのである。
「自助グループ」の活動は宗教活動に似ているためそれだけで嫌悪する人もいる。私も最初はそうだった。しかし今では、宗教活動とは、食事、運動、考え方などをより良く生きるための生活指導であると考えている。
親から「愛」を受け取れなかったアダルトチルドレンは、「愛」を信じられない。故に自分を信じられない。そこから抜け出るためには、「愛」の絶対的な存在が必要なのだ。それを、「自助グループ」では「ハイヤーパワー」と呼ぶ。
この文章を読んで、今困っているアダルトチルドレンが、自分がアダルトチルドレンであることを知り、それを認め、自分と向き合い、回復の道を歩むことを切に願う。
心の平安が得られます様に。
私は、1965年早生まれ、東京五輪世代です。ひきこもり問題については、多くのひとが、30歳未満、あるいは35歳未満を想定していると思われます。けれども、40歳前後、40歳以上のひとたちの存在については、ただきもちわるくみられるだけで、専門家にしても、当事者にしても、あまり語られていないように思います。
私たちが、思春期から青年期をすごした70年代から80年代にかけて、ひきこもり問題が語られることは皆無に近く、私もそうですが、ひとりでさびしく、えたいのしれない悩みにむかっていました。このところようやく、ひきこもり問題が社会問題として、クローズアップされましたが、もうそのときは、私たちは、青年とはいえない歳になっていました。
わたしは、この歳になっても、自分自身の思春期の問題が解決されたり、思春期葛藤をのりこえているとは思えません。思春期・青年期に卒業していなくてはいけない問題が卒業できずに、今後は、自殺率の高くなる中高年期をむかえるわけで、こころのなかに、累積債務がたまるばかりで、不安でいっぱいです。 現在、語られているひきこもり解決策は、私からみると、20歳前後のひとたちを想定しているように思えます。歳に関係なく共通することもあるかもしれませんが、人格がかたまり、人生の年輪だけが増してしまった、高齢化したひきこもり者の解決策は、個人や家族だけではとうていうかびませんし、専門家の間でも、語られにくい、あるいは良案がみつかりにくい問題なのかなあと思います。
私自身、大学卒業後、何度も就労にトライしたり、精神科・カウンセラー・デイケア・自助グループなどを利用して、専門職をめざしたりして、あの手この手をつくしたのですが、もう万策つきてしまったと感じています。人生が破綻したとおもっています。 私のように、思春期・青年期から引きずっている中高年のひきこもりは、ほんとうに、「終わらない思春期」の問題だと思います。思春期・青年期・中高年期の対人不安や社会不安などが複雑に入り混じった問題について、希望のみえる打開策をもっと社会全体で考える気運があってほしいです。専門家の方には、高齢者グループにしぼって、ひきこもりの打開策を研究していただきたいです。
高齢者グループのひきこもり者たちは、なぜ、ひきこもりから抜けた出せないかというと、数十年前から現在にいたるまで、当事者が単独でもがき苦しみ、若い世代と比べて、ほとんど社会において、ときには専門家においてでさえ、扱いずらい、扱おうとしない問題だったのではないでしょうか。そして、年月を増すごとに、悩みや問題がこじれる一方だったのではないかと思います。
「残りの後半生、わずかでも希望をみいだしたい」「すこしでも、ひとのやさしさやあたたかさにふれてみたい」「えたいの知れない孤独な気持ちをわかってほしい」「すこしでも、おとなとしての自信をもちたい」これらが私のこころからののぞみです。
このように私と似たような悩みやお考えを持っている方、いらっしゃいませんか。個人的には、ひきこもり高齢世代と自称されるかたがたにこそ、インターネットでもその他の手法でも
かくれていないで、ひとりでもやもやしていることを思い切って語ることができれば、みんなで考えあう気運がもりあがるかもしれないと思っています。
「不登校」という言葉は、差別用語だと考えていて、あまり使いたくないのだけど、経験者として、書いておく。
まず、「不登校支援」という名目で活動している団体と関わるのに、注意した方がいい。
名前通り、どこかの施設に入れて、徹底的に叩き直そうという団体で、暴行事件などが起こって問題が表ざたになっているから、意外と知られている。
文字通り、不登校を直すための秘訣の書かれた本を高額で売りつけたりする。SEO対策がされているため、検索してほいほい引っ掛かる。
心理学や精神科の専門家が関わっていて、一見すると、信頼の置けそうな組織。不登校の研究をしようと思っても、なかなか会えるものじゃないし、
多くのサンプル数を集めるのは、大変だ。そこで、不登校支援の名の下で、不登校児たちの生態について研究するために設立されている。
(4)自助グループ
子供が学校に行かなくて悩んでいる親たちが、自分たちの悩みを解消するために結成されるもの。あくまでも、親のためであって本人のためではない。
自助グループがさらに発展したもので、「不登校」というものに独自の哲学やら思想などを持っていて、それを広めている。
通信制や定時制の学生のための学習や高認取得の支援をする予備校。
世間では、(1)や(2)が危険ということは知られているけれど、実は、(3)、(4)、(5)もかなり危険な存在じゃないかなと考えている。
肝心の解決法なのだけれども、検索しても出てこないだろうし、恐らく、上の団体に聞いてもお決まりの答えしか用意してくれない。
十数年苦しんで、考え続けて思うのは、何かをして解決する種類の問題とは違うと思う。時間が解決するといったらいいのかな。
つまり、周りの人間にもどうにもできないし、自分で何とかしなければならないわけだが、決定的なものはないといっていい。
自分の体験を述べると、戦前の人の本を読んで、彼らの生き方は、大いに参考になった。戦前には、小学校を中退していても、立派な業績を残している人がいて、
彼らの生きた道は、まさに教科書といってもいいと思う。
あとは、不登校支援とはまったく無関係な人と幅広く付き合った方がいいと思う。
その際、根強い偏見があるから、不登校であることはカミングアウトしない方がいい。
自分で、言っておいてなんだが、経験者や当事者の意見だからといって信用しない方がいい。
なぜなら、あなたが見ている景色と、他の人の見ている景色は、同じ不登校であっても違っている。
結局、あなたのことを一番分かってあげられるのは、あなた自身なのだから。
あの野郎と私のことを考えて考えて考えていて、共依存て言葉がぽっと頭に浮かんできて、むはっ!てなった。結局の所私は未だ、自分の生い立ちから抜け切れていないのか、と。アル中の父親に殴られて育った娘が、またアル中の男になびくのと同じことだ。そこが理由で好きなんじゃない、と否定し続けてきたけれど、そろそろ認める時期なのかな。あの野郎はDVでもアル中でもないけど。ただの、彼女がいるからと振った女をその後も定期的に飲みに誘う、頭おかしい男。そして私は喜んで飲みに行く頭おかしい女。私に彼氏がいる時期を挟みつつも、早五年もこんなふうな感じでいる。
共依存状態で四年、同棲を続けている友だちが、泥沼の果てで最近はお互い自立してきたという。彼は自分の抱える嗜癖の自助グループに通い始めたし、彼女は離れて働く時間が増えた。束縛と暴力はゆるみ、穏やかな時間が増えたという。
それは彼らが互いのために努力を重ねたからだと思う。安全に何も、誰も傷つかないように。それを気をつけているだけじゃ、何も変わらないのだと思った。
性的に欲求不満であると、ことあるごとに奴は私に言う。そのたびにテキトーにあしらってきたけれど、今度もし言ってきたら、関係を変えてみようと思う。どうせ短い人生だ。やりたいことやって泥水すすってみるのもいいじゃないかって。その結果殴られてもそしられても、やりたい方に進んでみたい。泥沼の底を探ってみたい。彼氏じゃなきゃ彼女じゃなきゃとか、友人一同にどう思われるかって条件付けは絶対だと思ってきたけど、変えてみてもいいんじゃないか、と、思った。貞操観念の強い女として来たけれど、崩してみたくなった。
これが全てタダのやけっぱちなのか、それとも心境の変化や成長?なのかはわからない。ずっとクソ真面目に生きてきた。馬鹿に、尻軽になってみたいんだ。
その先で、「もてあそばれた」だの「捨てられた」だのみじめに泣くようなことはしたくない。人にどう思われるとか、こうしたら嫌われるとか、そんなこと考えないで自分で選ぶ道なんだから。
カウンセラーの資格を持ってる友だちに人生相談した時に、自分と君のようなアダルトチルドレンは、と不意に言われて、虚を突かれた。そういう定義の人になるのか私は、と。そんなご大層なもんじゃねえよ、とずっと思ってきた。人からそう言われたのは初めてのことだった。アダルトチルドレンであり、共依存傾向が無茶苦茶強い。そういう人間だと自分を認めた(つもりだ)けれど、この先回復はどう向かったらいいんだろうか。今度しようとしている選択はむしろ、破滅に向かう一歩なんだろか。
まあ彼が、私の変化と依存を受け入れるかはわからないけれど。彼女を失う可能性と、依存し合う心地よさ。天秤にかけるかな、彼は。ただ性欲の解消に走るだけかな。そうだろな。ははん。
つーか考えても考えても答えが出ないんだけれど、共依存でない愛情てあるんだろうか。ていうか愛ってなに。男性として、女性として好きって何。この人がいなきゃ生きていけないとか、そんな気持ち感じたことないや。独占欲しかない。
親といえども他人、というのは自分としてもよく感じるところではある。
親だから、子だから、という絆って、ほんとはあってないようなもんなんじゃないかと…
でもさ、気持ちが弱ってるときにそれは辛いよね。愚痴ったり気持ちを吐露したくなったりして当然だと思う。
ソーシャルワーカーに相談するのもいいだろうし、カウンセラーのところに行くのもいいと思うよ。
術後、具合がよくなったら、自助グループを探してみるのもいいかもしれない。
元増田、おだいじにね。一増田でしかないけど、心から応援してます。
しっかり体力つけて、治療をのりきって。がんばってね!
もし本当につらくなったら、カウンセリングを受けたり、
"自助グループ"でぐぐってみると良いです。
安全に話せる場所というのは案外近くにあるものですよ。
おいらは自称アスペです。人に言ったこともないし、それを仕事が出来なかったり人とトラぶったりする表向きの理由にはしないけど。
若いとき、「何でこんなに人と違うのか」とか「なんで自分のことをわかってもらえないのか」とか思ったりしたけど、アスペルガーのことを知って、自分がそうじゃないかと思ってなんだか救われた気がした。
とりあえずその傾向を知って、立ち回り方を一生懸命模索してきた。とても上手く言ってるとは思えないけど、何とかやっていけてる。
アスペルガーだということをカミングアウトして、たとえ障害として認定されても現状は何も変わらない。言ったとしても「扱いにくい奴」、「変な奴」ってずっと言われ続けるのだろうし、障害者認定がこの日本でどれだけのハンデを背負うか想像に難くないし。
でも、どうしようもなく湧き上がってくる「敵」の認知と、それに関する嫌悪感情の想起から社会的に身を守るにおいて、「アスペルガー者」であるという自覚はおいらの生命線だ。たとえそれが自称としても。
こんなこと、リアルに投げたって「甘え」で片付けられるのは、多分同じ感情を抱いている人は分かると思う。だからといって分からないまま軋轢や衝突を繰り返しても自分も周りも悲しいだけだ。
今回の一件で同じ「苦しみ」を抱いている人が他にもいると知った。そしてその人たちもつらいながらも何とかやろうとしているという事実は、なんだか分からないけどあったかい。
おいら達は生きてかなくちゃいけない。たとえそれが普通の人より気を張ってなきゃいけない分疲れ、周りに理解されないとしても。
だから自称アスペでもいいじゃん。それでも何とか社会の中でなんとかやっていく方策を見つけようとする糸口になるなら。
宗教っていわれてハッとした。確かにそうかも。
言い方が悪いけど、モルヒネ中毒みたいなもんかもしれない。
でも他に生きてて感じる痛みを和らげる方法が分からないし・・・・
医者にはかかってたが、医者がリタリンばら撒いてつかまっちゃったしなぁ。
あくまで自称なので、自助グループにも申し訳なくて入れないし。