はてなキーワード: 二枚目とは
どちらもかっこいい、王道って感じ
御嶽海・大栄翔はベテラン感あるけど正代のほうが年齢は上なんだな
隠岐の海は地名が入っているのがいい、いかにも島根出身って感じ
どちらも正統派かっこいいけど隆の勝はなんか字面と音のイメージが若干違う
隆の勝は「の」がひらがななんだな
多いので好きなやつだけ
碧山は本人込み、欧米風の顔立ちに反して純和風な名前が相乗効果を生んでかっこいい
炎鵬は炎と鵬の字の相性が良くてかっこいい、もはや火の鳥
琴奨菊は縁起が良さそうで華やかでいい、なんとなく金色のイメージ
翔猿は猿の字が目を引いて良い、申年だし猿好きだからっていう理由も若さと勢いを感じる
俺も四股名ほしいなあ
・「控えめに言って」という表現
自分が住んでたら表。ルーシー・ヴァン・ペルトか。傲慢さを感じて嫌い。
視点がメタっぽく感じてしまって嫌い。それは読者/視聴者が感じ取るやつだろ。キャラクターに言わすな。
作者の思考と百合愛好家への迎合が透けて見えるから嫌い。キャラクターに言わすな。あと内心の自由は憲法で保障されている。
・エスカレーターでかたっぽを空ける習慣
(階段がそばにある場合を除いて)エスカレーターを使う人間の欲望は早く進みたいより楽したいの方が強い。私は常に楽したい側だからスペースがもったいなくて嫌い。あと公式も並んで乗ってと言っている。
・ボックスティッシュの一枚目取ると二枚目も一緒に取ってしまう事象
最初に二枚取らせる意図があるならご説明頂きたい。未だに改善されない所に技術の停滞を感じて嫌い。
絵は同人で、台詞は淫夢、2つのコンテンツで一次創作者へのタダ乗りをしている。作者自身で作り出した部分がなく、コンテンツの盛り上げより作者自身の売名のウェイトが大きく感じて嫌い。
・仮の話で「ないこと」を想定して話するやつ
ex. これはないだろうけど〇〇(ネガティブな内容)、こんなヤツいないと思うが〇〇(ネガティブな人物像)
大抵の場合、この手の文脈には対立する勢力に一泡吹かせてやりたいという個人の暴力性が垣間見えてしまって嫌い。
・秋元康が自身がプロデュースするアイドルグループに書き起こす、消費者に対して根回しが足りなさすぎる比喩
オナニーで書いたような歌詞を自分で歌うならまだしも、それを自分でない人間に歌わせる。傲慢そのものである。嫌い。
・炎上系ビジネス展開してる人間とそのファン側が、アンチに「タダで我々のコンテンツの質向上に貢献してくれてありがとな」と感謝を表明するやつ
こういう人は本気でアンチに感謝してはいなくて、いなくなってほしいと思っているからアンチやめるな。ただの逆まんじゅうこわい。こういうのを見るたび世の中の仕組みが嫌いになるから嫌い。
随所から傲慢さを感じて嫌い。随所としたのは、これを書いていくと林檎の記事になってしまうため。宗教上の理由で嫌いということにしておく。
嫌い。
美醜の基準は後天的に学習し、かつ習慣的・反射的に運用するものがほとんど。
禿頭を笑う人は深い経験や思想に基いて笑ってるわけではなく、「ハゲという単語が出たら笑うもの」と繰り返し学習した成果により反応しているだけ。
私がイメージする容姿差別のほぼ解消された世界は、犬好きと猫好きが共存してるようなイメージ。
禿頭好きと2323好きが共存しているところをイメージしてもらえるだろうか。
今の、2323好きしかいない状況は例えるなら犬好きしかいない世界のようなものだ。
(※上記の例えの犬と猫は入れ換えてもよい。または巨人ファンと阪神ファン等に入れ換えてもよい)
では具体的にどうやってよりよい社会に移行するのかというと、
『ウオーターボーイズ』という映画とドラマは、それまでに存在した「男子のシンクロナイズドスイミングはみっともないもの、醜いもの」という価値観を一気に吹っ飛ばしてくれた。
あそこまでの成功は難しいだろうが、やはり禿頭の人物がかっこよく活躍し「あっ、禿頭ってかっこいいじゃん」と思わせてくれ、かつ商業的にもヒットする作品がそう遠くない未来に登場する事を私は期待している。
「ハゲがかっこいいだって?そんなのありえない」と思ったあなた。
ところで、
「禿頭がかっこいいと思う人」が増える時代になると、「禿頭を売りにしているお笑い芸人」や「鬘や育毛剤のメーカーの人」の一部が失職するのでは?
という疑問をお持ちの方もおられよう。
それぞれ、「禿頭を売りにする二枚目俳優やモデル」「より簡単に美しく禿頭になれる(禿頭を維持できる)サービス」に転職すれば良いと思われる。
今回禿頭ばかり例に挙げているが、体型に関しては、ぽっちゃり好きは勢力を伸ばしているし、永野護氏のようなガリガリフェチもいて、しっかり共存しているのは見て取れよう。
ところで「アニメキャラは白人」とは思わない立場だが、元増田の「マンガやアニメのキャラを白人と思い込む人のほうがレイシスト」というのは、それはそれで前段をすっ飛ばしてる感じがする。
「日本人と違い特徴を強調されたアジア人キャラ」って、少年マンガや少女マンガとかでは特に思い浮かばないけど、えらが張ってたり吊り目だったりするアジア人って描き方は青年マンガではわりとある。
『ギャラリーフェイク』の主人公フジタはわりと二枚目の日本人だけど、出てくる中国人とか東南アジア人はわりとそういう「アジア人的」な誇張が目立った気がする。フジタの同じアパートの人たちとか、美術品を横流ししてた人民解放軍の軍人とか。
これが女キャラだと、中東出身のヒロイン、ライバルの女性美術館長、女怪盗(アジア系)、自称モナリザの末裔である昔の恋人とその娘の顔の造形がそれぞれ大して変わらないのに比べれば、男キャラは人種的特徴を誇張されてはいた(もちろん日本人の男にも「アジア系の特徴」で描かれていたキャラはいる。ニンベン師とか)。一方でヨーロッパ系の男キャラは「白人の符号」で描かれていた。
日本のマンガは(単一民族とは言えないにせよ)人種的多様性の乏しいゆえに「人種(の衝突)」という概念をあまり意識しないお国柄によって「どのキャラも同じ人間(≒日本人)」という、「人種への無関心」で描かれている。
一方で少なからぬ日本人には、逃れがたい脱亜入欧的な意識や、ヨーロッパ人種の体型への羨望といった価値観があり、それらが絡み合って「普通の、一般的な存在」である主人公まわりの日本人キャラが「目鼻立ちのすっきりした小顔で手足の長い(≠白人)」容姿になる一方、「異質な存在である外国人」を描くときに、「白人」と「黒人」と「日本人ではない、それ以外のアジア人」みたいな排他性が表現されてしまう面もある(あった)ということは、否定しえない。
『美味しんぼ』で周大人の娘と子供を作って逃げた王という料理人は、いかにも「アジア人」みたいな容貌だったのが、中盤ぐらいで再登場したら好青年風の容姿になっていた。
マンガやアニメを海外で売ろうという時代である。「日本は差別意識ないから!」という主張で好き勝手描いていくというのは難しくなり、特に大手は「両性の平等」「少数者の尊重」「人種的配慮」などPCへの目配りをしながら「無難で安全な素材」を組み立てていくようになるのであろう。
そもそも「陰キャ」は身も蓋もない蔑称だった。12,3年くらい前から使われだした関西あたりの学生の若者言葉だったかな?
スクールカースト底辺かそこに組み込まれさえしないハブられ者のレッテルでしかなかったんだよ。
それがSNS経由で世の中に浸透しだして、ついに「陰キャ」という概念が一般周知されたものになった。
そこで今度起こりだしたのが「米津とか本郷奏多みたいな二枚目もよくよく考えたら陰キャじゃね?」という価値観の転覆な。
そうやって陰キャを自称することで多面性をアピールする人気者、陰キャからのシンパシーで人気を集める者が出現するまでになった。
「チー牛」ミームがどこまで長続きするかは知らんが、これが淫夢ネタのようにしぶとく生き延びるなら、
「明るく見られるけど俺って高校時代はチー牛だったんすよw」みたいなことをインタビューでほざくイケメンとか現れるよ、きっと。
但し、もう十数年前の話で、しかも短期間(2ヶ月半くらいかな)しかしていない。
大体お金の為に働いていた(当たり前。
私は他の嬢とあまり顔を会わせないようにされていたので、他の嬢に会ったのはほんの数回だけだったが、こんな人達がいた。
店長は中卒で数々のバイトを経てデリヘル経営者になった人。女子を押し倒すのが得意。気がついたら天井が見えて床に転がされているしどこも痛くない、すごい。そこだけは感心した。
ドライバーさん達は大抵昼は何か別の仕事をしている、普通の人達。皆車持ってる。ワゴンかミニバン。
こんな人達。
すごく、気疲れした。
anond:20191011152715 の続き。
その授業は全くといっていいほど、眠くならなかった。
先生は結局、自分の好きな作品語りで講義時間を使い果たしてしまった。ただ好きな著者や作品を語るだけの、講義と言えるかよくわからない時間だったが、俺は数式を写すよりも楽しくその内容をメモしていた。一番のお気に入りは三島由紀夫の「金閣寺」らしい。著者の切腹のエピソードなども挙げ、その不思議な人間性の話を、重く、楽しそうに語っていた。
終了時刻に近くなると、急に我に返ったようになり、先生はプリントをこちらに配った。一枚目はアンケート用紙で、二枚目は文学入門書の序章の写しのようだった。先生はアンケート用紙について「それ提出したら、帰っていいよ」と呟き、また入門書の写しは次回までに読んでくるように、と指示した。しかしこの入門書が、なんというか、堅苦しくて読みづらそうでげんなりした。その文章の塊を横目に、俺はアンケート用紙に手を伸ばした。
「文学とは何ですか?」初っ端からのこの質問に、俺は手も足も出なかった。
え、文学ってなんなの?
俺は文学という科目を履修登録したくせに、文学については何も知らなかった。「文学」と称されるもので自発的に読んだものといえば宮沢賢治の「注文の多い料理店」とか、三島由紀夫の「美しい星」とかだ。読んだは読んだ。でもだからといって文学が何かなんて、よくわからない。傑作とされた小説が、文学なのか?それともたくさん売れた、読まれた小説が文学なのか?普段本を読まない人間には、よくわからない。
そう思いながら俺は尤もそうな、うわべだけの説明を書き入れた。
他にも「好きな文学はなんですか?」「好きな言葉は?」「ノーベル賞を渡したい人は?」などと質問があり、モヤモヤする答えをひねり出しては、消しては書いてを繰り返した。最後の質問に関してはいくらか浮かんだが、著名人なのに漢字で書けないのは嫌という変なプライドが頭を持ち上げて、結局漢字が分かる三島由紀夫にした。先生みたいに強い思い入れもないのに、いいのか?なんて考えていると、終了時刻になってしまったので、結局そのモヤモヤを残したまま、アンケート用紙を提出した。
二枚目とか照れるだろ…///
GoogleStudyJamで機械学習をやりながら、俺は今雰囲気でBigQueryに触っていると呟いてから一ヶ月、やっとTシャツが届いた。
CodeJam以来だから十年近くあいての二枚目のグーグルシャツである。
胸にTensor Flowのロゴがちょんと載ってる。先日いただいたスタックオーバーフローのTシャツとどこか少し被ってる感じを受けたのは気のせいだ。
それはそうと材質はかなり良い。プリントTシャツとしては高級に近いものが送られてきた。なんたって縫製が丸胴である。縫い方が違う。側面に縫い目がないそれは表裏を大きく使えることから大胆なデザインをTシャツというまな板に広げることができるのだ。なのにロゴはつつましく左胸にあるだけ。シャツという名の自由を許されたキャンバスの大きな無駄遣いである。
今回はコードジャムなんかと違って参加条件はゆるゆるだ。機械学習のラーニングを4つ以上受けるだけ。参加したら確実に貰えるであろう。その参加者にこんなTシャツを送るとは。。
大量発注でも単価は500円は硬いはずである。割と大々的に発表してたし参加者は1万人以上は硬いだろう…グーグルの資金力を目の当たりにしてしまった。レッドハットのTシャツなんて一度も貰えたことないのに!(ほしい)
送り主は未だ六本木ヒルズタワー44階であった。そうか渋谷にお帰りになるのはまだ先か……森ビルに務める知人が40f以上に行くエレベーターの中でゴールドマン・サックスとグーグルの人と一緒になるの嫌だーっとぼやいていたがそれももうすぐである。
例の「水曜日のダウンタウン」でクロちゃんに関する騒動ははてなでもずいぶん反響を呼んでいたようだけれど、当人は今日も(正確に言うと昨日か)「朝昼兼用ごはん 野菜たっぷり、コメ抜き」などとゴキゲンにツイートしているわけである。
ここで、「またどうせ、ウソだろ! コメ食っただろ!」と突っ込むのが、正しい「水曜日のダウンタウン」視聴者の反応だろう。
意識の高いはてなでは、バラエティ番組はおろかテレビも見ないという人も多いと思われるので解説しておくと、クロちゃんはいつも、ツイッターで話を持ったり微妙なウソをつく。
そういえば医療用番組で医師からダイエットを強く勧められている立場でもあるのだが、あたかも食事に気を使っているかのようなツイートのウソを某医療ジャーナリストに見破られた騒動も記憶にあたらしい。
とりあえず食事には気を遣っているテイを偽装したツイートは定番だ。
そもそもクロちゃんがあそこまで「水曜日のダウンタウン」にフィーチャーされるようになったのは、何かとツイッターでウソをつくクロちゃんのキャラクターに番組が着目したからであった。
もともと普通のドッキリにかけられるターゲットの一人に過ぎなかったのが、「クロちゃんのツイートの真実性を検証する」という企画が立てられるようになり、やがて、クロちゃんの人間性を探る壮大な規格にまで行き着いてしまった。
で、「クロちゃんのツイッターはウソである」ことがテレビを通じて広く周知されたにもかかわらず、いや、周知されたこそ、クロちゃんは平然とウソツイートを続けるという、奇妙な状態が定着してしまった。
「ツイッターでウソをつき続けるクロちゃん」というキャラクターの誕生である。
だが、ビジュアル的なことでいえば、あんな感じの「ハゲたデブ親父」でも、小奇麗にしていて、感じが良くて、そこそこきれいで人のよさそうな奥さんと幸せな家庭を築いている人はたくさんいる。
だが、それなりに服装や美容にもそれなりに気をつかってっぽいクロちゃんがけして感じ良くは見えないのは、部屋がいつも尋常でなく散らかっていることと、その言動に負う部分が大きい。
クロちゃんは女の子の前では、結構イカした二枚目なせりふをすらすらと吐く。
そもそも二枚目でないクロちゃんが、そんなせりふを臆面もなく時点で、テレビ的には「キモい」のだが、しかもそこに大量にウソが含まれていたりする。
これが「クズ」に見えないはずがない。
世の中には、異性を落とすためには見え透いたウソをついたり、自分を良く見せるためにSNSで話を盛っている人は、少なからずいるらしい。
ただ、普通、人はそういう「自分のなかの闇」は必死で隠そうとするものだ。
ところが、クロちゃんは、闇を満天下にさらすことで「芸人のキャラクター」を確立してしまった。
そもそもテレビカメラが回っている間は、本当に危険なことなど起こらない。
それどころか、欲望を解放してやりたい放題やればやるほど、番組はもりあがり、ギャラという形でクロちゃんの直接的な利益につながっていく。
そして番組サイドはますます、クロちゃんに欲望を解放する場所を提供していく。
番組サイドとクロちゃんには奇妙な信頼関係が成立してしまっているようだ。
番組の「恋愛リアリティ企画」でクロちゃんは、一番目に狙っていた女の子に振られてしまった。
すると、今度は平然と「やっぱり本当に好きだったのは別の子だった」と言い出し、あろうことか、一番目に狙っていた子のために買った指輪を使いまわして、「この指輪を受け取ってください」と二人目の子に告白する。
当然振られて、指輪の件もばれるのだが、そのことを指摘されると「そこは、新しい指輪を買うから!」などと言い出すのがクロちゃんである。
で、何を血迷ったのか、パニクったのか、その舌の根も乾かないうちに今度は「同じ指輪を二つ買ったの!」などと訴えだすのである。
これには笑った。
いや、見ていない人に文字だけであの面白さを伝える文才は自分にはないのだが、なんというか、古典落語で、せっぱつまってはちゃめちゃなことを言い出す悪党にも通じる、見上げたクズっぷりである。
なんなら「愛すべきクズっぷり」といってもいい。
そもそも、二つ同じ指輪を買うって、二股する気満々じゃん、などということに思いいたることもない慌てふためきぶり。
「さて、こんなクロちゃんを許しますか? それとも罰として檻にいれますか?」という投票が行われ、圧倒的な視聴者の声により檻に閉じ込められることになった・・・というのが例の番組の流れだったわけだが、まあ、あの流れで投票呼びかけたら「閉じ込めたれ」ってなりますわな。
そしてクロちゃんは、番組の企画を振り返って「本気で恋愛させてもらいました」「昨日フラれたけど、これが僕のゴールじゃないので頑張るしんよー! リベンジするしん!!」などとツイートしてるわけだ。
何がどこまで真実で、なにがどこまで作り事なのか、もはや良くわからないけれど、とりあえずクロちゃんは現状、楽しんでいるようではある。
ま、芸人としてここまでこなければ、あんなキラキラした恋愛リアリティ企画で、かわいい女の子とドキドキを味わうなんてできなかったんだろうからな。