はてなキーワード: イノベーションとは
インターネット広告を巡る議論は、常に賛否両論を呼んできた。広告は情報の流通に不可欠な存在である一方、ユーザー体験を損ねるものとしても認識されてきた。近年、広告ブロッカーの普及により、この議論に新たな火種が投じられている。
広告の本来の目的は、広告主の商品やサービスについて、ユーザーに有益な情報を提供することにある。それは、ユーザーと広告主の間のコミュニケーションの一環であり、両者にとってWin-Winな関係を築くことが理想とされる。しかし現実には、多くの広告が本来の目的を見失い、ただ単に広告収入を得ることだけを目的としているように見受けられる。
特にブログやアフィリエイトサイト上の広告は、質の低下が顕著だ。ユーザーを騙してクリックさせるような広告ばかりが目につき、ユーザー体験を大きく損ねている。これらは一時的には収入を得られるかもしれないが、長期的にはユーザーの信頼を失い、広告主のブランドイメージも傷つける。広告収入というシステムから利益を得ようとするあまり、本末転倒な状況に陥っているのだ。
特に深刻なのが、SNS上でのAIを利用した詐欺的な広告の蔓延だ。巧妙に作られたこれらの広告は、ユーザーを欺いて個人情報を盗み取ったり、偽のサービスに誘導したりする。健全な広告というよりは、もはやサイバー犯罪の一種と言っても過言ではない。プラットフォームの信頼性を根本から揺るがす由々しき事態と言えよう。
こうした状況下で、広告ブロッカーの存在は無視できない。ユーザーの立場に立てば、質の低い広告をブロックするのは正当な権利だと言える。しかし、媒体運営者にとっては死活問題だ。広告収入に依存するビジネスモデルは、存続の危機に直面している。だが、ユーザーによる広告ブロックを「不当」で「利己的」な行為と決めつけるのは短絡的だろう。問題の本質は、広告収入のみに依存し、広告の質の向上よりも単価の上昇で対応してきた媒体運営者側にあるのではないか。
さらに、広告主の視点から見ても、課題は山積している。詐欺的な広告主と正当な広告主の区別は容易ではない。ユーザーからすれば、どの広告が信頼できるのか判断しづらいという実情がある。そしてこの問題の背景には、広告業界全体の不透明な構造がある。広告代理店やアドネットワークが介在することで、広告主とユーザーの距離が離れ、悪質な広告主が紛れ込む余地が生まれてしまう。広告主側も、自社広告の配信状況を十分に把握できていない可能性がある。
結局のところ、問題の本質は利権の問題に行き着く。質の低い広告や詐欺的な広告を野放しにしているのは広告提供業者であり、その広告提供業者を公に許しているのは各種大型プラットフォーム(SNS及び動画サイト)や中小ウェブサイト経営者だ。そしてこの中で、詐欺的広告や質の低い広告を自主的に制限可能なのは、提供業者と大型プラットフォーム経営者のみ。特に大型プラットフォーム経営者は、広告主と消費者を結ぶ重要な結節点であり、交渉力を持ち合わせる業界のルールメイカーとしての立場にある。
ここで問われるのは、消費者が大型プラットフォーム経営者に対して、質の低い広告や詐欺的な広告を載せるなと要求する権利があるのかどうかだ。言い換えれば、消費者の利益のために、プラットフォーム経営者の「しない自由」を制限する正当性があるのかという問題だ。
この問いに対しては、肯定的な答えが導き出せるだろう。今やインターネットは公共の場であり、現実のビジネスの場となっている。プラットフォーム経営者には、その公共性を維持する責任がある。そして何より、消費者が実際に被害を受けているという現実がある。詐欺的な広告による経済的損失や、プライバシー侵害への懸念は看過できない。にもかかわらず、プラットフォーム経営者がその要望に真摯に対応してこなかったのは問題だ。
この状況を打開するには、消費者、広告主、プラットフォーム運営者の三者が協力し、具体的なアクションを起こしていく必要がある。
まず、プラットフォーム運営者は、消費者からのフィードバックを積極的に活用し、広告審査体制を強化すべきだ。AIを活用した自動検知と並行して、人間の目による確認を徹底することが求められる。また、広告主の身元確認を厳格化し、広告内容の事前審査を義務付けることも重要だ。広告ポリシーを明確に定め、違反広告には厳正に対処する姿勢を示さなければならない。
広告主側にも、自社広告の配信状況を適切に管理し、質の高い広告を提供する責任がある。業界団体などと連携し、自主規制のガイドライン作りを進めることも有効だろう。
そして消費者は、問題のある広告を積極的に通報し、健全な広告環境作りに主体的に参加することが求められる。プラットフォームに対しても、改善を粘り強く要請していく必要がある。
プラットフォーム経営者には、「しない自由」よりも、「すべき責任」がある。業界をリードする立場である以上、消費者の信頼に応える努力を怠ってはいけない。もちろん、行き過ぎた規制は表現の自由や市場の健全な発展を阻害する恐れもある。だからこそ、消費者、広告主、プラットフォーム経営者の三者が対等な立場で議論を重ね、バランスの取れたルール作りをしていくことが大切なのだ。行政にも、この取り組みをサポートする役割が期待される。
ここで、インターネットの本質的な位置づけについても考えてみたい。インターネットは、当初は「市場原理に任された自由な場」という性格が強かった。規制は最小限に留め、自由な競争を促すことが重視されてきた。しかし、インターネットが社会に不可欠の基盤となった現在、その公共性は著しく高まっている。フェイクニュースやヘイトスピーチ、プライバシー侵害など、弊害への対策が急務となっている。
こうした認識の下、各国で法規制の動きが強まっているのは事実だ。だが、だからと言って行き過ぎた規制は避けなければならない。インターネットのイノベーションや表現の自由を阻害しないことが肝要だ。市場原理と公的規制のバランスをいかに取るかは、社会全体で知恵を出し合うべき課題である。
今こそ、従来の広告依存のビジネスモデルを見直し、新しい価値交換の形を模索すべき時だ。サブスクリプションモデルや有料記事など、ユーザーに直接的な価値を提供し、対価を得るビジネスモデルへの転換も一つの選択肢となるだろう。情報に対する価値観も変化し、良質なコンテンツには対価を払うという意識が広がりつつある。
また、広告収入の一部を広告審査の強化に充てる仕組みを作ることも検討に値する。広告の質を高めることが、結果としてプラットフォームの収益向上につながるのだという認識を、業界全体で共有することが重要だ。
健全な広告業界の発展は、ひいては健全なインターネットの発展につながる。広告主、メディア、ユーザーの三者が協力し合い、透明性と信頼を高めることで、より良い広告の在り方を模索していくことが求められる。広告ブロッカーの普及は、そのための重要な転換点となるはずだ。
インターネットは、「市場原理に委ねられた自由な場」から「公共性を帯びた社会基盤」へと変貌を遂げつつある。そして、我々はその変化の只中にいる。だからこそ今、インターネット広告の在り方を問い直し、健全なインターネットの未来を築くために行動を起こす必要がある。広告ブロッカーが投げかける問いは、そのための重要な一歩なのだ。私たち一人一人が、その問いを自分事として捉え、できるアクションを起こしていくこと。それが、より良いインターネットの未来を切り拓く鍵となるだろう。
ここ数年、日本の医療の仕組みには大きな変化が数多くありました。これは、国内で医療を組織、提供、管理する方法に顕著な変化が生じたことを示しています。現在、米国に次ぐ第3位の医薬品市場となっている。 同社はブランドに対する意識が非常に高く、高級ブランドの医薬品に資金を費としています。日本には合理的な医療があり、簡単に薬を見つけることができます。
日本の研究者は、賢いコンピュータープログラムや機械を使っています。これは医療システムをよりよく理解するのに役立ちます。これらの高度なツールは、大規模なデータセットを分析し、重要なパターンや傾向を見つけ出す。
こうしたテクノロジー主導の手法は、研究者が賢明な判断を下すのに役立つ。これらによって、どの治療が最も効果的かを判断し、より多くの資源が必要な場所を示す。これにより、日本の医療システムの機能性が向上する。
以下のリンクからすべての情報を見るには、ここをクリックしてください:https://www.sdki.jp/blog/find-insights-on-japanese-healthcare-in-minutes-not-months/57
ここ数年、日本の医療の仕組みには大きな変化が数多くありました。これは、国内で医療を組織、提供、管理する方法に顕著な変化が生じたことを示しています。現在、米国に次ぐ第3位の医薬品市場となっている。 同社はブランドに対する意識が非常に高く、高級ブランドの医薬品に資金を費としています。日本には合理的な医療があり、簡単に薬を見つけることができます。
日本の研究者は、賢いコンピュータープログラムや機械を使っています。これは医療システムをよりよく理解するのに役立ちます。これらの高度なツールは、大規模なデータセットを分析し、重要なパターンや傾向を見つけ出す。
こうしたテクノロジー主導の手法は、研究者が賢明な判断を下すのに役立つ。これらによって、どの治療が最も効果的かを判断し、より多くの資源が必要な場所を示す。これにより、日本の医療システムの機能性が向上する。
以下のリンクからすべての情報を見るには、ここをクリックしてください:https://www.sdki.jp/blog/find-insights-on-japanese-healthcare-in-minutes-not-months/57
なんかさっぱりしててフレッシュな味がする。
もうバナナ全部これでいいよ。
これはドールから発売されている「低糖度バナナ」です。果物はイチゴでもりんごでも糖度が高いほうが好まれる傾向にありますが、このバナナはあえて糖度の低さを前面に出したユニークな商品。シールには「さっぱりして甘すぎないバナナ」と書かれていて、運動時のエネルギー補給や、食欲のないときにも適しているそうです。
バナナは高地で栽培すると甘くなるといわれますが、これは低地で栽培しているのがポイント。低地だと糖分に変わるデンプンが少なく、水分の多いバナナに仕上がるため、すっきりとした食味のバナナが育つとのことです。
増田の指摘は的を得ていて、内燃機関から電気に変わって何が変わるのと言うのは仰る通りだと思われる。
それは何故かと言うと、現在のEVは、内燃機関の基本設計を電動化しだけだから。
PHEVなどはまだエンジン積んでるから仕方が無いにしても、EVにするんだったら、もうちょっとEVだからできる事を追求するべきではないかと思う。
各社色々なコンセプトカーが出ているが、実際にはなかなか普及しない。
これがEVで望まれるイノベーションの最たるもの。今までの内燃機関だと、中央に大きなエンジンがあり、それをシャフトなどを通じて物理的に力を伝え、2輪もしくは4輪を駆動するという仕組みだった。
これを、車輪の中、あるいは車輪のすぐ近くにモータを置いて、直接タイヤを回してやろうという考え方がある。これを「インホイールモータ」などと言う。
これにすることで、
こんなにいいならじゃあなんで製品化できねえの?と言う話としては、ホイール部分というのは最悪600℃とか超高温になり、10Gとか強い衝撃が加わるため耐久性に問題があるのである。
よく言われるバネ下質量が大きくなる問題については、実は制御である程度どうにかできるのだが、そのためのコストアップが結構キツい。
ただ、自動車業界は諦めていないので、いつかは商品化されて売れるようになると思う。ただいつになるかは不明。
トヨタは小型モビリティから実用化を始めていて、まずはここら辺からかもしれない。
参考記事:
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1479589.html
https://www.nissan-global.com/JP/INNOVATION/TECHNOLOGY/ARCHIVE/IN_WHEEL_MOTOR/
https://response.jp/article/2021/10/05/350066.html
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/news/18/16374/ (有料だけど)
内燃機関には不可能だが、EVだったら可能な制御は実はかなり多い。
最も分かりやすいのが「速度制御」ではなくて「トルク制御」が可能な部分。
速度制御というのは、どれぐらいのスピードで回すか制御するかということ。これはエンジンでも当然できます。
一方で、トルク制御というのはどれぐらいの力を出すかという制御ができるということ。これはエンジン車でやるにはかなり大変。トルクセンサでセンシングはできるんだが、制御する方法が摩擦を使う方法ぐらいしかない。
この他にも制御はEVの方が優れている部分が多くて、自動車が電子制御になればなるほど、EVの利点が上がっていく。
では何故普及していないかというと、電子制御のシステムが高すぎるから。特にセンサーが凄く高く、そのシステムだけで車一台買える価格がする。これでも安くなったんだが、価格の下落は停滞中。
さらに、実はこの部分のメリットを出すだけなら、ハイブリッドカーでもできるんだけどね。と言うか一部はやってる。
車の標準的な利用としては、普段は、一日1時間~2時間ぐらい使って、それ以外は止まっていると言うケースがほとんどなので、バッテリーはせいぜい50~100km分ぐらいしかつかわない。
しかし、ちょっと遠出するときに困るため、より多くのバッテリーを搭載していることがある。
この時に、この余っているバッテリーを家庭用蓄電池として使おうと言うのが、このV2H。シンプルには、太陽光発電などで昼間ためた電気を夜使おうと言うことなんだが、これはあんまり筋が良くない。何故かと言うと、昼間は家に車がない。職場などに向かうため充電ができない場合が多いからだ。
なので、一歩進んで
ことにして、自宅という環境から切り離して、電力網全体として備わっているEVの電池を電力供給のバッファーとして機能させると言う構想。
太陽光発電で昼間余った電力を、その家という範囲を通り越してBEVに充電、夜間放電させ電力供給側に回す。これを面的な制御で行う事で、電力網の最適化と安定化を行おうというわけだ。
既に島単位で実験都市などがつくられて実現しているところがあり、有効性も確認されている。のだが、電力網の仕組みそのものから更新しなければならず、更に電力網って装置の更新周期が20年とかが当たり前なので、今から普及が始まっても相当に時間がかかると思われている。
ちなみに自動車側の充電規格、CHAdeMO(チャデモ)という規格があるが、これはV2H対応の仕組みが入っているので、CHAdeMOに対応しているEVで、ちゃんと実装している車はやろうと思えば数にV2Hを適用できる。
日本の規格らしく、最初からこれらに利用できるように整備されている訳だが、一方で北米でテスラが作った規格の方は、現在まだ非対応(2025年対応予定と言われているが、Teslaの提示スケジュールの信頼性はほとんど無いので…)。
また、次に日本と中国が中心となって作っているChaoJi(チャオジー)という規格はCHAdeMOの発展形で、こちらもV2Hに最初から対応してスタートする予定。
ちなみに、よく「北米ではテスラのスーパーチャージャーが標準規格になったんだから日本はCHAdeMOなんてガラパゴス規格捨ててそっちに合わせろ」というようなことを言う人がいるけど、あれは日本のCHAdeMO規格に乗りたくなくて北米の自動車メーカがぶち上げたCOMBOという規格がクソ過ぎた結果、CHAdeMO相当の技術を多少は備えていたスーパーチャージャーになっただけで、別にスーパーチャージャーが優れているわけではない。確かに規格上大容量に対応していると言うが、まだCHAdeMO規格を超えるような高出力出せる充電設備も自動車もまだほぼ存在してない。
この辺りはちょっと調べれば嘘だと分かるような事を振れて回っている人がいるので要注意だ。嘘を広めたいか、外国から聞こえてくる作られた偶像に踊っているかどちらかだと思うんだけど、EV界隈ってどっちも多いから厄介。
一方でChaoJiと言う規格は日本と中国が中心となって作られているが、これはスーパーチャージャーを含め他の規格に対して後方互換を確保し(コネクタ形状の変換だけでいけるので)最終的には、少なくとも内部システムはこれに統一されていくと思われる。
閑話休題。
この可能性は3つぐらい思いつく。
EVは補助金を全開にして購入すると結構安く買え、さらに電力にはガソリン税やら軽油取引税やらかからないので安く済む
例えば、都市内で、一日60km以内ぐらいの配送作業(郵便局でだいたい走行距離一日30kmぐらいらしい)で住む宅配のラストワンマイルとかでは既にコストメリットがある。
ただ、地道な改良による電池の価格下落は限界が近づいているようなので、苦しい。全固体電池も直接的に価格を安くする技術ではない。
ガソリンスタンドはどんどん減っていて、特に山間部の過疎地で維持出来なくなってきており、燃料供給に影響が出ている。
ただ、市場としてはわずかなのと、トラックなどの商用車のEVが一般化するのは相当時間がかかると思われるから、EVで解決してそれにより地方から普及、というには結構厳しいかも知れない。
一方で、全く燃料インフラが存在しない途上国などでは、ソーラー発電システムさえあればとりあえず電力供給ができるのは大きく、あり得るかもしれない。
ただ、間違いなく採算性が悪い市場だから、テスラとかは絶対やらないしどうかな、とは思う。
例えば、国内産業の育成のためと言ったような政策予算がガッツリ付いて、安く買える場合、あるいは、政策に対応するために購入する必要がある場合。
EVだからって目的地に早く到着できるわけじゃないし、なんか生活変わるの?
スマホのおかげでポータブル音楽プレーヤーもデジカメも駆逐されたみたいな生活の変化あるんかな?
5Gで世界はこう変わるみたいな話みたいに、充電インフラが整備されたらなんか生活変わるの?
ガソリン車では月に1回給油してた人が、車検の時に充電すれば2年くらいノーメンテで乗れる的なわけじゃないんでしょ?
二酸化炭素の問題はわかるんだけどさ、消費者に訴えてくるようなやつがもっとこうないわけ?
トラックバックとブックマークコメントを読むと、家で充電できればちょい乗りには便利、排ガス、蓄電池として利用、加速等の運転性能あたりが利点らしい。
目新しいネタがないな。
「もっとこうないの?」ってのはさ、スマホ的なイノベーションがないのか?って聞いてるの。4輪車をモーターで動かしたら、すごいことになんかないの?
個室浴場と接待を合体させたらソープランド爆誕みたいなやつってないわけ?
ガソリンで走る車が電気で走るようになったとかより、車にエアコンがついたとか、パワーステアリングがついたとかの方がらよっぽど画期的じゃねーかなと。
あんま興味ない人からすると、3Dテレビみたいな感じ。3D元年とかもてはやしたけど、モノクロからカラーになったのに比べればみたいな。
トラバとブコメで唯一、アリかなと思ったのは、蓄電池としての利用くらいかな。
太陽光で発電してBEVに蓄電、そんで夜は蓄電池で生活、最高じゃないっすか!
でもさあ、昼間に車で出ちゃったら蓄電できないし、夜に蓄電を使い切ったら車として乗れないじゃないと思うんだけど。
まあ、夜使った残りでも街乗りくらいできるのかもしれない。都民は車所有者でも1日に10kmも乗ってないっていうからアリなのかな?とか考えたけど、じゃあ、車所有しないで自転車で生活したほうがエコだと思うんだよね。
ガソリンスタンドに行かなくてよくなるとか言われてもね、時計マニアに「自動巻きだから電池交換不要」って言われてるような感じ。
200vの一般家庭電源で充電すると、10時間で80km分ぐらいしか充電できない問題があるから
自宅充電を中心に行動すると結構つらい。
もう少し大容量の充電器を付けることもできるけど、そんなのがあちこちにたくさんついたら本当にインフラが辛い。
電源の方のイノベーション、核融合とか夢のような話を除き、地に足のついた動きは水素エネルギー輸送だよな。
土地の安い所で大量の太陽光パネルや条件の良いところで風力発電をして、水素、または水素にし、安定した物質にしてタンカーで運ぶ。
あるいは、褐炭などの質の悪い化石燃料を改質して水素を得て、残りのCo2などを地面に埋め戻すと行ったプラントなどで作ってタンカーで運ぶ奴。
日本政府(GOJ)が策定した食料安全保障政策により、国民は高品質の食料をより安価でリーズナブルな価格で手に入れることができるようになります。この国は、大豆、小麦、干し草、飼料穀物、肥料などの輸入食料品に依存しています。日本政府は2022年に適切な資金を投入して強化し、2023年には修正予算も投入する予定です。
2022年に策定された食料安全保障には、良好な食料安全保障を確保するためのロードマップがあり、日本は毎食のカロリー摂取量の少なくとも60%を食料輸入に依存しなければならないとされていた。食料輸入への過度の依存から転換し、水産物と農産物の生産を増やす必要がありました。
日本の農業従事者の最高年齢は67歳であり、農業人口は急速に減少していることが観察されています。一部の企業は、AI ベースの肥料システムと灌漑などの解決策を考案しました。土壌の状態、肥料、最適な水分含有量を確認するための地下管理施設が設置されます。
しかし、日本では水不足があり、いくつかのリスクシナリオがあります。輸入に頼っていたため、輸入先の国では水不足と干ばつが発生していました。以前は、商品を輸入している国から高品質の材料が不足していました。気候変動の影響で生産不足が発生しました。
以下のリンクからすべての情報を見るには、ここをクリックしてください:https://www.sdki.jp/japan-news/food-security-in-japan/1
ChatGPT
才能の民主化以外にも、AIによって特定のスキルや能力が広く一般にアクセス可能になる現象を表すいくつかの表現があります。ここでいくつかの代替表現を紹介します:
1. スキルの普及(Skill Diffusion):
この表現は、特定のスキルセットが特定のグループや個人に限られていたのが、AI技術のおかげで広範囲にわたる人々に広がっていく様子を指します。
2. 能力の平等化(Capability Equalization):
こちらは、AIが提供するツールとサービスが、さまざまな能力やスキルに対するアクセスの平等を促進することを強調しています。これにより、誰もが高度なスキルを身につける機会を得られるようになります。
3. 創造性のアクセス拡大(Creativity Access Expansion):
AIツールがデザイン、音楽、文学などの創造的な活動において、専門知識を必要としない方法で広範囲の人々に利用可能になることを指します。この表現は、創造的な表現の機会がより多くの人に開かれていることを示します。
4. 技術的エンパワーメント(Technological Empowerment):
AIを含む先進技術が人々に力を与え、以前は不可能だったことを可能にするプロセスを指します。これは、個人が自身の能力を拡張し、新たな可能性を探求する手段としての技術の役割を強調しています。
5. イノベーションの普遍化(Universalization of Innovation):
AIがイノベーションと創造的な思考を促進し、これまで専門家や特定の才能を持つ人に限定されていたイノベーションのプロセスを一般大衆に開放している現象を指します。
これらの表現は、AIがいかに社会におけるスキル、能力、創造性に関する障壁を低減し、より包括的で平等なアクセスを提供しているかを様々な観点から捉えています。
ChatGPT
はい、「才能の民主化」という表現は、翻訳、お絵描き、プログラミングなど特定のスキルが特権階級や特定の才能を持つ人々に限定されていた時代から、AI技術の進化によって一般大衆もこれらのスキルを使えるようになった現象を表すのに適しています。この表現は、AIが提供するツールやサービスが、従来は特定の知識や経験を必要としていた活動を、技術的な背景や専門的な訓練を受けていない人々にも可能にすることで、スキルや才能を社会全体でよりアクセスしやすくしていることを捉えています。
「才能の民主化」は、情報技術の進化がもたらす教育の機会の平等化、創造性の促進、そして人々が自分のポテンシャルを最大限に引き出す手段としてのAIの役割を強調します。この現象は、個人の創造性や生産性を向上させるだけでなく、経済的、社会的障壁を低減させることにも寄与しています。
AIによる才能の民主化は、多様な分野でのイノベーションの加速、新しい職業の創出、そして教育や仕事における新たな機会の開拓といった、広範な影響を持っています。このような変化は、技術がどのように社会に組み込まれ、人々の日常生活や職業に革命をもたらしているかを示す良い例です。
ユ〇〇ロ入社式の会長あいさつ動画みたけど、典型的な押しつけ型の昭和型JTCだった。。。
いわゆるカリスマ経営者とかの並びで語られる人たちの中では圧倒的につまらないと思った。
まあ物販という形態自体がそうならざるを得ない要素もあるのだろうけど。(日本人がカスタマーである以上は)。
先進性とかギャンブラーという意味ではやっぱ孫さんだね。圧倒的に面白い。
あれだけの規模の会社であの年齢なのにまだベンチャーマインドがある。
追記:
2024/03/29 リンク
100年前の土人かよ
孫さんや豊田佐吉やビルゲイツがそんなマインドでいたら何も生み出してないことくらいわかるだろ
追記2:
孫正義は人たらしの天才。その才能で金を引っ張ってきたり金をねじ込んで資産を膨らませるのが仕事。ビジョンを魅力的に語るのはそれが商売道具だから。戦ってるフィールドがまるっきり違う(´・ω・`)
2024/03/29 リンク
そういうことよな。
まあユ〇ク〇も自動レジシステムとかイノベーションの部分は素晴らしいと思うけどな。
ただ、零細企業にプレゼンさせた内容を丸パ〇して自社開発させたという都市伝説もあり、闇が深いなとは思う。
孫さんは少なくともギャンブルはしたかもしれないが邪悪なことはしていない。
魅力があるってのはそういうことなんだよな。
まずこのリンクを見てくれ。
https://amazon.co.jp/dp/B00KMRYPZW
「パイプ先端をW22山20に変換する」って、これを見て意味が分かる一般人、どれくらいいると思う?
さらに背面の説明書。「M22、外ねじパイプの場合」とかいきなり説明が始まる。
「どんなシーンで、どんなケースに使われることが多いネジです」と写真入りで説明されていればいいのだが、馬鹿だからいきなり仕様の説明から始まる。
ITでいうと、いきなり「先端のシートをBOM付CSVに変換するマクロです」とポンと渡されるようなものだろう。
クソ業界というよりほかない。
いや中の人は優秀な人もいるのだろうが、業界の旧態依然とした空気が、イノベーションを阻害しているのだろう。
そもそもこの蛇口やらアダプタの仕様が統一されていないあたりも頭の悪さをそこはかとなく感じる。
組み合わせは数千種類はあるのではないだろうか。
ペットボトルキャップは確か90年代はメーカーごとに仕様が違って、2000年代前半で統一された記憶がある。
そこまで単純化はできないにせよ、いっさい統一・集約しようとする努力が感じられないあたりにこれまた頭の悪さを感じてしまう。
USB3.0 Gen1x2とUSB 3.1 Gen2が一緒とかめちゃくちゃだったからな。。。
知らんけどまずオス・メス?を書いて、そのあとA~Zの規格を蛇口に刻印する。数字は2ケタまでにする、とかな。
するとたとえばA24オスはA24メスとしか接合しないことが一発でわかる。
消費者の買い間違えもなくなるわけだ。
あの国は「AIがけしからんのでお上の一声で規制する」という事態が発生しない社会という話だ。
まず第一に自由な市民の活動で生まれたAIをお上が一方的にどうこうして、それに市民が大人しく従うということがない。
なぜならアメリカという国はそもそもお上に唾吐いた者同士の集まり、移民国家だからだ。でもそういう人間でも最低限のルールを守って力を発揮すれば自由に経済活動できる。そうして生まれる化学反応こそがイノベーションの原動力なわけで、ここに国が口を出すということは基本的にやりたがらない。物申したければ各人が裁判所でやれ。そういう国だ。まぁそういう国だから未だに銃規制すら満足に進まないわけだが。
じゃあ倫理的にはどうなのか? もちろんアメリカ人にも倫理はある。奴らの倫理の根底にあるのはキリスト教だ。アメリカという国は日本人が思うより遥かにキリスト教の影響が強い。それはもうどんな小さい田舎町にも教会があるし、日曜の礼拝堂は地域の社交場みたいな感じでメチャクチャ人がいる。大統領の締めの言葉はいつだってGod Bless Americaだ。
で、キリスト教における労働とは基本的には神が与えた罰だ。だからアメリカ人は仕事自体をどうこうする施策には基本そんなに頓着しない。仕事自体をどうこうした結果によって発生した損害は訴えて勝ったら請求はできる。その勝ち負けはAIがもたらす将来的な公益や機会との天秤にかけられることになるだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20240227085257
この増田もトラバもほとんど完全に的外れで、今回に限ったことではなくいつも同じような流れで本当に不思議なんだけど。
個人の能力が高まって生産量が上がるのは自明であって社会は何も進歩していない。
そうではなく、設備投資、イノベーション、配置換え、何でもいいが
効率を上げることで同じ投入能力でより多くのものを得られるように、システムを変更することが「生産性を上げる」ということだ。
これはしかし決して簡単なことではない。投資とリスクテイクを常に行い、市場に結果を評価される必要がある。
経営者がもはや設備投資や取引先変更などのリスクテイクを行う気がないからだ。
零細企業は長期的な利益の最大化ではなく、経営者のライフイベントによって動く。
経営者がそれなりの報酬を得ている老人ならもはや設備投資もリスクテイクもやる気は起きないだろう。
死ぬまで低賃金労働者をつかって現状維持し、資産を減らさずそれなりの年収を確保できればそれで満足してしまう。
これは個人の行動としては合理的で、だれかの能力の介在する余地はほぼない。
だからそうなったらもう生産性を上げるには外圧で潰して資源を開放するしかない。
政策レベルで強制的に最低賃金を徐々に上げていくことはこの一つの外圧だ。
もちろんこの過程で失業率は上がるだろう。ストにもレイオフのリスクがあるし、企業が破綻するかもしれない。
しかし単純に労働力分配という観点からみればそれはあくまで、ほかの効率のいい仕事へ移行する際の待機時間であり
「失業=まともな人生からドロップアウト」のような日本の観念が意味不明なのだ。
もちろん失業率が高すぎないに越したことはないが、それは単に待機時間が短いほうが効率がいいというだけの話だ。
社会全体の生産性の向上を止めてまで失業率を下げるのは本末転倒ではないだろうか。
経済効率だけから考えれば失業者の生活は社会保険でカバーすればいいだけの話だ。
実際に最低賃金を上げていった国は徐々に生産性が上がっている。
むろん、人間には感情というものがあり、労働に参加していないと社会的無力感を感じるし
それを抜きにしても人間関係などの社会資源から切り離され個人レベルの損失はあるから
しかし少なくとも経済学的には、雇用状態/失業状態は個人の能力を表すわけではなく、単に今労働力が市場に利用されているか否かを表すに過ぎないし
最低賃金の水準は個人の能力とは関係ない。しいて言うなら社会の能力に関連している。
もちろんただ最低賃金が上がればいいという話でもなく結局は生産性を上げることが重要だ。
そしてそもそも、低賃金労働者=能力が低い、というのは必ずしも正しくない。
ほかの指標がないから「現在の賃金=個人の能力の代表値」とすることが横行しているが、雇用の流動性が低いほどこれは不正確になる。
もちろん能力評価による昇進や転職が機能している場合には個人の能力に相関はするだろうが、能力そのものではない。
さらに言えば生産性が上がれば必ず賃金が上がるとも言えないので
可能ならば労働者側もストなどをして労働者のパイを増やすことをやる必要がある。
ここまで書いてきたことは教科書レベルの話で、流石のはてな民といえど本気でこれを理解できないほどアホとは思えない。
明らかに一部の世代の日本人が病的なまでに設備投資やリスクを嫌っており、それをしなくていいように逆算してロジックを組み上げているとしか思えないのだ。
こっちにも仮説はあるのだが、本当のところはよくわからない。