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はてなキーワード: 外食とは

2024-03-31

精神的なものから二ヶ月前くらいから食欲がなくて、毎日外食コンビニ飯だったのが冷凍ブロッコリーとかフリーズドライスープかばかりになった

栄養の偏りがやばそうだと思って、あすけんの記録つけ始めて、マルチビタミンサプリ飲んだり鉄分増しの牛乳プロテイン飲んだりしてるからかえって毎日必須栄養素を取ってて健康的なバランス食事になってるけど、ここまで食欲ないの逆にこわい

まだ標準体重以上あるし、一ヶ月で体重の5%減しかしてないからごく普通の減量ペースのダイエッターと同じだけど、食欲の塊みたいな人間が急にどうしたのかと脳内不思議を感じる

標準体重までこのペースでも半年くらいかかりそうだし、標準体重割ってから考えれば良い話だけど、一気にリバウンドしそうでこわい

2024-03-30

anond:20240330141247

外食しないのかなーとか、旅行行かないのかなーと思った。

家族ディズニーランドUSJ遊園地などに行ったりしないの? 

それと子どもがいる準富裕層の人は教育費に金使ってるイメージがある。

2024-03-28

マックハンバーガーって、どれもオプションを増しただけでなんか全部素ハンバーガーの延長線上あるような感じがする。

ハンバーガー今170円するらしいけど、それでも170円でこれが出てくるならまあ、って気持ちにはなる。そこから高くなっていって他に何が挟まれようと、似たようなバンズと似たようなパティがある限りはなんか振り切れない割高感が纏わりついてくる。色々着飾ってはいるけど、君素体は170円のハンバーガーじゃん。それで単品400とか500とか高ない?って思う。

ビッグマックとかダブルチーズバーガーって割と人気メニューっぽいけど、あの辺なんて特にハンバーガーと同じライン上にある感じがしてあんまり頼めない。

チキン竜田バンズ全然違うしソースも割と良い感じだけど、チキンクリスプの存在が頭を過ぎる。肉も(多分)胸っぽい感じだし。限定じゃなかったら多分食べない。限定で出ても1回しか食べない。

ソーセージエッグマフィンはたまに無性に食べたくなる。バンズも違えばソーセージもなんか魅力的だし、卵は具として特別存在感がある。でもポテトはあの板タイプじゃない方が好きだから悩ましい。そもそも食いたいと思った時には大体10半時過ぎてる。

ハンバーガーとは軸をずらしてフィレオフィッシュ頼みがち。別に全然安くなけど、そこまで割高感に苛まれずに済む。モスでもなんか魚のフライ系のバーガー食った記憶があるけど、なんかアジフライみたいな味したような気がする。全然きじゃなかった。マックの方が美味い。チーズタルタル白身フライ、いらん事しない範囲で気の利いた感じがある。モスハンバーガーよりチリドッグの方が好きだ。

バーキンワッパー外食った事ない。あのボリューム感と、マヨネーズコンパクトにまとめる感じが良い。わざとらしい炭火風味も最高だ。この前限定で出てたガーリック系のワッパーガーリック感が全然足りなくて残念だった。バーキンは攻めるのが下手なのかもしれない。

都内夫婦生活費についての愚痴

東京に住む30歳同い年夫婦です。

妊活も開始して、ひとりは子どもを儲けるつもりで夫婦同意しています

今の所マンション購入は考えていません。

以下スペックです。

夫:32歳フリーランス美容師、月所得30万、税金薬品代・交通費携帯代で6万、4万を小遣いにして、20万を家計に入れてる

自分:32歳会社員、額面月収42万、手取り35万。毎日出社して月のランチ代2万、2〜3万を小遣いにして、30万を家計に入れてる。

家計内訳、固定費編は下記です。

家賃:160,000円

外食費:45,000円

自炊費:30,000円

光熱費:25,000円

生活用品10,000円

積立NISA100,000円

合計 370,000円

家計内訳、イレギュラーで発生する費用は下記です。

結婚指輪ローン:40,000円

被服代:100,000円

合計 140,000円

で、370,000+140,000=510,000円くらい、ちょっとだけ赤字だったりします。

夫曰く、もう少し自分家計に入れる金額を減らしたい、これでは同業者と飲みにも行けないという意見がありました。

この家計を見て一番減らせる部分はまず「被服代:100,000円」なのですが、これの6〜8割は大体夫の服やブランド品だったりします。

ブランド品を買いながら、飲みに行くお金まで捻出するのは難しいと反論したところ、積立NISAはやめろとのことでした。

年内には子供を設けたいし、夫の月所得は平均30万円、年に2回くらい20万円に落ちるタイミングもあるので、本音を言えば積立NISAだけでなくすぐに使える預金も貯めておきたいところです。。。

とはいえ外見も大事仕事なので衣服アクセサリーを買うのも仕事のうちな気がするのはわかるんです。

実際、夫のサロン美容師のみなさんは結構華やかなタイプが多いので(ホストや、ラウンジ嬢みたいなイメージ

どうしようかな〜、妻の自分フリーランスに戻れば所得は倍に上げられるのですが、出産後なにがあるかわからいか産休育休は取りたいのが本音です。

どうしたもんかな〜。最近ずっと考えてる。

2024-03-27

切り干し大根煮物を食べながら書いた

一人暮らしを始めた。今年24になる。一人暮らしを始めるには遅い方だと思う。

から片道1時間半近くかかる部署に異動になって一人暮らしを決めてから、こうして暮らし始めるまで、気づけば半年近く経っていた。

今年の初めに母親が家を出て行った。父が年末年始実家に帰っている隙にと、前々から契約していた部屋にごっそり荷物を持って、父に知らせずに出て行った。

最後の日、いよいよ自由になる母の乗ったタクシーが、新しい部屋に向かって走っていくのを1月2日の私はずっと見ていた。もう母と一緒に暮らすことはないんだなあと、そう思った。そして少し泣いた。

モラハラ気質の父と、そんな父のことが大嫌いな兄と、控えめな母。金銭的に不自由することはなくても、昔から仲は良くなかった。兄が母親側につくことが多いから、自然と私は父親側につくことが多かった。思えば父が運転する時は決まって私が助手席で、母が運転する時は兄が助手席だった。たまに外食する時の席も同じ。子どもと妻を置いてすいすい歩く父を懸命に追いかけるのも私だけだった。

から自転車で通える距離にも関わらず、兄は高校進学と同時に寮に入った。そうしたら、私が一人でバランスを取らなければならなくなった。母の更年期と兄の思春期と私の反抗期でだいぶ前から荒れに荒れていた家をどうにか保たなければと、私なりに頑張ったつもりでいた。

自傷行為がやめられなくなった。中学はどうにか卒業した。不登校になった。高校を辞めた。そのあと定時制に入り直した。無事に進学して、普通に就職した。

母親父親も大好きだ。あらゆることに対して感謝してもしきれない。でも、かけられた言葉や取られた態度の中に「絶対に死んでも許さない」というものがいくつかある。

仕方ないことだとはわかってる。親も人間だ。こと母親においては、彼女母親、つまりから見ての祖母によるネグレクトに近い環境で育ったことや、長いこと父親モラハラに耐えてきた鬱憤が溜まっていたんだと。そうだとわかる。でも、中学から高校にかけての数年間、わりと長い間八つ当たりされたことも父親悪口をずっと聞かされたことも父に似ているとあらゆる仕草を詰られたことも私に嫌味を言ってきつくあたることで父親自分の望む振る舞いをさせようとしていたことも、どうしようもなく許せないままでいる。父親になんでもないことのように「なんの努力もしてないくせに」と言われたことも、たぶん一生許せない。

でも一番許せないのはたぶん自分自身だ。なんの努力もしてないのは事実だし、何より生きづらさを環境のせいにするくせに、10代の私は母親父親関係に対して何もしようとしなかった。父に母への態度を改めるように言わなかった。二人にもっと話し合うように薦めなかった。夕食中に口論が始まれば、箸を置いて自室に逃げた。兄のお下がりiPodで二人の怒鳴り声をかき消すようにアジカンを聞いて、ただ震えながら泣いていた。

母とは1ヶ月に一度は会っている。新居の近くには美味しいベトナム料理屋があって、二人でフォーを食べて、母の部屋で少し話して、煙草を吸って帰る。私が部屋に来るたびに母はおやつを用意してくれて、私が泊まりにきた時に困るだろうからドライヤーまで買ってくれた。この前泊まった時は作り置きのおかずを持たせてくれた。

たまに実家にも帰る。置いてきた荷物を取りに帰るたびに、父は車で送ってくれる。足りないものはないかと聞いて、あればホーマックに寄って車に乗っけてくれる。ちゃん自炊してるか、野菜を食べろと言ってくれる。父親母親も大好きだ。嘘じゃない。

HIRAETHという言葉があるらしい。『翻訳できない世界のことば』という本で知った。ウェールズ語で「もう永遠に戻れない場所への郷愁」とう意味だ。それが私にとっての実家だ。母親父親居間にいる時なんか、些細なことで空気が悪くなって口論が始まるから居心地が悪くてたまらなかったのに。

あれが紛れもなく私にとっての実家だったんだと思う。それはもう永遠にない。どこにもない。それが潔くて、ちょっとだけ寂しい。

2024-03-25

anond:20240325184035

人間食事は高過ぎるんだよ…。

外食であっても一食に500円以上とかかけられんわ…。

雨にも負けるし雪にも負ける

雪にも夏の暑さにも負けるし体はひ弱

しかなく、すぐに怒り狂い、いつも下衆い笑顔を浮かべている

1日に冷凍食品底辺向け外食店舗ジャンクフードを大量に貪り食い

あらゆる事を自分が得をするように動き、得をしないならキレたり八つ当たり

よく見ても都合の悪いことはすぐに忘れ、何を言われても理解はせず

どこかの町の実家の子供部屋に住んでいる

東に病気のガキがいたら、「お前の病気は治らないよ」「ほらもう少しで死んじゃうぞ」と絶望煽りに行き

西に疲れた母がいたら「早く死んで遺産よこせよ」と蹴り飛ばし

南に死にそうなのがいたら死前の苦痛や死後の虚無を教えて絶望の中に陥れ

北に喧嘩訴訟があれば対立煽りや燃料投下で事件に発展させる

日照りだろうが気温の低い夏だろうが環境のことは無視してエアコン全開

みんなに「人間のクズ」と呼ばれ、褒められはしないが死を望まれレベルで嫌われる

そういう者が、お前ら増田はてなーだということ

2024-03-24

旅行食事ありがちなこと

一人旅

自分のペースでたくさんの所に行きたいので食事は省略するか提供までが早いチェーン店になりがち

居酒屋レストラン等の外食に一人で行く勇気はないのでホテル近くのコンビニで豪勢な買い物をする

複数人食事

せっかくだからちょっと高くてもおいしい物を食べよう派」と「食費を抑えてイベント事に費用を回したい派」の争いに巻き込まれる(どちらでも問題ない)

夕食はリッチに騒ぎながら楽しむ

年収300万円年収ウン千万円の違いが分かりすぎる

地方都市で士業をしとります。

運が良いのか悪いのかお爺ちゃんが唯一資格者事務所に勤めた結果、孫がいつまで経っても資格が取れないのでなし崩し的に私が後釜に据えられました。雇われが良かったのに…

法人化して代表社員ってやつになりました。孫はまだ資格取得のために勉強中なので早く資格取って社員に名を連ねてくれ。責任デカすぎる。

それで年収がウン千万円になったんですけど、日ごろ顧問先に個人法人の境目はしっかりつけやがれ、と指導している手前もありますが、事務所勤務歴の浅い私が節税範囲内としても法人への付け替えをすると反発を招くので給与だけしか頂いておりません。ウン千万円なんで充分なんですけどね。

高い給与に対して有無を言わさないために顧問先増やしまくってるのでセーフ。顧問先増やしても職員に投げればいいのは代表社員特権ですな。

で、その給与を何に使ったかと言うとまず家。やれ資産価値だの導線だの断熱性などとしゃらくせぇ事は知らん。ワンダデバイスという趣味全開の家を購入。詳しくは検索してね。収納ほとんど無い状態で買ったから毎週末diyで忙しかったけど、楽しめる範囲で自宅を作り上げるのは楽しかったよ。子どもが産まれた今はデッキブランコ付けたり、庭にガビオンファイヤーピット(自慢)作って焚き火して遊んでるよ。

こんな家を建てようとしたのも資産価値やらを考えなくていい年収ってのはある。年取ったら街中に賃貸で住むことを計画している。

ギリギリ住宅ローンを組む必要もなかったけど、文無しはさすがに不安だったので組むことにした。住宅ローン控除は所得により適用対象外だけどな。クソが。

次に車。職員の時からデカい車が好きだった。ただお金には限りがあるからエクストレイルに乗っていたけど、今は年収によりそんなリミッターは解除されているので思い切って燃費クソ、小回りもクソ、評判もクソのフォードラプターを買った。こんな自分以外に満足している人がいない車を購入できるのも生活に余裕があるから奥さんの不満も好きな車を買わせることで回避できるしね。なお、ボルボのXC90を買ったのでデカい車2台持ちで不便している模様。

お次は服。学生時代から好きだったけどお値段的に購入が難しかったエンジニアドガメンツを気軽に買えるようになった。ハイブランドには興味がない。

最後食事。お高いフレンチイタリアンは性に合わなかったが、地方都市にしては比較的お高い単価1万円ほどの和食屋さんに月2回ほど通っている。

このお店で本格的な出汁ってほんだし全然違うじゃん!と知った。もっと通いたいが子ども大人しくできないので、夫婦休みを合わせたり親に預けたりしてようやく行けてるのでね…。

共働きなので外食惣菜に頼ることもあって年収が高くなければ外食に月10万以上出せないよね。

好きな時に好きなものを好きなだけという今の生活年収ありきなので年収の違いが分からん人の気持ちは分かりません。すまんな。

anond:20240324121524

すげえ充実してるみたいだけど何が不満なんだ?

もっと外食したいとかお取り寄せしたいってことか?

2024-03-23

インフレ外食のクオリチーが暴落しちょる…

値段上げるのはいいが、ついでに質や量を下げるのヤメレ

anond:20240323100750

これはマジで勘違いから改めてもろて

キミが街でヒャッハーにぶん殴られず、買い物や外食や各種サービスが使えるのも、

下記が当たり前ではないからだ

高尚な人間は知らないが、普通の人はやっぱり他人いじめたい訳よ

 

なお、いじめるのも、いじめ傍観するのも、少数派の自覚を持って生きて欲しい

2024-03-22

本格的に死にたい

いよいよ人生でやれることなくなった。

死にたい

 

4年前に知り合った彼氏がいる。

当時彼は既婚者であったが、わたしに惚れているのは周りから見ても明らかだった。

飲み会の帰り道で「好きだ」と告白された時、わたしは、「気持ちは嬉しいけど、わたし不倫とかできるタイプではなくて。既婚者の方はごめんなさい」とお断りした。

 

その半年後、彼は離婚して、もう一度告白してきた。

「待たせてごめんなさい。大好きなんです。僕は君と一緒になりたい」

あの時の彼の顔をよく覚えてる。待ってないです、でも、ありがとう努力に免じて、交際関係を受け入れた。

「でも、わたし、君を悪くいうわけじゃないけど、バツイチ恋人が務まるほど、器が大きくないかもしれない」

大丈夫!君に嫌な思いはさせないし、大事にするし、幸せにする。不安や不満があったら、必ず言ってね。受け止める」

それからは、絵に描いたように幸せ恋人ライフ

彼はわたしお姫様か何かのように大切にしてくれた。

離婚したばかりで今すぐは無理だけど、かならず一緒になろう。世界中が敵になっても、俺は君だけを愛してるから

そう言ってわたしを大切にするピュアな彼に、わたしも次第に夢中になった。

 

彼にプロポーズされウキウキのワクワクでご両親にご挨拶に伺ったら、元嫁に親権を委ねた彼の親から、「新しい嫁がきたら孫に会わせてもらえなくなる」と結婚に反対されたのが2年前。

当時わたし妊娠していた。

彼氏は、「まだ早かったかもしれない。両親の説得にはまだ時間がかかる。でも、いつかかならず一緒になろう。だから赤ちゃんはいまはおろそう。」そう言ってくれたので、わたしはまんまと信じた。

 

彼が前妻と建てた家で同棲し始めたのもその頃。

 

この家に住み始めた頃に、ベッドが処分されていないのを見てイヤな気持ちになった。

当然のようにそこに寝るよう進める彼に、「さすがに、ちょっと」と断ると、彼はあからさまにイラついた。

「お前の家のベッドだって、他の男と寝てきたベッドだろう」

「それはそうだけど、「わたしのベッド」に他の男も寝たことがあるのと、「あなたと前妻のベッド」にわたしが寝るのは、心持ちがちがうじゃない?」

わかってもらえなかった。

でも、イヤという気持ちは汲んでくれて、和室に布団を敷いて、寝ることにした。

 

彼は、最初、「この家に住むのも一時的もので、ゆくゆくは手放すよ」と言っていたのに、「ダイニングテーブルお気に入りから、このまま使わせてほしい。ソファは、買い換えようね」と、心を変えた。

 

彼は、最初、「お箸マグカップ買ってきたよ。2人の食器を増やしていこう」と言っていたのに、近頃は「どんぶり?あるのを使おうよ」「ほしいなら勝手に買っていいよ。でも趣味悪いのはやめてね」と、投げやりになった。

 

毎朝どちらかがあかちゃんにあげていた線香は、いつのまにかわたししかやらなくなった。

「親が来るから、少しの間出ていて」

そう言われることがあった。

ご両親には、この家でわたし暮らしていることを言ってはいないんだなぁ。と思った。

「ご両親の説得は進んでいるの?」

と聞いてみたことがあった。彼はイライラした態度で、「お前が首を突っ込むな」と返した。

そのくせ彼は、「あ、親が来る前にトイレキッチン掃除しておいて。だらしない暮らししてるとおもわれたら、めんどうだからさ」とも言った。

 

付き合った頃、「バツイチ恋人が務まるほど、器が大きくない」と言ったのは本当のことで、

最初の誓い通り、不安や不満を伝えることが増えてきた。

でも、彼は変わってしまっていた。

「面倒くさいな。お前、少しは黙れよ」

「気に入らないなら出て行けば?」

バツイチ恋人になるんだから、それくらい覚悟しておけよ」

 

同棲から1年経って、彼はどんどん怠慢になった。

わたし誕生日を祝わなくなった。翌々日に、あ、誕生日だったんだね。と言われた。

彼の誕生日の日は、昼間にラインが1通あった。「今夜は外食から、俺の晩飯いらないからね」

わたしは1人でケーキを食べた。

セックスが雑になった。わたし愛撫することは無くなり、奉仕することばかり求めた。やんわり拒むと勝手に口に突っ込まれた。口に出されることが増えた。「抱きたくはないけど射精はしたい」んだって

 

彼は、横柄と傲慢を増していった。

「お前がいなきゃ離婚しなくて済んだ」

「これ以上俺の人生邪魔をするな」

「お前のためにベッドを捨てたりソファを買い替えたりするような価値は、お前にない」

妊娠したのも、お前の策略だろう。お前が勝手に孕って勝手に堕したんだろ。俺は何も悪くないし関係ない」

「これ以上俺の人生邪魔をするな」

「お前との将来なんて俺は考えていないからな。早く出ていけよ」

 

なにがいけなかったんだろうな。

わたしは彼を愛してきたつもりなんだが。

彼はわたしと一緒になりたかったはずなんだが。

お腹のあの子を殺したのは、彼とわたしとあの子未来のためで、必ず未来でもう一度会うつもりだったから、なのだが。

 

わたしは悲しくなって、先月ついつい、彼のご両親にお手紙をお出しした。

あの時、実は妊娠していたことをお伝えした。

エコー写真検査薬を同封した。

わたしと彼は一緒にはなれないから、せめて彼のお家で、供養してやってください。と。

お二人にそれをお願いすることが、殺してしまたこの子に、私がしてやれる最後ことなんです。と。

 

数日後に彼は実家に呼び出しをくらい、夜中に帰宅した時は鬼の形相だった。

「親に余計なことを吹き込んだな。もうお前なんか死んでしまえ」

そう言って彼は、わたしの顔を殴り、突き飛ばし、馬乗りになって首を絞めた。

 

わたし自分の愚かさに辟易した。

 

あー、わたしはこんな乗り換えクズの虚偽のプロポーズを真に受けて、堕胎までして、お腹を傷つけ、胎児を殺した愚か者だったか。と、遠のく意識の中で思った。

かにわたしは、「困難な離婚をしてまでわたしと付き合いたいというくらいだから、相当の本気だろう」と思っていた。全く違う。

こいつは「結婚本質も知らず軽んじているだけのガキ」というだけだった。

やけに離婚がすんなり行ったのも、今思えばおかしかった。このジジイ事故物件だったのだ。前妻は、このDVモラハラからアッサリ逃げられて、ラッキーとでも思っていたかもしれない。

 

わたしは気絶した。

多分だけど、それで流石に慌てた彼が119番だか110番から通報したみたい。気づいたら救急隊に囲まれてた。布団の上で失禁していた。彼は警察に連れて行かれて、わたし病院検査を受け、問題がなかったので、警察と少し話した後、実家に連れて行かれた。

多分。記憶朦朧としてる。今もはっきりしない。

 

彼と出会った4年前、わたしは29歳だった。

最後の恋だと信じて、かけたけど、大外れだったうえに、取り返しがつかない時間若さを失い、傷をお腹と心に残した。

 

こんな男を信じて、夢だった結婚式も、ドレスも、ハネムーンも、注文住宅も、出産も、家族も、なにもかも、叶うことはなくなった。

 

じゅうぶんにがんばった。

できる限りのことはした。

彼に対し、人生で一番尽くしたし愛したし大事にした。

でもダメだった。

もうやれることがない、

 

なんだか、こんなわたしが、この先誰かを愛しても、愛すれば愛するほど、一緒にいられない気がする。

全力で大切にした今の彼にもこんなふうに粗末に扱われる。

私の価値は本当にないのだなと思う。

こんなわたしが、クズの子供を孕んで堕胎したわたしが、

仮にいつか、他の善良な男性と想いを通わすことができたとしても、愛されて良いわけがない。

そのような権利は私にない。

なんか、もう、死んでいいと思ってる。

首絞められて、意識が落ちる時、全然苦しくなかった。むしろ気持ちよかった。だから死ぬのは怖くないんだ。

わたしのかんはあまりあたらないけど、これが最後の恋だというのはすごく当たってる気がするの。

わたし死ぬからだと思う。

2024-03-21

お袋の誕生日

娘と息子を連れて実家に向かう。

途中でいつもの店でケーキを買う。俺と息子はチーズケーキ、あとシフォンケーキ三つ。

行く途中娘はずっと歌ってる。息子はスマホをいじりながらずっとうるさいと文句言ってる。

息子のスマホはあるが娘はまだ持っていない。

息子にアドバイスする。お前のスマホを渡せば娘はおとなしくなる。

絶対やだー」

40分ぐらいで実家に着く。

妻が用意したプレゼント渡す。瓶詰の花。

息子は早速、家にはない炬燵に潜り込む。

娘は体育館で親父と遊ぶ。

何故かうちには卓球台を置けるくらいの体育館がある。

すぐに昼になり、予約してたファミレスに向かう。

親父は柔らかいご飯しか食べたくないので、外食はここの店と決まってる。

俺と息子、海鮮ちらし天ぷら定食、娘お子様寿司セット、親父刺身定食、お袋焼肉定食

親父がなぜか俺と息子の頼んだ天ぷらをうらやましそうに見てる。次はこれを頼むらしい。

実家に帰ると子供砂場遊び。

俺は昔の自分の部屋でスマホ動画見ながら昼寝。

でもすぐに子供たちがちょっかい出しに来る。

娘と息子が代わる代わる添い寝しようとしてくるから、布団の外に転がす。

3時にケーキたべる。

食べ終わって娘と息子は寝そべる場所を巡って兄弟げんか。

やたらうるさい。

俺はまた自分の部屋に戻ってPS3モーターストーム2で遊ぶ。

晩飯はお袋の作ったカレー

親父はネギ類が一切食べられないので玉ねぎ無しカレー

デザートに親父が買ってきた苺食べて帰宅

子どもが小さい時は毎週行ってた実家も、年に4回ぐらいしか行かなくなった。

anond:20240321115219

結婚を諦めた言い訳はいつも収入が少ないからなんだよね

でもその人達日記をみてると毎週のようにリリイベ行ったり撮影会に行ったりガジェット買ったり外食したりで無駄遣いばかりしてる

結局人付き合いが出来ないだけなんじゃないか

anond:20240320215302

母親一人暮らしなので週に何度か行くといつもどっさり洗い物があって一人暮らしなのになんでやろ?と思ってたけど自炊だとそうなるのね

俺は基本外食からあんまりそうはなってない

2024-03-20

anond:20240320131600

うなぎの特上ってうなぎの量が増えるだけでって知らないタイプ

小食のおばさんに並以外食わせるとか虐待だろ

anond:20240320101739

あなたの状況は本当に大変そうですね。食費が家計を圧迫するのは辛いものです。

でも、あなた食生活を見直せば、きっと改善余地はあるはずです。

まず気になったのは、163cm/50kgという体格に対して、食事の量が非常に多いことです。

一般的に、あなた体重から計算すると1日の推定エネルギー必要量は1800~2000kcal程度だと思われます

しかし、記述された食事量はそれをはるかに超えている可能性が高いです。

この食事量と体格のアンバランスさについては、もっと注意を払う必要がありそうです。

次に、主食は米に切り替えることを強くおすすめします。

10kg3000円強と最強のコスパを誇る米は、パスタより満足感も得られる主食王者です。

炊いた米をアレンジすれば飽きずに食べ続けられます

醤油みりん、酒、味噌などの調味料を使い分けるのがコツです。

おにぎりにしたり、卵かけご飯雑炊お茶漬けチャーハンなど色々試してみてください。

冷凍ご飯活用すれば、一人暮らしでも米を無駄なく食べきれますよ。

また、外食は控えめにすることが賢明です。

安くて量が食べられるからと言って、長期的に見れば高くつきます

米は100gで35円前後外食は一人前で300円~500円、雲泥の差です。

最後に、あなたの極端な食欲と体重増加がない点については、何らかの健康問題可能性を懸念します。

単なる食べ過ぎではなく、吸収不良などの病気が潜んでいるかもしれません。

一度医師相談されることを強くおすすめします。

早期発見・早期治療が何より大切です。

今の生活見直して、賢く食費を削減していきましょう。

健康的でバランスの取れた食生活は、体だけでなく財布にもいいことづくめですから

あなた健康幸せを心から願っています。頑張ってください!

助けてくれ。エンゲル係数が高すぎる

36歳独身男。163cm/50kgの貧弱もやしなんだが、食費が家計を圧迫していてつらい。


政府統計によると30代半ばの独身(一人暮らし)男性の食費は4万円前後/月らしいんだが、

たいした給料もらってないのにその倍近くかかっている。


これだけ見ればどんな高級外食を繰り返してるんだと思われるかもしれないが、お高いレストランなんてまったく行かない。チェーン店ばかりだ。


金がかかる理由は、とにかく量を食べてしまうからだ。


俺は朝食や休みの日、早めに帰れた日は自炊もしてるんだが、

たとえばパスタ乾麺400~500gを茹でて一食で食べてしまうし、

一人暮らしなのに米10kgが1ヶ月もたない。


回転寿司に行けば20皿~、マックに行けばバーガー4~6個は食べてしまう。

このせいでちょっと外食すると2~3000円はかかってしまう。

よくあるアドバイスで「腹八分目しろ」ってのがあるが、これでも満腹より手前で止めてるんだ。

限界まで食べたらたとえば回転寿司なら30皿は食べてしまう。


かといってフードファイターみたいな路線に振り切れるほどじゃない。

4kg5kgを一回に食べるのはさすがに無理だ。


代謝が良すぎるのか吸収効率が著しく悪いのか(ぜんぜん太らないので)、

ただただ「普通の人よりもめっちゃ食べないと足りない」人間なのだ


食にまったく興味がないわけじゃないが、別にグルメってわけでもないし、

自炊でも外食でも安くて量が食える案があれば教えてほしい。

(いまのところ乾麺パスタくらいしか思いつかないが流石に飽きてきた…)


「これさえ食べれば大丈夫」って忍者の丸薬みたいなものがほしい……。



追記)思ったよりいっぱいトラバブコメもらっててありがたい。目についたものに返答します。


・嘘では?

嘘じゃないよ…


・いつからそんな食生活

う~ん、小学生の頃から「余ってるぶん食べていいよ」って言われて残ったおかずおかわりで全部食べたりしてたな


運動してる?肉体労働系の仕事

デスク仕事運動通勤で歩くくらい


・一日の食事は?

自炊パターンでざっくり一例だと、朝:野菜ジュース菓子パンマルチビタミンサプリ、昼:チキン南蛮弁当2個とサラダ、夜:牛乳ご飯3合にレトルトカレー2袋(カレー節約しながら食べる)みたいな


一般的な量にしたらどうなるの?

「足りね~」ってめちゃめちゃお腹へる。今のところダイエット必要ないと思って長期的にやったことはない


下痢がちでは?

毎日ウンコはモリモリ出る(下痢だったりユルかったりはしない)


糖尿病では?

精密検査は受けてないけど会社で受けてる健康診断では尿で引っかかったことない


胃下垂では?

俺はこれなのかなってなんとなく思ってる。村上春樹の本に胃下垂めっちゃ食べる女の子出てきたよね


・寝てる?

毎日6~7時間寝てる


・高血圧

血圧は低め(75・95くらい)


病気では?

そうなのかな…こわい…。病院いったほうがいいのか?内科でいいのか?

anond:20240319231055

家電とか外食とか流行の服とか嗜好品などのアホなことに貧民はお金を使う法則

やたらとブランド品好きなのもタワマンに住みたがるのも貧民

2024-03-19

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

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