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はてなキーワード: 外食とは

2024-04-03

かえりたい

ブラインドを閉じる

コピー機の電源を切る

シュレッダーの電源を確認する

モニターの電源を切るのを忘れない

システムの打刻

最終退館の入力

照明を落とす

施錠とセキュリティを起動

廊下の消灯で一度真っ暗になる

エレベーターで1階に降りる

玄関は閉じているので裏口に向かう

駐車場横のシリンキーを開けて出る

一階のピザ屋の匂いを嗅ぐ

大通りを歩く

高速道路沿い、高架につく明かりが深夜でも明るいオレンジ色をしている

小さく歌を歌いながら帰る日が多い。頭を空にするための歌なので、なんの歌でも良い。TikTokで聞いたサビしか知らない歌でも、学生時代合唱コンクール課題曲でも。車が多いか迷惑にはなっていないと思ってる。

いつも曲がらない角を曲がって帰る日もある。知らない坂の先の景色をみたり、通れるかわからない細い路地を入ってみたり。

自転車で帰った日もある。電動式のシェアサイクルはわたしをぐいぐい引くように走った。

自分の足で走った日もある。通りを走るランナーはたまに見るしそれほど浮かないだろうと思った。自分自分の体をコントロールして、心拍を上げる行動は何かに良い気がした。

酒を買って歩きながら飲んでみようとした日は、缶を路上に落としてしまい中身が噴出した。甘くないジンソーダで助かったと思いながら拾って帰った。

誰にも迷惑をかけない範囲で行う小さな奇行は、私が私に許す小さい遊びだ。1日の大半を仕事に明け渡してしまった今日ちょっとだけ取り返してから自分を寝かしつける、そういう儀式最初ちょっと外食をして自分の機嫌を取ったりしていたのだが、夕食をしっかり摂るのも憚られる退勤時間になってからは「帰る」ことに遊びを見つけていた。人目につかない深夜に、小学生の帰り道みたいな、誰にも話さな1人遊びがたくさんあった。

何も出来ない日は大抵泣きながら帰る。あの時の自分なかに何の感情があったのかわからない。悔しいなのか苦しいなのか、誰かに心配されて嬉しいなのか情けないなのか、

あのとき取りこぼしてしまった自分気持ちはもう、私がわからないってことはこの先誰にもわからない。

泣いている時に頭の中に入っていたのは、周りの人が私に投げかけた言葉だけで、それを咀嚼して反芻しても、なんの味を感じたのかわからないまま、子どものように口角をひん曲げてボロボロ泣いた。マスクの中に水分が溜まって蒸れて、でも外した顔はひどいから付けたまま歩く。

公園の横を抜けて、ファミレス駐車場を突っ切って、その先の横断歩道は押しボタン式の時間帯。渡った先のコンビニに寄る。朝昼は胃痛を避けるために軽いものしか摂らないので夜は多少好き勝手に食ってやろうと思いながら入店するが、運が悪いと夜中に腹を下すので結局中途半端惣菜軽食を買う。大体いつもボブヘアの男性店員シフトに入っている。コンビニの横の坂道を上ったらあと少しで家に着く。

徒歩25分。家も職場も駅からまり近くないせいで、電車に乗ってもせいぜい5分短縮できるか微妙な所だから歩いて通勤した。

机に縋り付いている記憶の方がたくさんあって良いはずなのだが、私は長い間、家に帰る道をずっと歩いているような、ずっと夜みたいな感覚を1番よく思い出す。

日中は、

食事睡眠、どちらかを満足に出来なくても片方が人並みならまだ保つ」

「このくらいの度数のロング缶を一度に飲み切ると眠れて二日酔いも残らない」

「この会社栄養剤がよく効くのであっちのコンビニで買う」

大丈夫だと口に出せるうちはまだきっと大丈夫

働き始めてから何年かで身につけたおまじないのような「これが出来ればまだ大丈夫」を幾つかポケットに入れて、指先で手触りを確認するような日々を過ごしていた。

 

「酒や乳酸菌飲料の力を借りて睡眠は取れているからまだ大丈夫

「胃が荒れていて平日は差し障るだけで、食欲はあるからまだ大丈夫

「朝は起きて支度できるからまだ」

部屋は荒れているが、不精なので繁忙期はそんなものだ。青クマデスクワーカーの職業病

「まだ大丈夫」を肯定的に捉えてサバイブしていたつもりだった。

つのまに切り替わったかからないが、これらの一つ一つが「まだ私が壊れてくれないから、大丈夫じゃなくなるのを待つしかない」のカウントになっていた。

勤務中、気を抜くと頭を上げていられなくなった。

ひとの目を見るのは元々苦手ではあるけど、顔を見せるすら苦しくなった。

対面で働くチームメンバーには両手で伏せて早口で指示を出す。通話会議は声を出せれば成立する、まだ大丈夫

大丈夫自分を演じているのか、大丈夫ではない自分演出して逃げ出そうとしているのか、どっちにしろ何かのフリをできているうちは大丈夫なのか、大丈夫ってなんだ?

わたしは席に座れる、手を動かせる、web会議通話が出来る、謝罪を述べることができる。出来るけど、帰りたいと申し出てある日早退した。これはダメなことだってわかっているからまだきっと大丈夫。平日の明るいうちに外出するのが久々でなんだかスカスカした気持ちになりながら、せめて身体を労わるポーズをとらないと均衡が取れないか大戸屋で品目の多い定食を食べた。ポテトサラダが重くていつまでも口に残った。

わたしにも少ないが友人はいる ありがたいことに定期的に会う用事がある

他愛ない近況の報告をしようとしたら、言葉が出ない日があって、そのとき友人は精一杯わたしを傷つけないように、「頑張る私」を否定しないように選んだ言葉で、心配に思っている、あなたを害するものあなた拒否する権利があるとだけ 言葉を投げてくれた

書いて消して何度か回り道しただろう、書かれなかった文にたくさんの気持ちが詰まっていた それに対して言い訳のような自虐で返事をした 最悪だ

病院探しを始めた。

躊躇いは特になかった。「自分に限って」なんていうバイアスは思い上がりだ。弱さを認められる方がまともだと思う、そういうペラペラプライドを持っていた。「まだ大丈夫」のうちに、近い将来ダメになった時の避難経路を決める、それは賢い判断だと思った。

まあまあ都心に住んでいたので選択肢はいくつかあると知っていたし、思ったよりいっぱいあった。逃げ場ってコンビニほどはないけど歯医者くらいはある。場所を見つけて、予約を取ったあと、メモを書くことにした。

うまく話せるように、話せなくてもとにかく伝わるように。カンペなのか手紙なのか問診票の別紙なのか、わからないけど言葉を起こす必要があった。

身体精神状態を書き連ねた。

相手自分を「大丈夫」に見せたいのか、「大丈夫ではない」と言わせたいのか、なんだか意図がブレブレのメモ書きになった

紙に書き写す以上はありのままなんてどこにもない、本当のことを書いたのかどうか主観で見てもあやふやな文面。とにかく話せなくなればそれを読むか手渡すかしようと思って、印刷したものを携えて心療内科に行った。初診の予約は平日の昼しか取れないルールで、14時過ぎに中抜けして向かった。

名のついた診断が出た。

有給休暇の残数を尋ねられたり、直近で休養の取れるタイミングなどの話を流れるようにし始めた医師に、そんなつもりではない。 まだ大丈夫から、もう少しマシになるための方法をくれと訴えたら、それはまっすぐに否定をされた。でも自分に「休め」を許せなかった結果、中途半端診断書を持ち帰った。

朝、眠りから浮上する感覚を覚えると同時に心臓が跳ねるようになっていた。生きている、意識があるということに気づくと心が怯えるのはまあ自然なことかもしれないとその時は思っていたし、動悸そのもの業務差し障りないから「大丈夫」「ダメ」の判断基準にならなかった。寝覚めは悪いが寝起きは良いので、遅刻もしなかった。

今思うと、「大丈夫」と「ダメ」は同じ線の両端ではなかった。

なんの名前を付けたら良いのかもわからないけど、しっかりと質量のある「ダメ」の感触が胸の中に入っている日がある時やって来た。

もっと、動けないとかずっと泣くとか何かが出来なくなったことを以て「ダメ」に『なる』なのだと思っていたけど、そうではなかった。何がどうダメなのかなんてわからないのだけど、相対的な話ではない、とにかく「ダメ」が去来する朝が来た。突発の休暇をとった。休んだ罪悪感を原動力にその週は出勤する、というサイクルをいくらか続けた。

この頃に、「ダメ」になる階段を一歩降りたような気がしていたが、同時に睡眠も食欲も自分の思う「大丈夫」の基準のままだったのだから二元論で考えることが間違っていたと思う。

この「ダメ」は、「不安」の名前に片付けるものらしい。抗不安薬頓服の処方を受けた。「頓服」だから、常用してないからまだ大丈夫大丈夫の数をまだ数えていた。

かに怒っている日、逃げてしまおうと思う日、何も感じない日

そんなわけないのにいつもの道が歪んで見える日

物音が大きく聞こえる日

なんてことないじゃないかと思う日

そんなものちょっとずつずれながら積み上げてきて、綺麗に縛れない新聞の束のような、歪みが溜まっていくような感じがあった

退職願を書いた。

できるだけ綺麗な文字しかるべき封書に綴じた正しいフォーマットで、すぐに出せる完璧な一筆を仕上げようと思った。

遺書ではないけど、でも心持ちは少し近いかもしれない。白くて郵便番号欄のない封筒が望ましいとネットに書いてあったがコンビニにも百均にもなかった。緊急で必要になる人もいるだろうに。

下書きをして、それを見ながら丁寧に文字を書いた。書いている間は無心になれた。書いただけで、結局出せはしなかった。

退職願も、診断書も、私にとっての「勝訴」の紙にならなかった。結局私は、自分バツを付けて逃げるのが怖いまましばらく日々を過ごした。

ある朝、9時前、出勤してメール確認する

同僚が出勤してくる

涙が止まらない

頓服を飲んで、会議室に閉じこもって効くのを待ってみる

10時半過ぎ、何も変わらない

ここにいたらもう駄目なんだ、そういう日がついに来たのだと言われた気がした

トイレに逃げて、別の場所で勤務する上司に早退の連絡をする

そのあとは、とにかく手続きを滞りなく進めなければと、社会人として角の立たないように休職の手配をするために自分感情はどこか棚の上にでも置いたような感覚で、再診の予約をとり会社と連絡を取り、自分社会と切り離すことに成功した

今、会社に向かう朝も遊びながら帰る夜も無くした私は、子供の頃からの地続きの自分をあの夜の帰路に置いてきてしまって、残りかすの体だけがここにあるような気持ちで布団に横たわっている。じゃああの夜に私は何を思っていたのか、書き出してみようと思いメモ帳に書きつけるが、結局そこにも何もなかったとわかってしまった。今の私の回想だからそうなのか、本当に何も思うことはなかったのか、もうわからない。

出かけなくても良くなった今も、どこかに帰りたいような気持ちだけ残っている。

2024-04-01

anond:20240401004915

自分で作る選択肢ゼロなのがウケる

全部外食健康とかカロリーとか気にするならBASE BREADとか食べるしかないんじゃない?

2024-03-31

anond:20240330141247

これで貯金が多い方なら、みんな一体何にお金を使ってるんだろう。

そんなに金使う方ではないけど、それでも例えば週末ちょっと外食したら昼夜で1万円くらいは行くとか、良さそうな食器や酒とか見かけて買うと数千円は行くとか、家で飲む用のコーヒー豆100g1000円くらいで月500gくらい消費するとか、この前家に内窓つけて10万かかったとか、そういう細かいのがそれなりに積み上がる。あと東京なので家賃(ローンの返済)が月20万くらいある。なお繰上げ返済は全くしてない。

子供がいたら金かかる主要項目は学費生活費になるだろう。

anond:20240330141247

日本の500~1000万くらいの所得格差の違いなんて、嫁用のセカンドカーがあるか、軽か、普通車か程度の差しかねぇだろ。あとは月に何回外食いけるか長期休暇に旅行できるかとかそんな程度だ。だから富裕層以外の大多数が自分生活の厳しい中流意識に属してると思ってるし、常に不平不満を抱えて経済を回さな起業もしない子供も増やさな

精神的なものから二ヶ月前くらいから食欲がなくて、毎日外食コンビニ飯だったのが冷凍ブロッコリーとかフリーズドライスープかばかりになった

栄養の偏りがやばそうだと思って、あすけんの記録つけ始めて、マルチビタミンサプリ飲んだり鉄分増しの牛乳プロテイン飲んだりしてるからかえって毎日必須栄養素を取ってて健康的なバランス食事になってるけど、ここまで食欲ないの逆にこわい

まだ標準体重以上あるし、一ヶ月で体重の5%減しかしてないからごく普通の減量ペースのダイエッターと同じだけど、食欲の塊みたいな人間が急にどうしたのかと脳内不思議を感じる

標準体重までこのペースでも半年くらいかかりそうだし、標準体重割ってから考えれば良い話だけど、一気にリバウンドしそうでこわい

2024-03-30

anond:20240330141247

外食しないのかなーとか、旅行行かないのかなーと思った。

家族ディズニーランドUSJ遊園地などに行ったりしないの? 

それと子どもがいる準富裕層の人は教育費に金使ってるイメージがある。

2024-03-28

マックハンバーガーって、どれもオプションを増しただけでなんか全部素ハンバーガーの延長線上あるような感じがする。

ハンバーガー今170円するらしいけど、それでも170円でこれが出てくるならまあ、って気持ちにはなる。そこから高くなっていって他に何が挟まれようと、似たようなバンズと似たようなパティがある限りはなんか振り切れない割高感が纏わりついてくる。色々着飾ってはいるけど、君素体は170円のハンバーガーじゃん。それで単品400とか500とか高ない?って思う。

ビッグマックとかダブルチーズバーガーって割と人気メニューっぽいけど、あの辺なんて特にハンバーガーと同じライン上にある感じがしてあんまり頼めない。

チキン竜田バンズ全然違うしソースも割と良い感じだけど、チキンクリスプの存在が頭を過ぎる。肉も(多分)胸っぽい感じだし。限定じゃなかったら多分食べない。限定で出ても1回しか食べない。

ソーセージエッグマフィンはたまに無性に食べたくなる。バンズも違えばソーセージもなんか魅力的だし、卵は具として特別存在感がある。でもポテトはあの板タイプじゃない方が好きだから悩ましい。そもそも食いたいと思った時には大体10半時過ぎてる。

ハンバーガーとは軸をずらしてフィレオフィッシュ頼みがち。別に全然安くなけど、そこまで割高感に苛まれずに済む。モスでもなんか魚のフライ系のバーガー食った記憶があるけど、なんかアジフライみたいな味したような気がする。全然きじゃなかった。マックの方が美味い。チーズタルタル白身フライ、いらん事しない範囲で気の利いた感じがある。モスハンバーガーよりチリドッグの方が好きだ。

バーキンワッパー外食った事ない。あのボリューム感と、マヨネーズコンパクトにまとめる感じが良い。わざとらしい炭火風味も最高だ。この前限定で出てたガーリック系のワッパーガーリック感が全然足りなくて残念だった。バーキンは攻めるのが下手なのかもしれない。

都内夫婦生活費についての愚痴

東京に住む30歳同い年夫婦です。

妊活も開始して、ひとりは子どもを儲けるつもりで夫婦同意しています

今の所マンション購入は考えていません。

以下スペックです。

夫:32歳フリーランス美容師、月所得30万、税金薬品代・交通費携帯代で6万、4万を小遣いにして、20万を家計に入れてる

自分:32歳会社員、額面月収42万、手取り35万。毎日出社して月のランチ代2万、2〜3万を小遣いにして、30万を家計に入れてる。

家計内訳、固定費編は下記です。

家賃:160,000円

外食費:45,000円

自炊費:30,000円

光熱費:25,000円

生活用品10,000円

積立NISA100,000円

合計 370,000円

家計内訳、イレギュラーで発生する費用は下記です。

結婚指輪ローン:40,000円

被服代:100,000円

合計 140,000円

で、370,000+140,000=510,000円くらい、ちょっとだけ赤字だったりします。

夫曰く、もう少し自分家計に入れる金額を減らしたい、これでは同業者と飲みにも行けないという意見がありました。

この家計を見て一番減らせる部分はまず「被服代:100,000円」なのですが、これの6〜8割は大体夫の服やブランド品だったりします。

ブランド品を買いながら、飲みに行くお金まで捻出するのは難しいと反論したところ、積立NISAはやめろとのことでした。

年内には子供を設けたいし、夫の月所得は平均30万円、年に2回くらい20万円に落ちるタイミングもあるので、本音を言えば積立NISAだけでなくすぐに使える預金も貯めておきたいところです。。。

とはいえ外見も大事仕事なので衣服アクセサリーを買うのも仕事のうちな気がするのはわかるんです。

実際、夫のサロン美容師のみなさんは結構華やかなタイプが多いので(ホストや、ラウンジ嬢みたいなイメージ

どうしようかな〜、妻の自分フリーランスに戻れば所得は倍に上げられるのですが、出産後なにがあるかわからいか産休育休は取りたいのが本音です。

どうしたもんかな〜。最近ずっと考えてる。

2024-03-27

切り干し大根煮物を食べながら書いた

一人暮らしを始めた。今年24になる。一人暮らしを始めるには遅い方だと思う。

から片道1時間半近くかかる部署に異動になって一人暮らしを決めてから、こうして暮らし始めるまで、気づけば半年近く経っていた。

今年の初めに母親が家を出て行った。父が年末年始実家に帰っている隙にと、前々から契約していた部屋にごっそり荷物を持って、父に知らせずに出て行った。

最後の日、いよいよ自由になる母の乗ったタクシーが、新しい部屋に向かって走っていくのを1月2日の私はずっと見ていた。もう母と一緒に暮らすことはないんだなあと、そう思った。そして少し泣いた。

モラハラ気質の父と、そんな父のことが大嫌いな兄と、控えめな母。金銭的に不自由することはなくても、昔から仲は良くなかった。兄が母親側につくことが多いから、自然と私は父親側につくことが多かった。思えば父が運転する時は決まって私が助手席で、母が運転する時は兄が助手席だった。たまに外食する時の席も同じ。子どもと妻を置いてすいすい歩く父を懸命に追いかけるのも私だけだった。

から自転車で通える距離にも関わらず、兄は高校進学と同時に寮に入った。そうしたら、私が一人でバランスを取らなければならなくなった。母の更年期と兄の思春期と私の反抗期でだいぶ前から荒れに荒れていた家をどうにか保たなければと、私なりに頑張ったつもりでいた。

自傷行為がやめられなくなった。中学はどうにか卒業した。不登校になった。高校を辞めた。そのあと定時制に入り直した。無事に進学して、普通に就職した。

母親父親も大好きだ。あらゆることに対して感謝してもしきれない。でも、かけられた言葉や取られた態度の中に「絶対に死んでも許さない」というものがいくつかある。

仕方ないことだとはわかってる。親も人間だ。こと母親においては、彼女母親、つまりから見ての祖母によるネグレクトに近い環境で育ったことや、長いこと父親モラハラに耐えてきた鬱憤が溜まっていたんだと。そうだとわかる。でも、中学から高校にかけての数年間、わりと長い間八つ当たりされたことも父親悪口をずっと聞かされたことも父に似ているとあらゆる仕草を詰られたことも私に嫌味を言ってきつくあたることで父親自分の望む振る舞いをさせようとしていたことも、どうしようもなく許せないままでいる。父親になんでもないことのように「なんの努力もしてないくせに」と言われたことも、たぶん一生許せない。

でも一番許せないのはたぶん自分自身だ。なんの努力もしてないのは事実だし、何より生きづらさを環境のせいにするくせに、10代の私は母親父親関係に対して何もしようとしなかった。父に母への態度を改めるように言わなかった。二人にもっと話し合うように薦めなかった。夕食中に口論が始まれば、箸を置いて自室に逃げた。兄のお下がりiPodで二人の怒鳴り声をかき消すようにアジカンを聞いて、ただ震えながら泣いていた。

母とは1ヶ月に一度は会っている。新居の近くには美味しいベトナム料理屋があって、二人でフォーを食べて、母の部屋で少し話して、煙草を吸って帰る。私が部屋に来るたびに母はおやつを用意してくれて、私が泊まりにきた時に困るだろうからドライヤーまで買ってくれた。この前泊まった時は作り置きのおかずを持たせてくれた。

たまに実家にも帰る。置いてきた荷物を取りに帰るたびに、父は車で送ってくれる。足りないものはないかと聞いて、あればホーマックに寄って車に乗っけてくれる。ちゃん自炊してるか、野菜を食べろと言ってくれる。父親母親も大好きだ。嘘じゃない。

HIRAETHという言葉があるらしい。『翻訳できない世界のことば』という本で知った。ウェールズ語で「もう永遠に戻れない場所への郷愁」とう意味だ。それが私にとっての実家だ。母親父親居間にいる時なんか、些細なことで空気が悪くなって口論が始まるから居心地が悪くてたまらなかったのに。

あれが紛れもなく私にとっての実家だったんだと思う。それはもう永遠にない。どこにもない。それが潔くて、ちょっとだけ寂しい。

2024-03-25

anond:20240325184035

人間食事は高過ぎるんだよ…。

外食であっても一食に500円以上とかかけられんわ…。

雨にも負けるし雪にも負ける

雪にも夏の暑さにも負けるし体はひ弱

しかなく、すぐに怒り狂い、いつも下衆い笑顔を浮かべている

1日に冷凍食品底辺向け外食店舗ジャンクフードを大量に貪り食い

あらゆる事を自分が得をするように動き、得をしないならキレたり八つ当たり

よく見ても都合の悪いことはすぐに忘れ、何を言われても理解はせず

どこかの町の実家の子供部屋に住んでいる

東に病気のガキがいたら、「お前の病気は治らないよ」「ほらもう少しで死んじゃうぞ」と絶望煽りに行き

西に疲れた母がいたら「早く死んで遺産よこせよ」と蹴り飛ばし

南に死にそうなのがいたら死前の苦痛や死後の虚無を教えて絶望の中に陥れ

北に喧嘩訴訟があれば対立煽りや燃料投下で事件に発展させる

日照りだろうが気温の低い夏だろうが環境のことは無視してエアコン全開

みんなに「人間のクズ」と呼ばれ、褒められはしないが死を望まれレベルで嫌われる

そういう者が、お前ら増田はてなーだということ

2024-03-24

旅行食事ありがちなこと

一人旅

自分のペースでたくさんの所に行きたいので食事は省略するか提供までが早いチェーン店になりがち

居酒屋レストラン等の外食に一人で行く勇気はないのでホテル近くのコンビニで豪勢な買い物をする

複数人食事

せっかくだからちょっと高くてもおいしい物を食べよう派」と「食費を抑えてイベント事に費用を回したい派」の争いに巻き込まれる(どちらでも問題ない)

夕食はリッチに騒ぎながら楽しむ

年収300万円年収ウン千万円の違いが分かりすぎる

地方都市で士業をしとります。

運が良いのか悪いのかお爺ちゃんが唯一資格者事務所に勤めた結果、孫がいつまで経っても資格が取れないのでなし崩し的に私が後釜に据えられました。雇われが良かったのに…

法人化して代表社員ってやつになりました。孫はまだ資格取得のために勉強中なので早く資格取って社員に名を連ねてくれ。責任デカすぎる。

それで年収がウン千万円になったんですけど、日ごろ顧問先に個人法人の境目はしっかりつけやがれ、と指導している手前もありますが、事務所勤務歴の浅い私が節税範囲内としても法人への付け替えをすると反発を招くので給与だけしか頂いておりません。ウン千万円なんで充分なんですけどね。

高い給与に対して有無を言わさないために顧問先増やしまくってるのでセーフ。顧問先増やしても職員に投げればいいのは代表社員特権ですな。

で、その給与を何に使ったかと言うとまず家。やれ資産価値だの導線だの断熱性などとしゃらくせぇ事は知らん。ワンダデバイスという趣味全開の家を購入。詳しくは検索してね。収納ほとんど無い状態で買ったから毎週末diyで忙しかったけど、楽しめる範囲で自宅を作り上げるのは楽しかったよ。子どもが産まれた今はデッキブランコ付けたり、庭にガビオンファイヤーピット(自慢)作って焚き火して遊んでるよ。

こんな家を建てようとしたのも資産価値やらを考えなくていい年収ってのはある。年取ったら街中に賃貸で住むことを計画している。

ギリギリ住宅ローンを組む必要もなかったけど、文無しはさすがに不安だったので組むことにした。住宅ローン控除は所得により適用対象外だけどな。クソが。

次に車。職員の時からデカい車が好きだった。ただお金には限りがあるからエクストレイルに乗っていたけど、今は年収によりそんなリミッターは解除されているので思い切って燃費クソ、小回りもクソ、評判もクソのフォードラプターを買った。こんな自分以外に満足している人がいない車を購入できるのも生活に余裕があるから奥さんの不満も好きな車を買わせることで回避できるしね。なお、ボルボのXC90を買ったのでデカい車2台持ちで不便している模様。

お次は服。学生時代から好きだったけどお値段的に購入が難しかったエンジニアドガメンツを気軽に買えるようになった。ハイブランドには興味がない。

最後食事。お高いフレンチイタリアンは性に合わなかったが、地方都市にしては比較的お高い単価1万円ほどの和食屋さんに月2回ほど通っている。

このお店で本格的な出汁ってほんだし全然違うじゃん!と知った。もっと通いたいが子ども大人しくできないので、夫婦休みを合わせたり親に預けたりしてようやく行けてるのでね…。

共働きなので外食惣菜に頼ることもあって年収が高くなければ外食に月10万以上出せないよね。

好きな時に好きなものを好きなだけという今の生活年収ありきなので年収の違いが分からん人の気持ちは分かりません。すまんな。

anond:20240324121524

すげえ充実してるみたいだけど何が不満なんだ?

もっと外食したいとかお取り寄せしたいってことか?

2024-03-23

インフレ外食のクオリチーが暴落しちょる…

値段上げるのはいいが、ついでに質や量を下げるのヤメレ

anond:20240323100750

これはマジで勘違いから改めてもろて

キミが街でヒャッハーにぶん殴られず、買い物や外食や各種サービスが使えるのも、

下記が当たり前ではないからだ

高尚な人間は知らないが、普通の人はやっぱり他人いじめたい訳よ

 

なお、いじめるのも、いじめ傍観するのも、少数派の自覚を持って生きて欲しい

2024-03-22

本格的に死にたい

いよいよ人生でやれることなくなった。

死にたい

 

4年前に知り合った彼氏がいる。

当時彼は既婚者であったが、わたしに惚れているのは周りから見ても明らかだった。

飲み会の帰り道で「好きだ」と告白された時、わたしは、「気持ちは嬉しいけど、わたし不倫とかできるタイプではなくて。既婚者の方はごめんなさい」とお断りした。

 

その半年後、彼は離婚して、もう一度告白してきた。

「待たせてごめんなさい。大好きなんです。僕は君と一緒になりたい」

あの時の彼の顔をよく覚えてる。待ってないです、でも、ありがとう努力に免じて、交際関係を受け入れた。

「でも、わたし、君を悪くいうわけじゃないけど、バツイチ恋人が務まるほど、器が大きくないかもしれない」

大丈夫!君に嫌な思いはさせないし、大事にするし、幸せにする。不安や不満があったら、必ず言ってね。受け止める」

それからは、絵に描いたように幸せ恋人ライフ

彼はわたしお姫様か何かのように大切にしてくれた。

離婚したばかりで今すぐは無理だけど、かならず一緒になろう。世界中が敵になっても、俺は君だけを愛してるから

そう言ってわたしを大切にするピュアな彼に、わたしも次第に夢中になった。

 

彼にプロポーズされウキウキのワクワクでご両親にご挨拶に伺ったら、元嫁に親権を委ねた彼の親から、「新しい嫁がきたら孫に会わせてもらえなくなる」と結婚に反対されたのが2年前。

当時わたし妊娠していた。

彼氏は、「まだ早かったかもしれない。両親の説得にはまだ時間がかかる。でも、いつかかならず一緒になろう。だから赤ちゃんはいまはおろそう。」そう言ってくれたので、わたしはまんまと信じた。

 

彼が前妻と建てた家で同棲し始めたのもその頃。

 

この家に住み始めた頃に、ベッドが処分されていないのを見てイヤな気持ちになった。

当然のようにそこに寝るよう進める彼に、「さすがに、ちょっと」と断ると、彼はあからさまにイラついた。

「お前の家のベッドだって、他の男と寝てきたベッドだろう」

「それはそうだけど、「わたしのベッド」に他の男も寝たことがあるのと、「あなたと前妻のベッド」にわたしが寝るのは、心持ちがちがうじゃない?」

わかってもらえなかった。

でも、イヤという気持ちは汲んでくれて、和室に布団を敷いて、寝ることにした。

 

彼は、最初、「この家に住むのも一時的もので、ゆくゆくは手放すよ」と言っていたのに、「ダイニングテーブルお気に入りから、このまま使わせてほしい。ソファは、買い換えようね」と、心を変えた。

 

彼は、最初、「お箸マグカップ買ってきたよ。2人の食器を増やしていこう」と言っていたのに、近頃は「どんぶり?あるのを使おうよ」「ほしいなら勝手に買っていいよ。でも趣味悪いのはやめてね」と、投げやりになった。

 

毎朝どちらかがあかちゃんにあげていた線香は、いつのまにかわたししかやらなくなった。

「親が来るから、少しの間出ていて」

そう言われることがあった。

ご両親には、この家でわたし暮らしていることを言ってはいないんだなぁ。と思った。

「ご両親の説得は進んでいるの?」

と聞いてみたことがあった。彼はイライラした態度で、「お前が首を突っ込むな」と返した。

そのくせ彼は、「あ、親が来る前にトイレキッチン掃除しておいて。だらしない暮らししてるとおもわれたら、めんどうだからさ」とも言った。

 

付き合った頃、「バツイチ恋人が務まるほど、器が大きくない」と言ったのは本当のことで、

最初の誓い通り、不安や不満を伝えることが増えてきた。

でも、彼は変わってしまっていた。

「面倒くさいな。お前、少しは黙れよ」

「気に入らないなら出て行けば?」

バツイチ恋人になるんだから、それくらい覚悟しておけよ」

 

同棲から1年経って、彼はどんどん怠慢になった。

わたし誕生日を祝わなくなった。翌々日に、あ、誕生日だったんだね。と言われた。

彼の誕生日の日は、昼間にラインが1通あった。「今夜は外食から、俺の晩飯いらないからね」

わたしは1人でケーキを食べた。

セックスが雑になった。わたし愛撫することは無くなり、奉仕することばかり求めた。やんわり拒むと勝手に口に突っ込まれた。口に出されることが増えた。「抱きたくはないけど射精はしたい」んだって

 

彼は、横柄と傲慢を増していった。

「お前がいなきゃ離婚しなくて済んだ」

「これ以上俺の人生邪魔をするな」

「お前のためにベッドを捨てたりソファを買い替えたりするような価値は、お前にない」

妊娠したのも、お前の策略だろう。お前が勝手に孕って勝手に堕したんだろ。俺は何も悪くないし関係ない」

「これ以上俺の人生邪魔をするな」

「お前との将来なんて俺は考えていないからな。早く出ていけよ」

 

なにがいけなかったんだろうな。

わたしは彼を愛してきたつもりなんだが。

彼はわたしと一緒になりたかったはずなんだが。

お腹のあの子を殺したのは、彼とわたしとあの子未来のためで、必ず未来でもう一度会うつもりだったから、なのだが。

 

わたしは悲しくなって、先月ついつい、彼のご両親にお手紙をお出しした。

あの時、実は妊娠していたことをお伝えした。

エコー写真検査薬を同封した。

わたしと彼は一緒にはなれないから、せめて彼のお家で、供養してやってください。と。

お二人にそれをお願いすることが、殺してしまたこの子に、私がしてやれる最後ことなんです。と。

 

数日後に彼は実家に呼び出しをくらい、夜中に帰宅した時は鬼の形相だった。

「親に余計なことを吹き込んだな。もうお前なんか死んでしまえ」

そう言って彼は、わたしの顔を殴り、突き飛ばし、馬乗りになって首を絞めた。

 

わたし自分の愚かさに辟易した。

 

あー、わたしはこんな乗り換えクズの虚偽のプロポーズを真に受けて、堕胎までして、お腹を傷つけ、胎児を殺した愚か者だったか。と、遠のく意識の中で思った。

かにわたしは、「困難な離婚をしてまでわたしと付き合いたいというくらいだから、相当の本気だろう」と思っていた。全く違う。

こいつは「結婚本質も知らず軽んじているだけのガキ」というだけだった。

やけに離婚がすんなり行ったのも、今思えばおかしかった。このジジイ事故物件だったのだ。前妻は、このDVモラハラからアッサリ逃げられて、ラッキーとでも思っていたかもしれない。

 

わたしは気絶した。

多分だけど、それで流石に慌てた彼が119番だか110番から通報したみたい。気づいたら救急隊に囲まれてた。布団の上で失禁していた。彼は警察に連れて行かれて、わたし病院検査を受け、問題がなかったので、警察と少し話した後、実家に連れて行かれた。

多分。記憶朦朧としてる。今もはっきりしない。

 

彼と出会った4年前、わたしは29歳だった。

最後の恋だと信じて、かけたけど、大外れだったうえに、取り返しがつかない時間若さを失い、傷をお腹と心に残した。

 

こんな男を信じて、夢だった結婚式も、ドレスも、ハネムーンも、注文住宅も、出産も、家族も、なにもかも、叶うことはなくなった。

 

じゅうぶんにがんばった。

できる限りのことはした。

彼に対し、人生で一番尽くしたし愛したし大事にした。

でもダメだった。

もうやれることがない、

 

なんだか、こんなわたしが、この先誰かを愛しても、愛すれば愛するほど、一緒にいられない気がする。

全力で大切にした今の彼にもこんなふうに粗末に扱われる。

私の価値は本当にないのだなと思う。

こんなわたしが、クズの子供を孕んで堕胎したわたしが、

仮にいつか、他の善良な男性と想いを通わすことができたとしても、愛されて良いわけがない。

そのような権利は私にない。

なんか、もう、死んでいいと思ってる。

首絞められて、意識が落ちる時、全然苦しくなかった。むしろ気持ちよかった。だから死ぬのは怖くないんだ。

わたしのかんはあまりあたらないけど、これが最後の恋だというのはすごく当たってる気がするの。

わたし死ぬからだと思う。

2024-03-21

お袋の誕生日

娘と息子を連れて実家に向かう。

途中でいつもの店でケーキを買う。俺と息子はチーズケーキ、あとシフォンケーキ三つ。

行く途中娘はずっと歌ってる。息子はスマホをいじりながらずっとうるさいと文句言ってる。

息子のスマホはあるが娘はまだ持っていない。

息子にアドバイスする。お前のスマホを渡せば娘はおとなしくなる。

絶対やだー」

40分ぐらいで実家に着く。

妻が用意したプレゼント渡す。瓶詰の花。

息子は早速、家にはない炬燵に潜り込む。

娘は体育館で親父と遊ぶ。

何故かうちには卓球台を置けるくらいの体育館がある。

すぐに昼になり、予約してたファミレスに向かう。

親父は柔らかいご飯しか食べたくないので、外食はここの店と決まってる。

俺と息子、海鮮ちらし天ぷら定食、娘お子様寿司セット、親父刺身定食、お袋焼肉定食

親父がなぜか俺と息子の頼んだ天ぷらをうらやましそうに見てる。次はこれを頼むらしい。

実家に帰ると子供砂場遊び。

俺は昔の自分の部屋でスマホ動画見ながら昼寝。

でもすぐに子供たちがちょっかい出しに来る。

娘と息子が代わる代わる添い寝しようとしてくるから、布団の外に転がす。

3時にケーキたべる。

食べ終わって娘と息子は寝そべる場所を巡って兄弟げんか。

やたらうるさい。

俺はまた自分の部屋に戻ってPS3モーターストーム2で遊ぶ。

晩飯はお袋の作ったカレー

親父はネギ類が一切食べられないので玉ねぎ無しカレー

デザートに親父が買ってきた苺食べて帰宅

子どもが小さい時は毎週行ってた実家も、年に4回ぐらいしか行かなくなった。

anond:20240321115219

結婚を諦めた言い訳はいつも収入が少ないからなんだよね

でもその人達日記をみてると毎週のようにリリイベ行ったり撮影会に行ったりガジェット買ったり外食したりで無駄遣いばかりしてる

結局人付き合いが出来ないだけなんじゃないか

anond:20240320215302

母親一人暮らしなので週に何度か行くといつもどっさり洗い物があって一人暮らしなのになんでやろ?と思ってたけど自炊だとそうなるのね

俺は基本外食からあんまりそうはなってない

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