はてなキーワード: 享楽的とは
幼稚園の頃から異性の体に興味がつきず、女性としては性欲がかなり強い方だと思う
加えて思春期にサブカルに染まって、享楽的な考え方もしたけど貧乳でブスなので別に性経験は豊富にならなかったが、特殊性癖で繋がった相手と意気投合して20代前半で結婚した
結婚して数年、鈴木いづみの「女は娼婦になれなかったらあとは母親になるしかない」という言葉を真に受けて子供を意識するようになったけど、なかなかできないのでクリニックへ
どうやら不妊らしい
自分の子宮に不具があるとわかったとたん、あんなに楽しかったセックスがまったく楽しくなくなった
性行為の主体たる自分に欲情できなくなってしまったというか、結局この中出しは自分が受け止める分にはほぼ意味がないと思うとそれはセックスじゃないのではないか?とさえ思えてくる
旦那は私のフェラ手コキが好きなので(これを誰にも渡したくないから結婚したとまで言う)このような不具のある私とも手コキという形で性的な交わりは変わらず持ってくれる
が、私自身としては今まで日々の楽しみの一つだったセックスやオナニーが思うようにうまくいかなくなり、虚しさに飲まれそうになる
最近初潮前という設定のエロ漫画なら自分を重ねられるかも?と思って試したらまあまあだったけど、終わった後に激しい自己嫌悪に苛まれた
世の不妊ルポは赤ちゃん、ベビ、タイミング、葉酸などの柔らかなワードで溢れており、不妊女性の精神的EDやコミックLOでオナニーするといいかもよなんてことは一切書かれていないのでここに書く
クソマンコさんはセックスに簡単にありつけてしかも結婚までしやがって勝ち組のくせに知らんがなという人は好きなAV女優が不妊を公表してたとして欲情出来るかどうかを教えてください
『サン・ジュニペロ』はネットフリックスにあるブラックミラーっていうSF連作ドラマの一編なんだけど、終わり方というかラストシーンがマジですごい。
以下巨大ネタバレ
主人公はシャイな女の子ヨーキーと陽気な女の子ケリーの2人組。ディスコで出会った2人は(同性)恋愛関係になるが、価値観の相違からすれ違いが…っていうようなストーリーが展開するんだけど、中盤で舞台がデジタルの世界だったことが判明する。
シャイなヨーキーは自動車事故で植物状態になった婆さんで、陽気なケリーは夫と死別して終末ケアの老人ホームで過ごす婆さん。
どうせ植物状態だし、もう死んで肉体を捨ててバーチャル世界に移住するぞ!と思ってるヨーキーVSバーチャルな「天国」に行くことなく死んだ娘と夫に殉じてオールドスタイルの死を望むケリーっていう対立軸で、2人の感情のぶつかりあいでストーリーは最高潮を迎え……ないんですよね。
なんでかっていうとラストシーンがそれまでの話のドラマ性を1万倍とかにしたものをワンカットでぶち込んでくるからだ。
エンドロールでは、結局夫や娘に(すぐに)殉じることはせずバーチャルな天国に行くことを選択したケリーがヨーキーと一緒にサン・ジュニペロの享楽的な街ではしゃぎ回る様子が映し出される。バックに流れるテーマソングは"The Heaven is a Place on Earth”、「天国は地上にある」ってのはなかなか内容とあった選曲ですね、と思ってるところで、サン・ジュニペロ、地上の天国を提供しているテック企業の様子が突然出てくる。
豆粒くらいの大きさの、表面が明滅するチップを機械が運んでいる。このチップこそがバーチャル世界への移住の要で、これをこめかみにつけた状態で死ぬことで意識がチップに移動するという寸法。運ばれているのは他ならぬケリーとヨーキーのチップだ。
ロボットアームが2人のチップを”San Junipero”と書かれたラックにはめ込む。チップの表面で明滅する光は、電子の天国ではしゃいでいる2人の表情にも重なって見える。
指先くらいの大きさの電子機器に閉じ込められて、偽物の「天国」で暮らすのか、ゾッとしないけどまあそれも幸せなのかな?というような思考が渦巻く。
そこでカメラがグッと引くんですよ!
そしたらね、もうバカみてえな数のチップがあんの。1万とか2万とか、そういう数この部屋にあって、たぶん他所にもっともっとあるんだろうと思わされる。そして全部チカチカ光っててさ、もうどれがケリーとヨーキーかなんか分かんねえわけ。
そこで"The Heaven is a Place on Earth”ですよ。サンジュニペロは天国みたい、ええとこよ〜ってくらいの温度感で受け止めてた歌が、ここで一気にまた違う意味に聞こえてくるわけだ。
人類はテクノロジーを使って天国をこの世に築いてやったぞ、ここが俺たちの天国だ、文句あっか!そういう、生命賛歌であり人類賛歌であり、不気味とかいう矮小な感想は瞬間的に吹き飛ばされる。
サーバールームの点滅なんていう無機質なものの代表みたいなものが、これまでのエピソードによって圧倒的な生命賛歌に見えちゃうわけですよ。
俺は生命賛歌なんて嫌いなんだけど、あのワンカットを見たときはちょっと涙ぐんでしまった。そういうパワーがあるんだよな。
1のドラマを60分くらいにわたって見せた後、ラストのワンカットでハイ×10000でーす!お前らがここまで観てきたものと同じものが何万とここにありまーす!っていうのをぶっ込んで終わる。そんなんアリか?
マジで凄いと思うんですよね。
https://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2020/10/01/222627
まあ書かれているイライラポイントにはほとんど納得するんだけれども、
ドラえもんが「科学的には正しい部分を提供する」漫画だったことなんて全然なくて
タイムパラドックスめちゃくちゃ起こすし
イヌの国は作るし
科学的にやっちゃいけないこといっぱいやってるんだけど、
ドラえもん(をはじめとする藤子Fまんが)の素晴らしいところは
宇宙のスケールや分子のスケールを六畳間に持ってくるところだと思う。
それは、登場するのが魔法じゃなくて未来の道具(キテレツなら過去の発明)
だからというのもあるだろうけど、単に現実にないものをポンと出すんじゃなくて
現実世界の科学法則を少し変えたらどうなる?日常にどんな変化が起きる?という感じで
その舞台に乗っかったら、主にのび太やジャイアンが調子に乗って舞台をめちゃくちゃにして
そういう意味では、「科学的には正しい部分を提供する」どころか
「科学的な正しさをぶっ壊す」のがドラえもんの面白さであって、
「恐竜が進化して空を飛んで現在の鳥になった」のような「ただの正しい科学」は
ドラえもんのお話の1ページ目、出木杉くんがしゃべって終わる程度のネタでしかないはずで
それを映画ドラえもんのストーリーの根幹に持ってきちゃう企画自体が
もう致命的にズレていたんじゃなかろうか。
ちなみに書かれている通りだとするとキューは生まれたときから普通には飛べず
羽ばたきをしようとしていたという点で突然変異した種のようだから
「努力で羽ばたきを獲得した」ように受け取るのは作劇手法に騙されてるように思う。
あと「今までのドラえもんでは、そういうラスボスっていうのはいなくって」ってのも違くて、
ドラえもんの、特に映画原作には、ドラえもんの道具が創り出す日常が非日常になる舞台に
わかりやすい悪党が出てきてわかりやすく倒されるわかりやすい勧善懲悪ストーリーがあって
最後にその舞台と、出会った友だちにお別れをして日常に戻るというのがドラえもん映画のお約束で
だから本来今回のお話なら、ケツァルコアトルスは時空犯罪者か恐竜ハンターに操られていて
そいつらをぶっ倒して気持ちよく現代に帰るはずだと思うんだけども、
それじゃ「のび太の恐竜」と同じやんけっていうのとは別で
ドラえもんの、というか昭和時代の創作物を現代で作るときに難しいのが
ドストレートな勧善懲悪が作りにくくなってしまったという点で、
悪人にも悪人なりの矜持とかバックグラウンドみたいなものが要求されてしまって
なんか敵対してくる怪異のような、現象のような扱いにされてしまったんじゃないかな。
いやまあ映画見てないんだけど。
とても胸に刺さったので、僭越ながら、応援の気持ちをこめて……
「友人に相談したら変われるだろうか」と書いているけど、たぶん、それだけじゃ変わらないと思います。
全体に垣間見える、刹那的・享楽的な性質、衝動性の高さは、誰かに話すだけで落ち着く類のものではないように見えます。「その時は楽しいのに、後で振り返ると恥ずかしくて死にたくなる」ということは、何らかの脳直ぶっぱブーストというか、瞬間発走型の行動をしているはずで、瞬間的な判断が長期的に見れば決定的に間違っている、という状況なので、「行動を起こす前に一瞬だけでもブレーキを踏む」という新たなくせを身につけなければなりません。
もしTwitterで「推しのツイートを見た瞬間にらぶりつする」とかやってたら、そういうのをやめることができるか、というようなことです。もし元増田が「推しのツイートを見た瞬間にらぶりつする」人だったとしたら――おそらくそうだろうと私は推測していますが――、元増田はまさに「考えてから行動する」ということすらできていないので、その点の訓練が要ると思いますね。
ぶっちゃけ、すべてにおいてそれです。考えてから服やアクセを選び、考えてからメイクし、考えてからお金を使い、考えてから話し、考えてからツイートをする。「夜になってじたばたする」ということは、考えることさえできれば自分がやっちまったことはわかるのですから、元増田の悩みの発端は「行動の前に考えることができない」に尽きます。訓練です、訓練。元増田は、友人たちが知ってる何かをまだ知らないんじゃない。だから、相談し、何かを教えてもらう程度ですぐ変わったりはきっとしません。行動が衝動的なことに大きな原因があります。訓練、訓練、訓練。
補足しておくと、人間は思った以上に、思考しないで行動しているのがデフォです。身体がトイレに行きたくなってから「トイレに行きたい」と思い浮かべるし、空腹感は「おなかすいた」という言葉よりも先にあるものです。だからこそ、「考えてから行動する」のは実は自然なことではない。身体が、指が、口が、本能的に動こうとするのを思考によって一時停止し、補正してから行動に移すことでようやく、人は社会的な振る舞い、長期的に見て自分に益な振る舞いをすることができるようになるのだと思います。
さしあたっては、何か思い立って、心が動き、何かをやろうと思った時、すべての行動の前に「本当に?」ってつけてみることを薦めます。
おやつ食べよう――本当に? グッズ買おう――本当に? らぶりつ――本当に? 興奮して下ネタをツイート――本当に?
否定的な疑問を投げかけるためではなく、単に確認のステップを挟むための問いかけなので、おやつ食べていいし、グッズ買っていいし、らぶりつしていいし、下ネタツイートしていいんです。ただ、とにかく「行動の前に確認する思考を挟む」くせをつけるのが火急だと思います。そして、いったん立ち止まるくせがついてしまうと、おそらくおやつが減りますし、買うグッズが減りますし、らぶりつ……は減らないかもしれないけど、下ネタはたぶん減ります。
今の自分と、この先たどり着きたい自分のズレにはもう気づいているだろうから、そのギャップを埋めるためにも、自分の衝動を一瞬だけでも緩めるテクニックをぜひ身につけてください。とにかく、あらゆる脳直をやめる。自分の速度を落とす。これがファーストステップです。
首尾よくいって、すべての行動にブレーキを挟むくせをつけることができたら、今度は毎度毎度立ち止まって考えるのがまだるっこしくなってくるはずなので、次は「必要な時にはブレーキを挟めるようにする/たまには脳直行動に走る自分を許容する」という制御を目指すんですけど…… この「適宜ブレーキを踏む」は、あくまでセカンドステップだと考えたほうがよいでしょう。特にエネルギッシュで衝動性が強いタイプは、最初からは目指さないほうがいいと思いますね。全行動にブレーキを踏むことができたあとに考えればいいと思います。
ま、でも、大好きなものに夢中になり、判断力が鈍るのを感じながらもスパーン!と札束を叩いて大満足のグッズを入手することって、やっぱりとんでもなく楽しいことですよね。衝動を感じ、身を任せて突き進む元増田のスタイルは、門外漢の私から見ても正直眩しく、うらやましいです。なんでもかんでもブレーキ踏んでりゃ偉いってもんではないと思いますよ、ほんとに。ブレーキを挟むことに慣れたあとには、ブレーキをあえて踏まないこともできるようになりたいですね。
長く付き合い続けている友人がいて、Twitterでも多くの友人たちと盛り上がり、推しを全力で応援し、同人のコミュニティにも参加し、友人たちのメイクやファッションのきれいさにも気づける元増田は、きっとコミュニケーション能力が高く、エネルギッシュで、ファッションを分析する美的センスもあり、記憶力もあって文章も書ける、素敵な人なんだと思います。
もちろん、自分と違う意見を持っていた、ということでそれに論駁するのは健全だと思う。しかし
「政治的発言なんかするな」って言ってる連中は、彼らが自分のための快楽製造機か何かだと思っているんだろうか
なんなら、我々を楽しませている作品は、多くの場合において、その作家が人生において得た知性や価値観を総動員し、必要な関係各所に取材し、テーマなども綿密に考慮して描かれている
よっぽどの天才でもない限り創作活動とは痛みを伴うものだ。文句を言う連中が何も考えずに消費しているかもしれないその作品は、実はとんでもない知的生産行為の元に生み出されたものだ
文句を言う連中よりも遥かに社会について勉強したことのある彼らが、社会についてなにか言ったときに「政治的発言するなんて」と失望するのは、そいつらが何も考えずに享楽的に作品を消費し続けてきたことの証左にすぎない
驚くほど当てはまるから。
まわりに年収一億超えの友達がいない人にとっては所詮、身も蓋もない話し。
→具体的事象に惑わされず、抽象的に考えて正しい方向に意思決定をする。世の中の原理原則に乗っ取って考える。
→最終的に全ては人に集約される(と思う)。人を無条件に信頼する(信用とはまた別)。絶対に人を裏切らない。人を第一に考える。
→享楽的な欲求を追い求めても満たされる事はない。もっと高次な欲求を満たす事に努める。(ちなみに、この前読んだ本に、承認欲求を満たす事も享楽的だというような事が書いてあって、なるほどなと思った)
→人は当たり前と思う事しか続かない。高みを目指そうと思うのであれば、無理をして頑張るのではなく、当たり前の基準をあげる。
→どんな投資よりも自分の能力や知識への投資に勝るものはない。自分への投資は常にし続ける。
→人って何のために生きているんだろう?という問いに対しての回答は、ソクラテスの「よく生きる」が一番しっくりくる。ただ生きるんじゃなくて、「よく生きる」。少し言い換えると、「かっこよく生きる」。自分なりにかっこよく生きる方法というのはつねに探し続けたい。
→恩は必ず返す。(「よく生きる」ために大事な事)
→人は物事にA=Bという感じでラベルを貼ってしまうと、思考が停止してしまう。ラベルは簡単に張らないように注意する。(ラベルを張らないと人は気持ち悪い。でもその状態が続く事で思考は先に進む事ができる)常に全てのラベルを疑うようにする。常識を疑う。特に人に対してのラベルは要注意(自分に対してのラベル付けも)
→たとえ、どんなにつらい事があっても、それを楽しいと思えるマインドがあればその物事は楽しいものに変わる。全ては自分の気持ち次第。そうであれば、全てを楽しくおもしろく考える。
→何事も入り口と出口が大事な事が多い。特にビジネスモデルを考える時は、入り口と出口はきちんと抑える。
→ビジネスを考える時は、トレードオフの関係にあるものをいかに打破するかを考える。トレードオフを破ってこそ価値がある。
→人は何かを捨てることで、何かが手に入る。現状を変えようと思ったら、まずは何かを捨てないといけない。何かを得てから捨てるのではなく、先に捨てる必要がある。捨てる事は怖いし、つらいし、難しい。でも、捨てる勇気を持つ。
→大人になれない病。ずっと子供みたいなバカな事をしていたいし、それで笑っていたい。「うんこ」できゃっきゃとはしゃげる人間でいる。
→過去に捕われた考え方をしないように注意する。常に物事はゼロベースで考える。
→複雑にしない。できる限りシンプルにする。
→チャンスだと思えば、全力で突っ込む。過去に何度か資金がショートするぎりぎりの賭けをしてきて勝ってきた。これからもその意気込みを忘れない。(カジノではいつもオールベットをして負ける)
→そう考えた方が、人生がより素敵になる。
こういうハマり方が正直羨ましい。
23~24くらいの頃に最初の会社辞めて引きこもってUOに1年以上ドハマリしてた時期があったけど
記憶に残ってるのはPKが出て右往左往したこと、一人で宝の地図掘りまくってたこと、
最後の方は家の腐り待ち専門で、ほぼ不動産屋になってたことくらい。
よく一緒に行動してた人がいるんだけど、UO内で他愛もないUOの会話しかして無くてこれといった思い出もない。
ドハマリしてた割に、なんとなく時間を浪費して遊んでしまった感じがある。
とはいえ間違いなく楽しかったし、例えば代わりに勉強すべきだったとかは微塵も思わないけど。
腕は下の中くらいで、上手い人に見えているものが俺には見えていない感じがずっとしていた。
それが間のとり方なのか、駆け引きなのか、攻め方なのか、未だにわからない。
でもそれを考えることが楽しいと思えない。
つまり自分で言うのも何だけど、享楽的にアホみたいに楽しむのが楽しいんだな俺は。
趣味をして「人生や生活にフィードバックできるか」なんて問いはナンセンス極まりないとは思うんだけど、
我ながら、自分の楽しみ方/スタンスが、あまりにあんまりだよなぁと思うことはたまにある。
その意味で、精神バランス?的に、今は趣味のプログラムが一番楽しい。なんかいいことしてる気がするからね。
だからこういうエンタメ作品へのハマり方が、ほんとに羨ましい。
俺はそういう楽しみ方が出来ないから。
ぱーっとしたいときに、独りカラオケか、スーパー銭湯でまったりぐらいしか、思いつかない。
サッカー観戦も、したりだけど。負けると辛いし、勝っていても終了のホイッスルがなるまでの逃げ切りまでの選手の走りが大変そうで、見ててハラハラしちゃう。
風俗もはまっていたけれど、安いマッサージだと変なところを押されて痛めるし。イってスッキリも、なかなかないし、何よりも金が無い....。
家族と楽しく過ごすのが良いのだろうか。それにも、金がいる。
瞑想は、良かったが、スッキリした後でもイライラや妄想止まることはない。
スポーツも、しんどい。その日は良くても、次の日や一週間ぐらい不調になる。
ぐったり、休むのが最適なのかな。
タピオカでも飲むのがいいのかな。
6일
6日目
結局のところ、横にはなったが深く眠ることはできず、1時間ほどウトウトしただけだった。
6日間を通してゆっくり眠れたのは、3日目、光州の夜くらいだったか。
それでも動き回れたのは、緊張だったのか、興奮だったのか。
身体の反応の原因はハッキリとしないが、気持ちとしては概ね楽しく、興味深いことが多かった旅行だった。
4:30
東横INNをチェックアウトして、フロントでタクシーを待たせてもらう。
5:00に配車される予定だった。
4:35
早いなオイ。
まあいいや、チェックイン、出国手続き、税金の還付、再両替など、やることは結構ある。
スーツケースを引いてくれるおじさんの後についていきながら、計3泊お世話になった東横INNを後にした。
「ありがとうございました!」
ホテル越しに行き先はもう知っているようだったが、言葉を理解して反応しているのとは違う印象。
いきなり日本語で朝の挨拶をして来たから油断していたが、おじさんは日本語はできないらしかった。
夜の街をタクシーが滑り出す。
そういえば、今回の旅程に光州を組み込んだのも、映画「タクシー運転手」がきっかけだった。
映画の中でも、運転手を演じたソン・ガンホは満面の笑みでジャーナリストを迎え入れた。
もちろん自分はジャーナリストではないし、映画のように、流血の巷に向かうわけでもない。
ただ、「知りたい」という気持ちでこの国に来たのは同じだ。
光州と釜山の街と人々。
釜山はちょっと汚いがエネルギッシュで、人々は朴訥で享楽的、そしてお節介だ。
それぞれの街に歴史と政治を思い出させるものがあり、日々の生活と人々の交流がある。
「親なんちゃら」とかではなくて、ここでは「政治的」と呼ぼう、韓国の人々は、5.18記念公園やチャガルチ市場を見て過ごしながら、政治的な話と日々の生活との間で揺れながら毎日を送るのだろう。
毎度毎度、似たような結論になってしまうのだが「この国を訪れて良かった」
政治や歴史などの「大きな話」を人の口から聞いたのでは、分からないことがある。
たとえ旅行で表面を撫でただけでも、その地の空気を吸って「感じる」事があるのだ。
「オルマエヨ?」
おじさんがちょっとだけ驚いた顔をした。
おじさんが丁寧に下ろしてくれたスーツケースを受け取って、謝辞を述べた。
「カムサハムニダ!」
長過ぎて読まれない。
でも、まあ自分の記憶整理の側面もあるんで、いっかな、って感じ。
長い旅行記は後でアップするんですが、長過ぎて読まれないので、一応、ヘッドライン的に気づいたポイントを先にアップします。
近いから一回行ってみたほうが良いと思うよ。
ちなみに韓国の整理は自分の中でついたし、出逢う人はおおむね親切(おせっかい)だったし、良い旅行だったけど、なにか強烈に特別な韓国ファンになった訳でもまたない。
次はどこいこっかな。
相方があんだけラブコール送ってんなら終わりも何もねえって感じ
もし、電気グルーヴや石野卓球やらテクノ音楽やらに理解が無いのだとしたら、音楽業界なんて清濁併せ持ったクソの掃き溜めでは多少トンだ事やってようが最高の曲を作れば一生どころか死んでも歴史的に評価され続けるもので
電気グルーヴとか人生だったかを好きな人って刹那的かつ恒久的に「あの時は楽しかったなぁ」を出来る人達だと思うので、ピエール瀧や石野卓球のどちらかが死なない限り彼等を愛し続けるんだと思う
もしかしたら、死んでしまっても、両方一緒に死んでしまっても悲しみに包まれはするけど何かしらのギャグを呟いて電気の曲を聴き続けるんだと
むしろ公共放送なんぞに出て活動が縛られてやりづらくねえかと思うところもしばしばある。
なんつーか、どこぞの誰かが思っているより、公の場で活躍し続けるってのは、ストレスフルで名誉よりも不名誉でその人のやりたい事と合わなければとことん合わずに精神が擦り減っていくものでしょうに。
享楽的な芸風の彼等にとってそうやってわざわざ歯車を合わせに行った業界がそんな自分達に今更ギャースカ言ってるのなんてアホらしくて仕方がないと思う。
正直、謝罪会見の時に「めげるなよ!」とも「にげるなよ!」とも「ウェげるなよ!」とも「ドラゲナイよ!」ともわからない声がかけられた事も彼等にとっては格好の音ネタであり、最高の声援だと思うし。
なにより、他者を傷つけてはいないが社会的には許されない犯罪を犯した人にとって帰ってきても「お前バカだなー!」と言って待っててくれる人が一人でも残っていることはとても心強い事だと感じる訳で
つまり、その時点で終わりでもなんでもなくて、瀧が今回の件て疲れてない限りはまだまだ活動してくれそうだなぁっていう感じ
まぁ、瀧が謝りに行くところは多いと思う。
ねーよ
あれは魔物に操られてそういう性格にされた→元に戻った後もその性格が残った、ってだけだ
具体的にはマルティナの扱い
思い詰める性格なだけで潔癖とかはないぞ
男は汚いとかそんなこと言ってるシーンあったか?
社会の底辺で犯罪者でもある盗賊のカミュにも特に抵抗示してない
仲間のスケベ爺さんがエロ本持ってるだけで怒るのに
王に相応しくないからであり自分の保護者だった実質的父親にたいする娘目線だぞ
あの時代の放浪者や旅芸人というのは世間的なモラルから比べるとめっちゃ破廉恥で正解
そんなこと言ってるやつァごく一部であって殆どは喜んでたぞ
いや他のキャラも同程度に雑だろ
これはさすがについマジレスになるわ
全部のキャラが変だよ
でもドラクエってずっとそうだよ
あの設定だけの幼馴染でプレイヤー視点ではさしたる思い出も思い入れもない女の子と結婚させるのとかやめてほしいわ
あのガバガバゲームでマルティナだけが雑ってお前マジで政治思想のせいでメンタマがゆがみ切ってるよ
それはねえわ
あの人数でもとっちらかってるのにそれは多すぎ
あと過去シリーズも含めてそんな「お色気特化」キャラってほぼいない
そうかあ?
あの爺はキャバクラ好み丸出しのほうをどうにかすべきだろ
おもしれーからいいけどさ
っていうかマルティナがお色気方面に育てるとエロいことしまくるのは
過酷な生い立ちや姫としての自覚のせいでああいうきりっとしたペルソナがあるだけで
内側には享楽的で堕落的なドSねーちゃんみたいな別の側面があるのだと
なんていうか女性差別がどうのこうのって言う奴って
大概こういう風に物の見方が貧しくて浅いんだよな
なんかすごい刃物を手に入れたみたいにいろんなものをその角度で斬ってあーだこーだ言ってる感じ
頭悪くない人は作品を楽しむ上で
そういう頭悪いリベラルの何十倍もいろんな角度やいろんな考察・妄想で作品をしゃぶってるのにさ
頭悪いと全部同じなまくら刃物で同じ切り方で調理して同じようなけしから無さを発見してそれで終わり
脳が貧しいのよ要するに