はてなキーワード: miXiとは
続いては、いわゆる即席のインターネット上の出会いではない、ソーシャルネットワーク的なコミュニティーを利用した話である。
mixiであり、Twitterであり、ニコニコ生放送であり、オンラインゲームである。
いわゆる「コミュニケーションを前提としたコミュニティー」である。
はっきり言わせてもらうが、これが一番出会える可能性が高い。
現に4人の女性と出会い、うち1人とはお付き合いする関係にもなった。
もちろんその後振られてしまったのだが。だからこの記事を書いている。
出会いやすい背景として、やはり相手のバックグラウンドが多少なりと見えることだ。
mixiやTwitterといったソーシャルネットワークは、そこのベースにしてネット上での基板を作ることになる。
つまりその人が何に興味を持っていて、どんな趣味で、どういう人間なのか、文字情報だけであるが把握することができる。
前者2つとは違い、互いに意識することなく、理解していけるのだ。
その事による安心感と、共感覚が出会いにつながると言えるのだろう。
ネット上でコミュニケーションを取る。そして運が良ければオフ会に発展し、運が良ければ付き合うことになるのである。
その点前者2つは「女性自身が出会いを求めている」ので非常に手っ取り早いわけだ。
この記事を書いている理由は、より効率よく出会うためにの方法であり、その点比較すると非常にコストがかかるわけだ。
半年かけて出会える関係を作れたところで、いざ会ってみた所でタイプではなかったり、波長が合わない可能性もある。
そして私が振られた理由は、性格が合わないということだ。
結びとして示させてもらうなら
http://anond.hatelabo.jp/20111009231144
Aセクだからその書き込みの人はちょっと違うような気がしたが、同棲していて、彼女の方がしたくなくなって、しなくなったら、彼氏がなんとなくイライラしたり
一緒に頑張ろう!と言われるけど、一体何を頑張るの?という気になる、という彼女からの相談
この増田さんの、どうすれば、は私はどうすれば、なんだろうけど、色んな意味を含んでるのではないだろうか?
私の態度をどうすれば?
彼との付き合いをどうすれば?
付き合い続ける or 別れる
彼女側の態度を何とかしてもどうにかなるものでもないのではないかと思うので、付き合い続けるか、別れるか 誰かに後押しして貰いたかったのではないかと思ってしまいました。
mixiの相談のようなのなら割と一般的な気がするけど、増田さんのはよくわからないので何とも言いようが無いのではないでしょうか?
結婚してからも男性側の問題でできないけど、妻には理解があり、同じようにガンダムオタなので、ガンダムに例えて話したりする事も書いていた人の話を見た事があるので、検索して出そうとしましたが見つからず代わりにこのようなのが、たくさんヒットしました。
http://hatsugen.zakzak.co.jp/qa6530764.html 元はこれですが、ものすごく転載されてます。
24歳既婚女性です。主人は30歳です。3年のお付き合いの後に結婚し、現在9ヶ月経ちました。
ガンダムの人のは男性側からの話で、相談というものでもなかったです。妻に悪いと悩むもののそれなりに幸せそうでした。
ここのブクマ、ツイートも多いですが、こういう書き込み内容はすごく転載されるのは、なぜでしょう?不思議です。下世話な好奇心プラス何かがあるんでしょうね。知的好奇心とか医学的興味?とか または知的興味や医学的?科学的視線も送れない事もない事だから、そのせいにして下世話な興味を満たしているのでしょうか?よくわかりません。
結婚だけなら、ブスでもできるよ。
最近mixiやfacebookで同級生と繋がりが復活したけど、女はほとんど既婚。
まさかあの子が?なんて驚くようなとても容姿が良かったとはいえない子も既婚。
逆に男は独身が多い。まだそういう年齢なのかもしれないけど、こいつらも俺と同じでずっと結婚できないんじゃないかと思ってる。
女はブスでも結婚できるよ。
でもそれじゃあ、あなたは満足しないのね。
家族みんながブサイクだったならきっとそんな風には思わなかったんだろうが、不幸にも母親も弟も顔がいいわけだ。
気が済むようにすればいいと思う。
でもひとつだけ言っておこう。
早すぎる一般化は危険だ。
あとで意味を解説するが、そのことを踏まえた上でぼくは仮説を立てよう。
「ぼくは人が好きなわけではないかもしれない」という仮説だ。
ぼくは坂本龍一の書いたDNA/Introという曲が気に入っていて、見つけたその時からほとんど毎日この曲を聴いている。半年の間ずっと。
いつも飽きっぽいぼくがたった11分ほどの一曲をそうまでして愛でるようになったのは、これまでの人生史上かつてないことだった。
耳から入ってくるそのふるえこそが、ぼくにとっての音楽のほぼ100%を占めていて、それ以外の情報は瑣末なものとしてしか扱っていなかった。
みんな誰もが知っているであろうクラシックの名曲、古典と言われる振動。
あなたがそれに感心があるのならおそらく作曲者の名前や曲名は知ってるだろう。
ベートーヴェンの交響曲第九番とか、ラヴェルの水の戯れとか、エリック・サティのグノシエンヌとか、バッハの小フーガト短調とか。
熱心な人なら作曲者の略歴とかその曲がなにを表さんとしているかとかいつ書かれた曲であるとかどこで生まれた曲であるとかいうことも知っているかもしれない。
そして繰り返しになるが、ぼくにとってはそういう情報はどうでもいい。
坂本龍一がどういう人で、いつ書かれた曲で、表題はどういう意味で、どんな思想的意図があったかもどうでもいい。
「この曲はべつに坂本龍一が書かなくてもよかった」
誰が書いていてもぼくはこの曲を聴いていたのだろう。ぼくが坂本龍一という作曲者と曲名を知っているのは、それを知らないと探せなかったからだ。
同じふるえであるならぜんぜん別の作曲者にぜんぜん別の曲名でもよかった。
さっきの話は別にクラシック愛好家だけに適用される事柄ではない。
あなたのプロフィールには「好きな音楽」になにが書かれていますか?
KARA、サカナクション、凛として時雨、アーバンギャルド、ヒャダイン、Dragon Ash、ELLEGARDEN、Chris Brown、Jagged Edge、Alton Elis、Peter Tosh、Mondo Grosso、安室奈美恵、宇多田ヒカル、鬼束ちひろ、東京事変、菅野よう子、サンホラ、レッチリ…
あなたは好きなその「人」をどこまで知っているんだろう。
ぼくには好きな「曲」はたくさんあるけど、好きな「人」は別にいない。
理解できないのだ。
その人のアルバムなら全部持っているとか、ライブは年に一回は必ず観に行くとか、その人の曲なら全部好きだとかいう感覚が。
ぼくが好きなのはその人のヴィジュアルではない。その人の話し方や考え方ではない。その人のダンスではない。その人の美貌ではない。
そしてこのことは何も音楽に限ったことではない。芸術なら全部そうだ。
ぼくが好きな絵は「雨・蒸気・速度」であって、ターナーではない。
ターナーのことなんて1mmも知らん。
映画だって監督や役者が好きなのではない。その映像が好きなのだ。
AVだってその女優が好きなのではない。そのプレイやシチュエーションや映像自体が好きなのだ。
飽くまで作品が好きなのであって、人はいつだって二の次だ。ぼくにとっては。
ずっと前から「芸能人でだれが好き?」という類の質問に疑問を持っている。
当然のごとく誰もいない。
なんでだろう。
なんでみんなそんなに人間に興味を持てるのだろう。
ぼくみたいな人が他にいるんだろうか?
そんなことどうでもいいとは思いつつも、ことあるごとに「好きなバンドは?」とか聞かれれるといつも虚無感に襲われる。
ほら、面接でも聞かれるでしょう、「尊敬する人は誰ですか?」って。なんのことだかさっぱりだ。
ぼくのことをよく知っている人には、ぼくが人に興味がないのをとっくに見透かされていて、それでぼくは「自分に一番興味がある」ということにしている。
実際はたぶんそれも違う。相対的に見ると自分が一番大事であるというだけだ。そんなのは誰にとっても当たり前の話だ。自分の命より他人の命が大事だと心の底から思っている人はそんなに多くはないと思う。
ぼくが立てようとしている仮説はいま書いた事実から憶測したものだ。
人に興味が持てないという事実が、音楽や絵なんかのアーティストとか、芸能人とか、そのレベルに留まっていたなら別に問題はない。
そんなもんは人が好きであろうが、作品とか活動だけが好きであろうがどっちでもいい。
問題は、この事実が友情や恋愛にまで及んでいるかもしれないということだ。
前のmixi日記に書いたことを自分で読み返して検証してみた。
日記にはこう書いてある。
『もしぼくに彼女がいたら彼女のことをたくさん知りたいと思います。たくさん話したいと思います。
彼女の好きなこと、嫌いなこと、毎日欠かさないこと、これだけは譲れないもの、どうでもいいとおもってること、無意識にしてしまうこと…(続く)』
ぼくは特定の誰かと付き合いたいのではない。
たぶんそういう「付き合い方」に憧れているのであって、相手はぶっちゃけだれだっていいのだ。
友だちだってそうかもしれない。
その人ではなくて、友だちとしてのあり方が心地よいのであって、それが実現するのなら誰でもいいのかもしれない。
でも慎重に考えたほうがいい。
アーティストや芸能人が好きになれないからといって、友情や恋愛においても人が好きになれないとは限らない。
AがCなんだから、Aとよく似たBもCなんだろうと決め付けるのは早すぎてはいけない。そういうのを早すぎる一般化というらしい。
簡単に言うと人間はわりと自己暗示にかかりやすくて、「自分はどうしようもない人間だ」と思っていると、ほんとにそういう人間に近づいていく…こともあるらしいということだ。
人を好きになることができないわけではないと思う。
少なくとも元カノのことは好きだった。これ以上ないくらい愛していたと思う。
その元カノのことだって付き合う前は別に好きでもなんでもなかった。
基本的に恋仲になる相手は誰でもいい。動機はない。
良く言えば付き合ってみないと好きかどうかわからないのだし、「どんな人がタイプなの?」という質問には「好きな人がタイプ」ということだ。そうとしか言えないんだけどね。
これが正直な気持ち。
思うのは、ぼくは付き合いさえすれば誰でも好きになれそうだということだ。
いや、高確率で好きになるはずだ。というか「人が嫌い」という感覚を今まで味わったことがないし、これからも味わうことはないと思う。急に人が嫌いになったりすることなんてないと思う。
で、それは好きって言っていいの?
誰でも好きになるかもしれんのに?
「嫌いじゃない」ってだけじゃないの?
だって、ぼくはもしかしたら彼女という人が好きなんじゃなくて、彼女とのやりとりが好きなだけかもしれないから。
友だちだって、友だちとのやりとりだけが好きなのかもしれない。
誰でもいいから付きあいたいと言って、それにYESという人は存在するの?
そういう自分の正直な気持ちを知っているから、なおさら恋人が欲しいなどとは言えない。
恋人がいたその時々で、その人が自分にとっての100%だった。
でもその理由は、「まさにその人だったから」ではないような気がする。
さっき言葉は自分を縛ると言ってたけど、ぼくはもう随分前から縛られてる。
ずっと人に興味がないことにほんのささいな劣等感というか罪悪感というものを持っている。
「どんな人がタイプ?」「好きな芸能人は?」「尊敬する人は?」「誰が好き?」という質問を何回も何回もされて、それで正直に「いない」と答えると「えーなんで?」と返ってくる。どうもこの世界では誰かに興味を持ってなきゃいけないようだ。
そりゃあおかしいのは、間違ってるのはきっとぼくのほうだとか思ったりもする。
だからぼくは自分で友だちや恋人を選んだりする権利がないと思ってる。
それが先鋭化して、ヒマであっても誰かを遊びに誘えないまでに至る。
「そんなのは責任を避けたいだけだろう」と罵られても別にいい。
2年ほど彼女がいないという話をするとよく、そのうち好きな人が現れると言われるのだけど、その可能性は限りなく低いと思う。
簡単な話じゃない。異性として好きかどうかだけでなく、ぼくは人間全体にそれほど興味がない。
なんでその状態で急に好きな人が現れるというのか。
付き合わない限り好きな人など現れない。
そしてぼくには「付き合ってください」などと言える資格がない。
どうしようもない。
そのことに悲観視も楽観視もしていない。
俺もリア充の1つ年下のいとこいるが、アカウントはあるけどmixiはほとんどログインしてないね。
リア充の弟がいるが、mixiやGREEやブログなんかは連絡手段や近況報告用としか使ってなくて
(出会った後に連絡先として教えるもの、次や新たな繋ぎを作るためのツール)、
サークル的な活動、友人達との飲み会、フラっと入ったバーとか。
つーかリア充って凄い。
なんであんなに簡単にその辺にいる知らない人にフレンドリーに話しかけられるのか。
mixiは未だにあるみたい。知り合いが出会い厨に引っかかてた。ここ一年ぐらいの話
Twitterはハッシュダグから交流が始めるので趣味ベースで人が繋がりやすい
色々緩い人が多数いるので釣り堀状態
ほかは知らん
一昔前まではmixiが最高の釣り堀として機能してたようだが最近生態系が変容しているような感じなのか??いや自身釣り師じゃないからよく知らんのだけど。かなり最近mixiとか廃れてきてると思うんだがそこにいた彼らは生息域をどこに変えたんだろうか?以下大雑把にサービス別で
・mixi
まじで廃れてる。基本的にみんな3日以上ログインしてない
・グリー、モバゲ
よくわかんない。てかそもそもメールとか超制限してるよね?これで出会いとかに使ってる奴は多いのか??
これに手を出してるって割と一部だよなあ。あと相互フォローしてないと個人的に連絡取れないし不向き。
まさにイノベータ層でしょ?まあ大学生のユーザもどんどん増えてるみたいだが
無理無理。正直男女比が相当男に傾いてるのも事実だろ多分。
・その他のサービス
ヤフーのとか渋谷で宣伝しまくってる某とかな。でもどうなんだろ。まともなの無くてサクラだらけってイメージだわ。
いや単純に疑問だっただけなんだけどね。ほとんど感覚値で書いてるし思うところがあったらコメント頂ければ。基本的には条例等法制度も異性間マッチングに関しては否定的ではあるけれども、正直経済のアップサイドが見込めない中でコミュニティメイキングが人生の満足度を左右する枢要なパラメータになってくるっていうのは宮台はじめ様々な論者の説くところだと思っているんだよね。
まあただこういサービスに頼る時点で所謂恋愛弱者だとも言えるし何とも。ただ最近期間工の人か誰かが忙しすぎて出会いないわー、みたいなスレ立てしてたしまあ忙しくてどうしようもないというのも事実なんだろうなあと思ったんだわ。
結局世の中が求める形に収斂してくんだろうけどね。まあまとまりきりそうにもないのでこの辺で。
まずは、参加できない理由を論ずる前に、
2011年9月現在、ニコニコオーケストラはどういう活動をしているものなのか、
コミュニティー外では知られていないようなので、匿名ではありますが、書きました。
明記されている情報としてのコミュニティー、「ニコニコオーケストラ」については、
下記の様に定義されている
ニコニコオーケストラ(以下ニコオケ)は、ニコニコ動画が好きで、
現状の想定される活動範囲は下記のように記述がある
その他明記されている注意事項としては下記を参照されたい。
みられたくないものであればそれなりの措置が取られるべきものとの認識なので、直リンクを貼っています。)
PDF版:http://www.wanalog.com/nico/01.basicrules.pdf
テキスト版:http://www.wanalog.com/nico/01.basicrules.txt
オフ開催要項
http://www.wanalog.com/nico/02.off.pdf
内部で交流がある(あった)立場から、ニコオケについてまとめてみる
商業行為に結びつくであろう超会議への参加はNGであるという認識が潜在的に存在していると言う事。
これがまず一つ目の問題です。
演奏する楽曲も問題です。元々あるものを演奏するのか?そしてその著作権処理は?
編曲するのか?その編曲は誰がする?
もうひとつとしては、
演奏会を行うに相応しいレベルの演奏が出来るかどうかという問題。
過去行われてきた合奏で、
本番当日に初めて合奏通し練習2回くらい→録音
とやっている状況下で、そこまでのクオリティーを確保できないという見方が大方。
メンバーを固めてスケジュールを調整し、練習をしなくてはならない。
これが団体化することになってしまい、コミュニティーとの立場との乖離が出てしまう。
North American video game crash of 1983 - Wikipedia, the free encyclopedia
アタリショックの真実(1)「それは暴落から始まった」 - 東京のはじっこで愛を叫ぶ
ソーシャルゲームブームがアタリブームに似ている3つの理由 | Generation V
第37回:ソーシャルアプリに“アタリショック”は起こるのか?:日経ビジネスオンライン
急成長続けた米ソーシャルゲーム市場に変調の兆し :日本経済新聞
[ネットワーク外部性][収穫逓増][キャズム][Twitter][Facebook][gree][mixi][DeNA][sns]
ってのは、言うだけ野暮なことなのかな。
ツイッターやブログやmixiで、誰で見られる場所で違法行為を自慢げに書く
(マジコンやワレズ・未成年の喫煙や飲酒・万引き・いじめ・盗撮・その他)
↓
↓
身元が特定される
↓
削除したり開き直ったりする
↓
という流れが、すでに完成されてるのに、まるで雨後のタケノコのようにあいも変わらず
似たペースで量産されているのを見ると、情報リテラシーって何なんだろうね、と思う。
もういろいろな人が指摘していることだけど、『誰でも見られる媒体』である
ツイッターやブログにそういう事を平然と書いておいて、どうして苦情が来ないと
思っているのか、そこのところを聞きたい。いや、煽りじゃなくて、マジで。
あなたが書いてるその場所はチラシの裏なんかじゃない、サーチエンジンによって
不特定多数の人とうっすら繋がっている、っていう自覚がないのだろうか。
・・・たぶん、無いんだろうな。
あと、『書いた内容はネタだから』って言い訳は、警察には通じないぞ。
基本的に、犯罪行為を連想させるような単語は、ウェブには書くべきではない、って事だ。
たとえ職質程度であっても、警察に足止めされた経験のある人なら、あの屈辱的な空気の中で
自分の立場の正当性を主張するのが相当キツい事は、分かってもらえると思う。
ましてや、自分に非のある書き込みの件でしょっ引かれた日には、どうなる事やら・・・
だからこそ、言いたい。
『悪事自慢はするな。マジコンネタは、叩かれるからウェブでは書くな』
と。
GREEが、って書いてないでしょ?
中の人なのでわかるのだが、GREEも多分理解していない。(というかGREEは数値化できるパラメータしか評価しないある意味正しい会社なので、面白さって評価軸はうまく扱えない)外部SAPは理解し始めている。
多分触りたくもないだろうし理解したくもないのだろうが、いろいろ触るとはっきり面白いゲームとつまらないゲームがあって、で、面白いゲームじゃないと人が残らないという至極当たり前の現実がわかるのよ。
一昨年にmixiがOpenSocialを解放してからソーシャルアプリ会社ってのは立ち上がったわけだけど、それから2年、「ゲーム面白くなくても友達づきあいをさせればいいんじゃねぇ?」とか「とにかく宣伝しまくって人一杯入れればゲームの面白さなんていらないよ!」ってところから、「やっぱり面白いゲームじゃないと金もうけしようとしても無理が出てくるんだね…」ってところにたどり着いたところ。
この人なんか良く理解してるよね。
それも、昔ながらの偏見=外国人とか男女差とかに関する偏見でなく、
「昔は正しいと思われていたが、実は悪(嘘)だった!」と
「それを知ってる私ってオトナ~」と思い込んで、
その時点で思考停止していることが多いように思う。
(例)
「官僚は昔はエリートと思われてたけど、実は国を操り利権を貪るだけの悪の存在だったんだよ!」
「現代医学は凄いと思われてたけど、実は根本を治さず対症療法で薬漬けにしてるだけだったんだよ!」
「地球温暖化で大変だと思い込まされていたけど、全部、原発ムラが広めたウソらしいぜ!」
「虫食いのない綺麗な野菜はみんな危険!虫も食わない農薬まみれってことだからね!」
・・・と。
もちろん一部は正しいところもあるが、いささか行き過ぎた決め付けが、今や常識のように思われている。
世の中はそんなに単純じゃない。
「いやいや待て、やっぱり悪(嘘)ではなく正しいかもしれないぞ?」
と2回以上ひっくり返して、ちゃんと反論・肯定論も平等に検証し、
そこまでした上で「やっぱり悪(嘘)だ」と批判するならいいが、そんな人は少ない。
なぜなら、この「新しい偏見」の根本にあるのは、ぶっちゃけ「叩く側に居る快感」にすぎないからだ。
コレが広まった結果、本当はそれほど悪くないものにどんどん理不尽な「絶対悪」のレッテルが貼られている。
ある程度までは「不正の監視」の意味でそういう論があっても良いと思うが、最近のmixiニュースへの日記などを見ていると、既にそういう偏見が大勢を占めていることが多い。