はてなキーワード: 007とは
スーパーマンの息子がゲイ(合ってる?)という設定で新作が出たと聞いて、ふーん世間体狙ってんね、と思った。
その話を聞いた後に007を観たんだけど、ボンドの後釜で007になったのが黒人女性で、いやコッチもかよと思った。
少し前から、日本の管理職に女性を増やそうという動きがあって、実際その割合は増えたんだと思う。
一方で、とにかく増量という発想のせいで管理職の質が一部下がったのも事実らしい。
やっと最近になって、正しく能力のある女性を在るべき位置に置くということが認識され始めたようなので、その辺はまあいいのかなと思う。
この女性管理職の話で思うのは、これまで明らかに虐げられてきた側(女)を対等にするためには、ジャストシュートで立場を同じにするのではなく、オーバーシュートとショートを繰り返していく必要があるんだなということ。
傾いているヤジロベエが何往復かして真っ直ぐになるように、立場の上下も何度か入れ替わりしながら落ち着くんだろう。
ここで元のスーパーマンと007の話に戻るんだが、最近は少しやり過ぎではないだろうか。
ヤジロベエは自然の力にまかせて水平になるが、今の状態は誰かが逆方向に力を加えて、より振れ幅を大きくしようとしているように思える。
ダニエル・クレイグがなんかのインタビューで答えていたが、(意訳だけど)007役をやるのは過去の007の代わりでしかなくて、黒人、女性が演じる役としてもっとふさわしいものを用意すべき、とかなんとか言っていた。
そう、そうなんだよ。
やるべきは、日常で当たり前に生きている色んな人々を等身大の日常として描くことで、今ある以上に特別な役に持ってくることじゃないんだよ。
Netflixのセックスエデュケーションを見たことがあるだろうか。
親が性セラピストなのを恥じているシャイな主人公と、メイク好き系ゲイの男の子はお互いが唯一の友達。
今の現実って、残念だけどこんくらいのもんでしょ。
メイク好きゲイがクラスのてっぺんでもいいけど、メイク好きゲイというステータスが人気者な理由になってはいけない。
007で感じたのはここかもしれない。
そりゃボンドが主役だからなんだけど、それはそうとして映画の中でNPCがボンドの方を慕っているように描かれたり、新007の性格が少し微妙だったり。
なぜお前は007になったのか、そこが分からなかったので、結局配役配慮かなと思ってしまった。
スーパーマンはまだよく知らないけど、スーパーマンがスーパーマンの息子の当て馬にならないか心配。
上で話したようにヤジロベエ的な動きをするのは仕方がないし、今は多様性への認識の黎明期なので若干の誇張とヨイショがあってもいいと思う。
その一方で、量より質ということも考えてほしい。
シャンチーでは、敵役ウェンウーの右腕はゴリゴリの白人なのに、ゴリゴリ白人の下っ端はアジア系という謎構造だった。
そういうとこだぞ。まあいいけど……
相変わらずhttps://anond.hatelabo.jp/20210902215251
でも指摘があるけどご都合主義(どうやっていつの間にそれがそこに?どうやってその人がそこに?)がなぁ・・・
それ以前に
「ミッション・インポッシブル(トム・クルーズP)」や「007 (ソニーコロンビアサムメンデス)」
スクリプトドクターっていうの??複数人でシナリオ叩き合ったりした方がいいんじゃないの?
「た だ 車 で 移 動 し て い る だ け」
「間に合うか間に合わないか、っていうときに何の障害もない」ってさあ、観客に向けてサービス精神なさすぎじゃない?
敵の車とカーチェイスでもいいし。敵がバリケードを用意しているでもいいし。
それらがベタ過ぎて(あるいはテレビ版でもうやってしまってるので)嫌なら
”敵が車に仕掛をしていて故障しそうになったが機転で防ぐ"でも”敵に騙されたフリをして騙し返す”でも”敵に行先がバレそうになるので敵のB地点への通信をとめなくちゃならなくなる”
でもいいし。
でも実際やってることは
「状況をセリフで説明しながら た だ 車 で 移 動 し て い る だ け」
主人公が裸足で駆けださなきゃいけないならその時のルート上には絨毯がひいてあっちゃだめなんだよ。
ガラスの破片が散らばってるか、せめて雪や氷におおわれてるとか!!
敵の強さの描写とそれを乗り越える主人公チームがないから ただ敵がマヌケに見えるし主人公チームも有能には見えない。
わかりましたよ。
## 大和ハウスでんきとは
ダイワハウス関連の物件に賃貸で入居した際に、デフォルトで設定される電気会社。ダイワハウス関連の物件は品質がよく入居者も(審査が多少厳しめなので)安パイであり良物件なのだが、縛りとして大和ハウスでんきの契約がセットになる。
## 大和ハウスでんきは解約できるのか?
できる。ただし、不動産会社によっては"物件契約から1ヶ月は解約しないこと"みたいな縛りがあるので、それには従う。
特に悪くはない。ただ、価格を他社と比べると大和ハウスでんきなら5,500円/月くらいなのが、他社の安いところだと5,000円くらいと価格はちょい高い。よって気になる人は他社に乗り換えた方が良い。
## 解約方法
ここからが問題。できればとっとと格安電気会社に乗り換えたいところだが、現状東京電力と契約しているのは入居者本人ではなく"大和リビングユーティリティーズ"と別名義なのでスムーズな乗り換えが行えない。よって一度東京電力を経由してから格安電気会社に乗り換える。
※ 実際には、一発で格安電気会社に乗り換えることが出来るかもしれないが、私が探した範囲では難しかった。
通常、東京電力→格安電気会社に乗り換えるときはスイッチングといって電気の切断なく乗り換えることが出来るのだが、今回は契約名義が違うので契約解除 → 新規契約扱いとなる。
よってまず、大和ハウスでんきに連絡して解約日を決定、東京電力に連絡して新規契約日の決定を行う。解約日と新規契約日は同日を指定する。
大和ハウス電気側の日程の方がシビアなので、最初に連絡して解約日を決定してから、東京電力側で新規契約日をセットするのが良い。
基本的に"ない"。大和ハウスでんき解約後~東京電力契約までは使えないんじゃないの?と思うかもしれないが、
結局東京電力パワーグリッドが電気供給を行っており、そちらに解約と契約の申し込みを同時に行えばいい感じに切り替えてくれる。
### ただし私は電気が使えなくなった
上記の説明を受けて安心していたが、私は切り替え日に電気が使えなくなりました。
電気が使えなくなっても0120-995-007に連絡すれば60分程度で何とかしてくれます。
私に落ち度は全くなく、大和ハウスでんきの登録情報と東京電力側で受け付けた登録情報が不一致でシステム上受付が出来なかった、と説明を受けました。
推測ですが大和ハウスでんき側には半角スペースを含んだ氏名が登録され、東京電力側は半角スペースなしの氏名で照合しようとした、とか…?
よくわかりませんが、ここでの学びは"大和ハウスでんきから切り替えるときは、電気が使えなくなる可能性がある"と言うことでした。
## 結論
・"大和ハウスでんきから切り替えるときは、電気が使えなくなる可能性がある"ので、切り替え日は家にいて電気が使えなくなったら0120-995-007に電話する
五輪を叩きたい余り「天皇陛下に対して不敬だ!」とか言い出すサヨクという時点で既に面白い
どうみても最初はバッハと天皇が並んで座っていることを問題視してる
バッハとあんな近距離で並べるぐらいなら、天皇と皇后両陛下をおふたり、バッハから離して、並んでいただけばいいではないか。— TrinityNYC (@TrinityNYC) July 23, 2021
英国女王を007と一緒に上空から突き落とした演出には大笑いしてた私だけど、バッハと天皇陛下をああして並べるのは不快感しかないわ。
不快だ。実に不愉快。— TrinityNYC (@TrinityNYC) July 23, 2021
ロンドン五輪開会式 pic.twitter.com/Fuclnkwry2— Ko--- (@kohkohkoh2019) July 23, 2021
突然「並んで座ってることではなく演出が問題なんだ!」と論点を変えだす
当たり前、とか言ってるひと達は、英国オリンピックの開会式でエリザベス女王が登場したときの様子を再度見直しておいでよね。
カメラが女王陛下をド真ん中に据えて、どれほど長いこと拍手が続いた、とおもってんの?IOCの関係者も一緒に拍手を続け明確に女王に敬意を示した。あの演出覚えてないの? https://t.co/12rmzi9u2F— TrinityNYC (@TrinityNYC) July 23, 2021
今回のオリンピックの開会式では、賛否両論があるらしい。もちろん、「表現」において賛否は重要である。誰もが絶賛するような作品は存在しないし、存在してはいけない。ただ、作品の批評を超えて、ゲームを「メインカルチャーではなくサブカルチャー」と見下したり、「ゲーム音楽程度」という表現を使う者が散見された。
これは作品の批評とはかけ離れた評価であり、差別的であるとすら言える。そして、さらに悪いことに時代遅れの認識でもある。ここではそれを書き留めて、指摘していきたい。
(そもそも文化に「サブ」と「メイン」という区分けを設けること自体が異様にも思うが、ここではそれに言及しない)
何を持って「文化」というのかは不明であるが、ゲームは映画に負けず劣らず文化性がある。
例えば、社会性。オンラインゲームは、良くも悪くもコミュニケーションを促進する。これは社会性と言える。
また、ゲーム談義。これも映画を評論し、議論し合うのと同じだろう。もちろん、ときに罵倒や難癖、アンチなどを生み出し、建設的な議論など難しい場合も多いが、それは映画もさほど変わらない。映画ファンが、お高く止まってゲームを見下す理由にはならない。
また、社会を風刺するゲームだっていくらでもある。「Say No! More」や「還願 Devotion」、「Not Tonight」など。他にも様々なディストピアを描いたゲームや、政治を皮肉った表現など、ゲームには珍しくない。
他にも、「BEYOND」や「James Bond 007:NightFire」、「Until Dawn」など、古くからゲームのモデルに俳優を起用する例も多い。また、ゲーム関係者が映画の演出を担当したり、逆に映画関係者がゲームのプロデュースになったりなど、そもそもこれらの業界は対立関係にない。これらを差し置いて、ファンが「ゲームは俺の趣味より低俗」と見下すのは、なかなかに滑稽で、わりと風刺的でもある。
文化には経済という側面も重要である。寄付にしろ収益にしろ、何らかのお金がないと芸術は先に進まない。
歴代で最も集積を上げた映画は、「アバター」の3146億円らしい(2019年に「アベンジャーズ」がトップになったが、2021年にアバターが中国などで再上映されたため、トップに返り咲いた)。
さて、これに対抗できるゲームタイトルはあるだろうか。もちろん、存在する。ポケモンgoは、サービス開始以来の5年で5500億円の収益を出したという(2021年7月時点)。
もちろん、映画は上映以外にも、サントラやグッズ、DVDなども売上になる。だから、これらがプラスされれば、ひょっとしたらアバターのほうが上になるかもしれない。また、基本的に1度の上映で客が満足する映画と、5年もユーザーが継続するゲームでは、比較することがナンセンスかもしれない。
しかし、単純な収益で見れば、ゲームは映画とガチンコで戦えるレベルの経済性も有していることが証明されたわけである。
さて、これらをもって、どうして「ゲームはサブだ」と見下せるのか。
マイクロソフトがゲーム業界に殴り込みをかけて久しいし、昨今ではGoogleやAmazon、Appleなどが、独自ゲームを作ろうと躍起にすらなっている。
このように、もはやゲームは、文化の面でも経済の面でも「サブ」とは到底言えない存在感を有している。その事に気づかないのは時代遅れであると理解し、そろそろ「価値観をアップデート」すべき時期に来ているのではないだろうか。
そもそも、(言い尽くされた話でもあるが)100年くらい前には「映画は低俗」「小説は下劣」という時代があった訳だ。そんな価値観を「古臭い」と笑いながら、その古臭い人々と同じ価値観でいることなど、本当の文化人なら耐えられないはずである。
モチベーター、カットマンとしてはともかく、トレーナー、セコンドとしては世界レベルにまったくついて行けてない。
セコンドとしては
鷹村VSホーク戦では自陣営の鷹村の作戦に気付かず(ホークもホークのセコンドも気付いてた)、
一歩VSゲドー戦ではゲドーのマジックにも気付かなかった。
トレーナーとしても相手を研究して対策を立てるという部分に関しては進歩が全くなく、
毎回試合が始まってからビックリする、オープン戦の各球団007みたいなポジションになってしまっている。
あの年齢で一歩や鷹村のミットを持ち続けられるのはすごいけども。
バチバチでは最初の師匠ポジションである空流親方が作品途中で死去、