はてなキーワード: 赤穂浪士とは
「忠臣蔵は大正時代にも飽きられていた」という記事がホッテントリにあがっている
・http://cocolog-nifty.hatenablog.com/entry/2018/12/29/172400
根拠として玉田玉秀斎の講談速記本をあげているが、これは明らかにおかしい。
まず言うまでもないことだが、たった一人の証言を根拠に結論をだしてはならない。
その個人(玉田玉秀斎)の観測範囲の限界・ポジショントークの可能性等々があるからだ。
歴史学で正しい結論を出すには複数の文献を史料批判する必要がある。
で、忠臣蔵ほど著名なジャンルとなると、こういう史料批判はすでに専門家がしてくれている。
日露戦争直後のブームで儲かった浪曲師・桃中軒雲右衛門がそのお金で泉岳寺に大石内蔵助の銅像を立てるほどであった。
大正時代のブームでもレコードが活躍したのみならず、中央義士会が設立され、大佛次郎の『赤穂浪士』がベストセラーになり、その後はラジオも活躍した。
…などと言うことは宮澤の本を引いたウィキペディアにも書いてあるのでご確認あれ。
さて、日露戦争終結(1905年)直後の一度目のブームから大正の2度目のブームの間は
たったの10年強。
この間には大正デモクラシーがあり、玉田玉秀斎の発言はこの時期に当たる。
開明的な大正デモクラシーで一時的に飽きていたというのが正しく、
・飽きはじめたのは、明治の後半くらいなんじゃないのかなっていう雰囲気はある。
というのは明確な間違えである。
なにせ、忠臣蔵はわかってるだけでも明治~戦中に114回も映画になっているのだから。
【その他コメント】
・浄瑠璃か歌舞伎か知らないけど、とにかく『仮名手本忠臣蔵』はかなり読むのダルいと思う。
・スタンダードな忠臣蔵を延々と楽しめるのであれば、アレンジする必要なんかない。
スタンダードなアニメの二次創作がコミケで量産されたら飽きられてる証拠だというようなもの。
・ 読んだことねぇからよく分からないけど、(吉川)英治なら絶対面白いんじゃないかな。
吉川英治の「忠臣蔵」は「吉川英治歴史時代文庫」に入れてもらえなかったのに?(補巻扱い)
【追記】
個人的には最初に知るには映画かテレビの忠臣蔵をオススメする。目からの情報は理解しやすいから。
エロゲの「ChuSinGura46+1 -忠臣蔵46+1」も実はオススメだが(1話無料だし)。
ええとね
こういう羅列しただけじゃ実感しにくい情報があるから、ここに書くけど
まず「最近『忠臣蔵』が放送されていない」というのは基本的にテレビの話でしょ
「昔」は毎年のように12月になるとテレビで忠臣蔵が放送されていた、というイメージがあっての「最近」放送されてない、なのね
で、
表をパッと見ただけでね、2010年代の作品群を見てみるとね、
2010年にテレ朝でドラマ化されて以来、「テレビで放送されてない」ってなるよね
2012年のドラマはテレ東ドラマってことで全国放送じゃないから「テレビでやった」感覚にはならない
2013年と2015年は映画でしょ、47RONINなんてハリウッド映画じゃん
2016年のNHKの連ドラは赤穂浪士が主人公でない変則もので、テレ朝のは歴史再現バラエティ番組でしょ
気付けば「忠臣蔵」の人気や知名度が無くなってた(らしい)理由の考察など - Togetter
忠臣蔵、そんなに減ってる?と思ったので並べてみた。
こうしてみると、なんだかんだ数年ごとに新作が出てきてペースは変わってないんじゃないのとか、一時期を境に映画とテレビドラマがスパッと切り替わってるんだなとか、そういうことを思った。
今回は、主にWikipediaの情報を整理しただけだが、どうもパロディ要素の強い作品は入っていないようだ。
もちろん、再放送なども入っていないので、リストに無いからといって、全く何もやっていないわけではないということに注意してほしい。
さらに「年末年始に放送された単発ドラマ」という括りで見ると、
となり、特に1987年から1991年までは途切れずに放送されていたため、この頃に「忠臣蔵のスペシャルドラマは毎年恒例」という記憶が醸成されたのではないか。
https://togetter.com/li/1298767
忠臣蔵の人気が衰えたのを良いことだと思っている人は少なくない。
これ、300年経って幕府の思いが実現したってことともいえるw
赤穂事件が起きた当時、庶民は喝采したけど幕府は「治安を乱すゆゆしき事件だ!」と怒り、それで赤穂浪士たちは切腹させられた。
四十七士がやったことは直属の上司への忠義を尽くすことであっても、幕府に対しては反逆行為だったわけね、だからこそ庶民は「今どき見上げた武士だ」と喜んだわけ。
当時の武士はすでに保身的なサラリーマン化してたのに、庶民の方こそが忠義を重んじる古くさい価値観を美徳だと思ってたわけだ。
仮名手本忠臣蔵の登場人物が、史実とは異なり室町時代の出来事にされてるのも、幕府がこの事件を美談として広めるのを嫌ったせい。
だから、戦時中とか四十七士が忠君の模範みたいにもてはやされたかといえば、そんなことはなく、陸海軍の偉い人たちは慰問で忠臣蔵の講談とかやるのを嫌ったという。
宮仕えの人間が組織上層に逆らっても直属の上司のために戦うってパターン、よく考えたら、パトレイバーでも攻殻機動隊でもこれに近いことやってる。
そう考えると、忠臣蔵って今も形を変えて存続してるのかも知れない
本当は約一カ月後の12月なんだけど、毎年この季節がくるとマジでウンザリしたくなる。
忠臣蔵のストーリー自体は別にいいんだけど、許せないのは忠臣蔵を持ち上げる人達が気に入らない。
日本は73年前の歴史的経緯から「戦争放棄」ということになっていて、戦争や争い事を美化してはいけないはずである。
「戦争と仇討は違うだろう」と言われるかもしれないけど、話し合いで解決できないから最終的に武力を使って白黒つけるという原理原則を考えてみれば、太平洋戦争も忠臣蔵も同じである。
アメリカからの経済制裁やタヌキからのイジメに耐えかねて、マジギレして大爆発するという流れも一緒だよね。
毎年8月になると原爆慰霊や終戦記念日で反戦平和を誓うのに、その4カ月後には赤穂浪士の「忠義」を礼賛するってどうなんでしょうか。
今まで赤穂浪士達を批判的に論じている人を見たことが無いし、下手に彼らをテロリスト扱いすると火病を起こす輩もいる。
私から見れば、靖国神社に祭られているA級戦犯も、高輪・泉岳寺に祀られている浪士たちも大して変わらない存在に思える。
それはA級戦犯を英雄視するとか、赤穂浪士たちは犬死にしたとか言うつもりではない。
12月が迫ってきた。クリスマスは話題になるのだが、それ以前に違和感を感じるイベントがある。
12月14日が迫ってくると、テレビ東京で毎年毎年12時間もドラマ忠臣蔵を放送する。毎年新作だ。なんか違うのか、と疑問だ。それよりなにより、この赤穂浪士の心理であったり、かたき討ちであったり、メンツだったりする前提条件がもう圧倒的大多数の視聴者に共有やら同意されてないんじゃないだろうか。言ってしまえばいじめの仕返しなのではあるが、自刃した君主の霊を慰めるため、汚名を雪ぐために一年半も準備して敵を殺す。
このメンタリティに同意できるか? さっぱり理解できないし、同意もできない。ましてや毎年見たいものでは決してない。しかし毎年毎年新作が作られるのだから、これまた理解できない。新資料が発見されたために新解釈が入ったわけでもなく、47士の誰かをフィーチャーしてあたらしい物語を提案するわけでもない。おなじみの物語をなぞっているだけにしか見えないのだが。しかも特に話題になってるわけでもない。
つまりは、惰性なんだろう。誰も見なくなっても、惰性で新作が作られていく。