はてなキーワード: 開明とは
2022年の未来から来たので、膠着している徴用工問題について、日本のみなさんにアドバイスしましょう。
すみません。解決策ではありません。打開策、ケンカの方法です。
「まず、韓国政府さんが(いわゆる)『戦犯企業』にお金を払ってください。『戦犯企業』から(いわゆる)『徴用工』に対して慰謝料を払わせますので。これなら、日韓請求権協定とも整合しますし、『戦犯企業』の負担もありませんから、日本も乗れる話です」と。
韓国政府が、お金を払いましたら、日本企業から原告への支払を止めてください。
「韓国政府さん、足りなくなったので、もっとお金を『戦犯企業』に払ってください」
あとはしばらく、じらしましょう。できるだけ、韓国政府からお金をいただいてください。
そうこうしているうちに、文在寅はどんどんレイムダック化し、任期が切れます。
次の大統領が、この制度は無効。と言い出しますから、お預かりしているお金をありがたくいただいてください。
当然、韓国(人)から、何か日本(人)に対して批判の声が大きく上がります。
こう言い返してください。
「韓国(人)さん、あなたの発言は、日本(人)に対する地域差別・民族差別です」と。
韓国は、一部の開明的な都市住民を除いて、地域差別主義者・民族差別主義者が多くいますが、無自覚です。
たとえば、全羅道の地域・住民に対する反感・差別が根強くあることは、よく知られていることでしょう。
それ以上の反感・差別が、日本・日本人に向けられているのです。そこにまた、韓国人は(そして日本人も)無自覚です。
「地域差別・民族差別は、全世界・全民族にとっての普遍的な人権問題です。貴国内の地域差別・住民差別を解消してください」
そこで、
「韓国は、地域差別・住民差別が広く行われている国」というレッテルを貼り、全世界に宣伝します。
その上で、
「韓国が日本に行っている『徴用工』『慰安婦』『旭日旗』『繰り返される謝罪請求』は、みな、彼らの差別意識から来る、日本人に対する地域差別・民族差別の発露である」
と、結びつけます。
韓国に対しては
「違うというなら、韓国内の地域差別・住民差別を解消してくださいませ」
と言い返し、あとは、韓国内でますますひどくなる地域対立、住民対立を高みの見物をしてください。
西洋文明の風は東に進み、この文明が東に進んでくる勢いに抵抗して、これを防ぎきる覚悟であれば、それもよい。
しかし、いやしくも世界中の現状を観察し、事実上それが不可能なことを知る者は、世の移りにあわせ、共に文明の海に浮き沈み、文明の波に乗り、文明の苦楽をともにする以外にはないのである。利益と害悪がともない、常に利益の多い文明はなおさらである。
これを防がないばかりではなく、つとめてその普及を助け、国民を早くその気風に染ませることが知識人の課題である。
近代西洋文明がわが日本に入ったのは、嘉永の開国を発端とする。
進歩の道に横たわる老害の幕府というものがあり、さいわいに神聖なる皇室の尊厳によって、断固として旧幕府を倒し、新政府を立てた。
政府も民間も区別なく、国中がいっさい万事、西洋近代文明を採り、ただ日本の旧法を改革したばかりではない。アジア全域の中にあって、一つの新機軸を確立し、主義とするのはただ、脱亜の二字にあるのみである。
しかしここに不幸なのは、隣国があり、その一を支那といい、一を朝鮮という。
人種の由来が特別なのか、遺伝した教育に違うものがあるためか、日・支・韓の三国を並べれば、日本に比べれば支那・韓国はよほど似ているのである。その古くさい慣習にしがみつくありさまは、百千年の昔とおなじである。
筆者からこの二国をみれば、今の文明東進の情勢の中にあっては、とても独立を維持する道はない。今の支那朝鮮はわが日本のために髪一本ほどの役にも立たない。間接にわが外交上の障害となっていることは実に少なくなく、わが日本国の一大不幸というべきである。
そうであるから、現在の戦略を考えるに、わが国は隣国の開明を待ち、共にアジアを発展させる猶予はないのである。むしろ、その仲間から脱出し、西洋の文明国と進退をともにし、その支那、朝鮮に接する方法も、隣国だからと特別の配慮をすることなく、まさに西洋人がこれに接するように処置すべきである。悪友と親しく交わる者も、また悪名を免れない。筆者は心の中で、東アジアの悪友を謝絶するものである。
流行ってた時期に支配層に食い込んだ度合いで力の強弱に違いがあるくらいかな。
20世紀にリベラリズム、というか人権とか民主主義が流行った背景には、やっぱり、それをやったら社会が豊かになるという考えがあった。
まず王政がクソなことが多かったし、憲法を持って民主主義をやっている国がバンバン戦争に勝ちだしていた。実は日本がそのモデル国で、明治維新の成功と日露戦争の勝利は大いに世界に影響を与えた。
第二次大戦後の冷戦期も、敗戦国が負けたのはファシストだったからということになったし、ソ連社会主義とアメリカ自由民主主義がどっちが開明的で豊かになるかを争っていた。
翻って、今よ。
リベラリズムは俺らを別に豊かにしなかった。リベラルを掲げて政治家になったやつで、国を豊かにしたやつはいない。いや、リベラルが悪いんじゃなかったんだろうが、少なくとも豊かさを増して貧乏を減らす力はリベラリズムにはなかった。
社会福祉は、社会全体の豊かさを増すための理想ではなく、社会の貧しさを押し付けあうための理屈になってしまった。
グローバリズムが人々を豊かにしない、ということが明らかになったあたりがまた決定的だったな。ネットで対話が加速すれば炎上ばっかだし、人助けで難民入れた国には社会不安が増えた。
何が言いたいかというと、我々はたしかに態度が悪いリベラリズムに背を向けるけど、そもそもリベラリズムが流行らなくなってマトモな人間が背を向けたせいで、信者には攻撃的な奴らが多くなっている。
「忠臣蔵は大正時代にも飽きられていた」という記事がホッテントリにあがっている
・http://cocolog-nifty.hatenablog.com/entry/2018/12/29/172400
根拠として玉田玉秀斎の講談速記本をあげているが、これは明らかにおかしい。
まず言うまでもないことだが、たった一人の証言を根拠に結論をだしてはならない。
その個人(玉田玉秀斎)の観測範囲の限界・ポジショントークの可能性等々があるからだ。
歴史学で正しい結論を出すには複数の文献を史料批判する必要がある。
で、忠臣蔵ほど著名なジャンルとなると、こういう史料批判はすでに専門家がしてくれている。
日露戦争直後のブームで儲かった浪曲師・桃中軒雲右衛門がそのお金で泉岳寺に大石内蔵助の銅像を立てるほどであった。
大正時代のブームでもレコードが活躍したのみならず、中央義士会が設立され、大佛次郎の『赤穂浪士』がベストセラーになり、その後はラジオも活躍した。
…などと言うことは宮澤の本を引いたウィキペディアにも書いてあるのでご確認あれ。
さて、日露戦争終結(1905年)直後の一度目のブームから大正の2度目のブームの間は
たったの10年強。
この間には大正デモクラシーがあり、玉田玉秀斎の発言はこの時期に当たる。
開明的な大正デモクラシーで一時的に飽きていたというのが正しく、
・飽きはじめたのは、明治の後半くらいなんじゃないのかなっていう雰囲気はある。
というのは明確な間違えである。
なにせ、忠臣蔵はわかってるだけでも明治~戦中に114回も映画になっているのだから。
【その他コメント】
・浄瑠璃か歌舞伎か知らないけど、とにかく『仮名手本忠臣蔵』はかなり読むのダルいと思う。
・スタンダードな忠臣蔵を延々と楽しめるのであれば、アレンジする必要なんかない。
スタンダードなアニメの二次創作がコミケで量産されたら飽きられてる証拠だというようなもの。
・ 読んだことねぇからよく分からないけど、(吉川)英治なら絶対面白いんじゃないかな。
吉川英治の「忠臣蔵」は「吉川英治歴史時代文庫」に入れてもらえなかったのに?(補巻扱い)
【追記】
個人的には最初に知るには映画かテレビの忠臣蔵をオススメする。目からの情報は理解しやすいから。
エロゲの「ChuSinGura46+1 -忠臣蔵46+1」も実はオススメだが(1話無料だし)。
経験者(男)です。
結局これは利害調整だから、現行の文化や制度上、どの形をとれば最大限の幸せを得られるかを検討するしかありません。かなり単純化すると…
我々の場合、上記の3つのうち、丸く収まるのは、2しかありませんでした。
そうすると、最後は、妻の気持ちになるのだから、人事と事実婚の場合の福利厚生の交渉をしたり(結果はほぼNG)、夫の姓を選ぶ場合は改姓手続きは全て私が責任を持ってやることを約束したりと、誠実に対応して、何とか夫の姓で結婚できました。
冒頭にも書きましたがこれは利害調整なので、ロジックで攻めるところは攻め、最後は誠実さが生きてくるというのは、仕事のプロセスと一緒でしたね。
もちろん、夫側両親が開明的な人間であったり、会社が外資系で個人的なことを聞いたらセクハラ認定される環境であったり、妻が名家の一人娘だったりするなど、プレイヤーや環境によって結果は大いに変わってくることを付け加えさせていただきます。
いずれにせよこんな利害調整に時間と労力を費やすのは馬鹿げていますのである、一刻も早く、選択式夫婦別姓が実現するといいなあと思いました。
主要ではない先進国か。
英連邦を構成しており、それなりの国際政治上の地位を占めており、所得水準も比較的高いことから、先進国とは言えると思う。
又、田中真紀子のような二代目を血筋と呼ぶとすれば、確かに「筋」と言うほど確立されてはいないか。
しかし、そうであっても、親の七光り、あるいは威光にて国際政治の場に参加できることに一抹の羨望とやるせなさを覚える。
ブコメでは母の側に立ち旧習陋習を打破する象徴の如く賞讃されているのだが、子の立場として見ればまごうことなき七光りである。
その姿、自由民主を掲げながら結局は旧習に回帰する政党を批判し開明的白人国家を賞揚しつつ、自由主義を標榜しながらも自らも旧習へと回帰する守旧派と見えてしまいやるせない。