はてなキーワード: 正論とは
1 女は男が「分かったよ」と言ったら約束してくれたと思います。分かったよ は本当にできると思った時だけ言いましょう
2 女は自分を優先してくれたと感じるとホッとして 嬉しくなります
3 女は期待はずれなことが起こったり嫌なことが繰り返されていくと勝手にネガティブな想像や妄想が暴走してしまうという特徴があります
4 女が過去のことをあれこれ思い出すのは自然現象なので男を責める気持ち も な い し さほど気にしなくても大丈男です
5 女の否定的な言い方や決めつけるような言い方は女性の言い方の特徴であって男を責めるつもりなどなく 話し合いだと思っています
6 女は男の気持ちを知りたいだけなので 男が本音を伝えると少しずつ 関係が良くなります
7 女はいつも男に協力しようとしているので男が優しく言えばちゃんと理解してくれています
8 女は男からの曖昧な返事や適当な返事であっても、守ってもらえなければ嘘つきと感じてしまう生き物です
9 女は男からこうするからと宣言されると約束事だと思って期待してしまうところがあります
10 女は 会話の最後になぜかとどめを刺しますが 男への期待 への現れなので できる男になれるチャンスだと思ってください
11 女がしつこくなってしまうのは男のことを心配しているからです 悪く思わないでください
13 女が 焦っていたり パニック状態になっている時は、3分間待ってから解決するとうまくいきます
15 女は「簡単」 という言葉に過剰反応してしまうため これを禁句とした方が良いでしょう
16 女は男に心配してもらえないと悲しくて怒ってしまう生き物です
17 女は自分が困っている時に男から詳しく聞いてもらえると男に惚れ直します
18 女は男が慰めてくれるとホッとして自分で問題解決をしていけます
19 女に正論や 一般論を言うとなぜか喧嘩になってしまうのでやめましょう
20 女は男から「君は」と聞き返してもらえると嬉しくなる生き物です
22 女は男が認めてくれたら安心して 家事 育児に専念できます
23 女は男を責めたり文句や愚痴を言っていると思っていません
24 女は男に指示をしたり コントロールをしようとしていません。反発しないようにしてください
25 女は忙しくて時間に追われていると 男や子供に優しくなれず怒りっぽくなってしまいます
26 女は男と何でも一緒にやりたいと思っているのです
27 女は勝ち負けがかかると 徹底的に戦いたくなってしまいます 戦いを避けましょう
28 女が不機嫌な顔をしていても男が思ってるより 実は怒っていません また 意外と男の顔色を気にしています
29 女は男が積極的に話しかけてくれると幸せな気持ちになります
30 女は 喧嘩 なんかしないで 男とずっと仲良くしたいと思っています
あのさあ・・・これ大部分は男もそうじゃね?
「女だから許してね」ってのが多すぎない?
日本人というのは、宗教を信じていながら「自分は無宗教」と言いがちな変な民族。
新興宗教が定期的に起こってきたし、寺社仏閣があまりにも文化と一体化しているし、異教徒への排斥も全然ないから、
「宗教信仰」というのを"普通の寺とか神社以外の信仰をめちゃ熱心にしていること"だと思ってるんだよね。
キリスト教圏にいくと、無宗教っていうのはアナーキズム無神論者のことだから、そこでおかしなことになるって話が有名だ。
日本というのは仏教が入り混じったアニミズム、いうなれば日本教を信じていますよね。
……という正しい理解をしている。
なんで、それに関してはネットの意見とかアンケートとか何一つアテにならないよ。
ネットで信仰ないですって意見してるやつに、いや自分初詣いくから仏教徒じゃん?って正論いったら、確かに~~って掌かえしてくれるよだいたい。
「検索避けしてください!」
「R18を投稿するなら鍵かけてください!」
女オタク界隈には実に様々な内輪のルールが敷かれており、それを逸脱した人間は仲間内で晒し上げられ叩かれることになっている。
その内輪ルールは決して明文化されたものではない。公式の声明や各投稿サイトの規約にも書かれてはいない。
女オタク個々人の中でなんとなく醸成されたマナー、その最大公約数的な「空気」によって非常に曖昧に定められたものである。
男性オタクから見ると奇っ怪としか言いようのない女オタク界隈の内輪ルール。
この奇習は一体どのようなものなのか。どういう理屈でなぜ作られたのか。
・「検索避け」
・「カップリングの明記」
要は、「そのコンテンツを見て不快になる人に配慮しよう」という大義名分のもと様々なルールが敷かれているわけだ。
これだけ聞くと「良いルールじゃん」などと思うかもしれないがそうではない。
彼女らのルールは各サイトの規約等の上位として界隈内で君臨している。
Twitter上で成人向けコンテンツを投稿する際、投稿主は鍵垢でなければならないという内輪ルールだ。
男オタク諸兄は信じられないと思うが、女性向け界隈は「エロ絵を投稿するなら鍵垢!」という謎ルールに支配されている。
これは本当である。
絵に心得のある男オタクは、試しにディズニーツイステッドワンダーランドのエロ絵を描いてTwitterに投稿してみると良い。
「主人公(女)✕適当なキャラ」のエロ絵をそのキャラ名のハッシュタグを添えて投稿すると、すぐにお局腐女子オタクの襲撃を受けることができるだろう。
言うまでもなく、Twitterの規約上「エロ絵を投稿するときは鍵垢にしなくてはならない」などというルールはない。
しかし女オタク界隈ではそんな規約は無効とされ、「エロ絵を投稿するなら鍵垢!」という謎の因習が一般常識として語られる。
このとき、イラストのタグに「刀剣乱舞」と入れた場合、晒されて叩かれるおそれがある。
「なんで刀剣乱舞の二次創作で刀剣乱舞ってタグを入れちゃいけないの?」と。
だが、女オタク界隈には公式タグ、原作タグを使用してはならないという因習があるのだ。
刀剣乱舞の例では、BLに関しては「刀剣乱腐」、夢女子向けのものでは「刀剣乱夢」といったタグが使われる。
そもそも検索避けせずに原作名を書き入れることすら忌避されているのが現状だ。
Twitterにおいて刀剣乱舞のBL語りなり夢語りなりをしたい場合、「と/う/ら/ぶ」等といった形で表記しなければならない。
先に上げたディズニーツイステッドワンダーランドでは「twst」といった隠語が使われる。(淫夢語録かな?)
「原作者の目に触れないようにするため」
「原作名で検索した一般人が二次創作に触れないようにするため」
以下、男性オタク諸兄が思うであろう疑問、反論を代わりに書いておく。
「原作者の目に触れないようにするため」
・そもそも原作者だって自身の作品を検索したとき二次創作が表示されるのは織り込み済みなのでは?
・自分の作品のBLなりエロなりが見たくないならセンシティブ除外等の設定をして検索するのでは?
・自分の作品でエロ二次創作を作られたくないというなら二次創作の規約で禁止すればいいだけの話なのでは?
・それでもまだエロ絵が投稿されるなら通報すればいいだけの話なのでは?
・いずれにせよ原作者が二次創作についてどう思ってるかもわからないんだから勝手に作者の気持ちを忖度して意味わからんルールを敷くのは意味不明では?
・そもそもBLやエロが苦手ならそれらをマイナス検索すればいいだけの話では?
・マイナス検索の利便性の観点から言えば検索避けなんて逆効果にしかならないのでは?
・ネット検索したら不愉快なコンテンツを目にする可能性があるってのは常識では? みんなそれを了承したうえでネットを使ってるのでは?
・Twitterの規約には「不快なコンテンツに触れる可能性があることを了承してね」とあるんだしBLやエロを見て不快になりたくないならTwitterやめればいいだけの話なのでは?
「原作名で検索した一般人が二次創作に触れないようにするため」
・原作名で検索したとき公式以外のコンテンツも表示され得るなんて常識なのでは?
・検索する側もファンアートが出てくる可能性なんてわかっているのでは?
・仮にわかっていない奴がいたのだとしたら単にそいつが情弱のバカってだけの話であり配慮するに値しないのでは?
・そもそも今のGoogleの検索アルゴリズムから言って単語の合間に「/」や「.」を書いて検索避けしても意味ないのでは? 普通に検索にヒットするのでは?
「苦手な人に配慮しよう」というのは創作者側個人が勝手に判断するべきことであって、他人に強要できるルールではない。
女オタク界隈の「検索避け」「原作タグの不使用」「エロ絵の鍵垢化」等のルールは、他人に押し付けられるだけの理屈を伴っていない。
それはなぜなのか__。
「自分の好みでないカップリングの作品にうっかり触れてしまった」
「BLを漁っていたらうっかり自分の苦手な夢女子向けコンテンツに触れてしまった」
そんな状況のことを「地雷を踏む」などと言う。
まともな人間なら地雷を踏んでも見なかったことにして終わりだろう。
例えば「純愛もののエロ漫画を漁っていたらうっかり陵辱ものに触れてしまった」なんていうとき、男オタクの大半は好みでない作品をスルーしてさっさと好みの作品を漁る作業に戻るはずだ。
大半のオタクは多少傷心するだろうが「変わらずに推し続ける」「推し変する」といった選択肢をとって終わりだ。
無論、発狂して醜態をさらす過激派オタクもいるが、こういったキ◯ガイはTwitterにスクショを貼られて周りから馬鹿にされるのがオチだろう。
女オタクの中には「自分の好みの作品以外に触れてしまった」という程度のことで発狂し暴れまわるやつが非常に多い。
男オタク界隈でそんな醜態を晒せば当然Twitterにスクショを貼られて馬鹿にされる流れになるだろうが、女オタク界隈ではそうならない。
むしろ、「気の毒に」「わかる」「辛いよね」などといった同情と共感の声が寄せられるのだ。
そして「地雷持ちにも配慮があって当然」「傷ついている人がいるのだから配慮すべき」等の言説が優勢を占めて因習村ルールに繋がっていく。
そう、女オタク界隈には繊細厄介クレーマーを許容する土壌があるのだ。
「男オタク界隈は羨ましい。あんなふうにもっと伸び伸び創作活動をしたい」
最近、特に若年の女オタクがこんなことをつぶやいているのを目にするようになった。
女オタク界隈の因習を規定しているのは全体の1割の繊細クレーマーだ。(1割でも多すぎるほどだが)
そして2割の女オタクはこの繊細クレーマーを眺めるうちに「創作活動では他人に配慮しなければいけない!」などといった意識を内在化してしまったかわいそうな人たちだ。
そして6割の女オタクは内心繊細クレーマー共をめんどくさいと思いつつ叩かれるのは嫌なので渋々界隈のルールに従っている人だろう。
では残りの1割は?
実は最近、女オタク界隈でも「因習めんどくさい!」「明文化されてもないルールを破ったら晒されるとか頭おかしいのでは?」といった真っ当な声が聞かれるようになってきた。
これはおそらく、女オタクの地位が向上したことと無関係ではないだろう。
30代以上のおばさん腐女子は「BLは隠れて楽しむもの!」「夢創作は隠れて楽しむもの!」などといった「オタク趣味は隠れてやるべき論」を聞きながら育ってきた世代だ。
ネットサーフィンをしていれば女の欲望だだ漏れな女性向けエロ漫画の広告が普通に流れてくる世界になったのだ。
自身がオタクであること、腐女子であることを打ち明ける女性芸能人も数多くいる。
女オタク因習村の謎ルールは「オタク趣味は隠れてやるべき論」を背景に育ってきた。
そこに時代的な女オタク特有の要素__つまり、自己肯定感を育てられなかったかわいそうなカースト底辺女が、大人になってから「〇〇ちゃんが買い食いしてました!よくないと思います!」といった、あの頃のカースト上位女の真似事をして自尊心満たしたいという欲望__が悪魔合体して育まれてきたのだ。
だが、今ではオタク趣味は一般化しており、クラスのカースト上位者が腐女子でオタク趣味をやっているなんてことも珍しくない。
そんな抑圧のなくなった世界で生きてきた若い女オタクから、ついにこの奇っ怪な因習を打ち破ろうという意識が現れてきた。
10年後の女オタクは今のオタク事情を見て腹を抱えて笑っているかもしれない。
「え、検索避けとか馬鹿じゃん笑」「原作タグ入れないと検索のとき不便でしょ」
そんな真っ当で当たり前の声が大勢を占めていることだろう。
逆にいうと、この女オタクの因習も滅びゆく定めであるかもしれないのだから、堪能するなら今しかないという考え方もある。
リンク先読んでないし読む気もないですが、私は客観的な視点から「大卒を雇う理由」を説明したのであって、別に大卒以上の高卒や専門卒がいることは否定してません。
>具体的な彼らの知識の内容(それが高卒とかでは知らないと推測できる根拠も含めて)を一切示していません。
高卒では知らないとは一言も書いてません。同等以上の漫画の知識を持っていて、学力は圧倒的に高い人間がいるので、新卒ではそっちを採用すると書いています。そもそも人気出版社は大卒で何万人と応募が来るのに、それ以下に目をやる余裕はないからです。
中途採用で実績があるのなら学歴なんて関係なく採用されたりヘッドハントされたりしますよ。私の知り合いにも定時制高校から大手出版で漫画編集してるのいますし。ヘッドハントで。
これは具体的に何を指してるんです?
まぁなんにせよ、あなたが今の出版業界に疑問を呈していて、大卒が無能だと思うなら一度会社を立ち上げてみたらどうでしょうか。
あなたに正論ふっかけてもあんま意味なさそうだし、丁寧に時間使ってたのもアホらしくなる態度なのでこれ以上は適当に返しますね。
数年前に亡くなった祖母は15年ほど車椅子ユーザーでした。高校生の頃は介護もよく手伝っていました。そんな私が今回の騒動で感じたことを書いてみます。
今回の騒動では、そのインフルエンサーの普段の行いだとか、感謝もしないとか、そういう面がよく取り上げられています(過去の似たような炎上もそうでした)。
が、この問題の始まりは劇場側のスタッフの物言いが悪かったという点です。そこに関してはイオン側も認めて謝罪しています。
①車いすユーザーに近い立場にいたこと 劇場スタッフの物言いが悪かったこと
持ってきた時点で関係者であった優位性と、劇場スタッフ側の問題性について傾けたい意図が感じられて正しく問題について考えられないと思われます
今回の件で映画館側の、今後のバリアフリー化に対する課題が生まれたのは良いことだと思います。
別に誰であろうとよりよい環境やサービスがあればそれを受けてみたいと思うでしょう
それを料金以外で利用が可能とみてだれも適していないと明言をしていないからといって使用することとそれをSNSで流すことは問題行動であってそれを課題と見るかは関係者の裁量です
お金がないけどプレミアムシートでみたい、という人にお金がないけど見れるサービスを抽選などで行うというのも「課題」だとすれば課題として「生まれる」かもしれません
そらくほとんどが健常者の社員だと思います。当事者じゃないと分からない課題というのはどうしてもあるため、障害者からのリアルな声が上がったことは良かったのではないでしょうか。
よく目にするのは、「車椅子専用席があるんだからそこで見れば良い」ということでしょうか。
車椅子専用席って、位置的にスクリーンは非常に見にくいです。想像したら分かると思いますが。
そういう不利益があるから、障害者は安い料金で映画を見られるわけです(もちろんそれだけが理由ではないけど)。
ただ、あの見にくい席で映画を見るのは嫌だという気持ちも十分理解できます。だったらお金を払ってでも良いシートで観たいと思うのは、別に悪いことでは無いと思うんです。
一方で、非常時の避難誘導の際はどうするんだ!という声もありました。
③それ以外の問題
そういう問題やサービスの提供で補っているのだから通常必要がないとされているので通常の運営では提供していないのだと思います
まあそれもそうなんですけど、毎週映画館に行くような人でも、非常時に遭遇することなんて一生に1度も無いと思うんですよね。
(昨今地震が多いですから、確率は上がってるかもしれませんが)
ほとんどの人が、非常時に遭遇することなんて想像していないし、遭遇しても(仮に死んでしまっても)「まあ運が悪かったよね」としか言いようがありません。
そんなほんの僅かな可能性を引っ張りだして「非常時は!」「非常時は!」と責め立てるのは、正論ではあるけれど言葉の暴力に感じます。
ガチの非常時がおこったら、車椅子席で見ていたとしても他の観客は速やかに逃げられるでしょうが車椅子だとそうもいかないでしょう。
車椅子がノロノロと進んでいたら、健常者の我々の命だって危険です。極論、障害者は同じ空間にいるだけで健常者にとってはリスクになるんです。
「だから障害者は一切外に出るな!」と思いますか?(思う人は少なくないんでしょうね…)
昔バイトしていたスーパーでは、毎日手回し充電ラジオと懐中電灯のチェックをしていました。正直無駄だと思いましたよ。週一でいいじゃんと。
でも安全のために仕方がないのです。
どう感じようと、自分がたった1件の車いすユーザーの関係者であった事をあげてきている以上、その1件をもってしてその関係者たる意見を支える骨子にしていますよね
あなたが自分の家族の非常時を「しかたない」ですませられるかもしれませんが、100人いればそれですまない人がそのうちに何人かいるわけです
この部分は先の運がどうのと、運にまかせてはいけないと混ざって全体の目的を不明瞭にしています
だったら、建設的に今回の騒動を取り上げたほうが良いと思います。
そのためにすでに施策がとられて、そこに車いすが入ると想定されていないわけです
それを「あらたな課題」として「車いすを通したら(いや通さないで現状ある)」とすることで「なにをすべきか(今しなくてすむようになっている)」をわざわざする必要性に
「車いすだっていい席で見たい(車いす以外にもいい環境で映画をみたい人はいる)」をとりあげる意味がわかりません
車椅子の人があの位置で映画を見るのはちょっと見づらいよね。じゃあ通常料金にはなるけど、車椅子の人でも見やすい席は作れないか?
そのためには劇場をどのような設計にすれば良いか。どうすればスタッフに負担をかけすぎずにそれができるか。
いろいろ考えることはできると思うんですよ。
⑦考える事のコスト
考えるだけならタダですけど車いすユーザーがそこまでして映画の席を整備してもらう必要性が、映画館のどこにあるのかを説明すべきでしょう
自分は年に一回しか映画にいけない、それだけの経済的余裕がないとする人が自分のために一年に一度だけだから特別に席を用意してほしいと願うなら、なにをしてあげられるでしょうか
特に必要性を感じませんが、その1個人についてのみ解決を必要とするとお考えならその人にチケットを誰かが渡すだけでよいはずです
映画館がたった一人のだれかについて、ほかの全体の映画視聴者をまきこんで対策をする必要性を感じるならそれを述べるべきです
たった数人しかいない利用者のためにそこまでする必要があるのか?と思う気持ちも分かりますが、なぜ数人しかいないのか?そういう劇場の設計だから諦めてきた車椅子ユーザーがそれなりの人数いるからだと考えることもできます。
介護疲れという言葉があります。私も介護疲れで、祖母が亡くなった時は、申し訳ないと思いながらも身体が軽くなりました。
介助側にも休息は必要です。
障害レベルの差はあれど、障害者でも1人で気楽に外出できるような環境が整えば、私のような介助者が休める時間だって増えるはずです。
社会のバリアフリー化が進めば、我々健常者の負担は減るんです。
街中で障害者を見かけても手助けする必要が無い社会を目指す必要があると思います(100%無介助とまでは言いません)。
その実情が、車いすユーザー自体の改善努力や我慢が映画の状況を左右するのかどうかということです
SNSで話題になってそうしないと社会的な批判を受けて株価の低迷や売り上げの低下につながりとなった場合対策をせざるを得ないという状況にはなります
それこそが暴力ではないですか?
ユーザーが多くてそうしてほしい声が多いならその声をもってして改善の必要性を掲げるべきではないですか?
今回のようにインフルエンサーの過去を引っ張りだしたり、どこかの団体とつながっていたり、そういう問題外の部分で叩くのは不毛です。
SNSの拡散による社会的不利な立場へ批評をあつめるような行動で、経済的活動に存在を与えんとした行動をもってして問題なので不毛でもなんでもなく、そこが原因だと思います
声をあげた最初の行動が、不利益をちらつかせて改善を提案するという情報の流布から問題提起をする事と、それによる注目度という活動自体の目的と利益がある事自体が問題です
障害者に優しい社会は、健常者にも優しい社会だという考えをもう少し持ってほしい。
今回、インフルエンサー側に立っている人たちは「もし自分が障害者になったときの事を考えてみて!」というような事を言っていますが、それだけじゃ甘いです。
赤松健もAI規制派煽って恨み買ってるみたいだし、AI推進派のコメント見てたらフェミと規制派が一緒だ的な叩き方してるの見るし。
赤松健に失望してる人達に、そもそも表現の自由を求めてるのにAI規制を求めるのがおかしいって正論に沢山同意がついていたし。
まあそれもそうなんですけど、毎週映画館に行くような人でも、非常時に遭遇することなんて一生に1度も無いと思うんですよね。
(昨今地震が多いですから、確率は上がってるかもしれませんが)
ほとんどの人が、非常時に遭遇することなんて想像していないし、遭遇しても(仮に死んでしまっても)「まあ運が悪かったよね」としか言いようがありません。
そんなほんの僅かな可能性を引っ張りだして「非常時は!」「非常時は!」と責め立てるのは、正論ではあるけれど言葉の暴力に感じます。
もし「その1度が発生する&その1度に、危険時を考慮せずになぁなぁで許容していた」となった時に、増田はその認識でよくても、おそらくマスコミや世間は徹底的に糾弾するよ。
さらに言えば、そのなぁなぁで許容された人が死亡(原因不問)してたら、本人が事前に諸々OKしていても、おそらく遺族は裁判を起こして、その結果も遺族側有利になると思う。
数年前に亡くなった祖母は15年ほど車椅子ユーザーでした。高校生の頃は介護もよく手伝っていました。そんな私が今回の騒動で感じたことを書いてみます。
今回の騒動では、そのインフルエンサーの普段の行いだとか、感謝もしないとか、そういう面がよく取り上げられています(過去の似たような炎上もそうでした)。
が、この問題の始まりは劇場側のスタッフの物言いが悪かったという点です。そこに関してはイオン側も認めて謝罪しています。
今回の件で映画館側の、今後のバリアフリー化に対する課題が生まれたのは良いことだと思います。
おそらくほとんどが健常者の社員だと思います。当事者じゃないと分からない課題というのはどうしてもあるため、障害者からのリアルな声が上がったことは良かったのではないでしょうか。
よく目にするのは、「車椅子専用席があるんだからそこで見れば良い」ということでしょうか。
車椅子専用席って、位置的にスクリーンは非常に見にくいです。想像したら分かると思いますが。
そういう不利益があるから、障害者は安い料金で映画を見られるわけです(もちろんそれだけが理由ではないけど)。
ただ、あの見にくい席で映画を見るのは嫌だという気持ちも十分理解できます。だったらお金を払ってでも良いシートで観たいと思うのは、別に悪いことでは無いと思うんです。
一方で、非常時の避難誘導の際はどうするんだ!という声もありました。
まあそれもそうなんですけど、毎週映画館に行くような人でも、非常時に遭遇することなんて一生に1度も無いと思うんですよね。
(昨今地震が多いですから、確率は上がってるかもしれませんが)
ほとんどの人が、非常時に遭遇することなんて想像していないし、遭遇しても(仮に死んでしまっても)「まあ運が悪かったよね」としか言いようがありません。
そんなほんの僅かな可能性を引っ張りだして「非常時は!」「非常時は!」と責め立てるのは、正論ではあるけれど言葉の暴力に感じます。
ガチの非常時がおこったら、車椅子席で見ていたとしても他の観客は速やかに逃げられるでしょうが車椅子だとそうもいかないでしょう。
車椅子がノロノロと進んでいたら、健常者の我々の命だって危険です。極論、障害者は同じ空間にいるだけで健常者にとってはリスクになるんです。
「だから障害者は一切外に出るな!」と思いますか?(思う人は少なくないんでしょうね…)
昔バイトしていたスーパーでは、毎日手回し充電ラジオと懐中電灯のチェックをしていました。正直無駄だと思いましたよ。週一でいいじゃんと。
でも安全のために仕方がないのです。
だったら、建設的に今回の騒動を取り上げたほうが良いと思います。
車椅子の人があの位置で映画を見るのはちょっと見づらいよね。じゃあ通常料金にはなるけど、車椅子の人でも見やすい席は作れないか?
そのためには劇場をどのような設計にすれば良いか。どうすればスタッフに負担をかけすぎずにそれができるか。
いろいろ考えることはできると思うんですよ。
たった数人しかいない利用者のためにそこまでする必要があるのか?と思う気持ちも分かりますが、なぜ数人しかいないのか?そういう劇場の設計だから諦めてきた車椅子ユーザーがそれなりの人数いるからだと考えることもできます。
介護疲れという言葉があります。私も介護疲れで、祖母が亡くなった時は、申し訳ないと思いながらも身体が軽くなりました。
介助側にも休息は必要です。
障害レベルの差はあれど、障害者でも1人で気楽に外出できるような環境が整えば、私のような介助者が休める時間だって増えるはずです。
社会のバリアフリー化が進めば、我々健常者の負担は減るんです。
街中で障害者を見かけても手助けする必要が無い社会を目指す必要があると思います(100%無介助とまでは言いません)。
今回のようにインフルエンサーの過去を引っ張りだしたり、どこかの団体とつながっていたり、そういう問題外の部分で叩くのは不毛です。
障害者に優しい社会は、健常者にも優しい社会だという考えをもう少し持ってほしい。
今回、インフルエンサー側に立っている人たちは「もし自分が障害者になったときの事を考えてみて!」というような事を言っていますが、それだけじゃ甘いです。