はてなキーワード: 徒党とは
自分で見ておいて、自分に合わないTweetを見かけたら幻滅したり、誹謗中傷したりさ、自分勝手過ぎるんだよね。
嫌なTweet見てその絵描きが嫌になったら見るのをやめればいい話なのに、なんでかその絵描きを攻撃し始める人がいる。
しかも自分の頭の中で作られた正義を振りかざして、執拗に粘着するとか性格が悪いにも程があると思うんだけど。
なんでそんな話をするかというと、ある絵描きがTwitterで絵をアップロードした。
ほとんどの人はイイね評価だったが、その中に今まで絶賛していたフォロワーが居て、そいつが急に嫌がらせをしてくるようになった。
絵の趣向が合わないのであれば、スルーでいい話じゃない?
それをなぜか狂ったようにその絵だけじゃなく、今まで描かれてきた絵までバカにするようになってた。
もうキ○ガイだよ。
で、その絵描きは他のサイトにもアップしてたんだけど、そこにもソイツが現れた。
殆どは信じない人ばかりだったけど、あっさりと騙される人っているんだよね。
ついさっきまで良い絵だとか、評価してたくせにね。
嘘の噂に騙された人達が聞く耳すら持たずに、偽善にも劣る薄っぺらい正義感で攻撃しまくり。
見ていて本当に吐き気がするくらい醜いやりとりだったね。
結局、その絵描きさんはTwitterに鍵かけてしまったし、他の絵サイトはアカウント削除してしまった。
勝手な幻滅で、勝手な妄想で、勝手な正義感を持つ人って、どこかしら狂ってる精神に病がある人でしょ。
あの急な変化は異常だったよ。
昨日まで良かったです!とかコメントしてた人が、次の日には死ねとか平気でコメントしてるんだもの。
異常だよ。
ホント、こういう人ってなんなんだろうね。
けいおうは、けいおうで徒党をくむのがすき。
障碍者による抗議活動や、弱者男性(女性)に対する一連の議論で、共通してることだが、あれは全て弱者の立場から脱出するための戦いである。
ただその先に待つのは、弱者が強くなれば序列が変わるだけで、弱者自体は永遠にいなくならない。
生きているだけで皆、殺し合いのテーブルに参加しているのだ。
原始時代とは、そういった様相が見えにくくなってるだけで、昔からそうだ。
いくら世の中が良くなろうが、殺し合いをやっているという原則は変わらない。
本当の弱者は、真っ先に殺されるなどで「いないこととほぼ同義にされている」のだ。
分かりやすい例が中絶かな。生殺与奪を握ったり握られていれば、明らかに弱者と強者の関係だ。
弱者は徒党を組むなりして、仲間を増やさないと強者には立ち向かえない。
もちろん強者側は、既得権益を守ろうとあの手この手で対抗するだろう。ときには卑劣な手も厭わない。
一見、争いとは関係なさそうな人でも否定的な意見を投げかけるのは「序列が変わっていけば、いつか自分にも危害が及ぶのではないか」と危惧しているのだ。
夫婦別姓の議論でも、反対派(同姓派)の意見は論理的でも何でもなかったように思う。
ただ、夫婦別姓を認めた先に、何があるか分からないから反対するのだ。
現代人が欲しいのは「自分の居場所」などではなく「より高い序列に位置すること」だ。
みんなで今日も精々、殺し合いを頑張っていこうな。
全部繊細チンピラのせいでしょ
エヴァみたいな大御所IPですら、ちょっと自分の理想から外れたら、裏切られた裏切られたって大騒ぎしちゃうんだから
木っ端ラノベやアマチュア作品がそういうクレーマーの因縁をかわそうと思ったら、もう予防線を張って張って張り倒すしかない
オタクにしても腐にしてもそういう面倒な人らを相手にしてるわけ
誰が対象でどういう流れの話になるか、最初から身もフタもないレベルで情報を出して、そうでもしないとクレーマー様には穏便にお帰りいただけないわけだよ
お前らはああいうタイトルや注意書きを見てたぶん笑ってるだろうけど、この先の世の中そういうのが増えると思うよ
オタク以外にも短絡的なバカが幅利かせるようになって、そいつらに合わせないと、バカが徒党組んで大暴れするのが今という時代なんだから
今日のテーマはとても良かった。白饅頭氏は阪神大震災のサバイバーで自分の周りが一変した、そこから大きな影響を受けているって話ね。
今のリベラルの人達、リベラル理解度8、保守理解度2みたいなステータスで保守(リベラル理解度15ー20、保守理解度15-20で保守を支持)みたいな人達を徒党組んで燃やしてる(そして返り討ちに合う)から正直成長ねえ猿だなぁって思ってるんだけど、それも幸せな事だ。
白饅頭氏はなんというか成熟してるけどそれも阪神大震災(だけではないし勿論当人の普段の努力の成果ではあるけど)みたいな理不尽に合っての事。成熟するにはある種試練が必要かはわからんけど助けになるのは事実で、試練には人の死が付き物だ。時たま訪れる理不尽な試練乗り越えられず狂う人もたくさんいる。人に成るのに死人が要るなら、人に成ってない人が多い方が世界はよっぽど良いだろう。
勿論そのような試練は色々な形を変えて今も存在してる。天然の試練と養殖の試練があって、天然の試練は大体人命を伴うんだろう。進撃の巨人の新兵を殴るシーンがわかりやすいかな。面構えから違ってしまっていたし、ただ殴られる程度でその試練はクリアだった。だけどその差は仲間が死に始めるまでずっとあっただろう。今でも受験だの就職だの上下関係だので用意されてはいるけど、結局地獄を見たり人の命を背負う羽目になったりしないとダメなんだ。だからやっぱり、天然物のまともな大人なんていない方が良い。作るのに犠牲を伴うものだから。俺も多分天然物ではないし。
ここでいう試練と同じものかはわからないけど殺しもかなり効くらしい。爺さんが庭から芋虫たくさん取って来て目の前で踏みつぶし始めて、お前もやってみろって。一匹アゲハの幼虫だけ虫かごに入れて2,3匹潰してギブアップした。今は考えがなんとなくわかるし、全部潰すべきだったしアゲハも潰すべきだった。というか害虫(ひいては害獣、人)を分け隔てなく全員殺せるかって試練だっただろうから、ちょっとしか殺せなかった上に一匹一番大事な奴を残した俺は失格だったんだろう。あの時から爺さんはあまり俺に目をくれなくなった。
多分殺すなら人に近いほど良い。虫や魚だと遠い。哺乳類が良い。結局人殺しが一番伝統的かもしれないけど現代だとちょっと俺も許せないかな。それでどんな優秀な奴が生まれても俺は一応リベラルだから。でも自分の視界の外の人たちを見殺しするくらいなら自分で殺したやつの方がマシって考えもあるから結局のところはわからない。
今は家畜殺さんと肉喰えないから家畜殺しはセーフだしやった方が良いんだろうけど、それも許せない気合入った皆さんも居て人口肉作るのに気合入れてる。あれはあれで筋通ってていいと思う。
救いたい気持ちはあるけどターゲットが自分に移るのがこわい、って場合は傍観者同士で徒党組んで、揃っていじめの証人になればいい
いじめられっ子⇔いじめっ子の関係性に下手に介入しようとするから個人的な反感を買うんだと思う
救う力のないやつが気持ちだけでいじめられっ子を救うための最短ルートは迂回からの報告よ
人間、正義感を持ち始めて悪が委縮していくと気持ち良くなってくるから、
傍観者側の仲間が増えていくうちにいじめっ子がどんどん人をいじめる惨めな存在だと全体から認識される
ただこの方法は諸刃の剣で、いじめられっ子を救うつもりがいつの間にか「いじめっ子をいじめられっ子に変換する」っていうことになりかねないものなので、
個人的にはいじめっ子の自業自得だからと思うけど、流れに便乗して元いじめっ子をいじめるのはまさに同じことの繰り返しになるのでほどほどに成敗したら自重しようね
結局投機って
わかってる連中同士で徒党を組んでやれば儲かるわけじゃん
公にはそういうのを禁止してるんだろうけど
チャートの動きの理論とかそういう暗黙の了解で示し合わせて結局分かってる者同士で似たような動きするわけじゃん
なにもわかってない連中をひたすらカモり続けるだけの商売って
振り込め詐欺と何が違うんだろうなって思うけど
その経済活動は何を生み出してるんだろう
森会長の女性差別というやつ、クソフェミたちの男性差別、保育園では何故か隅に追いやられるお父さん、不動産で完全空気な奥さん、と言ったものもそうだろう。学校では女子をなかした瞬間に男子が全部悪いことになるし、教師が力仕事を頼むときにかける一言は「力自慢の男子ちょっと手伝って」だ。今でも女性がお茶くみをする会社は数限りなくあるだろう。
というように日本という国は差別で満ち溢れている(日本以外の国にはないというものではない)。差別が良いのか悪いのかという話はここではしない。
差別をする人たちは自分たちが差別をしようとしていない(と完全に思っている)という結構重大な問題がある。
ストーカー犯罪を犯す人たちは、「ストーカーとかまじでありえない、そんなひどいことするやつは生きていく価値もない、俺達の純愛とは全然違う」と思っているらしい。意味がわからない。
というように自分たちのやっていることを客観視できないというのはあるだろうし、一種そういう病なのかもしれない。
ただ、差別をしている人たちは「あなたのそれは差別だ」という話をしたときの反応が割とテンプレだから、もしその指摘を受けた場合の客観視するための指標にでも使うと良い。
なんとなく常識としてやっている(確かに常識だったことはある)が、「なんでやるのか」というのの根拠が貧弱であるという点だ。直接的な根拠は割と強固な理屈で固められているものもあるが、つまるところ根拠なんかなく、「私がそう信じている」というところにしかいきつかない。
女性がお茶を汲むべき、という差別は浅いのですぐわかる。「女性が入れてくれたほうがお茶がうまいから」なんていう男性をよく見かけたが、そんなのは主観の問題だ。科学的に数値化できるものではない。
男は性犯罪者予備軍とか言うのは下手に突っつくと論破されるが、結局2〜3段階目くらいで言ってる本人のそういう願望でしか無いこともわかる。大概の場合「だってそうじゃん」という辺りに落ち着いていく。こちらも別に世界の起源に到達するまで追求する気もないが、大体の場合は伝聞や雰囲気で認識しているので、説明できない。
差別というものは不思議なもので「なんでそんなことをするのか」という話をすると、大体差別をしている人は怒る。しかも完全に冷静さを欠いた怒り方をする。これは本当に不思議なのだが、とにかく怒る。サラッと認めて直せる人は怒らないが、とにかく怒る。
怒ったときに何をするかは人によって様々だ。暴力を振るう人もいるし、徒党を組んで吊るし上げる人もいる。本人がいないところで勝手にコンセンサスをとって「え?xxさんも問題ないって言ってたよ?」とかやる人もいる。とにかく雰囲気で押し切ろうとする。そして指摘した人を排除しようとし始める。場合によっては狂言自殺すら厭わない。
絶対に理性的で論理的な議論の末にその差別行為がなぜ正しいかを説明しきれる人はいない。まぁ、本能的にそれが差別だとわかっているのかもしれないがね。
例えば差別している相手が「そういうの嫌なんでやめてもらえますか」と言ってきたときにどういう反応をするか。「いやいや、なんで嫌なの?」という反応をするだろう。本人が嫌だ、と言っているのにそれを尊重できない。これもまた本当に不思議だ。
他の人が「そういうの嫌だからやめてよ」というとそういう人って「あっ、すいません、以後気をつけます」という反応をするのに、差別している相手にだけは何故かそれをしない。むしろなぜそれが嫌なのかの説明を求めて納得できないならやめないくらいの対応すらとってくる
自分がやられて嫌なことは人にもするな、というのは割と小学校くらいで習う基本的なことだし、本人もそういう反応をするが、何故か差別する相手には、自分がやられたら寝込んでしまうくらい嫌なことや、言われたら今後一切の関係を立ちたく成るくらいに屈辱的な事ですらやったり言ったりできてしまう。
で、テレビとかで同じような状況を見ると「いや、私こんな事言われたら一生立ち直れないと思う」とか差別している人の前で平気でのたまったりする。
これは説明するまでもないだろう。とにかく自分が受ける差別についてはもうびっくりするくらいに敏感だし、わらから針を見つけ出す勢いで探していたりもする。見つけ出すまで3日寝ずにツイッタのタイムラインを凝視するくらいの執念を見せつけることもある。これについては一体どこからエネルギーが出てくるのかと驚くばかりだ。
ここが本当に怖い。
「っていう自戒の文章ですか?」とか「やっと自分を客観視できるようになってよかったですね」とか「などとアンチが申しており」というような反応をする
皆ネトウヨなんて名前でも集団でもないんならネトウヨ攻撃してもノーダメのはずなのにどうして発狂してるの?
サヨクだって徒党を組んでるわけじゃないが?どっかから号令がかかって書き込んでるわけじゃないんだけど
おっとそういえば自民党は業者を雇ってたみたいだね https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=691375&comment_sub_id=0&category_id=1256
今まで黙ってたくせに唐突にウイグルガーとか言うやつ。南スーダンに対してなんも言わないの?日本の外国人実習生にはだんまり?ジェノサイド認定してない外務省に抗議しろよ。
徒党を組んでなんとかなるのか?
女性がフェミニズムってものを立ち上げたのは、女性が「私らも社会で働けるのに家庭で押し込められている」だとか「女性が頭悪いとか社会の連中はいうけどそんなもん教育うけてないだけだわ」とかいう話が合った。本来私たちにはパワーがあるのにそれが奪われている、という事実、またはそういう確信が背景にある。
自分たちですらそうは思ってないだろう。パワーがないから敗北者であり、有能ではないから無能な仕事をしているんだ。初期のフェミニズムとそこが大きく違う。
またこれは、現代のフェミニズムやリベラルが支持を得られにくい理由でもあるわな。
元増田も勘違いしてるけど、弱者を援助するとか、救済するとか、そういうのが権利運動だと思っているだろう。
でもそんなの根本的には「社会に養ってもらおう」って話だよね。誰かの脛をかじりたい、競争をしたくない、痛みを誰かに押し付けたい、痛がってないやつらは楽をしていてずるい。そういう発想がある。
いや、それが悪いと俺は必ずしも思わない。
でもこれはやはり、圧倒的な支持と反論しにくさを備えた、初期のフェミニズムや人権運動とは違うんだ。