はてなキーワード: サッカー日本代表とは
連動のある攻撃が出来ていないのはわかった。見ればわかるから。ただなぜいつまでたっても出来るようにならないのかがどの解説記事でも説明されていなくてスッキリしない。
4年間ずっと当事者である監督と選手は指摘されてきたはずなのにどうして出来ないままなのかがさっぱりわからない。プレー経験のない素人が訳知り顔で講釈していることを人生の全てをサッカーに打ち込んでいる人たちが出来ない理由を知りたいんだよ。おそらく関係者が全員わかっているのに出来ないことを監督が無能だからの一言で片付けられると流石にそれはないだろうと思ってしまう。そういうブコメをいくつも見たけど専門家への最低限の敬意が欠けている。たとえばコロナ関連でもよく見る風潮だけど本当に良くない。
サッカーの世界ではこのプレーをするにはどういうトレーニングが必要でおおよそどれくらいの時間をかければこれくらいは出来るのが普通みたいな共通認識があって批判してるの?具体的にどういう指導をすべきか、あるいは足りていないか理解しているの?結局素人が言ってることってボールをよく見てタイミングよく力一杯バットを振ればホームランになるよみたいなアドバイスだったりするんじゃないの?わからん。
サッカーにわかだけど、なんだかんだで10年くらい日本代表を見てきて思うのは、相手のレベルに関係なくぎりぎりの戦いをする姿なんだよね
相手がドイツだろうがブラジルだろうが、0-5や0-6で負けるなんてことはない。0-1や1-2など、ぎりぎりで負ける。今回のワールドカップはドイツに2-1で、ぎりぎり勝った
だけどアジア最終予選なんかも、ホームで2-0 2-1 0-1 2-0 1-1、アウェーで1-0 0-2 0-1 0-1 0-1とぎりぎりな戦いをしている
2014年のブラジル大会、相手のギリシャが前半に一人退場してこれ勝ったなって思ったけど結果は0-0で引き分けだった
2018年のロシア大会、相手はコロンビア、前半3分にレッドカード、これは勝ったなって思った。この試合は実際勝ったんだけど、スコアは2-1で一人減った相手に苦戦しながらのぎりぎりの勝利だった
決勝トーナメント進出してのベルギー戦もそうで、2-0で日本がリードして、勝ったなって思ったけど、そのあとスルスルとゴール決められて2-2になり、ロスタイムに速攻カウンターで2-3になって、ぎりぎりの敗北
自分も共産党が嫌いだから、選挙で共産党が負けたりすると「ざまあみろアカが!思い知ったか!」と喝采するし、共産党が勝つと「死ねよクソアカどもが!」と罵声を浴びせるけど、どこを応援するかしないかなんて個人の自由なんだから別にいいじゃん。
朝起きて、ドイツ負け、日本が勝ったという事に絶望した。なぜならば、日本は負けるべきだったからだ。
しかし、その被害を食い止めるためには、日本代表は速やかに負けるべきだったのではないか?
それも、大敗するでもなく、接戦するでもなく、地味に、普通に、話題にならぬ様に負けるべきだった。
日本において、と絞っても、サッカーは市場として全く重視されるべき要素はない。
サッカー市場は非常に注目されているように見えるが、統計などを冷静に見ると全くそんなことはない。
電通が権利販売を手がけるなど、産業構造的に広告業界と結びついているため、必要以上に注目が集まってしまっているが、純粋に見るとたいした大きさはない。例えばJリーグ全体という事で拡大しても売上げを見ても、せいぜい1000億円である。
これは文系のエンタメに比べて非常に小さい。例えば大手出版社は一社で2000億円程度の売上げがある。
業界で見ると、アニメの売上げベースで2600億円、書籍の売上げベースで2.6兆円などである。市場規模という形で整理すればさらに大きく差がでるだろう。
同じ程度の市場規模と言えば、殺虫剤業界がそれぐらいらしい。すると、報道各社は公平を期すならば、福岡県の増田さん宅で発生した巨大ゴキブリを見事フマ〇ラーが撃破、といった事も同等に報道するべきだが、そうではないのである。
にもかかわらず、ワールドカップが始まると、マスコミは多大なリソースを書けて報道するため、実際に報じられるべき実務に関わるニュースなどが放置される。
観戦によって仕事のパフォーマンスを落とす人も出てくるし、社会全体に負荷がかかっていることはあきらかだ。
今や世界的に見るとオリンピックを超える世界的興業だ。冷静に数字を比較すると市場規模の優先度は低いとはいえ、生きていくための収入を得る手段として、それで食っている人がいる以上、急にやめることは難しいのだろう。
エンターテイメントが多様化していく中で「時間争奪戦」という概念から既に成長が止まった先進諸国ではなく、新たな市場を求め中東で開催するという判断も、経営という点では理解できる。
さらにいえば、ファンが暴徒化する等ということもあるだろうから、続けなければならない事情もあると思う。
しかし、幸いにして、日本ではまだそこまで汚染されていないのだ。市場も頭打ちになり、FIFAの市場としても尻すぼみなのは明かだ。
故に、日本はこの様な状況から脱することができる可能性が残されている。
いち早く脱することができれば、対応のための被害が減る。被害が減れば、汚染されている地域に比べて優位性が出て、将来性のある分野にそれだけ投資が行く、と言う好循環が生まれる。
日本が育てていくべき産業を考えて、取捨選択し、ソフトランディングをするならば、日本代表負けるべきだったのだ。
出場したが、負ける、出場したが、負ける、これを繰り返していけば世の中は少しでも良い方向を向いたはずなのである。
がんばっているがいるのにそんなことを言うな?と言うのならば、国策で斜陽産業認定された産業で働いている人もがんばっている訳で、そこに差は無い。あくまでもドライに、社会全体の事を考えて、無闇に下駄を履かせることなく、サッカー日本代表は負けるべきである。
そして残存者利益で細々と繋がる程度にまで縮小したうえで、残っていくのが理想なのではないか。
ワールドカップワールドカップうっせーんだよド阿呆。俺は興味ねえっての!んな金あるなら外貨稼げるアニメゲーム作れ。さっさと負けて終わりにしろばーか
ただし、以下の場合はわかる
上手な人のプレーを見て自分のプレーを考えたり、上手なプレーを参考にして自身の動きを修正できる。なのでわかる。
現在のその試合そのものではなく、そこからインスパイアされる自身の若かりし頃に思いを馳せており、それを楽しみたい気持ちはわかる。
甲子園やサッカー日本代表など、そのスポーツを応援することよりも自分が所属するコミュニティを応援したいという気持ちなのでわかる
ある種の「物語」として楽しむ。いわゆる筋書きのない物語やプロレス的楽しみ方としてわかる。
時間があるので野球やサッカー観戦に行くか〜という感じ。別に音楽ライブでも、舞台演劇でも代替可能で偶然スポーツ観戦だったというだけなのでわかる。
スポーツ観戦そのものよりも、チームのファンコミュニティに所属することを楽しむもの。例えば阪神愛のようなものとしてわかる。
これらはどれもそのスポーツ観戦そのものを楽しんでいるというよりも、その周辺を楽しんでいるように思える。
これらの動機でスポーツ観戦をしている人は本当にスポーツ観戦そのものが好きなんだろうか?
本当にスポーツ観戦が好きな人は、例えば野球やサッカーゲームのCPU VS CPUを延々と楽しめるのではないだろうか。
身近にそういう人がいて、本当に観戦が好きなんだろうなぁと思うし、
別の友人はコンピュータ将棋を延々と戦わせて楽しんでいる。