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電動キックボードシェアリング「Luup」 3月に料金を再改定 サブスクも開始 - ITmedia NEWS
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このサービスを利用している奴らはほぼ全員クズだと思っている。
コイツの駐機場の傍に自販機とそのゴミ箱(リサイクルボックス)があるのだが、この駐機場が出来てから、ゴミが散乱するようになった。
ペットボトルと空き缶、空き瓶しか入れられていなかったのに、今や弁当箱、飲み残しの第三種ビールなどをボックスの前に放置していて、マジでゴミカスの集積場に。
挙げ句先月2個あるウチのリサイクルボックスが破壊された。箱の上が経年経過で割れていたんだが、完全に壊された(壊れたボックスは自販機サービスが撤去した)。
この近所で10年住んでるが、シナ人共の大声(これも二年前ぐらいから)以外でそんな迷惑行為はなかったんだが。
運営会社は謝罪もマナー啓発も管理もしないからさっさと潰れてくれると嬉しい。
なんかアメリカかイギリス(行ったこと無いからわからんけど)のうっそうとした森の中に白人のガールフレンドとキャンプしに来るシーンから始まった気がする。
森の雰囲気は若干暗かったけど芝生よりちょっと長めの草が生えててふかふかで、草の中に時々ハリネズミもいたからめちゃくちゃテンション上がってた。
一日目は普通に楽しんで二日目の朝、霧が立ち込めているキャンプ場の真ん中で、なんかおじさんが倒れてた。
こりゃ大変だ!ってガールフレンドと一緒に近づいたら、胸(おそらく心臓らへん)になんかデカいいがぐりみたいなのがついてた。
おじさんは血まみれになってかなり恐ろしい形相で絶命してたんだけど、その胸元のいがぐりはモゾモゾ動き出して、うさぎくらいの大きさがある血みどろのハリネズミになった。
なんかハリネズミにしては人間っぽい歯が生えてて、歯茎もしっかり見えてて、なんなら目が完全に白目で「ギャギャギャ―――――ッ!!!!!」みたいな叫び声をあげてこっちに襲い掛かってきた。
ハリネズミを避けるためにガールフレンドとバンガローみたいなのに逃げ込んだけど、古くてボロボロなのでハリネズミも侵入してきてもうパニック。
最終的にドライフルーツみたいなのに釣られてゴミ箱に入ったハリネズミ?に麻袋をかぶせて、こん棒みたいなので袋叩きにして仕留めた。
仕留めたことに安心しつつ、あまりにホラー映画のお決まりの展開すぎて、ガールフレンドと「キャンプ場に戻ったら人間に感染してて、血みどろデス人間になってたらどうしよう…」みたいな雰囲気になってた。
意を決して外に出てキャンプ場まで帰ったけど、その風景は全然昨日と同じで平和なもんだった。通りすがりの人間も全然ゾンビとかになってない。
ただし麻袋の中で倒したはずのハリネズミが蘇生していて、袋の中で暴れだしたから、保安官が来るまで交代でガールフレンドと叩きつぶすことになった。
時々、昨日見つけたみたいに可愛いハリネズミが目の前を通っていくんだけど、袋が動き出したら叩かなきゃいけない。中から「ギャッ!」みたいな鳴き声がしてしばらく静かになる…を繰り返してた。
楽しいキャンプで可愛いハリネズミを見てただけなのになんでこんなことに~?と思いながら泣きながら叩いていました。
こんな夢を見たせいで今日の午前中仕事しながらめちゃくちゃ調子悪かったです。
血みどろデスハリネズミ、なぜお前だけこんなことに……
サイネージの認識が「ちょっと投げ売りタブレット買ってきてPDF表示しとけばいいだろ」てなもんなんだろうね。
ゴミ箱の時にも思ったが、労働力を買い叩くことを嫌悪してるはずなのに平気で他人の仕事を買い叩くつもりの言葉が出てくるのが不思議。
地元の私鉄もQRコード化されてて思ったのは、間違いなく不便になったと思う。
でも、それに対するはてな村の反応にはほとんど共感できないというか、そんなの無理に決まってんじゃんという感想しかない意見に大量の星が付いてて悲しかった。
良くある反応としては「デジタル化しろよ」ってのがあるが、既存の仕組みとコストのかかり方が変わるだけでなく、下手すりゃコスト増になるから難しいよなと思う。
既存の仕組みは初期費用をある程度かけることで、次の変更までの運用コストを限界まで低減する仕組みだった。
けど、デジタル化すると、変更時のコストは低減できるが運用コストが跳ね上がる。
サイネージの単価もそれなりにするが、保守費用がバカにならない。
既存の経年劣化に強い掲示物制作するコストを掲載期間で均してもサイネージの運用保守費用なんかとても賄えないだろう。
あと、運用コスト低減のために広告を入れろって意見もあるが、Web体験を広告がどのように破壊しているかを現在進行形で体験しているはずの人達からこういう意見が出てくるのは面白いな。
Webに蔓延するクソ広告みたいに、時刻表を覆い隠したりクソみたいなエロ広告まみれになっても我慢するんだろうか?
我慢できる人もいるだろうが、我慢できない人もそれなりにいるだろうな。
ゴミ箱の件もそうだけと、「人口減少が社会にどのようなデメリットをもたらすか」というのがいよいよ目に見える形で出てきたということなんだと思う。
この国ではこれから先短くとも半世紀、恐らく1世紀ぐらいは人口減少が続くので、いろんなコストが右肩上がりで上昇していく。
コストプッシュでの値上げが真っ当な賃上げには繋がらないのは現在進行形で皆が体験しているとおりだ。
増えていくコストをどう賄うのか、コストの見合わない田舎を切り捨てたときにどんな問題が起こるのか、わからないことだらけだ。
振袖は着たくない。
大学卒業を控えた今のわたしも、やっぱり袴は着たくないと思っている。
2年前は自分でもよく理由が分からず、親や祖母は一生に一度なんだから着ればいいのに、と言い続けた。
だけど、成人式=振袖の構図に乗っかるのはありきたりだから嫌だとか、親のお金で選ぶ=途中でやっぱやーめた、とかできない、心理的閉塞感が自分のファッション美学に反するだとか、適当な理由を並べて回避した結果、それでも一応新しく買ったワンピースで、中高の同窓会みたいなやつに出た。(地元に友達がいないので式自体は出ていない)
わたしの振袖が見たいと主張していた祖父は前年に死んでいたから、わたしの主張に強く反対する親戚は誰もいなかったからだ。
そうして2年が経ち、現在卒業を控えているわけだが、袴はやっぱり着たくない。
最初は、2年前着られなかった振袖で出ようかとも思った。白地にバーンとでっかい鶴に椿とかを背負ってカッコよく決めたいな、なんて考えて、一度はその気になってフリソデモードに足を踏み入れてみたり、伊勢丹の貸衣装を覗いてみたりした。
けど、親が寝た後の暗いリビングのテーブルに、ぽつんとパンフレットが置かれているのを見て、やっぱりなんか違うな、と唐突に思った。パンフレットの幸せそうなモデルさんにイライラしてきて、もらってきたばかりだけど丸めてゴミ箱に突っ込んだ。
表紙を一枚捲ると、「お母さんに感謝を」的な、そういう文言が書かれている。
お母さんに感謝。
一理あるかもしれない。女手一つで育ててもらって、一貫に通わせてもらって、私大に入れてくれた。そのおかげで、悪くない職にもつけたと思う。いまいち活かしきれてないかもだけど、それはまずはありがとう。
けど、わたしは忘れない。忘れていない。
幼稚園の時にヘアゴムを無くしたら、夜中までリビングに立たされて、父親が帰ってくるまで怒られたこと。裸足で踏むフローリングの冷たさ。布団に入っても温まらない足を手で握って擦っていたこと。
両親が離婚して、変わった苗字を学童でからかわれて悔しくて、帰り道泣きながら母親の背中に話したら、「そのくらいで泣いててどうするの?」と逆に怒られたこと。自転車の後ろで、溢れる涙を押し殺して、声だけは気丈に振る舞ったこと。
テストの振り返りがちゃんとできていないといって、窓ガラスに向かって投げ飛ばされたこと。ベランダに締め出されたこと。投げ飛ばされたときは、これでわたしが大怪我でもすればお母さんも肝が冷えるかな、なんてのんきに考えていた。ベランダに出されるのは慣れっこだし、じっとしていればそのうち「なんで入ってこないの」て迎えにくるから大丈夫。
正直、これを書きながら涙が止まらない。
ぜんぶ完璧に乗り越えたと思っていたけど、全然まだ、わたしのきずとして残っている。
「お母さんに感謝を」というキャッチコピーを見た瞬間、わたしはそのことを理解した。
母とわたしは今では普通に仲良しだ。だけど、今までの人生で、何度も辛い目に遭わされてきたし、わたしはそのことを許していない。だから、母親に、「普通の母親が享受できるはずの幸せ」を与えたくないのだ。だから、振袖を着たくないと思ってしまうのだ。
メカニズムを把握した瞬間、振袖に対するもやもやした未練は消え去り、親への復讐という素晴らしい目的のためになんとしても今回も、袴および振袖を回避せねばならない、という使命感で高揚してきた。というか、今までの所業を「振袖姿を見せない」だけで精算してやろうというんだから、わたしは相当心が広いんじゃないかとすら思えてきた。だよね?
言って仕舞えば後もう一つ理由はあって(似たようなことだが)わたしは結構完璧主義なのだけど、「振袖とは心から完璧に祝いの気持ちで着るものだ」と信じている。だけどわたしは卒業を大してめでたいことだと思わないし、親には複雑な感情があるしで、そんな状態の人間が振袖を着てニコニコするというのは言うなれば振袖というものに対する「解釈違い」なのだ。だからやりたくない。
ここに書いたことは流石に母本人には言えないが、誰かに聞いてほしいのでここに来た。ご清聴ありがとう。
丸めてゴミ箱に突っ込まれたパンフレットをみて、翌朝の母親が少しでも心を痛めることを願って。
ゴミ箱だったはずの場所からまとめられインターネットに普及された思想。
自分の界隈だと嫌悪されてたはずの用語が定着してしまった現在のインターネット。
好きだったはずのオタクはどこに消えたのか。
純度の高いオタクを名乗る彼らは無断転載、作品批判、誹謗中傷に酔いしれる。
いつの間にかこのインターネットには居場所がなくなっていて、居場所を作ろうにも手も足も前に出ない。
実写嫌悪はいいけれど勝手に他者の怒りを代弁しないでくれ。当人しか知り得ない激情を勝手に語らないでくれ。その攻撃の先はなんなのか。その行動で誰の首を絞めているのか。
落ち着いてほしい。
死ねなんて軽々しく呟かないでほしい。
どれだけ名作が生まれようとも、どれだけ心に響く話があったとしても、本当に人を変えれるわけじゃない。
ただその現実が悲しい。
どれだけの言葉を費やしても、他者を傷付け踏み躙る自己表現は止まらない。
ただ悲しい。
ゴミ箱だったはずの場所からまとめられインターネットに普及された思想。
自分の界隈だと嫌悪されてたはずの用語が定着してしまった現在のインターネット。
好きだったはずのオタクはどこに消えたのか。
純度の高いオタクを名乗る彼らは無断転載、作品批判、誹謗中傷に酔いしれる。
いつの間にかこのインターネットには居場所がなくなっていて、居場所を作ろうにも手も足も前に出ない。
実写嫌悪はいいけれど勝手に他者の怒りを代弁しないでくれ。当人しか知り得ない激情を勝手に語らないでくれ。その攻撃の先はなんなのか。その行動で誰の首を絞めているのか。
落ち着いてほしい。
死ねなんて軽々しく呟かないでほしい。
どれだけ名作が生まれようとも、どれだけ心に響く話があったとしても、本当に人を変えれるわけじゃない。
ただその現実が悲しい。
どれだけの言葉を費やしても、他者を傷付け踏み躙る自己表現は止まらない。
ただ悲しい。
結婚して4年。
掃除、洗濯、料理、食器洗い、ゴミ捨て、シーツ替え、排水溝のネット取り替え…思いつく家事は95%程度は俺がやっている。
負担が大きいのでドラム式洗濯機、ルンバ、食洗機は購入したが、皿を並べるのもテーブルから洗い場に移動するのも洗い終わったものを棚にしまうのも俺。
テーブルや床には毎日ゴミが増えていき、週に一回ペースで俺が激怒して少しだけ片付く。そして数日で元通り。
嫁の部屋はかろうじてドアを開けられるスペースがある程度で足の踏み場はない。リビングにも嫁用の大量の収納を求められて用意したが、有効に活用されていない。
月に一回ほど料理を作ってくれることがあり、俺が20〜25分くらいで完成させられるくりいのものを1時間半程度かけている。滅多にないことなのでありがたく頂くが、当然力尽きて後片付けはしない。
休日は寝るかスマホをいじるのみ。「週末にどこそこへ行きたい」とか毎週のように言われるが、そもそも日曜の16時くらいの段階で始めて起きてくる。その時点で最後に風呂に入ったのが金曜日の朝の人を連れてお出かけは正直したくない。当然すんなり風呂に入ってはくれない。
セックスは月に一回。相当しぶられる。俺も本当にしたいというよりは、愛情の確認をしなければ捨ててしまいたくなるからお願いしている面もあるように思う。
定期的に思うんだけど、本当にくたびれる。
こんなに頑張る必要あるんかな。
人に言ったら困った顔をさせてしまうからあまり口には出さない。
検索すると、自己肯定感がどうとか、うつ病の症状だとか、いろいろ言及されている。
答えは無理矢理まとめりゃ大体「前向きになれ」。
しんだ方がマシだとは思えない。
しのうとも思えない。
生きてても死んでてもどっちでも変わらないと思う。
いてもいなくても社会に影響はないから、他人に迷惑かけないようにひっそり息をしてる、それだけ。
CMで、使えないからゴミなら使えるようにすればゴミじゃないと言っていた。
それなら使えるようになればいいかなと頑張ってみたこともある。
結果、使えるゴミが育っただけだった。
汚いゴミ箱は人に迷惑だからなるべく身の回りはきれいにしている。
いつか回収されるなら、それもいいかなって思う。
人に話を聞いてもらえなくても、自分がゴミだと思っていれば「まあゴミの話は聞かないよな」で終わる。
親切な人がいればゴミの扱いさえも丁寧な聖人に見えるし、自分の周りで関わってくれる人たちのことまで汚さないよう迷惑かけないよう過ごしてる。
自分がゴミを捨てるとき同族意識が募るから、物を大切にするようになった。
使い捨てのものはあまり使わなくなって結果ゴミは減ったから、環境にも優しくできているのかもしれない。
ゴミと人間を比べても意味がないから、他人と自分を比較することもなくなった。
他人の感情やライフステージの変化にダメージを受けることもない。
とりあえず細々と誰の迷惑にもならないよう過ごしている。
頼まれれば地域の活動にも参加して、仕事だけこなして帰ってくる。
誰かに褒められることもないけど誰かに誹られることもない(と思う)。
というより、そこまで興味を持たれていないと思う。
もちろん、日テレや脚本家のインスタでの発言が良くなかったことはわかる。
でも現状の、憶測だけが巡り巡って"脚本家"と"ドラマ製作陣"という大きな『敵』に正義感を持った人たちが強い言葉で攻撃しているのは、見るのがつらい。
「脳に欠陥がある」「尊重する意思がないイカれた集団」「原作がなけりゃなにも書けない」「おかしいやつしかいない」「コソ泥と同じ」
そんなに言わなくていいじゃないか。
大きな方向性を持った炎が、色んな人々の攻撃性を追い風にして、今なお大きくなり続けている。もう何を言っても焼け石に水で、あとは燃え尽きるのを待つしかない。
もし、ぼくがこれから脚本家になれたとして、これらの強い言葉に、正義感の炎に対して自分自身を守れるのかがわからない。 脚本に対して真摯に向き合うしかないんだろうけど、それでも自分に火の粉が降り懸からないとは限らない。
今は10代だけど、いづれ若者じゃなくなる。脚本家という仕事を志すかに対して、迷ってる
気が滅入っちゃって、ゴミ箱に投げるくらいの気持ちで書きなぐったけど、やっぱり酷いこと言われるねw見る専だったから初めての経験。