はてなキーワード: 道義的とは
自己啓発系にハマって、刺さった発信を次々シェアしてくれる知人がいるんだけどアレキツいね。
本当に仕事ができる人が実践している5つのことみたいなやつはポジティブだからこっちも気付かされることがあるけど、人が離れていく人の5つの特徴みたいなネガティブなやつは危ない。
確かに納得するところもあるけど、要はコレをするなアレを言うなってことだから、道義的に正しくても背景を考えた方がいい。そうして誰の役に立つのかってこと。実践してたらただ都合よく動かされる人間になるだけのやつがある。
マウントじみたやつもあるな。嫌われる上司はこんな人みたいなの。あーいるいる、俺の上司がまさしくそう、ってマウント取って気持ちよくなるため。実際にはマウント取れてないわけだから、勝った気になるって言えば良いのかな。
勿論全部が全部そうだとは言わない。まともに受け止めて(俺のことだ…直さなきゃ)(だよな、俺は正しい)とか思う奴をタゲってるんだろうな。件の知人も人の話を素直に聞くタイプだ。
知人がシェアしてくれる発言元を見てみることもあるけど、胡散臭いのがまあまあ多い。謙虚でいろと言いながら自分は全く謙虚じゃない。でも万フォロワーを抱えてるのも多いからなあ。何がうけてるんだろう?叱ってくれる的な感覚なのか?
コロナ政策に関してリスクコミュニケーションをすると、それが医療的な側面であれ、経済的な側面であれ、人の死という話は避けて通れません。しかし、はっきり言って、日本国民にこれを受け入れる度量がありません。人命の話をすれば、理屈を越えたウェットな批判がいっぱい来るのは目に見えています。そうなのであれば「言わないでおこう」となるのが、政治側の都合だけを考えれば当然の帰結であるわけです。
厚労省のサイトの奥の方にある資料や、都道府県サイトの奥の方にある国方針に基づく施策に関する資料を見ると、リスク評価は一定程度されていることを垣間見ることができます。しかしながら、それが表立って語られることはありません。5類移行の話に限って言えば、世論調査で賛成多数でした。それなら、道義的なところには目をつぶって、その空気に乗っかかってしまえ、となるのが自然でしょう。
どうすれば政治家は説明責任を果たすようになるでしょうか。国民が、説明責任を果たさないことこそが最大の悪であると、説明の中身に対するものよりも大きな熱量を持って批判するようになれば、彼らは説明するようになるでしょう。「政治家は話をごまかす」などとぶつくさ言いつつも、しばらくして忘れてしまうのであれば、そうである限り政治家が説明責任を果たすことはないでしょう。
はてなブックマーク - コロナ5類「科学ではなく空気で決まった」 西浦教授が指摘する課題:朝日新聞デジタル
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASR5155P3R4GUTFL01N.html
おい竹山!お前の何が間違ってるか教えてやる!
公共の電波使って民に何が正しいか教えてんのに民に「間違ってる」と言われて謝るな。「こういう理由で正しいので、謝らないです」と説明しろ。
手間省いて謝ってお辞儀の価値を下げてる。ネットが世論形成してんのに負けるな。メディアの公正さで殴れ。
2. 横を素通りする。予想を裏切って面白い。
笑いの源のひとつに「意外性」がある。どっちか一方のネタを擦ってたら「意外性」は薄れるだろ。
TVが笑いに多様性を持たせなかったのが悪い。身内をバナナ滑り派だけで固めたのも悪い。
前章にある通り、ワイドショー観るような層にもシュールな笑いを教えるべきだった。一時の視聴率低下を我慢して。
配信者には両パターン揃ってるんだよ。リモコンにチャンネルボタンが12個しかないTVと違って、ネットには競争があるから。
動物によってはストレスによって体調崩すぞ。だから施設側は反発してんだよ。そこまでして取る笑いか?
「落ちる落ちる…セーフ」でいいじゃん。実害ない池で落ちりゃいいじゃん。
ペンギンより笑いが重要なら蹴り殺せよ。春日が急にペンギン蹴ったら面白いだろ。なんだ池に落ちるって。おもんな。
取材対象にネゴれよ。仕事の基本だろ。落ちちゃまずいよねってなったらバナナ横素通りに切り替えろよ。
バラエティ番組でめちゃくちゃやってるのと同じチャンネルで真面目なニュースやっててもいまいち真剣に聴けないんだよね。
線引きしよう。バラエティ番組ではめちゃくちゃなフィクションやって謝らない。ニュースならクソくだらないユーモアを廃して徹底的に公平さや道義的価値を追求する。
アホみたいに盛ってるテロップ・ワイプ全部捨てて「真面目」とか「フィクション」とか表示してくれ。
昼のワイドショーでペンギン蹴り殺して夜の報道で悲しいペンギンの死を報じる
か、
上に「バラエティ番組」ってテロップ出してバナナの横を素通りする
か、だよ。
コンプラに触れなきゃ商売できないって反社じゃねーか。今どきヤクザでも腫れ物には触らずに仕事するぞ。
バナナ素通り派を雇え
はてなブックマークはブックマークを通じて他の人とつながったり、注目の話題を簡単に探すことができる、国内初のソーシャルブックマークサービスです。
はてな、国内初ソーシャルブックマークサービス「はてなブックマーク」開始 ~ウェブサイトの内容からキーワード抽出し、コミュニティ要素を強化~ - プレスリリース - 株式会社はてな
ソーシャルブックマークサービスの草分けは海外の「del.icio.us」で、はてブはいわゆるパクリタイムマシン経営だった。まさか本家よりも長く生き延びることになるとは。
そもそもソーシャルブックマークサービスにおいて「コメント」や「ホッテントリ」的なものは本質ではなく、Webサイトに大勢で「タグ」を付けていくことで検索しやすくする「フォークソノミー」のほうが重要視されていた。
まだ「Web2.0」の華やかなりしとき、「集合知」が信仰されていたころのことである。
コメント機能が実装されたのはβ版開始から12日後のことだった。すべての戦いの始まりである。
はてなブックマーク正式版リリースについて - はてなブックマーク開発ブログ
例えば A さんが、非表示ユーザー項目に B さんのユーザー名を指定すると、A さんからはエントリーページ(コメントが一覧表示されるページ)で B さんが見えなくなります。(実際にはエントリーページにおいてのみプライベートモードと同様の扱いになります。) なお、A さんが B さんを非表示ユーザーに設定していることは、B さんを含む他のユーザーには知らされません。
別にGigazineが悪いわけではまったくないけれど、Gigazineのエントリーが頻出するようになったあたりから、どんどんエントリーの質が下がってきている。もう最近あまりホッテントリも読まなくなった。
執筆者は現在でもUI論やAI論などでブイブイ言わせている深津貴之氏。
これに対してブコメでは「ホッテントリなんて見ない」「お気に入り機能を使え」といった論調。
ちなみに現在の感覚だとあまりブクマされていないように感じるかもしれないが、当時100users超えは相当に注目されていたほうである(ホッテントリでも10users20usersが当たり前だった)。
ほぼ同時期にこんな記事も上がっていた。いわゆるモヒカン族の代表格・ekken氏の記事である。
「はてブでコメントするのは卑怯だ、文句があるならウチのコメントか自分のブログに書いてトラックバックしろ!」
……などという笑っちゃうような文句をよく見かけるけれど、そういう人は「はてなブックマークもウェブログの形態の一つ」であることを認識していないんだろうなぁ。
少なくとも「はてブは反論できないから卑怯」論が当時からあったことがわかる。
「ホッテントリがつまらなくなった」「ブコメが攻撃的である」「ブコメに反論できるようにしろ」といった批判は現在に至るまで断続的に続いている。
ネット右翼のメッカが2ちゃんねるだったとすれば、ネットイナゴが集まるのは「はてなブックマーク」だ。たとえば今日の当ブログの記事には、現在39のブックマークが集まっているが、そのコメントには記事の内容を論理的に批判したものは一つもなく、「バカ」「うんこ」「アホ」などの言葉が並んでいる。
執筆者の池田信夫氏は当時影響力のあった(今もあるだろ!)ブロガーの一人だった。
この記事をきっかけに「ネガティブコメント」問題の議論がより活発化した。
当時のはてなCTOであり、はてなブックマークの生みの親である伊藤直也氏も反応していた。
コードをもって改善するのか、ユーザーのみなさんとの対話を行って改善していくのかを id:jkondo, id:umedamochio らと一緒に日々考え検討しています。
ちなみにjkondoははてなの創業者で前社長の近藤淳也氏、umedamochioは当時のはてな取締役でメンター的な役割を担っていた梅田望夫氏である。
……と注釈しておかないと、今どきは知らない人のほうが多いのではなかろうか。
当時は、はてな社員とユーザーの距離が近く、はてなコミュニティ内の話題にダイレクトに反応してくれていたのだ。
そんなわけではてな社はネガティブコメント対策を考えることになる。
はてなスターでは基本的に他人を褒めることしかできません。コメントをつけるにはともだちになる必要があり、ブログを読む人の9割が「面白い」と感じているの に、実際に目に見えるのは残りの1割の人の批判的な意見ばかり、というような事は起こりにくくなっています。
はてなスターは、ごく小さな「ポジティブな気持ち」を掬い取るシステムとして作られているが、これはネガティブコメント問題が背景にあるからだった。
つまり「ネガティブコメントを単純に排除するのではなくポジティブな気持ちを可視化することで対抗しよう」という設計思想だったのである。
ちなみに、当初の「はてなスター」には「はてなスターコメント」という機能もあった。
これは「お互いにはてなスターを付けあったユーザーだけが書きこめるコメント欄」である。
現在のTwitterの「リプライをフォローしているユーザーに限定する機能」みたいなものか。
このアイディアは悪くなかったが、システム的に洗練されていなかったためにほとんど活用されることはなかった。
はてなブックマークから「IDコール」が送信されるようになりました - はてなブックマーク開発ブログ
これ以前からはてなダイアリー(=はてなブログの前身)には「IDトラックバック」という似た機能があったのだが、はてなブックマークでもそれを利用できるようになった。
ある意味で「はてブは反論できないから卑怯」問題に対する回答ではあったが、当初から「喧嘩相手の呼び出し機能」「気持ち悪い馴れ合いを促進する」「IDコールしまくる荒らしが出そう」などと言われていた。
ASCII.jp:津田大介が伊藤直也に聞く、「はてなブックマーク」の今と未来(前編)
ASCII.jp:津田大介が伊藤直也に聞く、「はてなブックマーク」の今と未来(中編)
ASCII.jp:津田大介が伊藤直也に聞く、「はてなブックマーク」の今と未来(後編)
先ほども出てきていた当時のはてなCTO・伊藤直也氏がはてブについて語ったインタビュー記事。
「ネガティブコメント問題についてはてながどう考えていたか」が窺える興味深い内容である。
はてなブックマークのコメント一覧非表示機能について - はてなブックマーク開発ブログ
ウェブサイトのオーナーが専用のmetaタグを設定すると、そのサイトのコメント一覧ページが見えなくなる、という機能。
前掲のインタビュー内で、
と言っていたのはこれのことだったのだろう。
ただし、はてブの知名度が低いために、わざわざコメントを非表示にしているサイトは現在でも少ない。
日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編)(1/3 ページ) - ITmedia NEWS
はてなの取締役であり、日本における「Web2.0の伝道師」と目されていた梅田望夫氏が、ついに日本のインターネットに絶望してしまった事件。
その後、梅田望夫氏ははてな取締役を退任、表舞台から姿を消してしまった。
ぼくが今日はてな東京本店にお邪魔して一言申し上げたこと - ハックルベリーに会いに行く
[B! はてな] ぼくが今日はてな東京本社にお邪魔して一言申し上げたこと - ハックルベリーに会いに行く
当時、はてな界隈でオモチャにされてブクマを荒稼ぎしていたハックルさんこと、この数カ月後に『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』を刊行してまさかのミリオンセラー作家となる岩崎夏海氏が、梅田望夫氏の発言を受けて「なぜはてなは僕に話を聞きにこないのか?」と豪語し、そして実際にはてな社に招かれて「ガツンと言ってやった」という流れ。
本来はカッターほどだった言葉の殺傷能力を、サバイバルナイフくらいに、あるいは日本刀ほどに増幅してしまう力が、インターネットには、中でも取り分け「はてなブックマーク」にはある。
だから、そこを管理運営しているはてなという会社には、実はとても大きな責任があるのだ。そこで事故が起きないように気をつけたり、誰かが誰かを傷つけたりしないよう見張っている道義的、かつ社会的責任があるのだと、ぼくは申し上げたのである。
しかし現状、今のはてなにはその自覚はない。そのため、主にブックマーク界隈を中心として、非常に危険な場を形成している。非常に危険な状況を生み出している。それは本当に見ていて危なっかしい。このままでは、冗談ではなく近いうちに人死にが出るだろう。
この「人死にが出る」という予言は、残念なことに10年後に的中してしまったのだった。
はてなブックマークの生みの親であった伊藤直也氏がはてなを退職した。
はてなブックマークのエントリーページを改良しました - はてなブックマーク開発ブログ
はてなスターが多く付いているコメントが優先して表示されるようになった。
つまり、はてなスターがブコメのモデレーションに使われるようになった。
ただし、現在のようにタブで切り替えるのではなく、コメント一覧の上に別枠として表示されるような形だった。
はてなブックマークのエントリーページの表示を変更しました。 - はてなブックマーク開発ブログ
「人気コメント」と「新着コメント」をタブで切り替えるようになり、デフォルトでは「人気コメント」しか表示されなくなった。
もともと、はてブのコメント一覧ページでは、「無言ブクマ」も含めて、すべてのブクマが新着順に表示されていた。
しかし、ある時から「コメントのあるブクマ」しか表示されなくなり、さらに「人気コメント」タブが優先表示されるようになった。
つまり「フラットな見せ方」から、ある意味では「偏った見せ方」に変わったのである。
個人的には、この「はてなスターをモデレーションに使う」「デフォルトでは人気コメントしか表示しない」という二つは大悪手だったと考えているが……。
これまでブックマークコメントに関して、ユーザーの皆様より「一方通行で意見を述べる場であり、意見に対して更に意見を重ねる方法がない」とご指摘をいただくことがございました。コメントへの返信機能は、その解決策の1つです。
今回の機能で、ブックマークコメントページ自体がブックマークされる、そのページがコメント付きでシェアされるなどを通じて、疑問への回答が得やすくなることを期待しています。
「はてブは反論できないから卑怯」問題に対して「コメントひとつひとつに個別のページを用意したら反論しやすいだろう」ということで実装されたもの。
ただし、ブコメひとつひとつの固定URLというのはこれ以前からあったし、「同じページで反論したい」「相手に反論を通知してほしい」といった要望は満たされていない。
はてなブックマークは10周年を迎えました - はてなブックマーク開発ブログ
IDコールを利用して攻撃的なコメントをばらまいていたユーザー(増田では「低能先生」として親しまれていた)が、名の知れたはてなブロガーだったHagex氏を殺害した事件。
低能先生が「アカウントをBANされて発言の場を奪われたから暴発した」ことを考えると、はてながネガコメ対策を強めたことが裏目に出てしまったとも言える。
もちろん放置すればよかったというわけでもないので難しいが……。
ブックマークコメントからのIDコール送信機能は、ユーザー間のコミュニケーションを促進する目的で提供してまいりました。しかし、ブックマークコメントには文字制限があること、また、自身へのIDコールに返信する機能や、ブロックやミュートなどIDコールの受信を制御する機能がないことなど、本来の目的からは不十分な部分もありました。
ここで発生する問題として、不穏当な表現は注目されやすい傾向があり、その結果として人気コメントに不穏当な表現が目立ち、強調されてしまうことがあります。これは、サービスの構造に起因する解決すべき課題であると受けとめています。
人気コメント算出アルゴリズムの一部にYahoo! JAPANの「建設的コメント順位付けモデルAPI」を導入しました - はてなブックマーク開発ブログ
しかし「短文だと人気コメントになりづらい」とかでコメントを「ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•」で埋めるのが流行ったりした。
ぼざろを見たんよ。
「きらら作品特有のざっくりしたキャラデザとやや類型的なキャラ造形の中から
リアルなライブハウスや演奏の空気とかを出してくる侮れない作品」
で、確かによくできてたんだけど
なんか思ったより青春のリアリティラインが低かったなーて感じた。
その辺はもう作者の実体験をいかにぶちこんでくるかってところだけど
描写されてる駅とかは俺が昔住んでたあたりなんだけど
ライブシーンもタイミングとか滅茶苦茶凝ったカットで演奏が表現されてるんだけど
そこまでやるのになんでボーカルはこんなに安定してるんや?ってとこで乗りきれなかった。
整いすぎ。破綻なさすぎ綺麗すぎ。
ギターに拘る割になんでボーカルでもうちょっと臨場感出さなかったのかな。
声優が必死に歌った一発撮りでよかったし録音環境も悪くしてほしかった。
ぼっちの方に気を取られて歌いだしが遅れたりとか当然あるはずなのにそういうのもない。
俺はあと一歩リアリティラインが高いのが見たいっていう俺の趣味の話。
mahinatan リアリティがあれば売れるというわけではなく ある程度綺麗なパッケージにしないといけないので…アニメでリアリティを求める人あんまりいない説
2023/02/21 リンク yellow59yellow
俺は「俺の事前の期待はああだったけどぼざろはこうだった」つってるだけで
「道義的に俺の期待通りにするべきだったんだ」とか
そういうことは一文字も書いてない。
外部的な基準を持ち出したりそれによって自分の趣味を擁護したりしていない。
だから俺の趣味の話に反論するなら自分の趣味の話をすべきだったと思う。
「これこれこういう目的と基準でぼざろの描写はきちんとまとめられておりそれは私の美意識叶うものだった」
みたいなね。
そこに鋭い好き嫌いを持っていない人はそもそもこんな話に反論することが出来ないわけで、その意味で話の嚙み合ったレスポンスは1割ぐらいしかないと思う。
といううえで
コンテンツにはリアリティは常に存在して、設定されたラインの高低があるだけ。
この人の主張を正しい言葉に直すと「アニメに高いリアリティラインを求める人はあんまりいない」となるんだけど
「あんまりいない」ことはなくて基本的にはディテールのリアリティの要求ラインは一貫して上昇傾向だし、ぼざろも未見の人間への惹句として「リアリティ」「解像度」という言葉を盛んに使ってたよね。
わかりやすいのは逆にこのへんをもっと下げていったらどうなるか考えてみるってことで、その場合はだるいアニメになって今ほどヒット出来ない仕上がりになっちゃうでしょ。
nbr-bnbr-b そもそもリアリティというのも個人差があるし、そこを追及し過ぎることにはメリットが無い派。自分の求めるリアリティが無かったからといってわざわざ主張することでもない。
2023/02/22
主張を正しく直すと「求めるリアリティラインに個人差がある」だよね。
で、「追求し過ぎると」ってどのラインで追及するかという議論でしかない。
そしてどの辺が自分の好みであるか述べることの何が問題あるのかわからない。
sovereignglue スポーツは弱小からのし上がっていく話が成立するけど、音楽はリアル志向で下手なとこからスタートだと観たく(聴きたく)無くなるから難しいね。
2023/02/21
俺は別に「下手糞な段階をじっくり見せろ」って言ったんじゃなくて(俺の趣味でもそれは別に見たくない)
「(歌が上手いのは結構だが)安定しすぎてて臨場感表現足りて無くねーか」つったんだよ。
歌が上手い人でもライブの時は色々あるしスタジオ録音とは違うだろ。
(だから「ドラムも安定し過ぎてるぞ」みたいなブコメのツッコミはその通りだと思う。)
uk_usa_tv ぼっちは、見せ場のはずの文化祭ライブのステージの照明の素人感(喜多ちゃんとぼっちの顔が影になるほどヘタクソ)をあえて出した時点で完敗だったので、歌唱が多少うますぎても気にならなかったです。
2023/02/22
(逆に言うと上の人達は俺の話にかみ合ってない反論で会ったりそもそも話を理解してなかったり「リアリティ」という言葉への注意がガバすぎたりしている。)
fried-tofu リアルで下手な歌を聞きたいかと言われると……上手い方が自分は嬉しい。 アニメ
2023/02/22
「うますぎる」なんて書いてなくて「安定しすぎてる」って書いたのにこれだもん。
反論してくれるのは嬉しいけど相手が何て言ってるか理解して反論してくれよ。
yujimi-daifuku-2222 バスケ始めたばかりの素人が全国大会で活躍する荒唐無稽さからスラムダンクには乗れなかった的な。/美人ばかりが集まる時点でご都合主義なのは分かっていたはず。
2023/02/21
でもギターや作画の細かい不安定芝居臨場感芝居の割にボーカルが安定してんね
(作画見てるとぼっちの心配して目線やってる奴とやってない奴の差まで描いたりしてるからね)
俺の趣味に対し「私の趣味はこうだ!」って激突してきて否定してくれるんならいい
これもブコメの多くで見られたけど
「非現実的な設定をぶち込むこと」と「リアリティライン」は全然別の話であって
そこの区別がついてない人が多いんだよね
「凡人しか出てこないけどリアリティラインの低い世界」も描けるし
「将棋星人が襲来してるけどリアリティラインの高い世界」も描けるでしょ
同人誌の価格云々のお気持ち合戦見て男性向け界隈楽だなーと思ってしまった
道義的な良し悪しは別として営利目的の同人が当たり前のスタンスで存在するから誰も価格なんて野暮なツッコミ入れない、揉めるとしたらもっとアクロバティックなやらかしの場合
女性向けオタにはこの治安の悪さが問題に映るみたいだが、隣の芝生は青いから、個人的には欲望に率直な分活動しやすそうだなと感じた
他人様の作品なので大々的に金稼ぎの道具に使うのはどうかと思うけど、公式の中の人だって同人活動は把握しているところだろうし隠れろとか利益出すなとかはもう土台無理な話じゃないの、というかとっくに形骸化した建前か
もう本当に何回目の話題だよ
強い言葉で見えない敵叩いたり昔話掘り返したり上から目線でドヤったり
きしょいなあTL構築失敗だよあーあ
いろんな考え方があるとは思うが、俺は子どもが幼稚園に行き始めてから学校がある日は学校に行かせることにしている。
もちろん、五月の連休などに間を休ませれば長い間子供と旅行できるという発想の人がいることや、元増田のような発想の人がいることは知っている。
無遅刻無欠席ってそういう継続の壁を越えたという自信になると思うんだよな。
もちろん、学校に行くのが死ぬくらいいやだったら別に行かないでいいと思うけれど、元増田の話ってそういうのじゃないじゃん?
学校に行くのは、どちらかというと、約束みたいなものだと思うんだよな。
その視点で言えば、先約を断って後の楽しい約束を取り付けていいか?という道義的な問題があると思う。
自分はいくらお金が安くてもそれ以上のコストを子供に払わせることになると思っているから、学校を休ませて楽しいことはしない。
今までセフレでつないできたけど、素人同士だと精神的な繋がりを避けられないのが面倒なのよな。
こっちから情が移るパターンもあれば、あっちから普通のデートを求められることもあって、手軽な性欲の解消手段にするにはMPと時間の消費が激しい。
ドライで性癖がピッタリ合う相手に出会うのは宝くじ並みの確率だし、お金で繋がった関係の方が楽そうだなということで風俗通いを始めようかなと思う。
それでも、金で繋がった関係とはいえ最低限行きつけみたいな、馴染みの感覚が持てる嬢を見つけたい。疑似恋愛をしたいわけじゃなくて、技術とか衛生面で信頼感が持てる嬢に定期的に通いたい。
たぶんこれは自分に合う美容師を探したいみたいな気持ちに近い。
でも、たぶん嬢の在籍はかなり流動的だろうから、なかなか長くお世話になれる人を見つけるのは難しそうな気がしている。風俗を長く続けてくれるように祈るのもなんか道義的に違う気がするし。
実際に起きた話だと、そのツイッターや増田に対する評価がプラスになるんだろうか。
そもそも、実話が常に創作を超えるのであれば、小説など需要が無いわけで、創作or実話の判定をすることにあまり意義を感じない。
リアリティを突き詰めた話は、社会的活動の中でいっぱい聞いてるでしょ。
そんな方向の話より、少なくとも増田の中では、創作話で楽しんでたらいいじゃんって思う。
というか、実話が創作より偉いというわけではないだろう。
実話を語る当事者が間違ったことを言い、事象をうまく表現できない(例えば、当事者ゆえに一面的な見方になるなど)なんてことはよくあるわけで。
だから、当事者こそ正しいことを言い、素晴らしいことを記すという「当事者の優位」みたいな素朴な信仰から、創作話を下に見るのであれば、それはおかしいと思う。
むしろ、創作によって実際にあった事象を再構成して、当事者よりも物事を正しく伝えてくれるかもしれないのだ。
あと、創作であるというの指摘は、実話らしく描くことの道義的問題を問うのが本丸なのかもしれないが、これでさえも、一読者としては本当にどうでもいい。
それがまるっきりの創作であったとしても、それが良い(楽しい、面白い…)文章ならば、それを糾弾する意味が感じられない。
読者として打算的に言うなら、創作であることを指摘して書き手の機嫌を損ね、次作の創作意欲を妨げるよりは、
その嘘を看過して、むしろ誉めまくって、再度同じような良い文章を味わわせてほしいと思うわけで、一読者としては、おかしいこととは思えない。
(追記)
道徳的にダメな話(中傷とか)は、実話でも創作でもダメだとは思うよ。
騙すことで誰かが困るような文章は勿論いけないと思うが、小説的な体験談であれば、それがリアル(実話)かフィクション(創作)かを判定することに意味が感じられないという意味ね。