はてなキーワード: 自分勝手とは
ある、歯科医院での場面。
痛かったら手を上げて教えてくださいね
→
とは、一言も言っていない。
■患者様だぞ!!
患者側の権利者意識、簡単に言えば大柄な態度と心理が関係しているのだと思う。
歯科医師も衛生士さんも、一言も「痛い=あなたの都合で、治療を止めます」とは発言していない。
どこまで炎症が進んでいるかとか痛みがどのくらいの深さとか知りたい。
患者の心性や感じ方を知りたいわけではない。
あくまで、口腔の状態を知りたいのだ。
■逆誘導尋問
誘導尋問。
間違った前提を気づかせない質問。
そして人は時に、
自分は大事にされるべき患者だ、という間違った前提を持っているから
痛い→不快→尊重してもらえる→小休止すべき、というイラショナルビリーフになる。
■プチ処方箋
こういった
晒し者にならないためには
「人間は自己中心的に考える生き物なんだ」と言う前提に立って、
□おまけ
歯周病菌は女性ホルモンを栄養源として好み、女性ホルモンが大量に分泌されると
簡単に増殖します。
横山健のメルマガで講座の内容をダウンロードできたのでまとめてみた
1.弱弱しくしない(ずっと敬語でしゃべり続ける、おどおどしない、こんな俺でよければ…など)
2.会話のキャッチボールができない
3.女々しくしない(あの時こうだった、数日メール返ってこないだけで嫌われた)
5.自分勝手(相手の話を聞かない、興味のない話をする)
2.好意レベルによって変える
4.S=いじらない、M=ほめない
5.まじめ系=下ネタ×、非まじめ系=無難な会話をしてはいけない(質問攻め×、面白いこと○)
1.心を開かせる
2.酒を飲んでセックスして、それを利用する
(心を開かせてない場合は好意がない)
1.頻繁に付き合ってる子=やさしくする、話を聞くなど(いる場合は別れた時まで待つ)
アスペルガーの場合、会話のキャッチボールができない上に自分勝手になりがちだ
横山健をもってしても無理ということか…
思うんですけどね、ぼく、脳にチップを埋め込んで知識を頭に直接ダウンロード的な世界が本気で到達しないかなーと思ってるんですよ。でも一言で知識といっても。全知識のことでは無く、いわゆる理科学系的な知識のこと。
そのような未来感に対して在野の方は「知識を頭に叩き込んでも知識の使い方を覚えられない」という文句がでるんですが、僕はそんなもの詭弁に過ぎないと思うんですよね。
何故ってそもそも人ってあなたみたいな偉そうな人が言うほど馬鹿じゃないよって思うし、論理とやらは数学でも良く出来た人文系の本でも読めば会得できるものだと思うからです。
加えて理系的知識のみ頭に直接叩きこんでも構わないというのは、理系的知識が(複雑系的な言説が代表する最先端の知を除いて)すべてがファクト(らしい)だからです。
例えそれが原理的に「ファクトらしい」ことであるとはいえ、少なくとも恣意的では無いんですよね。それでですね、そしてそんなファクトらしいことをファクトとして扱って科学はここまで技術化され人類の進歩発展に帰依してきた(ここれ辺が人文知とは異なるところです。人文知はその恣意性が暴力的な力を持っている。そしてその暴力性が人文知の力。すなわち文脈を書きかえること。個人にとって一見関係無かったものを一つの視座を持って関係づけ、切実なものにする。それが人文知の力、だと思ってます。)(一方理化学的な知識にも別種の暴力性が当然あります。そのことに自覚的でない科学者はみんな根本的には自分勝手なクソ野郎なんだと思います。残念ながら。)
うう、かっこの中の話で本筋から遠ざかった…。
ぐだぐだ言ってきましたが、ここまで言ってきたことは一言です。基本的な理系知識というものは大抵が世代を超えて一個の人間がまた改めて一から学ぶほど価値があるわけではないということ。
いわゆる理系学生の中に以下の現実に気づいて憂鬱な気分になっている人は多いと思うんだけれど、若いころの時間を使って結果の分かりきってる学生実験をする価値なんて99%以上無いんですよね。
え、実験道具の使い方?レポートの書き方?全部別プログラムでやらせた方がよっぽど効率的です。だってどちらも理系的な知識を使わないじゃないですか。どちらかというと体育と国語ですよ。
そりゃ回数重ねてれば何かの偶然で新しいことが起こるかもしれないけれど、そこに若い学生の時間を使うのはいかがなものかと思います。どちらかというならこれから寿命がますます伸びた年配の方がおやりになればよい。しかも年配の方々は数が増えるのは分かりきっていることなのだから。可能性の伸びしろとしてはそちらの方が全然優位なはず。
そしてぼくはそのような年配の方(時間があって、科学とかゆるく好きで、しかも高校の教科書的な所から大学の2~3年程度の知識が頭に一括ダウンロードしてある方)が自由に研究を趣味的にできるような場がこれからあると良いなーと思います。
知識があったとしても大抵は無駄な研究もどきなるとは思いますいが、それでいいんです。無駄は文化になります。文化は物語化されてブランド足り得ます。
今までに比べてはるかに安いコストで、気軽に研究できる。しかも初めから自分の興味のある分野を。これってとてもいい社会だと思います。それにそのようなある種のハードルを下げるにはとても良くて、実際的に何がいいのかというと人材流入のハードルが下がれば在野の人の既得権の縛りが解かれる+競争激化+多様性が増しイノベーションが起こりやすくなるんですよね。(その弊害は例えばPixivなんかで散見されますね。すなわち雇用の問題。)
これからデジタルに親和性の高い世代が高齢者になったり、ある程度英語等でコミュニケーションで来て人材の移動性が高まる時代に、それを実現できたら、かなりのその地域引いてはその国のブランドになりえるし、いいことだと思うんですよね。
日本というのは自然災害がその立地条件からして根本的に多い国だし、今回の放射能ははそもそも強いと思われていた農作物のブランドの(程度はどうであれ少なくとも方向性として)下落につながった。その後の日本政府の立ち振る舞いも同様に日本全体をパッケージとして観たときのブランド価値は下がったと思う。
つまり日本というのは根本的に他国に比べブランド価値が強くなければ優秀な人材を引っ張ってこれない国だと思うんですよ。例えばわが身ひとつで立身出世しようと考える優秀な中南米人が「日本は色々災害とか身の危険あるけど○○があるからここで仕事をしよう」と思ってくれないとダメなんですよね。でなければきっとこれから日本という国は戦えなくなる。(経済的に豊かでなくなってくると無駄の確保ができなくなります。無駄の重要性は上に述べてきたとおり)。
さて、ここまでメリットばかりあげてきましたが批判も数多く考えられます。例えばその筆頭にしてもまっとうなものが「科学の発展が加速したらますます倫理の側が追いつかなくなるじゃないか」というものです。
しかし、僕はこの観点も保証できます。なぜなら時間に余裕のできたものは、退屈な事実の再確認や荒唐無稽な技術への信仰ばかりするのではなく、確かな今を見据える人文知的なものを学びたくなる欲求が高まるはずで、加えて言えば知識の記憶に費やす時間が短くなれば余暇が創出できるので、そのような歴史、思想史、哲学史を学べる機会は増えるはずなんですよね。たとえあなたが時間があるから大丈夫(=自身の倫理を構築できる)とは限らないなんては思えなくとも、学生実験をやるよりはよっぽど有意義な時間が過ごせるとは思いませんか?
以上のことがもっとも実現可能性の高い場はラボをシェアするという理念の元運営されているいくつかの団体だと思います。なぜなら人材の流動化がこれから激しくなる時代に情報系のものを除く理化学系研究が根本的に抱える問題とは研究はラボというその場でしかできないことで、その土地でしかできないならその場にしかいられない。そこをシェアをすることでより開放するサービスが圧倒的に人々に受け入れられるだろうからです。
また実現に向けて初めに脳内に知識ダウンロード、と言いましたが、それより若干コストは高くなるかもしれないけれど海外のよく勉強したにもかかわらず文系就職しそうな元理系学生とか先生に雇って、そのサポートに比較的リーズナブルに提供できれば十分今まで述べてきた未来の足場としては実現可能だとも思います。
最近になって、とにかくなんにもやりたくなくなってきた。
具体的には、何か責任が伴うようなことや、「やらなきゃいけないこと」が極端にやりたくなくなってきた。
で、現在絶賛逃避中。なんだか最近来れが癖になってきてしまってまいっている。
すごく自分勝手で、ただの怠慢の他ならないんだけど、なかなかどうにもならなくて困る。
とにかく着手し始めるのがいやだ。考えたくもやり始めたくもない。
こういうのってだいたいやり始めると軌道に乗るはずなんだけど、それすら拒絶してるのかもしれない。
散々自己啓発やら偉人伝記やらを読みあさって、モチベーションを保つ方法!とかそれなりに理解しているはずなのに、行動に移さない。
こういう「やりたくねー!!」って時に、常々頭によぎることが
「そもそもなんでそんな事しなくちゃいけないの?なんでお前生きてんの?」
って考え。
ホントなんで生きてるんだろうって常々考えるようになってしまった。
自分が楽しめるように生きれればいいって思うようにしているけど、その「自分が楽しい」ってことがよく分からなくなってきた。
お金を使えば楽しいのか?人と関わり合えば楽しいのか?旅行をすればたのしいのか?
一体何のために生きているんだろう。生きることに意味なんて無いんだろうけど、なんか虚しくなってきてしまった。
まあ、多分こんな考えが巡るのも現実の「やらなきゃいけないこと」からなるべく逃避するためのこじつけ探しだと思う。
やれば楽になることをなぜやらないのか?
今から取り組めば、少なくともあとに回すよりか断然楽になるはずなのに。
きっと「逃げる」ことを覚えてしまったから。ぎりぎりになってキリキリ胃を痛めて作業して、間に合わなくて、間に合わせで済ませても、
自分の満足とか、他人の評価とかそんなものを無視してしまえば、結局は耐えさえすればなんとかなってしまうってこと。
でも、それは実際には、何とかなっているのではなくて、確実に自分自身を貶めてしまっていること。
他人からの評価や、自分の仕事・作業の価値を下げていることを、考えないようにしてしまっている。
だからだんだん周りの自分に対する評価も下がり、自分自身への評価も下がり、やる気もなくなって作業も滞る。
やることから逃げていれば、必ず負のスパイラルに入ってしまうこと。
今はこの負のスパイラルに突入中だってことは頭では理解できている。
問題はどうやって抜け出すかってこと。
「やればいい」んだけど、そのやる気がおきない。(やる気は起こすものだってことは十分に理解できている。やり始めることでやる気は起きるってことも)
だからいつもやっているのは、こうやって今の心情や状況を書きだす作業。
これが意外と効果があって、冷静になれる。
結局、仕事や作業にヤル気が起きなければ、自分の興味のある範囲でそれ(仕事)に近い作業すればいいんじゃないかな、と思う。
こうやってPCに向かって、僅かながらも頭を使いながらキーボードを打っていると、仕事中のような感覚に陥る。
コレで満足してしまうとかなりまずいが、これで本流の作業に戻るきっかけを作ることができそう。
今年もOB会があり、参加した。
今年は後輩もいる。昨年より確かな賑やかさがあった。
彼女は今年も参加していた。社交性ある彼女のことだから、きっと今日も楽しんでいくだろう。
僕はそれを会席で知ったが、何人かはそれを前から知っていたようだ。
僕はやはり許せなかった。彼女に、ではなく、浮気しておきながら、図々しくも縒りを戻した交際相手に我慢ならなかった。
が、彼女がそう決めたのだから、僕はとやかく言うつもりはない。
昨年はアドレス交換しなかったことを悔いていたが、今年はそれをする気にはならなかった。
一年は重い。
だが、今も彼女を好きだという気持ちは揺るがない。彼女はそれだけ、僕の定数としてそこにあり続けている。
これはもしかしたら信仰の類なのかもしれない。聖性たる彼女を、どうあれ蹂躙した男が憎いが、自分がその男に取って代わり、彼女の手を取りともに歩むのは恐れおおく気が進まない。
処女信仰、というわけではない。それなら、彼女は聖女たり得ない。処女か否かに拘わらず、彼女はそれだけまばゆく映る。
一年で彼女は大人びて、交際相手との関係を再構築する中、僕は何をしていたのか?
僕は堕落していた。自ら滅びの道を手繰り、社会的自傷のごとく大学を辞め、貯金も尽きかけてバイトを始めたものの、バイト一人かければ店が回らないような牢に囚われ、絡め取られ、縛られ、絶えていた。
不況だというが、皆はそれをはねのけるだけのバイタリティでもって仕事をしている。同期、後輩含め内定を取れなかったのは自分だけだったようだ。ここだけ見れば、氷河期だというのはうそ臭く思える。
もっとも、手取りが少ない、ボーナスがないというボヤキは聞こえてきたが。
一年で人はここまで変わり、会席のような定点観測で格差を意識する。
教授も同席していたのだが、僕に対してはそれほどつらくあたらないというか、良くも悪くも他人事のような風があった。まあ、OBなのだから当たり前でもある。私はOBではないが、席を用意してもらっている。
外国に行ってみれば、という教授の提案。考えなかった世界ではない。そしてそれは、おそらくとても刺激的なものになるだろう。しかし、そのようなお金はない。日本人が一泊二日でもなく海外旅行できるのは、貯金が溜まって、仕事を辞めて退職金をもらい、時間とお金に余裕がある時と相場が決まっている。僕には溜めがない。両親の葬儀さえ執り行えない、もしかしたら介護に金をかけることさえできないかもしれない。旅行など、過ぎた贅沢だ。近場の散歩でいい。景勝地より多くの日常を歩くだけでいい。
話がだいぶそれた。
結局、僕は彼女に何をしてやれるか。
それは僕の思いを伝えることなく、彼女が彼女で選んだ相手と幸せになって、それを僕が心底喜ぶことだ。
僕は彼女といてはならない。いっしょにいたいなどと願ってはならない。
希薄な関係がいきなり濃厚になるとしたら、それは夢や自分勝手な思い込みであり、現実ではない。それは彼女の意思を無視した暴力だ。
来年、同席したら思いを伝えてみようなど、考えてはならない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
昨年(http://anond.hatelabo.jp/20101224212232)の続きです。多くの嘘を交え、暈しています。矛盾もあります。
・しょーねんは外に出れば必ず死にたがる生き物となってしまっているのですよ
・ここにいる患者は、つらいことから楽になりたいと願った時、満足に飛び降り自殺することもできないじゃん。追い詰められた時に、精神の矛先が塞がれちゃってるんだよ。だからフェンスを取り除けば、やる、やらないは別にして閉鎖感は和らげられるかと思ってねー
・内臓は激痛を訴えてたけど。自分を削って他の人を詰め込むのが人間関係だから、納得してた。無理にだって限界はあるものだと実感した日がくるまで、そう長くなかったけど。
・だれもこたえないでほしい。だって、かみさまは、いないほうが納得できるから。
・死にたがりながら生きてるのと、生き生きと死にたがるのと、どっちがましか、アタシには判断出来なかった。人は生きてるだけで意味があるんだって、そんなことは学んで来なかったから。
・まいのりてぃなぼくらは効率を求めてはいけないのだ。それは、趣味だけじゃなく、生き方とか、そういったこと全部に当てはまる。もはんてき人間であれないのなら、どれだけこの美しい世界がふべんに感じられても、がまんして生きるしか無い。そのがまんができない人を、「犯罪者」と世間は呼ぶ。
・やられる側としての想像や耐性があったぼくと違って、攻めるだけしか経験のなさそうな「おいかけてくるの」あらため「えらそうなの」は未体験の激痛に反撃を忘れる。
・人が動くために必要なもの。惰性、欲、他人。全くないわけじゃない。ぼくにだって、その3つは少しずつ残っている。この倍、どんな形をしているか何も分からないけど。
・こんなもんなんだ、ぼくは。このていどなんだよ!ぼくは子供で力が足りなくて頭も回らなくて笑ったり泣いたり怒ったりできなくて、自分勝手で人の力を借りたくないのに借りないと生きて行けないのに借りれなくて生きていられるかすごく怪しくて!誰も助けてくれる人がいないし何も助けて返せるものがないし。マユちゃんを助けても感謝されないしぼくを助けても感謝することしかできないし。
何も無いけど、
何もないけど助けて。
助けて、「○○○○○」
・ある人に刷り込まれた幸福のための条件は2つ。その1は自分以外の誰かに期待されたり求められたり、必要とされたりすること。そのニは省略。こっちはアタリマエのことすぎるから、反芻するほど味があるわけじゃない。
(22ページ後)
幸福の条件、その2。自分以外の誰かが、不幸だったり悲惨だったり同しようもない状態であること。こんなの、幸福を感じる為の比較として、当然のこと。・・・でも、おかしい。僕はついさっきまで、どっちも傍で与えられていたはずなのに。ちっとも幸せな気はしなかったんだけど。
・でも・・・でも、ぼくといたときはぜんぜん、幸せそうに見えなかった。
・御園はね、幸せなんだよ。君の目がどれだけあの子の背景に不幸を捉えたって、背負う本人は幸せだけを凝視し続けてるの。それを他人がとやかくいう権利は、無いんだよ。あっていいはずがない。正しい不幸と間違った幸福を天秤にかけたら、どっちが重いって話よ。
・ぼくがマユちゃんを見て不幸だと思ったのなら、どうすればいいんだろう。惰性と他人と欲望の、何に従えば僕は正しく生きられますか。
・先生は、それをクチにしない。意地が喉としたを麻痺させて、容易には送り出させない。対策を練る時間を稼いで、何とかしのいでいく。諦めるのを、どんどん後回しにできる。僕には一生、真似できそうもない人間らしさだ。
・なるほど、大人は、視野が狭いのに、奥が深い。ぼくのうそなんて、まだまだ子供だ。
・起きなさい、××
・金子はドラえもんばりに便利な男ではない。かと言ってのび太でもスネオでもない。僕も同様だ。一体僕らは、何に属せば、収まることが出来るのだろう。
・望む望まざるにかかわらず、僕の一日はここにあった。これがぼくの世界なんだから、甘んじて受け入れよう。日常の価値は非凡なのだ。それを忘れないから、ぼくは普通である自分をどこまでも好きでいられるのだ。
・父の投げかけた言葉を噛み締めてみると・・・中身スカスカで、歯が咬み合ってしまうあー、つまり・・・・僕はとても幸せってことだ。今のご高説は、「ぼく」には不要なわけであり。
第1条
ひとりでいられる能力を意識して開発する。親は子供が十分に安心してひとり遊びに励めるよう、ついつい過干渉になりがちな自分を抑えつつ、子供とはいつも一緒にいて心地よい環境作りと十分な保護に努める。子供にテレビやビデオを見せる時間はなるべく短くしたい。
第2条
親は、子供が病気の時こそ、何が何でも子供のそばに居てやるようにし、子供を十分に甘えさせてやる。
第3条
子供をきちんと叱る。そして何故叱られたのか理由を十分説明する。叱った後は、子供にいらぬ不安を抱かせないように十分なケアをする。
第4条
自立した家族として日々の生活を重ねて行くことこそ人の幸せであるということを、言葉でなくて毎日の静かな生活そのものによって子供に伝えて行きたい。そのために親自身が毎日を楽しんで暮らせるようになる。見せるべき親の背中とは、楽しんで生きている親の日常だと思う。仕事の愚痴などは子供の現実逃避を助長するだけなので決して家庭に持ち込まない。
第5条
家庭の中で、どんどん子供に仕事と責任を与えて行く。また、子供をボランティアなどに参加させることで、実社会の中でも、徐々に仕事と責任を得る体験をさせて行く。
第6条
独立自尊の精神を養うため、子供には、自らの限界を推し進める喜び、成長を実感する喜びを出来るだけ沢山経験させる。
第7条
家に本棚を作り、広い分野の本を集め、図鑑など気軽に親子で本を手に取ることで、子供が読書に親しめるような環境作りに配慮する。子供が自主的に一人で本を読めるようになるまでは、意図的に読書をしている親の姿を子供に見せるようにし、読書は生涯続けて行くべき大切な習慣であるということを、身を持って伝える。子供が小さい頃は、子供が読書に慣れ親しめるよう、絵本の読み聞かせを日課とする。
第8条
現実として人間社会の厳しい競争に打ち勝つという視点を大切にしつつも、相対的な問題として、物事に対して「楽しみながら自発的に」チャレンジして行くという姿勢に価値を置いた教育をして行きたい。そのために、子供の内発的な好奇心を刺激することに努め、いわゆるアメとムチによる脅迫を前提としたコントロールをなんとか最小限としたい。
第9条
人生の本質である「退屈」と向き合い、自ら「楽しさ」を発見して行く機会を子供から奪わない。子供が何かへの熱中を示したとき、それが中毒ではないかを気にかける。子供がある程度の年齢になったら、刺激との付き合い方に関して、きちんと親子で話せるようになりたい。
第10条
教師と生徒の間に生まれるピグマリオン効果を利用するために、積極的に多くの教師と子供を出会わせる。子供には自分を「ひいき」してくれる先生をたくさん発見してもらいたい。また、こうした家庭の外にある社会とのポジティブな接触の体験を増やすことで、子供の自立を促して行きたい。
第11条
子供が親に反抗したときには、子供に「今、自分はどんな価値を守ろうとしているのか」を意識させる。それがテレビを見たいだとか、おもちゃやお菓子が欲しいといった自分勝手な価値であれば、親としてはそれに厳しく当たり、リスクを取った結果としての罰を慎重に判断して与えたい。子供が守ろうとしている価値がそれなりに意味があるものである場合、子供に親を説得する機会を与え、ときには十分に子供に反抗をさせてから、折れてやるようにする。いかに子供に説得力があっても、人間社会はロジックばかりではなく情緒によっても運営されているのだから、ロジックだけでは折れないように注意したい。
第12条
子供がケガをしたときは、焦ったり泣いたりしてもどうにもならないことを伝え、出来る限り子供自身にケガを観察させる(もちろんケガの程度にもよるが)。
第13条
きちんと自分の意見を持ち、衝突を恐れずにそれを主張することを奨励しつつ、同時にその怖さも伝えていきたい。何かを得るということは、多くの場合、何かを失うことでもある。
第14条
笑う側ではなく、笑わせる側にあることの重要性を伝えたい。誰かに「明るくしてもらう」のを待つのではなく、積極的に「明るくある」こと、そして誰かを「明るくさせる」ことに喜びを感じてもらいたい。
第15条
すでに「ぼんやり」と認知しているであろう「システム」という概念を固め、レバレッジ・ポイントとボトルネックの存在を感じさせつつ、あらゆるシステムの構造(機械論的世界観)への好奇心を刺激したい。
ttp://nedwlt.exblog.jp/i13/ カテゴリ:我が家の教育論 ( 20 )
まだ途中らしい。これが完成する日が来るのだろうか。興味深い。書籍になったらまた読み返したい。
「いまのぼくには無理」とか自分勝手に判断していた。
判断のそのときそのときが、人生でもっとも最悪な時期だと思っていた。
いつも最悪だと思っていた。自分のなかでは正しく論理的に考えて、ダメだった。
けれど振り返ればここにきて、本当に今が最も最悪な状況になっているかもしれない。
しなければならない人生の訓練をちゃんとしてこなかった結果だ。
※人生の訓練とは、女とか仕事(仕事ってもバイトだけど)とか人付き合いの話。以下、説明とぼくについて少し。
過去に彼女がいなかったわけでもないし、バイトをしなかったわけでもない今もしてる。
だけどぼくはあまりに怠けすぎていた。ただ「自分が弱い」という理由だけで。
何年も彼女がいなくて、バイトもしてない時期があった。それが良い状態ではないと思っていたが、あまりに世の中は怖いことだらけだった。
あと働くことで得られる自信なんてものはクソッタレだと思ってるけど、人間的に強くないからやっぱり働くことは勇気を得ることでもあるわけさ。
ぼくは精神的に弱い人間だ。小さなころから一人でいることが多かったせいだと思う。
もちろん今でも友だちは極端に少ない。いるのかいないのかよくわからん状態だ。
一時期は、玄関まで行っても扉が開けれない状態だった。軽く鬱病だったんだろうな。毎日死にたいとか思ってたし。でも病院は行かなかった。
今はそんなことないし、根暗だけど元々楽しいのは好きだから、周りの人間にはぼくが賑やかしみたいに見えてるだろうな。
そんなぼくのことを羨ましがるひとが何人かいたけど、たぶんぼくと同じことで悩んでいたんだろうな。
ぼくはそれを乗り切ったわけじゃないし、今でもずっと孤独だ。だからといってむやみに悲しむほど繊細な心は鬱時代に置いてきた。
ただ時々生きるための理由を偽善的につくろわないと「死んでもいい」という思考回路につながってしまうからしんどい。
「死ぬ覚悟より生きる覚悟のほうがずっと大変」だとは偽善的でなく本気で思ってる。
ていうか真実じゃないかな、だからすぐに死にたくなるのさ。努力しないと人はすぐにネガティブになるしね。
元増田は彼にどういう態度を期待してたの?
一連の流れのどのタイミングで違う気持ちになったんだろう
どのタイミングで違う気持ちになったのかは今日思い出したけど、
セックスが終わってからですね。思い出したけど、ベッドに入ってるときに
「俺のこと好き?」って聞かれたときになんかびっくりしたんですよね。
あとはやっぱりセックスが最後までできなかったのが大きいかも。
セックスで感じるはずだった男らしさというかたくましさを感じられなかったから。
失敗失敗っ☆でさっぱり済ませるしかないのかなぁと思いつつも、彼とその子に対する罪悪感と、
目立つ為に、タイトルに本文書いて見ました。
上ので29回答下のは1つづつ。しかも煽りや応援してます、頑張ってだけ
私が真面目に質問しても
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1266455342 親に対する罪悪感が取れません。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1166316296 親に精神病院に入院させられるかもしれません。親は何をするかわからない人です。
こうやって書いてる人に
ultra_super_magical_hiropyonさん
精神病院に入院するのは・・・・・あなた方夫婦ですよ!!大体養護教諭のくせにそんな事言わないですよね!?それわかってます??わかってませんよね!!元々の原因は旦那でしょ!!何の罪もない息子さんに暴力ふるって!!自分勝手なのは・・・・・あなた方!!少しは理解なさったらいかが??最近の若者は怒らせると・・・・・怖いですからね!!知り合いが「2ちゃんねる」に参加しているので、あなた方のした行為をすべて話して晒してもらいますから・・・・・あしからず!!
「親に精神病院に入院させられるかもしれません。親は何をするかわからない人です。」で質問してみても無回答。違う人から回答付いてかろうじて質問は消えなかったがそれだけ。
yahooに励まされる方法 http://anond.hatelabo.jp/20110921133629
うちの親はこんな筋道立てた考え方できなくなってると思うし、何かのためというより、吐き出し口の無くなった破壊衝動みたいなものに、突き動かされているような気がします。その時その時の衝動でバラバラに動いています。この回答でもまだ親と言う宗教から抜け出せない人が居て、子供がわかって欲しかったと書いてるのには呆れます。子供と言うだけでどんな異常者にも愛情を求めるとでも思っているのでしょうかねえ。
ネット上で知り合った人で、いましたけど、こんなマトモな家だと、高い確率で親が向こう三軒両隣とかに、精神病院に入れていた不肖の娘を貰ってくれてどうもありがとうという感謝の心をこめて、どうかよろしくお願いします。とか言って回って行きそうだと思いました。
やっぱりそうでした。
今回のアパート半壊業者への協力を見ていると、あたっていたと思いました。
詳細は変えているところもあります。8年じゃなくもっともっとです。もう親は退職してます。早期退職して精神病院で働いてますというメモをずっと前来た時に残して行きました。
http://twitter.com/Tasmanian_good/status/125494228167045120
うちの親は区役所の人にも笑われたくらいの奇行を数ヶ月前にも、していったのに、数年前には精神病院で職員として働き、その前は養護教諭として不登校の生徒さんを精神病院に入れてたそうですから。。。。 今でも何されるかわからなくて怖いです。
http://twitter.com/Tasmanian_good/status/125494701267750913
キチガイが職員として精神病院で働いていたwなんて笑える話だけど、関係者としては笑えない。。。 そうでなくても正気と狂気が逆転してる世界ですから。。。
「○○が死んだ」
聞いた瞬間頭が真っ白になった。
アガリ症で人前で話すだけでも頭に真っ白になることはあったが
そんなレベルではなく本当に何も考えられない。
何も聞こえない。
そんな感覚だった。
〇〇は俺の弟だ。
死因は窒息死。
原因はイジメにあっていた。
警察の厄介になった。
そして親父にこっぴどく叱られた。
なぜやったかも聞かない。
ただただ怒鳴り、責め上げ、殴る。
そんなこともあり、弟は塞ぎこむようになっていったため、
高校に上がってもイジメられることになる。
そして高校を中退した。
その頃から人前に出ると恐怖を感じる対人恐怖症になった。
そのため、早朝に人目につくことのない新聞配達をするようになった。
派遣では扱いが酷かったらしく、すぐに辞めて新聞配達に戻ってしまったが
ちゃんと生きようとはしていたんだと今は思う。
そして一昨年の暮れにずっと続けていた新聞配達を辞めた。
理由は人のいない家に新聞を入れ続けていたのに責任を感じたと言っていたが
思えばその時にもう覚悟を決めていたのかもしれない。
二度と帰って来ない。
それから数ヵ月後、皮肉にも会社の都合で実家から通わされることになり
俺は実家に帰ってきた。
早く帰ってきていればという思いもあったが、
それ以上に酷い実家の実状を知ることになる。
俺からしたら死んだ弟の遺品を使うことなど考えられなかったが、
親も立ち治ろうとしているのだろうと思ったのでテレビを居間に移動した。
それから親と食事をしていて気付いた。
テレビを見てても
「こんなん絶対うもないわ」
「こんなもん家でも作れるやろう」
人と話していても否定しかしない。
「そんなもん買ってなんになる?あ?」
姉の旦那にも
「お前が家を買う?ちゃんと金払えるんか?ムリやで、
俺が孫の面倒みらんといかんな」
と否定しかできない。
そんな親父だ。
いつもいると気が滅入ってくる。
病んでいた弟ならなおのことキツイだろう。
家を出ていく手段は死しかない。
俺を頼って来てくれても良かったけど、
子供の頃から親に相談すれば全部自分が悪いと怒鳴られ殴られていたからだ。
もう何もかも親父が弟を殺したようにしか思えない。
弟が新聞配達を辞める直前にも、パソコンが欲しいからという理由で
弟の車を売っぱらった。
プリペイドから月額の携帯に変えたいけど機種代がもったいないからという理由で
親戚が家に集まったときにも、親父の兄さんが甥っ子を連れてきていて
テレビを近くで見ていた時に
とかいう始末。
弟がなぜ死んだかなんてこれっぽっちも考えていない。
冒頭、こんな主張だけど、
原発事故を二度と起こさないためには、何らかの処置が東電に対して必要となる。
その手段に有効性を持たせようと思えば、それは東電が今持っている権利・権益を制限するものになるはずで、東電の中の人は精一杯それに反対するんだろうと思う。自分のためにね。
(略)
だから発送電分離して発電会社を幾つもある状態は、値段面以外から見ても好ましいと思う。
けど東電も仲の人も、これだけは全力で拒否してくるだろうなあ…。
結局、東電の中の人は個人としても自浄作用を持たない、自分勝手で善良とは程遠い人間ってことなんじゃ…
まあ野心があろうがなかろうが、1000年に一度とか言われてる地震に備えるなんてできないけどね。
株式会社組織である以上、現実感のない危険に備えるために数百億の経費をかけることなんて無理なんだよ。それって株主訴訟確定だから。
三陸沖での貞観地震級の大地震は1000年に一度の頻度なのかもしれんが、
大地震自体は日本国内では20年に一度くらいの頻度で起きてるのだから、
日本の電力各社は、はじめから、そういう頻度で自分とこの原発が被災する可能性を考慮して対策しとくべきだったよ。
それに、あの地域で地震+大津波が来る(貞観地震級の地震が約1000年周期で発生し、そろそろやってくるであろう)ことは
学者や一部の政治家によって震災前から指摘されていたし、原発がぶっとんだ場合の被害規模もチェルノブイリという先例があった。
涙は女の武器と聞いていたが自分勝手な理由で泣いている女を見ても、何とも思わないものなんだな。
むしろ、実にくだらない理由で泣いている女を見て、ますます軽蔑の気持ちが強くなった。
多分私がもともとこの女のことをあんまり好きじゃなかったんだと思うが、
だってこいつ泣きながら俺への敵意は隠そうともしてないし、自分がまちがってたともまるで考えてないじゃん。
こんなんで弱いから守ってやろうとか、可哀想とかおもえないじゃん。
相手と喧嘩している時に泣く女って知恵が足りないんじゃないかと思う。
涙って要するに感情が昂って制御できない状態を示してるわけでしょ。
よりによって他人と対峙してる時に感情高ぶらせて制御不能になるとか無能の証でしかない。
相手を叱ってる時とか、喜んでる時に泣くならともかく、
要するに相手をちゃんと見てない、自分の内面ばっかり考えてるってことでもあるだろう。
どこまでバカなんだこの女。
こういう状況でなく位なら、動物の服従のポーズでも取ったほうがまだましだ。
ホントに下手くそな女の涙ってのは、すげえイライラさせられる。
女の武器だといかいうなら、もっと上手に泣けよ。バカ晒してんじゃねーよ。
なんか妻を虐待する夫の気持ちってちょっとわかるわ。
女がいじめてくんみたいな感じなんだろうな。そりゃ女が悪いって。
頭の調子がの人 http://anond.hatelabo.jp/20110926141342のツイートを見てそう返信してた人
はてな匿名日記の繋がりからのでは、ツイッターの「うわぁ これは心のの調子が悪い 」と書いたのが出なくなってて
探したらあったんで保存した
http://twitter.com/#!/DocSeri/status/118212084377993216
http://f.hatena.ne.jp/oooquree/20110929070254
本人に、特に言おうと思った事、書き忘れていた
あんだけなぁーー ブログに、科学者っぽい事を書いて恥ずかしくないのかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ほんと、「「「ぽい」」」ことだと思いました。
自然科学を、標榜する人が、vipper ν速民の一部の、脊椎反射的な煽りレスする人と同じレベルとは!!!!!!!!!!!
エセ科学叩きの人たちにも、思うけど、自然科学は仮説を立てて、それを検証して、客観的なデータに基づく論理的な判断により、結論を出してるもんでしょ。 自然科学教みたいになって、錦の御旗を振りかざすってのも、まずいと思う、というか、本当に自然科学教の教義がわかってないと思う。
上の人は、ブログではそんな事ないけど、 「うわぁ これは、心の調子が悪い」 って言うのは、ほぼ某巨大掲示板一部板の一部住民と同じ思考回路、同じ煽り
このマコト君のでも出てる
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52097322.html
>14 名前: プライヤ(大阪府)[sage] 投稿日:2009/12/06(日) 01:09:18.60 ID:LeAw8nv8
>29 名前: バールのようなもの(兵庫県)[] 投稿日:2009/12/06(日) 01:12:09.76 ID:7dWbXk/q
これは分裂病?
よくyoutubeにあげてるよな。
>66 名前: アルコールランプ(関東・甲信越)[] 投稿日:2009/12/06(日) 01:16:59.48 ID:OowQPBMM
背筋がヒヤッとした
本物のキチガイってヤバいな
>78 名前: ガスレンジ(関東・甲信越)[sage] 投稿日:2009/12/06(日) 01:19:19.48 ID:Wcif3mgB
こんな動画あげるとか…マジキチだな早くマコト君は精神病院逝けw
うわぁの人とじゃなく他にもいた、統合失調症患者の認識の誤りと勝手に捉えて、自分勝手でぞんざいな感想を述べた奴wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>なんで精神病の人ってみんなこういう文章書くんだろう
って書かれた
私はやってないけど、自然科学ってこういうむつかしーぃぃーー事で考えるんじゃないの? http://goo.gl/lynpO とか http://goo.gl/hphYw http://goo.gl/xmGK3 http://goo.gl/mOYds この人なんてよく書けてるよねhttp://goo.gl/4WzFp
こういう俗人にはわからないむつかしいこと で判断してる学問をやってる人も、日常には全然活用されず、vipper並みとはwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
画像で保存 (短縮URLが使えなくなった時用) http://f.hatena.ne.jp/oooquree/20110929140546 http://f.hatena.ne.jp/oooquree/20110929140623
http://f.hatena.ne.jp/oooquree/20110929140659 http://f.hatena.ne.jp/oooquree/20110929140728 http://f.hatena.ne.jp/oooquree/20110929140922 別に意味は無いけど
前回はオレが若手の頃のA部長のやんちゃぶりいや豪快ぶりを紹介した。
だが、このA部長、誰もがその遊びぶりに文句を言えないぐらい、仕事の優秀さは伝説的な人だった。
オレたちの部は、A部長がやってくるまでは、他の部署と比べてけっして利益の額は多くなかった。
A部長は就任早々に独自の戦略を立案し、徹底的に実行していくことで、わずか3年程度で全社でも稼ぎ頭の部署に育て上げた。
「いいか、タケシ。仕事で大事なのは、徹底的な論理的マインドとほんの少しの気合だ」
というのが彼の口癖だった。
当時、イケイケだった日本企業の中で、論理を前面に押し出すのは、かなり異端だった。
今思えば、A部長は当時から、既にアメリカやヨーロッパのビジネススタイルだった。
オレが米国出張中のある案件の交渉でグチャグチャになってしまい、deal breakの瀬戸際のピンチだったことがある。
今のようにEmailもなく、テレックスでのやりとりが主流だった時代、超高価だった国際電話をアメリカからA部長にかけて、指示を仰いだ。
オレは要点を要領よく説明し、A部長に
「どうすれば良いか?」
と聞いたところ、一言、
「タケシ、任せた」
と言われてあっさり電話を切られた。
その時は「何と無責任な上司だ!」と思ったが、オレはそこから巻き返して、何とか形にすることが出来た。
数年してから、オレは
「バーで仕事の話をするとは、低俗極まりない。5分だけ特別だ」
「オマエの国際電話での状況説明を聞いたら、オマエにしては珍しく、論点が全て整理されていた。強気が売りのオマエに足りないのは、逃げない勇気だけだった。獅子が子を崖から落とすじゃないが、オレは上司としてオマエの退路を断ってやったわけだ」
「そうは言っても、もし失敗していたら・・・」
「商社マンは信頼の上に成り立っている職業だ。その上司のオレが部下を信頼しなくてどうする?That’s allだ。さぁ、仕事の話はここまで」
と言われ、来日している著名なオペラ歌手のコンサートの話に戻ったのは今でも鮮明に覚えている。
とにかく豪快なオヤジだったが、自分のフィロソフィーを持っていた。
オレが若いころから、彼は常々オレにMBA留学をPUSHしてくれていた。
普通は部署に穴が開くから、なかなかこういう理解をしてくれる上司はいない。
何より
「勉強して仕事が出来るなら、苦労はない。あんなのは海外かぶれの奴が行くもの」
とMBA自体、怪しいものだと言う風潮もあった。
多くの企業にとって、エース級は社内に温存して留学させず、どちらかと言えば二番手グループで苦労した奴の夏休みのご褒美みたいなものだった。
きっとヨーロッパを周遊中に、各地で世界中のエリート連中と出会う中で、重要性を感じ取ったんだろう。
「タケシ、部署のことは心配せず、そろそろ社内の制度を使ってMBAを取って来い。」
「これからの時代は、MBAが国際ビジネスのパスポートになる。何より、オマエはまだまだ頭が足りない。英語で死ぬ気でディスカッションして、世界中に仲間を持て」
と言われた。精神力だけが取り柄だったオレに、頭脳を鍛えるきっかけを与えてくれた。
「でも、オマエは文化の香りがしないから、ヨーロッパと言うタイプじゃない。アメリカのスクールだな。ヨーロッパのスクールの推薦状は書いてやらない」
と言われたのは、納得行かないんだけどさ(笑)。
それでも、あの一言はいまだにオレの人生を変えた貴重な言葉だよ。
オレがビジネススクールから戻ってしばらくすると(オレは海外特命案件をを担当し、A部長とは違う部署になった)、社内ではA部長が次の人事で役員になるという噂があった。
「いくぞ、タケシ」
「役員の件は本当ですか?」
と聞いてみた。
「相変わらず酒の席上で仕事の話とは低俗な。それも極東の一企業の社内人事の話しなんて、オマエは何をしにアメリカに行っていたんだ?」
とあっさり切られたが、
「留学してマネジメントが何か少しはかじっただろ?オレには向いてないよ。晴耕雨読なんだな」
と言って、それからまったく脈略なくフランスの歴史やら農業の話を延々と聞かされた。
そうしたらさ、ある日、いきなりA部長は早期退職してしまったんだ!
オレは海外に出ていて送別を出来なかったんだが、しばらくすると、オフィスにどこかの海でA部長がサメと泳いでいる写真が送られて来た。
一緒に入っていた手紙によると、何でも、その後、フランスで暮らしていると言うじゃないか!!!
最初はビックリしたが、あの人らしいと言うかなんと言うか、地中海のクルーザーの上で美女を囲んでいるA部長の姿が容易に想像出来て、にやけてしまった。
名誉とか出世に興味を示さず、潔いgoing my wayな男の格好良さを感じたものだ。
あんな豪快なビジネスマンは、もうあの人が最後かもしれないな。
その後、世の中は変わり、コンプライアンスだといろいろと制約条件が増え、会社がどんどん個人を管理し、性悪説にたった人事管理が行われるようになった。
いや会社だけではなく、社会全体が出る杭を容赦なく打ち付けるようになってしまった。
実に生きにくい世の中だ。
A部長のことだから、こんな時代になることを見越していたのかもしれないな(きっと、今の時代ならA部長みたいなことをしていたら、仕事が出来ても処分されていただろう・・・)。
しかし、時代がどんなにルール社会や批判社会になっても、制約されすぎた圧迫の人生を送ってはならないと、オレは思う。
社会を安全かつ効率的に動かすためのルールであって、そんな手段としてのルールによって不必要に自分を制約しすぎたり、また稚拙な批判に怯える必要はない。
A部長も、あんな生き様だから、敵は多かった。最も本人は、敵だと認識していなかったようだが。
「S部長が経営会議でA部長について批判発言をしたみたいですよ」
「S部長って、いいワインをコレクションしてるんだろ。オレをワイン会に呼んでくれないかな?」
と言う感じだった。敵すらも愛してしまうと言うか、そもそも敵と言う概念が無かったのかもしれない。
一方で皆さんはどうだろうか?上司や先輩、客先の顔色ばかり見て、何とか失敗しないようにと、縮こまっていないか?
オレはこのブログでも言い続けているが、小さい失敗でくよくよしてないで、他人の目ばっかり気にしてないで、自分勝手に大胆に全力で人生という長いレースにぶつかって良いんだ。
困難も、苦しみも全身でそれを受け止めて立ち向かえば、きっと楽しい人生になる。
だから、恐れることなく、自信をもって、人生という壮大なレースにまい進して欲しい。
もう一つA部長を見習うべきところは、自分のフィロソフィー(哲学)やプリンシプル(主義、信条)を構築するということだ。
MBA的な研修で小手先のフレームワークや技術を学ぶのはほどほどにして、20代半ばぐらいからは、自分の振る舞い、判断の基軸となる哲学、信条をしっかりと作り始めるべきだ。
これは短期間でできるものではない。
膨大な量の知識と教養を身に着けて、そして、これまでの出会いや経験から、「人はどうあるべきか?」という自分なりの人の理想像を練り上げる大掛かりな行為だ。
哲学、歴史、文学、論理学などさまざまな分野のものをフルに動因して、この機軸は作り上げられる。
もちろん答えなんてないし、生きている間、それらは揺るぐことはなくとも、より深遠なものに円熟し続けるものだ。
A部長はずっとオレら若手にこのことの重要性を、夜に飲みながら教えてくれようとしていた。
オレも部下にこういう大胆な生き方、自分の哲学、主義を持つことを伝え、後世を育てて行くべき歳になってしまった(心は永遠に若手だ!!)。
ただ、これは手取り足取り教えることはできない。A部長とオレがそうだったように、いろいろな人との会話を通じて、つかんで行くしかないんだ。
オレも、こんな豪快な奴が少ない時代だからこそ、若い皆には、何とかオレの生き様を、ブログやTwitterで積極的に伝えてきているつもりだ。
またオレの部署の若手の部下らには、夜の遊び方は十分すぎるほど教えているつもりだ。
でもオレは、A部長と今ならビジネスの手腕なら良い勝負になるかと思うが、いかんせん、芸術、文化面がまだまだ弱い(笑)。
もっともA部長は、そんな勝負すら眼中にないだろうが。
「タケシ、ビジネスなんてほどほどにして、本を読め、音楽を聴け、食を味わえ、旅をしろ。何より今夜も人と出会え」
「はてなウェブ検索」なんかよりブクマされたページの検索機能をつけて欲しい。
はてブ新着で見て、ブクマしようかどうか迷った挙句に結局しなかったページが後で気になったけど全然探せなくて困る事がよくあるから…という自分勝手な理由からだけどさ。
とにかくはてブで見つけたんだから「3users以上にブクマされてるページ」というのは確実なわけで、そこから探したいんだ。