はてなキーワード: 星の王子さまとは
ブクマコメントと返信、ありがとう。 もともとこの疑問は「なんで日本人は赤毛のアンがそんなに好きなんだ?」って疑問に答えようとしたときにふと浮かんだ疑問だったんだ。
実際古くさいとか言われようと、赤毛のアンってカナダ人がドン引きするくらい日本人に人気で、今はそうでもないんだろうけどいつもはこの時期プリンスエドワード島は日本人の観光客であふれかえるらしい。
あと、念の為に書いておくと、どっちの作品も小学生くらいから読めるようやさしくした本は出ているけれど、別に子供向けじゃない。とはいえ「子供でも読める」は三大に入れるには必須かなと思ってた。当然、近所の図書館に置いてあることも重要だと思う。
それにしても、ファンタジーが山盛りでお勧めされるのはちょっと意外だった。挙げた2冊、どっちもファンタジーじゃなかったから。ハリーポッターのおかげでイギリスのボーディングスクールが海外展開に大成功したし、長くつ下のピッピだってやってることや起きていることそのものがファンタジーじゃないかと思うくらいに突飛だったりするし、ファンタジーと現実の境目は意外とわからないものだけど、今回はファンタジーは外したいなと思った。「不思議の国のアリス」「モモ」「ムーミン」「星の王子さま」「ハリーポッター」あたりは今回はごめんなさいだ。
そうすると残るのは「大草原の小さな家」「嵐が丘」「高慢と偏見」「あしながおじさん」「風と共に去りぬ」「秘密の花園」「小公女」あたりか(ほかにもいっぱい挙げてもらってる)。
そして、改めて題名を言われてみて初めて、随分昔に交際してた(と断言できるほど深い交際ではない)友達から「嵐が丘」の現地報告絵葉書もらったこと、思い出した。自分にとって「ヒースクリフ」は性格の悪いアメリカンなマンガ猫のことだったから、何書いてるのかさっぱりわからなかったんだ。そんないやなトラウマを思い出したので3つめは「嵐が丘」ということにしておきたい。
もちろんこれは自分の中で完結する話だし、最初の疑問への回答に「3大日本女性が好む海外文学」なんて書くつもりもないので、各自好きなように候補を入れ替えたりして3大を決めてほしい。もちろんそっちにはファンタジーが入っていても全然かまわない。
なんかマックの女子高生とか、電車内の子供とか、片言の外国人みたいな純粋さの権威的象徴(他の星の金髪純粋王子様withキラキラしたイラスト)に自分の意見を代弁させる嘘松みたいなものを感じるんだよなー。
すごく強くよくわかる。その点では、「星の王子さま」は文学作品というより、「もしドラ」とか「チーズはどこへ消えた?」みたいな寓話を利かしたビジネス書に近いと思ってる。
唐突で共感できない寓話設定に、居酒屋の説教みたいな支離滅裂でタメにならない教訓が混じって、読んでてウエッと吐き気がする。
「星の王子さま」って結局、王子さまが死のうが生きようが好きになろうが傷付こうが、サン=テグジュペリにとっては心の底からどうでもよくって、勘違いと世の中への恨みツラミを書いただけの本だと思う。王子さま以外のキャラクターが一面的すぎてマジで嫌い。
だから要は、こんなのノンフィクションで書けよって思う。フィクションの力に頼んな!!って強く言いたい。「それはお前の勘違いだよ」って言われるのを避けるためにフィクション化したようにしか思えない。
彼は高校の頃からの友達で、元々本を読むのが好きらしく、国語の担任とヘッセや星の王子さまの作者(名前失念)の話を楽しそうにしていた。
オタク趣味がない女の子も深夜帯で放送していたアニメ「君に届け」を視聴していたり、当時アニメは市民権を得ていたが、彼はアニメを馬鹿にするわけでもなく、ただ単に興味が無いようで全く観ていなかった(最後まで観たのは世界名作劇場のハイジとラスカルぐらいらしい)。かと思えば、昔の少女漫画について異様に詳しかったり、腐女子のBLトークに顔色ひとつ変えず介入して「それって~~ってことなの?」と楽しそうにやりとりしていたりと、本当なら担任と本について話していた方が楽しいだろうに、自分の嗜好を棚に上げて自分の土俵外で相手まで楽しませる彼を私は尊敬していた。
高校卒業してから彼とは何度か食事に出かけていて、この間中野ブロードウェイに遊びに出かけた。彼がどんな漫画を手に取るのか、気になったという下心もあった。
彼に「どんなの読むの?」と聞くと「古いのが多いかなぁ、最近のはわからいんだよねー」といつもみたいに笑って答えた。
ガラスの仮面が好きな彼だから、きっとパタリロでも漁るのかな、と思ったが、違った。私はこの日初めてガロの存在を知った。
彼が手に取ったのは、丸尾末広、ねこぢる、山野一、山田花子、花輪和一、根本敬。
本当に彼はラスカルとハイジしか見なくて、担任と楽しそうに本の話をして、誰からも話題を楽しそうに引き出す穏やかで柔和なあの時の彼と同一人物なのだろうか。とてもショックだった。
話によると中学生の頃から親の本棚を漁って読んでたらしい。その時に上記らの作者を知ったそうだ。彼の穏やかさの土台にこんな猟奇的で気持ちが悪い物があったとは夢にも思わなかった。
「面白いの?」と聞いたら「うん、まあ、でも人に勧めるものでもないかな、好き嫌い別れると思うし」と笑ってた。
「なにか私でも読めるのある?」と聞いたら「うーん」と言いながら、全く別のコーナーまで歩いて冨樫義博の『レベルE』をすすめてくれた。ちがう、そうじゃない、さっき見てたの中から教えて欲しかった。と思ったが、ちゃんと相手の土俵に立てるのもまた彼なんだろう。レベルE面白かった。
家に帰って、ガロ系の作者について色々調べて見たら、気分が悪くなってきた。悪趣味だな、と純粋に思ってしまった。そして高校時代から変わらない彼の柔和さを思い出し、とても複雑な気持ちになる今日この頃。
https://anond.hatelabo.jp/20200101232410
はてな村で好まれそうな話題だなとは思って投稿したものの、想定以上に反応があって驚いてます。
酔った勢いで書いたものであるので、文体が一致してなかったり論理が破綻してたり誤字脱字がひどいですね。
結果、説明不足だったり変な文章だったりが原因でいくつかこれは補足しておきたいなと思ったコメントがあるので補足させてください。
解説本を読むことで原典にあたった際の新鮮な驚きが減るのは確かと思います。ネタバレ効果というか。小説系では顕著と思います。
また、解説者の解釈が固定化されるという懸念も確かにあるかと思います。
しかし、私の記憶では「これは私の解釈だが」「多数の説の中で、私が支持するのは」など、
俺の解釈が絶対だという態度で解説してた解説者はいなかったし、異説も提示していることが大半でした。
ここまでやってくれたらあとは受け取る側のリテラシーかなぁ、と思います。
また、100分で名著の解説で実施していることは「あらすじ」+「執筆背景解説(作者の人生の中で著作の占める位置など)」+「解説者の解釈解説」と思っていますが
この内「執筆背景解説」が一番の目玉であり、知識のつながりを作ってくれるところで、この部分は原典だけ読んでも絶対に得られない補助線です。
私は持久スポーツを趣味にしていますが、例えばフルマラソンなら当たって砕けろでもまぁ、レース中の数時間もがき苦しみ、暫く足がまともに動かなくなる覚悟があればゴールは出来るでしょうが、
ウルトラマラソンとか、アイアンマンになると当たって砕けろではまぁ無理で相応の準備がなければ、失敗したという経験を経験値に変えることも出来ずに敗退すると思っています。
特に古い思想書は知的作業としてウルトラマラソン級だと思いますし、かつ何かを求めて読むわけでしょう。
ウルトラマラソンで周りの景色も何も見えないぐらいつらい状態になって、制限時間オーバーで失格になっても兎に角意地になって歩き続ける人がたまにいて、マラソンならそれでもいいかなと思いますけど、
古典を読む場合最後のページにたどり着ければよい、というものではないですよね。
途中の景色を楽しむためには相応の準備というものが必要なのではないかな、よほど読書体力に自身があるのでなければ、背景を知識として持っておくのは良い方にしか働かないのではないか、と私は思います。
100分で名著の一番の強みは「TV番組であること」であり一番の弱みもまた「TV番組であること」であると思っています。
強みとしては、インタラクティブな解説(動く図形とか、アニメとか、俳優の朗読とか)が可能になること
弱みとしては「解説者の準備期間、解説時間に制限がかかること」「番組上では注釈を実質的に挿入できないこと」「月に1冊のペースでしかラインナップを増やせないこと」ですね。
特に月イチのペースでしか増やせないのは大きな制約で、解説本の中で出てきた関連本に解説が欲しくても、100分で名著で解説される可能性は極めて低いと言わざるを得ません。
そういう意味で、名著巡りの入り口にしかならないといえばならないのだと思います。
100分で名著をメインに追いつつ、他にも手を出してみようとは思っています。
私は実は番組はあまり見ていません(3割くらいかな)。毎週火曜日この時間にTVに向かっていることが難しいからです。
理想は両方こなすことだと思いますし、伊集院光さんのリアクションは時々ハッとさせられることもありますが、私はどちらかを取れと言われたら解説本だけ読みます。
番組が「あらすじ」+「執筆背景解説」+「解説者の解釈解説」で割合が2:2:6~1:5:4まで変動するとしたら
解説本は執筆背景解説に一律+3、解説者の解釈解説が一律-2って感じです。
(逆に、あらすじだけ知りたい場合100分で名著は重厚長大で、もっと手軽な選択肢があると思います。)
そりゃ、番組の中で解説にちらっと出てきた著者の友人の来歴とか、著書とか、いちいち全部触れられないですよね。
つまり、私が元投稿で言った「本の解説で繰り返し取り上げられる要素(人名、思想、歴史上の出来事など)があることがわかった」現象は
番組を見るより解説本を読んだときのほうが顕著に起こると思われます。
なので、もし元投稿を見て「知識がつながるって面白そう」という点に興味を持っていただけたなら、解説本の方をメインにされることを私はお勧めします。
頑張って読んだ、という感覚はありませんでした。
おそらく、原典には「頑張らないと読めない」ものもたくさんあると思いますが、解説書の段階では頑張らずに済みました。
正直、興味をそそられたかどうかにはレベル差があるので、結局読まない原典もあると思います。
古典名作だと聞いて読んでつまらなかったら被害甚大ですが、水際で食い止めてくれたことになると思います。
読みたくない本、という感覚もなくて、どちらかといえば「知らない本は読めない」ですね。
恥ずかしながら「エチカ」だとか「夜と霧」だとか「全体主義の起源」なんて知らずに生きてきたので
まず読みたくないかどうかも解説書読んで判断しようと思ってました。
食わず嫌いよりは、試食コーナーの匂いで避けた、の方がまだマシかなと言う感覚です。
シャワーを使う際には、本はタオルにくるんで蓋に挟んで防水します。
このスタイルで読書して2年位になりますが、多少湿ることはあっても、問題になるほどビシャビシャになったことはないですね。
以前スウェーデンに出向していた友人から聞いた話ですが彼の国では大学とは必ずしも高卒すぐ入るものではなく、
暫く働いてから勉強したいことを見つけて入る人も相当にいるらしいですね。
その彼が聞いた日本との違いを顕著に表しているセリフが「高卒のガキに大学教育はもったいない」「日本人は高校生の時職業決めるんでしょ?すごいね」です。
後者は嫌味なのかな?と言う気がしないでもないですが、前者は今本当に身にしみています。
大学教育をきちんと受け止められる18歳って、そんなに多くないですよね、、、
以下私の勝手な解釈です。見当違いのことを言ってるかもしれないですが、、、
私と趣味が合いそうだなと思ったら、まずは以下をお勧めします。
スペシャル版なのでちょい分厚いですが、これが私の一押しです。
日本の大乗仏教諸派の成り立ちと違いについて、今まで何度か教わったし読んだはずなのですが全く頭に入ってこなかったのがすらすら入ってきました。
読了後は、まるで自動車教習所に通ったあと今まで目にも入らなかった交通標識が急に意味を持ち出したような感じで、街中のお寺から情報を取れるようになりました。
私自身が茶道やってる事が大きいかもしれませんが、日本人が外国人に、英語で日本文化を説明する起点として最高と思いました。
実際、ボストンで友人とあったとき(作者の天心はボストン美術館の東洋部部長です)なんと役に立ったことか、、、
全編、声に出したい日本語だと思いました。言葉がやや古いのですが、原典も薄くて読みやすいです。
維摩さんというレジェンド級のアマチュア(在家信者)がプロ(菩薩軍団)をやり込めまくる話です。
「煩悩は湧くに任せよ、とらわれないことが大事だ」というフレーズがとても頭に残っています。
一番実践しやすい仏教な気がしました。アメリカの方で流行っているzenとかsatoriってこれを目指してるのかな?と思っています。
↓と思った記事
https://aishinbun.com/clm/20181218/1888/
人間は自己愛ゆえに苦しまねばならぬ、というのがメインの本と理解しました。それだけでも納得感あるのですが、
本人的にはキリスト教最高!で異教徒を折伏するために書いた本らしいのに仏教が目指してるところと同じっぽいのが面白くて読んでました。
原典が思いっきり重そうなのですが、いつか読みたい本の一つです。
いろんなことを言ってるわけですが、
私は趣味を持て、幸せになれるぞ?という本だと理解しました。ラッセルさんの趣味の定義とは「~を収集すること」らしいです。つまりスタンプラリーですね。
何かに対して情熱を持ってスタンプラリーしてるうちは人生に飽きない、ということかと思いました。
解説本読破もそのノリでやってやらぁと思ったのを覚えています。
正確には100分で名著シリーズではないのですが、この「一週間で資本論」が成功したので100分で名著が始まったらしいです。
資本家の行動原理が今とぜんぜん変わらず、ギグ・エコノミーとかも19世紀の理論で説明できることに驚きました。
経済を理解するためというよりは自分の身の振り方を考える上で有用だなと思った本です。
リストがほしいというコメントをいただいたのでリスト載せます。
趣味が合いそうだなと思ったら、参考にしてください。
(抜け漏れあったので追加。まだ何冊か忘れてる気がする、、)
・点と線
・かもめ
・人間失格
・斜陽
・三四郎
・こころ
・茶の本
・奥の細道
・昔話と日本人の心
・死者の書
・銀の匙
・世論
・ペスト
・ゴルディアスの結び目
・1984
・苦海浄土
・夜と霧
・野火
・ソラリス
・マクベス
年末年始休みは読書もはかどり、新たに買った原典も既に8冊終わりました。
今のところ、全て期待通りの内容でとても充実した休みになっており今年ずっとこの調子で読み勧めていけたら、、、(無理だろうけど)と思ってます。
どういうふうに仕事の本を差し込んだら、自分の中の読書熱にうまく歩合出来るかを考えるのが今年の課題かな。
動物本とか、読んでて飽きることがあるんですよね。
なお、私が100分de名著を知ったきっかけは単身赴任中の父がずっと見ており、解説本を纏めて実家に持って帰ってきたのがきっかけでした。
私も読み出して以来、お互いの話題の共通点も増え、お互いの読書の幅も広がって、
初めて父と同等の視点で知識交換をできるようになったような気がしており、その点でもこの番組には深く感謝しています。
(私の専門のITのことでは以前から教える立場でしたが、これとはなんとなく異なる現象のような気がしてます。)
良い1年を!
星の王子さまの使い方それであってるんだっけ?
幹部自衛官の知り合いが何人かいるのだが(単に規模がデカくて頻度が多い同窓会をいくつか掛け持ちしてるだけであり、私に友人がたくさんいるというわけではない)、彼らの大部分が「自衛隊は何よりも優先される」と思い込んでいて非常に怖い。
某大卒の人間が特に顕著であり、なにがあっても自衛隊は優先され民間企業は一度でも自衛隊に関わったのならその組織力の全てをもってサポートしなければならないとすら思い込んでいる。世界大戦下における増長した軍属の姿そのものずばりが、令和の世を堂々と闊歩しているのである。
彼らがこんな状態になったのは、間違いなく洗脳によるものである。自分たちの都合がいい手駒を作るために彼らの思考をこのレベルになるまで破壊した者達、個々人の力では成し遂げられないレベルで洗脳を施すような巨大なシステムが存在しているのだ。なぜ……こんな酷いことが出来るのだろうか。
ワタミの社員はワタミの為に身も心も捧げるが、それはお客様の笑顔のためというお題目のためであるし、犠牲にするのは彼ら従業員の人生だけだ。洗脳済み自衛隊ファースト自衛官の思考回路はその遥か上をゆく、日本のほぼ全て、それどころか世界のほぼ全てが自衛隊という組織の円滑な活動に奉仕するために存在していると思いこんでいるのだ。
平和な暮らしを守るためなのだから、その暮らしなんて破壊されてもいいと本気で思い込んでいる。だがそれも仕方ないのやも知れない。彼らは入隊と同時に人権を一度売り渡す。人間であることを辞める。それから、自衛隊という組織によって人権の一部が返還されるのだ。人間の思考とは恐ろしいもので、一度取り上げられて返されると、それが元々は自分のものであったという自覚が薄れてしまう。彼らの精神の根底には、『人権は自衛隊様より与えられるものである』という全く見当違いの思い込みが根を張ってしまう。その根にこれでもかと栄養を与えられ、人格の奥にまでそれを張り巡らされ、やがて『星の王子さまに出てくるバオバブの木』に侵食されるがごとく元々あった精神の土台がまるごと破壊されてしまうものも少なくないと聞く。その成れの果てが俺様幹部自衛官であり、自衛隊ファースト族なのだ。
自衛隊が私達の日常を守ってくれているという側面は確かにある……あるのだが……彼らの考える日常が私達の考える日常と同じだとは思わないほうがいい。『生まれつき備わった人権を守られながら文化的な生活を送ること』を我々が日常と捉えていたとして、彼らが考える日常は『自衛隊により貸与された人権の元に日本という国家を存続させるための歯車として生涯を捧げること』なのである。実態は……我々の生活の実態が後者にすぎないのであったとしても、それを自覚し肯定するつもりは我々には毛頭ないが、自衛隊に染まりきった人間はそうではない。
私はこのことが本当に恐ろしい。
戦争映画の中に出てくるような、自分たちこそが世界の中心であり世界が滅びてでも守られるべきは自分たちであり、最悪自分たちさえ生き残ればそれが最良なのだとでも考えているような軍人は、確かに実在するのだ。この21世紀にも。令和にも。2019年にも。
https://twitter.com/fukuikensaku/status/1065398724573179905
昨日の件。「ミッキー(クラシック・ミッキー)は日本では著作権切れなのか」というお尋ねがあったが、これにはいくつか説がある。
まず、①「既に日本ではPD」説で、映画公開の1928年に、以前の映画の保護期間である「公表後50年プラス戦時加算」で1989年には切れた、という神をも恐れぬ意見^^;→
https://twitter.com/fukuikensaku/status/1065399465526214656
次いで、映画の著作物ではなく当初のミッキー原画の保護として考えつつ、②「その著作名義はディズニー社なので、映画と同様に既に著作権消滅」説。(①②とも旧著作権法を加味してもPDの結論は恐らく変わらず。)→
https://twitter.com/fukuikensaku/status/1065400827836166144
③「ミッキー原画の著作者はウォルトなのでその死後50年プラス戦時加算で、2027年に切れる予定だったが今回の延長で更に20年」説。④「原画の著作者は相棒のアイワークスなので死後50年プラス戦時加算だと2032年で、やはり今回の延長で当分切れない」説、など。さあ、どれを取るか^^
クラシック・ミッキーの著作権は日本ではいつまで有効か。次の通りらしい。
3.2047年に切れる。
4.2032年に切れる。
なお、仮に商標として登録されても、商標権では著作権を延期したり、切れた著作権を復活させる効果は無い。商標権は、「商標」としての役割を持った使い方にしか権利が及ばない(商標的使用論参照)。
https://www.kottolaw.com/column/000042.html
つまりは、保護期間が切れて新訳ブームを起こした『星の王子さま』と同じ原則が働くのだ。商標として主張したところで、一度切れた著作権を復活させたり、無限に延命させる効果は、当然ない。
こんな意見もあった。
https://twitter.com/eggmanpat/status/1065423525689737216
ディズニーに日本国内での実施許諾を願い出て対価を聞けば、少なくともディスニー側の見解はわかるのではありませんか? 著作権が切れているとの認識であれば対価は要求しないと思いますが。
当事者の見解は分かるので、それも一つのアイデアだ。しかし、パブリックドメインに対して金のやり取りをするおかしなケースもあるらしい。ディズニーがそうだとは言わないが。
https://www.kottolaw.com/column/000042.html
しかし日本では、時に延命できてしまうのである。一見「知財権のような」もっともらしい権利主張に出くわすと、特にその者が欧米の権利者で複雑そうな警告表示をしていたり、強い後ろ盾があったりすると、とりあえず権利があるかのように許可を申請し、高額な使用料すら払う。ライセンス契約にはしばしば、こちらを将来まで拘束するような条件が記載されている。ライセンスを受けたという前例が既成事実化して、自分たち自身をしばる不思議な業界秩序ができあがる。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1803/06/news052.html
そんな同作を公開から80年以上経過した2018年の現代によみがえらせるため、特撮ファンのクリエイターが結集。枝正さんの孫である佛原和義さんの承認を経て、今回の企画を立ち上げました。
著作権が既に切れている80年前の映画のリメイクなのに許可を得たの?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%93%AC%E4%BC%BC%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9
擬似著作権(ぎじちょさくけん)は福井健策弁護士(著作権法専門)が提唱する「理論的には著作権ではないが、社会で事実上、それに近いような扱いを受けている」ものを指す[1]。擬似著作権という名称であるが実際には擬似的な知的財産権全般を指すという。
擬似著作権の最大の弊害は、社会がその情報を自由に使えなくなることであり、もっともな理由があるものもあるが、「言ったもの勝ち」「権利のように振舞えば勝ち」というような例が見られるという。[2]
https://www.kottolaw.com/column/000042.html
つまりは、保護期間が切れて新訳ブームを起こした『星の王子さま』と同じ原則が働くのだ。商標として主張したところで、一度切れた著作権を復活させたり、無限に延命させる効果は、当然ない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20180809-00092524/
パブリックドメインなら何をしても許されるのか?:「星の王子さま」のケースを検討(追記あり)
栗原潔 | 弁理士 ITコンサルタント 金沢工業大学客員教授
8/9(木) 12:47
ちょっと古い話題だが、「星の王子さま」の"コラボ"商品(バオバブの苗木)問題について。
これを見ると”le Petit Prince (r)”および”(c)LPP612 2018”の表記があります。ということで、権利関係はクリアーしている可能性が高そうです(もちろん、法的な話とは別にファンとして批評・批判するのは自由ですが)。
著作権が切れているので本来は「許可」不要なのだが、件の商品はこのように「許可」を取ったものらしい。
これを考えると、星の王子さまのファンは本来は、「許可」を出した「元公式権利者」に対して抗議すべきだったのでは無いだろうか?あのような作風をぶち壊す商品を何故「許可」したのかとである。
「元公式権利者」からの「許可」を得た上で商品を販売した方に批判が来るというのも不思議な事件に思えてきた。
いや、著作権が切れているので、現在の「公式権利者」は存在しないから、発売した側が抗議を受けたのだろうか。
言語の壁もあったのかもしれない。
ハーバービジネスオンライン > 社会 > 「星の王子さまとバオバブ」騒動が象徴する「モラルの劣化」
主張に賛成するかしないかは別にいいんだけど、嫌な記事だなというのが正直なところです。
最初は「星の王子さまとバオバブ」の問題に書いているし、タイトルもそれなので、記事の趣旨はこれだと思って読んでいくと。日本におけるファシズムという、星の王子さまに関係のない話が始まります。
昨今の日本は、耳を澄ませばファシズムの足音が聴こえてきます。森友学園や加計学園の問題に代表されるように、総理大臣のやりたい放題が目立つ時代になってきています。官僚の人事も自由に決められ、安倍総理を守るために嘘をついた人が露骨に出世する時代になっています。
ここから、話が続き、LGBT、憲法等のキーワードが登場します。
私は星の王子さまを知らないけど、1943年にアメリカで出版された小説に現代日本の社会のことが登場するわけはないし、騒動と無関係に単体でオリジナルの中身を論じる必要もないので、関係のない話が記事で書かれているという事ですよね。
このように、あるキーワードを使い、関係のない話をさも関係がありそうに混ぜるという【宣伝】をする人は昔からまれに見かけました。
有名なところでは、朝日新聞の2006年の記事にあった、「そういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に増えているという事実も、多少気になるところだが」 が挙げられます。
関係のない話を混ぜることで、Aの話題に興味のある人に別のBという話題を読ませることが出来ます。
Aの話題を投稿するトピックに対してBという話題を一緒に無理矢理投稿できます。無理矢理なので注意を受けることは多いでしょうが。
星の王子さま問題や日本の情勢についてどのように評価するかは自由ですが、別の話なら記事を分けるべきではないでしょうか。
勿論、他のことに触れたから宣伝だというわけではありません。そんな事を言い出したら、例えも出来ませんし、関連のある事を紹介もできません、読みやすい記事が逆に書きにくくなります。関連度や量や触れ方等総合で見る必要があります。
今回の例でいえば、現代の日本について扱った記事の中で、星の王子さまに触れ、バオバブの木の芽がファシズムの象徴である事、星の王子さまが芽を抜いている事に触れ(導入部分なので、もちろんさらっと簡単に。星の王子さまの面白さを説きたければまた別の記事で行う)、そこから、日本のファシズムの芽抜きに話を展開していけば自然に書けると思います。
もう一つの案は、最近筆者の気になることを幾つか挙げるという主旨で一つの記事を書く事です。
3 何々
このように、記事内で見出しを付けて分ける案はどうでしょうか。
少なくとも、今のような書き方は見苦しいと感じます。
「星の王子さま」コラボ商品、権利侵害の批判受け2日で販売終了…本当に法的問題はあった? https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180812-00008368-bengocom-soci
パブリックドメインなら何をしても許されるのか?:「星の王子さま」のケースを検討(追記あり) https://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20180809-00092524/
記事には擬似著作権(ウィキペディア参照)という言葉は出てこないけど、これも擬似著作権の弊害の一例と見なせるかもしれない。
皆様、
今年も春が来て桜が咲きました。
おめでとう。
生きていてくれてありがとう。
どんな人たちなんだろう。
この手記を贈ります。
内容は、
誰かに似ているということ、
友達を作ること
についてです。
薄くて追いづらいかも知れませんが、
どうにか線をつないで行くので
寛い心で眺めていて下さい。
周りの目には奇異あるいは攻撃的に映って
発話の前提を共有することは、
酷く手間を要することです。
そこまで楽しくないよ落ち着くだけ、とか
君は人生辛くないんでしょ楽しくないの?とか
マスタベーションと同じ構造でごめんね、とか
言うの
面倒だから
もちろん何も考えずにうたってるときも多いけど。
また、無自覚な心優しい人と一緒にいると
発していないだろうかと、
もう一つ例を。
現か夢か忘れたくらい幼い頃、
あるいは繰り返すメロディーの話。
とりとめもない会話をして
なんだか僕は楽しくなって、
それで上手く周りが見えなくなって窮屈で
ビニール袋を外して、
誰も悪くはないのに僕がずれているだけで
年を取るにつれ、
2、誰かの一部に似ているということ
にはおんなじところがたくさんあります。
例えば手足が四本生えているとか、
眠くなるとあくびが出るとか。
意識されない作りになっていて、
痛いくらい慣れた僕にとって、
https://anond.hatelabo.jp/20171227003911
僕の場合、
増田のこの人と、
すごく似てて記事読みながら笑ってた。
それでも自分が真ん中にいることに困って抜けちゃいました。
https://m3myk.hatenablog.com/entry/2018/03/25/232219
小説の中や、伝記の中で、
自分と同じ人がいるというのは気付いていたけど、
快感がありました。
この文章を書いているのも
あるいはそう期待しているからです。
3、完璧ではない友だちを作ること
愚かで愛らしい僕たちは、
サン=テグジュペリが書いた「星の王子さま」という小説があります。
ヒツジの絵を描いてもらいます。
だけど、王子さまにはどのヒツジも気に入らず、
「このヒツジったら、病気で、いまにも死にそうじゃないか。かきなおしてくれよ」
「そうだな......これあたりまえのヒツジじゃなくって、ツノが生えてるもの......」
「これ、ヨボヨボじゃないか。ぼく長生きするヒツジがほしいんだよ」
飛行士はがまんならなくなり、
「こいつぁ箱だよ。あんたのほしいヒツジ、その中にいるよ」
すると王子さまはそのヒツジを大層気に入りました。
人間の最も素晴らしい性質の一つであり、最も残酷なそれでもあります。
夢見ることは素敵だけど、たぶん僕らにとって
星の王子さまは箱のヒツジといっしょに死にました。
具体的な未来なんて軽く捨てちゃえるくらい美しくとも、
僕らはたぶん生きていけない。
僕たちと環境は
どうやって見るかという意味でも
どのように働きかけるかという意味でも、
たぶん影同士になっていて、
その相互作用を愛してくれ。
4、まとめ
それは只管に美しいです。
ただ、自分に周りに厳しくなりすぎませんように。
もがきすぎて疲れてしまって、
どうにもならなかった。
きっとだれも貴方のことを
救ってはくれませんが、
祝福はあります。
環境は変わりるけど、
これまできみを喜ばせてきてくれた
なにかを大切にしてほしい。
そして万が一、途方に暮れた時。
先人の勇気やら愛やら
点字ブロックを見れば思い出せるかもしれない。
春がきました。
過ごせる友が出来ますように。
どんな君でも
生きていることがとても嬉しい。
祈っています。
それでは、また。