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はてなキーワード: 乳癌とは

2019-06-12

νガンダム乳癌患者配慮していないので名前を変えるべき!」

このレベルクレーマーが出てきたらどうするんのんな?

2019-01-09

anond:20190108193230

出産年齢の女性に最も多く見られる癌は乳癌だ。米North Carolina大学Chapel Hill校のHazel B. Nichols氏らは、分娩後の女性乳癌リスク時間経過と共にどう変化するかを検討したところ、未経産女性比較したリスクは、分娩から約5年の時点でピークになり、分娩から20年間以上にわたってハイリスク状態が持続していたと報告した。結果はAnn Intern Med誌電子版に2018年12月11日掲載された。

 これまで、出産歴は乳癌リスクの低下に関係すると広く認識されていた。しかしこれは、乳癌発症率が高まる60歳以降の女性対象検討した結果であり、分娩後の若い女性には当てはまらない可能性がある。実際に、分娩後短期間、乳癌リスクが上昇する可能性を示した研究もある。

https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/hotnews/etc/201901/559251.html

2019-01-08

出産若い女性の乳癌リスクを増加させる。

出産経験のない女性よりリスクが低下するには23.6年かかる。

まり子供は産まない方が女性健康に良いということ!

2018-04-11

ワンルーム仏壇

私は両親が早くに離婚して(父不倫母親に育てられたんだけど、母親乳癌で私が大学3年の年に他界してしまった。

社会人になってアパートで独り暮らしスタートさせた時に、マンション用らしい小さな仏壇を買って位牌と小さな写真を収めた。

初めて出来た恋人をいよいよ部屋に呼んだとき、その人に「うわー引くわー仏壇あるなんてありえねー、寺かよ気持ち悪い」と散々言われ、「仏壇閉めておけばよかったね、ゴメンね」と私も謝りながらも、なんでこんな謝ってんの私と思い始め、色々言訳して彼を追い出して、間もなく別れた。

しばらく男性に懲りた後、やっと次に出来た恋人をかなり付き合ってから部屋に呼んだときは、「ごめんね、お仏壇閉めるからね」とつい謝ったのだが、彼は「え、ちょっと待って」と言うと、お仏壇の前に座って手を合わせて、「○○と申します。初めてご挨拶するのに酒臭くて申し訳ありません。○○さんとは仲良くさせていただいてます。どうぞ今後とも宜しくお願いいたします」と言った。

この人とは長い付き合いになるだろう、と思った。結婚までするとは思わなかったが。

恋人以外に女友達を何人か部屋に呼んだこともあったけど、長い付き合いになった子は、やはり酔ってても仏壇挨拶してくれた子だった。

気持ちいから片づけて」とか、「仏壇には霊が憑きやすいんだって」とか訳わからないこと言ったりする人とはすぐ疎遠になった。

母が鬼籍に入った時、「これからは一人で頑張るんだ」と思ったけど、一人ではなかったのかもしれないなー、いつも母が見守ってたのかもなーと今は思う。

 

来いよコピペ警察!銃なんか捨ててかかって来い!!

2018-03-12

春は体調が悪くなり易いんだろうか。花粉症から副鼻腔炎に近い状態。ぼーっとする。

腹も下してるのに痔だし起きがけに胸痛があって

乳癌クーパー靭帯の損傷(婦人科

肋骨骨折外科

心臓の血管(循環器科

肺の異常(呼吸器科

逆流性食道炎消化器科

などの可能性を疑ってる。散々だ。

2018-02-14

anond:20180212220528

元増田は本当にお疲れ様

前に飼っていた猫は乳癌で長く闘病していたのだけど、生まれた時から一緒に育った猫だったので大変辛かった。

その頃のことを思い出したのは元増田記事を読んだからじゃなく、昨日、その後に飼った別の猫が死んだからだ。便乗するのを許して欲しい。誰かにまれたいわけじゃない。吐き出さないとつらい。


今回の猫は心臓悪化から機能が低下して内蔵まわりを水びたしにして呼吸困難で死んだ。

そんな疾患を意識したこともなく、ほんの三日前の午前中まで元気に普段通りに過ごしていたので寝耳に水としか言いようがない。

細かく書こうとしてみたが、すでに出来事の順番が曖昧になっていることに気づいたのでやめた。ともかくジェットコースターだった。レールが出発地点に戻らずちょん切られていて池の中に放り出された感じだけど。

前述の癌の猫について、飼い主の都合で痛みを長引かせてしまったという自覚があることと、呼吸困難の苦しさ(丸二日間ずっと苦しみ続けて睡眠もとれないのを目の当たりにみしている上、完治の見込みは一切無い)を考慮して安楽死を選んだ。

選択自体には後悔は一切していない。猫はもちろん一秒でも長く生きることを選ぶだろう、意識だってまだあるのだ。自分の顔を声を、撫でる手を認識している。酸素室で比較的楽な一瞬、しっかりとこちらを見て立ち上がった時、確かに意識はしっかりしていた。でも、苦しさが限界まできてから眠らせるんじゃ意味がないと思った。少しでも早く楽にさせてあげたいと思った。口から垂れた水滴がうっすらと紅色だったのを見て、呼吸困難の後、血を吐くというのは本当なんだと思ったし、そこまでさせるのは本当に可哀想だと思った。前日の夜、撫でさすりながら「この呼吸困難は落ち着くことはない」と悟った時の悲しさは深くて、その時にもう決断したのだ。落ち着かないんだから、早い方がいい。でもそれは今日その日のことだとはわかっていても、何時何分になるのか、どうやって決めればいいのか。その瞬間までずっと考えていた。今はまだ撫でれば寄り添ってくる。声をかければ反応がある。尻の付け根を撫でればしっぽも跳ねる。でも決めてしまったら最後もう二度と触れあえない。

バックヤードに入って声をかけてから就業時間ギリギリまでそばにいる許可を得て、酸素室のそば椅子に座って猫をずっと眺めていた。猫は午前中は水を飲んだりできるまでに安定していたが、午後から酸素室に入れる前のように口を開いて呼吸する状態に戻っていた。心臓を圧迫するから俯せになるより座る姿勢の方が本来は楽なのだが、疲れているので伏せっていた。どうにもできないのでアクリル板の前で声をかけていた。顔と顔を付き合わせてスリスリするのが好きな猫だったので、なるべく顔を近づけて、たまに話かけるようにしていた。

しばらくして猫が体を起こした。そのまま頭をアクリル板に擦り付けスリスリとした時、私は撫でてやることができなかった。すぐに猫は座りなおし、また伏せてしまった。この仕草が猫から最後要望だったこと、それにその瞬間に応えてやれなかったことだけが、後悔として未だに引っかかっている。最後の瞬間まで何もかもを飼い主が勝手に決めるんだから、その時の「撫でて欲しさ」くらい絶対的に満たされるべきだった。

その後、酸素室を明けてもらってチューブを口元に持って行きつつ撫でたりもしたし、それで尻尾はピンと張ったけど、そんなの飼い主が触りたくて触っただけだし、今こうやって失われた手触りを惜しんでボロッボロに泣いているのも飼い主の勝手なのだ

死も病も生きとし生けるもの代謝を続ける生物すべてに降りかかる災難であって、この出来事もことさら特別運命ではない。だけど、なんでついこの間までピンピンしてたのに撫でて温めても治らないのかわけわかんないし、その直前に何か特別なご褒美がないものか、よくわからんと感じてしまうのだ。ペットとして生きものを振り回している人間の罪悪感から来ているとか、そういうたいそうなもんじゃなく、あの時に応えてあげたかったと、叶わなかっただけに後悔というより残念感がドーッと心を浸したまま浮き上がることはたぶんない。

安楽死想像よりも一瞬の出来事で、ハッキリ言ってまだ生きてる状態なのではと思いつつ死体を抱えて帰宅したが、やはり運動としての反応がない以上、死んだものではあった。体温は一月の寒さ程度では全然去らず、猫を抱えているとき特有の暖かさがあった。その意味ではまだ肉体は生きていた。肉体が生きている、感触は変わらず生前のままなので、猫とはまだ別れていない、「魂はまだ離れていない」という感覚ストン理解できた。通夜をするのだと決めた。

猫を抱いた人は了解されていると思うが、猫を抱くというのは小さいものの魂を抱くということだ。あれの温かさはそういう種類のものだ。スピリチュアリズムとかではなく、あんなに小さくて柔らかくて温かい繊細な感触をするものが、電池もなしに瞬発力を持って動くことに感動する。あの感触を得るために(あと鳴き声や舐める舌を得るために)人間は猫を飼っている。

この撫で心地を一瞬でも多く体験したいと思って、コンパクト姿勢にまとめて、体から熱が去らないようにバスタオルで包みながらずっと撫でていた。

やがて家族が飯の支度が出来たと呼びに来たので、二回目の呼び立てで立ち上がって猫を置いた。いつまでも続けているわけにはいかないのは分かっている。ただ、失われるものを少しでも得たいという、やはり飼い主の勝手欲望であって、そんなものは不純な気もしたが別れの儀式なのだと思えば許されるのではという気もした。

寝る時はベッドのそばのローテーブルに安置した。なかなか寝入れないので無料ガチャを回そうとソシャゲを起動したのだが、そういえば一昨日もこれをプレイしつつ俯せになっていたら猫が胸の下に入り込もうと邪魔をするので追い払っていたなと思い出した、とその時は泣かなかったが今泣いている。そのことは特に後悔はしていない(猫は実際に邪魔な時は邪魔だ)のだが、失われた瞬間の尊さときたら途方もない。猫が生きている時は「寂しい」の気持ちは押し込められていて、ともかく理不尽な病に苦しめられている猫の「運命」が「可哀想」だという気持ちで頭がいっぱいだったのだが、死んでしまうと寂しいに浸ることが許される。寂しいは自分状態への反応なので、順番を間違えてはいけない。

翌朝、猫の体は冷えていたが、水が溜まった下腹部がぶにぶにとしているせいで毛並と相まって生前の手触りを保持していた。腹に顔を埋めると猫本来香りは一切しなかった。発症してから口臭や小便の匂いもせず、口鼻や肛門に詰め込まれている綿と、昨夜寝かせる前に口元を拭った時の消毒剤の匂いがした。

その後、猫を弔ったわけだが長くなりすぎたので割愛する。

私が猫を看取ったのはこれで六匹目になる。回数を重ねるにつれ慣れるものだと感じていたのだが、正確ではなかった。この最後の一匹になる前は多々飼いをしており、一匹が死ぬことで猫の気配がなくなるということはなかったのだ。

最後の一匹になってから四年。この一匹だけは老衰でヨボヨボになりボケてあちこちに放尿するのを世話しながら息を引き取ることになるのかなと、なんとなく考えていた。



ペットロスという単語検索してみたら気が滅入った。

例えばこの文章を書きつつ号泣するというのはよくわかる。自分体験を振り返り、気持ちを盛り上げて文章化するものからだ。

だが、なんの切っ掛けもなく涙がこぼれることがあって、その時の心境は確かに「悲しい」だから心体は一致しているものの、ささいな刺激で表出するので本当に困る。「悲しい」には悲しいし、寂しがっているのだが、そうしたいと思っていないのに気持ちが昂ぶってしまい困る。

その一方でその気持ちから断ち切られたくないと考えている自分もいる。猫の感触仕草を声を忘れたくない。何度も振り返って記憶に焼き付けたいと願っている。その中でその愛している相手がこの世のどこにも存在しないことを感じて自動的に涙が流れる

時間解決することはわかっている。涙がなくても気軽に思い出せる日はたぶん遠くない。でも今はいっぱい悲しい。悲しいので涙が流れるし鼻水は垂れるし、一昨日からずっと目蓋が腫れぼったいしおでこまわりが熱いし、今年はもう必要ないなと思っていた鼻セレブを買った。

猫のことが悲しすぎない心持ちになったら、また新しい猫を引き取ろうと思う。一匹目の生まれた時から一緒にいた猫と死別した後、猫はあの一匹だけだと思っていた自分を変えたのは昨日看取った猫だった。

猫は猫それぞれで全然違い、個性や猫格を持っている。上手く付き合える確証なんてない。でも捨てられたり放棄された猫と暮らすのはどんな相手だろうと悪くないものだし、そのことで幸せになれる猫がいるなら今までの飼い猫たちにも報いることにならないだろうかと、そうも思うのだ。それこそ飼い主の勝手解釈で猫にしてみたらどうでもいいだろうが、一匹でも多く飯で腹いっぱいな猫が増えるなら猫好きとしては嬉しい。




一匹目の猫は乳癌で死んだ。

腹が腐る匂いと一緒に眠っていた。腫瘍の膿を拭って消毒液をかけないといけないのだが、大きく身をよじって嫌がるので雑な対処しかできなかった。爪を切られるのさえ嫌がる猫だった。

最期が近くなるとトイレがうまくできなくなり、尻まわりに糞をつけていたので臭かったが、その頃になると体もうまく動かせなくなっていたので拭き取ること自体は楽だった。しかし、腰が抜けて糞尿の上でのたうつようなことが度々あり辟易した。

最後の日、私が居間インターネットをしている時に「ニャア」といつもの声で呼びかけてきたが、私は怒っていたので相手をしなかった。

学校から帰って死んだ猫を見つけた時、ついに来ものが来たということはわかっていたが、そのことが理解できなかった、というのが当時のノートを読み返してよくわかる。生きていた時なら絶対にしないことを猫にした。首を持って持ち上げた。そのまま持ち続けていたが、反応がなくて、手を離した。床に落ちた。現象として確認した。信じられないものを目の当たりにしたあの時の気持ちを私は今でも忘れていなかった。紙から取り出せる。いつでも。

風呂場に遺体を持ち込んで糞と膿を荒い流している間、全世界への呪詛を吐きながらずっと泣いていたことも覚えている。初めて触れた身近な死だった。なんて残酷なんだろうと思った。

あの頃のように大声を出して泣くことも、荒々しい気持ちになることも、もうないだろう。

供養もなにもかも、飼い主の勝手で、寄り添ってくれたあの瞬間だけが本物だった。

2017-12-19

医者になるやつの気がしれないの続き

https://anond.hatelabo.jp/20171217013541

今朝、こんなニュースをみてしまった

AI医師に「圧勝」の衝撃 医療は変わる?医師見解

https://news.yahoo.co.jp/byline/mamoruichikawa/20171217-00079287/

優勝した、ハーバード大学マサチューセッツ工科大学研究チームが開発したAIのAUCは0.994。11人の医師平均値である0.810を大幅に上回りました。

経験つん病理医が、時間関係なくとことん見た結果、AUCは0.966と大幅に上昇し、優勝したAIともそん色ない成績になりました。

ただし、かかった時間は30時間AIは秒単位

乳がん転移を調べる、レントゲン画像判定は既にAI医者より上だそうで

そもそも画像認識ニューラルネットワークAIの得意分野だから、当然の結果のような気もする

まあ乳癌なんてハトでもみつけられるただ単純で時間がかかるだけのものから人間よりAIのほうが向いているのかもしれない

ハトを使って乳がん発見、米研究チームが実験

https://www.cnn.co.jp/fringe/35073804.html

じゃあAIにまかせればいいんじゃね?

そこでういた時間と労力は別の病気治療リソースをまわせばいいじゃん

(医者を減らすとかもってのほかです)

しかしこのヤフー記事解説の人も、まだまだAIは未熟だから人間医者は安泰みたいな論調だけど、

慢心、環境の違いうつつをぬかしてる場合じゃないと思うんだけどな

つーかAIにとってかわられる仕事の人は職を失う、だから反対!、なんてラッダイト運動は勘弁してください

今のAIはまだ単純で、そんなに多くの事はできないんだからAIのできない仕事をすればいいだけなんです

まあそれは経営仕事なので、経営者がちゃんと仕事してください

2017-08-06

https://anond.hatelabo.jp/20170806135137

多分慢性ではない、治りつつあるから

でも乳癌じゃないかとヒヤヒヤして、乳癌だったらあの人みたいに死ぬのかなあと結構不安だった。

あんまりこういう個人的事大っぴらにするのは避けたかったけど、男だって言い張られたら仕方無いよね…

2017-06-21

https://anond.hatelabo.jp/20170621140102

スパム対策リンクが貼れないけどル・エストロジェルで調べてみて。

禁忌事項に

乳癌、子宮内膜癌及びその疑いのある患者腫瘍悪化あるいは顕性化を促すことがある。

その他諸々書いてある。

2017-06-11

まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

40歳の節目。私は乳がんになった。

素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。

幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。

乳がんは罹る人も多い病気負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。

でも全然カンタンではなかった。

家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。

判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。

手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。

今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。

もっと早く気づくことができれば・・・
「あの時あの治療選択していれば・・・
「友人家族もっと接するべきだった・・・

いろんな後悔が今も心に残っている。

こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。

興味があったら読んでみて下さい。

ピンク東京タワー、突然の不安

ほんの些細なこと。

10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。

私:「綺麗だねー。今日はなんでピンクなんだろうねー」

携帯検索をする夫。

夫:「今日ピンクリボンデーらしいよ。乳がん認知を上げる目的だって
私:「乳がんねー。」

その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。

それから1ヶ月が経った頃、

朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。

???

違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。

まさか。。。乳がん?」

ピンク色の東京タワーピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。

ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。

夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。

大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安かられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。

しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。

人間不安ときは都合のいい方の考えに飛びついてしまものだ。

私は、

「なんだ大丈夫だ。良かったー」

と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。

翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。

考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。

今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。

一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がん検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったか検討がつかない。

よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。

サイズも小さいし、しこりも動くから問題はないと思いますよ」

そういって若い女性医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。

その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。

診断は

「乳腺線維腺腫」

違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。

乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常生活に戻った。

大丈夫でしょう」という自分安易判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。

大いなる油断、取り返しのつかないミス

それから2年、私はしこりことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。

日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日

その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。

しかし、その夜、全てが一変する出来事が起こった。

夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。

暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。

しこりが大きくなっている。。。」

私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。

夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。

とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」

との回答。

しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。

乳がん専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。

大学病院では当日は難しいため個人病院だった。

まずは触診。先生の無表情さが不安掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。

終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。

もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。

幸いにも大学病院ではすぐに乳腺外科の診断ができた。

視触診
マンモグラフィー
乳腺エコー
CT
血液検査
マントーム生検

これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。

「これらの検査結果は来週に」と先生。

この一週間は今まで感じたことのない長さだった。

死への恐怖心
来ることが当たり前に思っていた未来が来ないかもしれない喪失感
気を使わせてしまっている夫、子どもたちへの罪悪感
不安なく健康暮らしている人たちへ理不尽嫉妬心
色々な感情が目まぐるしく移り変わり心身ともに疲弊していた。

加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。

神さまはいないのか・・・

疲れ切った私たちにやってきた結果は優しいものではなかった。

「左胸に3cmの悪性腫瘍。99%の確率乳がん

診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。

先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。

何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。

我を取り戻した私は、

「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。

結論は手術。

私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。

女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘選択した。

その日から長い闘病生活が始まった。

入院の前に待っているもの

医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。

まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。

ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。

次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。

母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。

母は言葉を失い、暫く無言が続いたあと母自身を責めた。

「ごめんね・・・、ごめんね・・・、ごめんね・・・

と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。

親の前ではやはり自分子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。

でも悲しみのスパイラルに入るわけにはいかない。

絶対に治すから

できるだけ不安を与えないように力を込めてシンプルに伝えた。

友人関係の難しさ、心無い一言、ひび割れ関係

仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。

私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。

仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると

「大変ね~、大丈夫??本当に心配だわ」

という反応。

「え?それだけ?」

特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。

更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。

中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。

私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベル男性結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。

から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那愚痴家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。

由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。

由美にも率直に

乳がんになった。これから長い治療に入る。手術は正直こわいけど頑張る」

と伝えた。

ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。

するとA子は

「なにも腕や足がなくなるわけじゃないんだから胸くらい良いじゃない。」

と言い放った。

彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。

死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。

ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。

私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。

これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。

遂に手術

家族不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブ感情を抱えながら私は手術に挑む。

スケジュールが出た。

手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘選択したために術前の化学療法はなし。

手術2日前から入院となった。前日から食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。

手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由リンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。

乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。

でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。

翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。

わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。

術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。

7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。

そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。

抗がん剤治療・・・これから始まる本当の治療

左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分身体から目を背けたくなる時期もあった。

でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。

気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。

期間は3週間を1クールとして、8クール複数抗がん剤を組み合わせての実施

抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。

ここでも家族存在が私の心を強く支えてくれた。

抗がん剤治療想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。

覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。

クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。

クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。

それにしてもケアグッズも高い。

まり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がん治療以外にかかる金銭負担も大きい。

クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。

いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。

こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。

楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。

抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。

化学療法を無事に終えた私は最後治療放射線治療に入ることになる。

永遠に続くと思われた治療・・・遂に・・・

放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。

放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。

ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。

手術をしてから半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。

毎日毎日通った病院乳がん発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。

検査ときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。

この先生に出会えたことは私の幸運だったと思う。

お陰で私は現実と向き合い、治療目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう

「これでがんは完治」

そう言えればどれだけ幸せだろうか。

がんとの戦いはここからが始まりといってもいいかもしれない。

一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。

「一生がんに怯えて生きていく」

こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。

「がんをうまく扱って生きていく。」

家族献身的な支え。そして我慢我慢を重ねた闘病生活

そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。

最初からこの心があればなぁと今では思うけど、

乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。

がんで失ったものを取り戻す旅

手術が終わって一年が経った。本当に激動の一年だった。

今の私の生活はどうなっているか

幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。

リンパ節を取った左手は、日常生活にはなにも支障はない。

抗がん剤副作用だった爪の異常や関節の痛みも治まった。

ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のとき帽子を被るようにしている。

左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。

胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。

変わった事と言えば、食生活生活習慣が改善したこと。

以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事抗酸化作用の高い食品をメインにしている。

そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活リズムを整える意味で意外と気に入っている。

家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。

夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。

先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。

親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。

こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。

「私から全てを奪った乳がん

手術前後治療中は頭の中にはこの考えしかなかった。

でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。

あなたには絶対に「この後悔」はしてほしくない

どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。

乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。

もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・

早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスク存在しない状態治療が終わっていたと思う。

親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。

私の弱さゆえの判断ミス。これに尽きる。

10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がん自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。

乳がん女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。

2017-02-09

小林麻央よ。同病患者の血を吐くような叫びを聞け。

小林麻央ブログ

「山を越え終わると、こうして何度でもまた越えられて、

永遠に越えていけるのではないかと思ってしまます」と前向きな気持ちを明かしたとのニュース

2人の同病患者コメント無断転載ごめんなさい。

1、

「それでも世の中を涙で振り回して楽しく嘘をつき通しているこの方に

ステージ4同じ癌患者(私他同じ病棟入院患者さんや医者先生でさえも)は

とても迷惑している。

乳癌マオみたいにすぐ元気になれるんでしょ?的な世間の目で見られているようで・・・

こんなに苦しくて辛いのに

本当にやめて・・・。  本当に自粛して欲しい。

悲しくなるばかりです。。 」

2、

「本当にどんな薬を使ったのか教えて欲しいです。

転移で痛くて起き上がれなかったのに放射線だけでこんなに

回復するのでしょうか?

オプジーボ日本許可の薬を使ったのなら、それこそブログに書いてください。

だって生きたいし、同じ癌で苦しんでる人に教えてください。

いくらかかっても治したいと思う人は百万といるはずです。」

以上

保険外診療、豪華個室部屋含め、普通の稼ぎでは受けられない治療をして

これだけ元気ですって言うのは無神経で反感買います

アメブロコメントも、アンチ書き込みは片っ端から削除され

本人には届かないそうですし。

小林麻央は裸の王様

2015-08-20

特別休暇

うちの会社では、在職中に病気とかで亡くなった人がいると、

その人の命日を会社の「特別休暇」にして個人を偲ぶという制度がある。


入った頃は知らない人の命日で会社を休むことに違和感があったけど、

10年も働くと知っている人も数人亡くなっており、こういう日があってもいいなと思っている。


しかし、残念ながら会社上司中間管理職)は故人を偲ぶよりも偲ぶ日を増やすことに執心しているようだ。

とにかく、部下にとんでもない量の仕事押し付けてくる。それも健康診断シーズンにあわせて。

噂によると、休日を増やしたいがために、部下に健康診断に行けないように仕事押し付け続けている……んだそうだ。

確かにそのせいで健康診断にも行けない人が続出しており、不幸にも昨年末に1名、乳癌で亡くなった人がいる。

8月はまだ特別休暇がないので、とんでもない量の仕事が降ってきているが、

来月は2日も特別休暇と連休もあるので、仕事はあまりこないと予想している。

なんとか来月まで生き延びたい。

2013-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20130425220512

女子的には「わがままでやきもち焼きで頭悪くて性格も悪い」と言われた時点で全否定されているので

>頭悪いはまだしも、性格まで否定されたら「かわいい」が数%のフォローアップにしかならないと言うか…

それくらいキツメの軽口も受け流せて、男性から言い易いタフさを持ち合わせているように誤解されるタイプなのかな?って、思いました。それで”サバサバ”と。

タフに見えても「頭も性格も悪い」と言ってしまうのは思いやりないですよね。

でもまぁ、無意識にそういう態度を取ってるから、言われると言うのもある。

顔で笑って心で泣いて…ではないでしょうか。

ナンパされに来ている娘以外で、一般女子に対してもそういうことを言うのは

連れて歩いて見せびらかして自慢したいとか、カラダの関係を持って男だけの集いで自慢したいとか遊び目的だとそうなりがちです。

元増田にとっては、残酷な一文ですね。

真面目な目的なら、そうはならないでしょう。その人という人物が好きなのですから

本当に好きな人には、日常的にそういったことは中々言えないと思います。恥ずかしくて。

それに、もし、付き合い始めた時はDカップで、その後太っちゃって食事制限ダイエットしたら胸ばかりが先に痩せちゃってBカップでスカスカになったからといって嫌いになったりはしませんよね。

好きになった人なら関係ないと思う人もいると思います

もし、事故で顔が火傷になったとしてキライになりますか? 乳癌で切除したらキライになりますか?

そう云うことだと思います

すみません。何の話をしてますか?

最後の二行目から特に「誰が」がよくわかりませんでした。

ブスと感じるのは人それぞれで、他人から如何思われようと本人が好きな人なら良いかと。

好きな人には、かわいいと言われたいもんですよ。

でも、見た目だけよく言われるのはちょっと…と思います

好きな人から好意を受けると、もっと好きになる人もいるかと思いますが、それよりも好きな人に対しての自信になるのではないかと思います

これは同意です。

で、その反対だと好きでいる自信がなくなって「好きだった」気持ちだけが形骸化してしまう…と言っています

すみません言語としての意味での依存ではなくて、嗜癖(しへき、Addictioin)とも呼ばれる依存症依存傾向、共依存などを指していました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%9D%E5%AD%98%E7%97%87

嗜癖ですか…。

嗜癖の説明の中にも「執着」という言葉が出てくるのですが、執着との違いは、恍惚感や高揚の有無なのかなぁと。

元増田は嬉しくなるどころか「好きなのに」という抵抗感みたいなものがあるように感じられて、ピンとこないでいます

>→対義語:断念

この断念の進め方を上手にしないとかえって拗らせはしないかな?と思ったんです。

そうですね。断念の仕方は大事ですよね。

「こんな安物、ちっとも良くないゎ」とか(本気で)いいつつ、売りも手放しもしない……

これ、元増田さんのレスじゃないです。別の増田言葉で、

ドーナツ化している心の穴を埋めようと、好きだった気持ちを取り戻すために執着している状態」の説明で持ってきました。

なので、元増田ブログ話とは結びつかないです。

→書いたのはこの方。http://anond.hatelabo.jp/20130425073035 

男性のほうがドツボにはまってグデングデンになっている人は多いと思いますが、私の周りだけなのだろうか???

ぜんぜん違いますねwこちらは理系が多いからかなぁ。

女子は新しい人が現れると上書きというか、切り替えが上手で前の人は綺麗さっぱり消え去ることが多いと教えられることが多いです。

そうなんです。グダグダ言ってても、新しい人ができたら「なかったこと」のようにスッキリしてるんですよw

から元増田にも「視野を広げて素敵な人を見つけてもらいたい」「いい恋してください」と、断念の仕方をアドバイスしたんです。

それで、増田さんが「執着じゃないよ」以外に何を言いたいのかが、ちょっとよくわからないです。すみません

Sさん勝利宣言ともいえるチャットと2日後に来たSさんとAさんの仲を窺わせる申請を受信した時点で

Aさんへの想いを断ち切ることを決めてもがいているように感じますが、いかがでしょうか?

元々Aさんが自分に真面目な交際する意思がないことは元増田も分っているように感じますし。

もがいているのは確かだと思いますし、辛いと思います

それにしても

>「○○さんはコンタクトもらってないですよね? だってAさん、○○さんのことうざいって言ってましたもん!」とチャット飛ばしてきた。

韓流ドラマかよっ!!! こえぇ~ って、思いました。

怖いですよねwでも、もしかすると、元増田は本当に空気が読めなくてウザがられているのかも…とも思えてきました。

相手の心理的に「重い」状態になっている場合に「迷惑だって気づけよ!」というメッセージを込めて、きつい言葉を投げかけられたりします。

Aさんが辛い状態で、Sさんが代弁している可能性もあるような気がしてきました。職場でも、こういうケースがありますし…。

元増田レスもないので、見ているのかどうかさえ怪しいですけどw

2012-12-27

誰かが「乳癌になった」「子宮癌になった」という話を聞くと

一番最初に心に浮かぶ言葉は「ざまぁ」だ。

近親者、友人にも乳癌子宮癌になった人間はいないが

仮に誰かがそうなったとき、表向きには「大丈夫?」的心配するポーズ

取りつつ、心の中では「ざまぁ」と呪詛の如く言い続けると思う。

2012-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20120603200836

30目前の処女だけど、痛い話ですね

私があなたを慰めるとか元気づけるとかはできないけど

乳癌になる前に好きな人に胸揉まれとかなきゃ一生後悔するんだと改めて実感しました

ありがとう

乳癌罹患乳房がなくなる絶望

30代目前にして乳房摘出宣告。

BMI16代の私のAAカップなぞ女としての性的な象徴物としての役割は果たせまいと見切っていたけど、

いざこうして喪失するという事実を目前にすると、自分が女という生物でなくなるように思えてならない。

これからセックスするときどうしたらいいんだろう?

思えば胸を愛撫してもらったり吸ってもらったりすることで愛情表現してもらっていたのに、

それができなくなるわけだから、えぐれた乳房痕跡相手じゃそんなことできないし、

女として享受できる重要コミュニケーションの一手段を失うということじゃないか

男は胸とつきあっているわけじゃないんだから、といわれるかもしれないけど、

男の人が女の体に対して感じる魅力のうち、およそ半分ぐらいは乳房から生じていると思うんだよね。

そしておよそ残り半分は膣(子宮)。

哺乳類ならどんな動物母親の子から膣を通じて生まれてきて、母乳を飲んで育つ。

から回帰本能みたいなのが影響して女体のその部分に魅力を感じるんだと思う。

半身は女でなくなるも同然だ。

脳はしっかり女のままなのに、中途半端な生き物になるなんて、つらいなあ。

2011-02-17

禁煙全盛期の現在ヒトラーの関係

現在日本も「健康国民の義務」の風潮になってきている気が

 

 

健康政策

ヒトラードイツ民族健康を守ることにも強い関心を持っていた。特に、1907年母親クララ乳癌で失ったヒトラーにとって癌の治療は特別な意味を持っていた。厚生事業のスローガンとして「健康国民の義務」を定め、喫煙に対しても反タバコ運動に積極的に行った。環境職場における危険を排除し(発癌性のある殺虫剤や着色料の禁止)、早期発見を推奨した医師はとくにタバコの害を熱心に訴え、彼らは世界で最も早く喫煙を肺癌と結びつけた[39]。

また、「健全民族未来女性にある」として女性の体育を奨励したことでも知られる。そのため現在ドイツでは、政府による過度の健康問題への介入や禁煙禁酒運動ナチズムを彷彿させるものとしてタブー視する傾向にある[40][41][42]。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC

2010-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20100828103511

乳癌に関しては子供を産んだ事がない女性リスクが上がるんだよ、性交頻度が低い女性発見が遅れやすいので30代独身女性危険

不特定多数性交危険度が上がるのは聞いた事ないなぁソースは?

ぶはははははははははははははははははwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

ここまでのバカがいるとは思わなかった。エリート中のエリートバカだな。

大元の記事http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE3E1E7E6EAE3EBE2E0E5E2EAE0E2E3E28297EAE2E2E2;n=96948D819A938D96E38D8D8D8D8Dは、

女性のがんを減らすために」というタイトルでありながら基本的に子宮頸癌の話だけだ。

だから、それを読んだhttp://d.hatena.ne.jp/finalvent/20100827/1282865886では

この表題で乳がんが話題にならないのは先進国では日本くらいかな。

と「乳癌への言及が存在しないこと」を指摘し、追加で子宮頸癌の原因になるウイルス感染について

不特定多数の人との性交渉をできるだけ避けるというのが統計的には大きくリスクを減らすことになるはず。

と言っているわけだ。これを読んでおいて「乳癌リスクを上げるのはこれこれで性交渉じゃない、ソース出せ」?

文章もまともに読めないくせに、なにがソースだ。小学生からコツコツやり直せwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

っつか人が死ぬ病気を女叩きに使う性根が腐ってるわ本当に。

ここで誰が女叩きしてるんだ? 腐ってるのはお前の脳みそだ。それとも腐るまでもなく存在すらしてないのか?

返事してみろ。ン?

2010-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20100827175550

乳癌に関しては子供を産んだ事がない女性リスクが上がるんだよ、性交頻度が低い女性発見が遅れやすいので30代独身女性危険

不特定多数性交危険度が上がるのは聞いた事ないなぁソースは?

エイズ感染も、男性不特定多数女性性交感染した人が多数派だけど、女性は特定の異性と性交感染してる人が多数派って統計結果もある、つまり夫や恋人が他からエイズ貰ってきて感染させられてる女性が多数派。子供できてもいいカップル夫婦だとコンドーム使わない人も多いしね。

男性向け風俗の繁栄っぷりと、恋人や妻が居ても風俗はOKみたいな風潮のせいだろうね、当然と言えば当然な結果。

っつか人が死ぬ病気を女叩きに使う性根が腐ってるわ本当に。

2010-06-12

http://anond.hatelabo.jp/20100612101811

コストテレビ局検査受ける本人が負担するなら別にいいんじゃないの?っつー気がするが。

コストお金だけではなく、スクリーニングで陽性と指摘されたことによる心理的不安や、精密検査のための不愉快検査や、過剰診断による不必要な手術を含みます。

死ななきゃ良いって訳じゃないしねえ。

その通りです。米国予防サービス委員会は、検診群で乳がん死亡率の低下があるにもかかわらず、40歳代のマンモグラフィーによる乳がん検診は「推奨せず」としてます。まさしく、「死ななきゃ良いって訳じゃない」のです。40歳代のマンモグラフィーによる乳がん検診については、専門家の間でも賛否両論ですが、20~30代のスクリーニング検診を推奨している専門家は私の知る限りはいません。

真の陽性者が少ない集団をスクリーニングして癌死を減らそうとすることは、金銭的以外のコストも多くかかります。例えばの話、スクリーニングで癌死を減らせるとして、20歳代の乳癌を1人を減らすために、1万人を検査して、100人に不安と余分な精密検査の負担を負わせ、10人が針生検され、1人に不要な乳房切除術が行われるとしましょう。これを無条件に善しとするのは、「死ななきゃ良い」と考える人だけです。20代の女性が胸がなくなるのは心理的負担が違うのでしょう?

増田さんは、癌検診の問題について不勉強であるようにお見受けしますが、にもかかわらず、「理系専門家の議論は欠けている部分があるように思う」といった発言は、いささか勇み足ではないでしょうか。多くの専門家がこの問題について議論していますが、その全ての専門家が見落としている部分を見つけるほど増田さんが賢いなら別ですが。ちなみに、専門でないのでよく知らないのですが、乳癌放射線治療で髪が抜けたりするんでしょうか?まさか、賢い増田さんは、「放射線治療なんだから髪が抜けるはず」という杜撰な素人の思い込みで発言していたりしませんよね?

2009-11-10

訃報

1/8 永田寿康(政治家) ※享年39、自殺

4/1 大島渚(映画監督) ※享年72歳、ガン

4/20 清水由貴子(歌手) ※享年49、自殺

5/2 忌野清志郎(歌手) ※享年58、癌

6/13 三沢光晴(プロレスラー) ※享年46、事故

5/23 ノ・ムヒョン(芸人) ※享年62、自殺

6/25 マイケル・ジャクソン(歌手) ※享年50、他殺

7/22 アベフトシ(歌手) ※享年42、急性硬膜外血腫

7/26 山田辰夫(俳優) ※享年53、胃癌

7/28 川村カオリ(歌手) ※享年38、乳癌

8/2 古橋廣之進(水泳選手) ※急性心不全

8/3 大原麗子(俳優) ※享年62、不整脈による内出血

8/13 レス・ポール(ギタリスト) ※享年94、肺炎

8/13 山城新伍(チョメチョメ) ※享年70、肺炎

8/25 細川隆一郎政治評論家) ※享年90

8/18 キム・デジュン(政治家) ※享年85、肺炎

9/19 臼井儀人(漫画家) ※享年51、事故

10/4 中川昭一政治家)  ※享年56、病死

10/10 江畑謙介(軍事評論家)※享年61、病死

10/17 加藤和彦 (作曲家歌手) ※享年62、自殺

10/21 南田洋子(俳優) ※享年76

10/30 五代目三遊亭円楽(落語家) ※享年76、肺ガン

10/30 クロード・レヴィ=ストロース(社会人類学者) ※享年100歳

11/10 森繁 久彌(俳優) ※享年96、老衰

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