はてなキーワード: 忌野清志郎とは
http://real-japan.org/2011/04/15/421/
経緯をあまり知らないので、震災後にネット上でなんかしょうもない発言をしてたとか、
単に自分から火消しに回ったということなのかよくわからないけど。
雰囲気でそれとなしにこんな事になってるとしたら正直怖い。
こういうの、社会的にどこまで責任を負わされなくちゃいけないの?
ブコメで内田春菊の名前があがってたけど、そんなことを言い出したら、
長年電気事業連合会が冠スポンサーだった所さんの目がテン!の所ジョージは?
忌野清志郎が清水建設のCMソング作ったのは、談合事件の前だったけど
そのあとなんかしたか?
ともかく、このヒステリックな状況は怖い。
ただただし氏が数十年後、「自然エネルギーに騙された」と言わないために - ただのにっき(2011-04-08)で科学的懐疑心の重要性をとき、本旨の導入として斉藤和義の「ずっと嘘だった」とその態度への批判をしている。
ただ氏の批判を抜粋する。
断っておくけど、おれは別に原発推進派でもなければ反対派でもない、強いていえば消極的容認派だけれど、だからといって今さら「絶対安全って言ってたのに! 騙してたなんてひどい!」なんて騒がないよ。世の中に「絶対」なんてものがありえないって知ってるし。悪いけど、「絶対安全です」なんて言われて信じるほうがおかしい。
こんな歌、十代の子供なら許されるかも知れないけど、斉藤和義はもう44歳、おれと同世代じゃないか。この歳になったら言っていいのは「(自分より若い世代に対して)無知でごめんなさい、騙されててごめんなさい、黙っててごめんなさい」だろうよ。いい大人がイノセンスぶって責任回避かよ、情けねぇ。
さて、ただ氏の言うように斉藤は今回の事故をキッカケに、これまでの「絶対安全」が嘘だったことに気づき、「ずっと嘘だった」を歌った情けない大人なのだろうか。
「ずっと嘘だった」の歌詞には「原発が54基」「ほうれん草食いてえな」というフレーズがある。
これは忌野清志郎が1988年に発売したカバーズに収録された曲「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」を意識していることは明白だ。
松永英明氏がキヨシロー「Love me tender」のアンサーソングとしての斉藤和義「ずっとウソだった」の無力感[絵文録ことのは]2011/04/08でその対応関係を指摘している。
キヨシローの「放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ」を受けて、斉藤は「風に舞う放射能はもう止められない」「ほうれん草食いてえな」と歌った。違うのは、放射能(放射性物質)はすでに放出されていることだ。
そもそも、タイトルやサビ自体がキヨシローへのアンサーである。斉藤の「俺たちを騙して、言い訳は「想定外」」「ずっとウソだったんだぜ やっぱ、ばれてしまったな」という歌詞が、キヨシローの「たくみな言葉で一般庶民をだまそうとしても ほんの少しバレてる、その黒い腹」という歌詞を受けているのは明白だ。23年前はほんの少しバレてる程度だったが、今や安全神話は崩壊した。
なお、「サマータイムブルース」の歌詞との対比を追記しておくと、「37個も建っている原発がまた増える」は斉藤の「原発が54基」、「それでもTVは言っている「原発は安全です」」は斉藤の「教科書もCMも言ってたよ、安全です」に受け継がれている。
これを見るだけでも斉藤が「騙された!」とは違った文脈で「ずっと嘘だった」を歌ったことが伺える。
何しろ斉藤は東海村JCO臨界事故の翌年2000年に発売したCOLD TUBEに収録した「青い光」で原発批判をすでにしているのだから。
青い光を見たんだ
とてもきれいな青だった
青い光を見たんだ
とてもきれいな青だった
ヘリコプターがハエのように・・・うまく思い出せない・・・
青い光を見たんだ
いつも通りにやったんだ
今日も髪がたくさん抜けた
斉藤は原発に対して、関心があり、懐疑心を持ち、曲を書き歌うことで反原発を訴えていた。
以上をふまえて本旨にツッコミを入れていこう。
どんな技術にもメリット・デメリットがある。メリットばかりを吹聴されて、それを盲信しないためには、科学的な懐疑心が欠かせない。われわれ日本人は、えてして道徳的な立場から人を疑うのはよくないことだと教えられるが、正しい判断をするために、いや「生きるために」、科学的懐疑心は必要なスキルだ。あらゆる意見は「仮説」として受け止め、反証できないか考える。検証されない仮説は採用しない。訓練は必要だが、なにも難しいことはない。人を疑うのではなく仮説を疑うのだから、道徳的にはなんの問題もない。
いやいや、あんたは斉藤和義が騙されて喚いてるって検証もしないで決めつけてるだろwしかも人を疑ってるしw「訓練は必要だが、なにも難しいことはない(キリッ」ってw面白すぎるw自分ができてないww
40代にもなって「騙された!」と騒ぐような情けない大人にならないためには、きちんとした科学教育が必要だ。それも、教科書を丸暗記すれば試験に合格するようなエセ科学教育じゃなくて、正当な懐疑心を養い、仮説検証を経ない理論は採用しないといった「科学の心」を持つための科学教育が。ちゃんと人を育てるところから始めないと、また数十年後におかしな責任転嫁を聴かされることになるよ。
「科学の心」を持つと科学以外のことに対する懐疑心は無くなっちゃうの?ただ氏が数年後におかしな責任転嫁を歌うことを楽しみにしてるよw
おまけ
数十年後、「自然エネルギーに騙された」と言わないために - ただのにっき(2011-04-08)のブコメ
俺
id:songe 清志郎へのアンサーソングなのに清志郎の歌を知らないもんだからこんなエントリーになっちゃった 2011/04/09
ただ氏
id:sho 「アンサーソングと知らないのか」ってコメが複数あって笑った。年代的に知ってて当然だという反証を思い浮かべもせずにお気に入りの結論に飛びついちゃうあたりが、ダメな大人の典型だねぇ。 2011/04/10
俺の追記
id:songe 清志郎へのアンサーソングなのに清志郎の歌を知らないもんだからこんなエントリーになっちゃった/知っててこのエントリーなら日本の言論的リテラシー教育の重要性が問われるな 2011/04/09
もちろん、知ってて当然だという反証は思い浮かべてました。そして、知ってたらこんなエントリーは書かないだろうとも思ったので確認の為にコメントしてみました。
「懐疑心を持つことが大切だ」というテーマのエントリーの導入部でいきなり決めつけから入っていたので。こんなことググれば十数分でわかることですし。
喫煙者次々と死にますねぇ。 忌野清志郎もついに死にましたね。
赤塚先生も死にましたね。 元阪神の加藤博一さんも死んじゃいましたか。
いい人だったというけど「タバコやめろよ」
といってくれる真の友達や家族はいなかったんだねぇ。
阿久悠死んじゃったね(笑) 超ヘビースモーカーだったらしいね。
柴田恭兵も肺がんですかぁ。ヘビースモーカーの二子山も死にましたね。
ファンに同情されるようじゃミュージシャンは終わり。
なんですね。
ヘビースモーカーですよ、彼らはもちろんやめましたがね。
墓穴掘りますよ。
愛煙家の筑紫さんも癌ですか。
しかも肺癌とは(笑)。 鳥越は生きてるか。
今年になってからも公の席で「喫煙率が半減したのに、
といった発言を繰り返していたようだ。
こんなことを言っていたとは。
つくづくタバコは罪深いと思った。
■今や一部で「新海誠」「秒速5センチメートル」「戻れない過去と今」な曲になってしまった?曲ですが
■これが「月とキャベツ」っつう山崎本人が出演した、彼女が死んだ男の話の映画だという事があまり知られていないようで残念。
■どちらかというと、自分の隠しNO1曲が十数年後に発掘ではなく新出の如く騒がれスタンダード曲になったのがアレなだけですがw
有線で流れたのを初めて聞いた時、忌野清志郎が歌ってるのかと思った。
(忌野清志郎がこんなバラード歌うのか!と変な感心をしたが、すぐに違うと知る。)
本屋で噂の男の子(女の子と別れた後も女の子が好きで趣味もその子と同じになってしまった子)が
元カノの好きなアーティストのCDを手にとっているのを横目で見ながら、
特徴的な声の放つフレーズにふと耳が傾き、即座に歌詞に惚れてしまった。
当時はネットなんて手段はないからCD屋行ってCD屋で掛かっているCDリリースラジオ?を聞き必死で歌い手を探した。
売れ出したスマップにセロリという曲を提供したこともあって、当時彼のアルバムを買った人は少なからずいると思う。
ちなみに当時のシングルジャケは見た目爽やか風味(当時曲如何係わらずアーティストの顔ジャケ多かった記憶が)
■一緒に過ごした子は死んでた訳で、もう今となっては二度と戻らない物になってしまった―
■という上にこの曲が生まれたことを考えると、秒速5センチメートルがああいう結末になったのも
■もう二度と戻らない人に対する想いを歌っているからこそあんなにも未練たらたらで
■何度も何度も振り返らずには居られないと。
■成就してしまったらこの歌は存在できなくなってしまうからね。
■・・・勿論現実であったならハッピーエンドで終わって欲しい話だが。
素直になりゃあよかったんですが、それが出来ないせいでこじらせて悪化させ
十数年後秒速5センチメートルが来たもんだから因縁ある歌です。
そんな当時勘違いした忌野清志郎さんも亡くなり、記憶にある駅のホームも高架線化され、踏み切りも無くなって、
それでも想いは残ると当時考えていたかどうか?
自分なりに見つけた答えは陳腐な代物で、
「とりあえず同じ空の下にいる訳だから、別れたって空みれば繋がれるぜ」
・・・笑われてもいいわ。
そうやって考えることで20代はまだ心を慰めてもいいと思うんだ。
好きあっても結ばれないっていう現実からほんのちょっとだけまだ夢を見てたい若者なのよさ。
■カラオケ合コンで熱唱されると引く歌NO1だと思う。普通に職場の飲み会でも空気氷点下にする公算大。
■しかも未練たらたらでキモイわと女に言われる可能性高し。
■逆に同窓会で歌うといいかもしれない。※ただし狙った子が居るに限る
6/25 マイケル・ジャクソン(歌手) ※享年50、他殺
今年はもうほんとびっくりする訃報が多いけど、はてブ開いただけで泣けたのははじめてです。
■はてなブックマーク - ナタリー - アベフトシ、急性硬膜外血腫のため43歳で逝去
http://b.hatena.ne.jp/entry/natalie.mu/news/show/id/18966
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのギタリスト、アベフトシさんがお亡くなりに!
え、あ、ちょ…まじですか?
まだマイケル追悼終わってないんですけど! いまもモニターの入力変換すれば一時停止したDVD映像が稼働してるんですけど!
わたしが高校~大学時代に最もお金をつぎこんだとおもわれるバンドのコアメンバーがお亡くなりになりました。
忌野清志郎、マイケル・ジャクソン、若杉弘(指揮者)と続き、ミッシェルって…今年の音楽界どうしちゃったの……
さっきニコニコ動画で、わたしの行ったライジングサン・ロックフェスティバルのライブを見つけました。
1999年のこのライブは、北海道の海辺の特設会場でオールナイトスタンドライブを行うという過酷な野外フェスの第一回です。
特にこの99年のフェスは最初にして最も過酷な回といわれ、日中気温が40度を超える炎天下のなか倒れる人続出というあるいみ伝説のライブです。わたしはこれをミッシェルのためだけに、大学の友達と2人で朝イチのエアドゥ(まだ買収前)に乗って海を渡り、一晩中踊り狂い、夜明けと共に会場を後にしたあと一切観光をせずまたエアドゥに乗って東京に帰るという無茶ぶりを発揮したのでした。
歌詞に「赤みのかかった 月がのぼるとき これで最後だと 僕は聞かされる」という部分があるのですが、爆音の中、ちょうどこのときにボーカルのチバがすっと指を上に上げました。
つられて上を見ると、本当に真っ赤な月がのぼってました。
この「世界の終わり」は、わたしがミッシェルにはまったきっかけであり、この曲がアルバムから流れた瞬間にもうこのバンドについていこうと思ったものです。
そしていっしょにゼロ泊2日でオールナイトライブに同行した友人は、わたしの家ではじめてこれを聴いたとき、聴き終わったあとしばらく身動きしませんでした。
しばらくしてやっと彼女は、呆然としながら「すごいね、この人たち」って言いました。
アベさん、死ぬタイミングまでかっこいいなんてサギだよなー…
以下は株式会社「はてな」の行く末と同じくらいにどうでもいいことなんだが、自分のブログよりこっちの方が読者が多そうなので書かせてもらうよ。
まあ何が不満かっていえば、マイケル・ジャクソンの扱われ方ね。世代がどうとか趣味がどうとかいう問題とは別に、マイケル・ジャクソンの死は単なるポップスターの死とは異質な出来事だってことは読者のみんなも分かっているということを前提にして話を進めるので、ここで「?」と思った人はもう読まなくていいよ。時間とってごめんね。あ、あとマイケル・ジャクソンって誰だよ、って人もね。
僕はエルヴィス・プレスリーの死、ジョン・レノンの死についてはほとんど何も知らない。その時何が起こったかを見守った、という意味で「知っている」と言えるのは今回のマイケルだけだ。でもそんなこととは関係なく、今回の出来事が凡百のエンターテイナーの死とは異質な出来事で、前二者の死と同じ何かのマイルストーンになるってことは知っている。有名人の死、というのは消費されるべきひとつのエンターテンメイント・イベントでしかないけれども、この出来事は画面や紙面を通じて僕ら、つまり世界中の人間にひとつの進行形の歴史の波頭を突きつけると同時に、音楽というどこまでも個人的な体験にひとつの永訣を迫ったという意味で特別なんだ。
あの日Twitterのタイムラインを眺めていると、"Where were you when MJ died?"という問いが永遠に問われ続けるだろう、ていうポストがいくつもあった(このフレーズで検索してみるといいよ)。マイケル・ジャクソンが死んだ日、君がどこにいて、何をしていたか、というのはこれから先ずっと問われ続け、語り続けられるだろう。なぜなら、それが個人と歴史が出会ったということの証し立てだから、ってことだ。この日は決っして忘却されない。なぜならこの日僕らの人生は多かれ少なかれ決定的な変化を経験していて、それを僕らは言葉によって語ることができるから。そうやって僕らは歴史を共有し、歴史を生きながら他者と出会ってゆく。マイケルを除くあらゆる人間が、そのようにしてマイケル以外の誰かに出会うという、同じひとつの可能性を生きる。それが、マイケル・ジャクソンのいない世界を生きるということだ。著書のなかでジョン・レノンの訃報に触れた瞬間の出来事をまるで昨日のことのように克明に語っていた佐藤良明みたいにね。あの日カーラジオに耳を傾けていた佐藤良明を揺り動かしたものと同じ何かに、僕らはまさしく触れていたんだ。
それはどんな出来事でも同じことだ、と言われるかも知れない。確かに個人と歴史の出会いという意味では同じかも知れない。でも、今これを読んでいる「僕ら」にとっては違う。なぜなら世界中の「僕ら」の中に、マイケルを知らない者はいないから。そういう意味で、これは日本の偉大なるプロレスラー三沢光晴の死や、日本の偉大なるロッカー忌野清志郎の死ともまた異質な出来事なんだ。悲しさでいえば、僕の周りには清志郎が逝ったことの方が悲しい、という人は多いけれどね。僕個人がマイケル・ジャクソンとその死についてどう思っているかは、ここでは関係ないから書かないことにするよ。
さて、自社サイトのニュースメディア性に自覚も出てきた「はてな」はあの日の出来事をどう伝えただろう。
「はてブ」のトップページを見ていた人は最初「いま話題」の欄がマイケルになったとき、説明文が同名のバスケットボール選手になっていたことに気がついたはずだ。これは「はてなキーワード」の冒頭がそうなっていたためだと思うけど、「いま話題」が手動で書かれていることが明らかになった今では、何で修正しなかったのだろうっていう疑問を持たざるを得ない。それから、「はてなブックマークニュース」でマイケルの話題が扱われた記事のタイトルは、最初に「マイケル・ジャクソンさん死去――死期を“予言”した質問が発見される」、そして「“最高の80年代をありがとう“ マイケル・ジャクソン追悼サイトが作成される」だ。最初のものを見て、僕は「はてな」は滅亡すべきだと確信しかけたね。あらゆる意味で、記者の、編集長の、そして株式会社「はてな」の「神経を疑った」ってやつだ。「はてな」が世間と連動して情報を発信する自社コンテンツとして開始した「はてなブックマークニュース」を利用して、唯一あの日に伝えるべきことが、それだったとはね。ブックマークでもネット一般でもものすごい話題になっていたイランの騒ぎをほとんど黙殺しているのは何故だろうとか、「はてなブックマークニュース」についていろいろ思うことはあるけれど、「死」そのものを発端にしたニュースとしては、なんていうかあまりに酷いんじゃないかって思ったんだ。非常にナイーブにね。どう言っても自己申告型の言い放しにしかならないけど、卑近な言い方をすれば、セクハラに同席しているみたいな軽い衝撃というか、なんだか人に言いにくい不思議な感じがした。別にあの記事はすごく普通で、どこも不謹慎なところや無神経なところはないんだけどね。まあ君は読んでくれてるみたいだからついでに甘えて言い訳すると、僕自身よく分からないからこんなことを書いているんだ。
で、その直後のデザインと「いま話題」のエヴァ化ね。「『いま話題』って広告枠だったのかよ」という指摘に対する「広告じゃなくって応援しているだけです」とかいう申し開きがどこまでも斜め上だってことは「はてな」の皆さんには理解できないんだろうな。アニメの真似事する前にもっとやることがあるだろうとか、いろいろ言いたいこともあるけど、ひとつだけ確実なのは「はてな」はコミットする、っていう言葉の意味を知らないってことだ。コミットする、っていうのはひとつの決断だが、コミットしない、というのも同じ決断であって、さらにいえば決断しない、っていうのも、積み重なって歴史を形成するひとつの決断なんだよ。そしてその歴史は君たちの歴史であると同時にあらゆる人間の歴史でもあるんだ。
ま、言いたいことは何も書いてないけれど、僕が言いたいことなんてとりあえずどうでもいいんじゃないかな。大事なことは、遠い将来、どこかの街角でマイケルの歌声を聞いたときに僕が泣くだろう、ってことだ。もし君が泣いていたら肩を抱いてあげるさ。それから何か話すことがあれば、何かを話そう。僕らがそのようにしてマイケル・ジャクソンと生きる時代になるなんて、一体誰が予想できただろう、とかね。そして残念ながら、そのときにこの京都の IT 企業は完全に忘却される。彼らの決断としてね。
ね、本当にどうでもいいことだろう?
自分が忌野清志郎が死んだのを知ったのはTwitterで、みんなが「忌野清志郎が死んだ!」みたいな感じで続々と書き込みをしていったんだけど、なんだかなあ。とにかく非常に違和感をおぼえた。まるで「忌野清志郎が死んだ」というのを待ってたかのように、みんな楽しそうに書き込んでいるのだ。
自分は音楽に詳しくないし忌野清志郎が死んだというのが、どういう意味を持つのかは知らないけど、忌野清志郎のファンが嘘臭い連中だというのはよく分かった。これはつまり、自分が忌野清志郎のファンだったということを主張しようとしているのだ。死んだ途端に。そもそも生前に、彼の病状を心配するような文章を見たおぼえがないのだが。本当にみんな、彼が癌だったこと知ってたの?
しかし本当に、みんな安易な感動が好きだよね。ロックの神様が死んだことで泣く俺カッコイイみたいな。そういうのに便乗して悲しまないと、ふだんの生活で感動することとかないのかな。たまには涙を流した方がストレスの発散になるしね。
とにかく自分は、そういう風なファン(本当にファンかどうか疑わしいが)の行動に対して、非常に気持ち悪いものを感じた。死んだから追悼で「雨上がりの夜空に」を聞くとか。お前、前回「雨上がりの夜空に」を聞いたのいつだよ。どうせ2年ぐらい前だろ。
とにかく、今回の彼の死は祭りになった。それはネットユーザーにとって、草なぎ君が逮捕された祭りと大して変わらないテンションの祭りだ。みんなが楽しそうで何よりです。
忌野清志郎の死が世間を賑わせているが、はてな界隈を見ているとゲロ吐きたくなるね。
っていうのもね、ダイアリーでも増田でも、忌野清志郎追悼の記事があちこちあるんだけど、本当のファンは別として、たんにニュースとして乗っかっておいてから、持論を展開するのが多い。忌野清志郎を追悼するってコトで何か正義の旗でも握っちゃったつもりになって、清志郎に対して批判している連中を自分を正義としてから叩いてやんの。お前らなんかに清志郎を擁護されてたまるかっての。清志郎のファンを味方につけたつもりでもいるのか。
「死者に鞭打つな」などと言えば、正義を振り回せるとでも思ってんのか。清志郎に対して失礼にもほどがあるだろう。
どっかに喫煙者の非喫煙者(嫌煙者)叩きみたいなものがあったけど、清志郎追悼したからってその叩きは補強されんぞ。むしろ情けないだろ。自分の力でdisれよ。清志郎はそんな事で乗っかってくる奴なんかクソみたいに嫌ってたぞ。
ブルーハーツは"人にやさしく"みたいに、やっぱり"マイクロフォンの中から"、なんだよね。マスに向けられてる印象がある。
忌野清志郎は"君が僕を知ってる"みたいに、どこか特定の個人に向いている印象が強い。
時代背景とかあるんだろうけどさ。
僕はどっちも好きです。
にわかな俺が言うのもなんだけど
前向きな反骨精神に尽きるんじゃなかろうか
社会や文化に対して中指突き立てるのが彼らの流儀
生涯を反骨精神でつきとおしたんじゃなかろうか
それに加えてこの人の目指すところには愛とか希望とか
そういうものもあったんじゃないかな
「愛し合ってるかーい」「癌もロックだ」
こういった情愛や逞しさを背景にした前向きなロッカー
その生き方に感銘を受けた人は少なくはないんじゃなかろうか
俺は喫煙者。でも、マナーが良い喫煙者と思う。ただ、どうしても言いたい事があった。喫煙者から非喫煙者への文句はタブーとされているとしか思えないので、チキンな俺は増田になってみることにしたんだ。
忌野清志郎さん。神。日本のロックの祖で、彼にしかできない最高の音楽を生み出し続けてくれた人。
日本でホンモノのロックをやる人に、彼の影響を受けていない人を探すのは大変だと思う。
影響力だけではなく、最高のロックを生み出し続けてくれていた。そして、これからも永久に生み出し続けてくれるものと思っていた。
その突然の訃報に、今もネット中が悲しみにくれている。その第一報である毎日新聞の記事へのはてブの一覧をみてくれ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/national/update/0503/TKY200905020212.html
はてブコメントに、ショックの大きさが伝わ・・・あれ、なんか変なのがないか?
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愕然としつつ、彼のその日のブックマークを確認する。
http://b.hatena.ne.jp/mori-yoshiro/20090503
怒りの前に怖くなる・・・
忌野清志郎さんが嫌いな人も居るのかも知れない。そして、その人が非喫煙者という可能性も高いだろう。かといって、これはないんじゃないか?
訃報をねこそぎ探したからには、どれだけ彼を特別に思っている人が多いのか、悲嘆にくれている人が多いかはわかっていて、全部に「喫煙者乙」とタグつけて回ったんだろう。
彼は単純なキチ○イ?犯行声明とか出しちゃうような厨二?
たぶん、違うのだろう。熱烈な嫌煙者なだけだろう。
時々、喫煙に恐ろしいほどの敵意を持つ非喫煙者に会う事がある。もちろんその人に迷惑を掛けたのならば謝るべきだし、迷惑を掛けないようにするべきだ。ただ、自分に迷惑を考えるだけでは許せない、タバコが世界に存在している事すら許せない、融通の利かない嫌煙者というのがいる。彼らは、タバコの話題になると、状況も見ず、論理も考えずに、ただただ否定する。
そして、そのような主張は大概は通ってしまう。
1つ、思い出した事がある。数年前に俺の部下に新卒が入ってきた。頭の回転が速いわけではないものの、真面目でちゃんとやってくれていた。上司・部下の関係もしっかり認識していて、社会人一年生としては充分合格だろう。
ただ、一度だけ、彼が『不合格』となった時があった。
クライアント3人と、新卒、俺の上司、俺の合計6人で会食に行ったんだ。
クライアント3人は全員喫煙者。乾杯が終わってすぐにタバコに火をつけたクライアント。じゃあ、と俺も懐をまさぐる。
「タバコ、やめていただけませんか?苦手なので。」
その新卒の発言、耳を疑った。目を白黒させるしかできなかった。
クライアント側はタバコを消して謝る。いくら俺が、どうぞお吸い下さいと言っても吸おうとしない。まぁ、当然かもしれない。タバコは悪だ。悪に対してやめるように言って、それを否定できるわけはない。たとえクライアントと業者の関係でも。
クライアントと別れた後、俺は当然叱った。しかし、その新卒は「公共の場でタバコを吸うのが非常識だとおもいます」と言い分を変えない。俺もどういえば良いのかわからなくなって、結局その場はうやむやに。ただ、その後は一度もそいつをクライアントとの食事には同行させなかったけど。
俺が転勤になって新卒の彼とは1年だけの付き合いだったが、思い出すに、彼が言う事を聞かなかったのはその一度だけだった。
真面目な彼にとって、タバコはどうしても許せないのだろう。
何度も言うが、タバコは悪だ。
嫌煙者が喫煙者に対して主張すると、反論を受ける事が無い。もしかして、タバコについてだけは無条件に拒否してもいいとおもっていたのかもしれない。
実際、倫理的に、タバコを無条件に拒否していけない場所はないはずだ。
ただ、そういう事じゃなくて、死者に対しての敬意・クライアントを大切に扱う、などの常識を覆すのはやめてくれ。喫煙者としては文句が言えないので本当に困るんだ。
id:mori-yoshiro さん、あのタグは消しておいてもらえないだろうか。忌野清志郎さんが鞭打たれているようで悲しいんだ。タバコの文句でも、売名でも、別のところでやってくれ。