はてなキーワード: 電波系とは
今回のように、
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「オブジェクト指向と関数型は対立していますか?」について権威論証のきらいがありますし、
関数型プログラミングとオブジェクト指向のパラダイムとしての対立 国内の【自称】関数型コミュニティと海外の論調の違いというブログ記事
http://kenokabe-techwriting.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html
では、
以下が広く一般的で国際的な【「関数型言語」に関する一般的説明】です。
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SaitohMDMA_Love
0 contribution
その方は万能感・誇大妄想のきらいがある電波系として別の意味で有名な人ですよ。
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このコメントに対しては、
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@SaitohMDMA_Love 私が示したのは見解なので。そのような中傷行為や個人攻撃、悪意が見て取れる属人性の主張をしながら、その論者による見解を否定する試みは、属人論法であり権威論証だと言えます。(蛇足ですが、MDMAというのは違法薬物なので中傷行為同等に良俗に反するHNだとも思います)
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。。。。。。。。。。。。。。。。。というのは、「荒らし」とは言わない。
「荒らし」というのは、@SaitohMDMA_Loveであり、「荒らし」コメントがそのままで、「荒らし」コメントを叱る、妥当な技術論を削除したQiitaが問題だということ。
そのおまえが念仏唱えてるとおり、「300以上の荒らしコメント」という文言は実態として虚偽であり、実態として虚偽であることをわかってわざとデマ流してるよな?
「Qiita社長コメント」という「弁明」があったことも捻じ曲げて念仏唱えながらさ。
@SaitohMDMA_Loveみたいな「荒らし」をはじめ、おまえみたいな異常な念佛教徒は「異常者」であり、技術論にわいてでてきてしきりに念佛を唱えるおまえらが荒らし。
http://qiita.com/esumii/items/ec589d138e72e22ea97e#comment-0bad8d4aabf92ec70352
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「オブジェクト指向と関数型は対立していますか?」について権威論証のきらいがありますし、
関数型プログラミングとオブジェクト指向のパラダイムとしての対立 国内の【自称】関数型コミュニティと海外の論調の違いというブログ記事
http://kenokabe-techwriting.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html
では、
以下が広く一般的で国際的な【「関数型言語」に関する一般的説明】です。
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っていう投稿が通知されてくる。
http://kenokabe-techwriting.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html
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SaitohMDMA_Love
0 contribution
その方は万能感・誇大妄想のきらいがある電波系として別の意味で有名な人ですよ。
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このコメントに対しては、
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@SaitohMDMA_Love 私が示したのは見解なので。そのような中傷行為や個人攻撃、悪意が見て取れる属人性の主張をしながら、その論者による見解を否定する試みは、属人論法であり権威論証だと言えます。(蛇足ですが、MDMAというのは違法薬物なので中傷行為同等に良俗に反するHNだとも思います)
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というお叱りが加わって、俺も全くそのとおりだと思うのだが、すぐに記事主のコメントがあって、ほどなくこのコメントが消されてしまった。つまり、
「万能感・誇大妄想のきらいがある電波系」と誹謗中傷しているコメントについては、記事主もQiita運営もまるで反応しなかったのに、誹謗中傷、個人攻撃、ヘイト良くないというお叱りコメントがあったら反応しだして、びっくりするのが、
「万能感・誇大妄想のきらいがある電波系」は温存したまま、反論コメントや、誹謗中傷を咎めるコメントだけがまるまる削除されてしまった。
http://kenokabe-techwriting.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html
には、誹謗中傷は見当たらないし、それならまず「万能感・誇大妄想のきらいがある電波系」と誹謗中傷しているほうのSaitohMDMA_Loveのコメントが消されてしかるべきだと思うんだが、いったいどういう運営判断なんだろう?
もちろん、このブログ記事の筆者が、過去Qiitaでトラブルになったことも知ってるが、そのときのアンチの誹謗中傷コメントふくめ全部Qiitaは温存したまんまなんだよね。
ちなみに、そのときもQiita運営に消されたのはkenokabe氏を擁護しアンチの誹謗中傷行為を咎めたコメントのみで、これらは全部真っ当な技術的な議論をするコメントだった。もちろん俺自身も含めて見ている人は参考になる情報だったと思う。
その一方でQiita運営は、茶化したり個人攻撃しかしていないコメントは完全放置で温存したまま。今も探したら見れると思うけど。
2chのスレも知ってるけど、酷い有様だし、一部ではQiita社員も加担しているという書き込みすらある。もちろんアンチは「完全勝利」だの「Qiitaの騒動は最初から俺が書いた絵」だとか言ってマッチポンプ自慢してはしゃいでる。
Qiitaの中の人もこの状況は知らないわけじゃないとは思うんだよね。
それどころか、これひょっとしてQiita運営もグルになって誹謗中傷に加担してないか? そうじゃないと
>その方は万能感・誇大妄想のきらいがある電波系として別の意味で有名な人ですよ。
その他、過去のアンチの誹謗中傷コメントはまるまる温存してるとかいうダブスタが説明できないんだよなあ。
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wgt_cosmos
0 contribution
なんにもできな~い
なんにもできな~い
すぐ消されて
なんにもできな~い
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こういうのはQiitaは見てみぬふりなんだよなあ。迷惑なんですけど。
追記)メール通知によると、
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「オブジェクト指向と関数型は対立していますか?」について権威論証のきらいがありますし、
関数型プログラミングとオブジェクト指向のパラダイムとしての対立 国内の【自称】関数型コミュニティと海外の論調の違いというブログ記事
http://kenokabe-techwriting.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html
では、
以下が広く一般的で国際的な【「関数型言語」に関する一般的説明】です。
@SaitohMDMA_Love 私が示したのは見解なので。そのような中傷行為や個人攻撃、悪意が見て取れる属人性の主張をしながら、その論者による見解を否定する試みは、属人論法であり権威論証だと言えます。(蛇足ですが、MDMAというのは違法薬物なので中傷行為同等に良俗に反するHNだとも思います)
ちなみに当コメントが消される現象および、上記複数の不適切なコメントが消されない不可解な現象については、某所で話題にもなっているとお知らせいただきました。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160226093209
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というコメントがあった。その直後、Qiitaは、このアカウントを停止してしまった。
あとから見た人は確かに、この投稿主がなにか「荒らし行為」や「悪い投稿」をしたからこんな結果になると思うだろうけど、実際の投稿は上記のように無害どころか情報として有益なもので、さらに誹謗中傷行為を咎めるもの。
The user qualification of the comment's author is cancelled.
という文字。
こんなことをして喜ぶのは2chスレとブコメに湧いてる偏執的なアンチだけだと思うんだよなあ。あとは、間違ってると批判されてる記事主の住井氏と取り巻き。
ちなみに、このQiitaが「闇堕ち」しているとか言われている評価については、ブコメに湧いてる偏執的なアンチによって擁護されてる。
誹謗中傷もヘイトもアンチも関心がない「普通のひと」にとっては、単純に有益な情報が損なわれて、変な界隈がはびこるようなコミュニティになってしまっているだけ。
正確性が要求される技術情報サイトがそんな変な状態になってるのに、そんな変な状態が好都合な変な連中に擁護されてメンツを保つQiitaの現在を「闇堕ち」と言われてるんだけどね。
結果を見ると、Qiita運営もグルになって誹謗中傷に加担していると思う。
>この投稿した奴は、kenokabe本人か、最低でも「削除された」投稿の投稿者。そうでなきゃ、「メール通知」でコメントを把握できるのは、あのエントリに投稿したことのある人物だけ。
またやってるよ。はじまった。推論は間違い。理由。
たしかに
http://qiita.com/esumii/items/ec589d138e72e22ea97e#comment-0bad8d4aabf92ec70352
でもこの記事にコメントしたのは、kenokabe氏本人(いつもの偏執狂による認定決めつけ?)か、(最低でも)「削除された」投稿の投稿者 だけなの?(笑)何人もいるのにね。
ひとりひとりにあなたですか?って確かめてみたら?もちろん俺はここで匿名で投稿したわけなので、聞かれてもしらばっくれるか答えないけどね。Qiitaでこういう人に目つけられて同じように偏執的につきまとわれるのは嫌だから。
クトゥルフ神話に特化する形でエロゲの歴史をまとめたWebサイトは存在するし、一般書籍で言えば『エロゲー文化研究概論』(宮本直毅, 2013)では一つのコラムとしてこれを取り扱っていたりする。
ただ、それらで話の主たる軸にクトゥルフ神話が用いられているか否か、という点での検討はされていても、クトゥルフ神話がそれぞれのエロゲにおいて一体どう扱われてきたのか、という点には触れられていなかったりする。
ゴールデンウィークを有意義に過ごすべく、エロゲ史においてクトゥルフ神話がどのように用いられてきたのかをちょっとまとめてみたので(そのためにちゃんと全部プレイしなおしました。実に有意義なゴールデンウィークだったと思う)、増田に垂れ流しておく。
まずエロゲ史にクトゥルフ神話が登場する直前の状況から少し整理しよう。
1991年末、かの有名な「沙織事件」が発生する。ソフ倫が設立される切掛として有名だけれど、同時にこれは内容に対する制約としても一時的に強い影響を及ぼした。
特に社長が逮捕されたフェアリーテールとしては一際慎重な態度にならざるを得ず、単純で直接的なエロというより、エロ以外の何らかの要素を前提とした上でエロ「も」取り入れる、というアプローチが取られることとなった。
そして『狂った果実』(フェアリーテール, 1992/5/1)が発売される。
エロより視覚的、精神的グロさを全面に押し出した傑作であり、エロゲにおける「ヤンデレ」(昨今のステレオタイプとは少し異なりサイコパス色が強いが)の開祖と言っていいものだろう。主人公を精神的、社会的に追い詰め、最終的に狂気に陥れるそのシナリオ展開は多くのプレイヤーに衝撃を与え、同時にエロゲが「エロ以外の18禁的要素を主軸に据え、その過程にエロを取り込んだゲーム」としてもありうるのだ、ということを強烈に知らしめたものでもあった。
こうした中、フェアリーテールはブランドを分ける形でフェアリーテールHARDCOVERを新設し、クトゥルフ神話要素を持つ世界最初のエロゲである『ネクロノミコン』(フェアリーテールHARDCOVER, 1994/6/24)がリリースされることになる。
物語は新聞記者である主人公が自分の先祖の秘密を探るべくインスマスへ向かい、そこで邪神復活の儀式に巻き込まれる、というもの。『インスマスの影』(H.P.Lovecraft, "The Shadow over Innsmouth", 1936)をそのまま使った内容となっている。
原作に足りない女っ気を確保するため、バーの店員や宿屋の女主人、娼館などが配されているけれど、モンスターホラーとしての側面が強く、狂気への言及は殆ど無い。
作品としては丁寧で、よくまとまっていて、つまらなくはない。ただし原作色が強いせいで原作既読者には先の展開がすべて分かってしまい、無難な内容という印象が拭いづらい。しかし現実には当時のプレイヤーのほとんどは原作未読者であり、そういう点ではむしろクトゥルフ神話へ興味を持つ最初の一歩としてよく出来たアレンジだったのではないか、とも思う。
ともあれエロゲ史における最初の使われ方は、このようにモンスターホラーとしてであった。
『ネクロノミコン』から1年が経過し、95年に入ってから2つの作品が発売されることとなる。一つは『YES! HG』(姫屋ソフト, 1995/6/30)、そしてもう一つがかの有名な『黒の断章』(アボガドパワーズ, 1995/7/14)である。
『YES! HG』はオムニバス形式となっており、その中の一編である『豪州怪奇紀行』がクトゥルフ神話要素を持つエロゲとなっている。
物語の内容は応募した覚えのないオーストラリア旅行の懸賞に当たり、彼女と一緒に参加したところ邪神の生贄にされかける、というもの。
クトゥルフ神話の扱い方という点では、『ネクロノミコン』に輪をかけてモンスター色を強めたものである。ディープワンやティンダロスの猟犬といった神話生物が登場するものの、一般人に化けられる、死ぬと水に溶ける、水をかけられると死ぬ、と原作設定とはかけ離れており、どちらかというとモンスター映画的な怪物を取り扱った物語であり、その怪物の名前をクトゥルフから借用した、といった感もある。逆に言えば、クトゥルフ神話に関して一切知識がなくとも既存のモンスターホラーものとして理解ができる内容であり、『ネクロノミコン』では若干あったグロテスクさもない。そのためより取っ付き易い感があり、短編ながらよくまとまっていることからもっと一般ウケしていい作品と思うが……知名度は今回紹介する中ではおそらく最も低いと言えるだろう。
そして『YES! HG』に遅れること1ヶ月、自転車操業の零細新興メーカーから『黒の断章』が発売される。
あるマンションの一室で一家皆殺しの猟奇殺人事件が発生したことを端緒に、同マンションに入居していた探偵がこれを解決しようと首を突っ込み、連続殺人事件に巻き込まれ、その謎を解く鍵を自分の失った記憶に見出していく、という内容である。
前半は猟奇殺人事件を巡るミステリとして、そして後半に入るとラヴクラフト色が全面に現れたものとなる。下敷きにしているのは『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』(H.P.Lovecraft,"Herbert West-Reanimator", 1922)、そして『壁のなかの鼠』(H.P.Lovecraft,"The Rats in the Walls", 1924)である。
クトゥルフ神話モノとして知らない奴はいないといえるほど有名な本作であるが、実のところモンスター要素はほとんど無い(そもそも『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』は邪神も神話生物も登場しない内容であるが)。しかし「黒人の神父」の熱弁の中でのさりげない「神々」という複数形、「呪い」への「ギアス」(C.A.Smith,"The Seven Geases",1934)というルビなど、作中の随所に仕込まれたこうした細かいネタは一切作中で説明されることはなく、それがわからなくて物語が理解できないようなことはないが、プレイヤーの知識へのくすぐりが実にうまい作品である。
一方で、本作のシナリオの核はあくまで「家族愛」である、という点への言及も必要だろう。原作へのオマージュを込めつつ独自要素を持ち込み、後日談めいた二次創作的なその内容は、単にその用語や設定を流用したものとは明らかに一線を画したクオリティを持っている(例えば不老不死にさせられた女性については、お腹にいる殺すことも生まれることもできない胎児を家族と呼びうるのか、といった辺りはSF的、倫理的に今なお考えさせられるものがある)。
『ネクロノミコン』、『豪州怪奇紀行』とは異なり、本作はモンスターホラーとしてではなくクトゥルフ神話を扱った最初のエロゲであると言え、また原作の二次創作的側面を持たせた物語は(多少粗はあるものの)有名作の名に恥じない出来栄えである。
一方で『黒の断章』においてもやはり、狂気の描写はほとんど無いに等しいものであった。
クトゥルフ神話における狂気とは、異端の知識を人間の脆弱な脳が処理しきれなくなり、破壊された状態である。クトゥルフTRPGにおけるSAN値の取り扱いもこれを示したものと言っていいだろう。
他方、92年の『狂った果実』を筆頭に狂気についてはエロゲにおいて断続的ながら取り扱われ続けていた。この時代で言えば『サークルメイト』(ボンびいボンボン!, 1994/5/13)、そしてエロゲ史上初のビジュアルノベルである『雫~しずく~』(Leaf, 1996/1/26)があげられるだろう(『for Elise ~エリーゼのために~』(CRAFTWORK, 1996/12/6)もこの線では秀逸である)。
こうした作品において、狂気とはこれまであったものが破壊されるというより、境界線を踏み越えてしまった状態として扱われる。怪物の血を引いた「選ばれし者」ではない一般人である私たちも、一歩踏み出すことによって「向こう側」へと至りうるのだ、という見方でのこうした「狂気」を、ここでクトゥルフ神話における「狂気」へと接続した作品が登場することになる――『Esの方程式』(アボガドパワーズ, 1996/9/13)である。
物語は蔭洲升という漁村で起きた陰惨な殺人事件の犯人が精神病院から退院したことを端緒として、その元担当医を勤めた探偵助手たる主人公が異常な自殺事件に巻き込まれていく、という物語である。『黒の断章』の続編ではあるが、前作とは独立した事件となっている。
前作同様、前半は東京での猟奇事件をめぐるミステリ、そして後半は蔭洲升が舞台となり、ラヴクラフト色が全面に押し出される。原作は『ネクロノミコン』と同じ『インスマスの影』である。
これまでのクトゥルフ神話要素をもつエロゲにおいて、その猟奇殺人で表現されたものや「向こう側」はグロテスクなものであったし、これ以降もほとんどがそのように表現する。しかし、本作は死に至る状態/死体を「美しく」描く点で明確に異彩を放っている。
「SAN値が下がる」のではなく「啓蒙が上がる」ことで見える世界が変わる(『Bloodborne』FROM SOFTWARE, 2015/3/26)ように、本作は私たちの「啓蒙を上げる」ことを目的とした作品めいた印象を受ける。もちろん四肢切断された「苦痛を伴わない」少女の視覚的な美しさであれば会田誠の『犬』があるし、特に『魍魎の匣』(京極夏彦, 1995/1/5)の影響が本作へ露骨にあることは否定しがたい。
しかし踏切の赤信号のアニメーションの演出に始まる本作は、これをプレイすることで一歩「向こう側」へと足を踏み出しかねないことへの警告めいた不穏さを孕んだ見事なものであると私は思う。
のちの『沙耶の唄』(NitroPlus, 2003/12/26)も同様だが、美しい「向こう側」を描いた作品はエロゲ史において稀なものである。ほとんど無意味な登場人物など色々と欠点も多い作品ではあるが、加点法で見るなら間違いなく名作として語られる作品だろう。
さて、ここで少し時代におけるクトゥルフ神話の状況を整理しよう。
創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』は1974年12月13日発売、クトゥルフ神話モノのパロディとしての必読書と言っていいだろう『妖神グルメ』が1984年6月30日発売である。タイタス・クロウサーガはまだ日本語訳が出版されていないが、『アーカム計画』はすでに出ている。ということで、クトゥルフ神話に関する基礎教養としての文献はすでに大体揃っていたと言っていいだろう。
だが、それを調べるためのツールはどうだろうか。
1997年とはYahooが日本で検索エンジンサービスを開始した翌年であり、Googleはまだ会社すら存在しておらず、2chもWikiepdiaも影も形もない時代である(ちなみにWikipediaの日本語版の「クトゥルフ神話」の記事が最初に出来たのは2003年8月)。
現在のように玉石混交とはいえググれば腐るほど情報が出てくる時代とは程遠く、なるほど情報はあるところにはあるが、そこにたどり着くことは容易なことではなかった。
そうした状況下において『マジカルディープ☆ワン』(Vanilla, 1997/4/18)が発売される。様々なクトゥルフ神話上の邪神や神話生物を美少女化した初のエロゲであり(クトゥルフ女体化については80年代に先例があるとの報告がある)、モンスターも狂気もホラーも完全にオミットし、その用語や設定に対するパロディ作となっている。
問題はパロディである以上、クトゥルフ神話に関する広範な教養をプレイヤーが持っていることを前提しなければならない、という点である――正直、時代を考えると無謀としかいいようがない。文字通り10年早すぎた作品であるが、のちに『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/4/25)やラノベ『這いよれ!ニャル子さん』が当たったことを考えれば、その先見性はもう少し評価されてしかるべきかもしれない。
一方で同年末、邪神の名前だけを借りた作品が発売される。ALICESOFTの『アリスの館4・5・6』に収録された『アトラク=ナクア』(ALICESOFT, 1997/12/18)である。
シナリオライター自身が言う通り、本作の中身は一切原作とは関係がない。ゆえに本作をクトゥルフ神話要素を持つエロゲ史の上で語るべきではないが、名作として名高い本作がクトゥルフ神話における邪神の神の名前であることもよく知られたものであることから、エロゲ史上にクトゥルフ神話に対する興味を惹起する効果はそれなりにあったのではないかと思っている。無関係とはいえよく出来た作品であり、返り血を浴びた黒髪美少女に対する審美眼を――「瞳」を多くのプレイヤーに植え付けた、という意味では、これもなかなかに罪深い作品と思う。
さて、3年前に発売された史上2番目のクトゥルフ神話を用いたエロゲを発売したメーカー「姫屋ソフト」について、ここで少しまとめよう。PC-98時代のエロゲに詳しい初老のオッサンでもなければまず知らないメーカーであるが、その有するブランド名「C's ware」といえばWindows95時代のエロゲに詳しい中年のオッサンなら反応することだろう。『DESIRE』そして『EVE burst error』とエロゲ史に残る名作を有し、たまにバグまみれで起動すらしない製品をリリースすることで有名な、そんな泣く子も黙る一大メーカーであった。
そのC's wareから、『アトラク=ナクア』の一カ月後に『DIVI-DEAD』(C's ware, 1998/1/23)がリリースされる。
物語は山奥の学園に転入することになった主人公が、学園内で麻薬のように蔓延する香、見え隠れする異常行為、学園創設者一族の陰惨な過去などに触れていくうち、自分がこの学園に転入させられた目的や持病の発作の原因などが明らかになっていく、というものである。
この作品は、直接的にはクトゥルフ神話要素への言及が一切無い。シナリオファイルを無理やり抽出して全テキストを確認した私は自信を持って断言できる。本当に、ない。
しかしそこで描かれる物語の設定は、ラヴクラフト小説のファンならおそらく確実にニヤつけるものである。「古い穴の底から神を呼び出す」「この地の神と契約を交わし、その血を一族の中に入れた」、そして穴が開きすぎて周辺一帯の人間が狂死したこと。
こうした神と人との関係はまさしくクトゥルフ神話――もっと言えばラヴクラフト神話における典型的なそれである。
また話の筋にはほとんど関係ないにもかかわらず、焼身自殺した建築家が書いた唯一の幻想小説「はての国」への執拗ですらある言及は、作中で関わった人間がほとんど惨たらしく死んでいるという状況も併せてラヴクラフト愛読者に魔術書めいた印象を与えている。
本作に人外は登場するが、クトゥルフ的なモンスターは登場しない。しかし抑制的ながらも明白な狂気、グロテスクな死体などはある意味で『ネクロノミコン』時代におけるクトゥルフ神話の扱い方に忠実と言っていいものであり、具体的に名前こそ触れないものの、その確かなオマージュを感じる内容は良作と呼ぶにふさわしいものであり、その意味では『アトラク=ナクア』の対と言っていいだろう(ちなみにのちの『果てしなく青い、この空の下で…。』(TOPCAT, 2000/06/30)も同様のアプローチを採った良作である)。
そしていよいよ世紀末、電波系エロゲといえば必ず名前の上がる有名作『終の空』(ケロQ, 1999/8/27)が発売される。
ある学校で一人の不良学生が屋上から転落死した三日後、いじめられていた女生徒が同じ場所から飛び降り自殺、同じくいじめられていた男子生徒の妄想が周囲の学生を巻き込み拡散し、一週間後に同じ場所から集団で飛び降り自殺に至る、という事件を何人かの視点で繰り返し読ませる物語である。
正体不明の少女の口から出るナイアルラトホテプという単語、「テケリ・リ」という声など、確かにクトゥルフ神話要素における単語は使われている。
……が、本作はむしろ終末論を用いて『雫~しずく~』を正統に発展させた延長上の作品として語られるべきであり、本作をクトゥルフ神話を軸にしたものというにはちょっと無理があると考えている。
というのも、本作のシナリオにおける終盤は統合失調症の患者を模したそれとなっており、またその視界はシュルレアリスム的な絵で表現される。シュルレアリストの一部が統合失調症の患者の描く絵に魅せられたことも併せて考えれば、そこで語られる内容は言葉遊びめいた意味が通るようで通っていない単語の連結であり、その一部にクトゥルフ神話用語が用いられた、というように私は思っている。
本作はよく出来た作品であり、衒学趣味の上で意味が通りそうで通っていない文を普通に会話が成立しているかのような羅列には思わずニヤリとさせられ、その「向こう側」の表現としては明らかに過去のエロゲとは一線を画したものである。が、クトゥルフ神話の扱い方という点で言うのであれば、『アトラク=ナクア』と同じくらい関係性は無い、というのが妥当なところだろう。
正直、1994年から99年というわずか5年ですでに結構な文章量になってマジかよと。ただこうして見ると、クトゥルフ神話は結構多様な使われ方をしてきた、というのが見て取れるかと思う。モンスターホラーとしての印象が一般には強いのではないかと思うけれど、狂気の表現形態であったり、物語構造としてのそれであったりといろいろ工夫がされている。
2000年以降については余白もないのでこの記事でこれ以上深く言及する気はないけれど、『朝の来ない夜に抱かれて -ETERNAL NIGHT-』(DreamSoft, 2002/06/28)、『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/04/25)、『終末少女幻想アリスマチック』(キャラメルBOX, 2006/10/27)というのが従来に無いひとつ特徴的な筋と思う。いずれもクトゥルフ神話と熱血という組み合わせであり、好き嫌いはあろうがモンスター設定資料集としてのクトゥルフ神話がこれで普及していくように思う。ちなみにこのあたりはDreamSoftがフェアリーテールのブランド、キャラメルBOXが姫屋ソフトのブランドであることを考えると、少し面白いものがある。
なお、この記事については間違った内容が記載されている可能性が十分にある。発売年度は一応いくつか調べた上でおそらく正しいと思われるものを記載したけれど、これももし誤りがあれば申し訳ない。
さて、最後にここまで読んだ奇特な人のために、ぜひプレイ頂きたい史上最高のクトゥルフ神話系エロゲを紹介したいと思う。『人工失楽園』という(文章はここで途切れている)
ノンポリ読者の購読停止を止めたいために従軍慰安婦に関する争点の一つが誤報だったということを認めつつも、新聞の編集方針を支持してくれる層へ配慮を目的とした中途半端な訂正記事が、朝日新聞衰退の転換点になると考えている。
自紙に誘導したいと思っているのだろうが、一度購読をやめた読者は二度と再購読しない。他のメディアと比べて最も速報性が劣っているのに、毎月4,000円をまた払おうと思うのだろうか?
部数を落としているのに、今の編集方針を継続するのは最悪な選択だろう。
紙媒体から他のメディアに軸足を移す軟着陸期なのに、何を血迷ったかイジェクトレバーを引っ張ってサバイバルレースから脱落しつつある。
安倍政権もあと数年の寿命と考えて、辛抱して耐えていれば良かったのに。
朝日新聞は、誤報を知りつつも認めないのが最良の策だった。しかし、同紙は二兎を追う者は一兎をも得ずの状態になりつつある。
組織の腐敗や衰退が表面化したときには、もう手遅れなほど根腐れ手していることが多い。同紙は失地回復はもう無理で、残された道はダメージコントロールをきちんとして購読者離れをどう防ぐかという段階にいる。
そして、朝日新聞の編集方針を支持していた層がどこに移るのかと、同紙を隠れ蓑にして世論を誘導しようとしていたスポンサーがどこに鞍替えするのかが気になる。
読んどけってだけの話。
ってのがあって。まあ当方軍オタなんで、うっかりミスとかは笑って流せても、ドヤ顔で史実とまるで違うことを書いてあるとムカツクのは避けられない。若い頃はコメント欄に喧嘩売りに行って当然、ぐらいの行動力はあったが、おっさんになったのでブコメで一番気になったことだけ指摘しておいた。
そしたら、
ってえらく挑戦的なブコメを(自分に向けたものかは分からないが)書いてる人がいた。その後さらに
「ページ作者の希望によりブックマークの一覧は非表示に設定されています」
になってさらにモヤモヤ。ミスの指摘が図星だから消したのかよ、みたいなネガティブ全開思考に。
まあ「分かりやすい物語」を優先して書いたらあんなかたちになるかな、とは思わなくもない。思わなくもないけど、史実か史実でないかといわれたら困る。
以下蛇足
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全部書くとキリがないので海軍兵備に与えた一番大きな影響だけ書くと、
「遠くから大砲を撃っても戦艦は沈まない、という常識を覆した」
ことになる。それまでの常識では、戦艦の主砲とは取扱が難しく、発射準備も大変で撃てる回数も少なく狙いを付けるのも難しい、と弱点だらけで、海上での決戦で使い物になるとは思われてなかった。
ところが、アドミラル・トーゴーに率いられた日本海軍は、常識外れの遠距離の交戦で、大量の大口径砲を効果的に使い、ロシア艦隊を完膚無きまでに叩きのめしてしまった。
この結果、「この常識って実は時代遅れじゃね?」とこっそり疑っていた人たちが一気に表舞台に登場、各国ともその教訓を適用させた新型戦艦の建造に一斉に走る。その競争に勝って新戦艦の第一号の栄誉を担ったのがイギリスの「ドレッドノート」であり、以後その名に倣って新世代の戦艦はド級戦艦、あるいはそれを超えるという意味で超ド級戦艦などと呼ばれるようになった。
話を端折って第一次世界大戦が勃発&終了。
実は日露戦争から大戦勃発まで10年しかないのだが、この間の戦艦を巡る話を書いてると本の1冊ぐらいの分量はすぐに埋まるので端折るしかない。
大戦の教訓は、実は日露戦争と比べると分かりにくい。10年後に分かりやすい答え合わせのできた日露戦争と異なり、両次大戦の間には20年の時間があり、そこに軍縮条約と世界恐慌という、全列強の軍備を歪めた/正したイベントが転がっているせいである。また、参戦国によって教訓の受容の仕方(解釈)も違っていたせいでもある。
といっても分かりにくいと言って逃げているわけにも行かないので、いくつか項目を挙げる。
後知恵で言えば、ドレッドノートによって始まったはずの「戦艦の時代」はこの戦争中に終わった。
大金を投じて整備された戦艦群は、戦争に大して影響を与えなかった。戦艦同士が殴り合う大海戦こそ起きたものの、それで戦争の展開も国家の命運は、ほとんど変わらなかった。仮に何らかの代替手段があれば、この時点で戦艦という兵器が滅んでも不思議ではない位、悪いニュースである。
また、戦争中、イギリスを一番脅かしたのは、ドイツの戦艦ではなく潜水艦だった。島国イギリスが必要とする、物資を運ぶ船を沈めまくり、危機的な状況に追い込んでいる。
「一番の脅威になった敵に対抗できない、そんなものが主力兵器と言えるのか?」とも論難されるようになったわけである。
もちろん、潜水艦以外の普通の艦船相手なら、戦艦はなんなく撃沈できたし、潜水艦の能力自体もまだまださっぱりだったので、戦艦の存在意義自体が否定されたわけではなかった。しかし、この理由は一世代後、二次大戦が終わってから戦艦にとどめを刺すことになる(後述、しないかも)。
「空」という新しい戦場が導入され、攻撃力はともかく、偵察力が爆発的に向上したことで、海軍のあり方が大きく変わることになった。
それまで、敵艦隊を見つけるには、偵察艦を方々に派遣してマストの上から見張るという手段しかなかった。航空技術はそれを変えた。つまり、遙かに高速で遙かに高い場所から偵察できるようになった。
大戦当時、飛行船で空から偵察する、という圧倒的なアドバンテージをドイツ海軍は有していた。
イギリスにそんな結構なものはなかった。さりとて、航空機は発達途上であり、飛行船ほどの長距離を飛べる飛行機もなかった。やむなく、海面を滑走路とする航空機、水上機を使おう、として、北海の気象条件に阻まれる。
海だから波浪という物があり、荒れやすい北海の気候は水上機の実用性をがつんと引き下げた。
この偵察能力の差は決定的な物であり、イギリス海軍が規模と伝統で劣るはずのドイツ海軍相手に苦しい戦いを余儀なくされる大きな原因となった。一方が相手がどこにいるかを察知し、他方が何の情報も持たないなら、それは勝負になるはずはない。
誰が考えても、空を支配できない海軍に将来がないことは明白だった。
イギリスは水上機に見切りをつけ、普通の航空機を運用できる艦艇の開発に取り組むことになる。航空母艦の誕生である。
先述の如き変化はあったが、列強の海軍は引きつづき、より強力な戦艦を求めていた。理由は色々あるが、
が最大の物で、「相手が持っているから対抗するために必要」というたいていの軍備に適用できる理屈がこの場合にも機能した。
そこで各国は第一次世界大戦の教訓を反映させ、より高速で、より防御力に優れ、より攻撃力の高い戦艦を作ろう、としたところで、その高価さに気付くこととなった。最先端技術の塊になった当時の新型戦艦は、作って運用するだけでもとんでもない金食い虫だった。
無理矢理現代に置き換えると、最先端のスーパーコンピューターと巨大な工業プラントを合体させたでっかい超合金の塊を、高速で自在に航行させるようなものだから、まあ、安いはずはない。
日本の海軍整備計画だった『八八艦隊』など、国家予算に占める割合が3割4割は当たり前というとんでもない代物となった。
日本より遙かに豊かだった米英にしても「これなんか違くね?」と政治家たちが考え始めるようになった。
もちろん、戦争が差し迫っているとか、他に代替手段がないとかであれば、無理してでも兵器を作らねばならない。ならないが、当時はそんな世界情勢ではなかった。
結果、軍縮会議が開かれ、各国は軍備に制限をかけることとなった。
よくある誤解として、
「太平洋戦争が始まるまで、各国の海軍兵備に対する考え方とは大艦巨砲主義で、戦艦がすべてだと思われていた」というのがある。間違いである。。
「戦艦は高価なばかりで戦争の役に立たない」「戦艦廃止も現実的な選択肢」 >
けれども海軍中枢と政府の間で戦艦vs航空機論争が繰り広げられる中で、現場の艦隊指揮官達はそんな論争の行方とはまったく別に一つの結論に達しつつありました。それは「空母がなければ艦隊決戦は勝利できない」という認識です。航空機が戦艦を撃沈できようができまいが、海戦で敵空母を撃破してしまえば味方艦隊は一方的な砲戦観測ができ、遠距離砲戦で圧倒的な優位に立てるからです。そして戦艦を撃沈できるかどうかは別として爆撃、雷撃も自由に実施できます。 >
こうして「空母は敵空母を発見次第、敵戦艦ではなく敵空母に対して攻撃隊を指向する」という海戦ドクトリンが確立され、マニュアル化されます。1930年代に日本海軍が強く意識していた「アメリカ海軍の制空権下での艦隊決戦という概念」とはこうした考え方です。海戦で空母が無ければ勝てないことは空母を含む艦隊の演習を繰り返すだけで確信される極めて明快で誰もが理解できる事実でした。海軍中枢と政府との間で交された「戦艦vs航空機」などといった派手な議論は現場の艦隊にとってはどうでも良かったのです。 >
戦争で使われた艦の多くは、 大戦が始まる前にすでに建造されました。太平洋戦争をまだ知らない設計者や軍人が、「次の戦争はこうなるだろう」という予想のもとで作った艦です。しかし彼らの予想は全て覆され、艦艇たちは思いもよらない戦いに挑むことになりました。 >
以前、森毅の本で、軍国少年だった旧制中学時代の友人が戦後に共産党の議員になったという話を読んだことがある。
要はそういうこと。右か左かが本質なのではなく、現実に合わせて世界を解釈するのではなく、あまりにも単純な「模範解答」に世界を無理矢理合わせこもうとする教条主義者か否かというのが本質。
ネトウヨとか電波系反原発とかと要するに似たような人種。意見の合わない人間を「鬼畜米英」とか「軍国主義者」などと悪魔化し、気にくわないことは全て「韓国の捏造」や「原子力ムラの陰謀」で片付ける。
この手の人は結局、自分で気付くしかないんだと思うよ。でないと一生そのままだよ。それまでは、中核派とかオウムとか在特会とかに絡め取られないよう祈るしかないね。
警察の人と悶着起こして「警察のすさまじい暴力!不当逮捕!(キリッ)」とかいう
(原発反対自体が左翼とか反社会系の危ない人みたいに思われるので物凄くやめて欲しい。)
とか真顔で言い出す人。
(デモにも居たけど、そういうのはせめて個人の時に発言して欲しい。
純粋に不安に思ったお母さんとかもちゃんと、たくさん居るんだよ。
でもそういう純粋に原発に反対したい人達はデモとかに不慣れなので、
変に場慣れしたキチガイによってキチガイじみた別の運動に一方的に利用されてる。
これが本当に腹立たしい。
おまわりさんと揉み合いしたり
どーでもいい陰謀論喚いたりするためにデモに参加した人ばっかりじゃないんだよ。
雰囲気も居る場所も別れてたし。
本人が死んでしまったのだから喋っちゃってもいいだろう。
村崎百郎はシベリア生まれ、中卒の工員という設定を見れば分かる通り、
完全にギミックでマジモンのキ印じゃない。
しかし『電波系』などの著書で行われている「妄想電波の分類」などを見ると
単なるギミックじゃない何か迫真に迫ったものを感じるはず。
はたして電波の類は作りなのか、マジなのか、判断に困っている人もいるだろう。
で、これは半分マジであって半分作りなのだ。
そこに書かれていることは二人が趣味で収集したキ印な人たちの実態を盛り込んでいる。
それをそのままこういうキ印な奴らがいるんですよ、と発表してしまったら
キ印当人たちに何をされてしまうのかわからない。
ああああやっぱり少しもわかってくれなかった、、、
店員の話なんか1ミクロンもしてないのよ。
早朝のコンビニって言うのは土方がわーーーーーーーーっと買い物に来るの。その壮絶なこと壮絶なこと。みんな知ってる。
「早朝のコンビニ!」っていうだけで「土方ワーーーーーー」という返事が一瞬で返って来るレベル。
なんでこんな当たり前中の当たり前中の当たり前が全く共有されていないんだろう。なんで俺はこんなことを分解して説明しなければならないんだろう?
そしてサイレントマジョリティがそこにあるということもみんな知ってる。これも根拠必要???もうこういうのも目の前のそれ!としかほんと言いようがないんだよ。説明するまでもなく目を開いてくれっていう。
失望した!
さまざまな北朝鮮の工作やねつ造を無視するその態度に失望した!!!
・・・それとも、本当に俺たちは騙されているのか!?
横田めぐみさんの遺骨は焼かれていたってのは嘘なのか?
戦後賠償金は払わなくっていいってことになってたのに払ったってのは嘘なのか?
何て言うか、何を信じていいのか分からなくなるな。こう言う奴がいると。
それともそれが狙いなのか?
数年前、じいさんと一緒にある用事で出かけた時に
(うわ。本当にこんなんがあるのか)と引いていら、
「ちょっとお時間いいですか~?あのですね、私たちは…」
と、お決まりの洗脳。
適当に聞き流していたら、じいさんが
「…わしの事を悪く言われるのは構わん。じゃが今の人達に 謝罪させるのは止めてくれんか…」
と小さな声だったがハッキリとした声で話し始めた。
「…わしはアメリカと戦った、おかげでほれ、左手の指が3本無い。
しかし、わしはアメリカを憎んでおらん。戦争とはそういうもんじゃ、アメリカの子供達にも罪は無い、あの時に罪を犯したのは日本もアメリカもわしらの代だけじゃ、次の世代や子供に罪は無い。じゃから…」
そこで俺が「じいちゃん、もういいよ、行こうや」と半ば強引にその場を離れた。
1年と半年前にじいさんは亡くなった。
じいちゃん、俺は胸張って毎日生きてるぞ。
じいちゃんの小さな、でも確かな武勇伝、忘れない。
2月にこの日記を書いた。
http://anond.hatelabo.jp/20070228032425
そうか、人間熱意でなんとかなる時もあるのだな。
大勢だけを見て、ハナから駄目だろうと考えていた自分のヌルさを反省した。
・追記
・新潮:生意気妹系。文春をライバル視
・マガハ:世話焼きお姉さま系
・東京書籍:感情を表に出さない天才系
・学研:おばちゃん
・MW:角川の妹。電波系だが男ウケ良い
・芳文:バーのママ
・光文社:見た目は可愛らしいが、何かにつけて意地悪をしかけてくる
・PHP:人のために何かするのが好きなお人好し。「ごほーし、致しますっ☆」
・中公:人の目が気になる性格で、自分の評判など知っていないと不安になる内気な娘