2013-09-28

http://www.riabou.net/entry/2013/09/26/224354ブコメが非公開でモニョる

まあ、なんつーか、私怨系。読んでも面白くない。

ものの分かった人間なら、こんな増田読むより

http://stanza-citta.com/bun/category/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%81%AE%E8%BE%BF%E3%81%A3%E3%81%9F%E9%81%93

読んどけってだけの話。

本題

艦これから始まる海軍歴史

http://www.riabou.net/entry/2013/09/26/224354


ってのがあって。まあ当方軍オタなんで、うっかりミスとかは笑って流せても、ドヤ顔史実とまるで違うことを書いてあるとムカツクのは避けられない。若い頃はコメント欄喧嘩売りに行って当然、ぐらいの行動力はあったが、おっさんになったのでブコメで一番気になったことだけ指摘しておいた。

そしたら、

ブクマコメントミスがあるとか指摘してる人たちもいるけど、そゆ人らがちゃんと情報出してくれることもどうせないのだよなー


ってえらく挑戦的なブコメを(自分に向けたものかは分からないが)書いてる人がいた。その後さら

「ページ作者の希望によりブックマークの一覧は非表示に設定されています

になってさらモヤモヤミスの指摘が図星だから消したのかよ、みたいなネガティブ全開思考に。

まあ「分かりやす物語」を優先して書いたらあんなかたちになるかな、とは思わなくもない。思わなくもないけど、史実史実でないかといわれたら困る。

以下蛇足

=====

戦艦歴史適当


日露戦争ドレッドノート

日露戦争はそれまでの常識をいろいろ覆した戦争だった。

全部書くとキリがないので海軍兵備に与えた一番大きな影響だけ書くと、

「遠くから大砲を撃っても戦艦は沈まない、という常識を覆した」

ことになる。それまでの常識では、戦艦の主砲とは取扱が難しく、発射準備も大変で撃てる回数も少なく狙いを付けるのも難しい、と弱点だらけで、海上での決戦で使い物になるとは思われてなかった。

ところが、アドミラルトーゴーに率いられた日本海軍は、常識外れの遠距離の交戦で、大量の大口径砲を効果的に使い、ロシア艦隊を完膚無きまでに叩きのめしてしまった。

この結果、「この常識って実は時代遅れじゃね?」とこっそり疑っていた人たちが一気に表舞台に登場、各国ともその教訓を適用させた新型戦艦の建造に一斉に走る。その競争に勝って新戦艦の第一号の栄誉を担ったのがイギリスの「ドレッドノート」であり、以後その名に倣って新世代の戦艦ド級戦艦、あるいはそれを超えるという意味超ド級戦艦などと呼ばれるようになった。

第一次世界大戦

話を端折って第一次世界大戦が勃発&終了。

実は日露戦争から大戦勃発まで10しかないのだが、この間の戦艦を巡る話を書いてると本の1冊ぐらいの分量はすぐに埋まるので端折るしかない。

大戦の教訓は、実は日露戦争と比べると分かりにくい。10年後に分かりやすい答え合わせのできた日露戦争と異なり、両次大戦の間には20年の時間があり、そこに軍縮条約世界恐慌という、全列強の軍備を歪めた/正したイベントが転がっているせいである。また、参戦国によって教訓の受容の仕方(解釈)も違っていたせいでもある。

といっても分かりにくいと言って逃げているわけにも行かないので、いくつか項目を挙げる。

戦艦時代終焉

後知恵で言えば、ドレッドノートによって始まったはずの「戦艦時代」はこの戦争中に終わった。

大金を投じて整備された戦艦群は、戦争に大して影響を与えなかった。戦艦同士が殴り合う大海戦こそ起きたものの、それで戦争の展開も国家の命運は、ほとんど変わらなかった。仮に何らかの代替手段があれば、この時点で戦艦という兵器が滅んでも不思議ではない位、悪いニュースである

また、戦争中、イギリスを一番脅かしたのは、ドイツ戦艦ではなく潜水艦だった。島国イギリス必要とする、物資を運ぶ船を沈めまくり、危機的な状況に追い込んでいる。

それなのに、戦艦では潜水艦を攻撃できない。

「一番の脅威になった敵に対抗できない、そんなものが主力兵器と言えるのか?」とも論難されるようになったわけである

もちろん、潜水艦以外の普通艦船相手なら、戦艦はなんなく撃沈できたし、潜水艦能力自体もまだまださっぱりだったので、戦艦存在意義自体が否定されたわけではなかった。しかし、この理由は一世代後、二次大戦が終わってから戦艦にとどめを刺すことになる(後述、しないかも)。

航空時代の開幕

「空」という新しい戦場が導入され、攻撃力はともかく、偵察力が爆発的に向上したことで、海軍のあり方が大きく変わることになった。

それまで、敵艦隊を見つけるには、偵察艦を方々に派遣してマストの上から見張るという手段しかなかった。航空技術はそれを変えた。つまり、遙かに高速で遙かに高い場所から偵察できるようになった。

大戦当時、飛行船で空から偵察する、という圧倒的なアドバンテージドイツ海軍は有していた。

イギリスにそんな結構ものはなかった。さりとて、航空機は発達途上であり、飛行船ほどの長距離を飛べる飛行機もなかった。やむなく、海面を滑走路とする航空機水上機を使おう、として、北海気象条件に阻まれる。

海だから波浪という物があり、荒れやす北海気候水上機実用性をがつんと引き下げた。

この偵察能力の差は決定的な物であり、イギリス海軍が規模と伝統で劣るはずのドイツ海軍相手に苦しい戦いを余儀なくされる大きな原因となった。一方が相手がどこにいるかを察知し、他方が何の情報も持たないなら、それは勝負になるはずはない。

誰が考えても、空を支配できない海軍に将来がないことは明白だった。

イギリス水上機に見切りをつけ、普通航空機運用できる艦艇の開発に取り組むことになる。航空母艦誕生である

高速戦艦時代(未遂)

先述の如き変化はあったが、列強海軍は引きつづき、より強力な戦艦を求めていた。理由は色々あるが、

「敵が戦艦で攻めてきたら戦艦でないと対抗できない」

が最大の物で、「相手が持っているから対抗するために必要」というたいていの軍備に適用できる理屈がこの場合にも機能した。

そこで各国は第一次世界大戦の教訓を反映させ、より高速で、より防御力に優れ、より攻撃力の高い戦艦を作ろう、としたところで、その高価さに気付くこととなった。最先端技術の塊になった当時の新型戦艦は、作って運用するだけでもとんでもない金食い虫だった。

無理矢理現代に置き換えると、最先端スーパーコンピューターと巨大な工業プラントを合体させたでっかい超合金の塊を、高速で自在に航行させるようなものから、まあ、安いはずはない。

日本海軍整備計画だった『八八艦隊』など、国家予算に占める割合が3割4割は当たり前というとんでもない代物となった。

日本より遙かに豊かだった米英にしても「これなんか違くね?」と政治家たちが考え始めるようになった。

もちろん、戦争差し迫っているとか、他に代替手段がないとかであれば、無理してでも兵器を作らねばならない。ならないが、当時はそんな世界情勢ではなかった。

結果、軍縮会議が開かれ、各国は軍備に制限をかけることとなった。


条約後の世界と軍備

よくある誤解として、

太平洋戦争が始まるまで、各国の海軍兵備に対する考え方とは大艦巨砲主義で、戦艦がすべてだと思われていた」というのがある。間違いである。。

実際には、第一次世界大戦後の世界では、

戦艦は高価なばかりで戦争の役に立たない」「戦艦廃止も現実的な選択肢」 >

というのは一定以上の有力な考えだった。先述のように、戦争の展開を見るかかぎり、戦艦はあまり役に立ってなかったように見えるし、先述のように「相手が持っているから対抗するために必要」だったら、話し合って削減していけば、いずれは廃止できるという理論も成り立つ。

逆に、英独間で行われた戦艦の建造競争両国間の緊張を高めて一次大戦の一因になったという見方もある。 つまり、話し合いで軍備を制限すれば、軍事費節約できて納税者が喜ぶだけでなく、世界が多少は平和に近づき、さらには軍人が欲しがっている新兵器の開発・配備の余地だって増す、という「三方良し」が期待できた。

一応、「航空機が発達すれば戦艦など楽々撃沈できるようになる」と主張する過激な航空論者(この時点では過激を通り越して電波系と言われても仕方ないレベル)が一部に存在して、「いや、戦艦の防御力を強化すれば航空攻撃にも十分対応できる」とする戦艦主義者(この時点ではこちらが正論)と論争を繰り広げていたりもしたが、本筋ではない。

本筋、つまり実務者たちは、太平洋戦争始まるよりもずっと前に、新兵器、つまり空母」を配備してなければ勝てない、という正解に到達していた。 >
けれども海軍中枢と政府の間で戦艦vs航空機論争が繰り広げられる中で、現場艦隊指揮官達はそんな論争の行方とはまったく別につの結論に達しつつありました。それは「空母がなければ艦隊決戦は勝利できない」という認識です。航空機戦艦を撃沈できようができまいが、海戦で敵空母を撃破してしまえば味方艦隊は一方的な砲戦観測ができ、遠距離砲戦で圧倒的な優位に立てるからです。そして戦艦を撃沈できるかどうかは別として爆撃、雷撃も自由に実施できます。 >

まり戦艦の最大の存在理由、 「敵が戦艦で攻めてきたら戦艦でないと対抗できない」に、新しいルール、 「敵が空母を連れた戦艦で攻めてきたら、こちらに空母がいないと、戦艦でも対抗できない」が追加されたのである

航空過激派の主張に反し、当時、航空機で本当に新型戦艦を撃沈できるかは、まったくの未知数で正解は不明だった。 だが、防御力に劣る、つまり戦艦よりも弱い船なら撃沈できる、あるいは撃沈できるようになる事は、ほぼ確定していた。 一方に空母がいて、もう一方に空母がなければ(あるいは撃破されてしまえば)、偵察力で致命的な差が出た上で、戦艦以外の船が撃沈され放題の逆ボーナスステージに強制突入することになる。

>
こうして「空母は敵空母発見次第、敵戦艦ではなく敵空母に対して攻撃隊を指向する」という海戦ドクトリン確立され、マニュアル化されます1930年代日本海軍が強く意識していた「アメリカ海軍制空権下での艦隊決戦という概念」とはこうした考え方です。海戦空母が無ければ勝てないことは空母を含む艦隊の演習を繰り返すだけで確信される極めて明快で誰もが理解できる事実でした。海軍中枢と政府との間で交された「戦艦vs航空機」などといった派手な議論は現場艦隊にとってはどうでも良かったのです。 >

言い替えるとこの時点で来るべき海戦の想定展開とは、

航空機で敵艦隊を探し、先に発見する。発見したら、空母から攻撃隊を出して相手の空母を最優先で叩く。空母が撃破された側はとんでもなく不利になる」

というものになった。 何のことはない、史実太平洋戦争の諸海戦のものである
まり、 >
戦争で使われた艦の多くは、 大戦が始まる前にすでに建造されました。太平洋戦争をまだ知らない設計者や軍人が、「次の戦争はこうなるだろう」という予想のもとで作った艦です。しかし彼らの予想は全て覆され、艦艇たちは思いもよらない戦いに挑むことになりました。 >

というのはドラマチックで面白い表現かもしれないが、正確ではない。
  • 私怨系なのでたぶん続きは書かない。 書くとすれば 真珠湾攻撃の結果の後世の評価のずれ 戦艦の価値は別に下がってない、とアメリカ海軍は考えていた クロスロード作戦の正しい...

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